灯真は幼い頃に出会ったという星巫女候補に焦がれているらしい。そして、彼は現在この世に一人しかいない星巫女候補である詩桜が、その少女だと思い込み執着している。

(本当は違うのに。わたしは、灯真の想っている星巫女じゃない)

 詩桜には灯真と幼い頃に会った記憶などないのだ。ずっと幽閉されていたのだから会えるはずもない。

 だから灯真に優しい目で見つめられるたび、自分じゃない誰かへの感情を向けられているのだと思うと複雑な気持ちになる。
 灯真は勘違いをしているに違いない。

 けれど真実は誰にも言えない。

 自分が偽物の星巫女候補だと言う事実を知っているのは、義雄と辰秋含め日向家のごくわずかな人間だけなのだから。





 あくる日の昼下がり。
 麗らかな日差しに春を感じながら、詩桜は縁側に腰を下ろし素足をぶらぶらさせながら、砂紋広がる庭先を眺めていた。

 錦鯉の泳ぐ石囲いの池の水面には、ひらひらと舞うようにして散る桜の花弁が浮かんでいる。
 立派な桜の木で羽を休める鵯の鳴き声と、庭に響く猪脅しの音を遠くの方で聞きながら溜息を零す。

「どうした、詩桜。日向ぼっこか?」
 突然背後から感じた気配に振り向くと辰秋がいた。
 詩桜と同じく両親のいない辰秋は、中学まで祖父である義雄に面倒をみてもらっていた。
 村長の跡を継いだ今も飄々としているけれど、内心葛藤もあるのではないだろうか。実の祖父の罪を公にするのにはどれだけの覚悟が必要だったのだろうと詩桜は思う。

「辰秋さん、お出掛けですか?」
「ああ、なかなかきまってるだろ」

 今日は帝都で開かれる五芒星会合という結界を守りし五家と星翔村の長の集まりに出席するのだと言う。そのため普段は着ないスーツを着こなしている。
 黒いスーツの中は、緩めたネクタイに赤いワイシャツ。さらに、サングラスまで着用し、どうにも会合に出席する長の格好とは思えない風貌だが。

「……その格好で行くんですか?」
 辰秋はガタイが良くキリッと釣り上がった目つきも相まって、ただでさえ相手に第一印象で畏怖を与えてしまうような面立ちなのに。
 そのうえそんな格好をしては、どこかのチンピラに見えてならない。

「カッコイイだろー。しっかり、五芒星会合の皆様方を威嚇してくるぞ」
「威嚇してどうするんですか」
「はは、若輩者だと舐められちゃいかんと思ってな」
 辰秋は、今年で二十五歳だったか。確かに長としては若い。だがその風貌とつねに堂々とした態度から、舐められることはなさそうだが。

「そういうことだから、今日からしばらくの間、俺様は家を空けるぞ」
「えっ」
 会合に出た後、辰秋が村長となった挨拶回りをしたり、夜会にも出席と大忙しらしい。

「なんだ、寂しいのか? でも、そんな不安そうな顔しなくても大丈夫だ。灯真殿がいるからな」

(……だから不安なんです)
 退魔の札を多めに準備しておく必要があるかもしれないと詩桜は密かに思った。
 あの困った吸血鬼は、油断するとすぐに味見と称したキスをしてこようとするのだから。

「なんだよ、難しい顔して。灯真殿が苦手なのか?」
「苦手と言うか……彼は、勘違いしてるんです。わたしが偽物だって知らないから」
 その昔、自分よりもっと相応しい星巫女候補が他にいたのに……その少女は死んで、生き残ったのは詩桜だった。

「お前さんは偽物なんかじゃないよ。もう、誰にもそんなこと言わせないさ」
 言いながら、サングラスを左胸に納めた辰秋は、詩桜の隣で胡坐を掻いた。

 生まれた時から狂鬼化した吸血鬼を呼び寄せてしまう特殊な体質だった詩桜は、幼い頃、魔の化身と罵られ、星巫女に匹敵する霊力を持ちながらも、認められず疎まれていた。

 それでもとある事情から星巫女候補でいなければならなくて、村人たちに魔を呼び寄せる体質を隠すためにも、星巫女とは名ばかりの幽閉生活をしいられ、ただ生かされてきたのだ。

 それにおかしいと意を唱え、詩桜に外の世界を教えてくれたのが辰秋だった。

「ところで、どうだ。学校のほうは、ちゃんと上手くやれているのか?」

 幽閉状態だった詩桜は、つい数カ月前まで学校にすら通わせてもらったことがなかった。もっぱら、勉強は家庭教師。高校は通信制の学校に在学、という形だったものだから、高一の冬に転入し初登校の日には驚きの連続で、保護者として着いてきてくれた辰秋に苦笑いされていたのを思い出すと、詩桜は今さらながら恥ずかしくなった。

「今は、だいぶ慣れたと思います。それから、わたしお友達が出来たんですよ! すっごく美人で、優しくて、素敵な女の子なんです」
 少しはにかみながら珍しく熱弁をする詩桜に、辰秋も「そうかそうか」と相槌を打ち微笑み返してくれる。

「それはよかったなぁ。最初は、あまりの箱入り娘っぷりに、俺様も心配が尽きなかったんだが、今は灯真殿もいてくれることだし安心だ」
「そ、そうですね……」
「なんだ、なんだ。その引き攣った顔は。灯真殿は、仮にも封印の陣を守る仲間だろうよ」

 言葉にしなくとも仲良くしなさいと言われているような気がして、詩桜は思わず渋い顔をしてしまった。

 初代星巫女は、五家に五芒星の陣を形成する五つの石と誓い刀を託した。
 人間と吸血鬼に隔てなく託したのは、二つの種族の共存を願った巫女らしい配慮だと言われている。

「この村が、今大変な状態なのは、前に教えただろう」
「はい、結界の力が弱まり、星翔村に届く妖し風を封じきれなくなってきているんですよね……」

「それだけじゃない。狂鬼派の吸血鬼たちの組織『緋夜(あかよ)(つき)』が人間に危害を加える事件も増えてきた。星巫女不在の現状を、好機に思っているんだろうな」
 人間と共存する吸血鬼の中、少数派だが狂鬼化していなくとも人間を食料としてしかみなしていない吸血鬼もいるのだ。

「それでだ。ほれ」
 ひょいっと、辰秋が投げてよこしたのは、詩桜の両手にぽんっと乗せられるサイズの羅針盤。
 その中には、星翔村を中心に張られた五芒星の陣のミニチュアが浮かんでいる。ただ、星を繋ぐ五つの光は薄っすらあえかに零れているだけだ。

「歴代星巫女がご愛用されてたらしい星の羅針盤だ。夜空に浮かぶ星を示すモノではないぞ。これで五芒星の陣の様子が見れる。なにかの役に立つかもしれない」
「そ、そんな大切なもの、軽々しく投げてよこさないでください」
「まあまあ。この板の上で浮かぶ光の線が、今の日ノ本中心部に張り巡らされている結界の現状だ。そして、その線を指で辿る先にあるのが、五色の小さな石」
 辰秋の話によれば、それが示すのは守護者五家それぞれの本家。

「つまり、封印の陣がちゃんと機能しているか、状況を調べるために作られた羅針盤ですか?」
「だろうなぁ。この前、星翔神社の蔵を漁っていたら偶然でてきた」
「……まさか、無断で持ってきたんじゃ」
「ハハハ、さすがの俺様も、そんなこそ泥染みた真似はしないさ」
 暢気に笑っているけれど、ガサツな辰秋なら悪気なくやりかねないから心配だ。

「俺様が次に村へ戻ってくる時にゃ、お前さんが覚醒した星巫女になってることを期待しているぞ」
 と無責任に言い残し、辰秋は帝都へ旅立った。
 詩桜と灯真、二人を残して……。

(何事もなく過ぎれば良いけど……)

 これから数日、灯真と二人暮しかと思うと気が重くてならない。