今夜も詩桜はいつものように夜の見回りをする。
 力が弱まっていた蒼水晶は、星巫女として覚醒した詩桜の力に比例するように光を取り戻した。
 全てが順調に進んでいる。

 だが……それなのに詩桜の心にはあの日からずっと、気がかりなことが残っている。

「遥ちゃん……元気でやってるかな?」
 土手に腰を下ろし雲の合間から地上を照らす月を見上げ、詩桜は溜息を零した。

 会いたい。何度、心の中でつぶやいただろう。
 元気でいてくれるなら、それでいい。そう思うのだけれど……

「また、屋敷を抜け出したの? 攫われても知らないよ」
 突然声を掛けられ詩桜は飛び上がる。そしてすぐに振り返り見上げれば……。

「遥ちゃん! 今までなにをしていたの? もう身体の具合は大丈夫なの? それから、それから」
 丁度考えていた人物が目の前に現れ、夢でも見ている気分になった。
 けれど、どうやら現実のようだ。

「ふふ、そんなに一度に聞かれても、答えられないよ」
 彼の左手は、すっかりキレイで灯真が取り返した腕輪もつけられていた。
 目の前にいるのは、もう長髪の美少女ではなくて薄化粧もしていない男子。
 けれどその微笑みは、紛れもなく遥だから、いてもたってもいられなくなる。

「だって、ずっと会えなかったんだもの」
「そうだね、あれから色々あったから」
「色々って?」
「今回の事に関しては、組織を裏切ったことになるから。その言い訳とかで色々、だよ」
「……まだ、緋夜の月に所属しているの?」

 できることなら、もう深入りしてほしくない。けれど、そんなことを頼める権限が、自分なんかにあるのだろうか。

「そんなに心配そうな顔をしないで。どうせ、組織を裏切った僕は、もうあそこには置いてもらえない。それに星巫女が復活した今、将来性のない組織だし。そのうち、吸血鬼たちも散り散りになって自然壊滅するかもね」
「そうなの? でも……遥ちゃんの身の安全は大丈夫?」

「この先は、自分自身で乗り越えなくちゃいけないことだから、君は心配しないで。僕は大丈夫だから……君がすべての責任を河合遥に押し付けてくれたんでしょ? おかげで、相楽遥斗は助かったんだよ。じゃなきゃ今頃、ここにはいられなかった。感謝してる」

「遥ちゃん……」
「詩桜……突然だけど、今日は、ちゃんとしたお別れを言いに来たんだ」
「え……どうして? これからは、相楽遥斗くんとして、この村で暮らせないの?」
「そういうわけにはいかないよ。今は、母さんの傍にいてやりたいし」
「そ、そうなの……」
 言葉にはしなかったけれど、詩桜の声や表情からは、寂しさが滲み出ていたのだと思う。

「……僕と離れるのが寂しい?」
「うん……」
「じゃあ、来る? 一緒に」
「遥ちゃんと一緒に?」
「君が望むなら、攫ってあげる。選べる? なにもかも捨てて、それでも、僕と一緒にいたい?」

 遥と一緒にいたい。けれど、それは遥斗と一緒にいたいということだろうか。
 なにもかもを捨てて……

「…………」
 星巫女の使命を放棄できない。その思いと共に浮かんできたのは……なぜか、灯真の顔だった。

 だから、一緒には行けない。詩桜はそう思った。

「遥ちゃん……ううん、遥斗くん。わたし、あなたと一緒には行けない」
「そう言われるのは、分かってた」
 次の瞬間、遥斗は詩桜を抱きしめてきた。これでもかというほど強く。

「僕のことは、気にしないで。清々するから……大嫌いな君の傍を離れられるなんて」
 それだけ言われ、あっという間に腕の中から手放される。優しい香りも温もりも離れてしまう。

 詩桜はそれが寂しくて、でも後追いはしなかった。中途半端な気持ちでは、遥斗を傷つけてしまう気がしたから。
 遥斗もまるで詩桜のそんな心を知っているかのように、それ以上余計な事は言わなかった。

「……さようなら、詩桜」
「……うん」
 詩桜は引き止めずに黙って遠くなってゆく遥斗の背を眺めた。
 彼は一度足を止め、こちらへ振り向くと。

「詩桜、大嫌いだよ。ずっとずっと、大嫌いだった……でも、君と出会えて、よかった」

 なにか吹っ切れたように、元気よく詩桜に手を振る。
 今は、この別れが辛く悲しいものでしかないけれど。
 詩桜は、この現実を受け入れられる、そんな自分になりたいと思った。

「……今まで、いっぱいありがとう! 遥斗くん、ありがとー!」
 もう遥斗が振り向いてくれることはなかったけれど、その背が見えなくなるまで、力いっぱい両手を振り続けていた。

 また笑顔で再会できる日を願いながら。