押さえつけられていた力が無くなり、すっと呼吸も楽になる。

「くっ、余の力を弾き飛ばすなど小癪な」
「先に喧嘩を売ってきたのはそっちだ。ただで済むと思うなよ」
 漆黒の焔を片手で弄びながら、灯真がふわりと宙に浮き藤吾の目の前にまで跳び上がる。

「よ、余に敵うとでも思っているのか」
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ」
 態勢を逆転されたと悟ったのか、藤吾は顔を歪ませ詩桜を見やった。

「くそっ、あの娘をもっと喰らえば貴様など」
「何度言わせる、あいつは俺のだ。雑魚が手を出すな」
 灯真の凍て付くように冷たい声に藤吾は負けを認めたように表情を強張らせたが。

「こんなところで、倒されてたまるかっ」
 いつだかの煙玉を放ち、一瞬の隙を突いて逃げ出した。竹の上を渡りあっという間に姿をくらます。

「灯真、お願い。あの人から腕輪を取り返して?」
「腕輪?」
「あの人、腕輪を持っているの。それは遥ちゃんにとって必要なものみたいで」
「また、そいつか……チッ」
 灯真はしぶしぶだったが藤吾の後を追って行った。



「遥ちゃん!」
 詩桜はようやく遥斗に駆け寄り、目の当たりにした左手に息を呑んだ。
 身体のあちこち傷だらけだったが、そんなものより目に留まるのは赤黒い痣。まるで左手を支配するかのように蠢いている。植物のツタみたいに痣が生きているような動きだった。

「あんな腕輪……もう必要なかったのに」
 気を失っているかと思っていた遥斗が、弱々しくも重そうに目を開けたのを見て詩桜は少し安堵したが。

「きゃっ!?」
 遥斗は腕に手を伸ばした詩桜を払うように、左手を大きく横に振った。ただそれだけなのに、強風が巻き起こり詩桜を吹き飛ばす。

「ど……どういうこと? その怪我は、いったいなんなの?」
 灯真のような吸血鬼ならまだしも、術札も呪文もなく力を使うのは人間離れしている。
 遥斗は、ひゅんひゅんと音をたて集まってくる薄闇色の風を腕に纏いながら白状した。

「妖し風だ……僕の左手は、妖し風を呼び起こす」
「呼び起こす? 妖し風は、吸血鬼の王の呪いによって魔界から吹き上げてくる風のはずじゃ……」

「……七つの頃、君が粛清されるはずだった場所に行ったことがある。蓮美にどうしても会いたくて……もう、会えないなんて理解できなくて。蓮美は迷子になってるだけなんじゃないかって。立ち入り禁止の札を潜り抜け、焼け焦げた屋敷の周りを歩き続けたよ。蓮美を探して。当然、会えなかったけどね」

 その場所は歪んだ地盤の亀裂から妖し風が吹き出していたのだという。だからこそ、立ち入り禁止になっていたのだ。

 幼かった遥斗は、その亀裂に左手を飲み込まれかけた。大人たちに発見されなんとか生き延びたがそれ以来、直に妖し風に触れ取り込んでしまった左手は、妖し風と同じ力を宿すことに……。

「相楽家は、退魔師の中では一応名家だったから。分家の奴らは、恥さらしだとその事実を隠したがった。特別な術を施し、僕の左手から魔の力を発せられない腕輪を付け封印したんだ。そのまま、噂が広まらないよう村は追いやられたけど」
 それが、先程見た腕輪なのだろう。

「少しの期間は、自分の力だけで抑える自信もあったんだけど。でも、どんどんこの身体は闇に侵食されていくから、怖くなった」
 遥斗は自分の左手に浮かぶ痣を眺め、皮肉な笑みを浮かべる。

「今日の放課後、偶然左手が触れただけでその人が狂鬼化した時は、さすがに焦ったな」
 奈津の彼氏が急に暴れ出した事件だ。あの時、遥斗の様子がおかしかったのはそのせいだったのか。

「もう、自分じゃ制御できないんだ……だから、逃げたほうがいい。藤吾様の部下たちが、闇に染まって目覚める前に」
 そんなこと気にしないとは言い切れなかった。さっきから、嫌な気配を感じる。でも。

「じゃあ、なおさらここを離れない。遥ちゃんを一人になんてできないもの」
 詩桜は、力を使うため立ち上がり呼吸を整えた。

『清めの舞い』

 そして霊力を籠めて舞い始める。
 遥斗の放つ妖し風を浴びた藤吾の部下だった吸血鬼が狂鬼化して目覚めだし、紅蓮の瞳を光らせぞくぞくと襲い掛かってきた。遥斗の放つ風を受けた狂鬼たちは、いつも以上に凶暴化しているように感じる。

 詩桜は、舞いながら遥斗と自分を囲うように聖水を撒くと、それに自分の霊力を反射させ結界を作った。
 結界と清めの舞い両方に霊力を費やすのはかなりの疲労を感じたけれど、それでも遥斗を守るように舞い続ける。

「なんで、君は……どんなに突き放しても、僕から離れて行かないの? 望みを叶えてくれるなら、その誓い刀で僕にトドメを」
 詩桜は、そんな問いかけには応えず舞い続ける。

 閃光を放つ身体から徐々に霊力が抜き取られてゆくけれど、まだいけると思った。

「僕はもう、どうせ助からないから、無駄なことはしなくていい」
 詩桜は、ついに立っていられなくなって膝をついた。それでも祈る形で霊力を使い続ける。

(あと少し……もう少しっ)

 狂鬼たちの半分は、光の粒子に包み込まれ清められていた。