「おっと、余計な抵抗はさせぬぞ」
「くっ」
 袖に隠し持っていた退魔の札を発動させようとしたが、すぐに手首を押さえつけられ阻止されてしまう。

「ククッ、この血……やはり酔うほどに美味い」
 口の端から詩桜の血を垂らし歪んだ笑みを浮かべる顔を見ると寒気がする。

「たが、まだまだ足りぬ。貴様を喰い尽したならば、どれだけ力が漲るのだろう」
「っ……とう、ま」
 あんな大怪我を負った灯真が来てくれる確率なんて無いに等しいのに、もうダメなのかと思った最後に出てきたのは彼の名前だった……。

(ごめんね、灯真……こんなところで、わたしっ)

 だが、その時。辺りにこだましだしたのは、狂鬼の呻き声とも違う音。

「ぐっ!?」
 ドカッと鈍い音と振動を感じた詩桜が瞑っていた目を開けば、藤吾が蹴り飛ばされたところだった。

「灯真!」
「詩桜!」

 血の滲む晒をぐるぐるに巻きつけ着物を羽織った灯真が目の前にいる。
 まさかこんな身体で助けに来てくれるなんて。
 グイッと乱暴に引き寄せられて、詩桜はそのまま灯真の腕の中に飛び込んだ。

「灯真、なんでここに……」
「お前が危険な目に遭うかもしれないのに、いつまでも呑気に寝ていられるか」
「ありがとう……」
 灯真が来てくれなければどうなっていたことか。勇んで屋敷を飛び出して来たのに、情けない。

「グッ……邪魔者が。ここまで嗅ぎつけ、やってくるとは」
 脇腹を押さえ立ち上がる藤吾を一瞥し、灯真が詩桜を庇う。
「こいつは俺のだ。手を出すな。前にも教えてやったはずだが?」
「ほう……ククッ、態度だけはデカイようだが、貴様吸血鬼のくせに殆ど魔力がないようだな」

 藤吾のあざ笑うような笑みに灯真は無表情だったけれど、詩桜を抱く手に微かに力が籠る。
 分が悪い……。藤吾がパチンと指を鳴らし合図を送ると、遥斗を袋叩きにしていた吸血鬼たちが一斉に詩桜たちを囲んだ。

「遥ちゃんっ」
 ボロボロになった遥斗が、ぐったりと地面に横たえているのが見える。

「ああ、魔力が漲ってゆく。まだまだ喰い足りなかったが、それでこんなにも力が満ちるとは」
 詩桜の血を飲んだ藤吾からは、危険な程の魔力が漲っているのを感じた。
 だが藤吾は高みの見物が好きなのか、すぐに自ら手を下そうとはしない。竹の天辺にふわりと上り、黒ずくめの部下たちに「やれ」と一言命令を下す。

 すると彼らは、まるで感情のない操り人形のように、忠実に藤吾の命令を聞く。
 詩桜と灯真は互いに背中を合わせ、こちらを囲む吸血鬼たちに刀を抜いて構えを取った。
 怪我を負っているというのに、灯真は合図と共に襲い掛かってきた吸血鬼たちを、次々と薙ぎ倒してゆく。

 敵の鋭い爪を避けながら、詩桜も灯真の足を引っ張らないよう立ち回る。

「チッ……使えない奴らめ。もう良い、役に立たない駒など余はいらぬ」
 倒されてゆく部下たちに痺れを切らし、藤吾はそう吐き捨てると地面に向かって手を翳した。

「跪け。邪魔者は、直々に始末してやろう」
 邪悪な魔力で空気がうねるのを感じた。途端に周りにいた吸血鬼たちは、苦痛の声を上げ地面に這いつくばる。

「きゃぁっ、な、なに……くる、しい」
「詩桜っ」
 息も吸えぬような圧迫感は、吸血鬼たち同様、詩桜にも襲い掛かった。
 灯真は咄嗟に詩桜を庇うように抱きすくめる。

「クククッ、ハハハハハッ、なんと気持ちのいい光景だ。そのまま押し潰されるがいい」
 詩桜たちは見えない力に圧迫され、地面には大きなクレーターができた。

 吸血鬼たちは、それで完全に意識を失ったようだったけれど、灯真に抱きしめられている詩桜は、まだなんとか意識を保っていた。灯真がなけなしの魔力で庇ってくれているのが分かる。

「なんで……仲間の吸血鬼たちにまで、こんなこと」
「お前の血を飲んで、魔力が倍増したせいだろうな。分不相応な力を手に入れた者は、すぐに力に溺れ勘違いする。自分がこの世で、一番だって」
「性質が悪い……」

「なにを話している。随分と余裕があるのだな」
 言いながら藤吾は力を強めてきた。範囲を狭め詩桜と灯真の上だけに力を集中させ、その重たい魔力をさらに押し付けられ、灯真の微々なる魔力では弾くこともできない。

「ぐぁっ」
 例えるなら二人を押し潰そうとしている藤吾の魔力は落ちてくる重い鉄の天井で、灯真の魔力は辛うじてつっかえ棒になっている木の枝のようなもの。
 このままでは、支えが折れて二人とも潰されてしまう。

 自分の血を飲まれたばかりに、こんな化け物を作り出してしまうなんて……そこでふと思う。ならば……

「灯真、わたしの血を飲んで!」
「は?」
「もう、わたしの頭じゃそれしか思いつかなくて。お願い」
「……お前に、そんなお願いされる日がくるとは思わなかった」
 すぐに詩桜の意図を組んだ灯真が、詩桜をさらに自分の方へと抱き寄せ、そのまま首筋に顔を埋めてくる。

「本当に吸うぞ、いいのか?」
「うん。でも……なるべく、痛くしないでね?」
「ああ、優しくする……いただきます」
 律儀にそれだけ言うと灯真は牙を突きたてた。

 一瞬、痛みに身を強張らせてしまったけど先程襲われた時とは違う。
 吸血されているというよりは、力を吸い取られているような感覚がした。それでいて、抱きしめられている腕が心地良い。

 やがて首筋から口を離した灯真は、口の端に付いた血をぺろりと舐め取る。その仕草が妙に艶かしくて、なぜか詩桜はイケナイことをした後のような羞恥心を覚えた。

「ごちそうさま……やっぱりお前は世界一甘美だ」
 恍惚とした眼差しを向けられると、ますます恥ずかしい。
「あまり吸い取られなかった気がするんだけど」
「あの雑魚相手なら、この程度で余裕だ。ついでに斬られた傷も癒えてゆく」

 灯真の腹の虫はピタリと治まり傷も塞がったようだけれど、こんなぐらいで何年ものあいだカラカラだった空腹が完全に満たされるはずがない。

 だが、そんな詩桜の心配は、無用なものだった。

「久々だ。こんなに魔力が戻ってきたのは」
 途端に押さえつけられていた力を弾き飛ばす程の爆発的な力が、灯真の身体から解放された。