あれから、どれぐらい過ぎただろうか。一時間は経っていない。けれど、気が気じゃない詩桜にとっては、数時間が過ぎたように感じるほど長い時間だった。

「詩桜、起きているか」
「た、辰秋さん!? どうして?」
 突然、予定より早く帰って来た辰秋の姿を見て、詩桜は目を丸くする。

 聞けば月嶋に連絡を受け車を走らせ戻ってきてくれたようだ。この二人は繋がっていたのか。
 ドカッと詩桜の隣に胡坐を掻き、辰秋は眠り続ける灯真を眺める。灯真はピクリとも動かない。

「応急処置はしたんですけど、なかなか目を開けてくれなくて」
「……そいつぁ心配だな。それから、遥斗のことも」
「辰秋さん、どうして遥ちゃんのこと」
「月嶋殿には、俺様からも留守中のことを頼んでいたからな。最近不穏なうごきがあると聞いて日向家の情報網を使って独自に調べたんだ。だが、俺様の情報網に引っかかったのは、月嶋殿から聞いていた女ではなく相楽遥斗という男だった」

 そこで突然、辰秋は正座になってこちらに頭を下げてきた。

「すまなかった、今も昔も……こんな謝罪の言葉だけで許されるとは、思っちゃいないが」
「な、なんのことですか? 頭を上げてください」
 辰秋に謝られるような覚えは、一つもない。こんなに良くしてもらっているのに。

「よく聞いてくれ。相楽家とはお前さんも知っての通り、星巫女候補も輩出したこの村の名家だった。だが、当主だった遥斗の父親は事故に巻き込まれ亡くなり、星巫女候補だった蓮美もいなくなった後は、あまり良い噂を聞かない。本家の跡取りだったはずの遥斗と母親は、父と妹の亡き後、すぐになんの事情か分家の者たちから村を追われている」

「少し遥ちゃんから聞きました……わたしのせいで蓮美さんは」
「お前さんのせいじゃないさ。村を追われた親子は、隣町の別荘へ移されたらしいんだがよ。母君の方は、身体を壊して静養していたらしい」
 そんな話、一度も聞いたことがなかった。

「だが三ヶ月ほど前から、帝都の高級ホテル並みに設備の整った病院に移っているんだ。今の相楽家の経済状況では、考えられないほどのな」
 それを聞くと、なんとなくだけれど詩桜にも察することができた。

「お母様のために、お金を作るために、遥ちゃんは吸血鬼の組織に?」
「どうだかなぁ。確かに、吸血鬼を詩桜の傍に送り込むよりは、都合が良かったのかも知れねぇが、純血種の荒くれ吸血鬼だけで形成されていると聞く組織に人間を加えるものか……だが、俺様が調べられたのはここまでだ。すまねぇなぁ」

「辰秋さんが謝ることじゃありません」
「いいや、謝らせてくれ。すべては、俺様の……この俺の無責任な予言で始まったことだから」
「予言って……」
「お前の人生を滅茶苦茶にした例の予言だ。それのすべての出所は、俺なんだよ」

 詩桜は例の予言をずっと義雄が受けて公表したのだと思っていた。
 けれど、それは違うと辰秋は言った。

「俺様には、ガキの頃から予知夢とやらを見る力があった。夢の中でみたことが、未来に起きるあれだ」
「……それで、辰秋さんは観たんですか? わたしが、魔の化身として村を崩壊させる所を」
 それを聞くのは、正直怖かった。いくら自分で闇に染まることを拒もうと、そういう未来が決められているならこの先が怖い。

「いいや、それは違う。前に教えたことがあるだろう。予言とは、万能の力ではない。少なくとも、俺様の持つ力はそうだ。未来の順序もバラバラに、ただ説明もない映像や言葉が自分勝手に降ってきやがる。そんな感じなんだ。俺様は、目覚めるとそれを忘れないうちに人に伝える言葉に変え、じい様に知らせるのが自分の使命だと思っていた。現に、それで村を水害から救ったこともあった」

 そんな力があるなら、それは誇ることだと思う。けれど辰秋の表情は、決して得意気ではなくむしろ曇っている。

「けどなぁ、バラバラの映像と言葉を、順番通りに正しく並べるってぇのは、非常に難しいパズルのようなものだ。正解の答えあわせもできない。たとえ、それが間違った完成品でも、俺様が正しいと言えばそれが真実になっちまう。その恐ろしさを……まだガキだった俺様は、分かっちゃいなかった」
 星巫女が誕生するという予言。それは、辰秋が九つの時に出した予言だったと言う。

「あの時、夢に見たのは、光と闇。そして刀を握る娘が、涙を流す少女にそれを向ける光景。狂鬼を作り出す誰かの姿。立ち向かう少女の後姿。新たな星巫女が生まれ、この村を導くという言葉。それを元に、俺様は、組み立ててしまった」
 それが、詩桜を魔の化身だと示すような形になった予言の言葉だった。

 光に生まれし赤子、星巫女に。闇に生まれし赤子、魔の化身に。両極に立つ二人は、いずれ刀を交え、星巫女は誓い刀によりこの村を救うだろうと。

「けど、どうだろう。その予言のせいで、詩桜には散々な道を歩かせてしまった。俺様は十六の時、あの儀式で起きた惨劇で、焼け焦げた場所から発見されたお前さんを見て、自分の言葉が招いたそれから目を逸らし逃げ出した……情けねぇ話だろ」

 生き残ったのは星巫女と呼ばれていた少女ではなく、消されるべきだった少女のみ。
 自分は間違った予言の解釈を公表してしまったのではないかと、辰秋は苦悩したと言う。
 そもそも自分があの予言を口に出さなければ、詩桜を始末しろという声もあがることはなかったかもしれない。

 刀を握る娘が涙を流す少女にそれを向ける光景。その未来を作ってしまったのは、自分の発言なのだと。

「俺様は高校の編入を理由に、お前さんから逃げるように村を出た。それからは眠るのさえ怖くて……いつのまにか夢も見なくなっていた。だが心の中じゃ、忘れたことはなかったよ。いつか俺様の一生をかけてでも、詩桜に罪滅ぼしをしたかった。その決意が固まり出した頃、数年ぶりに夢を見たんだ」

「夢……それも、予知夢というやつですか?」
「さあな。本当に自分にはそんな力があったのか、今じゃ自信もクソもねぇが……確かに見たんだ。誓い刀を手に、周りを囲む者たちと幸せそうに笑い合っている少女の姿が」

「それって……」
「お前さんだ、詩桜。数年ぶりに村に戻って大きくなったお前さんを見た瞬間、武者震いを感じた。こいつは偽者なんかじゃないって。誓い刀に選ばれ星巫女になる娘だって」
「どうして、すぐに教えてくれなかったんですか?」

「予言で散々お前さんを振り回したってのに、また予言が一人歩きしちまうのが怖かったのさ。だから、胸の奥にしまっておいた。けど夢の中のお前さんは幸せそうに笑っていたから、そんな未来なら信じてみようと思ったわけだ。俺様にできるのは、一握りのこと。夢に見た状況に少しでも近づくよう、傍で見守ることぐらいしかできないんだがな」

 だから辰秋は、ずっと詩桜を見守り続けてくれたのか。
 自分に外の世界を教えてくれた。初めて星巫女として扱ってくれた人。
 そして自分の祖父を断罪してでも、詩桜が星巫女であれるよう裏で動いてくれていた。

「けどよ、お前さんが幸せになることだけを願って、突っ走った結果がこれだ」
 辰秋は溜息を零し、大きな身体をしゅんとさせている。

「外に出して、またお前さんを傷つけてしまった。本当にすまねえ」
「辰秋さん。顔を上げてください」
 詩桜に言われて顔を上げると、辰秋の額は畳にこすりすぎて薄っすら赤みを帯びていた。

「……わたしは辰秋さんには、感謝の気持ちしか持ってないですよ」
「感謝? そんなことされる覚えはないぞ。ああ、あれか。俺様に男前に生まれてきてくれてありがとうってか。目の保養になるからな」
「ふふ、また調子の良い事を……そうじゃなくて。わたしを、自由にしてくれてありがとう」

「だが、その結果がこれだぞ」
「まだ、結果はでていません。今は辛くても、その先には幸せが待っているかもしれないでしょう」
 灯真からの受け売りだけどと、詩桜は照れながら笑った。

「だから……わたし、やっぱり遥ちゃんを探しに行きます。自分で、幸せな未来を掴みに取るために」
 立ち上がる詩桜を、そうかと頷いた辰秋が止めることはなかった。





「やっぱり、まだ結界は弱まったまま」
 誓い刀に選ばれた今も、星の羅針盤に浮かぶ灯火は弱々しいままだ。

 なにか手掛かりはないかと羅針盤を取り出した詩桜は、それを一撫でして眺めた。その時だった。羅針盤に一筋の光が浮かび、ぐるぐると方位磁石の針のように方角を探り回転を始める。

「な、なに?」
 それはこの屋敷から東の方角を示し、ピタリと動きを止めた。
 それだけじゃない。羅針盤にまるで水面に移されたような映像が淡々と浮かび上がる。

「遥ちゃん。なんで……」
 一瞬映ったのは遥の姿。水面に浮かぶように揺れていた映像は、パッと途絶えてしまう。

「あぁ、もう少し。せめて、居場所だけでも」
 ポンポンと羅針盤を軽く叩いたり、揺さぶってみるけれど応答はない。
(この羅針盤は、星巫女が土地を守るために使うモノだと言っていた。なら……)
 光の針が同じ方角を示し続けている。その先にはきっと。

「行かなくちゃ」

(もしかしたら、これがわたしにとって星巫女になるために与えられた試練なのかもしれない)

 詩桜は、迷うことなく駆け出していたのだった。