「っ……」
 本能のままに吸血してしまえばいいのに。
 灯真は葛藤するように唇を離した。まだ、自我が残っているのかもしれない。

「灯真……」
 詩桜の声に顔を上げ、けれど紅蓮の双眸のままで見下ろしてくる。

「チヲ、ヨコセ……シオ……」

「……そんなにお腹が空いてるなら、あげる」
 なんだ、瞳の色が変わっただけだ。あんなにも恐れていた狂鬼の存在が目の前にいるというのに、ちっとも恐怖を感じなかった。
 どんな姿をしていても、灯真は灯真なのだ。昼間の奈津の気持ちがよく分かる。

 吸血してもいいと言っているのに、灯真はまだ躊躇するように噛み付いてこない。
 詩桜は、そんな灯真の口の端に付いた血を、そっと親指の腹で拭ってあげながら祈った。
 清めの舞いを踊らなくても、詩桜の身体から浄化の力が溢れ出してくる。

 腹を鳴らしながら、再び詩桜の首筋に顔を埋めた灯真だったけれど、やがて苦しそうな声はやみ耳元から聞こえてくるのは、静かな寝息に変わった。

(元の灯真に戻った……?)

「春宮!」
 動かなくなった灯真の下からようやく這い出した頃、月嶋の声が聞こえた。
 顔を上げれば血相を変えて駆け寄ってくる月嶋の姿が見える。

「なにがあったの? その血は!?」
 肩を掴まれ大きく揺さぶられる。
「これは灯真の血で。あと、遥ちゃんが。どうしよう」
 灯真の血に染まる自分の手や着物を目の当たりにし、感情が昂ってくる。

「わたし、何もできなかった……」
 身体が二つ欲しい。灯真の傍についていたい。遥を追いかけたい。でも、どうすることも出来なかった。一人じゃなにもできない。そんな自分の無力さが、歯痒くて苦しい。

「落ち着いて。とりあえず、その血は春宮のものじゃないんだね」
「そう、灯真が怪我をして。斬られてしまって……」
「そっか、よかった」
 月嶋はその場に崩れ落ちそうな勢いで肩をおろし、ホッと膝に手をつく。

「よ、よくないよ、だって」
「白波瀬は吸血鬼なんだから、そう簡単に死なないじゃん。春宮が無事ならそれでいい」
「ちっともよくないよ!」
「いや~焦った焦った。少し目を離した隙に、屋敷に二人ともいないんだもん!」

「ごめんなさい……え? どうして月嶋くんは、わたしたちがお屋敷にいないことを?」
 月嶋は、バツの悪そうな顔をする。

「あー……もう言ってもいいか。実のところ、ね。二人を見守っていたといいますか。屋根の上から」
「え、覗き?」
「ち、ちがっ!? やだ、そんな警戒した目でおれを見ないで!? おれ、覗き魔じゃないし! 詳しい話は、屋敷に戻ったらするから!」

 警戒の眼差しを向けてくる詩桜をなだめるように、全てを話すと月嶋は約束したのだった。





 意識を無くした灯真は、日向家の屋敷へ月嶋と一緒に運んだ。

「驚きました。月嶋くんが、帝都から来た査定員で、わたしを監視していたなんて」
「うん、黙っててごめん。でも、言ったら査定員じゃなくなっちゃうしさ。まあ、でも流石にもう緊急事態だからいっかって感じ」

 月嶋が言うに、前の村長は本物の星巫女が死に魔の化身が生き残ってしまったことを隠し通すつもりだったようだが、辰秋だけはそれに異を唱え、自分が長の座を継ぐ前からその旨を関係者たちに洗いざらい伝えていたらしい。

 そのうえで、自分は生き残った詩桜を星巫女として据えたいと思っているのだと。

 その結果、魔の化身と予言され生まれてきた詩桜を、本格的に星巫女候補として扱うにあたり、危険な人物に成りえないか見定めるため、月嶋は詩桜の幽閉が解かれる少し前に帝都から星翔村にやってきていた査定員なのだと言う。

 本職は、国家直属の機密組織シノビに所属しているのだとか。

「それより今は河合さんの行方だね。まさか、人間で『緋夜の月』に属している者がいたなんて」
「うん……」
 まだ、信じられない。

「大丈夫、星巫女候補に手を下そうなんて不届き者、絶対に捕まえるから」
「……遥ちゃんは、どうなっちゃうの? あまり、酷い扱いはしないでほしいんです」
「それは……おれに決定権はないから約束できないんだ。ごめん……ホントはさ、おれだって河合さんを助けたいよ! なにが彼女をそうさせたのか知らないけどさ」

 そういえば、普通に現状報告をしていたが、まだ月嶋は遥が男だったとは知らない。遥が闇の組織に所属し、詩桜を陥れようとしていたこと以外の説明が不足していた。けれど、遥が男で蓮美の双子の兄だと知れたら……どうなるんだろう。

「河合さんは、キミのこと憎んでいたって言ったんだよね」
 詩桜がうなずくと月嶋は、それでは納得できない点があると言う。

「なら、キミにだけ手を出せばよかったはず。今まで、そんな機会いくらでもあっただろ。けど彼女は、今回あろうことか白波瀬だけ攻撃し、その上キミに殺されることを願っているような発言を残した……辻褄の合わないことばかりだ」

「わたしもそう思います。だからこそ、遥ちゃんをみつけだして、もう一度話したい」
「そうだな」
「今すぐにでも遥ちゃんを探しに行きたいけど……」
 詩桜は意識の戻らない灯真に視線をやった。彼を放っておくこともできない。

「キミは、白波瀬の傍にいて。この状態では、一人で屋敷に残しておけないよ。人探しはきっとおれのほうが得意だしね」
「うん……」

「そんな心配そうな顔するなって。河合さんのことはおれに任せて。全力で探し出すから!」
「お願いします。遥ちゃん、左腕の怪我がひどくなっていて心配だから」

 詩桜は、月嶋を見送ると、眠り続ける灯真の右手を祈るように握りしめた。

 どうか全てが良い方向へ向いて解決できますようにと願いながら。