その日の夜。
相変わらず自分の部屋で寝ようとしない灯真が、隣で静かな寝息と腹の音を鳴らしている。
詩桜は灯真に怪しまれないよう、彼が眠ったのを確認してからそっと起き上がった。
「灯真、ごめんね……」
勝手に屋敷を抜け出すのは、これで何度目だろう。言いつけをまた破ってしまう。でも今日は、どうしても一人で行かなければならない。それが遥との約束なのだから。
時計を見れば……そろそろ約束の時刻だ。
灯真を起こさぬよう静かに部屋を出て、気を引き締めるため巫女の正装に袖を通し出掛けた。
瞬く星たちを見上げながら詩桜は、星翔川の河川敷までやってきた。
遥はまだ来ていないのか見当たらない。
ゆっくりと河川敷沿いを歩いていた詩桜は、大きな石の上になにかが置かれてあるのに気が付く。
そのシルエットに見覚えがあり、駆け寄り確認すると。
「誓い刀……っ!」
それは盗まれていたはずの星巫女の誓い刀だった。
「こんばんは、お姫様」
「……アカツキさん」
声がした方へ振り返ると黒装束に身を包む痩躯の男性が立っている。
全てが動き出してしまう。そんな予感がした……
その手には、鞘から抜かれた日本刀。
瞬間――刀を振るい上げ彼は襲い掛かってきた。詩桜も咄嗟に手元の誓い刀に手を伸ばす。
辺りに響くのは、互いの刃が重なり合った音。
詩桜の持つ星巫女の誓い刀は、閃光をみせ刃が伸び形を変え……この瞬間に、誓い刀の真の姿となった。
「っ……おめでとう。やっぱりね。これで君は、誓い刀に選ばれた、正真正銘の星巫女だ」
口元を隠していた布が、詩桜の攻撃によりはらりと落ちた。顔が露になった男は、思っていたより若くて詩桜とたいして歳も変わらなそうな青年だった。
再び振り上げられた刀は均衡を保ち、視線がぶつかる。
そして詩桜は、男の手に浮かぶ生々しく赤黒い痣に目を奪われ息を呑む。
再び視線を青年の顔に戻すと、金縛りにでもあったみたいに逸らせなくなった。だって、その瞳も、鼻も唇も……すべてが自分のたった一人の友人の面影と重なったのだ……。
「……遥ちゃん?」
艶やかで長い黒髪は短髪になっていて、薄化粧のない顔は綺麗なままだけれど、女性的な雰囲気ではない。でも、分かる。遥なのだと。
「ふふ……今さらだけど、ごめんね詩桜。全部、私……ううん、僕が犯人なんだ。最近、君を困らせていたすべて」
中傷の張り紙も、もちろん誓い刀を奪って詩桜を困らせたのも、全部……。
風に草がさざめく音と遥の声音が、ひどく優しく聞こえた。
いつもより低い、男みたいな遥の声……いや、遥は紛れもなく男なのだ。
そんな遥の言葉を詩桜は疑うことなく受け入れた。
「そっか、そうだったんだね」
「驚かないんだ」
真実を知れば、なにかが壊れる予感がしていた。
だから目を逸らしたりもした。この瞳が、真実を映し出すのが怖かった。
――でも、もう決めた。怖くても、あなたから目を逸らしたりしない。
「張り紙のことは分かってた」
「感づいてたの?」
交わる刀の均衡は保たれたまま、押し合い互いに出方を窺う。
「ある人に聞いて……でも、遥ちゃんの正体を知ったのは、たった今だよ。その手の痣で確信した」
「ああ……これね」
「だけど、まだ分からないことばかり」
遥はアカツキで、アカツキは男で、錯乱していた。どっちが本当の名前で、なんでこんなことに。
「遥ちゃんは、本当は男子で、だから星巫女候補だった蓮美さんじゃない?」
では、なぜ彼は蓮美のことを知っていたのだろう。あんな張り紙まで公表して。
けれど、彼がそれに答えてくれることはなかった。
遥は自傷気味に笑うと保っていた均衡を崩し、思い切り押し返された詩桜の足元がおぼつかなくなった一瞬の隙を狙って刀を振り下ろす。
詩桜は、それをギリギリ受け弾くけれど、遥はすぐさま横振りに刀を向けてくる。それをまたすんでの所でかわしたら、遥はにやりと笑った。
「舞うことしか能のないお姫様かと思ったら、結構やるね。誰に教わったの?」
「これでも、ずっと星巫女候補だったから」
たとえ偽物と罵られても訓練を怠ったことはない。
けれど遥もかなりの手練れだ。
何度も交わる金属音が響く度、詩桜の心も痛い音をたて軋んでいるような気がした。
自分は今、親友の遥と打ち合っている。それとも、敵のアカツキと打ち合っている?
「ねえ、なんで僕が怪しいと分かっていたなら見逃してたの? 出方を窺ってた? 傍に置いておいた方が、なにかと監視できていいもんね」
「違うよ」
「なにが違うの? 僕は、君を嵌めたつもりで、嵌められていたのかな」
刀が交わるたび会話を交わした。それはまるで、心と心をぶつけ合っているようだった。
「違う! 違うの……一緒に、いたかったから」
「え?」
「遥ちゃんとの関係を壊したくなかった……」
「そんな理由で、見てみぬフリをしたって言うの?」
「そう」
互いに、刀をぶつけ合う力を緩めることはしなかった。詩桜は遥の力に手の痺れを感じながらも、すべてを受け止め続ける。
「言ったよね。僕は、君の事なんて友達だと思っていないって。だって……だって、こんなにも君が嫌いなんだ。ずっとずっと、虫唾が走るほどにね!」
「そ、んな」
なぜなのだろう。なんで自分はここまで遥に、アカツキに、嫌われているのだろう。
「鈍感で、世間知らずで、無防備で……詩桜がそんなでも僕は我慢して、お優しい友達のフリを続けてあげたんだ。感謝してほしいね」
「わたしに、優しくしてくれたのも、一緒に笑って過ごした時間も……全部、偽り?」
「……そうさ。遥なんて虚像に騙された君はバカだ。僕、男だよ。遥ちゃんじゃなくて、本当の名は、遥斗」
「じゃあ、アカツキさんっていう名前は?」
「アカツキは、僕のいる組織から取った咄嗟の偽名さ」
以前聞いた覚えがある。星巫女不在の日ノ本の現状を好機に、狂鬼思考の吸血鬼たちが組織をなし人間に危害を加えていると。
その組織の名は『緋夜の月』前後だけを取れば、アカツキだ。
「この世も徐々に秩序が乱れ始め、壊すいい機会なんだって。それが星巫女によって平穏に戻されてしまうなど、こちら側にとっては迷惑な話だから。星巫女候補を潰してこいと、上から命じられ君に近付いたんだよ。あわよくば、結界の崩壊も狙っていたし」
「でも、遥ちゃんは、人間でしょう?」
「さあ、どうだろう。確かに人間だったけど……今も、そうなんだろうか」
「どういう意味?」
「君だって、化け物みたいなものじゃないか。星巫女候補のくせに、魔の者を惹き付けるんだ」
「っ……」
「それと同じ……僕も人の身でありながら化け物みたいな体質だから、人間ではなく吸血鬼とつるんでる。それだけだよ」
涼やかな瞳に影が落ちる。あんなに傍にいたはずなのに、たくさん話したはずなのに、自分は遥のことをなにも知らないのだと今さら痛感した。
「……ごめんね」
「なにを謝ってるの?」
「わたしは、自分勝手な気持ちですべてから目を逸らしたから。張り紙の犯人も、疑うのも怖くて目を逸らした。遥ちゃんの正体を確認するのも、先延ばしにしてた。わたしが、もっと早くに勇気を出して踏み込めたなら、こうなる前に、なにか違った答えを出せていたかもしれないのに」
遥の刀を弾くと、彼の刀はその手から離れ地面に突き刺さる。
まさか打ち合いで女に負けるなんて思っていなかったのか、彼は一瞬唖然とした表情を浮かべたけれど、自分から手を下そうとはしてこない詩桜に、嫌悪感の入り混じる眼差しを突き刺す。
「……ふっ、ククッ」
俯いた遥は、肩を震わせ壊れたように不気味に笑った。
そして、地面に突き刺さっていた刀を引き抜くと、狂鬼のような形相で襲い掛かる。
「そういう所が、一番嫌いなんだよ!」
「っ!?」
受け止めようとしたが、そのまま押し倒された。
もがくけれど馬乗りされ上手く動けない。
「もっと、もっとさぁっ、頭の悪い女の方が、よっぽどマシだった! 守られるしか能がなくて、自分は特別な星巫女さまだって、勘違いしている女の方がっ」
もう、逃げられない。
遥は刀をなんの迷いも無く振り上げ、詩桜は自分が刺されることを覚悟した。
相変わらず自分の部屋で寝ようとしない灯真が、隣で静かな寝息と腹の音を鳴らしている。
詩桜は灯真に怪しまれないよう、彼が眠ったのを確認してからそっと起き上がった。
「灯真、ごめんね……」
勝手に屋敷を抜け出すのは、これで何度目だろう。言いつけをまた破ってしまう。でも今日は、どうしても一人で行かなければならない。それが遥との約束なのだから。
時計を見れば……そろそろ約束の時刻だ。
灯真を起こさぬよう静かに部屋を出て、気を引き締めるため巫女の正装に袖を通し出掛けた。
瞬く星たちを見上げながら詩桜は、星翔川の河川敷までやってきた。
遥はまだ来ていないのか見当たらない。
ゆっくりと河川敷沿いを歩いていた詩桜は、大きな石の上になにかが置かれてあるのに気が付く。
そのシルエットに見覚えがあり、駆け寄り確認すると。
「誓い刀……っ!」
それは盗まれていたはずの星巫女の誓い刀だった。
「こんばんは、お姫様」
「……アカツキさん」
声がした方へ振り返ると黒装束に身を包む痩躯の男性が立っている。
全てが動き出してしまう。そんな予感がした……
その手には、鞘から抜かれた日本刀。
瞬間――刀を振るい上げ彼は襲い掛かってきた。詩桜も咄嗟に手元の誓い刀に手を伸ばす。
辺りに響くのは、互いの刃が重なり合った音。
詩桜の持つ星巫女の誓い刀は、閃光をみせ刃が伸び形を変え……この瞬間に、誓い刀の真の姿となった。
「っ……おめでとう。やっぱりね。これで君は、誓い刀に選ばれた、正真正銘の星巫女だ」
口元を隠していた布が、詩桜の攻撃によりはらりと落ちた。顔が露になった男は、思っていたより若くて詩桜とたいして歳も変わらなそうな青年だった。
再び振り上げられた刀は均衡を保ち、視線がぶつかる。
そして詩桜は、男の手に浮かぶ生々しく赤黒い痣に目を奪われ息を呑む。
再び視線を青年の顔に戻すと、金縛りにでもあったみたいに逸らせなくなった。だって、その瞳も、鼻も唇も……すべてが自分のたった一人の友人の面影と重なったのだ……。
「……遥ちゃん?」
艶やかで長い黒髪は短髪になっていて、薄化粧のない顔は綺麗なままだけれど、女性的な雰囲気ではない。でも、分かる。遥なのだと。
「ふふ……今さらだけど、ごめんね詩桜。全部、私……ううん、僕が犯人なんだ。最近、君を困らせていたすべて」
中傷の張り紙も、もちろん誓い刀を奪って詩桜を困らせたのも、全部……。
風に草がさざめく音と遥の声音が、ひどく優しく聞こえた。
いつもより低い、男みたいな遥の声……いや、遥は紛れもなく男なのだ。
そんな遥の言葉を詩桜は疑うことなく受け入れた。
「そっか、そうだったんだね」
「驚かないんだ」
真実を知れば、なにかが壊れる予感がしていた。
だから目を逸らしたりもした。この瞳が、真実を映し出すのが怖かった。
――でも、もう決めた。怖くても、あなたから目を逸らしたりしない。
「張り紙のことは分かってた」
「感づいてたの?」
交わる刀の均衡は保たれたまま、押し合い互いに出方を窺う。
「ある人に聞いて……でも、遥ちゃんの正体を知ったのは、たった今だよ。その手の痣で確信した」
「ああ……これね」
「だけど、まだ分からないことばかり」
遥はアカツキで、アカツキは男で、錯乱していた。どっちが本当の名前で、なんでこんなことに。
「遥ちゃんは、本当は男子で、だから星巫女候補だった蓮美さんじゃない?」
では、なぜ彼は蓮美のことを知っていたのだろう。あんな張り紙まで公表して。
けれど、彼がそれに答えてくれることはなかった。
遥は自傷気味に笑うと保っていた均衡を崩し、思い切り押し返された詩桜の足元がおぼつかなくなった一瞬の隙を狙って刀を振り下ろす。
詩桜は、それをギリギリ受け弾くけれど、遥はすぐさま横振りに刀を向けてくる。それをまたすんでの所でかわしたら、遥はにやりと笑った。
「舞うことしか能のないお姫様かと思ったら、結構やるね。誰に教わったの?」
「これでも、ずっと星巫女候補だったから」
たとえ偽物と罵られても訓練を怠ったことはない。
けれど遥もかなりの手練れだ。
何度も交わる金属音が響く度、詩桜の心も痛い音をたて軋んでいるような気がした。
自分は今、親友の遥と打ち合っている。それとも、敵のアカツキと打ち合っている?
「ねえ、なんで僕が怪しいと分かっていたなら見逃してたの? 出方を窺ってた? 傍に置いておいた方が、なにかと監視できていいもんね」
「違うよ」
「なにが違うの? 僕は、君を嵌めたつもりで、嵌められていたのかな」
刀が交わるたび会話を交わした。それはまるで、心と心をぶつけ合っているようだった。
「違う! 違うの……一緒に、いたかったから」
「え?」
「遥ちゃんとの関係を壊したくなかった……」
「そんな理由で、見てみぬフリをしたって言うの?」
「そう」
互いに、刀をぶつけ合う力を緩めることはしなかった。詩桜は遥の力に手の痺れを感じながらも、すべてを受け止め続ける。
「言ったよね。僕は、君の事なんて友達だと思っていないって。だって……だって、こんなにも君が嫌いなんだ。ずっとずっと、虫唾が走るほどにね!」
「そ、んな」
なぜなのだろう。なんで自分はここまで遥に、アカツキに、嫌われているのだろう。
「鈍感で、世間知らずで、無防備で……詩桜がそんなでも僕は我慢して、お優しい友達のフリを続けてあげたんだ。感謝してほしいね」
「わたしに、優しくしてくれたのも、一緒に笑って過ごした時間も……全部、偽り?」
「……そうさ。遥なんて虚像に騙された君はバカだ。僕、男だよ。遥ちゃんじゃなくて、本当の名は、遥斗」
「じゃあ、アカツキさんっていう名前は?」
「アカツキは、僕のいる組織から取った咄嗟の偽名さ」
以前聞いた覚えがある。星巫女不在の日ノ本の現状を好機に、狂鬼思考の吸血鬼たちが組織をなし人間に危害を加えていると。
その組織の名は『緋夜の月』前後だけを取れば、アカツキだ。
「この世も徐々に秩序が乱れ始め、壊すいい機会なんだって。それが星巫女によって平穏に戻されてしまうなど、こちら側にとっては迷惑な話だから。星巫女候補を潰してこいと、上から命じられ君に近付いたんだよ。あわよくば、結界の崩壊も狙っていたし」
「でも、遥ちゃんは、人間でしょう?」
「さあ、どうだろう。確かに人間だったけど……今も、そうなんだろうか」
「どういう意味?」
「君だって、化け物みたいなものじゃないか。星巫女候補のくせに、魔の者を惹き付けるんだ」
「っ……」
「それと同じ……僕も人の身でありながら化け物みたいな体質だから、人間ではなく吸血鬼とつるんでる。それだけだよ」
涼やかな瞳に影が落ちる。あんなに傍にいたはずなのに、たくさん話したはずなのに、自分は遥のことをなにも知らないのだと今さら痛感した。
「……ごめんね」
「なにを謝ってるの?」
「わたしは、自分勝手な気持ちですべてから目を逸らしたから。張り紙の犯人も、疑うのも怖くて目を逸らした。遥ちゃんの正体を確認するのも、先延ばしにしてた。わたしが、もっと早くに勇気を出して踏み込めたなら、こうなる前に、なにか違った答えを出せていたかもしれないのに」
遥の刀を弾くと、彼の刀はその手から離れ地面に突き刺さる。
まさか打ち合いで女に負けるなんて思っていなかったのか、彼は一瞬唖然とした表情を浮かべたけれど、自分から手を下そうとはしてこない詩桜に、嫌悪感の入り混じる眼差しを突き刺す。
「……ふっ、ククッ」
俯いた遥は、肩を震わせ壊れたように不気味に笑った。
そして、地面に突き刺さっていた刀を引き抜くと、狂鬼のような形相で襲い掛かる。
「そういう所が、一番嫌いなんだよ!」
「っ!?」
受け止めようとしたが、そのまま押し倒された。
もがくけれど馬乗りされ上手く動けない。
「もっと、もっとさぁっ、頭の悪い女の方が、よっぽどマシだった! 守られるしか能がなくて、自分は特別な星巫女さまだって、勘違いしている女の方がっ」
もう、逃げられない。
遥は刀をなんの迷いも無く振り上げ、詩桜は自分が刺されることを覚悟した。