「春宮さん、さようなら」
 騒ぎも収まり散り散りになる生徒たちが、去り際にあいさつをしてくれる。
 詩桜は、それに戸惑いながらも応えていた。

「現金な奴らだな」
 態度をコロッと変えて、と灯真は呆れ気味だが。
 中岡は奈津の付き添いで保健室へ運ばれたけれど、たぶんもう大丈夫だろう。

「春宮に対する生徒たちの見方も、敵意は消えたようだし一安心だな」
 月嶋はまるで自分のことのように誇らしげだ。
「そうなのかな……奈津さんたちの役に立てたならよかった」
 奈津と中岡の笑顔を思い出し、詩桜はそんな思いを噛み締めた。

「村が平和に戻ったら。そうしたら、奈津さんたちみたいに、種族を超えて相手を大切に想い合える人たちが、肩身の狭い思いをしない村になってほしいな」
「出来るさ、キミならきっと」
 月嶋が心から頷いてくれるものだから、詩桜も嬉しくて笑みが零れる。

 でも……それを成し遂げるのは、自分ではないかもしれない。

 詩桜は、教室から逃げるように飛び出した遥のことが気がかりだった。

 近頃の遥は、どこか思いつめているようで様子がおかしい……。
 鞄は教室に置きっぱなしなので、まだ校内にいる確率が高いだろうか。





 遥のいそうな場所を思い浮かべ東棟の屋上へ向かうと、そこに彼女はいた。
「遥ちゃん、ここにいたの」
「っ……詩桜」
「顔色がよくないよ、大丈夫?」

 なにかに怯えるようにして腕を抱いている遥を刺激しないよう、静かに話しかけながら詩桜は隣に並んだ。
 自分の両腕を抱く遥の手は小刻みに震えていて、その手を握りしめてあげたくなったけれど、左手に浮かぶ赤黒い痣を目の当たりにし詩桜は息を飲む。

「遥ちゃん、その怪我……」
 この間、気がついた時には左手首だけだったのに、今では手首を包帯で隠していても、手の甲にまで痣が侵食している。禍々しくさえ感じる赤黒い痣。

「なんでもない。この前、転んだはずみに捻ってしまっただけだから」
 搾り出すような遥の声は、いつもよりか細い。
「……なにかあるなら、話してくれたら嬉しいよ」
 そっと遥の手を握りしめた。拒まれるかと思ったけれど、遥はすがるように詩桜の手を握り返し自分の方へと引き寄せてきた。

「時が、来るだけ……もう、すぐに」
「時って、なんの?」
「……そういえば、詩桜。なにか私に話があるって言ってなかった?」
 会話を逸らされてしまった。けれど今、自分たちは二人きり。真実を聞き出すなら好都合だ。

「うん……あの、ね。遥ちゃん……あなたの、本当の名前は」
 大きく深呼吸した。そして、もう喉元まで出掛かっている言葉を勇気で押し出す。

「本当の名前は……相楽蓮美さん?」
「……なんで?」

「そんな気がしたの。幼い頃に見た星巫女候補と遥ちゃんは、どこか面影が似ているから」
「そう……だったらどうする? せっかく死んだと思っていた邪魔者が生きていたなんてね」
「どうもしない。元に戻るだけだから」
 詩桜は決意を鈍らせないように、手を握りしめ遥を見据えた。

「あなたに星巫女の名を返して、あとは流れに身を任せる」
「……また粛清されるかもよ? だって、私が本物ならあなたは偽者。魔の化身だから」

「わたしが本当に魔の化身に成り果てる存在なのなら……それは、仕方ないことだと思う。怖いけど」
「どうしてなんの迷いもなく、そんなことが言えちゃうのかな。自分が言っている意味分かってる?」
 分かっているつもりだ。散々迷って、怯えて、ようやく出した答えだから。

「星巫女の地位も、守護者だって、全部、私に奪われるってことなんだよ。もしかしたら命さえも……」
「奪われるとは思わない。それはすべて、蓮美さんが持っていたモノだから。でも……もし許されるなら、この村が平穏を取り戻してゆくのを見守りたかった。遥ちゃん、星巫女になったあなたの姿も、遠くからでも見守ることが許されたらいいんだけど……」

「詩桜って、ほんとにお人好し」
「辰秋さんが戻ったら、二人で話しに行こう。本物の星巫女が生きていたって」
「待って、その前に……私も、確かめたいことがあるの」
「確かめたいこと?」

 遥は静かに詩桜の耳元で囁いた。

 ――今日の深夜、星翔川の河川敷で待っているから。私を疑わないのなら一人で会いに来て。

 遥は、それだけ告げるとさっさと屋上を後にしたのだった。