「白波瀬灯真のことだって、そう。詩桜の鈍感さに、イライラする」
「灯真のこと……?」
「拒んでみせたり、甘えてみたり、性質が悪いと思わない? 手も出さず我慢してるあの人も同情ものだけど……私だって……」
 戸惑い、言葉を挟むことも出来ない詩桜に、遥は火が着いたように感情を露にしてくる。

「人の気も知らないで彼と二人暮らしは、楽しい? 最初は拒絶してたくせに、気が付いた時には、割り込む余地もない……それでも私は、お優しい友達のふり。この気持ちが分かる?」
「わ、分からない」
 思わず素直に答えてしまい、すぐに後悔した。その返答にますます遥が眉を顰めたから。

「だろうね。だって詩桜って、世間知らずで鈍感だもの」
 遥は詩桜にイライラしているようだった。

(灯真と、仲良くしているから?)

「それって……つまり、遥ちゃんは、灯真のことが好きってこと?」
「っ!?」
 遥は羞恥心からか怒りからか量れない表情を浮かべ、顔を赤く染めた。

『許されない、想いだから。この気持ちを伝えても、伝えなくても、後悔する自分がいるんだ』
 思い出す、遥の言葉と切な気な表情。

「そうなの? ……灯真のこと、ずっと好きだったの?」
 遥はなにも答えてくれないけれど、それが答えなのかもしれない。
 ずっと、思い悩んでいたのだろうか。灯真のことを好きで?

「……そう言ったら、詩桜は、なにかしてくれるの?」
「なにかって? ……でも、わたしと灯真は、遥ちゃんが羨むような関係じゃ」
「詩桜は、なにも分かってない! そんな隙だらけだから、吸血鬼たちにつけいれられるんだよ。白波瀬くんだって、同じこと」

「灯真は……確かに、吸血鬼はみんなわたしを食べようと寄ってくるけれど、灯真はそれだけじゃない、と思う」
 分かりづらくて横暴な時もあるけど。でも詩桜が弱っている時はいつだって傍にいてくれた。守ってくれた。それにつけ込んで、本気で喰おうとはしてこなかった。

「そう……だいぶ毒されてきてるね。ねえ、詩桜。数日前、私と白波瀬くんの話を盗み聞きした時、どんな気分だった?」
「え?」
 盗み聞き。それは、あの屋上へ向かう階段での会話のことだろう。

「白波瀬くんを奪われる気がして焦った? ふふ、あの後の詩桜、あきらかに動揺してたよね」
 どうして、そんなことを聞いてくるの? 思ったけれど、怖くて聞くことはできなかった。
 あの時は確かに、灯真も遥も遠くに感じて。

「なんだか、モヤモヤしてた……かもしれない」
「そっか……そう……ざまあみろ。私はいつだって、そんな気持ちで詩桜の傍にいたんだから」
「遥ちゃん……?」

「ねえ、詩桜……詩桜が持っているすべて返してよ」
「え?」
「詩桜は、光に愛されて生まれた星巫女じゃない。闇と共に生まれた存在のくせに!」
「っ!?」
 艶やかな彼女の黒髪が、風でふわりと舞い上がった。

「遥ちゃん……」
 声が震える。言葉が喉に張り付く。けれど、確かめなくては、これは知らなくてはいけないことだ。
 どうして、今まで気付きもしなかったのだろう。

 似ている。その黒髪も、美しい瞳も、涼やかな面差しも。すべて、幼い頃に目の前で命を落としたと思っていた存在に。

 偽りじゃない。本物の、星巫女候補。相楽蓮美という少女に。

(でも……確かに本物の星巫女は、あの事件で……名前も違うし……)

 分からないけれど、それで辻褄が合うこともある。だから、謎の吸血鬼やアカツキは、詩桜を始末しようと現れ、誓い刀を奪って行ったのかもしれない。遥を星巫女の座に戻すために。
 だとしたら……。

「どうかした? まるで、化け物でも見たような顔してる。……ああ、もう昼休みも終わりだね。私は先に教室へ戻るから」
 遥は詩桜に背を向け歩き出した。遠くなってゆく遥の背中に、詩桜はキシキシとした心の痛みを感じた。

 今までずっと、苦しんでたの? わたしの傍にいるのも、辛かったの?

 その時だった。

「っ!? 遥ちゃん、危ない!」
 突如、頭上から鉢植えが落下してくるのが見えた。この位置からだと、遥に!?

 すべてが、スローモーションに感じた。遥に向かって走る足も、伸ばす手も、もどかしくて堪らない。
 詩桜は、彼女に覆いかぶさるように飛びつき、そのまま地面に押し倒す。

 遥も反射的に詩桜を抱きすくめ身を庇ってくれた。
 触れた瞬間、時間は再び動き出し、あっという間の出来事となる。
 詩桜と遥の重なる身体ぎりぎりのところで、鉢植えは砕ける音をたて形を無くした。

「す、すいませんでしたーっ」
 校舎の三階から謝罪の叫び声と逃げ腰で消える気配を感じた。おおかた、ふざけていた生徒が誤って鉢植えを落としてしまったのだろう。
 二人は固く抱きしめあったまま、微動だにしなかった。

「遥ちゃん、怪我は……?」
「詩桜こそ……」

 ぎこちなく、お互いの無事を確認しあい身体を起こす。
 詩桜は壊れた鉢植えを見て遥に当たっていたらとゾッとしたし、遥は詩桜がもし自分を庇って怪我をしていたらと考えゾッとしたようだった。

「お互い無事でよかったね」
「よくないよ……ちっともよくない! 寿命が縮まった! なんで、こんな無茶」
「だって……遥ちゃんになにかあったら嫌だもの。わたしだって、遥ちゃんを守りたい」
「守り、たい?」
「遥ちゃんは、いつもこんなわたしを助けてくれた。大切なわたしの友達だから」

 そして、この世にただ一人、かけがえのない本物の星巫女かもしれない人。

「っ!」
 けれど聞きたかった事は、突然抱きしめてきた遥の腕が苦しくて言葉に出来なかった。
「それ以上、言わないで」
 ふわりと、いつもの優しい香りが鼻を掠める。詩桜の大好きな遥の匂いだった。

「そんな風に、誰にでもいい顔して……後で後悔しても知らないから」
「誰にでもじゃない。遥ちゃんだから」
「私、だから?」
「そう、遥ちゃんだから、特別」
 あなたになら、星巫女の座を返すことだっていとわない。

「そっか……ふふ」
「な、なんで笑うの?」
「なんでもないよ。ただ、意地を張ってる自分がバカらしくなっただけ。私も、本当は……」
 顔を上げると遥はいつもの笑顔に戻っていた。
 それが嬉しくて、詩桜も釣られて笑顔に戻る。

「それにしても……詩桜って、天然たらしの才能でもあるの?」
「え?」
 優艶に微笑んだ遥の流し目に、なぜだか詩桜はドキンと震えた。
 その時、背後から動揺の隠せぬ力ない声がした。

「な、なにやってんの、二人とも」
 振り返ると月嶋の姿。そういえば、二手に分かれていたのだと思い出す。

「なんで……今、抱き合ってたよね! ねえ、どういうことかな?」
「……別に、なんでもないよ。詩桜が、突然、無理矢理押し倒してきただけ」
 それは、大まかな説明としては、合っているような、違うような。
「え、まあ、そういうこと、かな?」
 なので詩桜も特に否定はせず頷いておいた。

「そういうことかなって、なに!? こんなところに、手強いライバルが息を潜めていたなんて!?」
 なにを勘違いしたのか、素っ頓狂な声を出す月嶋に詩桜はきょとんとしてしまう。

「目を覚ませよ、春宮! それって、禁断ってやつだろ! だって、二人とも女子じゃん!」
「どうしたの、月嶋くんが苦悩している」
「さあ、どうしたんだろうね」

「ああ、でも河合さんがそういう好みなら受け入れるべきか……河合さん! おれ、キミのためなら、春宮より可愛い女子にだって、生まれ変わってやるからー」
 意味不明なことを叫びながら、月嶋はその場を駆け出して行ってしまった。

「なんだったの?」
「詩桜は、知らなくていいことだよ」
 結局、遥に一番確かめたかったことを聞くことはできなかった。
 遥と蓮美では名前が違う。まだ、遥には詩桜の知らない秘密があるのかもしれない。

 でも……

「教室……戻ろうか」
 遥が本物の星巫女だったなら……自分は星巫女候補から身を引いても構わない。

 ――だからもし、あなたが星巫女に選ばれたなら、この村を平和に導いて欲しい。

(そして、許されるなら、遥ちゃんがいつもわたしを助けてくれたように、わたしも……)

 まだ真実を全て知るのは怖いけれど。

 二人を、厚い雲の隙間から顔を覗かせた太陽が、暖かな日差しで包み込んでくれていた。