「狂鬼を呼び出すんだって。こわ~い」
「最近、妖し風の事件が増えたのは、偽者の星巫女のせいじゃないか」

 さまざまな憶測が飛び交い、学校中に波紋を広げる。
 今度こそ魔を呼ぶものなど生かしてはおけないと始末されるかもしれない。

「おい、大丈夫か?」
 いつの間にか授業は終わり休み時間になっていた。灯真に声を掛けられ、それを遠目から噂好きな生徒たちが窺うように盗み見している。

「あの張り紙が出されたのは、誓い刀が盗まれた翌日からだ。きっと、裏でなにかある」
 灯真は、誰にも聞こえぬよう耳元で囁いた。
 詩桜だって考えていなかったわけじゃない。偶然、重ね重ね事件が起きたというよりは、誰かが仕組んだシナリオが進み出した。そんな予感がしていた。けれど……。

 真実を知る勇気がなかった。月嶋の言葉が心に引っかかる。

「……わたしなら、大丈夫だから」
 精一杯の作り笑いを浮かべた。冷たい視線も、罵倒の言葉も、馴れているからどうってことないと自分に言い聞かせて。

「そんな風に無理して笑うな」
「…………」
「美味そうな顔が台無しだ。お前が動かないなら、俺が犯人を探し出す」
「や、やめて!」

 詩桜の声が廊下まで響き渡った。勢いよく立ち上がり、椅子がガタンと後ろに倒れる。
 ひそひそと声を潜めていた噂好きの生徒たちも、ピタリとそれをやめ固まる。

「……もういいの。わたしは、このまま静かに粛清されたい」

 そんなはずないと信じていたくても。いつも傍にいてくれた人に、裏切られたかもしれない真実なんて、知らないまま消えてしまいたかった。
 月嶋のことを完全に信用しているわけじゃない。けれど混乱しすぎて、なにを信じればいいのか、冷静な判断もできない自分がいる。

「勝手に粛清される気になるな。俺がそんなこと絶対にさせない」
「っ……」
「このまま、犯人を野放しにしてなんになる」
「だってっ」
「だって、なんだよ」

 親友に裏切られてるかもしれない事実なんて知りたくない。
 そんな事、言えるわけがない。

「……なにも知らないくせに。わたしの気持ちなんてっ」
「なにも知らないのは、覚えてないのは、お前の方だろ。俺は、お前のことなら誰より知っている」
「そんなの嘘」

「嘘じゃない。泣きそうな時に、そうして涙を堪える癖も……全部知ってるからほうっておけない」
「っ……ぃだから」
 詩桜の声は、微かに震えていた。声だけじゃない。血の気の引いた冷たい指先も、薄い肩も、唇も、全部が小刻みに震えていた。

「お願いだから、余計なことはしないで。わたしに、かまわないで」
「二人とも、落ち着きなよ。詩桜……顔色がよくない。少し、休もう」
 気が付くと遥が隣に立っていて、そっと肩を抱き支えてくれている。

 詩桜はそれを受け入れ、そのまま保健室へと連れられベッドに横にさせられた。一時間後に迎えに来るといって遥は部屋を出てゆく。
 保健医がカーテンを閉めてくれて、ようやく一人になれた気がした。それから少し、詩桜は泣いた。





「ごめんなさい、今朝は体調があまりよくなくて、気も滅入ってしまっていたみたい」
 言葉通り遥が一時間後に様子を見に来てくれた。
 一時間、冷静に考え詩桜もだいぶ落ち着きを取り戻した。

「遥ちゃん……聞いてもらいたいことがあるの」
「私に? なにかな……白波瀬くんのこと?」
「灯真のこともだけど、その前に、わたしの過去のこと」
 それはあまり口にしたくない内容であったが、遥には、知っていてほしいと思った。

「わたし、七歳の時に噂通り殺されるはずだったの。本物の星巫女の少女に。なんで、自分だけこんな目に遭わなければいけないのかって、わたしは泣いていた。そうしたら、狂鬼たちが集まって来て……無意識に狂鬼たちを呼び寄せてしまったのかもしれない。気が付いた時には、周りは火の海。記憶はおぼろげだけど、狂鬼たちと退魔師たちが争い合う姿をなんとなく覚えてる。それから、わたしは意識を無くして……気が付いた時には、すべてが終わったあとだった」

「詩桜だけ……助け出されたんだ」
「そう。なぜかわたしだけ無事だった。同じ場所にいた他の方たちは、悲惨な状態で発見されたのに。もちろん、本物の星巫女候補も……」
 けれど、まさか星巫女候補が消え、魔の化身が生き残ったなどと、予言と異なった現実を村人たちに公表するわけにはいかなかった。

 混乱を招き星翔村自体を維持するのすら、難しい状態になる可能性もあったから。
 その時の村長。今は裁きに掛けられている義雄は、事件をこう作り変えたのだ。
 星巫女は予言どおり魔を打ち砕き、誓い刀に選ばれた。なんの問題もないと。

「だから、わたしは偽りの星巫女。本当は、殺されなくてはいけなかったけれど、本物の星巫女の変わりに、生かされ続けているお飾りみたいなものなの」
「……なんで、辰秋さんは、そんな詩桜を外に出す決意をしたのかな」

「偽者で終わるのが嫌なら、本物になれって。わたしに、そう教えてくれたの。次の予言が降り新たな星巫女が現れるまでの繋ぎとして、日向家に閉じ込められていたわたしに。予言とは解釈によって形を変える、不確かで曖昧なものだから。もしもこの先、わたしが誓い刀に選ばれ村を救ったなら、それが真実だって。その時、わたしは生まれ変わった気分だった。わたしのせいで、たくさんの人を苦しめ奪ってしまったけれど、もう二度とそんな悲劇を起こさないために、この力を使いたいって思ったの」

「そう……」
 遥は、俯いたまま黙り込んでいた。沈黙の中、時計の針の音だけがやけに大きく耳について落ち着かない。
 その時、詩桜はふと遥の左手首に浮かぶ赤黒い痣に気付いた。

「遥ちゃん、その怪我どうしたの?」
「っ、触らないで!」
 触れようとした詩桜の手を、遥は勢いよく跳ね除けた。遥にそんな態度を取られたのは初めてで詩桜は戸惑う。

「なんで、私にそんな話をしたの?」
「知ってほしかったから。噂だけじゃなくて、わたしの口から本当のこと知ってほしかったの」
「私は……いまさら、知りたくなかった。詩桜の苦労話なんて聞かされても困るよ」
「そ、そうだよね。ごめん」

「あのさ……詩桜とは少し、距離を置きたいな」
 思ってもみなかった、そんな言葉。遥なら、なにがあっても傍にいてくれるなんて、どこかで甘えていた。甘えすぎいていたのかもしれない。

「それは、わたしが隠し事をしたせい? それとも、わたしが狂鬼を引き寄せるから?」
 だが遥は、それ以上なにも答えてくれなくて。こちらに背を向け、一人で保健室を出て行ってしまった。
 取り残された詩桜は、保健医もいない部屋で、ぽつんと一人になる。独りぼっちだ。

「……ずっと一人だったもの。もとに、戻っただけ」
 けれど、ここ数ヶ月は一人じゃなかった。人のぬくもりや、優しさを知ってしまったから。

「…………」
 陽菜の手で処刑されそうになった時よりも、絶望の感情に襲われた。

 結局、遥が張り紙の犯人なのか、確かめることもできなかった。
 聞けば、そんなわけないよと、いつもどおり笑ってくれると思っていたのに。そしたら自分はその言葉を信じようと思っていた。けれど今は、そんな自信が持てない。

 どこから歯車が狂ってしまったの? 偽者のくせに、本物になれると思い上がったから?

 なにも考えたくなくて、悩むのも億劫で、いっそ、消えてしまいたい。





 それから詩桜は、午後の授業をサボってしまった。
 当てもなく歩き辿り着いたのは、いつも禊を行う小さな泉だった。
 なにもかも投げ出して逃げ出したい気持ちから学校を飛び出したのに、結局どこにも行くあてなんてないのだ。

 どこにも自分の居場所なんてない……。

 昔はよく感じていた。けれど最近は忘れかけてた感覚だった。迷子の子供みたいに心細い感情が、ふつふつと蘇り息苦しくなる。

「なにやってるんだろう、わたし」
 こんなことなら、数週間前のあの日、たとえ義雄たちの陰謀だったとしても陽菜に始末されていればよかった。そんなこと考えてはいけないと思いながらも、そう思わずにはいられない。

「これから、どうすればいいんだろう……どうなっちゃうんだろう……」

 ごろりと寝そべり天を見上げると、視界に広がる空は朝と変わらず鈍色で、どんよりしていて寒々しかった。

 もう疲れてしまった。重い瞼を閉じれば、すぐにでも悲しい世界から連れ去ってくれる睡魔の波に呑み込まれていた。