あくる朝。色々あったせいで寝不足の詩桜は、登校する足取りも眠気でよろよろとしていた。

 だが、いつもより少し遅れて到着すると、なにやら学校中が騒がしい。
 玄関で上履きに替え中央棟の二階に上がると吹き抜けの開放されたホールは、いつもにない人だかりになっていた。
 その中心にあるのは校内ポスターなどが貼られている掲示板だ。

「なんの騒ぎ?」
 不思議に思い人混みの方へ足を向けると。
「詩桜……」
 人混みの中にいた遥が、詩桜に気付いて気まずそうに視線を逸らす。

 その時、何かを囲うように集まっていた生徒たちが、いっせいにこちらに振り向いた。
 ざわざわと噂話をしながら向けられる視線は、あまり居心地の良いものではない。
 詩桜は生徒たちが見ていたモノがなにか知りたくて、一歩二歩、掲示板へ進んだ。

「これは……」
 掲示板の中心部。一番目立つ場所に、ドンッと大きな張り紙が貼ってある。

 そこには『春宮詩桜は星巫女。守護者、白波瀬灯真と一目を忍ぶ関係発覚』なんて、ゴシップ誌の見出しのように面白可笑しく書かれている。

 記事の内容は、主に星巫女にあるまじき禁断の愛だと。あること、ないこと、好き勝手だ。
 詩桜が戸惑いを隠し切れずにいると、遥はそれを乱暴に掲示板から剥がした。

「詩桜、大丈夫?」
「遥ちゃん……その張り紙」
 書かれていることは、嘘ばかりではない。自分が星巫女候補であること、灯真と一緒に住んでいること。否定できない事実も含まれているから反応に困る。

「春宮、なんか大変なことになっちゃってるな」
「月嶋くん、えっと」
「気にすることないよ。こんなの、ただのデマでしょう? 白波瀬くんとはなにもないんだよね」
「う、うん……でも、その……」
 遥の励ましにも曖昧な返事しかできなくて、詩桜は心苦し気持ちになった。



 その日は、教室についてからも、つねに居心地の悪い視線と噂話が付きまとってきた。
 ここは人間と吸血鬼が対等に暮せる村だと思っていたのに。その考えは甘かったのだと、詩桜は身をもって体感した。

 半鬼が狂鬼化する事件が多発しているご時世に、平和の象徴とも言える星巫女が吸血鬼と交わりを持つなど、秩序を乱すという声が多かったのだ。

「……すごい騒ぎになっちゃった」
「勝手に騒がせておけばいいだろ」
 もう一人の当事者である灯真はといえば、周りの声などまったく気にしていない。

「勝手にって……みんな、種族の違うわたしたちが恋仲になると、秩序を乱す原因になるのではないかと心配しているんだよ」
「だからなんだ。第一血の濃い薄いがあったとしても、今時この世にいる吸血鬼の大半が半鬼。それを今さら、くだらない」

 でも、と言いかけた詩桜の口の中に、灯真がなにかを押し込んだ。
 ころんと口の中で転がり、甘酸っぱい刺激が優しく舌の上で溶けてゆく。

「くだらない悩みに頭を使う必要はない。お前はなにも心配しなくていい」
 それだけ言うと灯真は振り返ることも無く、生徒の視線もなんのその教室を出て行った。

「イチゴ飴……」
 昨日あげた飴のお返しだろうか。
 強張っていた心を解く甘さに、なんだかとっても救われる。

「……詩桜、白波瀬くんとなに話してたの?」
「あ、遥ちゃん。たいしたことは、話してないよ」
「ふーん……仲良いよね。なんだかんだ言って。星巫女と守護者だったんだもんね。当然か」
「そ、それは……黙っていてごめんね」

 どことなく遥の声に棘があるような気がして違和感を覚えたけれど、その顔を見上げると、遥はいつもと同じ涼やかな笑みを浮かべていた。

 だから、気のせいだと思った。詩桜は、そう思うことにした。





「あの張り紙は、誰の仕業なんだろう……。刀を盗んだアカツキさんと関係があるのかな……」
 夕刻、詩桜は高い塀の上で、庭に遊びに来た子猫に相談を持ちかけていた。
「ねえ、子猫ちゃん。聞いてくれている?」
 真っ白な毛に覆われる子猫は、触るとふわふわ柔らかくて華奢な身体が愛おしい。

「猫相手に、楽しいのか?」
 庭先に出てきた灯真が、塀の上で子猫とじゃれて遊ぶ詩桜を見上げ尋ねてきた。
「子猫って可愛くって癒されるでしょ?」
「……お前の方が、可愛い」
「えっ!?」

 不意打ちでそんなことを言われ素っ頓狂な声を上げた詩桜に驚いたのか、子猫は走り去って行ってしまった。

「な、なに言ってるの、灯真っ」
「電話だ。辰秋さんから」
 灯真から電話を差し出される。

 詩桜は慌てて塀の上から飛び降りると電話を受け取った。
 今、自分の身に起きていることを知られては、余計な心配を掛けてしまうかもしれない。
 だから精一杯の平静さを保って、詩桜は電話を耳元へ当てた。

『よう、詩桜。元気にやっているか?』
「げ、元気ですよ。辰秋さんこそ、ちゃんと愛想良く挨拶回りしてますか?」
『当たり前だろう。こっちは順調だ。やっぱり、一仕事終えた後の酒は最高だなぁ』
「もう、また夕飯前からお酒飲んでるんですね」
 しょうがない人だと思いながら、顔が緩んでしまう。詩桜がこんなにも気を許せる大人は、今のところ辰秋ぐらいだ。

『ちゃんと職務を終えた後の一杯さ。文句なんて言わせないぜ。あぁ、だがたまには詩桜の下手くそなお酌が恋しくなってなぁ。暇つぶしに電話を掛けたってわけだ』
 下手なお酌って、暇つぶしって、まったく失礼な言い分だけれど辰秋らしい。

「辰秋さんったら。てっきり、こちらの様子を心配して電話をかけてきてくれたのかと思ったのに」
『そんなことは、なんにも心配してないさ。お前さんには灯真殿がついているんだ。二人で力を合わせればどんな困難だって乗り越えられる』

「もう……辰秋さん、明らかに酔っ払っているでしょう」
『おうよ、ほろ酔いでいい気分だ。けどな、酔っ払いをなめるなよ~。お前さんの空元気ぐらいは、電話越しで見抜けられる』
 さらりと言い当てられてしまい、詩桜はギクリとした。辰秋は、意外と鋭い。

『なにかあったなら、相談ぐらいは無料でのってやる。まあ、考えるのは面倒だからな。答えは自分自身で出してもらうが』
 それは相談にのってくれる気がないと言っているようなものじゃないのか。辰秋らしい、無責任な発言だけど、そういう放任主義さも詩桜は嫌いじゃない。

「辰秋さん、わたし……今日、人間と吸血鬼の間にある溝に、ショックを受けました」
 星翔村外で人間の殆どは、吸血鬼の存在を認識していない。それは吸血鬼が人間のフリをして、都会に馴染むことが普通とされているからだ。吸血鬼だけが暮す村はあっても、互いの種族を隠さず、人間と吸血鬼が協定を結び平和に暮らす村はここぐらいなもの。

 詩桜は、それがこの星翔村の誇れるところだと思っていた。
 けれど、今日その考えは甘かったのだと認識したのだ。

「半鬼と言われる人たちは、今までどんなに肩身の狭い思いをしてきたのでしょう」
『人と魔が交わり、その血を半々に持つ者か。今も封じられし吸血鬼の王は、自分を裏切り人と交わり続けた吸血鬼たちに怒り、その子孫である半鬼の者を妖し風で惑わすと言われているからな』

「人間は、半鬼の者も吸血鬼だと見るし、純血の吸血鬼も魔の血が薄い半鬼の者を、仲間としては見ないでしょう? この村にいる限りどちらの地区に住んでも、居心地が悪いんじゃないかって思って。この村は、人と魔が対等に暮せるはずの場所なのに、人と魔の間に生まれた者たちにとっては、都会にいるより住みづらそうです」

『今は、な。妖し風の影響で、皆カリカリしてるんだろう。特に血が薄まり吸血鬼としての力の弱い者は、封陣が不安定な村を出て人間として都会で生きるヤツも多い。まあ、それはお前さんがどうにかしてくれるって、俺様は信じているぞ。なにせ、お前さんは日向家の予言により選ばれた、星巫女だからな』

 偽りの、ですけどね……。
 そんな皮肉めいた言葉を、詩桜は心の中に沈め口ごもった。
 辰秋だけは、全てを知ったうえで、それでも詩桜を正式な星巫女だと言ってくれているのだから。

『詩桜、なにを弱っているんだ。今は、なにがあろうと前だけを見て突っ走れ。お前さんの未来はなぁ、幸せの花が咲き乱れると決まっているんだぞ』
「また、無責任ですね……辰秋さんったら」

『ははは、まあ酔っ払いの戯言だ。信じなくてもいいけどよ』
 詩桜は気が付くと笑みを零していた。

『詩桜。何はともあれ、俺様が留守の間も、星翔村を頼んだぞ。もちろん、未来の星翔村もな』
 電話越しに聞こえる自分を応援してくれるこの声に、どれだけ救われただろう。

 難しい問題だけれど辰秋の言うとおりに、いつかもし自分が正式な星巫女となって妖し風を清められたなら、また穏やかな村への再生に貢献できるだろうか。

 今日は、詩桜にとって、そんなことを改めて考えさせられる一日だった。