降るような蝉の声に包まれながら、わたしは汽車を降りた。
 背後で扉が閉まる。ここが終点。他に客はなく、ここからの乗客もひとりもいない。無人のプラットホームに、わたしばかりがぽつねんと立っている。
 もうじき()が沈むのだろう。差し込む茜が駅の柱の影を長く伸ばし、黒のコンクリに濃い陰影を描いている。 ツクツクホウシの説法に混じり、かなかなと相づちを打つのはヒグラシか。夕暮れの赤と、影の黒。コントラストに眩暈(めまい)を起こしそうで、わたしは大きく息を吸い込んだ。濃厚な緑と、土の香が、肺いっぱいに溜まっていく。

 鞄を持ち直し、改札へと歩を進めた。
 外で、大きく手を振る影。逆光で顔は見えない。それでもその背格好から、(だい)ちゃんだと見当がついた。蝉の音が、耳の奥でわんわんと鳴っていた。

***

 ――蛍を見に来んか。 

 そう連絡があったのは、少し前の事である。帰宅して、習慣でポストを覗いたときだった。沢山溜まったピザのデリバリーだとか、マンションだとかの広告のチラシに混じって、一枚の葉書が入っていたのである。
 手書きで記載された、わたしの名前と住所。差出人の名はない。きっと、表の方に書いてあるのだろう。わたしは首を捻った。こんな風に葉書のやりとりとするような人物に心当たりがなかったのである。
 面妖なことと思いながらも手に取って、裏返してみて驚いた。
「大ちゃん……?」
 郷里の、幼馴染だった。

 ――蛍を。

 誘いに乗った理由は、わたし自身にも分らない。その文字を見たとたんに、居てもたっても居られなくなり、そして。 今、わたしはここにいる。

***
「遠かっただろう」
 蝉時雨から逃げるように車のドアを開け、助手席に座る。シートベルトを締めながら、わたしは鷹揚(おうよう)に頷いた。 扉を閉めると、外の喧騒が嘘のように静かだ。
「久しぶりだなあ。何年ぶりだ」
「――さあ」
「お前、ちいとも帰ってこんから」
「帰る理由がなかったんよ」

 運転席の大ちゃんと目を合わせるのはどうにも面映(おもは)ゆく、わたしはきっちりと正面を向き、フロントガラスに付いている雨粒の跡をそっと数えた。
 大ちゃんは屈んで車のエンジンを入れる。土と汗の匂い。既視感を覚えて、わたしは慌てて口を開いた。
「蛍、いるかな」
「いるさ」
 眩しいのは、茜のせい。
 居心地が悪いのは、尻に伝わるエンジンの振動のせい。
 騒ぐ心に水をかけて、わたしはガラス向こうを睨んだ。赤々とした夕焼けが、空を金に染めていた。
 とことこと、車は農道を走る。まだ青い稲穂が、夕陽を浴びて金の海のようにさざめいている。霞がかった山の端に、ちらりと星が煌いた。ようようと暮れなずむ空に、烏が二羽、ねぐらへと帰っていくのだろうか。窓ガラス越しに幽かに聞こえるのはヒグラシの声と虫の音。
 変わらない風景。変わらない音。
 大ちゃんとは、この地で兄妹のように育ったのだ。

***

 わたしに両親は、いなかった。病気で死んだのだと後に聞いた。
 その時のことは覚えていない。なんといってもわたしはまだ、頑是(がんぜ)ない子供だったので、ただいつの間にか、二人がいなくなってしまった、という認識で、父ちゃんは、母ちゃんはどこへいったのと、泣いては近所の人を困らせたのだということだった。
 親の居ない子を見捨てるような村でなかったことは、わたしにとって幸いだったのだろう。

 ――八重(やえ)ちゃんはね、今日からうちで暮すんよ。

 そういって迎え入れてくれた隣家に、大ちゃんが、いた。大きく手を広げた育ての母の背に隠れ、わたしにじとりとした視線を向けていた。

 無邪気なもので、わたしは隣家にあっという間に馴染んでいった。最初はぎくしゃくした大ちゃんとも(人見知りだったのだと後に本人から聞いた)仲良くなり、転げまわって遊んだものだ。
 養母は朗らかな人で、わたしを実の子のように扱ってくれた。わたしも養母に懐き、よく甘えた。それでも、時たま、ひょんな拍子に、実父母を思い出すことがあった。父の泥だらけの手。母のあかぎれの指。そんなものがちらりと頭をよぎり、父母の影を探して泣く。その度に養母はわたしを抱き上げ、夜空を見上げてこう言った。

「そんなに泣いて、お星さんが笑うっきゃ」
「……お星さんは、笑わんべ」
「いや、笑う。ほれ見、八重ちゃんは泣き虫だって、きら、きらきら」

 涙でぼやけた星空は、確かにきらきらと光っていて、わたしは益々体を縮め、養母にしがみつく。そんなわたしの頭を撫でて、養母はしんみりと笑っていた。
「みんなねえ。生きてるもんはなあ、みいんな、いつか、いぬようになるんよ」
 わたしは頭を振った。そんなのは嫌だ。どうしていなくなってしまうのだろう。いつも帰ってきてくれたじゃないか。それなのに、今回は帰ってこないなんて、そんなのはおかしいじゃないか。
「うちのひとも、八重ちゃんの父ちゃん母ちゃんも、おばちゃんだって。八重ちゃんも、大も。みいんな、いつか、いぬる」 
 当時のわたしは、死を理解することはできなかった。愚図(ぐず)るわたしを抱えて、養母は困ったように笑った。そして、良いことを思いついた、とばかりに手を鳴らしたものだ。

「そうね、八重ちゃん、蛍、見に行くっきゃ」
「ほたる?」
「八重ちゃんの父ちゃんも、母ちゃんも、きっといる。ほれ、大、暗ぇから、あぶさくないよにカンテラ、持ってこ」
 蛍というものは、知っていた。父母が生きていた頃、庭に紛れ込んできたのを見たことがある。

 ――おや、蛍ね、こんなところで。珍しいんなあ。

 そう母が言えば、父も笑って頷いた。

 ――誘い蛍ね、はは、無駄だっきゃ。八重がちいこいうちはなあ。ほれ、山へな、お帰りよ。
 ――ほれ、山へな、お帰り。こっちの水は、苦いぞ。あっちの水が、甘いぞ。

「いんだ人はなあ、みんな蛍になるんよ。そんでそのままお空に昇ってって、お星さんになるんよ」
 舞い上がる蛍を見ながら、養母はそう言った。死した人は蛍になって、天を駆け、星となってわたしたちを見守っているのだと。

***

 大ちゃんがハンドルを切った。農道を逸れて、山道に入る。ここからは暫く上り坂。鬱蒼と茂る木々も、変わらない。あの時のままだ。
「覚えてるか」
 不意に大ちゃんが声を挙げた。わたしは思わず彼の顔を見る。
 大ちゃんは正面をきりりと見据えていた。短く刈り込んだ髪、少しこけた頬。意志の強そうな眉と、引き結ばれた唇。かっちりとした顔つきなのに、笑うと目尻に皺が寄って、優しい風貌になることを、わたしは知っている。
「ここ、登ったよなあ」
「そうだね」
「カンテラを持つのはお前でさ」
「大ちゃんが、持たせてたんでしょ」
「怖がりだったもんな」
 目を細めて、大ちゃんは笑った。その瞳に映っているものは、景色だけではないのだろう。

 あの日から、わたしたちは夏になると、この坂を上って蛍を見に行くのが恒例になった。大ちゃんと、養母と、三人で。しっかり手をつなぎ、カンテラをかざして、せっせと山を登って。
 それでもわたしたちが中学に入り、友達と過ごすことが普通になるとともに、家族行事が恥ずかしくなった。

「蛍、見に行かんね?」
 中学一年の夏。長期の休みに入り、遅めの朝ご飯を食べていた時だった。裏の畑で採れた、青臭いトマトを(かじ)っていると、向かいに座った養母は嬉々として言ったものだ。
「そろそろよう飛ぶやろ。な、今夜」
 わたしはちらりと養母を見やる。内心苦い思いでいっぱいだった。
 もう十三になるのに、家族行事だとか、馬鹿馬鹿しい。自分はそんなに暇ではないのだ。午後からは部活動がある。最初はキツかったブラスバンド部も、ようやく面白くなってきたところだ。夏の大会もあるし、毎日練習で忙しいのに、何を言っているのだ。
「行かん。部活があるっきゃ」
 自分でも思った以上に冷たい声になった。 そのことに少しだけ罪悪感を覚えながら、わたしは養母を一瞥する。養母は眉を少し寄せ、おずおずと言った風情で言いつのった。
「部活の後でも行かんべ?」
「忙しいんよ」
「夜ならよかんべえ」
「行かんて!」
 ハッとした。口を(つぐ)んだが遅かった。 養母は目を見張り、そして密やかに眉を下げた。
 どん、どんと足音がする。大ちゃんが起きてきたのだ。がらりと台所の引き戸を開けて現れた大ちゃんは、既に部活着を着こんでいる。春は白かった野球部のユニフォームも、もう薄茶けてきて、綻びが目立っていた。大ちゃんは期待の新人なのだと、クラスの男子が話していたのを聞いたことがある。
 大ちゃんはちらりとわたしたちを一瞥すると、そのまま素通りした。もう出かけるのだろう。
「大、ご飯は」
「いらん。あっちで買うっきゃ」
 大ちゃんに用意の水筒を渡しながら、養母は(うかが)うように呟いた。
「大、今日の夜……」
「遅いっきゃ。夕飯もいらん」
 ぶっきらぼうに言うと、大ちゃんは土間に降りて靴を履く。玄関の閉まる音を聞きながら、わたしは米を呑み込んだ。
「……みいんな、大人になったんなあ」
 そう言いながら、養母は茶碗を持って席を立った。台所に向かう養母の背中を見ながら、わたしは胡瓜の糠漬(ぬかづ)けを摘む。
 かみ砕く、胡瓜の糠の味が、いつもよりも痺れるような気がしたのを、覚えている。

***

 山道は、どんどん細くなっていく。昔は車なんて使わなかった。自らの足で、せっせと登ったものだ。ガラス越しに見る景色には確かに見覚えがあるのに、どこか映像をみているかのように、遠い。

「……おふくろが、死んだときさ」
 フロントガラスを見据えたまま、大ちゃんが呟いた。
「お前、俺んとこ来たんだよな。言ってなかったのにな」
 わたしの視線に気づいたのであろう、大ちゃんは気まずそうに笑った。
「俺、久しぶりだ。蛍、見るの……」
 ようようと暮れなずむ。日が落ちていく。薄紫の道を、車はがたごと走っている。ライトが付いた。誘われるように蛾がはためき、フロントガラスに当たって、落ちた。

 思えば、わたしも、あの時が最後だったのかもしれない。
 蛍を見た夜。忘れもしない、夕闇に浮かぶ魂の色。

 高校三年の夏。養母が、死んだときのことだった。

 蝉時雨が叩きつける夕方。くれないに染まる農道を、わたしは走っていた。どんなに走っても間に合わないような気がして、焦りが足を絡ませる。流れ落ちる汗も、からからに干上がった喉も、酸素を求める肺も、今は気にしていられない。
 日射病かね、と笑っていた養母は、入院し、その日のうちに危篤になった。大ちゃんは教室を飛び出していった。それを追いかける形で、わたしも飛び出した。
 二人分の鞄が、揺れに合わせてかたかたと鳴った。大ちゃんは、わたしのもっと前を走っているに違いない。

 病院に飛び込むと、顔なじみの看護師さんが、こちらを見て、目を伏せる。
 足が震えた。息が上手く出来なくて、何度も何度も、嘔吐(えづ)いた。案内された部屋で、扉を開けようと手をかけて、そして。 大ちゃんが、部屋から飛び出して来たのだ。声をかけることもできなかった。彼はそのまま、廊下をまっすぐに駆けていった。

 室内は真っ白だった。
 養母の顔には、白い布がかけられている。何故だろうと首を傾げ、ああそうか、死んだのだ、と思い直した。
 足を踏み出す。運動靴が、きゅうと鳴く。暑いはずなのに、汗だってかいているのに、氷を呑み込んだかのように、胸の中央が冷えている。
 追いかけてきたのだろう、看護師さんが、わたしの肩を抱いた。
 その、女性にしては大きく、太い手が、細かく震えていた。
 小さい村だ。この(おお)らかな人が、養母と仲よさそうに話しているのを、わたしは何度も見かけている。きっと、親しかったのだろう。もしかしたら同級生かもしれない。やっぱり悲しいんだろうか。悲しいはずだ。現にわたしにしがみつくようにして、彼女は嗚咽(おえつ)(こら)えている。 悲しいと、人は泣くのだ。それでは何故、養母が死んで、悲しいと思っているはずのわたしは、涙が出ないのだろう。 悲しい、とは、どんな気持ちだっただろう。
 思い出せなかった。ただ、胸に凝った氷があまりにも冷たくて、凍えてしまいそうで、わたしは浅く息を紡いだ。

 大ちゃんを探してきます、と、わたしは看護師さんに告げた。いる場所は分かっていた。分からないはずがなかったからだ。  

 山道を登る。茜はゆうるりと紫になり、やがて濃紺となって、星を抱く。
 もうすっかり夜だった。カンテラもない。茂った木々に覆われた道は闇に閉ざされている。虫の音。あれはスイッチョ。松虫、キリギリス。コオロギ、鈴虫、松虫もいる。幽かに聞こえるのは(ふくろう)だ。
 土を踏む、運動靴の音。 静かだった。どこまでも静かな夜道を、わたしはしんしんと歩いていた。
 不意に、目の前の闇に。すう、と星の光が流れた。 いいや、星ではない、あれは蛍だ。 蛍が一匹。光の尾を引いて飛んでいる。
 せせらぎの音が聞こえた。川が近い。
 蛍に導かれるように、わたしは歩いた。山道が、途切れる。渓流が、黒々とした流れでもって、水飛沫を上げている。 その水面を照らす。

 蛍。

 蛍。

 蛍。

 舞い上がる。まるで空の星が、地上に落ちてきたかのように、あちこちで灯る魂の色が、渓流を薄っすらと黄緑色に染めている。
 大ちゃんは、それを、じい、と見ていた。
 川べりの、ごつごつとした岩に腰を掛けて。足を曲げ、自らの膝に顔を埋めるようにして、ただ、じい、と、蛍を眺めていた。
 わたしはそうと近付き、隣に腰掛ける。声をかけるつもりはなかった。かける言葉が見当たらなかった。大ちゃんも、何も言わなかった。こちらをちらとも見ずに、地上の星々を見つめていた。
 汗と、土の匂い。大ちゃんの匂い。長じてからは、昔ほど一緒にいなくなった。遊ぶこともなくなった。でも、家族だ。血はつながっていなくても。

 星のような、蛍の光が、大ちゃんの瞳に宿っている。
 見上げると、満天の星空。星の光が蛍のようだ。蛍がきらきらと輝いて、わたしを笑っている。
 天と地があべこべだ。いや、もしかしたら、あべこべだと感じているのはわたしだけで、実は天も地も、星も、蛍も、渓流も、岩も。父母も、養母も、大ちゃんも、わたしも。みんな一緒なのかもしれなかった。

「おふくろ、いるかな」
 ぽそりと、大ちゃんが呟いた。
 わたしは何も言えなかった。ただ黙って、蛍を眺めていた。ちらり、ちらりと光っては消える魂の色。死んだ人は、みな蛍になって天を駆け、そして星になるという。この中に、わたしの父母が、養母がいるのだろうか。
「なんでだよ」
 食いしばった歯の隙間から、声を絞り出すように。大ちゃんが口を開く。
「元気だったじゃねえか」
「うん……」
「なんでだよ」
「……うん」
 それきり、大ちゃんは口を閉ざした。握りしめた掌が、彼の膝の上で細かく震えていた。それがあまりに寒そうで、思わず自分の掌をそっと重ねる。大ちゃんがぴくりと動いた。臥せていた顔を上げて、わたしをちらりと見やる。黄緑色の光を宿した瞳の中に、わたしが映っている。その姿が大きく歪んで、ぼろりと落ちた。

「そんな泣くと、お星さんが笑うっきゃ……」

 あとは、言葉にならなかった。
 蛍の柔らかな黄緑色の光が、ゆっくりとわたしの氷を溶かしていく。溢れた水はこみ上げて、両目からそろりと落ちる。すう、と蛍が頬を掠めた。落ちた涙は、甘いのだろうか。大ちゃんが、わたしの腰に手を回した。わたしも大ちゃんの背に手を回す。そのまま固く抱き合った。
 色めいたものはない。わたしたちには体温が必要だった。しゃくりあげるように、わたしたちは、ただ、ただ。泣いた。

「……行こう」
 ひとしきり泣くと、どちらともなく体を離した。
「うん」
「きちんと……見送ってやらないと、おふくろが心配するっきゃ……」
 帰りは、手を繋いで歩いた。子供の頃に戻ったように、しっかりと握り締めて。鳥の声や虫の音に包まれながら、わたしたちはゆっくりと山道を下っていく。怖くはない。天上に輝く星々は、しっかりと道を照らし出してくれていた。カンテラがなくても大丈夫だ。だって夜道はこんなにも、明るい。

 見守ってくれているのだろうか。そうだといい。どうかわたしたちを見守っていてほしい。そうすれば、明かりの無い道でもしっかりと歩いて行けるから。

***

 夜はすっかりと暮れている。

 車を道の脇に止めた。ここから先は徒歩で行くのだ。
 わたしたちは夜道に身を踊らせた。山道は闇に包まれている。怖くはない。天には数多の蛍が瞬いている。
 虫の音。あれはスイッチョ、キリギリス。コオロギ、鈴虫、松虫もいる。幽かに聞こえるのは梟か。土を踏みしめる、草履の音、二つ。
 大ちゃんは何も言わなかった。わたしも言う必要がないことを知っていた。さやさやと渓流の音が聞こえる。木の葉のざわめきと川のせせらぎが、まるで潮騒のようだ。
 見上げれば星空。零れんばかりの空の蛍。すう、と光が流れる。あれは流れ星。違う、蛍だ。黄緑色の尾を引いて、蛍が一匹。付いてこい、と、わたしたちを導いている。

 やがてたどり着いた渓流は、まるで時間が止まっているかのようだった。蛍が水面を黄緑色に染め上げて、飛沫にすら星々が宿っているかのごとく、何もかもが、きらきらと光っている。 わたしたちは、川辺の岩に腰掛ける。並んで腰を下ろすと、また、手を繋いだ。

 蛍。

 蛍。

 蛍。

 あちこちで灯る、魂の色。

「すごい」
 蛍が舞う。しんしんと、天の星が地に落ちてきたかのように。
「お星さんが……笑ってる」
 そういうと、大ちゃんは軽く目を見張り、ややあって笑った。
 天も地も、星も、蛍も、渓流も、岩も。父母も、養母も。あの汽車も、車も、フロントガラスに当たった蛾も、そして、わたしも。大ちゃんも。何もかもが、みんな一緒になって、きっと天を駆けるのだろう。

「最後に、見れてよかった」

 この山は、もうすぐなくなる。
 この渓谷も、きっと清らかな流れではなくなってしまう。

 それでも、きっと。

「ほら、蛍があんなに」

 見上げた空に、無数に光る蛍。

 わたしも、大ちゃんも、いつかあの空に。
 蛍になって、そして。

 きらきらと、地上を、見守っていくのだろう。