『人生で最も』
 
 9月1日
 朝のニュース番組では秋の訪れが、なんてぬるい言葉を使っていたが、早朝ですら涼しさなんて微塵も感じない猛暑。正確には残暑らしいが。
 7時25分。制服に着替え、ボサボサの髪を軽く整える。
「あんた始業式の日くらい寝癖直しなさいよ」
 母からのありがたい忠告すらボーっとした寝起きの頭には入らない。
「着くまでに直るから大丈夫。いってきまーす」
 僕は締まりのない挨拶をリビングの方に投げかけ、玄関を出る。
 僕の通う白垣高校は自宅から歩いて10分。最初は徒歩10分なんて余裕だと意気込んでいたが、実際真夏の10分は過酷だった。
 家を出て2分。すでに額から汗が吹き出し嫌な冷たさが背中を伝う。
 夏休み明け初日。久しぶりの登校、久しぶりの太陽、久しぶりのあの人。
 ——家を出て5分ほど歩くと現れる十字路。毎朝この十字路の右側から出てくる、とある高校生がいた。彼が着ているのは桜田高校の制服。桜田高校の学力はこの街トップを誇り、毎年名門大学へ進学する生徒をたくさん輩出している。
 僕が彼を認識していたのは、毎朝慌てながら駅に向かい全力で走っている姿が印象的だったからだ。それほど大きくはないこの街の駅に、電車が停まるのは30分に1本ほど。彼を含め、桜田高校に通う生徒はその1本を逃すとおそらく遅刻だろう。
 今日も僕が十字路に差し掛かると、右側から聞き慣れた足音が近づいてくる。チラッと右に目をやると見慣れた光景がスッと、何の違和感もなく入ってきた。今日も彼はネクタイを手に全力で走っていた。
 彼が走りながら駅へ向かう姿は僕にとって日常の1ページになっていた。
 7時30分。すれ違いざま、腕時計を確認すると、電車の時間まで5分を切っていた。
 今日は慌てすぎて片方の靴が今にも脱げそうな様子だな。
 今日は片手におにぎり持ってる。食べ損ねたのかな。
 そんなふうに毎朝、彼がどんな慌てっぷりで登場するのか、密かに気になっていた。加えて、少し早く起きようとか思わないのかなと、余計なことまで考えていた。