僕と長野さんは無言で熱燗を啜る。程よく冷めた熱燗は少し味気ないが、長野さんにとっては飲みやすい温度らしい。最初の時よりも長野さんの熱燗の飲むペースが速くなっている。

「セツさんのヘルメットと皮の手袋がまさか宗教によるものだったなんて……」

 長野さんはどこか悲しそうな表情で目を伏せる。朝の様子から長野さんは宗教に対してあまり良い印象を持っていないのだろう。

「うん。知ってる? エンデハホルムの祝祭。かなりマイナーな宗教だし、確か今は名前も変わった気がするなぁ」

「いいえ。初めて聞きました」

 長野さんはすぐさま否定をする。このやり取りはどちらかというと仕事でのやり取りに近い。長野さんはおちょこを口元につけ、一気に傾けるとおちょこは一瞬で空になった。僕はそれを見て徳利を持ち熱燗を注ごうとするが、どうやら徳利の中も既に空のようた。

「どうする? まだ飲むかい?」

「いただきます」

 長野さんは口をへの字に曲げると、鼻から大きく息を吐きながら言う。僕は女将さんに熱燗二合を再度頼んだ。これが最後の注文になるだろう。

 長野さんは先ほどから少し不機嫌な様子だ。よほど仕事と宗教に関することで嫌な思い出があるのだろう。僕だってそうだ。この仕事をしていると誰だってぶつかる問題だ。

「でも結局その宗教にハマったのは病気をしていたセツさんの母親なんですよね。もちろん大きな病気になるのは気の毒ですし、宗教に縋りたくなる気持ちはわかります。だからって娘であるセツさんにまで背負わすことはないじゃないですか?」

「……うん。その通りだと思うよ」

 女将さんがテーブルにそっと熱燗を置く。いつの間にか周囲の客も少なくなっており、僕たちの他には二組のお客さんが店内にいるだけだった。厨房から絶えず聞こえていた小気味良い調理の音も止まる。店内にはそれぞれのテーブルでの話し声を上書きするように、天井近くに設置されたテレビでお笑い芸人が大袈裟に騒ぐ声だけが響いていた。

 僕は仕切り直しで長野さんのおちょこに熱燗を注いだ後に自分のおちょこにも熱燗を注いだ。

「ありがとうございます……」

 長野さんは先ほどまでの自分の態度を悔いるようにしながら両手でおちょこを持つと、フーフーと息を吐き熱燗を冷ます。

 僕はそれを見ながら先におちょこを口に運んだ。僕はこれぐらいの熱さの方が好きなんだけどなぁ。

「それに結局先生が医者になった理由や緩和ケアに進んだ理由がまだ見えてきません。わかったのはセツさんのことと、先生の名前の由来と、ろくでもない友達のことだけです」

「まぁヤスは今は立派に家庭を持って働いているからそう責めないでやってくれないかな……」

 思わず含み笑いが漏れる。

「……あと、先生には申し訳ないですが、私はセツさんに対して当たって欲しくない嫌な想像をしてしまっています……」

「……まぁそこのところも今から話すよ。この話ももう終盤だ。先に言っておくと、この話はバッドエンドだけどね」

「ダンサーインザダークよりも?」

「僕にとってはね」