とりあえず、マイゼンさんとナイセンさんは通いで来てもらうことにした。
その間、二人にはお母ちゃんの味を覚えてもらったり流れを覚えてもらい、わたしたちが帰って来たら一緒にどんな風に持って行くかを考えたり商売を教えてもらったりすることになった。
こんなんで儲けになるのかはわからないけど、何事も前段階と準備、そして、ノウハウが大事、ってラノベで読んだことがあるわ。知識で知っていても実際どうななかわからないんだから学ばせていただきましょう。
ローダルさんもしばらく来るって言うので、馬車を借りて大量の商品を運ぶことにした。
さすが馬車。押し車の四倍はあるから持って行ける量も四倍。売上も四倍になったわ。
「物量が多いと商売が捗りますね」
「それを理解出来るには下働きを数年しないとわからないものなんだがな」
そうなんだ。やっぱり基礎学習が足りなかったり、経験して学べってわけことなんだろうか? この世界の人は学ぶのも大変なのね。
まあ、わたしも学ぶためにお城に行こうとしているんだけどね。
「馬車があるなら温かいものも運べそうですね」
「今度は何をしようって言うんだ?」
「ハンバーガーを売ろうかなと思って」
「ハンバーガー?」
「肉を細かくして焼いたものをパンに挟むものですよ」
「ああ、よくティナが食っているものか。何だろうとは思ってたんだよな」
それなら訊いてくれたらよかったのに。
「じゃあ、帰りに豚肉を買って帰りますか。夜に作りますよ」
すべてが四倍になったけど、完売まではいつもの二倍だった。午後の三時くらいに市場に向かい、いつもより多くの豚肉と骨を買った。
「ローダルさんにお金払わなくて本当にいいんですか?」
いらないとは言ってたけど、これじゃタダ働きだ。ローダルさんの暮らしが成り立たないんじゃないの?
「これは先行投資さ。日帰り宿屋が成功したら王都で開こうと思う。仮に失敗したとしても大損害にはならない。その失敗だって糧となるものさ」
商人はそう考えるんだ。失敗なんて許されないと思っていたわ。
家に帰ったら早目に切り上げたおばちゃんたちが集まっており、お風呂に入る順番をおしゃべりしながら待っていた。
一日中仕事をしていただろうに元気よね。疲れた様子が見て取れないわ。
「的当てもお嬢ちゃんが考えたんだな」
「考えるってほどでもないですよ。子供のお遊びですよ」
子供のわたしが言うんだから説得力はあると思うわ。
「まあ、あんなに夢中になるとは思ってませんでしたけど」
おばちゃんでもやる人がいる。教えておいてなんだけど、何が楽しいのかしらね?
「他にも子供のお遊びはあるのか?」
他に、か。小さい頃はおままごとをしたけど、そんなに体が強くなかったから外での遊びって知らないのよね。
「そうですね。縄跳びなら」
藁を編んだとき試しにやったけど、縄にしなりや重みがなかったから上手く出来なかったのよね。でも、ティナは軽々やっていたのでどんなものかローダルさんに見せるようお願いした。
「紐ならもっと楽に跳べるんですけどね」
「ちょっとやらしてくれ」
ひょいひょいと跳ぶティナから藁縄をもらい、見よう見真似で跳んでみるローダルさん。意外と、って言ったら失礼かしら? なかなか運動神経がよろしいじゃないの。
「……い、意外と、体を使うんだな……」
「運動不足の方や子供の体力作りには丁度いいものですよ。お城に行ったらお嬢様にもやってもらおうと思ってました。貴族のお嬢様ってダンスとかするんですよね?」
「そうだな。節目節目に夜会やら舞踏会やらがあるからな。体力がないとお嬢様もやってられないそうだ」
この世界の貴族も大変なのね。農民の娘に生まれてよかったわ。
「縄跳びか。これを広めても構わないか?」
「構いませんよ。縄で跳ぶだけのものなんですから」
そのうち誰かが考えるだろうし、そんな高額なものではない。売ったところで大した儲けにもならないでしょうよ。
「売れたらいくらか渡すよ」
「別にいいですよ。本職が儲けてください。わたしは、商人を目指しているわけじゃないので」
先立つものは必要だけど、お金持ちになりたいわけじゃない。商売に人生を捧げたくないわ。
「欲は持っていたほうがいいぞ。無欲はときに猜疑を生むからな」
「そういうもんなんですか?」
「欲深い者は特にな。無欲な者が一番信じられないって生き物だからな」
「なんだか難しいですね」
人生の大半をベッドの上で過ごしてたから人のこと、あんまりわかんないのよね。
「その辺は子供なんだな」
「わたしは子供ですよ」
「普通の子供は自分を子供とは言わないものだよ」
うーん。難しいものね。前世の歳を足したって十六にも満たない。人生経験皆無。子供としか言いようがないわ。
「まあ、体も動かしてお腹も空いたでしょうからハンバーガーを作りますね」
「ああ、そうだったな」
「じゃあ、すぐに作っちゃいますね。ティナ、明日の用意をお願いね」
「わかった」
さて。ちゃっちゃと作っちゃいますかね。
ハンバーガーの評価は二重丸。ローダルさんもハンバーガーの虜となってしまった。
ただ、パンを焼く用の窯はないので、お風呂を造る職人さんにピザ窯を造ってもらうことにした。
それまではお城での販売が終わったらパン屋に回って丸パンを買って帰った。
「この世界、イースト菌ってないのかしら?」
パン屋で売っているパンはバゲットみたいなものやカボチャくらいある黒パンとかしかなかった。白くて柔らかいパンは売ってないのよね。
作り方はぼんやりと覚えているから作ろうかと思ったけど、なんで知っているか問われたら答えられない。作るなら皆が納得出来る下地を作らないとダメでしょうよ。この世界には酢があるんだからいくつかの段階を踏めば作れるはずだわ。
ハンバーガーも正確に言うならサンドイッチだ。まあ、誰もハンバーガーって知らないんだからハンバーガーと呼んでいるわ。
「どこかに薄い鉄板って売ってないですかね? それがあるとお城で焼けるんですけど」
「そうだな~。伝手はあるから相談してみるよ」
ローダルさんに相談したら伝手があると言うのでお願いしたら次の日には持って来てくれた。この人、伝手が多くない?
疑問に思ったけど、どうせ答えないだろうから気にしないことにした。
鉄板に油を垂らして馴染ませ、何度かクズ野菜で焼き慣らし、充分馴染んだら試しに肉を焼いてみた。まあ、やっているのはお母ちゃんなんだけどね。
お母ちゃんからオッケーが出たらお城でパテを焼き、薄く伸ばしたチーズを乗せてパンで挟める。これでどうだ!
なんて売り出したら次から次へとお客さん(兵士さん)が来て、持ってきたパテがあっと言う間に使い切ってしまった。
大盛況! なのはよかったのだけど、人気すぎて真似をする人が増えて豚肉の値が上がってしまった。
「困ったな。どうする?」
「どうするの?」
二人がわたしを見る。いや、どうすると言われても困るよ。わたしは猫型ロボットじゃないんだからさ。
「あ、豚肉を食べるなら腸詰めってありますよね?」
確かソーセージって豚の腸で作ってたよね? お肉屋さんでは売ってなかったけど。
「ああ。ミリーズ商会で売っているよ」
なんでもミリーズ商会の専売ってことになっているようで、屋台では売ってないんだってさ。
そのミリーズ商会に行くと、いろんな腸詰めが売られていた。が、なかなかの値段なのね。フランクフルトサイズのが銅貨二枚よ。
「買う人いるんですか?」
「結構買うぞ。まあ、大概、酒を飲むヤツが、だな」
酒のツマミってヤツか。お父ちゃんが飲まないからうちでは出なかったのね。
「銅貨二枚か。それだと銅貨七枚か八枚くらいにしないと損しちゃいますね」
材料費だけで銅貨三枚。人件費で銅貨二枚。純利益(?)は銅貨二、三枚ないとダメよね。
「お嬢ちゃんは、そういう計算も出来るんだな」
「え? 当たり前なんじゃないですか?」
「少なくとも当たり前ではないな。商売をしていても出来ないヤツはいる」
それは商売に向いてないのでは?
「……そういうものなんですね……」
やはり基礎学習がないと考えもつかないものなのかしら? そんな小説を読んでいたときは異世界人を頭悪くしすぎじゃない? とか思ったけど、出来る人は限られてくるものなのね……。
「まあ、そんなことより、銅貨七枚、いや、八枚を出して食事をする人っているものなんですかね?」
「それは料理次第だな。少し稼いでいるヤツなら飲み屋で銅貨十枚は使うし、そこまでじゃないヤツでも何日かに一回は贅沢したいと思って使うヤツもいるからな」
「駆け出し冒険者なら買わないってことですね」
「ま、まあ、そうだな」
そうだとすると銅貨八枚は二千円くらいになるのかしら? でも、お風呂使用量は銅貨二枚だ。ってことは、銅貨一枚は二百円くらいってことになるのか? 小銅貨は二十円?
どうも前世の記憶があるから前世の常識に引っ張られるわね。この世界の感覚に頭を合わせないと考えが狂っちゃうわね。
「で、腸詰めを売るのか?」
「いえ、焼いたパンの上に腸詰めを切って並べてマー油をかけて売ろうかと思います」
ホットドッグには出来ないのでピザ風に仕上げましょう。まあ、これもお母ちゃんにお願いするんだけどね!
「何か美味そうだな」
「キャロ、食べてみたい」
食いしん坊キャラになってない、この二人?
「はいはい。おじちゃん、切って焼いたら美味しいのってどれですか?」
「おう、それならマルリーラだな」
へー。ちゃんと名前があるんだ。
「じゃあ、それを十本と茹でたら美味しいものを二十本ください」
「あいよ!」
八百屋みたいなノリね。結構老舗っぽいのに。
銅貨五十枚のところを大量に買ってくれたってことで銅貨四十五枚に負けてくれたわ。
「また買いに来てくれよ」
「はい。豚肉が高くなっているので値上げしないでくださいね」
「うちは牧場を持っているから値上がりすることはないよ」
牧場を持っているなんて凄いわね。自社ブランドを大切にしているのかしら?
「それなら毎日買いに来ますね。あ、豚肉も売ってもらえるんですか?」
「欲しいってんなら売るさ。もちろん、値上げしてないから安心しな」
うん。次からは愛用させていただきましょう。
ピザパン(と命名しました)は二人に好評で、試しに銅貨八枚で売り出したら即完売となってしまった。
「まさか完売するとは思わなかったわ」
「いや、お嬢ちゃんが売るものは他のよら美味いからな。知っているヤツは迷わず買うさ」
作っているのはお母ちゃんなんだけどね。
でもまあ、売れるというなら量を増やすとしましょう。腸詰めは品切になることもなさそうだしね。
「チーズ多めってのもいいわね」
ありがたいことにチーズはかなり昔からあるようで、コンミンド伯爵領でも結構作られているそうだ。まあ、チーズもお酒のツマミになるものらしく、うちの食卓には上がらなかったわ……。
「焼いたチーズがこんなに美味いとはな。損した気分だ」
なぜ焼かなかったのが不思議で仕方がないわ。こんなに食に魅了された人が多いってのにね。いや、わたしが目覚めさせちゃったのかな?
八割ピザパン。二割芋餅になってしまった頃、綺麗なドレスを着た十歳くらいの女の子が侍女らしい女性を連れて現れた。
「サーシャ様」
と、ローダルさんが口を開いた。様ってことは確実に伯爵様より下の立場の人なんだ。
「ローダル。久しぶりね。何か美味しいものを売っているそうじゃない。わたしにもいただけるかしら?」
何やらフランクなお嬢様ね。歳の割りに賢そうでもあるわ。
「サーシャ様がいただくようなものではありませんよ」
貴族のお嬢様はどんな豪華なものを食べているのかしら?
「とても人気があるらしいじゃない。わたしも食べてみたいわ」
お嬢様の後ろにいる侍女さんが小さく頭を下げた。
「わかりました。チェミー。何か包めるものはあるか?」
包むもの? この時代に何か包むものなんてあるの? 布? あ、包むものはないけど、お皿があったわ。
鞄からお皿を出してピザパンを置いた。これでいいでしょう。
お皿を差し出すと、侍女さんが受け取ってくれた。
「ありがとう」
くるりと背中を見せてお城に戻って行った。
「……相変わらず困ったお嬢様だ……」
どうやらアクティブなお嬢様のようだ。あれでは普通のお嬢様では相手出来ないかもね……。
「みゃあ~」
ん? なに? え、猫? この世界、猫がいるんだ。
「お嬢様の猫だ。いろいろ出歩いているから捕まえたりするなよ」
捕まえたりはしないけど、なんて猫かしら? ずっと病院暮らしだったから猫に詳しくないのよね。別に猫好きでもなかったしね。
「やっぱり貴族が飼う猫は毛並みがいいですね」
全体的に灰色だけど、足先だけがオレンジ色っていう、なかなかファンタジー感があること。
「腸詰め、食べる?」
ご主人様が食べてペットが食べられないのは可哀想よね。食べちゃダメなものは知らないけど、この時代では長生きも出来ないでしょう。美味しいものを食べて太く短く生きなさいな。
「みゃあ~」
切った腸詰めを鼻先に出すと、パクっと食べた。
「美味しい?」
「みゃあ~」
何だか美味しそうに食べる猫ね。いいもの食べさせてもらってないのかしら?
腸詰め一本分食べたら満足そうに前足で顔を洗って帰って行った。
「自由よね」
まあ、自由には自由なりの大変さがあるもの。あんたもご主人様に捨てられないようがんばんなさいよ。
お嬢様が帰ったことで波のように去って行ったお客さんが戻って来た。
また忙しくなり、完売をしたら材料を買って帰る。お嬢様のことも忘れて商売を続けていたらお嬢様の来る頻度が増えて行き、等々毎日来るようになった。
お嬢様が来ることで話すことも増えていき、仲良くなれた、ような気がしてきた。
年齢は同じだけど、やはり身分がある人は教養があるな~と思わせる。まあ、アクティブな性格がそれを邪魔しているところもあるけどね。
お嬢様が来ると他のお客さんが波のように引いていくのが困ったものだけど、誰も文句を言えないのだから仕方がない。帰る時間がちょっと遅くなるだけよ。
「お嬢様。そろそろ」
侍女さんの言葉にがっかりとしながらお城に戻って行くお嬢様。何だか自由はないみたいね……。
「その分、あんたが自由ってわけか」
お嬢様には自由はなく猫には自由がある。農民の子に生まれてよかったわ。
「みゃあ~」
「はいはい。あんたの分はお嬢様にもらっているから好きなだけ食べなさい」
昨日から豚肉が買えたので、ハンバーガーのお肉だけあげた。
「みゃあ~」
満腹になったらハイ、さようなら。猫って現金な生き物よね。
「そろそろ城に上がる準備をしないとな。まだ秋も半ばですよ?」
「お嬢ちゃんたちがいなくなったら屋台も終わってしまうだろう。それじゃ買いに来てくれるお客さんに申し訳ない。次のヤツを探さなくちゃならんだろう」
言われてみれば確かにそうね。これだけ買いに来てくれているのに今日で終わりは無責任すぎるわ。ちゃんと後継を残してから去らないとね。
「誰か当てがあったりするんですか?」
「ちゃんと考えてあるよ。そのためにおれがお嬢ちゃんたちに教わっていたんだからな」
あ、学ぶために付いて来てたんだ。暇なのか? とか思ってすみません。まあ、口にすると怒られそうなので「さすがです」とよいしょしておいた。
次の日にわたしたちの後を継ぐ人たちがやって来た。本当にこの日のために用意してたのね。仕事が早い人だこと。
ローダルさんが連れて来たのは十五歳くらいの女の子──お姉さんが二人で、ローダルさんの知り合いの飲食店で働いていたそうだ。
ミリアとロミニーって名前で、幼馴染みの関係とか。冒険者としての登録もしているんだって。お城の広場に入れるのは商人や冒険者、許可を得た者だけの決まりがあるそうだ。
……緩いようでちゃんと決まりがあったのね……。
二人とも飲食店で働いていただけはあり、特にミリアは厨房で働いたとかで一時間もあればサンドイッチやハンバーガーを作るのを覚え、勘定や接客はロミニーが優れていた。
「長く働いている人は覚えも違いますね」
「そりゃ五年以上働いていたら当然だ。お嬢ちゃんのように最初から出来るほうが間違ってんだからな」
「わたしは見よう見真似でやっているだけですよ」
「見よう見真似でも九歳の子は出来ないからな」
そんなものなの? 同年代がティナしかいないからわからないわ。そのティナも無口だけど、スペックは高い。読み書き計算が出来て弓や剣まで使える。わたしなんて器用で物怖じしないってことぐらいしか自慢が出来ないわ。
まあ、わたしは前世の記憶を思い出した特異存在。他の人と比べても仕方がない。異常に思われない程度に過ごして行きましょう。
二人が慣れるまで一緒に行動し、お客さんに周知したらお城に上がる準備を始めた。
と言ってもお城に上がるとき用の服は用意してあるし、日頃から身綺麗にはしている。言葉使いもそう悪いものではない。ローダルさんにお城に上がるときの心得を聞いて、ティナと一緒に予行練習をするくらいね。
ローダルさんがお城に行き、話し合いをしてきて五日後に行くことになった。
「まずは侍女からの学んで勉強をする。お嬢様の相手をするのはそれからだな」
ちゃんと考えているのね。って、当たり前か。貴族から選ぶんじゃなくて平民から選ぶんだからね。
日帰り宿屋の手伝いをしながら待っていると、ちょっと豪華な箱馬車がやって来た。
箱馬車から降りてきたのはお嬢様の背後にいた侍女さんだった。
「こちらはマリー・ロンテル様だ」
侍女は爵位のある奥さんや娘しかなれたい人で、ローダルさんが様と付けているならかなり地位のある人なんでしょうね。
「キャロルです。よろしくお願いします」
「ティナです。よろしくお願いします」
あまり畏まった挨拶はせず、ただ行儀よくお辞儀して名乗った。
「マリーです。あなたたちの教育はわたしがします。励むように」
はいと、はっきりと答えた。
「これから参りますが、用意は?」
「出来ております」
時計がないので朝から待機してたわ。ちなみに今は午前の十時くらいです。
「用意がいいですね。ローダル。ここからはわたしが引き継ぎます」
「はい。よろしくお願い致します」
何だか顔見知りってより長い付き合いがある感じね。ローダルさんはどんな裏の顔を持っているのかしらね?
「お母ちゃん、行って来るね」
「ああ。粗相しないようにね」
「うん。ちゃんと勤め上げて来るよ」
「ティナ。キャロがバカしないよう見張ってておくれね」
わたし、バカなんてしたことあった? 迷惑なんてかけてないよ。
「任せて」
なんだろう。このティナのほうが信頼されている感じは? わたし、そんなにダメな娘だった?
出発前にモヤモヤさせてくるけど、発散することも出来ないので大人しく箱馬車に乗り込んだ。
お母ちゃんやローダルさんに見送られて箱馬車が発車。沈黙が支配したままお城に到着した。
……何の拷問だったのかしらね……?
箱馬車が停まったのは玄関前ではなく、従業員出入口的なところだった。まあ、わたしたちはお客様じゃないしね。下働きみたいものでしょうよ。
「こちへ」
マリー様の後に続きお城の中に。案外、暗いのね。まあ、要塞みたいなお城だしね。頑丈に作っているから仕方がないか。
通された部屋は窓のない部屋で、ベッドが二つに机が一つの質素なところだった。
「今日からここがあなたたちの部屋よ。蝋燭は一日四本まで。服はそこに掛かっているものを着なさい。下着は自前のを使って自分たちで洗濯しなさい。まあ、ここは寝るための部屋。大体はお嬢様と過ごしてもらうわ」
寝るだけの部屋なら窓がなくても問題ないとは言え、なかなか環境の悪いところだこと。お城暮らしは想像以上に大変みたいね。
「部屋は自由に使っていいのでしょうか?」
「汚さしたり破損させたら給金から引きます。そうでないのなら好きにして構いません」
「わかりました。ありがとうございます」
マイナスにしなければ問題ないってことね。了解です。
「まず、その服に着替えなさい。城内を案内します」
マリー様が部屋を出て行き、わたしたちは顔を見合わせた。
「何だかわくわくするね」
「……この状況でわくわく出来るのはキャロだけだよ……」
「そう? 自由にしていい許可を得たんだよ? 快適にしなくちゃウソじゃない」
そのためにいろいろ鞄に詰め込んできた。寝るだけの部屋なんてもったいない。わたしたちの部屋を作って行こうじゃないのよ。
「さあ、さっさと着替えてお城の探索と行こうじゃない」
「案内されるだけでしょ」
「同じようなものよ」
自分でするか案内するかの違いだけ。わたしはどちらでも構わないわ。
マリー様に一通りお城の中を案内されたら伯爵家の説明を受けた。
領主様には正妻と第二、第三夫人がいて、第二夫人はミロム村に。第三夫人はサイルズ村の館に住んでいるそうよ。
お嬢様は領主様の二番目の子で、上に十四歳の兄がいて下には五歳の弟がいるそうだ。
基本的なこととは言え、子供に話していいことなの? 知っておかなくちゃならないことなの? どう言った理由で話すんだろうね?
でもまあ、人間関係を知っておいて損はないか。藪を突っ突いてヘビを出す必要はないんだからね。
「あなたちにはお嬢様と一緒に学んでもらい、お嬢様が育つために動いてもらいます」
「それは、学業的ですか? 精神的にですか? それとも己の限界を教えるためということですか?」
何を目指すかに寄って変わってくるわ。
「お嬢様はいずれ嫁がれます。貴族として生きる術や覚悟は家庭教師が教えます。あなた方がやるべきことはお嬢様に民の考えや過ごし方を教えてもらいます」
「つまり、コミ──対人関係が円滑に出来るよう育てよ、ということですか?」
貴族もコミュニケーション能力は大切ってことかしら?
「ローダルが紹介してくるだけはありますね。お嬢様は、同年代の友人がいません。それどころか同年代の同性がいません。十五になれは王都に向かい、三年間、学園に通う必要があります」
学園? この時代に学園なんてあるの? 時代的にそんなものあるとは思えないのだけれど? まさか、わたしって漫画かアニメの世界にでも転生しちゃったの?!
「それまで集団生活を学ぶ必要があるのです」
「その、学園とやらには上下関係があるんですか?」
伯爵はかなりの地位だと思うけど、その上の爵位もあるはず。下にいる者を付けるだけでいいの?
「あります。が、それは旦那様や奥様が教えます。あなたたちが心配することはありません」
「気にしなくてよい、ということですか?」
「気にすることがありますか?」
「お嬢様の言葉は絶対。否定することは出来ない。下の者は自分の言うことはすべて聞くものだと思い込ませることになるのではないですか? お嬢様より上の方が戯れて貧しい格好をしてお嬢様に近付いたとき、悪い印象を与えるのではないかと思います」
仮にこの世界が漫画かゲームの世界なら、そんなバカげたことをする者がいても不思議ではないわ。まあ、お嬢様に関係があるかは知らないけど、傲慢な性格を助長する行為は止めておいたほうがいいんじゃないかしら?
「考えすぎでしたらすみません」
ちょっと言いすぎたと思って謝罪した。わたしは別にマリー様と言い合いがしたいわけじゃないんだしね。
「いえ、あなたの言葉はもっともだわ。世の中には困ったお方もいますからね」
まるで近しい者にいるみたいにため息をついた。
「お嬢様を人格者に育てる必要はありません。賢く生きられる方に育ってもらいます」
「わかりました。お嬢様のために働かせていただきます」
何となくではあるけど、マリー様の言いたいことはわかった。要はお嬢様をまっとうに育てること。そのための要員としてわたしたちが選ばれたってことだ。
「細かいことはその都度指示をします。これからお嬢様の家庭教師に挨拶してもらいます」
家庭教師に? 何故かはわからないけど、マリー様に付いていき、上層部の部屋に連れて行かれた。
その部屋には四十過ぎくらいの上品な女性がいた。
「お嬢様の家庭教師であるナタリア婦人よ」
「キャロルです。よろしくお願いします」
「ティナです。よろしくお願いします」
恐らくこの人も貴族。お上品にお辞儀した。
「なるほど。あの方が推してくるだけはありますね。本当に農民の子なの?」
「はい。間違いなく農民の子です」
わたし、疑われていた? まあ、大切なお嬢様の側に付かせるんだから調べるか。ローダルさんがいたのはそれもあったんでしょうね。
「生まれに関係なく賢い子はいるものね」
「少々、異質な賢さですが、性格に問題はありません」
「あなたが言うなら間違いないようね。わたしは、お嬢様の家庭教師をしているロイター・ハイク男爵の妻、ナタリアよ。よろしくね」
男爵夫人ってことか。なら、マリー様はなんだろう? 男爵の下って何?
「よろしくお願いします、ナタリア様」
「よろしくお願いします」
「では、さっそくだけど、あなたたちの実力を見せてもらうわ」
席に座らせ、自分の名前と簡単な足し算を記された紙を配られた。
……マジか……?
疑惑が確証に変わった瞬間ってこのことを言うのかしらね? この世界は漫画かゲームが元になっているわ。
数字がアラビア数字で+と=があるとか異世界にしたって都合がよすぎるでしょう。それともパラレルワールドだとでも言うの? 文字が英語っぽかったから考えもしなかったわ。
「難しいかしら?」
「あ、いえ、よく出来ていると思います」
計算ではなくこの世界が、ね。なんとも都合よく出来ているわ。元の世界のものが上手く交じり合っているんだから……。
「そう? 計算を習ったことのないあなたたちには難しいかなと思ったのだけれど」
小学一年生でも計算出来るような問題だし、文字を教わるお返しとしてティナには計算を教えた。自頭がいいティナは九九もすぐ覚えちゃったけどね。
これは、わたしたちの学力を見るというより解けない問題を前にどんな行動をするかを見ているのね。
わかりすぎてどんな行動をしていいかのほうが難問だわ。仕方がない。ここは素直に解いておくとしましょう。不思議がられたらそれはそれよ。解いてから考えるとしましょう。
学習能力が終われば遅めの昼食だ。
元の世界の影響か、食事は一日三食であり、十時と三時におやつがあるそうだ。
時間どうしてんの? と思ったら、玄関に大きな時計が鎮座していた。
……時計を作る技術はあるんだ……。
どんな技術進化してるんだ、この世界は? コンミンド伯爵領が遅れているの?
お城で出された食事は質素なものだった。
「お嬢様がハンバーガーやピザパンを買いに来るのもわかるね」
「家にいたほうが美味しいもの食べれた」
不満気なティナ。まあ、グルメなところあるからね、今さら質素な食事は我慢ならないでしょうよ。
「部屋に帰ったらハンバーガーを出してあげるから我慢だよ」
念のため、鞄にはハンバーガーやピザパン、芋餅などたくさん入れてきた。部屋でなら遠慮なく食べられるでしょうよ。
「夜が待ち遠しいよ」
しょんぼりしながらも質素な食事をすべて食べた。食べないと力が出ないからね。
食事は時間が決まっているのでさっさと食べ、歯を磨くために水場に向かった。
漫画かアニメの世界なら歯ブラシも発明されて欲しかったけど、そんな設定はどうでもよかったのか、木を割いて柔らかくしたもので磨くしかなかった。
でも、子供の歯茎には凶悪なので、猪の毛で歯ブラシを作ったわ。
なかなか作るのに手間はかかったけど、歯茎にも優しく、わたしの付与魔法(イメージ)で汚れ落とし、歯を強化を施したわ。お陰で歯磨き粉がなくてもすっきり。歯医者いらずよ。
さっと磨いたらポーチに入れて待ち合わせの場所に向かった。
マリー様はまだ来てないようなので、クシを出してお互いの髪をとかし、衣服を直した。
お互いにチェックをしてマリー様が来るまで行儀よくして待った。
しばらくしてマリー様と側仕えと思われる女性がやって来た。
このお城には侍女、側仕え、下女がいて、お城の裏方の仕事をしているそうだ。
わたしたちはお嬢様のお友達と言う役目で雇われた身だ。まあ、情操教育担当の側仕えみたいな感じね。
「これからお嬢様へ挨拶となります。粗相のないように」
「「畏まりました」」
指示を受けたら「畏まりました」が基本。出来ません、わかりませんは禁句。わからない場合は一旦ウケイレテ上の者に尋ねろ、だってさ。
「では、行きますよ」
マリー様と側仕えの女性の後に続いてお嬢様の部屋に向かった。
お嬢様の部屋は上層部の一番上。伯爵家の方々だけが住む階にある。
この階は基本、侍女と一部の側仕えしか入れないようで、それ以外の者がいたらすぐに衛兵に知らせるようにするんだってさ。
所々に衛兵さんが立っており、わたしたちのことはちゃんと伝えてあるそうよ。
お嬢様の部屋の前まで来ると、マリー様が振り向いて短く「がんばりなさい」と告げた。
今さら? とは思ったけど、わかりましたと無言で頷いておいた。
「お嬢様。二人を連れて参りました」
マリー様が呼び掛けると、中から扉が開いてナタリア婦人が現れた。
中に入るよう勧められ、わたしとティナだけが部屋に通された。
「お嬢様。今日からお嬢様と一緒に学ぶキャロルとティナです」
お嬢様の前に立ち、ナタリア婦人がわたしたちを紹介した。
「今さらだけど、わたしは、サーシャ・コンミンドよ。よろしくね」
「キャロルです。よろしくお願い致します」
「ティナです。よろしくお願い致します」
スカートの裾をつかんで軽くお辞儀をする。
「では、こちらでお茶でも飲みながらお話を致しましょうか」
窓際にある四人用の丸テーブルに着き、ナタリア婦人自らお茶を淹れてくれた。
「二人はよくわたしの相手を引き受けてくれたわね。どうして?」
お茶が出る前にお嬢様のほうから切り込んできた。
「勉強がしたかったからです」
「勉強?」
「はい。わたしは農民の子なので知識ある人から学ぶことは出来ません。商人に弟子入りすることも考えましたけど、わたしたちは冒険者になって旅がしたいので商人にはなれません。どうしようか考えているときにローダルさんと出会い、お嬢様のことを紹介されました。世間や領外のこと、この国のことを学ぶにはお嬢様の元に来るのが一番だと思ったのです」
「わたしを利用しようと考えたわけだ」
「はい。なのでお嬢様もわたしたちを利用してください。わたしたちに教えられることがあるなら惜しみなく出させていただきます」
お嬢様は賢い。下手なウソは反って不興を買う。この方には正直にぶつかったほうがいいと思うのよね。
「ふふ。あなた、おもしろいわね」
興味深そうに、でも、楽しそうな顔でわたしを見ていた。
「お嬢様もおもしろいと思いますよ。農民の子相手に壁を作らず、見下すこともしない。それは、自分の立場をわかっているからではないですか?」
先天的か後天的かはわからないけど、お嬢様は自分の位置や立場を理解している。自分のいる場所が絶対ではない、とね。
「キャロは、たまにズバッと言うところがある。不快になったら正直に言ったほうがいいです」
黙っていたティナが口を開いた。
「ティナも結構、ズバッと言うわよ」
「言わないとキャロは突っ走るからね」
た、確かにそうかもね。前世のわたしの性格じゃないからキャロルとしての性質だわ。
「ふふ。無口な子かと思ったら、あなたもあなたでおもしろいわね」
何て、お嬢様とは仲良くやっていけそうな感じで話は弾んで行った。
お嬢様の朝は意外と早かった。
わたしたちはいつも太陽が昇るくらいに、タワシが鳴くのでそれで起きる。
お城ではタワシがいないので起きれるかなと心配したけど、朝になると下女さんが鐘を鳴らして回るので全然起きられたわ……。
鐘で起こされたらすぐに起きて身だしなみを整える。
そしたらお嬢様の側仕え(二交代制で常に二人は付いているそうよ)のところに向かった。
夜のことを側仕えの方から聞いて、待合室でお嬢様が起きる時間まで待機する。
マリー様も起きて来て、一緒にお嬢様を起こしに向かった。
お嬢様の世話は側仕えの方がやってくれるので、わたしたちは壁の側で整うのを待つ。
顔を洗い歯を磨く。貴族でもその辺は同じなのね。歯ブラシは布を巻いたヤツと爪楊枝みたいなので磨く。貴族の世界でも歯ブラシは発明されてないようだ。
洗顔が終われば今日着る服に着替え、テラスに出て体を解したら縄跳びを始めた。
……ローダルさん、もう縄跳びを売り出したんだ……。
ただ、まだ上手く跳べないようで、三回くらい続けるのがやっと。それでも十分くらい続けた。
軽い運動でも息を切らしてしまうとは、お嬢様ってそんなに動かないものなね。
今日はお嬢様の一日を知るための日なので余計なことは言わない。十五分くらいで終わったらお湯が運ばれてきて側仕えの方が体を拭いた。
……お風呂はないんだ……。
伯爵家のお嬢様となると自分では洗わないようで、最初から最後まで側仕えの方が行った。
体を清めたらまたお着替え。事ある毎に着替えるとか大変よね。無駄なんだことばかりたわ。
次は朝食かと思ったらお茶だった。水分補給ってこと?
わたしたちも同じテーブルに着いてハーブティーっぽいものを飲む。
「不思議な味ですね」
余計なこと言っちゃダメかと思ったけど、初めて口にする味に思わず言葉にしてしまった。
「紅茶を飲むのは初めてなの?」
「紅茶? 紅茶ってこんな味をしていたんですね」
漫画かアニメな世界なようで味まで同じには出来なかったようね。まるでコーヒーだわ。
「お嬢様はこれが好きなんですか?」
「あまり好きではないわ。苦いし」
「砂糖と羊乳を入れてはどうでしょうか? まだ飲めるものになると思います」
これからわたしたちも飲まなくちゃならないのかと思うと黙っていられないわ。
「美味しくはならないの?」
「配分さえわかれば美味しくなると思います」
砂糖も羊乳も飲んだことはないけど、手に入るものではある。バイバナル商会であるのは見たわ。
「マリー。用意してくれる? わたしも美味しいものが飲みたいわ」
「畏まりました。キャロル。次からあなたがお嬢様にお茶を用意しなさい」
わたしが? と言いかけて無理矢理飲み込んだ。
「畏まりました」
としか言いようがないんだからね。
今日は苦いだけの紅茶を飲み、朝食の時間になったらお嬢様は食堂に向かって行った。
「ふー」
思わず息を吐いてしまった。
「余計な口を出して申し訳ありませんでした」
側仕えの方も残ったので、余計な口を出したことに謝罪した。恨まれても嫌だしね。
「いいのよ。余ったものはわたしたちが飲まなくちゃならないからね。美味しくなるならそれに越したことはないわ。あの紅茶、本当に苦いから」
側仕えの方もあれには辟易していたそうだ。でも、貴族としての嗜みとかで飲まなくちゃならないとか。でも、お嬢様は嫌いなそうで、その余りは側仕えの方々で処理しなくちゃならないんだってさ。もったいないってことでね。
……絶対、この世界の元になっているのは日本人だわ……。
「さあ、わたしたちも食事を済ませるわよ」
お嬢様が朝食している間、側仕えの方が一人残り、もう一人の方と朝食を摂るそうだ。
昨日でわかったけど、やはりお城の食事は質素なもの。パンと野菜スープが基本で、朝はチーズが付いていた。せめて玉子焼きを出してもらいたいものだわ。
お嬢様たち伯爵一家の食事は長いそうなので、朝食はゆっくり食べられるそうだ。
体感で四十分。また歯を磨く。
「それ、何なの?」
歯ブラシで歯を磨いていたら側仕えの方に歯ブラシのことを訊かれたので教えた。別に秘密でもないし、秘密で使うこともできないからね。
「どこで買ったの?」
「自分で作りました。わたし、手先が器用なので」
「これ、もうないの? あれば売って欲しいのだけれど」
「代えが一本あるのでいいですよ」
猪の毛はまだあるし、木材も鞄に入れてきた。作るのは難しくないわ。
「銅貨五枚でいいですよ」
余った材料で作ったものだけど、屋台でお城で働く人の給料がどのくらいか大体は把握できた。側仕えの給料なら銅貨五枚くらいは余裕で出せるはずだわ。
「そんな値段でいいの?」
「家に帰れば予備がありますので」
ずっとお城に缶詰めってわけじゃない。七日に一回は家に帰られるそうよ。あと、何か行事があってお嬢様がいないときも休みになるそうだ。
歯ブラシの使い方を教え、すっきりしたようで、また売って欲しいとお願いされた。
了解し、お金は後で、ってことで、お嬢様の部屋に向かった。
お嬢様が朝食から戻って来たら欲張り猫を抱いた。
「この子はルルよ」
「にゃにゃー」
よろしくとばかりに鳴くニャンコ。この子、やけに人間臭くない? ファンタジーな世界の猫は知能が高いの?
抱えていたルルを床に下ろすと、窓際にあるソファーに向かい、丸まって眠ってしった。ほんと、自由よね。
「おはようございます」
と、ナタリア婦人が入って来た。
家庭教師のナタリア婦人もここに住み、礼儀作法も教えているようで、伯爵一家の食卓も一緒にするそうだ。
今日は文字の練習なようで、わら半紙みたいな紙に羽根ペンで見本を見ながら書いていく。
……書き難いわね……。
テーブルは高級なものなんでしょうけど、長年使っているから凹凸が出来ている。
「どうしました、キャロル?」
「あ、ナタリア婦人。薄いガラスってありますか?」
この時代、ガラスが普通にあり、至るところに使われている。完全に透明なガラスが作れるとか技術がアンバランスよね。
「ガラス? どうするの?」
「紙の下に敷こうかと。それなら書きやすいと思いました」
プラスチックがないならガラスを下敷きにするとしましょう。あれば、だけどさ。
「それ、いいわね。わたしも書き難かったのよね。ナタリア婦人、どうかしら?」
「わかりました。用意してみましょう」
そう言うと席を立ち、部屋を出て行った。なかなかフットワークの軽い家庭教師だこと。
しばらくして側仕えの方々がガラス板を四枚を持って来てテーブルに置いた。
わら半紙を乗せ、すらすらと書いてみる。うん。いいじゃない。
「とっても書きやすいわ」
お嬢様にも好評のようだ。
「こんな簡単なことに気付かないなんて」
ナタリア婦人も書きやすくなったことに驚き、今まで気付かなかったことにショックを受けていた。
それ以上、余計なことは言わず、文字の書き取りを続けた。
十時くらいになり、またお茶の時間となり、砂糖と羊乳が用意されて出て来た。
コーヒーや紅茶なんて淹れたときなんてないけど、まったく知識がないわけじゃないし、側仕えの方が淹れてくれるので、ちょっと黒めの砂糖を二杯と羊乳をカップ半分入れた。
まずはわたしが試飲。側仕えの方にも飲んでもらい、美味しいとの評価を得た。
ナタリア婦人にも飲んでもらい、合格が出たらお嬢様に出した。
「これなら何杯でも飲めるわ」
何杯も飲むものではないけど、あんな苦いものを飲まされていたら劇的に変わった紅茶、ミルクティー(味はカフェオレだけど)ならちょくちょく飲みたいわね。
「お茶菓子も欲しいですね」
お茶菓子文化がないのか、ただ紅茶を飲むだけだった。
「お菓子? キャロルはお菓子も作れるの?」
「簡単なものでしたら」
前世でも作ったことはないけど、クッキーなら見よう見真似で作れるはず。そこそこのものは出来るはずだわ。
「じゃあ、作ってもらおうかな。キャロルの作るものは美味しいからね」
「畏まりました。ナタリア婦人。時間を決めてください」
わたしたちに拒否権はない。なので、上位者であるお嬢様のパスを決定権のあるナタリア婦人に回した。
「……わかりました。まずは厨房と相談して、許可が出たら時間を決めます」
「畏まりました」
伯爵家の厨房なら見たこともない調味料を見ることが出来る。チャンスと思って料理人さんたちと仲良くなっておこうっと。
書き取り練習が終われば座学となった。
今日は領内の地理のようで、地図を見ながら各村の位置や特徴などを語ってくれた。
そう細かくではないけど、コンミンド伯爵家はそこそこ豊かな領地であることがわかった。
七つの村が集まる領地だから小規模かと思ったけど、気候と川が多くあるそうで、他が日照りで飢饉に陥ったときでもコンミンド伯爵領だけはそこまで危機に陥ることはなかったそうだ。
そのときのにかなりの財を稼げたようで、三つの村しかなかったのに、財を使って七つまで広めたんだってさ。
昔の伯爵様はやり手だったようね。それから農業に力を入れてきてたくさんいる伯爵の中でも上位には入っているんだってさ。
それなら王都にいたほうがいいんじゃない? とか思ったら、学園に入るまでは領地で過ごすのが一般的なんだとか。いろいろあるもなのね。
お昼になり座学は終わり。マリー様が入って来てお嬢様を食堂に連れて行った。
「午後は踊りの練習を行います。いずれあなたたちにも覚えてもらうのでお嬢様の動きをよく見ておきなさい」
踊り? ダンスってこと?
「ティナは、背があるから男役を覚えてもらうけど、女役の踊りも覚えてもらうわ」
「「畏まりました」」
これも承諾するしかないので、素直に答えておいた。
側使いの方と食堂に向かい、料理を配ってもらったらパンに野菜スープ、そして、ソーセージが二つプラスされていた。
「料理がショボすぎる」
「そう言わないの。夜までがんばって」
と言いながらもわたしも飽きてしまっている、ダメなほうに人間らしくなっているわ……。
「厨房に入れるようになったらちょっとずつメニューを増やして行くから今はがまんよ」
わたしもこれが毎日続くのは辛すぎる。美味しいものを食べてこそ人生だわ。
「わかった」
側使いの方の後に続いて食堂に向かった。
お菓子作りは先かなと思っていたらその日からだった。
……ナタリア婦人、どんだけ仕事が早いのよ……?
ま、まあ、許可を得たのなら従うのみ。側使いの方に案内されて厨房に向かった。
うん? 厨房って、わたしたちが食べているところの厨房じゃないの? ?顔で付いていくと、コンミンド伯爵家の方々の食事を作る厨房だった。
そこは四人部屋の病室くらいあり、料理人は四十くらいのおじちゃんと、三十くらいのおば──お姉さんがいた。
「こいつらがお嬢様の友達役か?」
呼び方、友達役なんだ。まあ、まさにそうなんだけどね。
「はい。お嬢様がお菓子を求めたのでこの二人に作らせるそうです」
「お前ら、菓子なんて作れるのか? 農民の子と聞いたが」
「はい、農民の子です。おか──母が料理好きで簡単なことは教わりました。お菓子もクッキーでしたら作れます」
懐疑的な目を向けるおじちゃんだけど、お嬢様からの命令となれば従わないわけにはいかない。とりあえずやってみろと厨房の一角を貸してくれた。
「小麦粉と砂糖、あと卵をください。窯は使えますか?」
わたしの注文にはお姉さんが応えてくれ、捏ねるのはティナに任せてわたしは窯の具合を見せてもらった。
「やはり、伯爵家の窯は熱の回りがいいですね。これでパンも焼くんですか?」
「いや、パンは仕入れる。パンまで作っていたら大変だからな」
そりゃそうか。パンの窯って大きいみたいだからね。
「パンを少しもらっていいですか? 窯の具合を知りたいので」
「好きにしろ」
平たい籠に入ったバゲットをもらい、薄く切り、チーズを乗せて蜂蜜をかける。悪魔トーストを作った。動画で観て食べたかったのよね。
「ティナ、あーん」
まずはがんばってくれているティナに食べさせてあげた。どうよ?
「美味しい! もう一つ!」
不味い! もう一杯! 的な感じではないけど、ノリはそれだった。
「おれにも作ってくれ」
料理人としての血が騒いだのか、おじちゃんもお願いしてきた。
まあ、バゲットはたくさんある。ダメとも言われないので一本使って皆の分を作った。
「蜂蜜とチーズの相性がこんなにいいとは思わなかった」
高カロリーだから食べすぎると太っちゃうけどね、とは言わないでおく。カロリーとか言っても説明出来ないしね。
「お嬢様にも出してあげてください。喜ぶと思います」
あまりわたしが口出すのも差し出がましいしね、わたしはお菓子だけを受け持つすることにしましょう。また厨房を借りたいしさ。
生地が出来たら寝かせたいところだけど、今日は試しみたいなもの。コップで型を取ったら薄い陶器皿に並べて窯に入れた。
熱が通るように皿を回しながら焼いて行った。
三十分くらいか、いい感じに焼けてきた。狐色になったかな? くらいで出して、余熱を取ってから試食。なんかいまいち。
記憶の彼方にあるクッキーの味を思い出すけど、やはりこんな味じゃなかったような気がする。もっと優しい味だったはずだわ。
「不満なの?」
「うん。もっと美味しくなるはずなんだよね。何が悪かったのかな~?」
「充分美味しいと思うけど?」
それは食べたことがないから言えること。知っているといまいちと感じてしまうのよね~。
「料理人としての感想を聞かせてください」
試食した料理人のおじちゃんに尋ねた。
「悪くはない。初めて食ったからどこがどうとは言えんがな」
「やっぱり寝かせないとダメなのかな~? それとも小麦粉が荒いんだろうか?」
薄力粉と強力粉とかよく知らないしな~。違うと味に関係あるのかな~? 知識がないからさっぱりわからないわ。
「まあ、悪くはないならお嬢様に食べてもらっても問題ないですよね?」
不味くはないのなら食べてもらっても問題ないはず。料理人のおじちゃんの許可を得たら食べてもらうとしましょう。
「そうだな。工程を見た限り、問題はなかったし、おれやここにいる者が食べて異常もなかった。出して大丈夫だ」
ってことで、お洒落な皿に移してお嬢様の部屋に持って行った。
お嬢様は踊りの練習をしているようで、部屋の中でクルクル踊っていた。なんか激しい踊りをしなくちゃならないようね、貴族の踊りって。
「お嬢様。クッキーを作りました。味はまだ改良の余地がありますが、そう悪くないものが出来ました」
「ナタリア婦人。お茶にしましょう」
完全に逃げたがっているけど、仕方がないとばかりにお茶にすることになった。
まあ、お茶を淹れるのはわたし。せっせと用意をして、少し苦めに淹れた。
「これ、クッキーと言うの?」
「はい。適当に名付けました」
クッキーの由来とか知らないし、適当に名付けたってことにしておきましょう。
「サクサクして美味しいじゃない! また作ってよ」
「畏まりました」
お嬢様はグルメと言うより食いしん坊って感じね。美味しいものをたくさん食べたいって。
「でも、砂糖をたくさん使っているので、食べたら歯を磨いて、よく運動してくださいね」
虫歯になったり太ったりしたらわたしのせいになっちゃうわ。
「太るのは困るわね」
「よく動き、汗をかくのがいいですよ。体を動かすのはいいことですからね」
わたしもよく動き、たくさん汗をかかないと太っちゃうかもしれないわね。味見って結構食べるからさ。