帰りもスイの昔の学校の前を通った。例の学校の生徒何人かとすれ違っても、スイはもう俺の後ろで怯えることはなく、昔の天真爛漫さを取り戻していた。
「こーちゃん、早くー! こっちこっち!」
 元気に俺の前を走る姿を見て、心底安心した。その瞬間、4人の取り巻きを連れた俺とよく似た髪色の生徒とすれ違う。
「なあ、今の門倉じゃね?」
「見間違いだろ」
 そう聞こえたような気がした。胸騒ぎがして思わず振り返る。いかにも意地の悪そうな連中が歩いていた。俺は拳を握りしめた。
「こーちゃーん、お土産買う時間なくなっちゃうよー!」
 スイの声にハッとした。屈託のない笑顔で俺を呼んでいる。ああ、そうか。スイは自分で乗り越えたんだな。
「今行く!」
 俺は走り出した。
 俺達は船に乗った。明日船が島についたら俺たちはまた日常に帰る。ずっと続いてほしいと願う日常がまた1日1日進み始める。
「ごめんね、ちょっとトイレ行ってくるから荷物預かっててもらってもいい?」
 船の後方出口付近にあるトイレは狭く、荷物をかける場所もない。俺はスイのリュックを預かった。

 突如、背後で爆音が鳴った。船が、震度7の地震でも起きたのかというくらい大きく揺れた。俺は転んで足を捻り、腕を強打した。振り返ると、数メートル先の甲板に穴が開いていた。何かが落ちてきたような跡だ。そして、もう一度大きな爆発音がなった。
「緊急事態発生、緊急事態発生。船内前方にて、火災が発生しました。船内後方の甲板に避難してください」
 足を引きずりながら、後方に向かおうとしたところ、穴の部分から火柱が上がった。火の向こう側で順番に救命ボートに避難している人たちが「隕石だ」と叫んでいた。そんなはずがあるかと思った。甲板の前方部から、後方部の間は区切られており、船内を経由しないといけない。早く避難しなければ。
 火の手が早い。冗談じゃない。こんなところで死んでたまるか。隕石が落ちる確率は何百万分の1%かだし、船舶事故の確率もそんなものだった気がする。だから、こんなことが起こりえるはずがないんだ。
 たまたま後方の出口近くのトイレにいたスイはすぐに避難できたようで、最初のボートに乗った姿が見えた。良かった。スイは無事みたいだ。俺はどうしようか。これは飛び込んだ方がいいのだろうか。ボート上のスイと目が合った。スイが立ち上がろうとするのを隣の人が制止した。
「バカ!来るな!そこで大人しくしてろ!」
 轟音の中、届いているかは分からないが俺は叫んだ。スイはほとんど泳げないのだから。直後、船が再度大きく揺れて、俺は海に投げ出された。泳ごうとしたけれども足も腕も動かない。
 思い出した。スイの父親が死んだ落雷事故も、宝くじ1等の当籤も、麻雀の天和も一般に隕石の衝突事故よりも確率が低いと言われていることだと。でも、それは確かに起こった。世の中に絶対あり得ないなんてことはないのだ。
 間接的にはじいちゃんが当てた宝くじのおかげで俺たち家族は暮らしている。ゲームだって人間関係だってラッキーの連続で、とにかく運のいい子供だった。大事な行事は必ず晴れた。世界が平等で、幸運の総量が同じだというのならきっと俺は一生分の幸運をもう使い切ったのだろう。
 少しずつ体温が奪われていく中で、走馬灯を見た。どのシーンでもスイの顔ははっきり見えるのに、流れ星の夜のスイの顔だけがよく見えない。あれは小学生のスイなのか、高校生のスイなのか。泣いていることだけは分かった。泣くなよ。もうお前は俺がいなくたって大丈夫なんだから。
「こーちゃんがいないと生きていけない」
 スイの声が聞こえた。記憶の中ではあの時崖から落ちそうになったのはスイなのに、俺の視界が反転して俺の方が夜へと落ちていく。
「こーちゃんっ!」
 スイの脳を揺さぶるような絶叫が聞こえた。スイが必死に手を伸ばしている。あの時とちょうど逆だ。俺が体験しているのは、スイの記憶なのか、俺の記憶なのか。俺が手を伸ばしてスイの手にかすかに触れると、スイは俺の手をしっかりと掴んだ。
「だから言ったのに。ちゃんと防水ケースに入れておかないとカメラ壊れるよって」
 俺のカメラは完全に水没して使えなくなっている。俺が何か言おうとしても声がうまく出なかった。
「これ、直しとくね。それまで僕のカメラ、使っててもいいよ」
 スイから緑のカメラを託される。最後の言葉は
「約束、覚えてる?」
 だった。



 搬送された病院で俺は目を醒ました。テレビでは事故の詳細が報道されていた。太平洋を運航していた船に宇宙からの落下物が直撃し、炎上・沈没。8月13日に打ち上げられた火星探査機はスペースデブリと衝突して破壊された。制御不能となった探査機は地球に墜落した大気圏突入の際に燃え切らず、甲板を貫通し、燃料の一部を爆発させた。死者、行方不明者多数。行方不明者一覧にはスイの名前があった。
 同じ病室に入院している人は、俺と同じ救助用ボートに乗っていたという。彼はその時の状況を俺に教えてくれた。俺を助けようとして、海に飛び込んだ少年がいると。少年は海に沈んでいった俺を海面まで引き上げたあと、力尽きて波にのまれて流されたと。
 嘘だ、嘘だ。そう叫びたかったけれど、声が出なかった。あまりの衝撃に涙も声も出なくて、ただただ苦しくて息ができなかった。
 ベッドの脇に置いてあった荷物は、スイから預かっていたリュックだ。防水ケースに入っていたカメラは無事だった。

 精密検査の結果、脳を含めどこにもダメージはなかったので退院して島に戻った。なのに、声は出ないままだ。心因性の失語症らしい。
 俺はスイのカメラを持って毎日海辺に行った。海の近くで待っていれば、スイがふらっと現れてくれるかもしれないことを願って。
「紅星君」
 スイのおばあさんに声を掛けられた。
「学校のお友達からここにいるって聞いたの。無理して喋らなくても大丈夫」
 事故の詳しい状況は知らない様子だったのに、俺の声が出ないことは誰が伝えたのか知っていた。
「これ、紅星君が持っててくれる?」
 スイが今までに撮った写真のSDカードと、部屋に大事に飾ってあったデッキケースと魚のマトリョーシカを渡された。カメラを返そうとすると、断られた。おばあさんは、スイの母親が俺を蛇蝎のごとく嫌っていることを知っていた。俺関係のものは母親に捨てられてしまうかもしれないと思ったからと、全部俺に託そうと思ったと。
「翠星と仲良くしてくれてありがとう」
 おばあさんに言わなければならないことがあるのに、声が出なくて引き止められなかった。

 スイが何十回も何百回も読み返したと言っていた手紙、俺は何を書いたっけ。マトリョーシカを開けると俺の汚い字で書かれた3枚の手紙が入っていた。
「お前はすごいやつだから絶対受かる。がんばれよ」
 小6のスイあての手紙だ。行くなと言えばよかった。そうしたらスイは中学でいじめられることもなかったのに。同じ過ちを繰り返した俺のせいで東大に行くことになった。行くなと言えば、東京に行くこともなかったのに。
 流れ星の翌日、俺は記念受験する兄貴の北海道の大学の学部を調べた。宇宙工学はあの大学でも勉強できたらしい。俺がちゃんと志望校合格圏内だったら、どこでもいいなら一緒の大学に行こうと言えたんじゃないだろうか。そうしたら、事故には巻き込まれなかったのに。
「スイはずっと俺の自慢の友達。忘れないから忘れんなよ」
 自慢の友達、これを中1のスイはどう受け取ったのだろう。小6の時の手紙と合わせて名門校に通う秀才という意味で受け取っていたら、そのせいでスイは逃げられずに無理して学校に通っていたんじゃないだろうか。
「たまには戻って来いよ。待ってるからな」
 中2の時、俺に会いに来ようとしたきっかけの手紙。スイはあの日、台風に阻まれたことがきっかけで心が折れた。俺が追い詰めていたんじゃないのか。

 スイは俺を助けようとして消えた。あまり泳げなかったのに無理をして消えた。あの事故は、俺の運命の帳尻を合わせるための事故だったのに、それに巻き込んだ。アンタレスは火星に対抗する者という意味がある。火星探査機の墜落事故で死ぬべきは俺だったのに。星空を愛したスイがケスラー・シンドロームの影響で死ぬなんてあってはいけないことだったのに。
 俺は昔スイの心を殺した。そして、また殺した。俺にスイを友達だという資格なんてない。
 9月に学校が始まっても俺は学校に行く気にはなれなかった。カーテンを閉め切った部屋で夜にだけ窓を開けて、スイの星を探した。
「スイを返してください」
 流れ星を見るたび声にならない息を吐き続けた。声がもし出るようになったとしても、声が2度と出ないくらいに枯れるまで叫び続けるのだと思う。

 スイの面影を求めてスイ俺に宛てたタイムカプセルの手紙を読み返した。
「カードゲームがこーちゃんと仲良くなれたきっかけでした。こーちゃんと2人で考えて作ったスターワールド、まだ遊んでくれていますか?僕も新しい小学校で流行らせようと思います。こーちゃん、友達になってくれてありがとう」

 小6の1年間はスイがいないせいでめちゃくちゃつまらなかった。周りに合わせて適当に遊んでいた俺は、誕生日の11月11日にこの手紙を読んで「久々にスターワールドやろうぜ」とクラスで言った。「2人で考えて作った」と言ったって、ほとんど全部スイのアイディアだった。

「中学生のこーちゃんは1年生でいきなり野球部のエースになっているのかな?かっこいいこーちゃんはずっとずっと僕のヒーローです。この手紙をこーちゃんが読んでいる時、ちょっとでもこーちゃんに近づけていたらいいな」

 1年生エース。そこの部分だけは正解だ。でも、俺が進学した第一中学の野球部は弱小で、第二中学との試合に1度も勝ったことがなかった。中学生の俺はやる気を失ってだらしなくなっていた。部活にも遅刻していたし、学校にも遅刻していた。
 ヒーローからも程遠かった。荒れている中学で、きっとスイのようにSOSを出していた人はいたのだろうけど、俺には何も周りが見えていなかった。

「この手紙を読んでくれてありがとう。中2のこーちゃんはきっと優しい先輩になっていると思います。世界で一番優しくて、頼りになるこーちゃんが大好きです。だからずっとこーちゃんはカッコイイこーちゃんのままでいてね」

 スイをいじめていたであろうあいつは、俺に雰囲気がよく似ていた。俺も一歩間違えれば、誰かをいじめていてもおかしくなかった。きっとスイと出会わなければどこかで人の道を外れていたと思う。
 スイの手紙があったから、万引きやいじめなど本当に悪いことはしなかった。でも、部活にも何にも一生懸命にはなれなかった。ダサくてカッコ悪い生き方をしてた。

 スイが俺に依存していると何も知らない周りは言った。でも本当はむしろ俺の方がスイに依存していた。スイが俺を肯定するから俺はまっすぐでいられた。
 ズベン・エス・カマリはてんびん座の星だ。すぐそばのさそり座のアンタレスとあんなに近くに見えるのにどれくらい離れているのかと調べようとしたら宇宙の論文がヒットした。難しすぎてよく分からなかった。スイならきっと分かるのに。
 論文の意味は全く分からなかったけれど、「ズベン・エス・カマリは古代ギリシャ時代にアンタレスより明るかったと報告されている」の記述が目に入った。

 写真を撮るのがうまくて、頭が良くて、何でも知っていて、絵がうまくて、遊びも運動もきっと全部俺よりずっとポテンシャルがあった。スイはただただ生き方が不器用なだけだった。本当は俺よりずっとすごいやつだった。星の世界に俺を連れ出したのも、東京への大冒険に俺を連れ出したのもスイだった。俺の隣にずっとあった翠色の星は俺の道標だった。一緒にいて楽しくて、誰より誠実で約束は必ず守るやつだった。

――お前が助けてって言ったら地球の裏側にいても助けに行ってやるよ。
 どの口が言っていたんだろう。スイが1番辛い時、島でへらへらしていたくせに。
――ずっとこーちゃんはカッコイイこーちゃんのままでいてね。
 スイがいなかった中学時代の俺はかっこよさからはかけ離れていた。
――今度はスイが辛いときは見つけ出して助けに行くから、お互い頑張ろうぜ!
 俺を助けてくれたスイを俺は海から助け出せなかった。スイのいない場所で頑張れるはずがない。卒アル委員も勉強も学校も全部投げ出して、ずっと散らかった部屋にいる。俺は結局、約束を1つも守れなかった。
 冬が来て、春が来てクラスメイトたちは卒業していった。俺は休学扱いということになっているらしい。
 写真ばかり見て、毎日を過ごしていた。俺が撮ったスイの写真は去年の春までのものだけだ。俺のカメラは海に流された。一方、スイのカメラは防水ケースに入っていたのでSDカードのデータも含めすべて無事だったので『スタンド・バイ・ミー』のような冒険の記録も、事故のほんの数分前の写真も残っていた。

 あっという間に夏がやってきた。世間はお盆だ。あの事故と同じ8月16日、吸い寄せられるように浜辺を訪れた。オカルトじみた願望と、もしかしてあの後スイは奇跡的に救助されて、そろそろ会いに来てくれるんじゃないかと流れ星よりも儚い期待を抱いた。夢でも幻でも何でもいいから会いたかった。
 ぼーっと海を眺めていると、シャッター音が聞こえた。

「こーちゃん」
 振り返ると、スイがいた。これは、夢なんだろうか。
「会いたかった」
 再会したあの日、泣きそうな声で言っていたのと同じ言葉を笑顔でスイは言った。俺は涙をこらえながら、17歳の冬に空の魚たちの下の2度目の約束を思い返していた。
――絶対お盆には帰ってくる。約束。
 そうだ。スイはこういうやつだった。絶対に約束を破らないやつだった。
「スイ!」
 あの時とは逆で、1年ぶりに発した俺の声が震えているのが自分でも分かった。
「こーちゃん、去年の東京楽しかったね。一緒に来てくれてありがとう。こーちゃんは楽しかった?」
 俺を責めるでもなく、恩を着せるわけでもなく、ただ「楽しかった」のフレーズでスイは、東京へ行ったことを肯定した。
――もう泣かない。約束!
 俺が約束を破り続ける中、どんなに辛くてもずっと約束を守り続ける強いやつだった。
「すげえ楽しかった。この先、何年たっても何十年たっても絶対忘れられないくらい楽しかった!ありがとうっていうのは俺だろ!」
 俺は声の限りに叫んだ。
「そっか。よかった。僕、やっと約束守れたよ。こーちゃんは約束、覚えてる?」
――……から、こーちゃんはずっとカッコイイこーちゃんのままでいてね。
 二学期になったら復学しよう。たとえ浪人したとしても、北海道の志望校を受けよう。遅すぎるけれども、世界はスペースデブリ回収プロジェクトに向けてどんどん動き出している。工学部に進学して、宇宙工学の勉強をして俺の手で星空を取り戻す。スイの星の光をずっと守れるように。スイが憧れだと言ってくれたカッコいい俺でいられるように。
「ああ、覚えてるよ」
 すっかり暮れた空。南の空のスイの星と俺の星のあたりが強く光った。そして、光った場所から流れ星が同じ場所を目指して流れて行った。光が描く軌跡は、軍神アンタレスと裁きのズベン・エス・カマリが一緒に泳いでいるようだった。
 11歳の冬、空の魚たちが夜空を泳ぐ中、俺は必死でスイの手を掴んで引き上げた。俺たちの手は、俺たちの声は空の魚を捕まえられなかった。でも、お互いの手は掴めるし、お互いの声は届いた。
――ねえ、こーちゃん、約束しようよ。
 小さな手と高い声で交わした約束。俺はあの日の約束を今度こそこの手で守ると、翠色の光を放つ唯一無二の星に誓う。

――いつか、今度は僕がこーちゃんのこと助けられるくらい強くなるから、こーちゃんはずっとカッコイイこーちゃんのままでいてね。

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