メリーゴーランドに乗った後は乗り物を見つけ次第、乗り続けた。
元々アトラクションがそう多くはないようで、それに空き具合も相まって午前中で全て乗り終えることが出来そうだ。
残っているのは入り口から最も離れた場所に位置しているジェットコースターと観覧車だ。
「まずジェットコースターに乗るか。後ろ向きもあるらしいけどどうする?」
私はジェットコースターが苦手なわけではないが、まだ心の準備が出来ておらず、それどころではない。
乗り物自体が怖いというよりも、動いたところを見ていないから、どのような動きをするのかが分からないという恐怖に襲われた。
だが、せっかくだったので、それを押し殺して、いいね、と提案に乗った。
透真くんの言っていたように、仮に故障が起きて宙づりで停止しようが絶叫のあまり心臓が止まろうが、夢から覚めればまた病室に戻るだけで命に関わることはない。
そのため、割り切って後ろ向きのほうを選んだ。
まず、その状況に居合わせるほうが稀だと思うが。
いざ待機場所に行くと私たちの他に客の姿は無く、それが益々恐怖心を増させる。
「これ貸し切りじゃない?」
隣の透真くんはこの状況に興奮が増しているようだった。
おそらく、2人で空を飛ぶ、くらいの感覚でいるのだろう。
乗り込んでからは時間がゆっくりと流れる。
そうはいっても安全ベルトの確認をされて注意事項を聞くだけだが、やはり怖さが先行しているのか、そのような現象に遭うことになった。
それさえ終わればスタッフの陽気な、行ってらっしゃい、の声と同時に身体が前に投げ出されたような状態になり、ゆっくりと上昇していく。
後ろ向きという初めての状況に戸惑いながらも、ただ必死に安全バーを握った。
リフトヒルで頂上まで向かう間は長く、このあとに落下が控えていると分かっているからこそ恐ろしい。
キー、という高い音の中に、それよりも少し低い一定のリズムを刻むそれは、刻々と迫り来る時間を暗示しているようで気味が悪い。
「もうそろそろ落ちるかな?」
一方の透真くんはいつ落下するのか分からないことにも面白さを見出している様子だった。
後ろ向きだから進行方向のレールが見えず、今後どういった動きをするのかが読めない。
おそらくそれがスリルを増して面白いのだろうが、私にとっては恐怖心を煽るだけだ。
だが、隣で満面の笑みを浮かべる透真くんを見ると、私まで笑顔になってしまうのだから不思議なものだ。
直後、背中から急降下し何度も地面に垂直になる。
見えないこともあってかスピードは増しているように感じられ、怖さは倍増する。
背中が守られているような気がしたが、それは恐怖を僅かに和らげる程度で大した効果はない。
どうやら私は恐怖に直面すると叫ぶ気力もなくなる部類の人間らしく、無意識のうちに声を殺していた。
いざ乗ってしまえば身を任せるだけで、気付けばあの陽気な、お帰りなさい、という声が聞こえた。
停車後、降車すると浮遊感が残った状態で、少し足元がふらつく。
私は、これと似たような経験を何度かしていたため、慣れた様子で身体の隅々にまで念を送る。
すると、すぐに感覚を取り戻したようでゆっくりと足を踏み出す。
「大丈夫だったか?」
心配そうに声を掛けてきた透真くんは満喫できたらしく、満面の笑みを浮かべていた。
私は、うん、と慌てて言うも、透真くんは、顔に怖かったって書いてあるよ、と私を笑った。
「観覧車に乗ろうよ」
恥ずかしくなった私が話を逸らすようにそう言うと、透真くんはまた笑って、そうだな、と言った。
これもまた列をなしておらず、すぐに乗れるというだけでなく、どの色に乗るかまで選べるらしい。
だが、乗ってしまえば同じだという理由で、早く乗れるものを希望した。
加えて、事前にスタッフから、スケルトンに乗りますか、と聞かれたが、それは少し恥ずかしくて、一番早く乗れる通常の観覧車に乗り込んだ。
向かいに座り、いつものように他愛のない話で盛り上がる。
「お腹空いただろ。降りたら何食べたい?」
「ポップコーン食べたいな」
「いいな、食べよう」
「うん、透真くんは?」
「俺はラーメンかな」
「それもいいね、両方食べようかな」
「そうだな。じゃあ俺はチュロスも食べよう」
「いいね」
食事の話をする透真くんの目は数分前に比べて輝いていたし、声のトーンも少し高くなっているような気がする。
おそらく私も同様だろうが。
遊園地と言えば乗り物の次に食事だと思っている私からすれば今日は何でも食べられる天国のような日だ。
夢見病患者には基本的に食事制限はないのだけど私の場合は、健康は食事から、に従う父によって家で食べられるものには制限がある。
脂っこいものは月に二回出るか出ないかだし、それこそラーメンなんて半年に一度食べられたら良いほうだ。
透真くんはどうなのか分からないが、あの目の輝きを見た限り、少なからず同様の制限があるのだと思う。
「最後に一ついいか?」
四分の一ほど進んだところで透真くんは私の目を見た。
その目は先程とは変わって、微妙に弱弱しさを感じるまでになっていた。
無理に真剣な顔つきになっているような気がした。
「言い残して成仏できずに蒼来のストーカーになりたくないからさ」
そう言った後、死んだらストーカーじゃないか、といつものようにクシャっと笑った。
私は、なんでも話して、と言って向き直した。
「俺さ、蒼来が夢見病だと知ったとき、奇跡だと思ったんだ。勿論、喜んだわけではないよ。だけど、凄い確率だと思った。最初はそれだけだった」
私はただ透真くんの話に頷くだけで、言葉は出なかった。
同じ思いを抱いていたことには思わず喜びが込み上げた。
だが、彼がこの後に話すであろう最後に話しておきたいことの内容を考えるのが怖かった。
何を言い出すかという恐怖ではなく、それを受け止められるかという恐怖だ。
それから、透真くんは黙り込んでいた。
彼の喉に言葉が閊えて話そうにも話せないといった状況だった。
観覧車は頂上というところで透真くんはまた口を開いた。
「俺、蒼来と出会えてよかった。蒼来と過ごした日々が俺の日常だった。未来のない俺は誰かと時間を共にしていい立場ではないと分かっていた。だけど……」
そこでまた止まった。
でも、息を吸う音がする。
涙で濡れた顔と心の奥底から、たしかに音がしていた。
それが彼との日々を思い出させる。
苦痛も幸せも、そして日常を共有して駆け抜けた日々が私の涙腺を刺激した。
短かった時間が、これまでの人生で最も濃かったような気がする。
どんなに大きな幸せにも勝るほど。
「俺は蒼来が好きだ」
その言葉を聞いた途端、私は尚更なんて言っていいか分からなくなった。
透真くんの傍にいると安心したのも、透真くんと共にする時間を心待ちにしていたのも、きっと彼が同じ病気だったからではない。
本当は、透真くんという存在に心惹かれていたからだ、と。
ここで初めて、恋をしていたのだと自覚した。
でも、お互いもう長くはない。
どう応えるのがお互いに傷付かない最適な方法か、私には分からなかった。
「今言われても困るよな。忘れてくれていいから」
透真くんは頭を掻きながらそう言い、窓の外に視線をやった。
好き。
そのたった二文字を言えばいいのだろうが、この気持ちを伝えたところで気まずくなった時のことを考えて行動に移せない。
あと一歩、でもその一歩は今後の彼を苦しめるかもしれない。
もうすぐ死を迎える人間が幸せになって良いわけがない。
耳元で見知らぬ何かはそう呟いた。
その言い分が分からないわけではないし、その考えが自分の中にもあるからこそどうしていいのかが分からなくなっているのだ。
これが私の性格なのだ。
やはり決めきれずに現実から逃げようとしている愚かな者だ。
だけど、最後までこんな自分でいるのはもっと愚かで最低な人間だと思う。
もう自分の気持ちに嘘をつきたくなかった。
「私もだよ」
「え?」
「私も透真くんのことが好きだよ」
実際に言ってみると後悔は全くもってなかった。
というより、透真くんの反応を見て安心したといったところだろうか。
今の透真くんの表情は私が見たことないような笑顔を浮かべ、一番星のように輝いていた。
「これは夢じゃないよな?」
「うん、現実だよ」
観覧車はあっという間に一周し、それと同時に徐々に意識が遠のいていく。
夢にもいつか終わりが来ることは分かっていたけど、これが終わり方なら呆気ない終わり方としか言いようがない。
せっかく気持ちが結ばれてこれからだというタイミングだったのに。
そんなことを思いながらも運命に逆らうことはできず、無駄な抵抗は諦めて身体を預けた。