「あれで良かったのかな」
星絆が帰った後、透真くんと2人きりになってから、私は星絆に告げたことを後悔していた。
星絆に話したことで私が楽になったことは確かだったが、同時に星絆を傷つけてしまったことが気がかりだった。
「俺は良いと思うけどな。今はつらいかもしれないけど星絆からすれば隠され続けたほうがもっとつらいと思うから」
「そっか」
そう言われて少しほっとした。
自分の言動に後悔したいわけではないし、今考えても無駄なことと分かっていてもどうしても脳裏に焼き付いた星絆の不安そうな顔が気になって仕方がなかった。
「そういえば、さっき姉ちゃんに会ったんだ。蒼来が姉ちゃんの背中を押してくれたんだな。ありがとう」
「いえいえ。でも、本当によかった」
「それで気が付いたんだ。俺、蒼来に助言しながら自分のことからは逃げていて、ダサいなって思って」
透真くんがダサいわけがなかった。
「透真くんはダサくなんてない。私はずっと透真くんに支えられてた」
「そう?」
「うん。それに、透真くんに出会ってなかったら今ここにいないだろうし、透真くんには感謝の気持ちでいっぱいだよ」
本当にその通りだった。
もしかしたら、透真くんがいなければ、いつか屋上から飛び降りていたかもしれない。
今振り返っても、過去の私は孤独だった。
不満の吐き口も、膨れ上がる不安を打ち明ける場所もどこにもなかった。
ただ隣にいて、私に日常を与えてくれる人も、きっといなかった。
だから、透真くんは命の恩人なんじゃないかって。
「それは俺もだよ。姉ちゃんと仲直りできたのも、俺が今生きているのも。本当にありがとう」
私はまた感謝された。
ありがとう。
その言葉を聞く度、私はまだ生きていいんだ、生きる意味があるんだ、と思える。
「出会ってくれてありがとう」
「何だよ、改まって」
あからさまに照れている透真くんに、もう一度同じ言葉を繰り返す。
弄ろうという気持ちと、その表情をずっと見ていたいという気持ちがそうさせた。
「凄く顔が赤いけど」
「そうか?」
彼は、信じられない、といった表情をして、顔に手を当てている。
それをしても赤いかどうかなんて分からないと思うけど、と心の中でツッコミを入れた。
彼のそういう少し天然なところに放って置けない愛らしさがある。
「大丈夫か?」
そこに仕事を定時で抜けて駆け付けてきたであろう父が入り口の扉から大声で叫んで寄ってくる。
4人部屋だったから、他の患者さんの視線が父に向いた。
私は申し訳なくて、カーテンを開けて父の代わりに申し訳なさそうに頭を下げた。
救急搬送されたわけでも体調が急変したわけでもないのに、この調子の父には、大袈裟だよ、と思ってしまう。
「大丈夫だよ、不思議と凄く調子が良いの。空だって飛べそうだよ」
空気を明るくしたくて言った冗談に3人で顔を見合わせて笑った。
このクオリティで笑ってくれるならいくらでもするよ、と内心調子に乗ってみた。
「じゃあ俺はここで」
「ごめんね、今日はありがとう」
「あぁ。じゃあゆっくり休めよ」
透真くんは父に頭を下げて病室を後にした。
父と二人になると気まずくなるのもいつの間にか日課となった。
「急に押しかけてごめんな」
「気にしないでよ。私こそ迷惑をかけてごめんね」
「ううん、蒼来が気にすることではないよ」
「分かった。でも、もう大丈夫だから安心して。こんなに元気なら明日にはきっと退院出来るよ」
私がそう言うと、父は私の目をしっかりと見つめて、真剣な顔つきになった。
「どうしたの?私が何かおかしなことでも言った?」
そう言って無理に笑って見せても父の表情は全く変わらない。
いつもなら笑って同じテンションで返してくれるのに、今日の父は明らかに様子がおかしい。
私もさすがに怖くなって、真剣な表情で父と向き合った。
「ねぇ、言ってよ」
すると、父は鞄を下ろしてその上に上着を置き、パイプ椅子に座った。
「さっき先生と話してきたんだ。体調、だいぶ悪化してるんだろ?」
何も言えなかった。
ちゃんと隠せていると思っていた。
けれど、そんなわけがなかった。
「私ってもう家に帰れるのかな」
無意識のうちに私は退院を志願していた。
もう少し体調が悪化してくれば呼吸が苦しくなるだろうし、それ以外の面でも医療が必要になってくるだろう。
だから、今のうちに、少しでも元気なうちに、残された時間を自分のために生きてみたいと思った。
「あぁ」
「じゃあ帰りたいな」
「分かった。先生に伝えてくるよ」
父もこの場所にいるのがつらくなったのか、すぐに病室を出た。
私が夢見病を患ってから、父は変わった。
これは、私が父を変えた、ということでもある。
きっと、何気ない私のわがままが父を苦しめた。
だから、これが最後のわがままだ。
最後くらい、父と笑って過ごしたい。
どうせ、またすぐに運ばれてくるんだろうけど、それでもよかった。
ほんの少しでも、それでいい。
「ちゃんとお父さんを頼るんだよ」
担当医の先生はそう言って私を見送った。
それに私と父は頭を下げて車に乗り込んだ。
この決断が正しかったかはまだ分からない。
だけど、この決断が正しかったと証明するために、これから充実させていきたいと思った。
そう力強く決意した時、車は自宅に向かって走り出した。