キャンプからの帰宅後は、また怒涛の日々が始まった。


 あと少しの命ならゆっくりと休みたい、と思っていたのだが、どうやら思っていた通りにはならないらしい。


 それが生きるもの全てに平等に与えられた人生だった。


 それにしても不公平だとは思う。


 これから何十年と生きる人間ともうすぐ死ぬ人間には平等な時間が与えられ、同等の課題が課せられる。


 それなら後者にはひとつくらい幸せが追加されればいいのに、と思わずにはいられない。


 課題に関してはするもしないも自己判断だが、人生最後に盛大に暴れて話題として残るのは本望ではなかったために自然と選択肢は一つに絞られた。


 プライドからなのか、どうしても病気を理由に課題に手を付けない人間にはなりたくなかった。


 毎日学校に通い、病院に通院する。 


 キャンプ以来、体調を崩しやすくなり、寝込むことも増えた。


 でも、父に気付かれては余計な気を遣わせてしまうと思い、部屋に籠って何度も隠した。


 せっかくの思い出を私が原因で汚したくなかった。


 《今日の夜、蒼来の家に迎えに行ってもいい?》


 平日の夕方、学校から帰宅してベッドで身体を休めていると、透真くんから連絡があった。


 透真くんはここ数日、学校には来ず、噂によるとたまに保健室登校をしていたらしい。


 相当体調が悪いのだろう。


 連絡をしても返ってこない日々が続いていた。


 家に行くという手段もあったが、それはどうしても気が引けた。


 《うん、待ってるね》 


 私はそう返して考え込む。


 約束のことよりも透真くんの体調が心配でならなかった。


 この約束に無理をして透真くんの寿命が縮まったらどうしよう。


 そう考えるととても冷静ではいられなかった。


 その数時間後、約束通り透真くんは家を訪ねてきた。
 

 ロイヤルブルーのプルオーバーに白のパンツを身に付けた透真くんに胸が高鳴るのを感じる。


 透真くんの私服姿は何度か見たことがあったのだけど、いつもとは違う何かを感じた。
 

 それが何かは私には分からないが、特別なオーラが出ているように思う。


 「急にごめん」


 「大丈夫だよ。それで何をするの?」


 私がそう言うと透真くんはリュックの中からさらに袋に入った沢山の手持ち花火を取り出した。


 「約束、したから。少し遅れちゃったけど」


 忘れていた。


 花火をしようと約束した日のことを。


 違う。


 忘れてたんじゃない。


 考えないようにしてたんだ。


 「ごめん、迷惑だったかな……」


 その喜びのあまり、心の中で噛みしめていると、返事のない私に不安になったのか、透真くんは不安そうに言った。


 「そんなことないよ、楽しみにしてた」


 「よかった。じゃあ近くの公園に行かない?」


 頷いて透真くんの横を歩く。


 こうして会うのはいつぶりだろうか。


 久しく会っていなかったこともあり、互いにどう話を切り出していいのか分からないという状態だった。

 
 今後はますますこの状況が増えていくだろうから慣れなければならないのだけど。


 「俺、今日学校を辞めたんだ。籍を置いてももう行けないだろうから」


 「そっか」


 「だから学校では会えなくなるけど、こうしてたまに会えたらいいな」


 「会えるよ、私がいつでも駆けつける」


 自分で言っておきながら、重いだろうな、と思った。

 
 けれど、今はそれ以外にかける言葉が見つからなかった。


 透真くんにとって学校という場所がどんな意味を持つ場所だったかまでは分からないが、この決断がこの世界を去るための準備のような気がして胸がいっぱいになった。


 「早く始めようぜ」 


 公園に着くや否や透真くんはろうそくを立てて火をつけた。


 私は頷き、封を開けた。


 手持ち花火なんていつ以来だろうか。


 記憶にあるものだと小学生の時だ。


 久しぶりだったし、透真くんとだからか気が楽だった。


 透真くんが火をつけるのに続いて火をつける。


 すると、突然大きく音を立てて燃え始めた。


 七色の光が弧を描きながら地面に向かって散っていく。


 「ねぇ、やばいって」


 「何がやばいんだよ」


 実際に見るまでどんな燃え方をするかが分からなかったから思わず口にすると、透真くんは私を見てしばらく笑っていた。


 「もしかしてしたことなかった?」


 「それはあるよ、あるけどこんなに音がすると思わないもん」


 「でも袋に書いてあるじゃん」


 「あっ、ほんとだ」


 透真くんが指差した先には花火の入っていた袋があり、そこには爆音花火と書いてあった。


 にしても、なぜ近所迷惑な花火を買ってきたのかと思った。


 それが私には透真くんの悪戯心ゆえのような気がして鼻で笑ってしまう。


 「次は文字を書かない?」


 終盤に差し掛かったあたりで透真くんはそう言った。


 流行には疎くてもそれが人気であることは知っていたし、いつかしてみたいと思っていた。


 「それいいね」


 二つ返事で返すと、透真くんはリュックから2本を取り出した。


 他の花火とは別の場所にあったから、もしかすると何かの意味があるのだろうと思う。


 それか、どうしてもしたくて万が一のために予備を取っていたのか。


 「ねぇ、何を書くの?」


 私に花火を渡して離れたところでカメラのセットを始めた透真くんに聞いてみた。


 「蒼来の好きなものかな」 


 「私の好きなもの……?」


 好きなものと言えば一番に思いつくのはフレンチトーストだけどそれは描けないし、その他だとしたら浮かばない。


 ここは定番の星の絵でも描いておこう。


 そう決めたところに透真くんは、良いことひらめいたかも、と言って続けた。


 「じゃあさ、お互いに合わせに行こうよ」


 「いいね、楽しそう」


 「だろう?」


 カメラのセットを終えた透真くんがどや顔でこちらを見ている。


 彼の稀に見る表情だ。


 「もういい?」


 そう言いながらボタンを押す素振りをしている。


 「うん、いいよ」


 私がそう言うと透真くんはボタンを押し、急いで火をつけようと走ってくる。


 その勢いでろうそくの火が消えてしまいそうだ。


 何とか耐えた火は活気を取り戻すも、まだ花火には点火されていないようだ。


 「やばい、つかないよ。あっ、ついた」


 「せーのっ」


 二人揃って合図を出したのだけど、描き終える前にシャッターが落ちてしまった。


 火が消えてから写真を確認したが、半分以上が完成している星と、首元の高さから始まった小さな山のようなものがあった。


 時間が足りなかったために半分も描けていないようで、透真くんがどんな完成形を想像していたのかが分からなかった。


 「蒼来は星?」


 「うん、定番を攻めてみた。透真くんは?」


 「これはハートだよ。蒼来に合わせにいったんだけど」


 「ごめん、じゃあ次は二人でハート作ろうよ」


 「そうだな」


 「じゃあ、次は私が先に二本ともつけておくよ」


 「ありがとう」


 透真くんはカメラの用意をし、私は火をつける。


 時折火は風になびいて、花火とは正反対の方を向く。 


 「大丈夫か?」


 「うん、もうすぐだと思う」


 「もういつでも大丈夫だからゆっくりでー」


 「ついた」


 透真くんが言い終える前についた喜びで叫んでいた。


 「お、おう」


 これには透真くんも驚いたままこちらに向かってくる。


 「せーの」


 お互いに合図を出し合って二人で大きなハートを描いた。


 ちょうどいいタイミングでシャッターが落ち、確認したところ、橙色の整った形のハートが藍色の背景と相まって映えていた。


 「綺麗だね」


 「そうだな」 


 「最後に線香花火しないか?」


 「うん、したい。私が取ってくるよ」 


 「ありがとう」


 線香花火には深い思い入れがあるわけではないけれど、どこか近くに感じてしまうものがある。


 人生を表すともいわれる線香花火は燃えているその一瞬の間に、命の誕生から終わりまでを、喜怒哀楽を、そしてその人その人のこれまでの人生における出来事を投映している。


 それを見る度に、生を神秘的なもの、そして、儚いものだと実感させた。


 「線香花火ってさ、人生を表すって言われてるんだって」
 

 私が考えていたことと同じことを透真くんは言った。


 これが、一般常識なのかと思ったけど、流石にそれは無いよね、と心の中で笑ってみた。


 一方の私は、同じことを考えていたことで恥ずかしくなって、知らないふりをして返事をする。


 「そうなんだ。なんかいいね、線香花火」


 「そうだな」


 火をつけてじっと待つ。


 少しでも動いたらこの子の寿命を縮めてしまうから、しっかりと持ち、もう片方の手で支える。


 努力も空しく、シュワシュワと音を立てて燃えた後に、光を失って惜しまれながら落ちていった。



 1本終わればまた1本、と輝き見たさに止まることなく火をつけた。


 限りある命を燃やして輝く線香花火のようになりたい、と憧れを抱いて、火が消えるまで見続けた。


 「買いすぎたかな」


 線香花火が終わると、遅くなる前に帰ろう、ということで話がまとまった。


 あまり身体を冷やしても身体に悪いし、我ながら最善の考えだと思う。


 「またいつかしようよ」


 「そうだな」


 2人で残った花火を片付けた。


 相当買いこんでいたのか、2人には多すぎたようだった。


 それでも、消化出来ないほどの花火に囲まれた今、私は幸せだった。


 年に一度の花火大会が見られなくても、今、この瞬間のほうが充実していると思えた。


 「俺、学校を辞めたって言っただろう?本当はさっきまで迷っていたんだ」


 透真くんが手を動かしながら、そんなことを言った。


 「学校を辞めれば理想の青春は失われるわけだろ?どうせもうすぐ全てを失うのに、今、それを失う必要があるのかって思ってた」


 私はただそれに頷きながら聞くだけだ。


 透真くんの決断の理由と、それに至った経緯が気になって仕方がなかった。 


 片付けていた手を止めて、透真くんの目を見た。


 彼は下を向いたまま手を動かしている。


 「でも、気付いたんだ。生きているだけでまだ大事なものは失っていないって」


 「透真くんらしいね」


 「そうか?」


 私の声に、透真くんは顔を上げた。


 「うん、私は透真くんのその決断を応援するよ」


 透真くんは、ありがとう、と言って私を見た。


 「俺がなんのために『夢』を持つのかって問いを投げたのは覚えてる?」


 急だった。


 申し訳ないけれど覚えていなかった。


 多分、考えることでもなかったんだと思う。


 私にとっての『夢』は決まっていた。


 それも、私を苦しめるもの、という形で。


 「まぁ、いいんだ。それで、あの答えは出た?」


 「ううん、私にはわからない。私にとっての『夢』は私を苦しめるだけだったから」


 「そっか」


 納得した表情を見せなかった透真くんに聞いた。


 「それで、透真くんの思う『夢』は?」 


 「俺は、生きるために『夢』を持ってる」 


 「生きる、ために?」


 「うん、『夢』がひとつあるだけで、ちょっとだけ生きられる気がする。『夢』って言っても、大きくなくていいんだ。小さな目標みたいな『夢』があってもいいし、そればかりでもいい。明日はもっといい空を見たいとか、メロンが食べたいとか。ただ、明日を生きられればそれでいい。むしろ、それがいい」


 「それがいい……」


 「うん、俺はそれが正しいって思ってる。今、こうして生きてるから」


 目から溢れるそれはそのまま口に侵入してきた。


 そのしょっぱさが現実だと教えてくれる。


 透真くんが言った、生きるための夢。


 私ひとりではわかりっこなかった夢。


 透真くんのおかげで夢にも多様な捉え方があるものだと知った。


 叶わないことの方が多い夢を、叶わなければ意味のない夢を、透真くんは違う捉え方もあると教えてくれた。


 私の中の何かが音を立てて変わりだした。


 「蒼来も一緒に頑張ろう、もっと人生を謳歌しよう。それに、蒼来はもっと自分のために生きていいんだよ」


 透真くんのその言葉は、何となくその通りな気がした。


 父が悲しむからでも周りに迷惑を掛けたくないからでもない。


 ただ、自分のために生きてみたいと思った。

 
 迫りくる期限まで。


 あと少しだけでも。