「この間はありがとう」
数日後、透真くんの病室に顔を見せると、透真くんの第一声はそれだった。
私は何のことか分からず思わず首を傾げた。
すると、彼は、俺の話を聞いてくれただろう、と言った。
透真くんのくれた恩に比べたら大したことはないはずのあの日のことでそう思ってくれていたことが嬉しかった。
「いえいえ」
私がそう言うと透真くんはまた、ありがとう、と言った。
それから少ししてまた透真くんは口を開いた。
「俺、家族にお見舞いに来られるのが苦手なんだ。特に姉ちゃんは心配性だし医学生だし。俺を心配してくれるのは有難いんだけどお節介に感じてしまう自分がいてさ、本当に最低だよな」
透真くんの言っていることは私にも少しだけ分かるような気がした。
過度に心配されるというか、何度も大丈夫か、と聞かれるというか。
その場では心配させないように、大丈夫、と言えても実際は大丈夫ではないし、家族一人一人にも日常があって、自分のことでその日常を犠牲にしていると思ってしまう。
私もそんな思いをしてきた。
それもあってか私はただ頷いて話を聞くことしかできなかった。
私には知り合いに医学生も医者もいないけれど心配性の父がいて、父の存在をたまに鬱陶しく思うこともある。
例えば、私を心配するあまり自由を制限したり少しでも父が危険だと感じたらすぐに怒ったりもする。
勿論これが私のための行動だとは分かっているが、それでもこれには納得がいかない。
「最低じゃないよ」
「え?」
「透真くんは最低じゃない」
私がそう言ったきりお互いに黙り込んで気まずい空気になった。
自分が作り出したはずの沈黙をどう破るのかは私には分からず、思いついた言葉を言っていくしかなかった。
「透真くんさえよかったら、また私にも悩みを打ち明けてよ。いつも私が話を聞いてもらってばかりだし……」
それは本音ではない。
本音を言えば、今すぐにでも透真くんの力になりたいのだけれど、それを直接言ってしまえば鬱陶しいような、臭いような気がして、濁すようにそう言ったのだ。
「無いよ」
私は彼がその言葉を言った瞬間に、透真くんの気分を害してしまったと思った。
この状況で『無い』わけがなかった。
それに、夢見病だけに限らず、何らかの病気と診断されて悩んだことがない人はいないだろう。
病気を患っていなくても大半の人間は何かしら悩みを抱えているのだから。
でも、私には言いたくなくてそう言って隠したと思った。
変に言うよりもそう言った方が言わなくて済むと思ったのだろう。
私は脳内でひとり先走ってそんなことを考えていた。
「って言いたかったんだけどさ」
頭をくしゃくしゃと掻きながら苦笑いでそう言った。
そしてまたしばらく黙り込んだ。
私は似た立場に立つ人間として、透真くんのことが心配だった。
私ばかり話を聞いてもらっては、自分の利益にしか興味がない、といった様子で透真くんのことを心配する余裕はなかった。
かといって、今も余裕な訳ではないけれど、こんな私でも力になれることがあれば、との思いからの行動だった。
それからしばらくして、彼は心の奥に押し込めていた過去を話し始めた。
どうやら透真くんは自分が原因で家族を滅茶苦茶にしたと思っているらしい。
それで、夢見病を憎んでいた。
特に早紀さんには頭が上がらないようだ。
「姉ちゃんは、俺のために猛勉強して医学部に進学したんだ。俺の病気を治したいって。でも、俺はそれまで生きる保証はない。このままだと姉ちゃんは一生夢見病と向き合っていくことになるんだ。仕事でも私生活でも」
透真くんは俯いてそう言った。
きっと、頬を濡らして、それを隠すようにしているのだと思う。
そして、今度は擦れた声で振り絞るように言った。
「だから、どうせ死ぬなら姉ちゃんに嫌われた方が良い、って思ったんだ。そうすればちゃんと自分の人生とも向き合えるんじゃないかって」
透真くんの胸の内を知った私は、言葉が出なかった。
そして、無意識のうちに頬を濡らしていた。
悩みが私よりも大人で、何よりも家族のことを考えた結果だった。
この悩みに私が上手く応えられるはずがない。
それでも、力になりたい。
この思いのせいで相槌を打つのに精一杯で言葉は出なかった。
とはいえ、いつものように黙り込むのも思いついた言葉を言うのも違う気がして、真剣に頭を悩ませた。
透真くんが話してくれた悩みに対して、どうにかして上手く返したいと思った。
信頼して話してくれたその思いに応えたい、と。
とはいえ、私の発言が返って透真くんをますます苦しめることや、わかったふりをしていると取られることも避けたかった。
そんなことを考えていると尚更どう伝えればいいのか分からなくなる。
迷いながらも、いくつかの意見にはたどり着いた。
傷つけず、透真くんを元気づける言葉を。
「透真くんは優しいよ。それに、お姉さんのことを信頼しているからこそ言えたんじゃない?」
これが正解かは分からなかった。
だが、悩みに悩んだ末に、一番自分の中ではしっくりと来ていた。
透真くんは、うん、と言って頷くと、ありがとう、と私に言った。