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 玄関のドアを開けると、お父さんの「おかえり」より先に和食の香りが私を温かく迎え入れた。


 私は「ただいま」と返して自分の部屋に直行し、荷物を置いてリビングに顔を出す。


 お父さんはキッチンに立って夕飯の支度をしていた。


 カーキのエプロンを身に着けてキッチンに立つお父さんは料理人みたい。


 慣れた手つきで焦げ付かないように混ぜながら、鼻歌を歌っていた。



 お父さんは私が夢見病を患ってから料理を始めた。


 忙しい時は惣菜で済ませていたけれど、健康は食事からと言うので、お父さんは欠かすことなく食事を作ってくれる。


 そんなお父さんも今となっては料理が趣味になったみたいで、週末になると隣町まで料理本を探し歩いている。


 私はそんな父の料理が好きで、それを食べることが生きがいになっているところもあった。



 リビングには香ばしい匂いが充満していて、息を大きく吸うとお腹が鳴る。


 「もうすぐ出来上がるからそのまま夕飯にしてもいいけどどうする?」


 「食べようかな」


 「わかった、テレビでも見て待ってて」
 

 「ううん、手伝うよ」


 「でも、」


 「大丈夫だよ」


 笑顔で言ってみるも、お父さんはしばらく私の顔を覗き込んでから、視線を鍋に戻した。


 私の笑顔がお父さんの支えになれるかはわからないけど、これが私にできるせめてもの行動だった。


 「明日、検査結果を聞きに行くのは覚えてるか?」


 コップに緑茶を注いでいると、お父さんが神妙な面持ちでそう言った。


 「うん、今度は寝坊しないでね」


 「しないよ。もう大人なんだから」


 「じゃあこの間起きてこなかったのは誰だっけ?」


 「すみません、それは僕です」


 「今日は素直なんだ」


 「まぁ、あれは目覚まし時計が壊れたのが原因だけどな」


 「ふーん、やっぱり認めないんだね」

 
 「悪かったとは思ってるよ」


 「じゃあ明日はちゃんと起きてね」


 「あぁ、もちろん」


 直後、心の底からではないだろうけど、お父さんが微笑んだ。


 それにつられるように私も微笑むと、2人揃って笑いが溢れて止まらなくなった。



 お父さんと距離ができてしまいがちなこの時期に笑い合えるのは、お父さんには返しきれない恩があるから。


 あとどれだけかはわからないけれど、まだこうして笑っていたいと思う。


 これが私にできる最低限の恩の返し方だと思うから。