「今日ね、鬼さんしたんだよ」
透真くんとの約束で前向きになったところ、病室では灯さんが娘との時間を楽しんでいた。
「すみません、今日も騒がしくしちゃって」
「いえ、騒いじゃってください」
私を気遣う灯さんに、弾んだ心のまま答えた。
灯さんが娘と過ごす時間を満喫しているのが微笑ましかった。
私はただ、その邪魔をしたくなかった。
してはいけなかった。
家族の時間の大切さを、誰よりも実感しているはずだから。
「ママ、だーれ?」
「お隣さんの蒼来ちゃんだよ」
「そうなんだ。わたしは西崎日葵(にしざきひまり)です。蒼来お姉ちゃんよろしくね」
日葵ちゃんのまだ舌足らずな感じが愛らしい。
「よろしくね」
日葵ちゃんと視線を合わせて握手をする。
まだ小さくて私よりずっと温かい手に、胸が締め付けられた。
「灯、少しいいか?」
「パパ!」
部屋に入るなり灯さんを呼ぶその人は、細身なうえに長身で、日葵ちゃんに似た顔立ちだ。
そんなことを考えていると、日葵ちゃんがその人に抱き着いた。
「おとなしくしてたか?」
男性は、日葵ちゃんを抱き上げて、私に礼をする。
第一印象は、好青年といった感じで、優しさが表情に滲み出ていた。
「紹介しますね、私の旦那の西崎陽輝(にしざきはるき)です」
「はじめまして、東屋蒼来です」
「初めまして」
陽輝さんは私に頭を下げてそう言い、日葵ちゃんの頭を撫でた。
「ママ、のどが渇いた」
「うーん、今は何もないわ。ひとりで買いに行ける?」
「もしよかったら私がついていきますよ」
「いいの?」
「はい。夫婦の時間も大切にしてください」
陽輝さんがこれから切り出す話が深刻なものに思えた私は、逃げるように日葵ちゃんと自動販売機に向かった。
自動販売機が見えると、日葵ちゃんは私の腕を小刻みに引っ張り、満面の笑みを浮かべた。
「見える?」
「うん」
自動販売機の前で日葵ちゃんを抱き上げると、好きなボタンを押してくれた。
「オレンジジュースが好きなの?」
「うん」
日葵ちゃんはオレンジジュースを手に満足げだ。
「日葵ね、ランドセル買ったんだよ」
「いいね。何色にしたの?」
「オレンジ色にしたよ。ママが大好きな色だから」
「そっか、いいね」
まっすぐな日葵ちゃんを前に胸が締め付けられた。
きっとお母さんが夢見病だとは知らないし、知るのは数年後だろう。
今は言うべきではないけれど、灯さんに限られた時間のことまで知らずに生きていくのは酷な気がした。
勿論、全てを明かしたところで生まれるのは混乱だとわかっているし、明かすことが正義だとも思わないけど。
「お姉ちゃん?」
「うん、?あ、ごめんね」
「そろそろお部屋戻ろうよ」
「そうだね。ママも待ってるね」
日葵ちゃんに手を引かれて病室に戻る間、この時間が続けばいいのに、と願わずにはいられなかった。
何度も時間が止まればいいのにと思ったけど、あっという間に病室に着いた。
こうして、灯さんと日葵ちゃんの時間の終わりも刻々と近づいてくる。
それは、もちろん私も例外ではないわけで。
「日葵おかえり。蒼来ちゃんもありがとう」
日葵ちゃんはジュースを買えたことが相当嬉しかったのか、灯さんに自慢していた。
ふと病室を見回すと、そこに陽輝さんの姿はなかった。
「いえ、旦那さんは?」
「会社から電話がかかってきたみたい。外にいると思うわ」
「そうなんですね。じゃあ私はベッド戻ります」
「うん、ゆっくり休んでね」
「はい」
どうしてか私が気まずくなってしまって逃げるようにベッドに戻った。
どうして夢見病は灯さんを選んだんだろう。
選ばれていい人はいないけれど、それが灯さんでなくてもよかったのに……。
変わらないことを、運命を、恨むことしかできなかった。
透真くんとの約束で前向きになったところ、病室では灯さんが娘との時間を楽しんでいた。
「すみません、今日も騒がしくしちゃって」
「いえ、騒いじゃってください」
私を気遣う灯さんに、弾んだ心のまま答えた。
灯さんが娘と過ごす時間を満喫しているのが微笑ましかった。
私はただ、その邪魔をしたくなかった。
してはいけなかった。
家族の時間の大切さを、誰よりも実感しているはずだから。
「ママ、だーれ?」
「お隣さんの蒼来ちゃんだよ」
「そうなんだ。わたしは西崎日葵(にしざきひまり)です。蒼来お姉ちゃんよろしくね」
日葵ちゃんのまだ舌足らずな感じが愛らしい。
「よろしくね」
日葵ちゃんと視線を合わせて握手をする。
まだ小さくて私よりずっと温かい手に、胸が締め付けられた。
「灯、少しいいか?」
「パパ!」
部屋に入るなり灯さんを呼ぶその人は、細身なうえに長身で、日葵ちゃんに似た顔立ちだ。
そんなことを考えていると、日葵ちゃんがその人に抱き着いた。
「おとなしくしてたか?」
男性は、日葵ちゃんを抱き上げて、私に礼をする。
第一印象は、好青年といった感じで、優しさが表情に滲み出ていた。
「紹介しますね、私の旦那の西崎陽輝(にしざきはるき)です」
「はじめまして、東屋蒼来です」
「初めまして」
陽輝さんは私に頭を下げてそう言い、日葵ちゃんの頭を撫でた。
「ママ、のどが渇いた」
「うーん、今は何もないわ。ひとりで買いに行ける?」
「もしよかったら私がついていきますよ」
「いいの?」
「はい。夫婦の時間も大切にしてください」
陽輝さんがこれから切り出す話が深刻なものに思えた私は、逃げるように日葵ちゃんと自動販売機に向かった。
自動販売機が見えると、日葵ちゃんは私の腕を小刻みに引っ張り、満面の笑みを浮かべた。
「見える?」
「うん」
自動販売機の前で日葵ちゃんを抱き上げると、好きなボタンを押してくれた。
「オレンジジュースが好きなの?」
「うん」
日葵ちゃんはオレンジジュースを手に満足げだ。
「日葵ね、ランドセル買ったんだよ」
「いいね。何色にしたの?」
「オレンジ色にしたよ。ママが大好きな色だから」
「そっか、いいね」
まっすぐな日葵ちゃんを前に胸が締め付けられた。
きっとお母さんが夢見病だとは知らないし、知るのは数年後だろう。
今は言うべきではないけれど、灯さんに限られた時間のことまで知らずに生きていくのは酷な気がした。
勿論、全てを明かしたところで生まれるのは混乱だとわかっているし、明かすことが正義だとも思わないけど。
「お姉ちゃん?」
「うん、?あ、ごめんね」
「そろそろお部屋戻ろうよ」
「そうだね。ママも待ってるね」
日葵ちゃんに手を引かれて病室に戻る間、この時間が続けばいいのに、と願わずにはいられなかった。
何度も時間が止まればいいのにと思ったけど、あっという間に病室に着いた。
こうして、灯さんと日葵ちゃんの時間の終わりも刻々と近づいてくる。
それは、もちろん私も例外ではないわけで。
「日葵おかえり。蒼来ちゃんもありがとう」
日葵ちゃんはジュースを買えたことが相当嬉しかったのか、灯さんに自慢していた。
ふと病室を見回すと、そこに陽輝さんの姿はなかった。
「いえ、旦那さんは?」
「会社から電話がかかってきたみたい。外にいると思うわ」
「そうなんですね。じゃあ私はベッド戻ります」
「うん、ゆっくり休んでね」
「はい」
どうしてか私が気まずくなってしまって逃げるようにベッドに戻った。
どうして夢見病は灯さんを選んだんだろう。
選ばれていい人はいないけれど、それが灯さんでなくてもよかったのに……。
変わらないことを、運命を、恨むことしかできなかった。