百合姫に仕え夢姫を使え

「ちょーーーっと、ヘイ!」 

「何でしょうか姫様」

「『何でしょうか姫様』じゃないわよ! ぜんぶ保留じゃないの。何しに行ったの!」

「いや、しかしそれはこれから回収される伏線でして…………」

「伏線とかいいから! あと話難しすぎ! 最初の軽いノリはどこいった!? ヘイ! 要黒(ヨウヘイ)!」

「何でしょうか姫様」

「だから、もっと具代的な報告をしなさいって言ってるのよ! 」

「いえ、結構具体的だったかと思うのですが……注釈足りませんでした?」

「ち! が! う! もう、これじゃあ、誰一人正体を明かせてないじゃないの! しかもあなたも巻き込まれてるじゃない。がっつり渦中の中心人物じゃないの。何よ、もう」


 超能力者にいずれ条件が整えば披露してもらえると意味深な言葉を貰い、未来人から最重視最重要課題人物に指定され、宇宙人もとい地球外生命体からは弟子入りされた。確かに、それだけ聞くとまるで物語の主人公のようだ。


「全く、これだけ面白そうなネタを三つも用意したのにほとんど収穫がないなんて。秘密結社同好会が聞いて呆れるわ」


 ちなみに姫様は他にテニスクラブ同好会、姫川桃子同好会、雰囲気カクテル同好会を催している。新たに五つ目が立ち上がる噂もあるほどだ。暇なのですか?


「あっ、そうだ。それはそうと、今日はヘイにお客さんが来ているのよ」

「私にですか」

 全校にファンを抱える姫様ならまだしも、私に来客とは初めてのことだ。任務で人と会うことはあっても、それはあくまでも任務。公的(?)か私的かは会ってみれば分るだろうが。


「ええ、私はいつでも構いません」

「そう。じゃあ、入ってきていいわよ」


 姫様の合図があるやいなや、個室の扉が開き一人の少女が入ってきた。前髪がすっかり目を隠しており、その表情は見て取れない。しかもその態勢。片膝をつけて頭を下げる。まるで主君に仕えるクノイチのような振る舞い。スカートから見るに、当校の学生で、上履きの色から下級生のようだが……。


「黒川要黒です。ええと、はじめまして? かな?」

「はい。お初お目にかかります。夢野(ゆめの)根底(ネネ)と申します。ドリームの夢に野生の野。根っこの底と書いてネネと読みます。よろしくお願い申し上げます」

「はあ、どうも。ええと、私の漢字はーー」

「存じ上げております」

「そ、そうですか」

「この()、ヘイの知り合い?」

「いや、知らないですね。夢野さんは、知ってくれているみたいだけど」


 はじめましてと言っていたし、初対面だよ……な? 


「お会いしとうございました」


 へ?
 

「ああ、私の愛しきヘイ様。この日を待ち望んでおりました。不肖、私ネネはヘイ様の手となり足となる所存にございます。秘してはーー」

「えっ、ちょ、ちょと」

「我が身はヘイ様の領土、我が心はがヘイ様のーー」

「ストップ! それ以上は著作権に関わる」

 
「はい、ヘイ様」


 おいおい、そんな文言どこで知ったのだ。私がライトノベル通でなければ気が付かなかったぞ。いや、もう半分以上アウトな気もするが。



 ふぅ、困ったなぁ。


 いや、自分が相手を敬うとかは全然構わないんだ。しかし、相手からそれを無条件にされるとなると、どうにもむず痒くて嫌だ。しかも人間が嫌いで、人間関係が嫌いで、人間と関係になるということが嫌な私である。他人の秘め事への興味関心が尽きることはないが、それはあくまでも自分が第三者だからだ。当事者となるのは違う。


「姫様、ネネさんは新しい団員ですか?」

「必要ならばそうしてもいいわ」

「私以外に付けるのは駄目ですか」

「本人があなたを望んでいるじゃない」

「私はあまりこういうのは得意ではないというか……」

「ヘイ様。私は如何様に扱われようと構いません。奴隷のように働くのも、お望みならば性奴隷となって奉仕するのも、また、よからぬ敵から守るなどでも構いませぬ。物事のように扱かわれて構いませぬ。お側につけさせていただければ、それ以外は望みません。何もするなと申されるならば、そのようにいたしましょう。命令とあれば一文字残さず遂行してみせましょう」

「いや、だから」



 そんなに急に言われても。友達でも、同好会仲間でもなく、奴隷志望って。常識的な人間関係の作り方じゃ少なくともない。知り合いならまだともかく、初対面だ。何も知らない。何を考えているかわからない。恐怖のほうが大きいかもしれない。


「私が断ったら、ネネさんはどうします?」

「お願いします。ヘイ様。側に付けてください。これは運命なのです、ヘイ様。それ以外は望みませんから、どうかどうか」

「ほら、なんとかしなよ《《ヘイ様》》」


 姫様まで。くぅ、この人に関わるべきでなかったと、つくづく後悔する。面白そうな人だと思ったんだと、好奇心のままに近づいたらばこれだ。使役するだけ仕えさせて、あれやこれやを調査。報告。まだ、謎や不可思議など、興味ある事柄だから良いものの……。


「お願い申し上げます。なんでも好きなようにお使い下さい」


 ここまで頼まれると弱る。無碍にできない気になってくる。しかし、だからといって人を物のように扱えるほど私は人間が腐ってはいない。そんなことはしたくない。うーん、まあ、面倒ではあるが、害がないのなら。


「じゃあ、一時的に。同好会の活動のときなら、まあ、いいですよ。でも、邪魔になるようだったらすぐ関係を絶ちますから。そのつもりで」

「はい、ヘイ様。心してお側付かせていただきます。よろしくお願いします」


 こうして私は、なし崩し的に美少女的宇宙人より先に同好会の弟子を付けることとなった。
 



「地球を侵略したい。手を貸してくだサイ」


 夢野根底、ユメとの初陣は地球外生命体による地球侵略阻止に決まった。私宛にあの美少女的宇宙人からメールが来たのである。しかし、この文面では状況を把握してないといたずらメールかと思っちまうよ、ホント。

「流石です、ヘイ様。ヘイ様は流石でございます。夢野は感服いたしました」

「そこまでではないと思いますが。まあ、どれもまだ信憑性に欠けていてね。超能力者も宇宙人も未来人も。本当ならとんでも無い、それこそ全世界を覆してしまうほどの大事件だが、まあ、そんなことはないと思っている」

「どうしてですか! ヘイ様はすごいです。きっとヘイ様のお力があってその三人が引き寄せられてきたんですよ!」


 三人って。宇宙人は“”人“”でいいのか?


「何って、何でしょう? 私にそのような力? たとえば磁場のような科学的に証明できる力はありませんし、筋力も皆無と言っていいほどにありません。鍛えたことなど、これまで一度もないですから。宗教的な力であれば言葉の意味は変わってきますが、しかし、それは褒め言葉ではないでしょう。はて、それではーー」

「ヘイ様は黒のジョーカーなのですよ!」

「ーーはぁ。ユメ。その話はもう百回近くしたと思います。そんな呼ばれ方をしたことはありませんよ。それこそ、外部、つまり秘密結社同好会外の生徒さんや市民の方々ですが、そのような第三者の方から呼ばれたことも書かれたこともありません。確かに、奇妙な人の目につく同好会なので興味関心を惹くのはわかります。部長の側で、右腕となれるように率先しているのも事実です。部内で私は目立つ方でしょう。名前も特徴あるといえば、ありますし。黒でヘイと読むのは中国語の様ですからねしかし、黒のジョーカーだなんて、そんな事はーー」

「ジョーカーはババではありません。切り札です。秘密結社同好会の真の名前は“”(ヘイ)(オブ)輝石(エンシェント)“”」

 場所は変わらず旧第二文芸部跡。できることなら、誰か他人に覗かれたくはなかったのと、ユメーー夢野と話していて分かったことは、彼女が夢見がちな少女のような奴だということ。だから電波的な意味も含めてユメと呼んでいるーーを外に出したかったので、周囲の索敵と私とレイのいる空き教室へ他者の一切の侵入を許さないように命じた。ユメは素直に「御意」と頷いて任務に就いた。扱いやすくて助かる。
 

 さて、と。


「お久しぶりですね、エデン・レイさん」



 ※ ※ ※



「お久しぶりです。ヘイさん」

 全身より長く、白より青い色の上を靡かせながら、今日も霊体の姿で現れた地球外生命体、エデン・レイ。胸は限りなくないが、貧乳はステータスなのでヨシ。Tシャツ一枚の姿というのは、以前と……違う?


「今日はTシャツなんですね」

「地球は暑いので」 

「なるほど」


 確か、氷の大地出身だから地球は暑くて滞在の限界時間があるんだっけな。


「それに、その胸がーー」

「ああ、これは特に意味はないのですが。私達は人類ではありませんし、人間でもありませんから。ヒトガタの姿であるのは、その方が何かと都合が良いからです」


 ……? なにの話だ。なにの都合がよいのだ?



「え、ええと。レイさんでしたね。その、あまり時間もないと思うので、早速。何を知りたいのですか?」  

「一番偉い人は誰ですか?」

「偉い人?」

「地球を侵略したいと思います。それには一番偉い人に会うのが一番ハヤイ」

 
 すると彼女は武器らしきものを取り出し、私に向けてきたのだった。


 地球を侵略する。



 それを日本語に不慣れな宇宙人の言葉の綾だと思ったのは思い込みでしかなく、文字通り彼女は侵略しに来たのだった。


※ ※ ※



 私に抵抗する意志がなく、また、戦うつもりもないこと。レイに対する興味関心が会って逢いに来ていたこと。地球の一番は事実上存在せず、各国ごとの長はいるということ。できることなら穏便に、という願い虚しく彼女は聞き出すことだけ聞き出し、インターネットを通じて手に入れていた情報と照らし合わせながらその真偽を確かめていた。SNS、メタバース、ネットニュースに、衛星通信から入手した地上波放送。データというデータを、アナログからデジタルまで網羅し、更に私という地球人に接触して裏取りまでしている。自分たちの情報は小出しにし、相手の情報の信憑性を精査。隙がない。

「なるほど、言葉に偽りはなさそうですね。ヘイさん、あなたは武装せずに日々暮らし、そして敵対された今でも対抗する(すべ)はない、と」

「するつもりもないよ、なあ、頼むからその刃物と銃が一体化した武器を下げてくれ。この通り、何もしないから」


 もう、こんなことになるとは。嫌な汗しか出ない。今すぐにでも逃げ出したい。


「情報に嘘も無さそうだネ……。2020年、77億9500万人、2030年、85億4800万人、2040年、91億9100万人、2050年、97億3500万人か……なるほどね、予測まで。5年単位でも出ている。賢いね。利口だ。平均寿命が……ふむふむ……だとすると……65歳以上の人口が1950年5.1パーセントに対して2030年で11.7パーセントにまで向上。人口増加に対して死者は医療の向上かな。君たちの言う大国、たとえばアメリカでは379万人うまれて、281万人死んでいるが、ここ日本では86万人生まれて138万死んでる。なるほどね」


 減ってるね、人間。


「いや、世界的には増えているのカ。出生率は1990年の27パーセントぐらいから2030年で16パーセントの予測かぁ。この間の疫病はまだ集計中みたいだけど、ふむふむなるほどね。自殺者のほうが戦争や病死より多いとは。いやはや、何だこれは。面白い。君たちの言語で言うところの“”興味深い“”出来事ダネ。ふふふ。まったく、何がそんなに命を絶つまでにするんだろうね。ほんとうに興味深い。うまくすれば、掌握するのに役立ちそうだ。そうなると、軍に属する人数と、ゲリラ的にでも武器を取って戦えそうな数は……。なるほどね、勉強になるなぁ! 人間」


 殺傷能力を二倍以上に備えた遠近両用オトクタイプな武器はジリジリと私へ近づいていた。


 アブラ汗。


 冷や汗。


 身体を極限まで縮こませることで何とか接触を回避しようとする私と無情な得物を進ませる相手。刃先が当たる。刺さる。血が滴る。ああ、どうなってしまうのだ。死んでしまうのか? このまま? 死ぬってなんだ? 敵って何? 宇宙人? 地球外生命体? ああ、もう駄目。


 そう目を閉じたときであった。


 迫りくる殺意が無くなった。


 目を開けると、見えたのはさながら仮面○イダーの様にキックを放っている女性、と、その女性のスカートと、その、中のピンクフラワーな下着! 


 見事に蹴りが決まり、私とレイの間に颯爽と現れた彼女は、ああ、見間違えることのない。その姫らしく、可憐で、花蓮で、花恋で、火憐かつ香恋なお嬢様。姫の中の姫。見事なツインカールテールとその笑み。


 我が部長姫川桃子様である。


「まったく何してんのよ、ヘイ。秘密結社同好会の一員なら必殺技の一つぐらい持っておきなさい!」

「姫様!」


 私にとって驚きであり、同時に喜びで、そして何より泣いていた。声は出さずに、静かに。なぜだろう。なぜかすごく長い時間この時を待っていた気がする。何度も何度も、この時を望んでいた気がする。


「さて、と。ヘイの言葉が正しければ、必要なのは私ともう一人らしいわね。さぁそれ、行きなさい!」

 姫様が何か取り出したかと思うと、そこからまた一人女性が現れて、そしてそのままレイを押し倒した。

 物理的に。

 そしてもう一度押し倒した。

 比喩的に。

「さて、次はヘイの出番よ!」

「えっ……な、何をーー」


 言葉終わらぬままに私は吸い込まれた。何に? わからない。光か、空間か、はたまたインチキなマジックか、神の奇蹟か。いずれでもないかもしれないし、どれかが正解かもしれない。分かっているのは、姫様が手にしていた“”モノ“”が関係しているということ。ただ、それだけを忘れないようにして私は旅立った。


「ヘイならできる。なんてったって、このルートが今ここに存在するんですもの。それが何よりの証拠よ。さあ、頑張って頂戴。そして、ーー必ず帰ってきて、ヨウヘイ」


 
「へぷし」


「おい。黒川ヨウヘイ。何をしている。祈っている暇があったら問題を解け。この不届き者」


 え? あ、あれ?

「なんだ、解けんのか?」

「あっ、いえ、そういうわけではーー」

「では、ほらっ!」


 数学の沖田にチョークを渡される。そしてこの問題。


【問】f(x)=x2(1+e−2(x−1))とする。

x0>12のとき、数列{xn}をxn+1=f(xn)で定める。
このとき、limn→∞xn=1を示せ。


 違う。以前解いたのは不等式の証明だったはず。これは、テイラーの定理とか、か? あれ、まだ二年時じゃあ……。


「おい、黒川。東大の過去問だぞ? ちゃんと、予習してきたのか?」 

「え、あっ、はい。すみません……」

「まったく、しょうがないやつだな」


 他にできるやつは、と沖田は次の解答挑戦者を探した。そして、同時に私は窓の外を見て驚愕する。



 観覧車が無くなっていたのである。



 ※ ※ ※


「ヘイ様? 大丈夫ですか?」

「あっ、ああ。少し考えていてな……」

「はい、あーんですよ。ヘイ様」


 ユメに弁当の卵焼きを口に運んでもらい、それを咀嚼しながら考える。ふぅむ。さて、これはどうしたことだろう。何が起きたのだろう、と。

 
 私の記憶に残っているのはエデン・レイが本当の地球外知的生命体で、地球侵略を目的としていたこと。寸でのところで姫様に救われたこと。姫様がなにか手にしていたこと。その手の“”モノ“”から少女が出て、おそらく夢野根底であろう少女がレイにキスをしたこと。そして私が姫様の“”モノ“”によって何かしらの事象が起こり、現在に至った事。今は上履きの色からして第三学年。先程沖田から出されていた課題を見ても、それは明らかだ。私は三年次で、夢野は二年。私が夢野と話す時には敬語ではなく、タメぐちになっていること(これまでの敬語を使用した話し方をしたら、体調を心配されるほど驚かれた)。昼飯の前に秘密結社同好会に顔を出してみたが、既にそこは跡地となっていた。姫川桃子は既にこの学校を卒業しており、時が一年経過した事を示している。この奇怪な現象を聞こうにも、当の本人がいない。放課後に当てを探してみるか……? 


 仮に時間が一年経過した場所へ一瞬で移動したのだとしよう。
 

 そう、つまりタイム・トラベルだ。


 そしてここ数日で時間移動が可能だった人物、モノ・コトは無かっただろうか。ああ、思い当たるのは一人だけである。


 自称未来人の彼女だ。

「ユメ。味楽来玖瑠実はFクラスにいるんだな」

「はい、ヘイ様。間違いないです。この全校生徒リストにもバッチリ載っています」


 ……教員用と書かれているそのリストをどのように入手したのかは敢えて問わないでおこう。優秀な部下……じゃない、後輩を持つとは鼻が高いと思うことにしようそうしよう。


 味楽来玖瑠実はテニス部に所属しており、訪れた放課後は絶賛練習中であった。先生が球出しをしながら指示を出し、列を作った選手たちが次々に打つストロークの練習をしている。フォハンド、バックハンドと入れ替わりながら。


「あれは……」


 球拾いに見知った顔を見つけた。あれは姫様の友人の……そうだ、ブラウさんだ。私と目が合うと、彼女はそっと一礼してくれた。休憩の号令が掛かると私の方へ駆け寄ってくれた。


「こんにちは、ヨウヘイさん。どうかされたんですか?」

「こんにちは、ブラウさん。ええと、味楽来さんに会いに来たんだけど、彼女は忙しそうだ」

「そうですね、玖瑠実ちゃんは次期期待のエースですから。一年ではまだ市民大会しか出れませんが、二年から大活躍されると思いますよ!」

「そんなにすごいのか?」

「ええ。こないだなんて、強豪の高校生相手にストレート勝ち。ダブルスで難しい試合でしたが、お見事でしたわ」


 なるほど、それはすごいな。休憩中にも先生から熱心に指導貰っているようだし。


「仕方ない。出直すかな」

「あっ、ヨウヘイさん。もしよろしければ」


 本当に宜しければなんですけど、と前置きして彼女は言った。

「相談に乗って貰えませんか? 私は今日これで練習終わりなので」



 ※ ※ ※



 彼女からは以前にも相談をされたような気がする。しかし、出会ったのはつい最近(私感覚)だよな。この空白の一年になにかあったのかもしれない。私はそんなことを考えながら、学内にある一番オシャレなカフェに来ていた。外での飲食スペースは英国を思わせるようなシックな雰囲気かあり、内装は古民家カフェに近い木の温もりを感じられる作りになっていた。女子といえばここに来るイメージがある。良かった、学校の施設等に大きく変化はなさそうだ。


「それで、私に相談というのは」

「はい、ちょっと特殊なんですけども」


 本名をアデル・クレア・ブラウと言う彼女は女子寮コースに属しているらしい。女子寮コースというのは共学校である崖の端以下略高校に置いても特殊な環境で、完全女子のみ居住、職員も女性のみ、担当教師さえ女性であり、授業や日常生活全てを特殊環境で送る女子専用コースである。尚、現在の私のように共学内の生徒とは限られた規則の時間内ではあるが、交流を持つことは許されている。


 そんな彼女の周りでは、女性カップルが多いとのこと。私にとってそれは意外であった。男子の妄想でしかないと思っていたからだ。なんでも、他の女子高校ならばありふれた光景であり、また元々通っていた中学が女子校だった生徒も多いそうだ。ブラウさんもその一人で、女子の環境・生活を過ごしている。そのような場所にいると、自然にというか遊び感覚で付き合い出す、交際関係を持つことが珍しいことではないという。稀に本気で将来を、という例もあるらしいが高校卒業後を知る例は流石に無いらしく、その有無は不明。そして今回の相談事がその女性同士のカップルに関する事だという。


「明野瑠衣ちゃんと桜田瑠璃ちゃんのお二人なんです。二人は名前が似ていることと、同室であることから交際をされているらしいのですが、最近その『ルイルリカップル』を悪く言うのが、その、一部で、ほんの一部なんですが流行ってしまいして、その、瑠衣ちゃんとはお友達なんです。なんとかしてあげたいんですが、ちょっと、どうしょうもなくて。それで、そんなときに、ヨウヘイさんが入らしてくださったので、その」

「わかった。わかったよ、ブラウさん。ありがとう。話してくれて、ありがとう。うん、ちょっと落ち着こうか」

「はい……」


 話の語尾が涙になってしまった彼女にお茶を薦めながら落ち着くのを少し待つ。一息ついたところで、優しく聞いてみる。


「その、言いにくいと思うんだけど、具体的にはどういう内容なんだろうか」

「はい。少々お待ち下さい…………あ、これです。これが問題のグループトークに出た裏掲示板でして」


 ルイルリカップルの明野○イは売○奴。毎日中年の親父と円○三昧。金遣いが荒く、夜はクラブやホ○テス通い。夜に身に着けたその高級ブランド品は数しれず。昼の顔と夜の顔の差が……etc.


 掲示板とか未だに存在してるのか……しかも裏とか言いながら簡単に検索に引っかかる表だし……これは……非常に良くない状況だ。


「これはヒドいですね。でも、ヘイ様どうします? おそらく相手も同じ女子寮でしょうし、ヘイ様は殿方。共用スペースでは限られた情報しか……」


 確かにそうだ。おそらくこの周辺、共用場で得られる情報じゃ精々末端を掴めるかどうかだろう。投稿日から三日。あまり悠長に時間は掛けていられない。おそらく目に見えない嫌がらせが続いていることは容易に想像できる。表にさえこうやって顔を出しつつある状態だ。しかし、だからといって誰か他に協力者がいるわけでも無いし……くそぅ、こんな時に秘密結社同好会があれば……あれば……?


「あっ、そうか。秘密結社同好会か」

「ヨウヘイさん……? それは、もう」

「そうですよ、ヘイ様。流石の夢野でもそこまでは」

「いや、ユメ。ここにいるじゃないか、メンバーは」


 私は力強く、しかし丁寧にしっかりと彼女の手を握った。

「こちら夢野、潜入開始します。レフト……クリア。ライト……クリア。進みます」

「了解」

「夢野、現在対象は確認できず。前方にルームK有り。二階を優先すべきと思いますが、指示願います」

「……ルームK?」

「Kです。コーィルームです」
  

 あ、更衣室か。なぜボカす。


 ……? ん、寮の? 

 
 普通、自分の部屋で着替えるのではないのだろうか。わざわざ着替える場所? ……風呂か! 風呂場だな! 女子寮の女子校生の大浴場。ガールズラブでなくても、ゆりゆりうりうりつつきながらキャッキャッしたり……。


「……コホン。ユメ、今この時間生徒は各部屋で過ごしてるのか」

「いえ、ちょうど入浴時間です。部屋にシャワーはありますが、湯船は大浴場が時間で開放されています。ちなみに温泉が湧いているので、源泉かけ流しです。人数制限せずとも全員が余裕で入れるすっごい広さらしいです」


 ……それはまた大層なモノを。旅館でもやるつもりなのだろうか。


「なら部屋は今はがら空きか」

「誰もいないことはないと思いますが、おそらくは」

「ヨシ。いこう」

「御意」

 
 隠しカメラ感度良好。音声異常なし。ルーム確認。ゴーサイン。


「電子カード式か……」

「おまかせを」

 ピピ。

「おお」


 なんと周到な用意を。放課後から夜まで僅かな時間しかなかったというのに。無論、夢野は女子寮には入っていない。私の学生マンションの目の届く範囲に住んでいるらしい。……えっ、こわ。


「夢野、入ります」

 
 部屋は消灯状態。スタンガン付きだという懐中ライトで素早く、クイックに、カチカチとあたりをまばゆく照らす…………。


「クリア。敵影なし、異常なしです」

「了解。速やかに任務を実行せよ」

「御意」


 隠しカメラを暗視モードにする。ふむふむ、二段ベッドに二つの机。噂通り、女子寮は相部屋のようだ。該当者のベッドは一段目か。アイドルのポスターに、占い雑誌が多いな……。

「あったか」

「いえ、なかなか可愛らしい下着だと思いまして……」


 オイ、こら。まて、見せるでない。私にそういう趣味があるみたいじゃないか嫌いじゃないぜふむふむ。


「……コホン。あまり時間ないんだろう? なにか証拠みたいなの無いのか」

「それでしたら、ニ、三見つけました。押収済みです」

「退却! ユメ、なに悠長にしてるの!」 

「いえ、下着の可愛らしさもそうなのですが……少し気になっただけです」


 まったく、そんな暗いところで良く分かるな。まるで特殊な訓練を積んでいるみたいじゃないか。


「大丈夫です。夢野離脱します」

「了解」
 
 
 私が現在、仮に時間を超えているのだとしたら、それは大変なことである。
 

 元の世界はどうなった? 宇宙人の侵略は? 姫様は無事なのだろうか。わからないことと、心配事しかない状況で他人の友人のトラブルに首を突っ込んでいるのは、それが遠回りのようで近道だからだ。なぜなら、その誹謗中傷の中心人物こそが味楽来玖瑠実だというのだ。そう。潜入先は玖瑠実氏のプライベートルーム。彼女が一年後に性悪になっていることは非常に残念なことであるが、しかし時間移動してすぐに聞いた話がこれである。なにか運命じみたモノを感じてしまったとしても、誰が私を責められよう。いや、責められまい。ゴー、夢野。男である私にはできないミッションを成功させ、ついでに帰る方法を、たとえばタイムマシンとかを見つけてくるのだ!


 しかし、事実は運命じみた感覚とはズレていた。


 玖瑠実氏のベッドから出てきたのは占い雑誌と科学誌のみ。CERNとタイムマシンやら2000年問題やらの記事が含まれている。未来人っぽさはあるが、しかし内容は現代人らしい。ちょっと不可思議でエスエフに興味がある年頃のモノ。見つかったのはそれだけであった。
 

「結局犯人となる証拠は見つかりませんでした」

「えっ、ユメ。さっきニ、三個既に見つけたとーー」

「はい、ヘイ様。見つけて参りました。しかし、結果から申しますと味楽来さんは未来人ではありません。それと、ついでではありますが、誹謗中傷の犯人でもありません」

「な、なに? 玖瑠実氏は未来人じゃない?」

「玖瑠実ちゃんが犯人じゃないの?」


 私とブラウの声が重なる。「御意」と、二人の質問を一言で返した夢野は続けて言った。


「では、まず誹謗中傷の件からご説明致します。犯人は相部屋の方のようでした。その証拠として、味楽来さんが犯人だと思わせるような証拠と、彼女が実行犯である証拠がこちらに」


 それは小さなメモリスティックだった。なるほど、データを手に入れてきたわけか。


「こちらです。こちらのプリクラにございます」


 プリクラ? ゲームセンターとかにある、女の子たちが良く写真取ってるような……プリクラ? メモリスティックに貼られている、その小さなプリクラ……?


「はい、ヘイ様。そして、ここに写るこの人物こそが犯人でございます」


 それは、まさか。まさかまさかであった。私は何かと見間違えたのか、空見したのか、私の思い込みではと、そう思ったが、ユメは至って真面目にそれが「事実です」と伝えてきた。


 プリクラに写っていたのは制服姿の玖瑠実氏と、あの自称超能力者の彼、否、彼女の姿がそこに写っていたのであった。

 枝桜心。


 姓をエダザクラと読み、名をシンと読む。


 自称超能力者として私が出会った、調査対象者三人の内の一人。しかし、私はこの件に関して聞き取りの結果報告はしたが、いったい何のための調査だったのかを未だ知らない。名前だってユメから聞くまで知らなかった。また、その時姫と一緒にいたブラウさんとの関係、件との関連性も一切聞いていない。聞きそびれた。聞く前に時間を超えてしまった。しまった。


 しかも、更にである。想像でしかないが、一年弱で男性から女性に性変更をするというのは、相当な決断を下す、何らかの経緯(いきさつ)がそこにはあったに違いない。それとも超能力者だと性別が変わるのか? 一年単位で変わるのか? 変えなきゃいけないのか? 超能力以上に不可思議である。ああ、そして残念なことに。非情なことに。私は、それと同時に、猛烈かつ非常に興味が湧いてしまっている自分が、そこには確かに居たのだった。
 


 ※ ※ ※



「元々女性?」

「ええ、仰る通りです。私は女性として生まれ、女性として生きてきました。容姿端麗とまではいきませんが、それなりに女性らしいかと思っていたのですが……どこかおかしかったでしょうか?」

「ああ、いや。すみません。誰かと勘違いしてしまったのかも知れません。申し訳ございませんでした」


 私は深く頭を下げた。


「いえいえ、とんでも無い。そこまでされなくても。どうかお顔をあげてください。勘違いは誰でもあることですし」

「いえ、しかしーー」


 彼女は背の高い容姿端麗な女性だった。可愛らしいよりは、美しい・綺麗が似合う女性。背の高いという点においては確かに類似しており、私の謝罪に困惑の表情を浮かべたその面影にも、私が以前“”彼“”として出会った時の雰囲気そのものであることは間違いない。彼女は彼だ。他人ではなく、同一人物であろう。


 兄弟姉妹の可能性も考えられたが、話からしてその線も薄そうである。枝桜氏と話しながらこっそり、ユメに後で探るようにメッセージアプリで指示を出したが、たぶんユメの表情からしても結果が変わることはないだろうな。そうすると、やはり私がおかしいことになる。私が枝桜氏を男性として出会ったという事実はありえないことで、本当に勘違いして見た幻だったということだろうか。


「では、すみません。本題に入ります枝桜さん」



 場所は共用スペース、自動販売機がずらりと並んだ前。私と夢野、ブラウさんと枝桜氏の四人がバスの待合室のようなイスに腰を掛けている。枝桜氏のことは夢野が湯上がりを待ち伏せていた。厳密にはここは女子寮ではない。


「私はこちらのブラウ様より友人が“”苛められている“”可能性を聞き、こちらのヨウヘイ様と共にお調べしておりました。そして、結果から申し上げますと犯人は枝桜さん。あなたと言うことになります。証拠は抑えてあります。ご覧になりますか?」

「いや、」

 
 彼女は夢野がノートパソコンを開こうとするのを抑えて言った。


「彼女の言うとおりです。私が犯人で間違いありません。彼女にはーー味楽来玖瑠実さんには申し訳ないことをしました」

「なんで! こんなことーー!」


 感情的になるのはブラウさん。


 枝桜氏はブラウさんも手でやや、と抑える。冷静に、と。


「その気持ちは当たり前の感情でしょう。一番ぶつけたいのは本人でしょうが、友人であるあなたもそれは同じであることはとても想像できます。本当にごめんなさい。だけど、こうするしかなかった。言い訳にもなりませんし、許しを請う懺悔を述べるつもりもありませんが、その“”いきさつ“”だけでも聞いていただけないでしょうか」

「ーーお願いします」


 ブラウさんは小さい体を震わせ、涙を浮かべながらそう言い、それを見た枝桜氏が理由について話し始めた。最初に彼女は、こう人物の名前をあげた。


「ことの始まりは、桃川姫子さんから始まります」


 
 
 姫川桃子は在学時十二の部活と同好会の代表を務めていたのだという。


 この時点で私の記憶と大きく異なっている。


 さらに、姫はある種のカリスマ的な人気を博し、宗教のようなファンを獲得していたという。


 これも違う。


 確かに顔の広く影響力のある人ではあったが、自分自身を誇示するような人ではなかった。他人に好かれても、他人を好きにはならない人だった。どのような人間関係を築いてもそれ以上の関係にはならず、極めて人間に感情を持ち込まない人。そんな姫だから、私に対しても交際を申し込むことはなく、結婚を申し込んだのだと思っている。答えは保留のまま時空超えてしまったけど。なんなら、違う世界にいるまである。私の認識と記憶がことごとく違っているのが何よりの証拠。混乱するばかりだ。


 
「私は超能力研究会に所属していました。姫川部長はそこの代表者でもあったので、私もお話したことがあり、ええ、もちろん面識はありました。しかし、部長は先程話しました通り、掛け持ちが多くお忙しい。そこで私はたのまれごとをされることが多かったのです。なにせ部員の少ない同好会ですので。活動的だったのは私一人だけなんですよ、実際。あとは幽霊ですね」

「姫から頼まれごとが多かった」

「はい。卒業されてからは私が部長を務めているんですけど、部員も二人しかいないですし、特に活動もしてなかったので、実質休部状態だったんです。ある日、まあ最近のことなんですが、この間久しぶりに片付けでも、と部室に出向いたんです。すると部のパソコンにメッセージアプリで部長から連絡がありました。内容は『高校での人間関係を断ちたい。手伝って貰えないか』みたいな内容です。細かい文言までは本文を確認しないとわかりませんが、そのような内容でした。私は部長の心情を思い、あれやこれやと働き出しました」 

「その中に、玖瑠実氏の名前もあった」

「いえ。直接は出なかったんです。あがった名前は玖瑠実さんのクラスメイトさんでした。そこから先は私のミスです。私は他人をうまく誘導し、まるで操るかのように操作していた気分でいました。噂と、事象と、物証。タイミングを見て提示する。しかし、ああ、結果は現在のとおりです。他人をどうこうできるだなんて、おもいあがりも良いところで、甚だしいにもほどがあった。猛省をいくらしたところで、事態解決には繋がりません。一度壊れた人間関係を修復することは困難を極めます。壊すのは容易いことを知っていて実行したがゆえに、です。ーー私はこれ以上関わると良くないと思い、現在は一切の介入をしていません。当事者でありながら、その後の現状全てを把握していないことを、お許しください」


 そこまで話すと、枝桜氏は深く頭を下げた。そこにいたのはイチ少女としての彼女だった。


 ※ ※ ※



 ブラウ氏と枝桜氏と別れた私とユメは翌日、あるところへ向かうために学園から離れていた。玖瑠実氏の実情には胸を痛めることしかないが、しかし枝桜氏を一方的に責め立てたところで事態は改善しない。ブラウ氏共々改善へ協力することを約束し、連絡先を改めて交換して一度ピリオドを打つこととした。


 さて、今度は私の番だ。


 黒川ヨウヘイの問題は二つある。


 一つは時間超越したこと。


 これは私が二年から三年に昇級している事実、新聞やスマートフォンで確認した日付が、一年ちょうど経過している日付である事実がエビデンス。現実である証拠として私に突きつけられている。仕組みは理解不能解読不能。未来人を自称する玖瑠実氏を訪ねるも、イチ女子高生になっており、調べた結果無関係の可能性が高い。そうなると、おそらく姫が何かしら影響していることは間違いないだろうと思う。


 思う……のだが。


 だがしかし、それは果たしてこの世界における姫なのだろうか。時間を超えているからと言ってそれが同一の世界である可能性は《《低い方が高い》》のではないか。身の回りの人物の属性ーーたとえば味楽来玖瑠実氏が自称未来人からテニス部のエースになっていたり、たとえば自称超能力者の枝桜氏が男から女へ性を変え、超能力の話は微塵もせず、ただのひとりの女の子になっていたりしたことーーが元の世界と異なっている事が何よりだ。私が元居た世界とは異なり、まったく別の世界にいるのだとするならば、帰るためには元の時間かつ元の世界に戻らなければいけないことになる。ややこしい。混乱してくる。頭を抱えたくなったが、しかしそんなことをしたところで元に戻るわけではない。大丈夫だ、なに単純なことだ。変化が起きたのならその原因を探り、突き止めて《《異》》であるコトモノを《《元》》に戻せばいい。


 それだけだ。まあ、それが最も、一番に難しいのだが。



 ともすれば次なる行動はただひとつ。



 われらがお姫様に会いにいくことである。
 
 姫様は国公立大学の人文学科へと進学し、この春より一人暮らしを始めていた。今は一人の女子大学生。誰かが執事のように丁重にお嬢様扱いすることもなければ、姿振る舞いをお姫様として過ごすこともなく、姫川桃子としての学生生活を送っている。私が探りながら聞いた限りでは、少なくともそのようであった。


 この世界における姫様と私の関係は不明。卒業後やり取りがあったのかもわからない。仮に前世界同様に許嫁であるなら、一人暮らしの部屋にお呼ばれすることがあるだろう。そうだ。そうに違いない。


 そう考えた私はえいやと連絡のメールをポチりとした。


 返事はすぐに《《オーケイ》》の二文字が返ってきた。


 よかった。知らね存ぜぬ赤の他人というわけではないようだ。ほっとした。この世界の人間関係は前と比べてあまり変わっていないように思えた。それは安心材料だ。

 

 教えてもらった住所を訪ねると、姫は笑顔で迎え入れてくれた。


 一人暮らしマンションの一階角部屋。ワンルームのエルディーケイ。トイレ風呂別、キッチンにも仕切りがあって別区画。足の低い折りたたみの四足テーブルがフローリングの上に敷かれた絨毯に置かれ、向かいにテレビが、背にはベッドがある。大人数入るのは難しそうだが、こうして二、三人ぐらいであれば不自由のない広さ。角部屋だから多少日差しや寒さがあるそうだが、その分安いらしい。


 ……落ち着かない。


 姫は紅茶を入れると言い、電気ポット片手に準備をしている。私は手伝うには狭い水回りを鑑みて大人しく座ってはいたが、しかし落ち着かない。後ろがベッドというのが良くない。良くない。良からぬ。


 ベッドは二つ折り可能だが、頑丈できちんとした作り。白いシーツが綺麗に伸ばされて、白い枕が美麗に鎮座している。ピンクの掛け布団がきれいに畳まれて端に置かれ、その下のブラックホール……つまりベッドの下にはモノ一つ入れずに綺麗に掃除されていた。収納スペースとかに使いそうなものだが、机が置きっぱなしなところを見ると案外不便なのかもしれない。ベッドの端の先にはクローゼットがあり、ピタリと閉められた手前に物干し竿が細く狭いスペースに立っている。Tシャツやジーンズが干されていると同時に洗濯バサミの先にあるものがどうしても目に入ってしまう。いや、一応は隠れているのだ。ジーンズなどの衣類のほうが手前で、洗濯バサミの先のそれは奥でクローゼットの扉に触れているほどである。しかし、それでも目にしてしまってから後ろで最強に存在感を放つ胸の下着と言ったら……落ち着かない。良くない。良くない。良からぬ。


「おまたせ」

「はいっ」

「なに? 緊張してるの? まあ、そっか。過去から来たヨウヘイは私の部屋初めてだもんね〜。ふふ、初めて部屋に呼んだ日のこと思い出すなぁ」


 初夜!? 初夜があったのですか!? 姫様の部屋にこの世界の私は呼ばれていたというのですか!? なんと羨ましい。なんて羨望な。早く過去に戻って時間を一年進めたい。いや、待て姫様? それよりーー。


「この世界に私は二人いるのですか?」


 姫様は微笑みながらカップに紅茶を注ぎ、それぞれに差し出しながら言った。


「今はこの部屋にいるヨウヘイ君だけだよ。君もなかなかややこしいことになってるからね」



 ※ ※ ※



 まず前提として。未来のことを話すことはできない。話せば過去に未来の情報が伝わり、それによって過去が変わり未来も変わるからだ。未来の私、つまりこの世界の私はすでに時間旅行へ出掛けていていない。これを過去の私、つまりこの部屋で紅茶をすすっている私だが、この部屋にて姫様に会うことは問題無いらしい。むしろ必要だとまで言う。


「世界の捉え方、時間軸の考え方に関してはさ、玖瑠実ちゃんから教えてもらった通りだよ。思い出して、ヨウヘイはカレーを食べてる彼女と出会ったと報告してたはずだったけど?」


 間違いない。その通りだ。私の記憶はそれだ。ああ、何故かそれだけで泣けてきた。自分が自分であるということ、間違いなく私であると認めてくれたようで嬉しい。


「はい。未来人と自称する味楽来玖瑠実氏に会い、調査として話を聞き、姫に報告しました」

「そうだね。そしてそこにいる夢野ちゃんがあとから参戦。ヨウヘイのお供になった」

「はい。ユメもそれで間違いございません。わたくしは時間遡行はしておりませんが」

「うん。夢野ちゃんはそれでいい。それで、ヨウヘイは今何が知りたいの?」

「秘密結社同好会が無くなっていましたが、あれはどうしたのですか?」

「それは一年後お楽しみに」

「玖瑠実氏は未来人ではなくなってしまっていました。なぜでしょうか。それと、枝桜氏にも会いましたが彼は、いえ、彼女は女性です。初めて会ったときは男性だったのに」

「落ち着いて、ヨウヘイ。はい、紅茶」

「……すみません」

「玖瑠実ちゃんからね。彼女は未来人だよ。普段はバレないように一般人のふりをしてる。一年の自称未来人としていた自分を黒歴史として否定してね。一年間はどこにも飛んではいない。それは私が保証する。未来から来た理由はヨウヘイに会うため。それは変わっていない。大丈夫」

「はい」

「枝桜さんは女性だよ。言い方が良くないかもだけど、はじめからずっと女性。彼女が男性だったことはない」

「超能力者だということは?」

「彼女、ヨウヘイの前で何か能力を使ったの?」

「いえ。特別な状況下でないといけないらしく、直接はまだ」

「なるほど。それは私の知っている話と違うかな。ヨウヘイには、タイムトラベラーを名乗る人物が現れた。調査せよ! ……としかあのときは言っていなかったはずなんだけど」

「宇宙人や超能力者は?」
 
「初耳だね。もちろん、枝桜ちゃんが関わってるかもしれないということも」

「そうですか……ええと、そうですね。ごめんなさい。考えをまとめます」 

「どうぞ」
 

 この世界には未来人しかいない。宇宙人も超能力者を自称する人物もいない。やはり時間を飛び越えただけでなく、似たようでどこか違うパラレルな別世界に来ていたのだ。では、どうする。何をすれば戻れる。いや、そもそもあのときの姫様は何を目的として私を飛ばしたのだ?


「姫様」

「どうぞ」

「タイムトラベルの仕組み、方法はご存知でしょうか。私は姫様、私の世界の姫様によってこの世界に飛ばされてきたはずなのですが……」

「うーん」 

「ええと、たとえばタイムマシンとか無いでしょうか……少し昔に、時をかける女の子のアニメというか小説がありましたが、あれではクルミのような何かだったような……」

「ごめん。タイムトラベルのやり方はわからない。どうやって時間を超えるのか。それは私も玖瑠実ちゃんから聞いてないんだ。でも、彼女が未来から来たのはおそらく事実。間違いないよ。現にこの世界にいるはずのヨウヘイが彼女に会ってタイムトラベルしてるし」

「そ、それだけですか」

「うん。それだけ」

「どうして……どうして私を、過去から来たと信じられるのですか」

「ここの世界のヨウヘイが彼女に会って居なくなり、入れ替わりにあなたがやってきたから。それだけ。それなら、そうかなって。あと、私はヨウヘイの言葉を信じてるからね。疑うことはない。だから、それが何よりの証拠。ヨウヘイの証言が玖瑠実ちゃんが未来人だっていう証拠」
  

 私は鼻水をすすりながら涙をこらえつつこれを聞いていた。自分のことを信用してくれるのが、ここまで疑わないというのが、有り難かった。嬉しかった。滅茶苦茶な状況下で、ああ、幾ら愛を告げた相手だからとはいえ、ここまで。


 肯定。


 受け止めてくれたことへの感謝を、私はずっと言っていた気さえする。姫様はその度に背中を擦ってくれていたと思う。ユメはそばでそれを静かに見守っているばかり。同情や共感なんて生易しいことをせず、従者としての献身として。最大の理解者として側に居た。


 世界が変わっても、この二人は変わらない。変わらずに私との関係を保ってくれている。


「……姫様。私はどうしたら良いでしょうか」

「うーん、そうだね。一概には言えないかな。戻れるかどうかは今のヨウヘイくん次第だしね」


 今の私次第、か。


 戻れる可能性と戻れない可能性。多世界解釈で言えばこの二つの世界に分岐するのだろうな。過去に戻る私と、このままこの世界で時間を進める私と。どちらもあり得る話だと。そしてどちらにも私は存在する。今ここにいる私がどちらに行くかは別として。


「ヨウヘイくんはどうやって時を渡って来たの?」


 どうやって。具体的に。確か、あれは姫様が手にしていたモノによって何かが起き、それで時渡りしたはず。そうだ、だから私は今こうして姫様に会いに来ている。何か知っているのではないかと。確かあの日はーー。


「ユメと宇宙人だというエデン・レイに会いに行った日です。地球を侵略したいって文面が来て、それでいつもの旧校舎に行きました」

「何か変わったことは? それかこの世界で変わったこと。たとえばありえないものがあるとか、あるはずのものがないとか」


 あるはずのものが、ない……?


「タイムトラベルには《《つきもの》》のパラドックスだよ。矛盾が生じやすくなるからね。多世界解釈もそれを解決する一つみたいなものだし。あとは、そうだな。オーパーツ、本来なら存在しないものっていい方もあるかな」


 存在しないもの……。あっ。
 

「……観覧車」


 観覧車だ。


「? えっ、なに?」


 最初に目にしたのは教室の課題と観覧車のない風景。元の世界とは異なるポイントは観覧車かもしれない。そうか、そうすると、つまりーー。


「そうか! そうです、この世界には観覧車がない! ありませんでした!」


 どうやら私は正解の道を歩むことができるかもしれない。