車はつくばに向けてひた走っていた。
 もどかしい思いで信号が青に変わるのを待つ。高斗は隣で黙り込んでいる希望をちらと見た。
 希望は不安そうな表情で真っ直ぐ前を向いていた。
「体調、悪くないか?」
 急に話しかけたからか、希望はびくりと肩を揺らした。
「いえっ。もう元気いっぱいです!」
 胸の前で握りこぶしをぶんぶんと振る。その様子にふっと笑みが漏れる。
「あとちょっとで着くからな」
「……はい」
 希望の表情は何故かより不安そうになった。
 それを不可解に思いつつも、信号が青になったので高斗はアクセルを踏み込んだ。

 森を抜けるとつくば研究都市だ。
 高斗は胸がうるさくなるのを堪えながらカーブを曲がった。
「あ……」
 思わず安堵の声が漏れる。
 目の前に開けているのは都市の建物群。どうやら家屋の倒壊というのはそれほど大規模ではなかったらしい。
 が、まだ安心はできない。皆の無事をこの目で確認するまでは。
 このあたりは四、五階建ての建物が多い。研究施設だ。昔は数百メートルもある建造物もあったらしいが、今の日本にはそれが必要なほどの人口もいなかった。
 研究施設群を抜けて小さな川を渡る。
「着いたぞ」
 高斗は横長の大きな家の前で車を止めた。ぷすんと嫌な音を立てて車は止まった。
「ちょっと家ん中確認してくる。すぐ戻る。菊池さんは待ってていいぞ」
 軽く微笑みかけながら声を掛けると、希望はもじもじとした。
「どうした」
「あ、の。一応お世話になったのでご挨拶をしたいかなって」
「ああ」
 義理堅い子だなあと感心しつつ、高斗は「じゃあ、着いてきて」と希望を促した。

「高斗!」
 車から出てすぐ、大きな声がした。その方を振り返る。
「瞳……!」
 住居の隣の畑の中程で、瞳が大きく手を振っていた。高斗は駆け寄る。
「えっ? ……えっ!」
 後ろで希望が驚いたような声を上げた。
「瞳、無事だったのか。ラジオでつくばが砂嵐に襲われたって言ってたから」
 瞳は豪快に笑った。
「はっはっはっ。大丈夫だ。やられたのは電波塔だけだ。俺たちの街はほぼ無傷だ」
「あー、電波塔な。だから被害状況が伝わらなくて大袈裟になってたんだな」
 希望がとことこと歩いてきた。
「あ、紹介する。菊池さん、こいつ松山瞳。俺の兄貴分だ」
「男のヒト……」
 希望は呆然とした様子で呟いたが、すぐにハッとしたように頭を下げた。
「はっ、はじめまして! 菊池希望と申します!」
 高斗は瞳を見て希望を手のひらで指し示す。
「て、ことで。こちら菊池希望さ……」
 高斗の言葉は途中で止まった。
 瞳は目を大きく開けて希望を凝視していた。
「瞳?」
 首を傾げると、瞳はゆっくりとこちらを振り向いた。
「お前、珍しい人間を連れてきたな」
「は?」
 なんだその物言いは。菊池さんに失礼だろ。
 そう言おうと口を開きかける。が、その前に希望が息せき切って話し出した。
「す、すみませんっ。実はあたし、道の途中で山内さんに助けてもらって。それで、山内さん親切だからあたしを送ってくれるって……」
「あー、違います、違います」
 瞳は手を左右に振って頭をかいた。
「すみません。迷惑だとかそういう意味じゃないです」
「じゃあどういう意味なんだよ」
 不快感を露わにしながら高斗は難じる。
「いや、お前が女連れってのが珍しいって意味だ。お前も二十五にしてやっと女っけが出てきたと言うわけか、という意味だ」
「詳しく言わなくていいんだよ!」
 瞳はくるりと希望に向き直る。
「どうですか?お急ぎじゃなければお茶でも出しますよ」
 希望は戸惑ったように口をもごもごさせた。
「菊池さん、時間ないなら無理しなくていいぞ」
 助け船を出す。
 これから高斗はここから少し離れた研究施設に段ボールを引き渡しに行かなくてはならない。春で日が長くなったとは言え、浅間に着く頃には日が暮れるだろう。
 希望はこちらをちらっと上目遣いで見た。そのほんのり赤い顔に、高斗は一瞬みとれた。
「いえ。むしろ、申し訳ないなって。でももしよければごちそうになってもいいですか?」
「お茶のひとつでそんなに恐縮されたらこっちが恐縮ですよ。じゃ、ささ、中にどうぞ」
 瞳が希望を玄関に誘った。
「じゃあ、俺先にこれ届けてくら。菊池さんはゆっくりしてて」
 向かう先の研究施設は都市の外れ。目と鼻の先だ。
「行ってらっしゃい」
 希望がにっこりと笑いながら手を振ってくれた。
 それが、何か家族のようなものを思い出させた。
 わずかに照れくさい気持ちで、高斗は車に乗り込んだ。
「ん?」
 エンジンがかからない。
 おかしいなと思ってエンジンボタンをもう一度押す。エンジンはシャラシャラとうっすらと回転しているような音を立てるだけだ。
 車のほうに瞳が近づいてきた。
「おーい。お前この車どっかぶつけたか?」
 窓を開けて答える。
「さっき木にぶつけたけどな。ほんと軽くだぞ。そのあと普通に走れたし」
 眉を寄せて答えると、瞳は考え込むような顔をした。
「ライト、なくなってるぞ」
「は!? マジでか!」
 慌てて車から飛び出す。確かにライトのあった場所が空洞になっていた。何かの線だけがぷらぷらと揺れている。
「どっか落としてきちまったのかよ……」
 木にぶつかった後、車から出る時も再び乗り込む時も、焦っていたのでライトの状態まで見ていなかった。どこかで落としたのだろうがラジオを付けて高速で車を飛ばしていたから全く気づかなかった。
 この車はライトがないと危険防止の為動かないようになっている。ライトはただのライトではない。砂埃の中でも見やすくなるような光線が出るようになっているのだ。
 そんな大事なもん、簡単に外れる仕様にしとくなよ! なんの為の特別装甲車だよ。
「まず、茶でも飲むか?」
 瞳のその提案に、高斗は無言で頷いた。

「あ。はい。申し訳ありません。……大丈夫です。ありがとうございます」
 高斗は電話を切った。スマホの画面が黒くなるのを見届けてから、視線を横に移した。
「大丈夫でしたか?」
 希望は半泣きだ。自分のせいで車が壊れてしまったと思っているのだろう。
 高斗は希望を安心させるように笑った。
「大丈夫だ。すぐ研究所の職員が車で回収に来てくれるってさ」
「良かった……」
 ほっとしたように希望が笑ってくれ、つられて笑みが零れる。
 二人は縁側に隣あって座っていた。脇には瞳が出してくれたお茶とお茶菓子がある。
「それより、菊池さんのほうこそ大丈夫なのか? 修理が明日にならないと来れないっていう話だけど」
「……大丈夫です」
 微妙に間が開いたのが気になった。
「あちらの人に連絡とかしたか? あ、もしかしてスマホなくしたとかか?」
 使うだろうかと、高斗はスマホを差しだした。希望はふるふると首を振る。
 もしかして。
 高斗はひとつの仮説に辿り着く。
 テロから逃げてきたと言っていた。もしかして、身を寄せる場所はないんじゃないのか?
「菊池さん、浅間に知り合いとかいるのか?」
 眉間に皺を寄せながら尋ねる。
 もしいないなら、このままここに……。
「はい。伯母夫婦と従兄弟たちが暮らしています」
「あ、そか。なるほどな」
 高斗は肩すかしをくらった。何故がっかりしたような気持ちになるのかはわからなかったが。
 まあ、わざわざ浅間研究都市を目指していたのならそうなるよな。
「じゃあ、伯母さんちに連絡とっといたほうがいいんじゃないか。遅くなると心配するだろ。それに……ご両親のことも」
 しかし希望は一向にスマホを手に取ろうとはしなかった。
 高斗は希望の顔を覗き込む。そしてぎょっとした。
 希望の瞳が滲んでいる。
「菊池さ……」
「おーい、高斗。研究所の人が来たぞ-」
「あっ、い、今! 今行く」
 慌てて高斗は立ち上がった。希望も一緒に来るつもりなのか立ち上がった。
 外では見慣れた研究所の職員が待っていた。
「ご苦労様でした。では回収しますね」
 車のバックドアから慣れた手つきで段ボールを取り出す。
「一応中確認してくださいね」
「了解です」
 ぺりぺりとガムテープを開けている間、希望は興味深そうにそれを見ていた。
「何が入ってるんですか?」
 こてんと首を傾げて尋ねてくる。高斗はにやりと笑った。
「希望の生き物だ」
「希望の?」
 ガムテープが剥がし終わり、箱が開けられる。
「うわっ!?」
 希望がびっくりしたように高斗の腕を掴んだ。
 箱からはにょきにょきと伸び続ける小さな苗木が出てきたからだ。
「あー、枝何本か折れてますね。でも、これは不良品てことじゃないですね。成長速度が予想より速すぎたから、箱が狭くて折れちゃったんでしょうね」
 職員が感心しながら苗木を検分する。
「やっぱりですか。車で運んでる途中でも、葉っぱが触れあうみたいなさわさわした音がしてたんですよ」
 二言三言会話をして、職員はお辞儀をして去って行った。
 それを見送ってから、希望はぱっと高斗の腕を放した。「す、すみません。びっくりして」と顔を真っ赤にしているのがかわいくて、高斗は声を立てて笑った。
「な、何笑ってるんですか!」
 希望がぷんとむくれる。高斗は笑いながら「悪い悪い」と形ばかりの謝罪をした。
「あれ、びっくりするだろ。俺も受け取った時びっくりした」
「受け取った時はこんな小さかったんだぞ」と親指と人差し指でサイズを示すと、希望は目を丸くした。
 奥多摩研究都市での研究成果だ。
 砂漠化を止めるために成長の早い植物を開発しているのだ。
「そんで、こっちでは乾燥に強い植物を開発している」
 各研究都市で別々の研究をし、その成果を共有し合う。その物流を担うのが、高斗の仕事だった。
「どこの都市も頑張ってるんですよね」
 大宮のことを思い出したのか、希望の顔が曇り始める。高斗は軽く希望の頭を叩いた。
「ああ。成功も失敗も、全て人類を絶滅の危機から救うために役立ってるさ」
「そう、ですよね」
 希望は自分に言い聞かせるように呟いた。

「今夜はたーんと食べてね!」
 日も暮れた頃。希望は高斗と共に瞳に夕飯に招かれた。
「悪いな、あかり」
「高斗の為ならえんやこらーだよ」
 あかりと呼ばれた少女は、瞳の妻だという。瞳が三十であかりが十八というから、一回り離れた夫婦だ。
 瞳の家の縁側でお茶をごちそうになっていた時この少女が現れた。やたら高斗と親しげな様子にもやもやしたが、「こいつ、瞳の奥さん」と紹介されて何故かすっきりとした。
 あかりはこちらにも笑顔を見せた。
「希望ちゃんも遠慮せずどんどん食べてね」
「ありがとうございます」
 あかりは研究施設で働いている。有能な研究員だそうだ。植物の遺伝子操作やゲノム解析を専門にしている。
 瞳がお盆を運びながら妻に声を掛けた。
「あんまり無理すんなよ」
「だいじょーぶ。今日はつわり来てないんだよね」
「ならいいけどな」
 仲が良さそうに動き回る二人を眺めながら、希望は「いいなあ」と思わずぽつりと呟いた。「菊池さん?」
 高斗が心配そうにこちらを見てくる。
 彼に心配をかけたくない。
 何故かそう思って、希望は無理に笑いを作って返した。
 高斗は「さっきも言ったけど、無理しなくていいからな」とぽんと頭を叩くと「手伝うぞ」と二人のもとへ歩いていった。
 取り残された希望はぽつんと座布団の上に座っていた。
 手伝ったほうがいいのかな? でも、勝手がわからないあたしじゃかえって邪魔になりそうだし。
 高斗はこの家の勝手を知っている感じだった。よく遊びに来るのかも知れない。
 希望がどうしようかと悩んでいると、膝に何かが触れた。
 くすぐったい、そう思って目を向けると、そこには十センチくらいの小さな獣がこちらをきょとんと見ていた。
「わっ」
 希望が小さく声を上げる。
「どうした、菊池さん」
 高斗が皿を持ちながらこちらにやってくる。希望はそっとその小さな獣に触れた。
「……かわいい。ネズミかな?」