ホモ・サピエンスが必死にその貴重な個体の生命を賭けてまでネアンデルタール人になろうとしても、その対価が見合わない可能性が高いのだ。
「あ、二人とも、ここにいたんだね」
 あかりがひょっこりと顔を出す。腕には赤ん坊を抱いている。
 希望が興味深そうに赤ん坊を覗き込んだ。
 希望はつくばに戻ってからも浅間や日本政府との協議で忙しく、ゆっくりあかりの赤ん坊に会えることがなかったのだ。
「抱いてみる?」
「わ、いいの?」
 希望はぱあっと笑顔を見せて、赤ん坊を受け取った。
「わっ!?」
 思わず取り落としそうになるのを見て、高斗は慌てて下に手を添えた。
「あぶねえなあ……」
「だ、だって、大きいのに、思ったより軽くて……」
 そこで希望ははっと口を噤んだ。高斗もゆっくりとあかりを見つめた。
「あかり、まさか」
 あかりは微笑んだ。そして、人差し指をしーっと唇に当てた。
「多分、ね。でも瞳くんには内緒ね。……と言っても、気づいてるだろうけどね」
 希望がしょんぼりと視線を下に下げた。その気持ちをすくい上げるようにあかりが楽しそうに笑った。
「ね、今日病院行ってくるんでしょ?」
「う、うん」
 真っ赤になる希望がかわいい。
 今日は、希望が妊娠しているかの検査に行くのだ。
 状況が変わったので、妊娠を急ぐ必要はなくなったのだが、希望には短命というリスクがある。彼女と自分の間の子供が欲しかった。
 それに、何より、高斗自身が早く知りたくなったということがあった。これでできていなかったら、あとは普通に生理が止まったら検査をしようとは思っているが。
「おーい、昼飯にするぞ」
 キッチンから瞳の声が聞こえた。
「今、行く」
 高斗は大声で答えた。

   ***

「おじいちゃん、おじいちゃん」
 気持ちのよい初夏の午前中。
 縁側でうたた寝していると、孫が声をかけてきた。
「ん? どうした、未来(みらい)」
 高斗は半身を起こした。四歳ほどの小さな女の子が、手にいっぱいの青い花を持っている。
「おー、きれいだな」
「これね、おじいちゃんに!」
 高斗は孫を膝の上に抱き上げた。きゃっきゃと楽しそうに未来は笑った。
 ぴきい、と鳴き声がした。
「おわっ!?」
 高斗がのけぞると、花の影からエゾナキウサギが顔を覗かせた。
「かわいいな」
 未来は「うん!」と顔をほころばせた。
「あおいおはなもきれいなの。なんてお名前かな?」
「ああ、これは矢車菊だ」
 高斗は庭の前を見渡した。
 一面の緑。
 竹と矢車菊の交配種が開発されてから三十年ほど。
 次々に緑化に有力な研究が開発されて、日本の砂漠の半分ほどは元の緑の世界に戻った。
 それにつれ、人口もわずかながらに増えてきている。
 この研究は世界各地に輸出され、徐々にホモ・サピエンスは個体数を増やしていた。
 懐かしい気持ちで高斗は目を細めた。
「さっきね、瞳おじちゃんとあかりおばちゃんのおうちにも持って行ったの」
「そうか、喜んでくれたか?」
「うん!」
 未来は嬉しそうに胸を張った。
「そうだ、おばあちゃんにもこのお花見せてやろう」
 高斗は立ち上がる。
「うん!」
 未来も勢いよく立ち上がった。
 二人手を繋いで、田んぼ道を歩いて行く。
 しばらく歩くと、墓地が見えた。
 未来が駆け出す。
「おばあちゃーん!」
 その先にひとつの人影があった。
「あれ、未来。一人で来たの? あ、おじいちゃんと一緒だね」
 希望が墓石を磨いていた。高斗は手を上げる。
「おばあちゃん、おばあちゃん、これ、おばあちゃんにね、あげる!」
「わあ、きれいだね。ありがとう!」
 未来は褒められて大喜びだ。
「もっと摘んでくる-」
 そう言って駆け出して行ってしまった。
 高斗は希望の横に立った。寄り添うように希望がこちらに体を傾けてきた。
「大きくなったよね!」
「ああ。ほんとにな」
 希望は目を細めた。
「幸(さち)を生んだ時は、まさか孫の顔が見られるなんて思ってもいなかった」
 希望は今年で五十歳だ。
「今は人生百年時代だもんね。早死にって言っても五十年くらいは生きられたのかな?」
 いたずらっぽく希望が笑う。
 その体を抱き寄せた。
「バカ、もっと生きろ。ここまで来たら百まで一緒に生きよう」
 真剣な眼差しで訴えると、希望はにっこりと微笑んだ。
「うん、そうだね。お札もあったしね」
 幸が小学校に上がる頃、つくばの木花咲耶姫の浅間神社で見つかったものがある。
「希望の命が少しでも長らえますように。私たち二人の寿命を分け与えてください」
 それは、希望の両親が残したものだった。
 高斗は希望を抱く腕に力を込めた。
「なんなら、もう一人、作るか」
「なっ! このスケベじじい!」
「あー。おじいちゃんとおばあちゃんがいちゃいちゃしてるー」
 未来が駆け寄ってきた。
 高斗は未来を抱き上げた。
「よーし、今度は三人でいちゃいちゃするぞー」
 未来がきゃっきゃと楽しそうに笑う。
 見渡す限りの緑。
 その緑の中を抜けて、風が心地よく吹いていた。

 終わり