希望は寒さを感じて目を覚ました。
 隣に眠っている高斗が寝返りをうっているうちに、少し離れた場所に行ってしまっていた。 希望はそっと上半身を起こす。高斗の安らかな寝顔を見つめた。
「かわいい」
 ふふっと笑みを漏らし、のそのそと彼に近づいていく。
 彼は更に寝返りを打って、希望から離れていってしまった。
 ーー怖い。
 何故かそんな気持ちがふっと湧き出た。高斗が自分からこのまま離れていってしまいそうな、そんな気がしたのだ。
 バカなことを。
 希望は立ち上がった。
 高斗は自分と結婚してくれると言った。彼の気持ちを疑ったりはしない。
 けれど、何故だろう。
 彼の子供が欲しかったのに、それを望むことが、何かとてもいけないことのような気がしていた。
 その気持ちは、彼に抱かれている時に顔を覗かせた。
 希望は高斗を起こさないようにそっとドアを開けた。水でももらってこようか。
 常夜灯だけの薄暗い廊下を歩いて行く。厨房から明かりが漏れた。まだ夜明け前なのに、もう仕込みを始めているのだろうか。
「わっ」
 急に扉が開いて、希望は驚いて後ずさった。中からは目を丸くした女将が出てきた。
「あら、お嬢様! お早いですね」
 女将が微笑んだ。希望は女将にわずかに違和感を覚えた。
「あ、ちょっとお水をもらおうかと」
 なんだろうと考えながら返事をする。
「ああ、そうなんですね。今持ってきますよ、お嬢さ……お客様」
 言い直されたことで、違和感の正体がわかった。
「お嬢様?」
 希望は首を傾げた。女将は一瞬躊躇った素振りを見せた。
「単なる言い間違いですよ。……と言おうと思いましたが」
 女将は思いきったように顔を上げた。
「お久しぶりです。希望お嬢様。お嬢様が幼少の頃住んでいたお宅で働かせていただいていた者です」
「え?」
 覚えていない。そもそも我が家は多少裕福だったとは言え、お手伝いさんがいるほどの家庭ではなかった。
 希望の動揺を見て、女将は落ち着かせるためか笑顔を見せた。
「お宅と言っても一時期、ほんの一年くらいのことですね。この先の湖のほとりにある神社にお住まいだったことがあるんですよ。お嬢様が三歳くらいの時のことだったかしら」
「そうなんですね」
 覚えていないのも無理はないだろう。が、昔お世話になったというのならお礼をしなければ。
 希望は笑顔で声を掛けようとした、その時。
 女将が突然希望の手を取った。
「お嬢様。お嬢様は人類の希望です」
 真っ直ぐこちらを見てくる瞳に気圧された。
「な、なんの話ですか」
 問い返すが、どこかで聞いたことがある台詞のような気がした。
 ーー希望。
 ーーお前は私たち夫婦の希望だよ。
 あれは、父の言葉ではなかったか。
 母が目の前で熊鷹に喰われている時の。
 ーーいや、人類の希望だ。