当たり障りのない高校生。
いじめひとつせず、善良な学生。
彼の事情聴取を行った時、少なくともそう思った。
ある程度、目星をつけていたし、彼がいじめっ子なのではないかと思っていたが故に拍子抜けするほどの優等生。受け答えも良かった。
しかし、そんな彼の評価はクラスメイトからは良くなかった。
最低と言ってもいいほどのクズ人間。
警察としてこの課に選ばれ、いいことはなかったけど、ここまで極悪非道な人は見たことがない。
日常に潜むヤバい人。
もっと調べれば、どんな病かわかるはずだろう。
だけど、それができないのは、彼がつけていた日記と遺言が発見されたからである。
それは、深山空が自殺を図り一ヶ月後の出来事なのだから。
+++
日記をつける習慣が身についたのは、小学生に入った頃だった。
それは、ある病院に行ったことがきっかけだ。
親は、俺が他の人とは違うと認識した。
幼稚園に通っていた時にも何度か親と先生がそういう話をしていたので、俺はもしかしたら嫌われるのではないかと直感的にそう思った。
両親が好きな俺は、それだけは避けたかった。
友達はいるし、園内でも上手くやっていた。
だけど、もし嫌われたら気性が荒くなるかもしれない。
病院の先生は、日記をつけてみてはいかがですかといった。
なぜだかわからないけど、両親に嫌われないために、それを行うことにした。
しかし、それを行っていた小学六年生の頃。
その何百冊と超えた日記はいつの間にか捨てられていた。
「……どうして。なんで」
俺は、嫌われないためにここまでした。
なぜこうなったのかわからない。
今まで書いてきた日記がなくてなってしまったので、血走った勢いで親を問い詰めた。
「なんで、日記がないんだ!」
「……」
「答えろよ!俺は、今の今まで日記を書いてきたんだぞ!寝る20分前から毎日見開き一ページは書けるようにってやって来た!なのに、なんで!なんで⁉︎」
父親の胸ぐらを掴み、ソファに押し倒す。
「そう言われて、毎日書いて来たのに無駄だったのかよ!俺は、嫌われないためにここまでやったんだぞ⁉︎それなのに、どうして!どうして‼︎」
泣きながら、訴えた。
「お前の日記は読んだ」
腕を掴み、睨むように問うた。
「あれはなんだ?お前、俺たちのいないところで何をしてんだ?なぁ、あれは、あの日記の内容は、いじめ、じゃないのか?」
「違う!」
「うそつくんじゃない!証拠はあるぞ。お前の担任から連絡があった。だから、担任教師に会いに行った。お前のクラスメイトがそう証言したんだぞ⁉︎」
「だから、違うって言ってんだろ!」
「お前は、俺の職を妨害するつもりか!今の役職に辿り着くまでどれだけ時間をかけたと思ってんだ。もし、自分の子供がいじめを行っているなんて知ったら、解雇だ……」
「違う!そんなことしてない!大体、いじめってなんだよ!なんの話だよ!」
「しらばっくれるのものいい加減にしろ!お前、人をいじめたんだぞ?死んでもおかしくないんだぞ?それなのになんだよ、あれ。日記にあんなの書いて……。いじめの証拠なんか残すなよ」
「だから」
「お前は、他の人と違うことくらいわかってた。その分、できることもあってそれを刺激させれば上手くこなすようになって、別に問題児じゃないって他とは違っても悪い奴じゃないって思ってたのに……。見損なったよ」
「……は?ふざけんじゃねえ!俺は、いじめてない!いじめなんかしてない!俺は、何にもしてない!」
「今更、誰が信じるってんだ!」
「俺はやってないんだよ!信じてよ!父さんに嫌われたくない!好きでいてほしい!俺、父さんのこと好きなんだ!」
「俺は、いじめをするような子は嫌いだ。俺の教育の失敗だ。ごめんな。もう、いじめはするなよ」
それでも、日記は書くことを決めた。
俺は、いじめをしていない。
小学生の頃、そこにはいじめを行う生徒が多数いた。
いじめは、楽しくないし、面白くない。
そう思わせることで、彼らをいじめの道から外した。
俺の功績だった。
いじめられていた子からは、感謝されて喜ばれて、お前がいなかったら苦しかったなんて言われて嬉しかった。
日記には、彼らの心情を知りたくて殴り書きしたこともあった。心理学の本を図書館で借りて、どうしていじめを行うという心理に至るのかも書いていた。
俺が、周りと違うと思われるのは、人の心理が極端に理解できないから。
それに気がつくことができたのは、それこそいじめっ子を見ていた時、いじめられている人を見た時だった。
どうして、そんなことするのか、逆にどうしてそれを許してしまうのか。
いじめっ子の名を書いて、どんな人か、何をすると喜ぶのか細かいところまで書いた。
他にもどうして恋愛をするのか、恋をとは何か、愛とは何か。
好きとは何か、喜ぶとは何か、楽しいとは何か、まるでその感情が理解できなかった。
だから、俺は、幼稚園生の時、みんなが楽しんでいる間、俺は笑うこともしなかった。
だって、笑うことが何を意味するかわかってないから。
心理学を参考にしていると良くわかる。
人は、そういう表情で理解していくものだと。
父さんに嫌われたくない、その一心は、悲しみを感じ、怒りを覚えた。
その仕組みがわかると、俺は嬉しくなった。
これが、嬉しいのか、と。
考えてみれば、何が間違っているのか、なんていう話はどこにも存在しない。
その事象に対し笑顔を浮かべる人もいれば、悲壮な顔をする人もいる。
嫌われないようにと両親の気持ちを考えて来た。
しかし、俺はいじめを受けた。
人の表情もわかるようになってきたし、のらりくらりといざこざからは逃げられると思った。
タイミングが遅かった。
いじめっ子がそんなことで改心するはずがないのだ。
俺は、いじめられた。
いじめから解放された、いじめられていた子は、俺をいじめるようになった。
あれだけ喜んでいたのに、どうしてだろうか。
あれだけ感謝していたのに、なぜ?
殴られるし、蹴られる、ものは隠されるし陰口もある。
なあ、どうして?どうして、どうして、なんで?
いじめの心理をもっと知りたくて本を読み漁る。
わからない感情なんてない方がいい。
わかるようになれば、対処できる。
俺は逃げない。
逃げることは恥だ。
恥じることなんてしない。
真っ向から勝負する。勝負しなきゃならない。
もう誰にも嫌われたくない。
いじめがこんなにも辛いことだと、辛いという感情をいじめで知ってしまった。
それがなおさら、自分を嫌いにさせた。
父さんは、俺がいじめをしたと言って話を聞かない。
その理由もよくわかる。
いじめっ子が俺をそうするように言わせたのだ。
いじめられたやつは、いじめっ子にまたいじめられたくないから、そういうのだ。
そして、いじめっ子には先生と仲が良くて、印象操作を行える人もいる。
そりゃ、父さんが学校に行った頃にはそういう話で通すよな。
このまま、父さんに嫌われたら?
いやだ。
どうしたらいい。わからない。
わからない感情をどう理解したらいい。
それよりなぜ理解できないのか。
……俺が、親ではないから。ほかの人と違うから。
もし、親なら理解できたのか。
そもそも親じゃないのにどう理解しろというのか。
親と子供というのはこんなにも壁があったのか。
じゃあ、もう無理だよ。
俺をいじめっ子だと思ってる。
どうしたらいい?
ねぇ、どうしたらわかってくれる?
証拠ってどう見せればいい?
親の持ってるスマホ、俺ないよ?
拡散できる媒体はどこにもないよ?
俺じゃなくて、なんでクラスメイトの言葉を信じるの?
「俺は、やってないんだって言ってるだろうが!」
その日、父さんは母さんにそれが伝わった夕飯時。
母さんにも問い詰められて俺は、苦しかった。
なんで、誰も信じてくれない?
両親の子だよ?一人っ子だよ?
唯一の子供をなんで信じてくれないの?
「そんな汚い言葉を使う人をどう信じてあげればいいの?挙句、父さんに暴言なんて……」
「だから!」
信じてくれればよかったんだよ……っ!
泣きたい気持ちをグッと堪えた。
ここで泣いて仕舞えば、男じゃないとか、やっぱりいじめたのねって言いかねない。
でも、だめだ。
このままでは泣いてしまう。
泣いてはいけない。
こんな目に遭っても、俺は両親を好きでいる。
「なんで、信じてくれないんだよ」
「みんなが言ってるの。あなた、日記に書いてあったあれは何?あんな風にクラスメイトのことを書いて、分析して掌握しようと思ってたの?」
「違うんだってば!」
今まで、周りと何ら変わりのない普通の男子でいた。
どんな会話も理解するようにしてたし、流行は抑えていた。
それが当たり前になったから、幼稚園生の時に言っていた先生の言葉もいつしか忘れてしまっているのかもしれない。
日記だけじゃ、普通を演じれないから。
……ああ、そっか。俺は普通じゃない。だから、普通になりたくて色んな人と馴染めるように分析したんだ。
「今のあなたに私たちがどう信じろっていうの?あなたは、変わってしまったのね」
変わったのは、両親だ。
でも、それは言えない言葉だった。
家庭が壊れる気がしたから。
喧嘩なんかしたくない。
両親を好きなままの自分でいたい。
「なんで、そんな目で見るんだよ!俺は何もしていないって何度言えばわかる!」
「今日はもうやめよう。俺たちも気が気じゃない。落ち着いていないまま話し合うのは時間を無駄にするだけだ」
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!
何が、落ち着いてないだよ。俺は、落ち着いてる。
なんで、信じないんだよ。
なんで、そんな目で見るんだよ。
今までの俺の努力は無駄だったのかよ!
俺は、俺はなんのために頑張ってたんだよ……。
「俺のこと、どう思ってんの?二人は、今俺をどんな風に見てんの?」
縋るような思いだった。
せめて、少しだけでいい、一言だけでいい。
信じてると、そう言ってくれれば良い。
「ひどく信じられない出来事だと思ってる。後悔してる。育て方を間違えてしまったんだ、と」
「……」
父さんはそういった。
信じてない、と直接言ったわけじゃないけど、俺自身を否定しているように思えた。
そんなわけない。
それだけはない。
縋る思いで母さんを見た。
だけど、母さんは目が合うとそらした。
そらして、首を振った。
……あぁ、そうなんだ。両親は信じてくれないんだね。
刹那的に何かが崩れた。
壊れた。木っ端微塵に今まで築き上げたもの全てが終わった。
+++
「この事故は、君に任せるよ」
事故を取り扱う課の知り合いに任せた。
「いや、それは難しいだろうな」
「……」
「三島、わかってるだろ。お前が担当してる自殺未遂の生徒のいるクラスメイトだぞ?合同でやるに決まってる」
「そっか。そうだよな」
「……それより、それは?」
「え?ああ、日記だよ」
「日記?」
「藤川が書いた日記だ。これが事実なら哀しくなる」
「……藤川、ああ、そうか。でもお前、いじめっ子に同情すんの?お前も変わったな」
「遺言も読め。彼はとっくに自殺の意思があったみたいだよ」
「は?ま、まあ、いい。わかった、後で読む。ただそれよりも、今は事故現場にいた彼にも会ってもらいたい」
自販機でブラックのコーヒーを頼むと快く購入してくれた。
奢ってくれるみたいだ。
「会って欲しい人って?」
「自殺未遂した彼の弟さん」
「……そうか」
藤川の思いは、ただ両親に好かれたかったこと。
ならばどうして、いじめなんかと思ったけど、彼の心理を考えれば理解できてしまうことだった。
理解できるけど、同情はしない。
警察になってからいろいろなことがあった。
そこに私情は挟まない。
それでこそ、立派な警察だ。
+++
俺は、小学校でいじめてきたやつを殺す決意をした。
お前らのせいで両親からの信頼はゼロになった。
あんな目で見られることなんてなかった。
今まで普通だった。
俺が、努力することで両親は喜んだ。
努力する気持ちにつながった。
中学校に上がる時、小学校のクラスメイトも大抵同じで他の小学校の生徒も一緒になる。
そして、すぐに決行した。
中学でいじめをしてそうな人をこれまでの努力全てを使って探し出し、仲良くさせた。
仲良くさせてから、俺がカーストのトップに出るように仕向けた。
俺がいることで、いじめっ子は上にいられる。
その恩恵というものを知らしめる。
話は、簡単だ。
小学生の時のいじめっ子なんて基本弱い。
集団でイキがるクソガキ。
ならば、集団じゃなくてもなかなかヤバめの人を誘い込めば確実に上に行ける。
そんな人が集団で生活してくれるのか?と思う人もいる。
問題なんてなかった。
仲良くなればいい。
問題児を掌握、先生の苦労も軽減することで先生との信頼関係を結ぶことができた。
そして、問題児も俺がいれば、大ごとにならないと知る。
圧倒的に優位な立ち位置に俺はいた。
だから、決行した。
小学生の時にいじめの的になっていて、俺をいじめっ子に仕立て上げた彼らをまず潰した。
彼らは、他クラスにもいるけど、そこは部活に入り同じクラスである部員に吹聴する。
そして、じわじわと締め上げていく。
彼らは、俺に謝罪した。
だけど、俺はそれを許すつもりは断じてなかった。
彼らは許されないと知ると小学校の時のいじめっ子に相談した。
が、お金も取られ先生との信頼も結べなかった彼らは立場的に弱くなっていて、協力するつもりもないようだった。
完璧だった。
何もかもが計画的で支配的で快楽さえ感じた。
気持ちがいい。
最高にいい気分だ。きっと酔っているのだ。
小学校でいじめられていた彼らは不登校になった。
先生に、問われたが俺はそんなことしないと泣きながら言った。
泣くことで先生に罪悪感を与えるのだ。
俺は、先生を信頼していたから仲良くなれたのに先生は俺を信じていなかったんだね、と言わんばかりに。
それは問題児である生徒にもメリットがある。
やりたい放題やっても怒られないということ。
そのままにしておくと反感が生まれる可能性があるので抵抗できないように脅した。
入学して一年間で、小学校の時にいじめていた生徒は全員潰した。不登校になったものもいえば、転校した者、一人でひっそりといじめを受け続けるものも。
復讐は終わった。
しかし、そんな中、両親は離婚した。
俺が、いじめをしているということを信頼を得るために利用した先生に呆気なくバラされたのだ。
初めから信用していなかった。
それもそうだ。だって、俺は小学生の時にいじめていたという認識なのだから。
大人は資料だけを信じる。
人なんか信じてない。
ましやて、俺のことなんて信じてない。
俺はそれを知った。
父さんは出て行った。
母さんだけでもいいから、信じて欲しかった。
だけど、ダメだった。
母さんは、だんだん弱っていった。弱り、助けを求めるように縋るようにほかの男を家に連れ込んだ。夜な夜な酒を飲んでは、部屋に入っていく。
俺がいじめを今も行っていると信じているからそんな方向へと走っていく。
それでも、俺は逃げることをしなかった。
母さんにだけでもいいから、好きでいてもらいたい。
たったそれだけ。
一年生の三学期にある女子生徒がいじめの的になった。
理由はわからないし、何にも知らないけど、いじめられるようになった。
その女子は、デブで動きが鈍い。
運動もできないようで、格好の的だった。
だが、それは俺たちが発端じゃない。
女子生徒同士のいじめだ。
関わるつもりなんてなかったが、俺は当時いじめている女子に好意を寄せられていた。
だから、なんとなく面白くなっていじめることにした。
お前も、辛い経験をしろと心のどこかで叫んでいた。
俺と同じようにいじめを受けろ。
誰からも信じてもらえない世界で生き続けろ、と。
そして、彼女は、毎日いじめられていた。
興味のない女だったのもあって名前すら覚えてない。
その女は、二年生を機に転校した。
他の学校に行ったんなら、興味はない。
2年になって太田というゲイに出会った。
そいつは、気に触る事もなかったので普通に仲良くなった。
案外どこにでもいる普通の男子中学生。
そして、そいつと俺は同じ高校に進学した。
同じ高校に進学し、同じクラスだった。
しかし、俺は自己紹介の時に出会ったそいつに吐き気がした。
何かに対する憎悪だったり悲しみだったりそんなものが混ざりまくった顔。
自分が被害者のような面が何より一番許せなかった。
逃げないと決めているくせに逃げようと曖昧な選択をする彼の姿。
名は、深山空。
ターゲットは決まった。
深山をいじめの相手にしよう。
怒り任せに俺はそいつの情報を探った。
太田が根拠もなしに男と付き合っていた可能性があると言ったのが聞こえた時は流石に笑いそうになった。
馬鹿馬鹿しい。
だけど、同じ中学だったというその生徒に会うとその言葉は真実へと変わった。
あいつの被害者です、誰か助けてくださいと言わんばかりの表情。
誰も信じてくれない俺に向かって言ってるのか?
ありえない。
お前だけが許されることなんてない。
許してはいけない。
こんなやつ、死んでいい。
死ねばいい。
嫌いだ。
被害者でいるお前が嫌いだ。
お前は、俺の痛みより自分の痛みを知ってほしいのか?自分勝手で哀れだ。
お前みたいな奴が消えてくれれば俺は俺を許せる。
こんなことになってしまった俺でさえ、救われると思うんだ。
救ってくれ。
お前が死ぬことで俺を、満たしてくれ、救ってくれ。
夏休み終わり、彼は自殺を図った。
やりすぎた程度にはやったので当然だ。
お前は、早川がいる、中野がいる。
俺には誰もいない。信じてくれる奴なんか一人もいない。
なのに、満たされない、救ってくれない。
……十分だ。息を吐くように出た言葉。
十分すぎるくらいに満たしてくれると思った。
なあ、なんで?
なんで、気分が良くならない?
おかしいなぁ。酔えてないのかなぁ。
どうしてだ、ありえない。
お前が俺を救える。
俺は、俺を信じることができない。
だから、お前が証明してくれ!
俺の求めるべき救済の方法。この気持ちの解決法を全部お前が教えてくれ。
信じることなんてできるわけない。
逃げるのは恥だと教えたやつは、こういう気持ちだったんだろうか。
俺の気持ちも間違いか?
***
命は、あっけない。
そう思ったのは、いつだろうか。
人は飛び降りることで意識を失う。
意識を失って消えていく。
もし、死ぬのなら、このまま消えるように終わるのだろうか。
何も考える事もないまま、血を流すのだろうか。
深山の自殺未遂。病院は登下校に使う道にあるこの地域では大きいところ。
そこにいく理由は、本来どこにもないけど俺がいじめをしているという嘘から始まった出来事はいつしか本物に変わった。
母親は、ノイローゼになり入院した。散々、疑って信じなかった母親がこのありさまだ。
俺の言葉を信じなかった奴が馬鹿げている。
ここには行きたくないが、いくしかない。
両親が好きなはずなのに、いつの間にか会うことさえ嫌になっている。
そんな病院内、インフォメーションで騒ぐ中学生くらいの生徒がいた。
その中学生が着ている制服は深山空と同じ中学校のもの。
「お前、そこで何してんの?」
「……あ?」
中学生にしては気のいい奴だと思った。
もしここで喧嘩腰になり暴力を振るうのなら高校生の対処能力ですぐに終わらせる。
暴力なんか必要ない。
「君さ、こんな場所で大声出していいと思ってる?他の人に迷惑になること、中学生ならわかるでしょ」
「うるせえ。こっちは、見舞いに来てやってんのに面会謝絶だとかいうから」
面会謝絶……。
こいつ、思えば、深山と輪郭が似てる。
目や鼻、顔立ちがとても似てる。
俺も、両親の目や鼻は似ているところがある。
母親は、両親の遺伝からできた顔に喜びはもう感じないのだろうか。
「そうか。じゃあ、やめたら」
「は?何言ってんだ、てめえ」
「やめた方が良いよ。面会謝絶でお前が来ちゃいけないっていうなら、それ以上の言葉はないだろうな」
「意味わかんねえこと言ってんじゃねえぞ!大体、俺は時間ない中、見舞いに来たんぞ?それなのに、帰れってのかよ」
まるで話が通じていない。
こいつ、日本語ちゃんと勉強してないのか?
それに、年上に対してというか人としてのマナーが何一つなってない。
いじめてたやつが何を言ってんだか……。
「そう言ってんだよ」
「ふざけんな。そういや、お前、兄と制服が一緒だな。深山空は知ってるか?」
やっぱりな、と思った。
だけど、慣れ合うつもりもないし、そもそもいじめたやつがその弟と会話をすることもおかしいわけだ。
「あぁ、自殺未遂したやつね」
「知ってんだったら、なんで自殺未遂したのか教えろ!いじめじゃないのか!」
矛先が俺に向くのはわかってる。
そんなことをしていれば、いずれ刺されるだろうことも分かる。
それくらい当然だ。
だけど、まさかラスボスにたどり着くまでにこんな一瞬だというのはとても面白い。
「違うね」
俺は嘘ついた。
嘘というか、いつも通りの対応だけど。
「それはない。俺の兄は、ずっと苦しんでた。その理由は、簡単だ。学校でいじめに遭っていたから」
「どうやってその解にたどり着いた?」
場所を移動した俺たちは、外で暑い中、深山の弟の対応をする。
さすがに、いじめの問題をインフォメーションの前でするわけにはいかない。
「消去法だ。家族に問題はなかった。バイト先でいじめられるようなことがあれば、すぐにやめるはずだ。よって、学校に何かあった。そのなにかは、いじめだ。いじめ以外に見当つかない」
「……」
「ほら、正しいだろ」
「いや、バカだなと思ったよ」
「は?てめえもう一遍言ってみろ!こっちは、受験で高い偏差値の学校に行くんだよ!兄とは全く違うんだよ!お前らと同等だと思うなよ」
「頭の悪さは、兄と同じだな」
「いい加減にしろ」
右こぶしがとんできたので、サッと交わし関節技を決める。
「怒りに任せて暴力を振るうなんて子供がやることだ。その子供の相手をするのは大人だ。大人は、本来軽く対処できる。そのためだったら隠蔽だってできる。そう思わないか?」
「は、離せ……」
「無理だね。大人は、いくらでも解決策を生み出せる。例えば、お金がないなら借りる、借金をするのもありだ。結果的に返済できればいいから。詐欺にあったのなら、弁護士を雇うこともできる、じゃあ、お金がないから無理かっていえば、さっき言った通り借りればいい」
「何が言いたい」
「言いたいこともまともに理解できないのか。頭いいんじゃないのか?偏差値高い学校に行こうって言ってるやつがこんなにも頭悪いのかよ。性格の問題?それとも、環境がそうさせた?」
「ふざけんな」
「まず、お前は、消去法で考えた時点で終わってる。じゃあなんで、今、お前は面会謝絶の中、それを突破することができなかった?そして、二つ、面会謝絶を聞いたお前は、公共の場で何をした?三つ、人としてのマナーがないお前は、さっき俺に何をしようとした?なにをして、関節技をキメられてる?」
「……っ」
「怒りに任せて、人を殴りたい気持ちはよくわかる。中学生だった俺もそんなことあったし、小学生の時は親を殴ったりもした。止められたけどね。だとしたら、未遂か……」
「……」
「君が、面会謝絶を突破できなかったのは、家庭に問題があったから。それ以外にないだろ」
「う、うるせえ……」
俺は、技を解いた。
「家族に問題ない奴が、なんで面会を断るの?会いに来てほしいって思うんじゃない?俺を見て!って叫ぶんじゃない?バカでもわかるよ。消去法って一番危険だと思わなかった?総合的に考えないといけない。結果を一つだけにするとそこに至る過程にどれだけの苦悩があったのか理解できないよね。結果は、多数決で決まる、答えも一緒だ。でも一つに絞る必要がないのは、数学が教えてくれたはずだ。答えが知りたかったら、いくらでも作れるし、考えれる。だから、人は、人の感情に悩むんだ」
「家族に問題があったっていうのかよ」
「自分のやってきたことに問題がないわけじゃないからね。みんな誰かを傷つけてるってよく言うだろ?」
「……あなた、名前は?」
予想外の質問だった。
ここでメンタル壊してやろうとか思ってたのに。
イラつくやつの弟なら余計潰してやりたいって考えたのに。
だけど、その質問は嫌いではなかった。
「藤川。藤川浩太だ」
「俺、深山斗真です」
深々と頭を下げていた。
「少しだけ、話、聞いてもらえませんか?」
「え?」
「俺、頭の整理ついてないんで。あなたになら、伝えたい」
馬鹿げた話だった。
だけど、俺はその話に乗った。まっすぐな目をしていたから。
罪滅ぼしのつもりなんか一切ない。
罪は、墓場まで持ってく。
人をいくらでも傷つけるし、それでいいと思ってる。
俺は、そういう人間であるべきだから。
絶対的悪に徹する。
それでも、こいつだけは見過ごせなかった。
つぶすこともできる、メンタルを崩壊させることもできる。
だけど、やらない。
こいつは、こいつがいれば、深山空が俺に答えを救いを教えてくれるに違いないから。
カフェに着いた。
奢ってやるよとカッコつけて席に着く。
こいつは、調子乗ったのかミルクレープまで頼んできたが……。
「俺の話聞いてくれませんか?」
「そのくせに、だいぶ奢ってもらってんだな」
「あんまりお金持ってなくて。うち、離婚してるんで」
「え?」
「だから、親からお小遣いもらっても周りと比べればそんなに多くなくて、あまり使わないんですよ」
「……そうなんだ」
深山家が離婚してる。
俺と同じだ。
だけど、きっとその理由は、子供じゃない。
俺が原因で父さんは、耐えかねて離婚を切り出した。
母さん諸共関わりたくなくなったんだろう。
「うちは、兄貴が理由で離婚しました」
「……は?」
「まあ、そんな反応になりますよね。あんまり人には兄貴が原因だとかはいわないですけど……。兄貴に付き合っている男子がいたって知ってます?」
「あ、まあ、聞いたことあるけど」
それを理由に、いじめることにしたとは言えない。
「それが、原因で父さんは、豹変したんです」
「豹変?」
いちいち、気になるような言い方をするよな、こいつ。
「父さんは、恋愛と言ったら男女でするものっていう考え方があって。それは、いいんです。俺も、正直女子と付き合いたいし」
「まあ、普段見かけないよな。男子どうしで、恋人つなぎとか」
「そうなんです。ネットやテレビで見る話で、リアルに欠けるというか。ゲイだと言われても困るんですよね。親からしたら、それは孫が見れないのと一緒だから」
孫が見れない……。
普通の親だったら自分の子供が結婚することとか勝手に想像するし、孫を見たいとか言い出す。
でも、俺は、そんな期待されていない。
自分で始めたことだ。
仕方ないと言うほかない。
「父さんは、男子同士は恋でも何でもないって言い出して、それから兄貴に手を出すようになりました」
「暴力?」
「ええ、まあ。母さんはなんにも知らなくて。でも、それを機に両親の意見が対立したんです。男子同士の恋は許さない父さんと、兄貴がゲイでもいいという母さんで」
「……」
それは、もはや深山空は両親にとって男子を好きになるタイプだったということになる。
じゃあ、なんで彼は早川とデートなんか行ったのだろう。
男が好きなら、あまりそういうことしない方が、思わせぶりにもならないし、良いのではないだろうか。
「でも、実際、兄貴は女子が好きなんです」
思わず、コーヒーを吹きだした。
「え?はぁ?じゃあ、両親の対立は意味をなさない?」
「はい」
「じゃあ、なんで」
「兄貴は、父さんが豹変してから自分の気持ちを声に出さなくなったんです。何を言っても怒られるから。叩かれるから」
「で、でも、もし言ってれば、離婚もしなかったかもしれない。暴力だって……」
なぜ、こんなにも熱くなっているのだろうか。
もし、離婚しなければ……。
もし、俺を信じて言葉を聞いてくれたら……。
今はもう叶わないものだと知っているから……。
「俺は、兄貴が好きでした。今は、好きになれない」
いきなり話題を変えるな。
頭が狂う。
お前みたいに頭いいわけじゃないんだぞ?
もしかして、自分も答えを知らないから、言えないとか、話を変えたとかじゃないよな。
「兄貴は、話すのが上手でした。俺が勉強を嫌いなの知ってるくせに、勉強したいって思えたのも兄貴でした。刺激をくれるんです。勉強っていうより好奇心というか……。なんでも言うし、隠すことはしない。まじめに勉強もしてたし、中学生のころまでは頭良かったんですよ」
「……とてもそうは見えないけど」
俺の学校は、底辺校だ。
俺みたいに荒れ狂ったやつがたくさんいる。
「中学の学力調査なんて進学校は余裕ですから」
「……そう」
頭が良ければ、真面目だったら、普通の人だったら……。
俺は両親に嫌われなかったんじゃないだろうか。
だけど、そんなこと思い返せば何度も考えては、もう戻せないのだと諦めたこと。
「兄貴は、父さんの暴力から日常を怖がるようになりました。声をかけるだけで震えてる時もあった。中学の頃は、付き合っていても誰も何も言わなかったらしいです。ただ、中学三年生の受験期、男子と別れてからも父さんは変わらずの態度で兄貴と接した。母さんと対立してる父さんとは溝が深まっていくばかり。そんな状況下で、何も言わない兄貴に俺は腹が立ってしょうがなかった」
「そのくせ、お前、病院に行ってたよな」
「まあ。そうですね。兄貴は好きだったんで。でもまあ、今、冷静になってわかります。俺、今受験期なんですよ。進学するし良い学校に入りたい。勉強のストレスを嫌いになってしまった兄貴にぶつけるのは仕方ないことです。離婚して、別居。新しい環境にすぐになれるわけもないです。夕飯がで来てなかったら、そりゃ怒りますよ。こっちは、一学期の間部活はあるから帰り遅くて勉強もしないといけないんですから。家事全般を任せてしまうのは当然でしょう?母さんだって、夜遅くまで仕事してるし、あんな怠惰になってしまった兄貴を𠮟れるのは弟である俺だけです。だから、何度も叱りましたよ。それは、仕方ないことです。だって、ストレスは溜まります。発散しないといけない」
途中までは、反省しているのかと思っていたけど、そうでもなかった。
自己中心的だ。
自分は、部活帰り疲れた体をすぐに休め勉強したいからと兄貴である深山空を叱った。
でも、それは叱りじゃない。怒りだ。
ストレスをぶつけるためのサンドバックが欲しいだけ。
「発散するなら、部活があるんじゃない?」
「ありますよ。でも、そこでせっかく発散したストレスが家帰ってまた感じてしまうのはよくないと思うんです。これは仕方ありません。俺は、親じゃないから叱り方をよく理解できてない。親のやり方をみて学ぶのが子供でしょう。間違ったことはしてない」
「反面教師という役目は?」
「……え?それが何か?親は、叱り方を知ってるものですよ。それのどこを反面にする要素があるんですか」
俺が、こいつと気が合った理由が分かった。
いじめっ子と言ってもいいほどの思考の悪さ。
勉強はできるけど、相手の精神面を理解できない。
こう叱っているのだから、それが正しい。
それが間違っているという善悪の判断ができていない。
「これで、解決したな。お前が、面会を断られる理由」
「え?な、なぜです?俺はまだ話の半分もしてない」
「それなら、深山空に話せばいい。お前が、やってるのは自己満だ。母親居るんなら、一緒に考えたらどうだ。ていうか、お前の母親は何してる人?深山空がバイトするくらいだからそんなお金ないだろ」
「……いやいや。そもそも母さんの仕事は言ってないですよ」
「……」
だから、こんな悲惨な状況を作ってしまったんだ。
後悔とか、反省とか、今の俺が抱いても、誰も救われない。
悪でいる。
悪のまま存在し続ける。
誰も信じてくれないのだから、嘘ばかりを信じるのだから。
深山をいじめるために吹聴した嘘さえクラスメイトは信じた。
どこに行っても、変わらない。
逃げずに戦い続けても変わらない。
いじめっ子に仕立て上げたやつらに報復しても変わらない。
何をやっても変わらない。
俺は、今まで何のために生きていたのだろう。
その瞬間、ポキッと何かが折れた。
どうでもいい。
何もかもがどうでもいい。
両親は俺を信じてない。
両親のこと好きでいたかった。
もう、無理だ……、限界だ……。
嘘は真実へと変わったのだ。
中学の時にいじめていたのなら、小学生の時もいじめてたんじゃない?なんて言われたら、きっとみんなは言うだろう、両親もいうだろう、いじめてましたよって。
泣きながら、両親は信じたくなさそうに辛そうに言うのだろう。
俺は、違うんだって必死に訴えた。
それはもう意味がないもの。
誰も信じてくれるわけがない。
この文章を書いているときもきっとリアリティがあるねというのだろう。
それでいい。
俺が死んだとき、「罰が当たった」と言われても、「いじめっ子だったからね」と言われても仕方ないんだ。
そう、仕方ないんだ。
それからの時間は、学校に行っても勉強をしても無意味で価値のないものだった。
何もかもがどうでもいい。
終わってしまえばいい。
人を傷つけた悪人だ。
少しは思ったんだ。
もし、これでいじめっ子だって知ればかまってくれるんじゃないか。
また、俺のことを見てくれるんじゃないか。
でも、そんなことはない。
いじめはいじめ。
人殺しと言われてもおかしくない言葉。
俺がもし、こうならずめげずにやっていれば、救いの手はあったのだろうか。
時間は進む。
止まることを知らない。
何日も過ぎていった。
親のせいにしてはいけない、友達のせいにしてはいけない、人のせいにしてはいけない。
そんな環境で育って、じゃあ、一体、誰が俺を信じてくれるのだろうか。
誰が、俺を信じてくれたんだろうか。
俺は、必要とされない存在だった。
そんなのは嫌だ。
誰に何と言われようと、そんな風になるのならいじめをする悪人として名を残したい。
存在価値なんて園児のころからとっくになかったんだ。
みんなの知る普通に合わせられない時点で、俺は不必要無価値の人間なのだから。
俺は、俺の人生を終わりにしたい。
誰にも愛されなかったわけじゃない。
それでも普通ではいられなかった。
普通ではない人間。
逃げずに戦った悪人だとそう思える人生だ。
それに後悔や未練はない。良い人生だった。
***
交通量が多い帰り道。
十字路の信号を待つ無の時間。
青信号になったので、自転車をこぐ。
猛スピードで走る車が信号を無視した。
信号は、青だろうが……。
刹那、鈍い痛みで飛ばされて頭を強く道路に打ち付けた。
ああ、ここの近くって病院じゃん……。
そっか、助かるのかな……。
こんなに近いと助かってしまうのかな……。
いらないよ、助けなんて……。
誰からも助けられなかったんだ……。
今更そんな救い、いらない。
ああ、目の前に血が見える。
俺の血だろう……。
広がってる。
赤い液体がどんどん広がっていく。
視界もぼやけてくる。
俺を轢いた車が右へと曲がっていく。
逃げられちゃったなぁ……。まぁ、いいかぁ……。
救いなんて俺にはいらない。
いらないっていうか、必要としちゃいけない。
欲してはいけないんだよ……。
どうしよ、動けない。迷惑かけんのかな、俺。
「藤川さん⁉」
なんだ?
中学生?
お前……なんで……こんなバカな……。
道路の真ん中だぞ?
死にに行くようなことすんなよ……。
深山斗真……、やめろ……。
そんな目で見るなよ。
俺が、哀れみたいじゃん……っ。
悲しくなんかない。苦しくなんかない。
今までの行為を振り返れば、仕方ないんだよ。
お前だってよく言ってただろ……?
仕方ないことですって。
「お前、バカか……?」
彼は、そんな言葉に耳を貸さず、ポケットから出したハンカチで血を止めようと必死だ。
バカ、やめろ……。
助かりたくなんかない。
「お前」
「死んじゃダメです!何してんですか!轢かれたくらいで死ぬな!」
無茶いうな。
「お前にだけは言ってやりたいことがある」
「え?」
「兄貴は、大切にしてやれよ?一人っ子だから、わからないけど……当たり前のようにいた兄が消えて一生会えなくなったら、後悔だけじゃ済まされないんだぞ……?」
「藤川さん……」
ああ、もう、助からない……。
……は?まさか、俺は、この期に及んで助かろうとしてんのか?
バカ言うなよ。
ほんと、俺、ばかじゃねえの?
死にたくないって思ってしまっている俺はなんだよ。
何なんだよ……っ。
感情ってこんなにも苦しくて、嫌なものなんだな。
醜く吠えてんじゃねえよ。
視界がにじむ。
後悔が押し寄せる。
口から血を吐く。
ああああああっ、クソッ……!
こんな気持ちになるなら、感情なんてわからないままがよかった。
俺が最後に瞼の裏で感じたのは、太く深い絶望ににじむ赤い血の海に溺れる感覚だった。
+++
藤川浩太が、死ぬとき、何を思ったのかはわからない。
警察は、そんな私情を挟むよりも先に解決へと進めねばならない。
まさか、彼が日記をつけていたことも遺書を残していたことも想像していなかった。
なにより、彼の心の叫びがこんなにも書きなぐられていたとは思わなかった。
深山斗真という存在がいきなり出てくることは想定外である。
なぜ、出てきたのか、日記を見ればわかる。
深山空と言い、藤川浩太もまた逃げられなかったのだろうか。
この人生に逃げ道を考えることは負けだと思ったのだろうか。恥だと思ったのだろうか。
ならば、だとしたなら、逃げるのは恥だと教えた人たちはこの悲惨な出来事に何という答えを出すのだろう。藤川と同じことを考えているな。
警察署内の取調室の一室に彼はいた。
「深山斗真君だね。久しぶり」
「ええ、久しぶりです」
思いのほか、普通の返しだった。
もっと思い詰めていてもおかしくないのに、そうではなかった。
「藤川浩太を知ってたそうだね」
「……なんでそれを?僕はまだ誰にも言ってない」
「藤川の遺書に君が書かれていた。一番最初に出ている。君にも後で読ませようと思う」
「はぁ……?」
「君は、藤川君の事故現場に遭遇したんだよね?救急車も呼んだ。彼は致命傷だったからどれだけ早く救急車を呼んでも助かる可能性は低かったそうだ。君は、どうして、藤川を助けたいと思った?君のお兄さんをいじめた生徒であることは、以前の事情聴取で知っていたはずだよ。本来、守秘義務があるけど……。君は、主犯がわかって、顔も知って名前も知った。殺そうと思えば、殺せた」
「……まさか、事故に僕が関係していると思ってるんですか?」
「そんなつもりはない。ただ、君のお兄さんがいじめられていたことで復讐心を持っていたとしてもおかしくないんだ」
「兄貴がいじめられていたことは知ってます。でも、それを弟の前で普通に名前を出すのはおかしくないですか?それに、藤川さんは、恩人です。俺の考え方を変えてくれた。あの日は、藤川さんの母親に会わせてやるって言ってくれたんです。『お前がこのまま兄に傷をつけていくとこんな風に病室で生活を送るんだぞ』ってことを、母親を見せることで教えてくれる予定でした。こんな俺のこと気にかけてくれたんです」
藤川の事故から二日後。
車に吹き飛ばされる彼の姿を見ていたという話からすぐには聴取をしなかった。
目撃者の精神面を鑑みた結果だ。
「不思議だな。あんなにも敵視していたのに、斗真君には真剣に向き合っていた。これを知ったら、深山空はどう思うだろう」
いじめの主犯で、クラスのトップ。
そんな人に面倒を見てもらったとでも深山空に言えば、間違いなく発狂するだろう。
彼は意識が戻った今も、人との会話も人の動きも恐れているのだから。
きっとそれは過去に親からの暴力で人が自分の体に触れることを恐れているのだ。
「言いません。兄貴は、弱ってる。俺が、介抱する以外にやり方はない」
深山の母親は自営業をしている。
自営業を行いながら利益も十分に出している。
生活に困るほど、借金もしていないだろうに、深山空はバイトを行っている。
大学に行くためにバイトしているというのならわかるけど、そうでもないならすぐにバイトを行う必要はなかった。
だけど、斗真は伝達さえ行わず家にお金が入るならと、母親のことは何も言わなかった。
母親と深山空は会話する機会が少ないと言う。
コミュニケーションを取らなかったツケが回っているのだ。
もっと会話をしていれば、上手くいったんだろう。
彼の負担も少なかっただろう。
なにより、言わなくてもいいはずのことを兄に言った斗真は、ほかに何を考えていたのだろう。何か別のことが動いていた可能性もあるでのは?彼が言った考え方とは?藤川は戦っていた。彼も、ほかの誰かと戦おうと考えたのだろうか。ほかの誰か、別にいる相手に負けたままなのだろうか。
藤川には同情してしまう。
私情を挟んでしまうような自分には、どうしてもやるせない部分があった。
「君には、藤川が書いた日記を読んでもらいたい。遺書も同様だ。君に必要なのは、君が父親代わりになることじゃないと思ってる。会話のない君の家庭に道しるべなんてないと、私は思う」
「……何を言ってるんです?兄貴は、何もできない、昔とは全く違う愚かな奴だ。俺が、弟がしっかりしなくてどうするっていうんですか」
「だから、藤川の日記も遺書も読んでもらうって言ってる。本来、許されないことだが、君を気に掛ける藤川の気持ちがどうしてもこれらを読んでいるとわかってしまう。君に欲しいのは誰かの代わりじゃない。自立だ。藤川にはそれができなかった」
「そんなもの、一緒じゃないか」
「全く違う。それを、君には、理解してもらわねばならない」
聴取が終わり、日記と遺書を渡す。
読んでから帰れと言うと、彼はすぐに手に取った。
半分が進むころには、読むスピードも下がっていった。
何かを思ったのだろうか、感じたのだろうか。
それが良い方へと進めば幸いだ。
彼は、日記を読み終え、遺書に手を付ける時、躊躇うように何度も手を置いたり持っては、目を閉じ覚悟を決めて開いても、遺書は閉じていた。
それを数分繰り返すと彼は、意を決して読み始めた。
そして、涙ぐんでいた。
遺書を読み終えると、嗚咽を流していた。
「ごめん……。ごめんなさい……っ。ごめんなさい、ごめんなさい………………兄さん…………っ!」
初めて彼は、深山空を兄貴とは言わず兄さんと言った。
彼は、しっかりしようとしていた。
それは、以前の聴取の時にも理解していたが、親の離婚が原因だった。
今の兄が弱っているとき、助けになるのは自分だと。
しかし、進路や部活で忙殺され、兄にまで手が届かなかった。
まだ、自立しきれていない斗真では、自制することができなかった。
周りを見ることさえ、そう簡単にはできなかった。
自分に必要なことは、叱ること。
兄を叱り、教え正すことで離婚した家庭の安定は保たれると思ったのだ。
結局、そこに至る結論は出ても結論から出す言葉は拙いもので、精神的に疲弊しきっている深山空には殺意のある悪意でナイフのように鋭い凶器でしかなかった。
彼はきっとこの日記と遺書を読んでわかったのだろう。
自分の愚かさ、弱さ。
平常だと思っていたものが、日常では普通ではなかったり、求めていたもの憧れであったものが見たくもなかった弱い憎い脆い存在だったと知った時。
何も人のためになっていなかったこと。
深山空のためと行動してきたことすべてが彼にとって苦痛だったと知ったこと。
弟として、やるべきことは叱りや教え正すことではなく、寄り添い悩みを聞くことだったのだと彼は理解したのだろう。
藤川が斗真にしたように。
藤川が誰にもしてもらえなかったものを斗真に。
藤川は、斗真と似ていると思ったのだろう。
だからこそ、寄り添いたかったのかもしれない。
それが、自分を自立させるための一歩だと考えたから。
憶測でしかないこの思いは、もう届くことはない。
だけど、斗真には伝わっている。
これから、見届けてあげればいい。斗真が自立するまでを。
それから、ずっと深山空に対してごめんなさいと謝罪を繰り返していた。
自殺未遂を行い、意識を取り戻した一か月後の今。
深山空は、生きている今も死んだような表情で警察や友達と相対していた。
彼は、早川七海と中野俊也、其の他を面会許可していた。
きっとそんな自分を許せる相手はそれくらいしかいないのだとみせるように。
家族も高校の同級生も面会したくないと言っていた彼のよりどころは少なかった。
許せる相手も、自殺未遂を知らなそうである中学の友達とかである。
彼の中にある気持ちを、悩みに寄り添ってくれる人や、彼が心を許してくれる相手というのは本当に少ないものだった。
私にはわからなかった。
大人が彼の悩みに踏み込むことはできないから。
踏み込んでも寄り添えないから。
彼の気持ちを理解してくれる、寄り添ってくれる、踏み込んでも許される相手はこの先表れるのだろうか。
彼は、許すのだろうか。
家族が信じてくれなかった自分を、肯定し許すこができるのだろうか。
彼は、藤川と違った未来を作ることができるのだろうか。
関与できない私には、ただただ良い未来だけを願うことしかできない。
目の前で泣いている彼は、その寄り添う相手になりえるだろうか。
もしも、藤川が寄り添ってくれる相手に出会えていたのなら、未来は変わっただろうか。
日記も遺書も嘘ではなく本当の気持ちだったのなら、深山に救いのための例えを求める理由もわかる。
私はただ、深山空が藤川浩太の二の舞にならないことを祈るばかりだった。
いじめひとつせず、善良な学生。
彼の事情聴取を行った時、少なくともそう思った。
ある程度、目星をつけていたし、彼がいじめっ子なのではないかと思っていたが故に拍子抜けするほどの優等生。受け答えも良かった。
しかし、そんな彼の評価はクラスメイトからは良くなかった。
最低と言ってもいいほどのクズ人間。
警察としてこの課に選ばれ、いいことはなかったけど、ここまで極悪非道な人は見たことがない。
日常に潜むヤバい人。
もっと調べれば、どんな病かわかるはずだろう。
だけど、それができないのは、彼がつけていた日記と遺言が発見されたからである。
それは、深山空が自殺を図り一ヶ月後の出来事なのだから。
+++
日記をつける習慣が身についたのは、小学生に入った頃だった。
それは、ある病院に行ったことがきっかけだ。
親は、俺が他の人とは違うと認識した。
幼稚園に通っていた時にも何度か親と先生がそういう話をしていたので、俺はもしかしたら嫌われるのではないかと直感的にそう思った。
両親が好きな俺は、それだけは避けたかった。
友達はいるし、園内でも上手くやっていた。
だけど、もし嫌われたら気性が荒くなるかもしれない。
病院の先生は、日記をつけてみてはいかがですかといった。
なぜだかわからないけど、両親に嫌われないために、それを行うことにした。
しかし、それを行っていた小学六年生の頃。
その何百冊と超えた日記はいつの間にか捨てられていた。
「……どうして。なんで」
俺は、嫌われないためにここまでした。
なぜこうなったのかわからない。
今まで書いてきた日記がなくてなってしまったので、血走った勢いで親を問い詰めた。
「なんで、日記がないんだ!」
「……」
「答えろよ!俺は、今の今まで日記を書いてきたんだぞ!寝る20分前から毎日見開き一ページは書けるようにってやって来た!なのに、なんで!なんで⁉︎」
父親の胸ぐらを掴み、ソファに押し倒す。
「そう言われて、毎日書いて来たのに無駄だったのかよ!俺は、嫌われないためにここまでやったんだぞ⁉︎それなのに、どうして!どうして‼︎」
泣きながら、訴えた。
「お前の日記は読んだ」
腕を掴み、睨むように問うた。
「あれはなんだ?お前、俺たちのいないところで何をしてんだ?なぁ、あれは、あの日記の内容は、いじめ、じゃないのか?」
「違う!」
「うそつくんじゃない!証拠はあるぞ。お前の担任から連絡があった。だから、担任教師に会いに行った。お前のクラスメイトがそう証言したんだぞ⁉︎」
「だから、違うって言ってんだろ!」
「お前は、俺の職を妨害するつもりか!今の役職に辿り着くまでどれだけ時間をかけたと思ってんだ。もし、自分の子供がいじめを行っているなんて知ったら、解雇だ……」
「違う!そんなことしてない!大体、いじめってなんだよ!なんの話だよ!」
「しらばっくれるのものいい加減にしろ!お前、人をいじめたんだぞ?死んでもおかしくないんだぞ?それなのになんだよ、あれ。日記にあんなの書いて……。いじめの証拠なんか残すなよ」
「だから」
「お前は、他の人と違うことくらいわかってた。その分、できることもあってそれを刺激させれば上手くこなすようになって、別に問題児じゃないって他とは違っても悪い奴じゃないって思ってたのに……。見損なったよ」
「……は?ふざけんじゃねえ!俺は、いじめてない!いじめなんかしてない!俺は、何にもしてない!」
「今更、誰が信じるってんだ!」
「俺はやってないんだよ!信じてよ!父さんに嫌われたくない!好きでいてほしい!俺、父さんのこと好きなんだ!」
「俺は、いじめをするような子は嫌いだ。俺の教育の失敗だ。ごめんな。もう、いじめはするなよ」
それでも、日記は書くことを決めた。
俺は、いじめをしていない。
小学生の頃、そこにはいじめを行う生徒が多数いた。
いじめは、楽しくないし、面白くない。
そう思わせることで、彼らをいじめの道から外した。
俺の功績だった。
いじめられていた子からは、感謝されて喜ばれて、お前がいなかったら苦しかったなんて言われて嬉しかった。
日記には、彼らの心情を知りたくて殴り書きしたこともあった。心理学の本を図書館で借りて、どうしていじめを行うという心理に至るのかも書いていた。
俺が、周りと違うと思われるのは、人の心理が極端に理解できないから。
それに気がつくことができたのは、それこそいじめっ子を見ていた時、いじめられている人を見た時だった。
どうして、そんなことするのか、逆にどうしてそれを許してしまうのか。
いじめっ子の名を書いて、どんな人か、何をすると喜ぶのか細かいところまで書いた。
他にもどうして恋愛をするのか、恋をとは何か、愛とは何か。
好きとは何か、喜ぶとは何か、楽しいとは何か、まるでその感情が理解できなかった。
だから、俺は、幼稚園生の時、みんなが楽しんでいる間、俺は笑うこともしなかった。
だって、笑うことが何を意味するかわかってないから。
心理学を参考にしていると良くわかる。
人は、そういう表情で理解していくものだと。
父さんに嫌われたくない、その一心は、悲しみを感じ、怒りを覚えた。
その仕組みがわかると、俺は嬉しくなった。
これが、嬉しいのか、と。
考えてみれば、何が間違っているのか、なんていう話はどこにも存在しない。
その事象に対し笑顔を浮かべる人もいれば、悲壮な顔をする人もいる。
嫌われないようにと両親の気持ちを考えて来た。
しかし、俺はいじめを受けた。
人の表情もわかるようになってきたし、のらりくらりといざこざからは逃げられると思った。
タイミングが遅かった。
いじめっ子がそんなことで改心するはずがないのだ。
俺は、いじめられた。
いじめから解放された、いじめられていた子は、俺をいじめるようになった。
あれだけ喜んでいたのに、どうしてだろうか。
あれだけ感謝していたのに、なぜ?
殴られるし、蹴られる、ものは隠されるし陰口もある。
なあ、どうして?どうして、どうして、なんで?
いじめの心理をもっと知りたくて本を読み漁る。
わからない感情なんてない方がいい。
わかるようになれば、対処できる。
俺は逃げない。
逃げることは恥だ。
恥じることなんてしない。
真っ向から勝負する。勝負しなきゃならない。
もう誰にも嫌われたくない。
いじめがこんなにも辛いことだと、辛いという感情をいじめで知ってしまった。
それがなおさら、自分を嫌いにさせた。
父さんは、俺がいじめをしたと言って話を聞かない。
その理由もよくわかる。
いじめっ子が俺をそうするように言わせたのだ。
いじめられたやつは、いじめっ子にまたいじめられたくないから、そういうのだ。
そして、いじめっ子には先生と仲が良くて、印象操作を行える人もいる。
そりゃ、父さんが学校に行った頃にはそういう話で通すよな。
このまま、父さんに嫌われたら?
いやだ。
どうしたらいい。わからない。
わからない感情をどう理解したらいい。
それよりなぜ理解できないのか。
……俺が、親ではないから。ほかの人と違うから。
もし、親なら理解できたのか。
そもそも親じゃないのにどう理解しろというのか。
親と子供というのはこんなにも壁があったのか。
じゃあ、もう無理だよ。
俺をいじめっ子だと思ってる。
どうしたらいい?
ねぇ、どうしたらわかってくれる?
証拠ってどう見せればいい?
親の持ってるスマホ、俺ないよ?
拡散できる媒体はどこにもないよ?
俺じゃなくて、なんでクラスメイトの言葉を信じるの?
「俺は、やってないんだって言ってるだろうが!」
その日、父さんは母さんにそれが伝わった夕飯時。
母さんにも問い詰められて俺は、苦しかった。
なんで、誰も信じてくれない?
両親の子だよ?一人っ子だよ?
唯一の子供をなんで信じてくれないの?
「そんな汚い言葉を使う人をどう信じてあげればいいの?挙句、父さんに暴言なんて……」
「だから!」
信じてくれればよかったんだよ……っ!
泣きたい気持ちをグッと堪えた。
ここで泣いて仕舞えば、男じゃないとか、やっぱりいじめたのねって言いかねない。
でも、だめだ。
このままでは泣いてしまう。
泣いてはいけない。
こんな目に遭っても、俺は両親を好きでいる。
「なんで、信じてくれないんだよ」
「みんなが言ってるの。あなた、日記に書いてあったあれは何?あんな風にクラスメイトのことを書いて、分析して掌握しようと思ってたの?」
「違うんだってば!」
今まで、周りと何ら変わりのない普通の男子でいた。
どんな会話も理解するようにしてたし、流行は抑えていた。
それが当たり前になったから、幼稚園生の時に言っていた先生の言葉もいつしか忘れてしまっているのかもしれない。
日記だけじゃ、普通を演じれないから。
……ああ、そっか。俺は普通じゃない。だから、普通になりたくて色んな人と馴染めるように分析したんだ。
「今のあなたに私たちがどう信じろっていうの?あなたは、変わってしまったのね」
変わったのは、両親だ。
でも、それは言えない言葉だった。
家庭が壊れる気がしたから。
喧嘩なんかしたくない。
両親を好きなままの自分でいたい。
「なんで、そんな目で見るんだよ!俺は何もしていないって何度言えばわかる!」
「今日はもうやめよう。俺たちも気が気じゃない。落ち着いていないまま話し合うのは時間を無駄にするだけだ」
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!
何が、落ち着いてないだよ。俺は、落ち着いてる。
なんで、信じないんだよ。
なんで、そんな目で見るんだよ。
今までの俺の努力は無駄だったのかよ!
俺は、俺はなんのために頑張ってたんだよ……。
「俺のこと、どう思ってんの?二人は、今俺をどんな風に見てんの?」
縋るような思いだった。
せめて、少しだけでいい、一言だけでいい。
信じてると、そう言ってくれれば良い。
「ひどく信じられない出来事だと思ってる。後悔してる。育て方を間違えてしまったんだ、と」
「……」
父さんはそういった。
信じてない、と直接言ったわけじゃないけど、俺自身を否定しているように思えた。
そんなわけない。
それだけはない。
縋る思いで母さんを見た。
だけど、母さんは目が合うとそらした。
そらして、首を振った。
……あぁ、そうなんだ。両親は信じてくれないんだね。
刹那的に何かが崩れた。
壊れた。木っ端微塵に今まで築き上げたもの全てが終わった。
+++
「この事故は、君に任せるよ」
事故を取り扱う課の知り合いに任せた。
「いや、それは難しいだろうな」
「……」
「三島、わかってるだろ。お前が担当してる自殺未遂の生徒のいるクラスメイトだぞ?合同でやるに決まってる」
「そっか。そうだよな」
「……それより、それは?」
「え?ああ、日記だよ」
「日記?」
「藤川が書いた日記だ。これが事実なら哀しくなる」
「……藤川、ああ、そうか。でもお前、いじめっ子に同情すんの?お前も変わったな」
「遺言も読め。彼はとっくに自殺の意思があったみたいだよ」
「は?ま、まあ、いい。わかった、後で読む。ただそれよりも、今は事故現場にいた彼にも会ってもらいたい」
自販機でブラックのコーヒーを頼むと快く購入してくれた。
奢ってくれるみたいだ。
「会って欲しい人って?」
「自殺未遂した彼の弟さん」
「……そうか」
藤川の思いは、ただ両親に好かれたかったこと。
ならばどうして、いじめなんかと思ったけど、彼の心理を考えれば理解できてしまうことだった。
理解できるけど、同情はしない。
警察になってからいろいろなことがあった。
そこに私情は挟まない。
それでこそ、立派な警察だ。
+++
俺は、小学校でいじめてきたやつを殺す決意をした。
お前らのせいで両親からの信頼はゼロになった。
あんな目で見られることなんてなかった。
今まで普通だった。
俺が、努力することで両親は喜んだ。
努力する気持ちにつながった。
中学校に上がる時、小学校のクラスメイトも大抵同じで他の小学校の生徒も一緒になる。
そして、すぐに決行した。
中学でいじめをしてそうな人をこれまでの努力全てを使って探し出し、仲良くさせた。
仲良くさせてから、俺がカーストのトップに出るように仕向けた。
俺がいることで、いじめっ子は上にいられる。
その恩恵というものを知らしめる。
話は、簡単だ。
小学生の時のいじめっ子なんて基本弱い。
集団でイキがるクソガキ。
ならば、集団じゃなくてもなかなかヤバめの人を誘い込めば確実に上に行ける。
そんな人が集団で生活してくれるのか?と思う人もいる。
問題なんてなかった。
仲良くなればいい。
問題児を掌握、先生の苦労も軽減することで先生との信頼関係を結ぶことができた。
そして、問題児も俺がいれば、大ごとにならないと知る。
圧倒的に優位な立ち位置に俺はいた。
だから、決行した。
小学生の時にいじめの的になっていて、俺をいじめっ子に仕立て上げた彼らをまず潰した。
彼らは、他クラスにもいるけど、そこは部活に入り同じクラスである部員に吹聴する。
そして、じわじわと締め上げていく。
彼らは、俺に謝罪した。
だけど、俺はそれを許すつもりは断じてなかった。
彼らは許されないと知ると小学校の時のいじめっ子に相談した。
が、お金も取られ先生との信頼も結べなかった彼らは立場的に弱くなっていて、協力するつもりもないようだった。
完璧だった。
何もかもが計画的で支配的で快楽さえ感じた。
気持ちがいい。
最高にいい気分だ。きっと酔っているのだ。
小学校でいじめられていた彼らは不登校になった。
先生に、問われたが俺はそんなことしないと泣きながら言った。
泣くことで先生に罪悪感を与えるのだ。
俺は、先生を信頼していたから仲良くなれたのに先生は俺を信じていなかったんだね、と言わんばかりに。
それは問題児である生徒にもメリットがある。
やりたい放題やっても怒られないということ。
そのままにしておくと反感が生まれる可能性があるので抵抗できないように脅した。
入学して一年間で、小学校の時にいじめていた生徒は全員潰した。不登校になったものもいえば、転校した者、一人でひっそりといじめを受け続けるものも。
復讐は終わった。
しかし、そんな中、両親は離婚した。
俺が、いじめをしているということを信頼を得るために利用した先生に呆気なくバラされたのだ。
初めから信用していなかった。
それもそうだ。だって、俺は小学生の時にいじめていたという認識なのだから。
大人は資料だけを信じる。
人なんか信じてない。
ましやて、俺のことなんて信じてない。
俺はそれを知った。
父さんは出て行った。
母さんだけでもいいから、信じて欲しかった。
だけど、ダメだった。
母さんは、だんだん弱っていった。弱り、助けを求めるように縋るようにほかの男を家に連れ込んだ。夜な夜な酒を飲んでは、部屋に入っていく。
俺がいじめを今も行っていると信じているからそんな方向へと走っていく。
それでも、俺は逃げることをしなかった。
母さんにだけでもいいから、好きでいてもらいたい。
たったそれだけ。
一年生の三学期にある女子生徒がいじめの的になった。
理由はわからないし、何にも知らないけど、いじめられるようになった。
その女子は、デブで動きが鈍い。
運動もできないようで、格好の的だった。
だが、それは俺たちが発端じゃない。
女子生徒同士のいじめだ。
関わるつもりなんてなかったが、俺は当時いじめている女子に好意を寄せられていた。
だから、なんとなく面白くなっていじめることにした。
お前も、辛い経験をしろと心のどこかで叫んでいた。
俺と同じようにいじめを受けろ。
誰からも信じてもらえない世界で生き続けろ、と。
そして、彼女は、毎日いじめられていた。
興味のない女だったのもあって名前すら覚えてない。
その女は、二年生を機に転校した。
他の学校に行ったんなら、興味はない。
2年になって太田というゲイに出会った。
そいつは、気に触る事もなかったので普通に仲良くなった。
案外どこにでもいる普通の男子中学生。
そして、そいつと俺は同じ高校に進学した。
同じ高校に進学し、同じクラスだった。
しかし、俺は自己紹介の時に出会ったそいつに吐き気がした。
何かに対する憎悪だったり悲しみだったりそんなものが混ざりまくった顔。
自分が被害者のような面が何より一番許せなかった。
逃げないと決めているくせに逃げようと曖昧な選択をする彼の姿。
名は、深山空。
ターゲットは決まった。
深山をいじめの相手にしよう。
怒り任せに俺はそいつの情報を探った。
太田が根拠もなしに男と付き合っていた可能性があると言ったのが聞こえた時は流石に笑いそうになった。
馬鹿馬鹿しい。
だけど、同じ中学だったというその生徒に会うとその言葉は真実へと変わった。
あいつの被害者です、誰か助けてくださいと言わんばかりの表情。
誰も信じてくれない俺に向かって言ってるのか?
ありえない。
お前だけが許されることなんてない。
許してはいけない。
こんなやつ、死んでいい。
死ねばいい。
嫌いだ。
被害者でいるお前が嫌いだ。
お前は、俺の痛みより自分の痛みを知ってほしいのか?自分勝手で哀れだ。
お前みたいな奴が消えてくれれば俺は俺を許せる。
こんなことになってしまった俺でさえ、救われると思うんだ。
救ってくれ。
お前が死ぬことで俺を、満たしてくれ、救ってくれ。
夏休み終わり、彼は自殺を図った。
やりすぎた程度にはやったので当然だ。
お前は、早川がいる、中野がいる。
俺には誰もいない。信じてくれる奴なんか一人もいない。
なのに、満たされない、救ってくれない。
……十分だ。息を吐くように出た言葉。
十分すぎるくらいに満たしてくれると思った。
なあ、なんで?
なんで、気分が良くならない?
おかしいなぁ。酔えてないのかなぁ。
どうしてだ、ありえない。
お前が俺を救える。
俺は、俺を信じることができない。
だから、お前が証明してくれ!
俺の求めるべき救済の方法。この気持ちの解決法を全部お前が教えてくれ。
信じることなんてできるわけない。
逃げるのは恥だと教えたやつは、こういう気持ちだったんだろうか。
俺の気持ちも間違いか?
***
命は、あっけない。
そう思ったのは、いつだろうか。
人は飛び降りることで意識を失う。
意識を失って消えていく。
もし、死ぬのなら、このまま消えるように終わるのだろうか。
何も考える事もないまま、血を流すのだろうか。
深山の自殺未遂。病院は登下校に使う道にあるこの地域では大きいところ。
そこにいく理由は、本来どこにもないけど俺がいじめをしているという嘘から始まった出来事はいつしか本物に変わった。
母親は、ノイローゼになり入院した。散々、疑って信じなかった母親がこのありさまだ。
俺の言葉を信じなかった奴が馬鹿げている。
ここには行きたくないが、いくしかない。
両親が好きなはずなのに、いつの間にか会うことさえ嫌になっている。
そんな病院内、インフォメーションで騒ぐ中学生くらいの生徒がいた。
その中学生が着ている制服は深山空と同じ中学校のもの。
「お前、そこで何してんの?」
「……あ?」
中学生にしては気のいい奴だと思った。
もしここで喧嘩腰になり暴力を振るうのなら高校生の対処能力ですぐに終わらせる。
暴力なんか必要ない。
「君さ、こんな場所で大声出していいと思ってる?他の人に迷惑になること、中学生ならわかるでしょ」
「うるせえ。こっちは、見舞いに来てやってんのに面会謝絶だとかいうから」
面会謝絶……。
こいつ、思えば、深山と輪郭が似てる。
目や鼻、顔立ちがとても似てる。
俺も、両親の目や鼻は似ているところがある。
母親は、両親の遺伝からできた顔に喜びはもう感じないのだろうか。
「そうか。じゃあ、やめたら」
「は?何言ってんだ、てめえ」
「やめた方が良いよ。面会謝絶でお前が来ちゃいけないっていうなら、それ以上の言葉はないだろうな」
「意味わかんねえこと言ってんじゃねえぞ!大体、俺は時間ない中、見舞いに来たんぞ?それなのに、帰れってのかよ」
まるで話が通じていない。
こいつ、日本語ちゃんと勉強してないのか?
それに、年上に対してというか人としてのマナーが何一つなってない。
いじめてたやつが何を言ってんだか……。
「そう言ってんだよ」
「ふざけんな。そういや、お前、兄と制服が一緒だな。深山空は知ってるか?」
やっぱりな、と思った。
だけど、慣れ合うつもりもないし、そもそもいじめたやつがその弟と会話をすることもおかしいわけだ。
「あぁ、自殺未遂したやつね」
「知ってんだったら、なんで自殺未遂したのか教えろ!いじめじゃないのか!」
矛先が俺に向くのはわかってる。
そんなことをしていれば、いずれ刺されるだろうことも分かる。
それくらい当然だ。
だけど、まさかラスボスにたどり着くまでにこんな一瞬だというのはとても面白い。
「違うね」
俺は嘘ついた。
嘘というか、いつも通りの対応だけど。
「それはない。俺の兄は、ずっと苦しんでた。その理由は、簡単だ。学校でいじめに遭っていたから」
「どうやってその解にたどり着いた?」
場所を移動した俺たちは、外で暑い中、深山の弟の対応をする。
さすがに、いじめの問題をインフォメーションの前でするわけにはいかない。
「消去法だ。家族に問題はなかった。バイト先でいじめられるようなことがあれば、すぐにやめるはずだ。よって、学校に何かあった。そのなにかは、いじめだ。いじめ以外に見当つかない」
「……」
「ほら、正しいだろ」
「いや、バカだなと思ったよ」
「は?てめえもう一遍言ってみろ!こっちは、受験で高い偏差値の学校に行くんだよ!兄とは全く違うんだよ!お前らと同等だと思うなよ」
「頭の悪さは、兄と同じだな」
「いい加減にしろ」
右こぶしがとんできたので、サッと交わし関節技を決める。
「怒りに任せて暴力を振るうなんて子供がやることだ。その子供の相手をするのは大人だ。大人は、本来軽く対処できる。そのためだったら隠蔽だってできる。そう思わないか?」
「は、離せ……」
「無理だね。大人は、いくらでも解決策を生み出せる。例えば、お金がないなら借りる、借金をするのもありだ。結果的に返済できればいいから。詐欺にあったのなら、弁護士を雇うこともできる、じゃあ、お金がないから無理かっていえば、さっき言った通り借りればいい」
「何が言いたい」
「言いたいこともまともに理解できないのか。頭いいんじゃないのか?偏差値高い学校に行こうって言ってるやつがこんなにも頭悪いのかよ。性格の問題?それとも、環境がそうさせた?」
「ふざけんな」
「まず、お前は、消去法で考えた時点で終わってる。じゃあなんで、今、お前は面会謝絶の中、それを突破することができなかった?そして、二つ、面会謝絶を聞いたお前は、公共の場で何をした?三つ、人としてのマナーがないお前は、さっき俺に何をしようとした?なにをして、関節技をキメられてる?」
「……っ」
「怒りに任せて、人を殴りたい気持ちはよくわかる。中学生だった俺もそんなことあったし、小学生の時は親を殴ったりもした。止められたけどね。だとしたら、未遂か……」
「……」
「君が、面会謝絶を突破できなかったのは、家庭に問題があったから。それ以外にないだろ」
「う、うるせえ……」
俺は、技を解いた。
「家族に問題ない奴が、なんで面会を断るの?会いに来てほしいって思うんじゃない?俺を見て!って叫ぶんじゃない?バカでもわかるよ。消去法って一番危険だと思わなかった?総合的に考えないといけない。結果を一つだけにするとそこに至る過程にどれだけの苦悩があったのか理解できないよね。結果は、多数決で決まる、答えも一緒だ。でも一つに絞る必要がないのは、数学が教えてくれたはずだ。答えが知りたかったら、いくらでも作れるし、考えれる。だから、人は、人の感情に悩むんだ」
「家族に問題があったっていうのかよ」
「自分のやってきたことに問題がないわけじゃないからね。みんな誰かを傷つけてるってよく言うだろ?」
「……あなた、名前は?」
予想外の質問だった。
ここでメンタル壊してやろうとか思ってたのに。
イラつくやつの弟なら余計潰してやりたいって考えたのに。
だけど、その質問は嫌いではなかった。
「藤川。藤川浩太だ」
「俺、深山斗真です」
深々と頭を下げていた。
「少しだけ、話、聞いてもらえませんか?」
「え?」
「俺、頭の整理ついてないんで。あなたになら、伝えたい」
馬鹿げた話だった。
だけど、俺はその話に乗った。まっすぐな目をしていたから。
罪滅ぼしのつもりなんか一切ない。
罪は、墓場まで持ってく。
人をいくらでも傷つけるし、それでいいと思ってる。
俺は、そういう人間であるべきだから。
絶対的悪に徹する。
それでも、こいつだけは見過ごせなかった。
つぶすこともできる、メンタルを崩壊させることもできる。
だけど、やらない。
こいつは、こいつがいれば、深山空が俺に答えを救いを教えてくれるに違いないから。
カフェに着いた。
奢ってやるよとカッコつけて席に着く。
こいつは、調子乗ったのかミルクレープまで頼んできたが……。
「俺の話聞いてくれませんか?」
「そのくせに、だいぶ奢ってもらってんだな」
「あんまりお金持ってなくて。うち、離婚してるんで」
「え?」
「だから、親からお小遣いもらっても周りと比べればそんなに多くなくて、あまり使わないんですよ」
「……そうなんだ」
深山家が離婚してる。
俺と同じだ。
だけど、きっとその理由は、子供じゃない。
俺が原因で父さんは、耐えかねて離婚を切り出した。
母さん諸共関わりたくなくなったんだろう。
「うちは、兄貴が理由で離婚しました」
「……は?」
「まあ、そんな反応になりますよね。あんまり人には兄貴が原因だとかはいわないですけど……。兄貴に付き合っている男子がいたって知ってます?」
「あ、まあ、聞いたことあるけど」
それを理由に、いじめることにしたとは言えない。
「それが、原因で父さんは、豹変したんです」
「豹変?」
いちいち、気になるような言い方をするよな、こいつ。
「父さんは、恋愛と言ったら男女でするものっていう考え方があって。それは、いいんです。俺も、正直女子と付き合いたいし」
「まあ、普段見かけないよな。男子どうしで、恋人つなぎとか」
「そうなんです。ネットやテレビで見る話で、リアルに欠けるというか。ゲイだと言われても困るんですよね。親からしたら、それは孫が見れないのと一緒だから」
孫が見れない……。
普通の親だったら自分の子供が結婚することとか勝手に想像するし、孫を見たいとか言い出す。
でも、俺は、そんな期待されていない。
自分で始めたことだ。
仕方ないと言うほかない。
「父さんは、男子同士は恋でも何でもないって言い出して、それから兄貴に手を出すようになりました」
「暴力?」
「ええ、まあ。母さんはなんにも知らなくて。でも、それを機に両親の意見が対立したんです。男子同士の恋は許さない父さんと、兄貴がゲイでもいいという母さんで」
「……」
それは、もはや深山空は両親にとって男子を好きになるタイプだったということになる。
じゃあ、なんで彼は早川とデートなんか行ったのだろう。
男が好きなら、あまりそういうことしない方が、思わせぶりにもならないし、良いのではないだろうか。
「でも、実際、兄貴は女子が好きなんです」
思わず、コーヒーを吹きだした。
「え?はぁ?じゃあ、両親の対立は意味をなさない?」
「はい」
「じゃあ、なんで」
「兄貴は、父さんが豹変してから自分の気持ちを声に出さなくなったんです。何を言っても怒られるから。叩かれるから」
「で、でも、もし言ってれば、離婚もしなかったかもしれない。暴力だって……」
なぜ、こんなにも熱くなっているのだろうか。
もし、離婚しなければ……。
もし、俺を信じて言葉を聞いてくれたら……。
今はもう叶わないものだと知っているから……。
「俺は、兄貴が好きでした。今は、好きになれない」
いきなり話題を変えるな。
頭が狂う。
お前みたいに頭いいわけじゃないんだぞ?
もしかして、自分も答えを知らないから、言えないとか、話を変えたとかじゃないよな。
「兄貴は、話すのが上手でした。俺が勉強を嫌いなの知ってるくせに、勉強したいって思えたのも兄貴でした。刺激をくれるんです。勉強っていうより好奇心というか……。なんでも言うし、隠すことはしない。まじめに勉強もしてたし、中学生のころまでは頭良かったんですよ」
「……とてもそうは見えないけど」
俺の学校は、底辺校だ。
俺みたいに荒れ狂ったやつがたくさんいる。
「中学の学力調査なんて進学校は余裕ですから」
「……そう」
頭が良ければ、真面目だったら、普通の人だったら……。
俺は両親に嫌われなかったんじゃないだろうか。
だけど、そんなこと思い返せば何度も考えては、もう戻せないのだと諦めたこと。
「兄貴は、父さんの暴力から日常を怖がるようになりました。声をかけるだけで震えてる時もあった。中学の頃は、付き合っていても誰も何も言わなかったらしいです。ただ、中学三年生の受験期、男子と別れてからも父さんは変わらずの態度で兄貴と接した。母さんと対立してる父さんとは溝が深まっていくばかり。そんな状況下で、何も言わない兄貴に俺は腹が立ってしょうがなかった」
「そのくせ、お前、病院に行ってたよな」
「まあ。そうですね。兄貴は好きだったんで。でもまあ、今、冷静になってわかります。俺、今受験期なんですよ。進学するし良い学校に入りたい。勉強のストレスを嫌いになってしまった兄貴にぶつけるのは仕方ないことです。離婚して、別居。新しい環境にすぐになれるわけもないです。夕飯がで来てなかったら、そりゃ怒りますよ。こっちは、一学期の間部活はあるから帰り遅くて勉強もしないといけないんですから。家事全般を任せてしまうのは当然でしょう?母さんだって、夜遅くまで仕事してるし、あんな怠惰になってしまった兄貴を𠮟れるのは弟である俺だけです。だから、何度も叱りましたよ。それは、仕方ないことです。だって、ストレスは溜まります。発散しないといけない」
途中までは、反省しているのかと思っていたけど、そうでもなかった。
自己中心的だ。
自分は、部活帰り疲れた体をすぐに休め勉強したいからと兄貴である深山空を叱った。
でも、それは叱りじゃない。怒りだ。
ストレスをぶつけるためのサンドバックが欲しいだけ。
「発散するなら、部活があるんじゃない?」
「ありますよ。でも、そこでせっかく発散したストレスが家帰ってまた感じてしまうのはよくないと思うんです。これは仕方ありません。俺は、親じゃないから叱り方をよく理解できてない。親のやり方をみて学ぶのが子供でしょう。間違ったことはしてない」
「反面教師という役目は?」
「……え?それが何か?親は、叱り方を知ってるものですよ。それのどこを反面にする要素があるんですか」
俺が、こいつと気が合った理由が分かった。
いじめっ子と言ってもいいほどの思考の悪さ。
勉強はできるけど、相手の精神面を理解できない。
こう叱っているのだから、それが正しい。
それが間違っているという善悪の判断ができていない。
「これで、解決したな。お前が、面会を断られる理由」
「え?な、なぜです?俺はまだ話の半分もしてない」
「それなら、深山空に話せばいい。お前が、やってるのは自己満だ。母親居るんなら、一緒に考えたらどうだ。ていうか、お前の母親は何してる人?深山空がバイトするくらいだからそんなお金ないだろ」
「……いやいや。そもそも母さんの仕事は言ってないですよ」
「……」
だから、こんな悲惨な状況を作ってしまったんだ。
後悔とか、反省とか、今の俺が抱いても、誰も救われない。
悪でいる。
悪のまま存在し続ける。
誰も信じてくれないのだから、嘘ばかりを信じるのだから。
深山をいじめるために吹聴した嘘さえクラスメイトは信じた。
どこに行っても、変わらない。
逃げずに戦い続けても変わらない。
いじめっ子に仕立て上げたやつらに報復しても変わらない。
何をやっても変わらない。
俺は、今まで何のために生きていたのだろう。
その瞬間、ポキッと何かが折れた。
どうでもいい。
何もかもがどうでもいい。
両親は俺を信じてない。
両親のこと好きでいたかった。
もう、無理だ……、限界だ……。
嘘は真実へと変わったのだ。
中学の時にいじめていたのなら、小学生の時もいじめてたんじゃない?なんて言われたら、きっとみんなは言うだろう、両親もいうだろう、いじめてましたよって。
泣きながら、両親は信じたくなさそうに辛そうに言うのだろう。
俺は、違うんだって必死に訴えた。
それはもう意味がないもの。
誰も信じてくれるわけがない。
この文章を書いているときもきっとリアリティがあるねというのだろう。
それでいい。
俺が死んだとき、「罰が当たった」と言われても、「いじめっ子だったからね」と言われても仕方ないんだ。
そう、仕方ないんだ。
それからの時間は、学校に行っても勉強をしても無意味で価値のないものだった。
何もかもがどうでもいい。
終わってしまえばいい。
人を傷つけた悪人だ。
少しは思ったんだ。
もし、これでいじめっ子だって知ればかまってくれるんじゃないか。
また、俺のことを見てくれるんじゃないか。
でも、そんなことはない。
いじめはいじめ。
人殺しと言われてもおかしくない言葉。
俺がもし、こうならずめげずにやっていれば、救いの手はあったのだろうか。
時間は進む。
止まることを知らない。
何日も過ぎていった。
親のせいにしてはいけない、友達のせいにしてはいけない、人のせいにしてはいけない。
そんな環境で育って、じゃあ、一体、誰が俺を信じてくれるのだろうか。
誰が、俺を信じてくれたんだろうか。
俺は、必要とされない存在だった。
そんなのは嫌だ。
誰に何と言われようと、そんな風になるのならいじめをする悪人として名を残したい。
存在価値なんて園児のころからとっくになかったんだ。
みんなの知る普通に合わせられない時点で、俺は不必要無価値の人間なのだから。
俺は、俺の人生を終わりにしたい。
誰にも愛されなかったわけじゃない。
それでも普通ではいられなかった。
普通ではない人間。
逃げずに戦った悪人だとそう思える人生だ。
それに後悔や未練はない。良い人生だった。
***
交通量が多い帰り道。
十字路の信号を待つ無の時間。
青信号になったので、自転車をこぐ。
猛スピードで走る車が信号を無視した。
信号は、青だろうが……。
刹那、鈍い痛みで飛ばされて頭を強く道路に打ち付けた。
ああ、ここの近くって病院じゃん……。
そっか、助かるのかな……。
こんなに近いと助かってしまうのかな……。
いらないよ、助けなんて……。
誰からも助けられなかったんだ……。
今更そんな救い、いらない。
ああ、目の前に血が見える。
俺の血だろう……。
広がってる。
赤い液体がどんどん広がっていく。
視界もぼやけてくる。
俺を轢いた車が右へと曲がっていく。
逃げられちゃったなぁ……。まぁ、いいかぁ……。
救いなんて俺にはいらない。
いらないっていうか、必要としちゃいけない。
欲してはいけないんだよ……。
どうしよ、動けない。迷惑かけんのかな、俺。
「藤川さん⁉」
なんだ?
中学生?
お前……なんで……こんなバカな……。
道路の真ん中だぞ?
死にに行くようなことすんなよ……。
深山斗真……、やめろ……。
そんな目で見るなよ。
俺が、哀れみたいじゃん……っ。
悲しくなんかない。苦しくなんかない。
今までの行為を振り返れば、仕方ないんだよ。
お前だってよく言ってただろ……?
仕方ないことですって。
「お前、バカか……?」
彼は、そんな言葉に耳を貸さず、ポケットから出したハンカチで血を止めようと必死だ。
バカ、やめろ……。
助かりたくなんかない。
「お前」
「死んじゃダメです!何してんですか!轢かれたくらいで死ぬな!」
無茶いうな。
「お前にだけは言ってやりたいことがある」
「え?」
「兄貴は、大切にしてやれよ?一人っ子だから、わからないけど……当たり前のようにいた兄が消えて一生会えなくなったら、後悔だけじゃ済まされないんだぞ……?」
「藤川さん……」
ああ、もう、助からない……。
……は?まさか、俺は、この期に及んで助かろうとしてんのか?
バカ言うなよ。
ほんと、俺、ばかじゃねえの?
死にたくないって思ってしまっている俺はなんだよ。
何なんだよ……っ。
感情ってこんなにも苦しくて、嫌なものなんだな。
醜く吠えてんじゃねえよ。
視界がにじむ。
後悔が押し寄せる。
口から血を吐く。
ああああああっ、クソッ……!
こんな気持ちになるなら、感情なんてわからないままがよかった。
俺が最後に瞼の裏で感じたのは、太く深い絶望ににじむ赤い血の海に溺れる感覚だった。
+++
藤川浩太が、死ぬとき、何を思ったのかはわからない。
警察は、そんな私情を挟むよりも先に解決へと進めねばならない。
まさか、彼が日記をつけていたことも遺書を残していたことも想像していなかった。
なにより、彼の心の叫びがこんなにも書きなぐられていたとは思わなかった。
深山斗真という存在がいきなり出てくることは想定外である。
なぜ、出てきたのか、日記を見ればわかる。
深山空と言い、藤川浩太もまた逃げられなかったのだろうか。
この人生に逃げ道を考えることは負けだと思ったのだろうか。恥だと思ったのだろうか。
ならば、だとしたなら、逃げるのは恥だと教えた人たちはこの悲惨な出来事に何という答えを出すのだろう。藤川と同じことを考えているな。
警察署内の取調室の一室に彼はいた。
「深山斗真君だね。久しぶり」
「ええ、久しぶりです」
思いのほか、普通の返しだった。
もっと思い詰めていてもおかしくないのに、そうではなかった。
「藤川浩太を知ってたそうだね」
「……なんでそれを?僕はまだ誰にも言ってない」
「藤川の遺書に君が書かれていた。一番最初に出ている。君にも後で読ませようと思う」
「はぁ……?」
「君は、藤川君の事故現場に遭遇したんだよね?救急車も呼んだ。彼は致命傷だったからどれだけ早く救急車を呼んでも助かる可能性は低かったそうだ。君は、どうして、藤川を助けたいと思った?君のお兄さんをいじめた生徒であることは、以前の事情聴取で知っていたはずだよ。本来、守秘義務があるけど……。君は、主犯がわかって、顔も知って名前も知った。殺そうと思えば、殺せた」
「……まさか、事故に僕が関係していると思ってるんですか?」
「そんなつもりはない。ただ、君のお兄さんがいじめられていたことで復讐心を持っていたとしてもおかしくないんだ」
「兄貴がいじめられていたことは知ってます。でも、それを弟の前で普通に名前を出すのはおかしくないですか?それに、藤川さんは、恩人です。俺の考え方を変えてくれた。あの日は、藤川さんの母親に会わせてやるって言ってくれたんです。『お前がこのまま兄に傷をつけていくとこんな風に病室で生活を送るんだぞ』ってことを、母親を見せることで教えてくれる予定でした。こんな俺のこと気にかけてくれたんです」
藤川の事故から二日後。
車に吹き飛ばされる彼の姿を見ていたという話からすぐには聴取をしなかった。
目撃者の精神面を鑑みた結果だ。
「不思議だな。あんなにも敵視していたのに、斗真君には真剣に向き合っていた。これを知ったら、深山空はどう思うだろう」
いじめの主犯で、クラスのトップ。
そんな人に面倒を見てもらったとでも深山空に言えば、間違いなく発狂するだろう。
彼は意識が戻った今も、人との会話も人の動きも恐れているのだから。
きっとそれは過去に親からの暴力で人が自分の体に触れることを恐れているのだ。
「言いません。兄貴は、弱ってる。俺が、介抱する以外にやり方はない」
深山の母親は自営業をしている。
自営業を行いながら利益も十分に出している。
生活に困るほど、借金もしていないだろうに、深山空はバイトを行っている。
大学に行くためにバイトしているというのならわかるけど、そうでもないならすぐにバイトを行う必要はなかった。
だけど、斗真は伝達さえ行わず家にお金が入るならと、母親のことは何も言わなかった。
母親と深山空は会話する機会が少ないと言う。
コミュニケーションを取らなかったツケが回っているのだ。
もっと会話をしていれば、上手くいったんだろう。
彼の負担も少なかっただろう。
なにより、言わなくてもいいはずのことを兄に言った斗真は、ほかに何を考えていたのだろう。何か別のことが動いていた可能性もあるでのは?彼が言った考え方とは?藤川は戦っていた。彼も、ほかの誰かと戦おうと考えたのだろうか。ほかの誰か、別にいる相手に負けたままなのだろうか。
藤川には同情してしまう。
私情を挟んでしまうような自分には、どうしてもやるせない部分があった。
「君には、藤川が書いた日記を読んでもらいたい。遺書も同様だ。君に必要なのは、君が父親代わりになることじゃないと思ってる。会話のない君の家庭に道しるべなんてないと、私は思う」
「……何を言ってるんです?兄貴は、何もできない、昔とは全く違う愚かな奴だ。俺が、弟がしっかりしなくてどうするっていうんですか」
「だから、藤川の日記も遺書も読んでもらうって言ってる。本来、許されないことだが、君を気に掛ける藤川の気持ちがどうしてもこれらを読んでいるとわかってしまう。君に欲しいのは誰かの代わりじゃない。自立だ。藤川にはそれができなかった」
「そんなもの、一緒じゃないか」
「全く違う。それを、君には、理解してもらわねばならない」
聴取が終わり、日記と遺書を渡す。
読んでから帰れと言うと、彼はすぐに手に取った。
半分が進むころには、読むスピードも下がっていった。
何かを思ったのだろうか、感じたのだろうか。
それが良い方へと進めば幸いだ。
彼は、日記を読み終え、遺書に手を付ける時、躊躇うように何度も手を置いたり持っては、目を閉じ覚悟を決めて開いても、遺書は閉じていた。
それを数分繰り返すと彼は、意を決して読み始めた。
そして、涙ぐんでいた。
遺書を読み終えると、嗚咽を流していた。
「ごめん……。ごめんなさい……っ。ごめんなさい、ごめんなさい………………兄さん…………っ!」
初めて彼は、深山空を兄貴とは言わず兄さんと言った。
彼は、しっかりしようとしていた。
それは、以前の聴取の時にも理解していたが、親の離婚が原因だった。
今の兄が弱っているとき、助けになるのは自分だと。
しかし、進路や部活で忙殺され、兄にまで手が届かなかった。
まだ、自立しきれていない斗真では、自制することができなかった。
周りを見ることさえ、そう簡単にはできなかった。
自分に必要なことは、叱ること。
兄を叱り、教え正すことで離婚した家庭の安定は保たれると思ったのだ。
結局、そこに至る結論は出ても結論から出す言葉は拙いもので、精神的に疲弊しきっている深山空には殺意のある悪意でナイフのように鋭い凶器でしかなかった。
彼はきっとこの日記と遺書を読んでわかったのだろう。
自分の愚かさ、弱さ。
平常だと思っていたものが、日常では普通ではなかったり、求めていたもの憧れであったものが見たくもなかった弱い憎い脆い存在だったと知った時。
何も人のためになっていなかったこと。
深山空のためと行動してきたことすべてが彼にとって苦痛だったと知ったこと。
弟として、やるべきことは叱りや教え正すことではなく、寄り添い悩みを聞くことだったのだと彼は理解したのだろう。
藤川が斗真にしたように。
藤川が誰にもしてもらえなかったものを斗真に。
藤川は、斗真と似ていると思ったのだろう。
だからこそ、寄り添いたかったのかもしれない。
それが、自分を自立させるための一歩だと考えたから。
憶測でしかないこの思いは、もう届くことはない。
だけど、斗真には伝わっている。
これから、見届けてあげればいい。斗真が自立するまでを。
それから、ずっと深山空に対してごめんなさいと謝罪を繰り返していた。
自殺未遂を行い、意識を取り戻した一か月後の今。
深山空は、生きている今も死んだような表情で警察や友達と相対していた。
彼は、早川七海と中野俊也、其の他を面会許可していた。
きっとそんな自分を許せる相手はそれくらいしかいないのだとみせるように。
家族も高校の同級生も面会したくないと言っていた彼のよりどころは少なかった。
許せる相手も、自殺未遂を知らなそうである中学の友達とかである。
彼の中にある気持ちを、悩みに寄り添ってくれる人や、彼が心を許してくれる相手というのは本当に少ないものだった。
私にはわからなかった。
大人が彼の悩みに踏み込むことはできないから。
踏み込んでも寄り添えないから。
彼の気持ちを理解してくれる、寄り添ってくれる、踏み込んでも許される相手はこの先表れるのだろうか。
彼は、許すのだろうか。
家族が信じてくれなかった自分を、肯定し許すこができるのだろうか。
彼は、藤川と違った未来を作ることができるのだろうか。
関与できない私には、ただただ良い未来だけを願うことしかできない。
目の前で泣いている彼は、その寄り添う相手になりえるだろうか。
もしも、藤川が寄り添ってくれる相手に出会えていたのなら、未来は変わっただろうか。
日記も遺書も嘘ではなく本当の気持ちだったのなら、深山に救いのための例えを求める理由もわかる。
私はただ、深山空が藤川浩太の二の舞にならないことを祈るばかりだった。