軽くどんな話を今まで聞いたのか教えてくれた。
事情聴取は、おれで終わり。
ならば、話すことはある程度省略していいのでは?
しかし、目の前にいる警察はそれを許してくれなかった。
「なんで?」
試しに聞いてみる。
「省いていいことなんてない。君も苦しいとは思うけど、全てを教えてほしい」
「嫌だね」
「悪態をつくなよ。あの問題児だって君の担任から教えてもらった藤川くんも全て教えてくれた。君の方が問題児なのかな?」
「……」
「どうかした?」
「いえ。じゃあ、話しますよ。例えば、おれが早川七海を好きだと言ってもそれらは全部口外されないですよね」
「……え、ああ、もちろん」
「動揺しないでくださいよ。もちろん、嘘じゃありません」
「そこは嘘だというべきじゃないのかい?」
「いや、本当だし。嘘つく理由なくない?誰にも言わないんでしょ?」
「そうだね」
「じゃ、そろそろ話すよ。そうだな。早川は自分のことどれくらい話した?」
「深山くんとの出会いからかな」
「ならば、俺は早川との出会いからでいいか?」
「もちろんだけど……、それは深山くんのことと関係があるのかい?」
「なかったら言わないさ。まあ、あってもなくても関係なく話させてもらうけどね。だって、あんなことがあったんだ。俺は、今どうしても話さないと気が済まないんだよね」
お茶を用意してくれた警官から、ありがたく貰うと俺はそれを一気飲みした。
気持ちが狂う前に、全てを伝えておこう。
それが、いい。
それでいいんだ。
+++
早川七海は、デブだった。
だったという過去形なのは、高校に入る前からとても痩せたからである。
だが、そんな痩せた早川も出会った当初はデブで運動もできない、それでいて人と関わる事を拒むようなつまんない女子だった。
中学2年生の頃、俺のクラスに転校してきた。
理由はわからないけど、予想するならいじめだろうと思った。
その体型で挙動のおかしさではそれはそれは虐められていただろうなと思うほど。
本人に確認してやろうと思ったことは何度もあった。
だからこそ、そのデブに話しかけた。
同じクラスの仲のいい女子からはなんであんなデブに話しかけるの?と聞かれたが、それはまあ、確信を得るためでそんなことを言って嫌われたくない俺は、なんとなくと濁すように答えた。
もちろん、最初は可愛くなかった。
俺はデブが好きなのかって?そんな訳ない。
できれば、可愛くてお転婆なやつがいい。
それか、ぶりっ子。
だって、可愛いし。
当然だろう。
しかし、話してみれば、彼女に対し不快に思うことは一つもなかった。
話し方はなんとなく癖もなく普通。
優しい人なのかもしれないと思った。
それから、部活に入らないのかと聞いた。
だけど、そいつは入らないと言った。
俺はよく部活をサボって怒られていたから、だったら、こいつとサボりついでに遊びにでも行こうと考えた。
そして、実行して、怒られた。
先生にも、早川にも。
「それだったら、一人で帰るよ。気にしないで。別に、一人が嫌とかじゃない」
「先生に怒られてる所を目撃するなんてストーカーかよ」
「クラス内で怒られてれば当然聞こえるし、見えるよ」
「……」
「部活、何でサボるの?」
「なんとなく。めんどくさいじゃん?やるだけ、無駄っていうか」
そのころの俺は怠惰だった。
何においてもめんどくさがって興味がなくて、虚無だった。
「無駄なことなんてないっていうじゃん?そんなことある?帰りの会の前に掃除するけどさ、あれなんで時間制限なん?効率良く済ませればいいことをなんで、時間が来るまでやらなきゃいけない?だったら、やる必要ないじゃん」
「もっと真面目な人だと思ってたけど、案外そうじゃないんだね」
「失礼なデブだな。モテないぞ?」
「うるさいな。デブで何が悪いんだ。とっくにモテない女なので問題ありませんー」
「デブってだけで、不衛生とか不潔とかそんな理由でいじめられたりするじゃん」
「いじめ……」
初めて、暗い顔をした。
それよりも先に、つい言ってしまったと後悔した。
明るく振る舞い、優しいやつだと思っていた人でもそんなふうに、変わってしまう。
いい言葉でもないし、やりすぎた気持ちはある。
「ごめん。そんなつもりじゃない」
「いや、いいよ。気にしないで」
その顔は、もう二度と言わないでほしいなんて気持ちが見えて話題を変えた。
「よし、じゃあ、せっかくだ。どっか遊びに行こう」
「行かない」
「え?」
「部活でしょ?そっち優先しなよ」
「興味ないんでね。顧問は贔屓で選んだ人をレギュラーにしてる。そんなもんだよ。だから、いい」
「それだったら、行かないって?」
「そりゃな」
早川は、何かを考えている様子だった。
その何かに閃いたのか彼女は嬉々とした表情で言った。
「私が、ダイエットするから、あなたは部活に行くってどう?毎朝、グラウンドで走る。それを見たあなたは部活に行く。そしたら、あなたはサボらない」
「お前にメリットないし、俺にもメリットない」
「あるよ。私は、痩せる。あなたは、先生からの評価が良くなる」
「そんなものいらないって」
結局、贔屓しているだけなのだから。贔屓は評価じゃない。好意だ。
ちょっと部活に顔出したって変化はない。
「だったら、他の先生に言いつけるための行動ってことにしたら?顧問が贔屓するんですー、僕は頑張って部活の練習について行ってるのになんの評価もしてくれませんー、部活のある日は毎日行ってるのに評価されないのはおかしいーって」
「……なかなか考えつかないことやるよな」
「そうかな。でも、あれだけ反抗的になれるならできるよ」
「あっそ、考えとく」
それから、早川は本当に朝早くから学校に行ってグラウンドで走っていた。
着替えも持ってきているので、朝から臭いとかはないけど。
「お前マジなの?」
「マジだよ。今日、走ったし部活、行ってね」
「ふざけんなよ」
内心、笑っていた。
こんな馬鹿なことをするやつがいるのかと。
だったら、何でデブになったのかと。
痩せれば、モテるだろうに、何もせず怠慢に太っていく理由はなんなのかと。怠慢じゃないかと。
だけど、俺はその日部活にいかなかった。
それを早川は咎めなかった。
なぜなら、彼女は俺が部活に行ったところで彼女が俺の部活の場所を知らないのだから。
テニスコートは校舎から少し離れている。
そして、その方向に彼女が下校時に行くことはない。
そりゃ、バレないよな。
そのくせに、早川は丸一ヶ月、朝グラウンドで走っていた。
たまに暑い日も出てきて、そろそろやめるだろうと思っていたけど、それでもなおやめることはなかった。
まだ教室にクラスメイトが少ない時間帯。
俺と早川が話すのはその時が多くなっていた。
そして、今、彼女は自分の席で汗を拭っている。
着替えただろうに、汗はひかないのかと思った。
だから、首元に冷たいペットボトルをあてた。
「きゃっ⁉︎」
「ほい、お疲れ様」
「……中野」
「嫌そうな顔するなよ」
「だって、部活行ってないじゃん」
「……ま、まさか。行ってないわけないじゃん」
「嘘だよ。聞いた。部活、行ってないって」
「誰かが嘘でもついたか」
「確実に行ってないでしょ。昨日、見に行ったけどいなかった」
「……」
「約束、守ってくれないんだね」
「そもそも約束してない。勝手に始めたんだろ」
「でも」
「うるさいな。わかった。今日は行く。だから、黙ってろ」
「本当に?」
「ああ、本当だよ。黙れ、デブ」
「はあ⁉︎残念ながら、私はもう五キロ痩せたんですー。ばーか」
「でも、デブはデブ」
「……うるさいなぁ」
「しょうがないな。じゃあ、あと五キロ落としたらもうこの賭けはなしな」
「え?」
「ちゃんと行くよ。約束してないにしても、黙って一ヶ月いかなかったから」
「……へー、優しいね。てか待って。一か月?」
「うるせえ、デブ」
「ぶっ叩いていい?」
と、立ち上がる早川。
けど、すぐ触れられるところに腹があって、俺はその腹をつまんだ。
「ひゃっ⁉」
「デブはまだ健在だし、事実だな」
ツンツンと触れると盛大に教科書でぶっ叩かれた。
机、椅子をずらし、倒し倒れた俺。
「バカ‼何してんの⁉いきなりそんなことする大バカ者がいるか‼」
フラフラする頭で考え、言葉を口にしようとしてもダメだった。
椅子や机をもとの位置に戻し、知らない人の席に座り、考える。
「……」
「あ、ごめん。やりすぎた。大丈夫?」
「いや、いいよ」
「人のお腹触るからだよ。ばーか」
「本気で痩せたい?」
「……うん」
「あっそ。まあいいや。今日は部活に行くから勘弁」
人も増え始めた教室で俺は自分の席に着いた。
その日、一か月ぶりに部活へ参加した。
それからも、彼女は毎朝学校に来て、グラウンドを走っていた。
俺も部活に行った。
昨日、部活に行ったか確認するために外から見ていたので、もう部活の場所もバレているんだなと理解せざるを得なかった。
ショッキングなニュースである。
それからも二週間、彼女は走っていた。
ある日の朝。
「ペースいつもより遅くない?」
俺は、彼女と走ることにした。
「え⁉なんで、中野が?」
「いや、なんていうか体力が落ちていて体力づくりをしろと顧問に言われたから」
本当は言われてないけどね。
「顧問、中野のこと見てるじゃん」
「見てねえよ。言えることは言っただけじゃない?どうせ、興味ないよ」
「中野はさ、レギュラーになりたいの?」
「……なりたい」
初めてそんな話をした。
今までくだらない話を淡々としてきただけだったから、軽く踏み込んできたことに驚いた。
「なりたいから、テニス部に入った。だけど、顧問は終わってる」
「なんで、なりたいの?」
「……なんで?それは」
モテたいから。ちやほやされたいから。
否、そんな理由だけじゃない。
「親に見てほしいんだ。俺の親は、スポーツができる俺を好んでる。小学生の頃は外部でやってたんだけど、今は部活で結果を出したい。だから、部活をやってた」
「だけど、中野は選ばれなかった……?」
「そうだ。小学生のころから県大会は余裕だったし、俺よりも弱いのがレギュラーとして大会に出ている現状が気持ち悪かった」
「……」
「だから、諦めた。何度も顧問に結果を見せても、女の先生だからか過程を見たがる。別にふざけてるわけじゃないし、真剣にやってるからこそ楽しいこともあって笑えることもあるけど、それを顧問は許さなかった」
初めて打ち明けることだった。
「笑ってることをふざけていることだと評価した。それから、俺に対しての当たりは強いし、それどころか評価もしない。いてもいなくても何も変化はない。積極的に励んだ結果これだ。ゴミみたいな、部活だから友達に今日は来いよって誘われても行かないんだよ。どうせ、評価しないから」
「……顧問に、評価されたいの?」
「そうだな。そうすれば、親も評価するようになると思う。大会に出るってことが一番の評価につながるから」
「……水を差すようで自分から言っておいて悪いけど。私は……、辞めちゃえばいいと思う」
「え?……な、なんで……俺が?」
なんで?ありえないだろ。
一年のころから必死にやって来た俺が、部活をやめんの?
評価しない顧問のために?
俺が、逃げるの?
「だってさ、辛くない?私は……。私はその……」
彼女は、走るのをやめた。
気づいた俺が立ち止まり振り返ると彼女はうつむいていた。
「私は、いじめられてこの学校に来た」
「……」
それは、いつだか聞きたいと興味本位で抱いたこと。
彼女は自分からその話題に触れた。
「それは。、すごくひどくてさ。なんでだろうね、物は隠されるし、教科書に落書きされるし……。それ以上に、LINEとかインスタにひどいこと書かれて。毎日、暴言浴びて、だけど部活に行かない選択肢が許されなくて。みんなして、私を無理やり部活の活動場所に連れてきて、かと思えば、物を投げてきて、それが当たったらそれを見て楽しんで……っ」
「……」
「限界になって、親に引っ越したいって言葉ですらない声で伝えたの」
「……」
「そのおかげで今がある」
「……今」
「そう。今があるの。あなたに出会えた」
「俺は、別に……」
ただ、なんでここに来たのか興味があったとは言えなかった。
「ううん。あなたがいたからだよ。だから、……痩せようとか、思うわけだし。それに……、今は可愛くなりたい。ストレスで暴飲暴食になった時はあるけど、……今は、可愛いって思われたい」
「……」
かわいい、か……。
痩せようって思う理由がなんとなくわかった気がした。
もしかしたら、環境が変わって考え方とか一般的な普遍的なものになったのかもしれない。
ただ、純粋に好きな人を想う気持ちとか……。
「環境、か……。その考え方はなかったかもなぁ」
「知らない人ばかりの場所は最初怖いけど、慣れるものだよ。ほら、さっき外部でやってたって言ったでしょ?部活だけに縛られて結果が出せないならもったいないよ。外部で結果出せるほどの力があるならさ、そっちでやろうよ。そしたら、顧問も嫉妬するかもよ?」
「……確かに。そうだよな……。お前がいてよかったかも」
「……え?」
最後の言葉は聞き取れなかったのかもしれない。
だけど、それでいい。そんな言葉、聞かれたくない。俺の好意の表れとか勘ぐられたくない。
いつの間にか、こいつのこと好きになってる。
「そうするよ、俺、部活退部して外部でやるよ。もし、県大会とか出れたら、その時は応援しに来てよ。頑張れる気がする」
「わかった。応援するね。その時までには痩せようかな?」
「なんでだよ。別に、そんな制限つけなくていいんだぞ?」
俺は、お前が好きだ。別に、痩せろと言ったのが俺だったわけでもない。
「いいじゃん。私がしたくてするんだから」
だから、彼女はそう言って笑った。
俺はこの時、その意味すら理解してなかった。
その日のうちに親に相談した。
すると、両親はすぐに外部のテニスを調べ始めた。
小学生のころにやっていた場所が、中学生でも参加できるようにしたということを知って、すぐに電話してもらった。
前までは小学生までという規約があったからやめたけど、その規約が破棄された今、入らないわけはなかった。
だって、ここの教師、女性がとてもきれいな方で教え上手なのだから。
下心満載の気持ちで俺はそこの説明を受けに行った。
なのに、説明してくれた人はただのおじさんでとてもショックを受けてしまった。
しかし、それが理由で辞めるなんてことは最初からなかったので入ることにした。
教えてくれる先生は、前と変わらなかったため安心してできそうだ。
それから、早川と一緒に帰り、別れてから外部まで向かった。
「中野くん、フォームが最初しっかりしてないこと多いから、意識して?そこでセットを取られたらメンタル面をやられるわよ」
「これ、俺のフォームです」
「……ふざけてる?」
「いいえ」
「右利きなのに左で打とうしたりやりたい放題してると、取れるところとかいざってところで点数とれないよ」
俺の初恋相手である女性の教師はとても困ったように言った。
その顔、好きです。
ぜひ、付き合いましょう。
浮気してます今、確実に。
「わかりました。直します」
「よろしい」
それから、外部の県大会に選ばれた。
これで、早川を呼ぶことができる。
県大会のレギュラーに選ばれたことだし、部活もやめることにした。
結果が出せるのは、外部だ。
贔屓してくるモテない女性顧問の相手なんてしていられない。
顧問は、特に何か言うでもなく退部届を受け取った。
そして、県大会当日。
早川は、本当に来た。
初恋相手の女性教師もいるわけだし、本気出しちゃおうか。
と、意気揚々と準備をする。
客席には早川もいた。彼女は、小さく手を振った。
本当に前より痩せている。
凄いな。俺はあれだけ太っていたらあのスタイルまで痩せるのは無理だぞ。
わりと、ぽっちゃり系というか……。
スレンダー系が好きな俺からしたらもう少しシュッとしてほしいなぁ、とか思ったりもした。
まあ、好きな人いるっぽいことは言ってたし、そいつの好みに合わせるだろうけどさ。
……誰が好きなんだろうな。
あんま男子と話している様子はないけど。
「よし、一セット先取!」
「まだ、始まってないけど」
初恋女性教師にツッコミを入れられて気分は好調。
これはいける。
そして、試合が始まると一セットをリターンエースですべて取った。
サンセット取れば勝ちである硬式シングル。ファイブゲームで相手にセットなんか取らせない。
だって、後ろには初恋女性教師がいるのだから!
二セット目もサービスエースで決める。
三セット目はわりと小癪な真似をしてきてイラっとしたけど、逆にそれを利用してポイントを取得した。
順調に決勝に進んだ俺は、ふざけることなく二セットを取得。
しかし、相手も強いのでスタミナはある。
相手が取れないだろうと思える場所を狙っているというのに、それすらも取りに行くメンタリティには驚きを隠せない。
しかし、それだけ相手のスタミナは削った。
本来、削られていておかしくないというのに、相手選手は何一つ表情を変えなかった。
体力の消耗はないのか?
どうして、おかしい、ありえない……。そんな感情が渦巻き始めた。
やばい、このままじゃ相手の意のままではないか?
だったらなんで、相手は顔色一つ変えない?
どこを狙おうとしているのか全く分からない。
どうして、変わらないまま普通に取りに行くのだろう。
呆気なく一セットを取られた。
……やばい、これじゃ負ける。
県大会くらい余裕で行けるなんて早川に言ってしまった。
このままでは負ける。
どこか弱点を……。でもどこに?表情一つ変えないこの男を相手にどう戦えばいい?
焦りが、メンタルを削りに来ていた。
セットを取られ、コーチングに入る。
水分を補給しても焦りはあって汗も止まらない。
「調子が良くないみたいだけど?」
「……」
「今、中野くんはどこを見てる?」
「……どこ?」
「相手の表情が変わらないのは、悟られたら負けるからっていう逆転の発想はない?」
「逆転……」
例えば、親にスポーツで結果を見せたいからと部活だけで考えていた俺。その結果、怠惰になった。結果を見ないからと顧問を責めた。
だけど、早川は言った。だったら、外部でやれば?と。
彼女がそう行動をとったように。答えなんて意外と、しないだけで呆気ないところにあったりする。
「あえて、相手の打ちやすいところに打ち返す……」
「焦らす?」
「攻め時が来たら表情でわからせる。もしかしたら、俺の表情を見てわかったのかもしれない」
どこを狙おうとしているのか、どうして追いつけるのか。
表情を読まれていたなら、納得がいく答えだ。
「いけるか?」
「むしろ、いけないわけがない」
「ラスト一セットだよ」
「もちろん」
気になって、客席を見てみると早川はグッとサインを作った。
ああ、なんか、気が楽になったように思う。
あんまりこんなことしたくはないけど、と思いながらグッとサインを作った。
彼女は、嬉しそうにクシャッと笑みを見せた。
そうだ。こいつに言ったこと有言実行しないとな。
そうでないと、男じゃねえ。
それでも、ゲームが始まると彼は彼らしく粘って来た。
ロブの展開を見せ始めた俺に相手は素早い球で返してくる。
だけど、それでも何度もその球が来てもロブで返した。
相手がそのフォームを崩さないであろうことはわかった。
結構、うざい相手だってことも分かった。
ボコボコにしてやる。
軽く、浅く球を打ち返した。
彼はそれでも表情を崩すことなく返してきた。
ネットギリギリの球に反応しておきながら返って来た球は、ネットに近いところではなかった。
それではっきりとした。
もしも、表情が動かず至って冷静なのであれば、ネットに近いところに落とすこともできる。
だけど、そうしなかった。わざわざ遠くにしたのはそこに至るまでの思考がなかったのだ。コントロールや、ポジションまで視野に入ってない。
考えていなかった。このロブしか打たなくなった相手に対し思考が鈍った。
ここまで考えていなかったけど、こうなるなら運がいい。好都合。
それだけじゃない。彼は球を打ち返してすぐネットから離れ、後衛サイドへとポジションについた。軟式じゃあるまいし、ネットとベースラインの間であるサービスラインに居ればいいものを、そうはしなかった。
彼は、軟式も同時にやっている選手かもしれない。
それなら、こっちのものだ。
なんだって、俺は軟式テニス部をサボりにサボりまくっていたのだからポジショニングもほぼ忘れちまってんだよな!
速いショットを打ち込み、サービスラインにまでつっこみ、相手のテンポを崩す。
テニスはある意味リズムゲーだ。
相手のリズムさえ乱せば、勝ち。
勝機は俺にある。
サーブである俺は、その勢いのまま打ち込む。
彼は、もう思考が回らないのかウザい球も何も打てなくなっていた。
ただ、打ち返して相手のミスを狙うことに集中してる。
だが、残念だな。早川が痩せてきている現在も変わらずランニングしているその姿を見て俺も付き添ってんだ。
体力ならまだあり余ってんだよ!バカ野郎!
そして、彼は賭けに出たのかスマッシュの打ちやすい球を出した。
大馬鹿者すぎて笑えて来たぜ!
お前、俺の得意技がスマッシュじゃないといつから錯覚していた?
俺は、スマッシュが好きなんだぜ!
勝負は勝った。
「おめでとう」
「ありがと。お前、滅茶苦茶動きが読みずらかった」
「そうかな。結構、うざいことしてくるなぁってイラついてたけど」
「え?表情は一切変えないスタイルとかじゃないの?」
「いや、別に」
「え?」
「え?もしかして、そういう相手に当たってたからイラついてたの?」
「そうだけど」
てか、イラついてんのバレてたのかよ。
「違うよ。ていうか、面白い奴だな、お前」
「そっちこそ。楽しかった。名前は?」
「太田」
「そっか。中野だ。よろしく」
県大会出場をかけた地域の大会の優勝者になった。
県大会出場は有言実行した。
お前のおかげだ、早川。
お前のおかげで初恋女性教師にも会えた。県大会にも出場できる。
あの悪意ある環境から逃げることができて本当によかった。
授賞式も終わり俺は、早川のもとに行った。
「おめでとう!」
「ありがとな。早川が居なかったら、ここまでできなかった」
「そうかな。褒められるのは気分がいいね」
なんだこのやろう。
俺は、少しいじってやろうと頬をつまんだ。
「いっ!お腹の次はほっぺか!この!」
「ちょっとムカついたから。良い顔してるぞー」
「うるさい!離せ!人前でやるな、バカッ!」
「いいぞ、いいぞ。周囲にさらしてやる」
「……痩せたのに、まだつまめるような箇所があるなんて」
「まだまだだなぁ。つまもうと思えば、いくらでもつまめるのさ」
「変態!」
「変態につままれないようにしてみると良いさ」
「……嫌なわけじゃないけど」
「は?」
嫌がれ。それを見たい。あー、でも好きな人いるんだし無理かぁ。
だから、なんだか申し訳なくなって彼女の頬から手を離した。
「……好きならもっとやるのもいいんだよ?」
「バカ言うなよ」
やめてほしそうなセリフじゃないか。
「私さ、あなたがいてくれてよかったよ」
「……ん?どうした」
「だからその……、嬉しくて。転校してからずっと気にかけてくれてたじゃない?それがすごくうれしくてさ……。気が付けば、すごく好きになってた」
「……」
なんか、感謝されているんだけど……。
「私、あなたのことすごく好きになってた」
「……そう?そりゃ、転校生がいたら気に掛けるよ。まさか、こんな風に環境を変える良さに気づかされるとは思わなかったけどさ」
「……」
「俺も、お前がいてくれてよかった」
感謝されたのだから、感謝を伝えるつもりでそういった。
「……っ。ほ、ほら、私さ、いじめとか誰にも言えなくて、あなたにはそれが言えた。あなたと話すの、とても好きなの。優しくて、楽しくて、嬉しくて……」
また、感謝の言葉を……。
「だから、部活とかできたら行ってほしいっていうか、不良的な態度取らないでほしいとか勝手にそんなこと思って……。でも、それが顧問の贔屓だったって知ったから、勝手ながら提案させてもらったっていうか……。好きな人の役に立ちたいって……」
「うん、ありがと」
「……っ、だから、その、えっと、痩せてる人の方が好きでしょ?ほら、痩せてれば不衛生とか不潔だとか思われないし」
「頑張ってるなって思うよ。実際、テニスやってるときも早川が頑張ってるんだからって励みになった」
「私は、だから……」
「ありがとね。今まで、そんな風に言われるようなことしてきたつもりなかったからさ……。そう思ってくれてるだけでもすごくうれしいんだ」
それにと続けた。
「こんなにも友達想いな人だったって気づけたし」
「…………っ‼」
彼女は、そんな言葉に嬉しかったのか、唇を噛んだ。
目を潤わせていたので、きっと今同じ気持ちなんだろうなって思った。
だけど、彼女は違った。
「そっか。友達、か……。中野って思ってたより鈍感なのかな。それはそれは鈍感すぎるというか……」
「え?」
彼女は首を横に振った。
何度も首を横に振って、時に頷くように縦に振った。
まるで自分に言い聞かせるようなそんな仕草。
「……………………友達、だから……、当然だよ……っ」
「うん」
「……当然だから……っ。これくらい、言わせてよ……」
彼女は、時間も時間だから帰らないとと言って走って行ってしまった。
毎朝走っているせいかとても速い。
最初のころに比べれば違いすぎる。
「あの子、同じ学校の子?」
「……はい。なんか、すごく感謝されちゃいましたね」
「違うでしょ」
「え?」
「え?まあ、そのうち気づくんじゃない?」
と、初恋女性教師は言った。
好きな人がいる彼女に対して、勘違いさせるような発言だなと思っただけ。
県大会出場が決まったことで、それを知ったクラスメイトがそれを祝ってくれた。
「サンキュー」
「お前、部活辞めたと思ったら外部で早速活躍かよ。お前いないと部活の士気下がるのに」
「それは仕方ないよ」
ほかの人も入って来て、おめでとうと次々に言っていく。
早川もクラスで改めて祝ってくれた。
何かつきものが取れたように、吹っ切れたように「おめでとう」と言った。
それから、変わらず友達でいた。
だけど、そんな中、モヤモヤした気持ちが心の中にあった。
友達のままの関係の俺たちは、いつ俺から伝えられるんだろうか、と。
しかし、彼女はいつまでもその好きな男子に好意を伝えることはしなかった。
+++
「それが、早川との思い出だ」
「……」
「勘違いしていれば良かった。。あの時、感謝の言葉を言っていると思ってたけど、そうじゃなかった。俺はバカなことをした。あの時、もし勘違いしたまま、付き合おうとか言ってたら今も続いていたんじゃないかって、付き合っていたんじゃないかって」
「……」
「……どうかしました?」
「いや、なんていうか……。深山くんの話をするかと思っていたから」
「あとで、しますよ。そりゃあ、もちろん。ほんと、あの気持ちを勘違いしていればよかった。うまく付き合えたと思うんですよね」
「えぇ、いや、うん……。そっか、気づいていれば付き合っていたのにね」
「なんか適当すぎません?」
「ううん。そんなことない。……その、気になったことだけど太田って出てきたけど……」
「それが、同じ高校にいたんです。一度対戦した彼が同じ学校、クラスメイトで同じ部活だった」
「確か彼は……」
「ゲイです」
「彼はそれについて深く言おうとはしなかったけど」
「じゃあ、それも含めて言いますよ。俺の後悔の話を聞いてくれたんでね」
もう一本お茶をもらい、少し飲むと俺は呼吸を整え、高校入学時から話すことにした。
+++
高校入学して、ある男子を見つけた。
いつか対戦した相手である太田だ。
「久しぶり。覚えてる?」
「え?……あ!もしかして、中野?」
「そうそう。覚えてるか!」
「覚えてる、覚えてる!あれは僕としてはとてもいい試合だったから」
「あの接戦ぶりは楽しかったな」
「部活は、テニス?俺はそうするつもりなんだけど。もし、一緒なら、結構楽しそうじゃね?」
部活。中学の頃は、結局やめた。
県大会に出場していたことを知った顧問がもう一度入らないかと聞いてきたこともあったけど、断った。
そんなの興味ない。
もし、今回部活に入部したとして顧問になる先生は贔屓などしないだろうか。
それ以上に、こいつと部活内で試合ができるなら強くなれるかもしれない。
また贔屓とかしてレギュラーから外されたのなら、今も続けている外部での活動に移行すればいい。
「そうだね。よろしくな、太田」
俺は、部活に入部することにした。
男の先生でやたら怖い雰囲気を持つくせに職員室の机には家族写真が置かれていて楽しそうな家庭を築いているんだろうな、なんて思ったりもした。
「君ら二人って、東海大会出場してるんだって?」
「え?」
「なんで、知ってるんですか?」
俺が抱いた疑問を太田は聞いた。
「いや、中学の成績は高校に行くからね。それで知ってるよ。もし、来ないのなら誘ってたんだけど」
「へー」
「仮入部もしてくれてたし、あとで聞こうと思ってたけど、これはこれで顧問としては願ったり叶ったりだ」
入部届を出し終えた俺ら二人は早速、部活に参加した。
……だけど、まさか筋トレからとは聞いていない。
なんで、あんなに歓迎されたっぽい雰囲気あったのにこれなんだよ。
まあいいや。受験もあって体力落ちてるし、これを機にまた体力作りでもしよう。
クラスでも順調である。
それは、太田がいることもあるけど、隣の席である深山とも仲良くなれたから。
前々から仲良くなりたいなと思っていたし、早川が普通に話しかけているのを見て深山と話しやすいのではないかと思った。
軽く話しかけてみると、彼は普通の対応だった。
別に何がどう違うとかない。
誰かと比べて変だとかそんなこともない。
とにかく普通に見えた。
「部活入らないの?よかったらさ」
「――ごめん。部活は入らない」
「え?でも、部活って強制参加じゃ……」
「先生には言ってあるんだけどさ、僕、バイトするから」
その時、察した。
この学校で部活をしない人は大抵、外部で運動をしているか、それとも家族の金銭的な問題でバイトをするという二択。
つまり彼の家は、金銭的な問題を抱えているということ。
「そっか。バイトね。俺も夏休み入ったらバイトしようかな」
この学校は、長期休暇になればバイトが可能だ。
ある程度、成績が良ければバイトはできる。
ただ、顧問の許可も必要だけど。
「いいね。そうしなよ」
俺は、頷いた。
「そういえば、早川さんと映画行くことになってさ。行くか?」
「え?なにそれ」
「聞いてない?」
「いや、知らんけど」
早川が、深山を誘った。
それだけのことなのに、俺はなぜだかモヤッとした。
「お前、早川と仲良かったっけ?」
「何度か話すようになったけど?ていうか、ほら、早川が中野に怒った時くらいから結構話すようになったかな」
「あー、あれか。映画行くことになったんだ」
「うん。まさかのまさかだよ。来る?」
「いかない」
「そうか。まあ、部活もあるもんな。二人で出かけることになるのかぁ」
深山はそういった。だけど、違う。
早川は、そうじゃない。彼女は確実にデートとして誘ったんだ。
俺にはわかった。
あの早川が怒った日に俺は、デートに誘えば?と、言いたくもないことを言ったのだから。
最近気づいたことがある。
それは、俺が早川のことが気になっているみたいだと言うこと。とうとう、確信になっているのではということ。
気づいてからは、デートとかどこかへ出かけるとかそんな話、聞きたくなくてしょうがない。
「二人ってあんまりよくないよな。早川さんだってその辺は気にするんじゃない?」
「そう思うなら、ほかの人、誘っていいよって言ったら?それか、誘いたいって」
「それ言ったら、滅茶嫌な顔された。不貞腐れたっていうか……」
それはもう、早川にとって本気で気になっている男子にアタックしているということ。
俺のことは見てない。友達だって、あの時言ってしまったから。
「時すでに遅しか?」
「そうだね。寿司でも食べたい」
「真顔でそんなこと言わないでくれるか?」
彼との会話が終わり、俺は太田に呼ばれ部活に行くため廊下を歩く。
早川は、深山のことが好きだということくらい中学の時から一緒に居ればわかる。
何となく予想がつく。
だって、じゃあなんで深山と話そうと入学式が終わった教室で話しかけたのか。
そんな答え、一つくらいしかないのだから。
「俺さ、深山君のことちょっと気になってるんだよね」
お茶を口に含んだ時、太田はそういった。
「っ⁉」
盛大にふいてしまった俺は、空耳かと彼に目を向けたら真剣だった。
「……ぇ、へぇ」
「深山君もゲイだと思うんだ」
いやいや、自分が同性に好意を持つからって人を巻き込んでいいわけじゃないぞ?
「……何言ってんの」
「俺さ、深山君がする笑顔わかるんだ。あれは、男子を好きになっちゃいけないって思ってる顔だよ」
「……は?」
わけわからん。
だいたい、人と話すとき、ましてや深山のあの表情からそんな気持ちは見えなかった。
それに、こんな廊下で誰かに聞かれて噂が流れたらどうするつもりなのか。
「ていうよりは、ただゲイとしての勘なのかな?」
「お前が疑問形使ったらこっちがどう反応したらいいかわからんだろ」
太田はゲイだった。それだけのこと。
「そっか。そうだね」
「深山がそんな男と付き合ってたって話聞かないけどな」
「僕は聞いたよ」
「……お前、バカか?」
「だと思う。だけど、興味っていうか俺と同じ人がいたらいいなって思っただけ。彼は、中学生の時に男子と付き合ってたみたいだよ」
「……」
うわぁ、まじかぁ……。
あんまこいつから聞きたくなかったなぁ……。
「まあ、そう思うならいいよ。それで」
「信じてない?」
「別に。お前が嘘つくとは思えないし、信じるよ。ただ、そういう話はもうするなよ。面倒ごとができるかもしれない」
「……わかった」
俺は、思った。
もし、太田が言う通り本当のことで、深山もゲイならば早川と付き合うことはない。
早川を振り向かせることができるのは、俺なんじゃないか。
それどころか、深山もゲイであってくれと、自分勝手に祈った。
そしてそれは、知られるべきでない相手に知られてしまう。
二日後の放課後、学生ホールと呼ばれる購買も自販機もある場所へと来ていたときの話。
自販機でドリンクを買った俺の前に現れたのは藤川だった。
「よぉ、久しぶり」
「久しぶりって。いつも話してんだろ」
「なんかつれないな。なあ、太田ってゲイなのか?」
「……」
どうやら、彼は知っているみたいだ。
だって、疑問をかけるにしては確信的なニュアンスさえ含まれているのだから。
「ハハッ。だろうなぁ、よくわかる。あいつ見てるとさ、深山のことを恋心的な目で見てんだから。わかる」
「……。それで、太田がゲイだったらなんだよ」
「喧嘩腰か?ま、そんなわけないか。ゲイだったらどうこうって話はない。ただ、気に食わないのは深山だ」
「……え?」
俺はわかっていた。
以前、藤川とその周りにいる人たち、もちろん太田もいたが、その間で話題になったことがある。
「深山ってさ、早川のこと好きなのか?」
「……どうだろうな。それは知らない」
「早川は、逆に深山が好きか?」
「…………。まさか」
そんなわけないと信じたいのは俺の方だった。
「おいおい、バカだなぁ。お前さ、今の間で大体わかっちゃったわ。なるほどねぇ。深山のこと好きな可能性があるのか」
可能性と彼は言った。
確固たる証拠はどこにもないから。
「早川は、良い体してるよなぁ。それに、あいつと付き合いたいっていうやつもいる。ていうか、ヤりたいって人多いぞ。どうだ?ここは、お前の恋心と太田のゲイを隠すことにして、深山と早川を別れさせないか?」
「……は?」
「俺はさ、楽しいことが好きなんだ。それに、お前らにもメリットがある」
太田は、深山にアタックできる。
俺は、早川にアタックできる。
「鈍感なおまえでもよくわかるだろう」
「……だからって」
「バカ言うな。早川はお前にやるよ。あの体、気持ちいいか教えてくれるだろ?中学時代のデブが、痩せるとボンキュッボンになるんだもんなぁ……。お前、そういうの好きそうだし」
「さっきから、何が言いたい」
なんで気づかねえのと言わんばかりのため息を吐いた。
そして、こういった。
「深山をつぶしたいんだよ」
それは、藤川の興味本位とは別の何か得体のしれない感情だった。
「俺はね、ああいう被害者面するやつ嫌いなんだ」
「被害者?」
「知ってるか?あいつってさ、誰とも話していないとき、気が緩んだ瞬間、すぐに絶望な顔に変化するんだ。自分は、悪くない、とか自分は何もしてないとか、まあ、ある意味自分を守ろうとするその言い訳が顔に出てるんだよな」
「絶望的、か」
「わかるか?」
確かにわかる。
隣の席だから、時たまにそういう表情を見せることがある。
でも、だからってそう思ったことはなかった。
「深山をつぶすには、早川を離す。そしたら、どこに根源があるか分かるだろ?そこを一気につぶしたいんだ」
「彼を殺すのか?」
「違うね。あいつの被害者面を消したいんだ。殺すんじゃない。友達になるんだ。誰だって嫌なことくらいあるだろう?けどね、みんなそれを隠して生きてる。俺もそう、お前もそう。みんなそう。だけど、あいつだけあんな風にかまってほしそうな顔するのは違うよね」
「じゃあ、もし、それがなくなったら?」
「そのために、あいつがゲイなんじゃないかって説は流したよ。リアルにゲイがいたら嫌な奴っているだろ?あんなものは、BLで十分。腐っていて気持ち悪いものが好きなのは、二次元だけでいい。リアルにはいらないことくらい、もうクラスメイトは言っている」
彼は、スマホの画面を見せた。
新しく作ったという通称裏グル。
藤川の独断と偏見で作られた仲のいい人たちのグループ。
俺も太田もそれに入ってる。
早川と深山は入ってない。
「これが、証拠。みんな気持ち悪いって言ってる」
グループには、その情報が拡散されていた。
それを見たクラスメイトが次々に気持ち悪いとか吐き気がするとか言っている。
だけど、太田の情報はない。
「太田は、まだこっちにいてもらう。彼には悪いけど」
「――そう言ってないで、深山が嫌いだとハッキリ言えばいい」
「……あ。なんだ、それでいいか。お前には理屈立てていった方が良いと思ったけど。いらないならいいね。俺、嫌いなんだ。あの顔で、ぼさぼさな感じ?髪の毛とかセットしてほしくないね。あれで彼女出来たらモテちまうだろ?いや、まあ、あの顔で絶望感を出してるから、まあ好みは別れるだろうけど。でも、大半の女子は面食いだ。結局、欠点のある奴を好む。でも、考えてみろ。いじめられているイケメンを好きになる女っているか?いないんだよな!分かるだろ!ああ、気分がいい!最高に良い!な、そういうことだから、明日からは深山とのかかわり方を考えろよー」
と、肩をポンポンと叩いて帰って行った。
取り出したペットボトルに冷たさを感じなかった。
+++
その日以降、彼は見えないところでうわさを立てられ、俺は話すことできなくなった。
だけど、そんな中関係ないと言わんばかりに早川はデートに誘っていた。
そして、花火祭りにも誘ったみたいだ。
早川が、藤川止めた一件があってから深山は学校に来なくなった。
けど、それは保健室登校だったみたいで、昼休みに早川は会いに言っていたみたいだ。
花火祭りのあの日、彼は自殺を図った。
あの日から土日を挟んだ二日後、二学期が始まる。
それを知って、行きたくなくて逃げるように死を選んだのか。
死に希望はあったのか。
俺のように中学の部活での贔屓が嫌で逃げたしたのは、希望があったから。
早川が教えてくれたから。
そして、そこは以前も通っていた場所だった。
早川は、そんな場所ではないけど、希望があった。
そして、俺と仲良くなった。
感謝までされた。
今思えば、好きという言葉を友達として感謝として伝えられたくはなかった。
できれば、告白と恋心的な意味合いで使ってほしかったと、勝手ながら思っている。
考えてしまう。
もし、あの時、藤川のつぶすという発言を必死に止めていたら。
陰湿ないじめを止めることができていたのなら、俺はここまで後悔はしなかった。
今日という日に、担任からの言葉で吐き気を覚えることもなかった。
俺が止めていれば……。
自責の念に押しつぶされそうだ。
「藤川君は、そんな話していなかった」
「しないでしょうね。そんな話」
「じゃあ、君は、いじめの存在を知っていたんだね」
「ええ。だから、早川に言われましたよ。こんなことになっていると知っていて、どうして教えてくれなかったんだって」
そりゃ、深山が男と付き合っていただけの噂なのだから気にしない選択肢もある。
だけど、クラスを見てみれば、すぐにわかる。
深山は、つぶすべき悪であるとクラスが決めたのだから。
「藤川君のことは調べないといけなさそうだね」
「その方が良いっすよ。俺はもう、何もできないんで」
「早川さんは、彼の病室に行ったけど、君も行くかい?」
「え?」
「ちょうど、車が一台余ってる。どうする?」
「……」
行っていいのだろうか。
「まあ、まだ、事情聴取は終わってないから、寄った後も我々は仕事があるけど」
「終わってない?」
担任は、クラスの事情聴取をするとだけ言ってた。
俺でラストだし、ほかに誰が……。
「家族にも聞くんだよ。彼の周りは大抵聞かないといけない。だから、二人にさせてしまうけどいいかな」
「……」
もし、今の俺に早川があったらなんていうだろう。
怒るだろうか。
泣くだろうか。
悲しむだろうか。
でも、行くしかなかった。
止められたはずの俺がとめなかった。
深山にも早川にも謝罪すべきことがある。
「……行きます」
そう、静かに俺は言った。
もう明るい口調は意識してできることではなかった。
病室に着くと、彼は寝ていた。
椅子に座って、深山を見つめる早川を見ていると、いたたまれなかった。
だけど、早川は俺たちにすぐ気づいて椅子から立ち上がった。
彼女は、今にも泣きそうな顔だった。
「大丈夫か?」
そんなわけないのに、俺はそんな言葉しか出てこなかった。
「どうして、こうなっちゃったんだろ」
「さぁ……」
心当たりしかない。
俺が、藤川に抵抗しなかったから。
いじめを受けたことはないし、どんなものかわからないけど、早川みたいにいじめから逃げるということを高校生になってできる気がしない。
俺は俺を守るために逃げたんだ。
「それを知っても、いまさらだ」
「何それ。中野ってそういうこと言うんだね。中学の頃とは全く違う」
「そうだな」
「は?開き直るの?」
「別に、そうじゃない。変えられないだろ、過去のことなんて」
「いじめは過去にできない」
「だとしても、過去にするしかない」
「そんなことできるわけがない」
「できなくてもそうする他ないだろ」
「できないから、やれないんじゃない。思い出して苦しくなるからできないの!そんなの、できるんだったらやってる。でも、被害者になってしまえば、逃げ場がないことがほとんど……」
「でも――」
……俺は、被害者ではない。
「そうか。俺にはわからないことだ」
「わからないよ。だって、いじめられたことなんてないもん。中野くらいの人がいじめられるわけないよ。でもね、私みたいな存在するだけでうざい人っているの。自分が、悪人になるの。そんなつもりなくても、そうなって、いつかはそれが理由になっていじめられる」
「じゃあ、逃げ場がないってなんだよ」
俺は、俺自身にイラついてた。
そのくせに、そんな風に自分を卑下にする彼女にさえその怒りをぶつけた。
「お前に逃げ場がないのか?だったら、なんで俺のいた中学に転校した?転校してどうなった?いじめは?あったか?ないよな?お前自身、逃げ場はあった。それとこれとは別だろう」
「……中野には言いたくない」
「は?言えよ。お前に、逃げ場がなかったら今こうして、寝ている深山みたいになってたかもしれない。早川は、転校していじめられたことはないだろ」
そうだ、そのはずだ。
だから、今を生きてる。
「…………陰で色々言われた。あなたのいないところで」
「……」
「そりゃ、転校したってなったら、わかるでしょ?中野もそう思ったんじゃない?いじめか、親の都合か。でも、私は、親の都合で何て言えなかった。だって、市内だもん。市内だったら、別に引っ越す必要もないからさ。女子に陰から言われてた」
「……」
なんで、それを、言ってくれなかった。
「なんで?って顔してるね。本当優しいよね。たまにムカつくようなこと言ってくるくせに。でも、これだけは言えない。言いたくない」
「……」
「いじめってさ、逃げたところでまた違う場所で始まる。だから、逃げ場がない。私の場合は、中野がいたからまだ生きていられたのかもね」
返す言葉が見当たらない。
「深山くんは、どうだったんだろう。私や中野がいても、ダメだったのかな」
俺は、言葉を返さなかった。
何も言えないから、言う言葉がないから。
言葉なんていつも稚拙だ。
どう伝えたって、相手の受け取り方で全部変わる。
そのくせ、伝えないことには始まらないし、始まったところでまた衝突する。
厄介で、面倒。
使いこなすにはどうしたらいいのかわからない。
好きな人が目の前にいて、俺は何も言えない。
彼女が、転校してもいじめを受けていたことさえ知らなかった。
もしも、今、ここで彼女を抱きしめたらどうだろう。
それをするべきではないことくらいわかってる。
彼女は俺を見てない。
恋心もそうだ。
俺は、小学生にも似たやり方しかしてない。
いじることで、好意を見せた。
だけど、彼女は高校生らしく真っ当な気持ちをぶつける。
俺じゃなくて、深山だ。
あいつが見ているのは、深山で、俺じゃない……。
事情聴取は、おれで終わり。
ならば、話すことはある程度省略していいのでは?
しかし、目の前にいる警察はそれを許してくれなかった。
「なんで?」
試しに聞いてみる。
「省いていいことなんてない。君も苦しいとは思うけど、全てを教えてほしい」
「嫌だね」
「悪態をつくなよ。あの問題児だって君の担任から教えてもらった藤川くんも全て教えてくれた。君の方が問題児なのかな?」
「……」
「どうかした?」
「いえ。じゃあ、話しますよ。例えば、おれが早川七海を好きだと言ってもそれらは全部口外されないですよね」
「……え、ああ、もちろん」
「動揺しないでくださいよ。もちろん、嘘じゃありません」
「そこは嘘だというべきじゃないのかい?」
「いや、本当だし。嘘つく理由なくない?誰にも言わないんでしょ?」
「そうだね」
「じゃ、そろそろ話すよ。そうだな。早川は自分のことどれくらい話した?」
「深山くんとの出会いからかな」
「ならば、俺は早川との出会いからでいいか?」
「もちろんだけど……、それは深山くんのことと関係があるのかい?」
「なかったら言わないさ。まあ、あってもなくても関係なく話させてもらうけどね。だって、あんなことがあったんだ。俺は、今どうしても話さないと気が済まないんだよね」
お茶を用意してくれた警官から、ありがたく貰うと俺はそれを一気飲みした。
気持ちが狂う前に、全てを伝えておこう。
それが、いい。
それでいいんだ。
+++
早川七海は、デブだった。
だったという過去形なのは、高校に入る前からとても痩せたからである。
だが、そんな痩せた早川も出会った当初はデブで運動もできない、それでいて人と関わる事を拒むようなつまんない女子だった。
中学2年生の頃、俺のクラスに転校してきた。
理由はわからないけど、予想するならいじめだろうと思った。
その体型で挙動のおかしさではそれはそれは虐められていただろうなと思うほど。
本人に確認してやろうと思ったことは何度もあった。
だからこそ、そのデブに話しかけた。
同じクラスの仲のいい女子からはなんであんなデブに話しかけるの?と聞かれたが、それはまあ、確信を得るためでそんなことを言って嫌われたくない俺は、なんとなくと濁すように答えた。
もちろん、最初は可愛くなかった。
俺はデブが好きなのかって?そんな訳ない。
できれば、可愛くてお転婆なやつがいい。
それか、ぶりっ子。
だって、可愛いし。
当然だろう。
しかし、話してみれば、彼女に対し不快に思うことは一つもなかった。
話し方はなんとなく癖もなく普通。
優しい人なのかもしれないと思った。
それから、部活に入らないのかと聞いた。
だけど、そいつは入らないと言った。
俺はよく部活をサボって怒られていたから、だったら、こいつとサボりついでに遊びにでも行こうと考えた。
そして、実行して、怒られた。
先生にも、早川にも。
「それだったら、一人で帰るよ。気にしないで。別に、一人が嫌とかじゃない」
「先生に怒られてる所を目撃するなんてストーカーかよ」
「クラス内で怒られてれば当然聞こえるし、見えるよ」
「……」
「部活、何でサボるの?」
「なんとなく。めんどくさいじゃん?やるだけ、無駄っていうか」
そのころの俺は怠惰だった。
何においてもめんどくさがって興味がなくて、虚無だった。
「無駄なことなんてないっていうじゃん?そんなことある?帰りの会の前に掃除するけどさ、あれなんで時間制限なん?効率良く済ませればいいことをなんで、時間が来るまでやらなきゃいけない?だったら、やる必要ないじゃん」
「もっと真面目な人だと思ってたけど、案外そうじゃないんだね」
「失礼なデブだな。モテないぞ?」
「うるさいな。デブで何が悪いんだ。とっくにモテない女なので問題ありませんー」
「デブってだけで、不衛生とか不潔とかそんな理由でいじめられたりするじゃん」
「いじめ……」
初めて、暗い顔をした。
それよりも先に、つい言ってしまったと後悔した。
明るく振る舞い、優しいやつだと思っていた人でもそんなふうに、変わってしまう。
いい言葉でもないし、やりすぎた気持ちはある。
「ごめん。そんなつもりじゃない」
「いや、いいよ。気にしないで」
その顔は、もう二度と言わないでほしいなんて気持ちが見えて話題を変えた。
「よし、じゃあ、せっかくだ。どっか遊びに行こう」
「行かない」
「え?」
「部活でしょ?そっち優先しなよ」
「興味ないんでね。顧問は贔屓で選んだ人をレギュラーにしてる。そんなもんだよ。だから、いい」
「それだったら、行かないって?」
「そりゃな」
早川は、何かを考えている様子だった。
その何かに閃いたのか彼女は嬉々とした表情で言った。
「私が、ダイエットするから、あなたは部活に行くってどう?毎朝、グラウンドで走る。それを見たあなたは部活に行く。そしたら、あなたはサボらない」
「お前にメリットないし、俺にもメリットない」
「あるよ。私は、痩せる。あなたは、先生からの評価が良くなる」
「そんなものいらないって」
結局、贔屓しているだけなのだから。贔屓は評価じゃない。好意だ。
ちょっと部活に顔出したって変化はない。
「だったら、他の先生に言いつけるための行動ってことにしたら?顧問が贔屓するんですー、僕は頑張って部活の練習について行ってるのになんの評価もしてくれませんー、部活のある日は毎日行ってるのに評価されないのはおかしいーって」
「……なかなか考えつかないことやるよな」
「そうかな。でも、あれだけ反抗的になれるならできるよ」
「あっそ、考えとく」
それから、早川は本当に朝早くから学校に行ってグラウンドで走っていた。
着替えも持ってきているので、朝から臭いとかはないけど。
「お前マジなの?」
「マジだよ。今日、走ったし部活、行ってね」
「ふざけんなよ」
内心、笑っていた。
こんな馬鹿なことをするやつがいるのかと。
だったら、何でデブになったのかと。
痩せれば、モテるだろうに、何もせず怠慢に太っていく理由はなんなのかと。怠慢じゃないかと。
だけど、俺はその日部活にいかなかった。
それを早川は咎めなかった。
なぜなら、彼女は俺が部活に行ったところで彼女が俺の部活の場所を知らないのだから。
テニスコートは校舎から少し離れている。
そして、その方向に彼女が下校時に行くことはない。
そりゃ、バレないよな。
そのくせに、早川は丸一ヶ月、朝グラウンドで走っていた。
たまに暑い日も出てきて、そろそろやめるだろうと思っていたけど、それでもなおやめることはなかった。
まだ教室にクラスメイトが少ない時間帯。
俺と早川が話すのはその時が多くなっていた。
そして、今、彼女は自分の席で汗を拭っている。
着替えただろうに、汗はひかないのかと思った。
だから、首元に冷たいペットボトルをあてた。
「きゃっ⁉︎」
「ほい、お疲れ様」
「……中野」
「嫌そうな顔するなよ」
「だって、部活行ってないじゃん」
「……ま、まさか。行ってないわけないじゃん」
「嘘だよ。聞いた。部活、行ってないって」
「誰かが嘘でもついたか」
「確実に行ってないでしょ。昨日、見に行ったけどいなかった」
「……」
「約束、守ってくれないんだね」
「そもそも約束してない。勝手に始めたんだろ」
「でも」
「うるさいな。わかった。今日は行く。だから、黙ってろ」
「本当に?」
「ああ、本当だよ。黙れ、デブ」
「はあ⁉︎残念ながら、私はもう五キロ痩せたんですー。ばーか」
「でも、デブはデブ」
「……うるさいなぁ」
「しょうがないな。じゃあ、あと五キロ落としたらもうこの賭けはなしな」
「え?」
「ちゃんと行くよ。約束してないにしても、黙って一ヶ月いかなかったから」
「……へー、優しいね。てか待って。一か月?」
「うるせえ、デブ」
「ぶっ叩いていい?」
と、立ち上がる早川。
けど、すぐ触れられるところに腹があって、俺はその腹をつまんだ。
「ひゃっ⁉」
「デブはまだ健在だし、事実だな」
ツンツンと触れると盛大に教科書でぶっ叩かれた。
机、椅子をずらし、倒し倒れた俺。
「バカ‼何してんの⁉いきなりそんなことする大バカ者がいるか‼」
フラフラする頭で考え、言葉を口にしようとしてもダメだった。
椅子や机をもとの位置に戻し、知らない人の席に座り、考える。
「……」
「あ、ごめん。やりすぎた。大丈夫?」
「いや、いいよ」
「人のお腹触るからだよ。ばーか」
「本気で痩せたい?」
「……うん」
「あっそ。まあいいや。今日は部活に行くから勘弁」
人も増え始めた教室で俺は自分の席に着いた。
その日、一か月ぶりに部活へ参加した。
それからも、彼女は毎朝学校に来て、グラウンドを走っていた。
俺も部活に行った。
昨日、部活に行ったか確認するために外から見ていたので、もう部活の場所もバレているんだなと理解せざるを得なかった。
ショッキングなニュースである。
それからも二週間、彼女は走っていた。
ある日の朝。
「ペースいつもより遅くない?」
俺は、彼女と走ることにした。
「え⁉なんで、中野が?」
「いや、なんていうか体力が落ちていて体力づくりをしろと顧問に言われたから」
本当は言われてないけどね。
「顧問、中野のこと見てるじゃん」
「見てねえよ。言えることは言っただけじゃない?どうせ、興味ないよ」
「中野はさ、レギュラーになりたいの?」
「……なりたい」
初めてそんな話をした。
今までくだらない話を淡々としてきただけだったから、軽く踏み込んできたことに驚いた。
「なりたいから、テニス部に入った。だけど、顧問は終わってる」
「なんで、なりたいの?」
「……なんで?それは」
モテたいから。ちやほやされたいから。
否、そんな理由だけじゃない。
「親に見てほしいんだ。俺の親は、スポーツができる俺を好んでる。小学生の頃は外部でやってたんだけど、今は部活で結果を出したい。だから、部活をやってた」
「だけど、中野は選ばれなかった……?」
「そうだ。小学生のころから県大会は余裕だったし、俺よりも弱いのがレギュラーとして大会に出ている現状が気持ち悪かった」
「……」
「だから、諦めた。何度も顧問に結果を見せても、女の先生だからか過程を見たがる。別にふざけてるわけじゃないし、真剣にやってるからこそ楽しいこともあって笑えることもあるけど、それを顧問は許さなかった」
初めて打ち明けることだった。
「笑ってることをふざけていることだと評価した。それから、俺に対しての当たりは強いし、それどころか評価もしない。いてもいなくても何も変化はない。積極的に励んだ結果これだ。ゴミみたいな、部活だから友達に今日は来いよって誘われても行かないんだよ。どうせ、評価しないから」
「……顧問に、評価されたいの?」
「そうだな。そうすれば、親も評価するようになると思う。大会に出るってことが一番の評価につながるから」
「……水を差すようで自分から言っておいて悪いけど。私は……、辞めちゃえばいいと思う」
「え?……な、なんで……俺が?」
なんで?ありえないだろ。
一年のころから必死にやって来た俺が、部活をやめんの?
評価しない顧問のために?
俺が、逃げるの?
「だってさ、辛くない?私は……。私はその……」
彼女は、走るのをやめた。
気づいた俺が立ち止まり振り返ると彼女はうつむいていた。
「私は、いじめられてこの学校に来た」
「……」
それは、いつだか聞きたいと興味本位で抱いたこと。
彼女は自分からその話題に触れた。
「それは。、すごくひどくてさ。なんでだろうね、物は隠されるし、教科書に落書きされるし……。それ以上に、LINEとかインスタにひどいこと書かれて。毎日、暴言浴びて、だけど部活に行かない選択肢が許されなくて。みんなして、私を無理やり部活の活動場所に連れてきて、かと思えば、物を投げてきて、それが当たったらそれを見て楽しんで……っ」
「……」
「限界になって、親に引っ越したいって言葉ですらない声で伝えたの」
「……」
「そのおかげで今がある」
「……今」
「そう。今があるの。あなたに出会えた」
「俺は、別に……」
ただ、なんでここに来たのか興味があったとは言えなかった。
「ううん。あなたがいたからだよ。だから、……痩せようとか、思うわけだし。それに……、今は可愛くなりたい。ストレスで暴飲暴食になった時はあるけど、……今は、可愛いって思われたい」
「……」
かわいい、か……。
痩せようって思う理由がなんとなくわかった気がした。
もしかしたら、環境が変わって考え方とか一般的な普遍的なものになったのかもしれない。
ただ、純粋に好きな人を想う気持ちとか……。
「環境、か……。その考え方はなかったかもなぁ」
「知らない人ばかりの場所は最初怖いけど、慣れるものだよ。ほら、さっき外部でやってたって言ったでしょ?部活だけに縛られて結果が出せないならもったいないよ。外部で結果出せるほどの力があるならさ、そっちでやろうよ。そしたら、顧問も嫉妬するかもよ?」
「……確かに。そうだよな……。お前がいてよかったかも」
「……え?」
最後の言葉は聞き取れなかったのかもしれない。
だけど、それでいい。そんな言葉、聞かれたくない。俺の好意の表れとか勘ぐられたくない。
いつの間にか、こいつのこと好きになってる。
「そうするよ、俺、部活退部して外部でやるよ。もし、県大会とか出れたら、その時は応援しに来てよ。頑張れる気がする」
「わかった。応援するね。その時までには痩せようかな?」
「なんでだよ。別に、そんな制限つけなくていいんだぞ?」
俺は、お前が好きだ。別に、痩せろと言ったのが俺だったわけでもない。
「いいじゃん。私がしたくてするんだから」
だから、彼女はそう言って笑った。
俺はこの時、その意味すら理解してなかった。
その日のうちに親に相談した。
すると、両親はすぐに外部のテニスを調べ始めた。
小学生のころにやっていた場所が、中学生でも参加できるようにしたということを知って、すぐに電話してもらった。
前までは小学生までという規約があったからやめたけど、その規約が破棄された今、入らないわけはなかった。
だって、ここの教師、女性がとてもきれいな方で教え上手なのだから。
下心満載の気持ちで俺はそこの説明を受けに行った。
なのに、説明してくれた人はただのおじさんでとてもショックを受けてしまった。
しかし、それが理由で辞めるなんてことは最初からなかったので入ることにした。
教えてくれる先生は、前と変わらなかったため安心してできそうだ。
それから、早川と一緒に帰り、別れてから外部まで向かった。
「中野くん、フォームが最初しっかりしてないこと多いから、意識して?そこでセットを取られたらメンタル面をやられるわよ」
「これ、俺のフォームです」
「……ふざけてる?」
「いいえ」
「右利きなのに左で打とうしたりやりたい放題してると、取れるところとかいざってところで点数とれないよ」
俺の初恋相手である女性の教師はとても困ったように言った。
その顔、好きです。
ぜひ、付き合いましょう。
浮気してます今、確実に。
「わかりました。直します」
「よろしい」
それから、外部の県大会に選ばれた。
これで、早川を呼ぶことができる。
県大会のレギュラーに選ばれたことだし、部活もやめることにした。
結果が出せるのは、外部だ。
贔屓してくるモテない女性顧問の相手なんてしていられない。
顧問は、特に何か言うでもなく退部届を受け取った。
そして、県大会当日。
早川は、本当に来た。
初恋相手の女性教師もいるわけだし、本気出しちゃおうか。
と、意気揚々と準備をする。
客席には早川もいた。彼女は、小さく手を振った。
本当に前より痩せている。
凄いな。俺はあれだけ太っていたらあのスタイルまで痩せるのは無理だぞ。
わりと、ぽっちゃり系というか……。
スレンダー系が好きな俺からしたらもう少しシュッとしてほしいなぁ、とか思ったりもした。
まあ、好きな人いるっぽいことは言ってたし、そいつの好みに合わせるだろうけどさ。
……誰が好きなんだろうな。
あんま男子と話している様子はないけど。
「よし、一セット先取!」
「まだ、始まってないけど」
初恋女性教師にツッコミを入れられて気分は好調。
これはいける。
そして、試合が始まると一セットをリターンエースですべて取った。
サンセット取れば勝ちである硬式シングル。ファイブゲームで相手にセットなんか取らせない。
だって、後ろには初恋女性教師がいるのだから!
二セット目もサービスエースで決める。
三セット目はわりと小癪な真似をしてきてイラっとしたけど、逆にそれを利用してポイントを取得した。
順調に決勝に進んだ俺は、ふざけることなく二セットを取得。
しかし、相手も強いのでスタミナはある。
相手が取れないだろうと思える場所を狙っているというのに、それすらも取りに行くメンタリティには驚きを隠せない。
しかし、それだけ相手のスタミナは削った。
本来、削られていておかしくないというのに、相手選手は何一つ表情を変えなかった。
体力の消耗はないのか?
どうして、おかしい、ありえない……。そんな感情が渦巻き始めた。
やばい、このままじゃ相手の意のままではないか?
だったらなんで、相手は顔色一つ変えない?
どこを狙おうとしているのか全く分からない。
どうして、変わらないまま普通に取りに行くのだろう。
呆気なく一セットを取られた。
……やばい、これじゃ負ける。
県大会くらい余裕で行けるなんて早川に言ってしまった。
このままでは負ける。
どこか弱点を……。でもどこに?表情一つ変えないこの男を相手にどう戦えばいい?
焦りが、メンタルを削りに来ていた。
セットを取られ、コーチングに入る。
水分を補給しても焦りはあって汗も止まらない。
「調子が良くないみたいだけど?」
「……」
「今、中野くんはどこを見てる?」
「……どこ?」
「相手の表情が変わらないのは、悟られたら負けるからっていう逆転の発想はない?」
「逆転……」
例えば、親にスポーツで結果を見せたいからと部活だけで考えていた俺。その結果、怠惰になった。結果を見ないからと顧問を責めた。
だけど、早川は言った。だったら、外部でやれば?と。
彼女がそう行動をとったように。答えなんて意外と、しないだけで呆気ないところにあったりする。
「あえて、相手の打ちやすいところに打ち返す……」
「焦らす?」
「攻め時が来たら表情でわからせる。もしかしたら、俺の表情を見てわかったのかもしれない」
どこを狙おうとしているのか、どうして追いつけるのか。
表情を読まれていたなら、納得がいく答えだ。
「いけるか?」
「むしろ、いけないわけがない」
「ラスト一セットだよ」
「もちろん」
気になって、客席を見てみると早川はグッとサインを作った。
ああ、なんか、気が楽になったように思う。
あんまりこんなことしたくはないけど、と思いながらグッとサインを作った。
彼女は、嬉しそうにクシャッと笑みを見せた。
そうだ。こいつに言ったこと有言実行しないとな。
そうでないと、男じゃねえ。
それでも、ゲームが始まると彼は彼らしく粘って来た。
ロブの展開を見せ始めた俺に相手は素早い球で返してくる。
だけど、それでも何度もその球が来てもロブで返した。
相手がそのフォームを崩さないであろうことはわかった。
結構、うざい相手だってことも分かった。
ボコボコにしてやる。
軽く、浅く球を打ち返した。
彼はそれでも表情を崩すことなく返してきた。
ネットギリギリの球に反応しておきながら返って来た球は、ネットに近いところではなかった。
それではっきりとした。
もしも、表情が動かず至って冷静なのであれば、ネットに近いところに落とすこともできる。
だけど、そうしなかった。わざわざ遠くにしたのはそこに至るまでの思考がなかったのだ。コントロールや、ポジションまで視野に入ってない。
考えていなかった。このロブしか打たなくなった相手に対し思考が鈍った。
ここまで考えていなかったけど、こうなるなら運がいい。好都合。
それだけじゃない。彼は球を打ち返してすぐネットから離れ、後衛サイドへとポジションについた。軟式じゃあるまいし、ネットとベースラインの間であるサービスラインに居ればいいものを、そうはしなかった。
彼は、軟式も同時にやっている選手かもしれない。
それなら、こっちのものだ。
なんだって、俺は軟式テニス部をサボりにサボりまくっていたのだからポジショニングもほぼ忘れちまってんだよな!
速いショットを打ち込み、サービスラインにまでつっこみ、相手のテンポを崩す。
テニスはある意味リズムゲーだ。
相手のリズムさえ乱せば、勝ち。
勝機は俺にある。
サーブである俺は、その勢いのまま打ち込む。
彼は、もう思考が回らないのかウザい球も何も打てなくなっていた。
ただ、打ち返して相手のミスを狙うことに集中してる。
だが、残念だな。早川が痩せてきている現在も変わらずランニングしているその姿を見て俺も付き添ってんだ。
体力ならまだあり余ってんだよ!バカ野郎!
そして、彼は賭けに出たのかスマッシュの打ちやすい球を出した。
大馬鹿者すぎて笑えて来たぜ!
お前、俺の得意技がスマッシュじゃないといつから錯覚していた?
俺は、スマッシュが好きなんだぜ!
勝負は勝った。
「おめでとう」
「ありがと。お前、滅茶苦茶動きが読みずらかった」
「そうかな。結構、うざいことしてくるなぁってイラついてたけど」
「え?表情は一切変えないスタイルとかじゃないの?」
「いや、別に」
「え?」
「え?もしかして、そういう相手に当たってたからイラついてたの?」
「そうだけど」
てか、イラついてんのバレてたのかよ。
「違うよ。ていうか、面白い奴だな、お前」
「そっちこそ。楽しかった。名前は?」
「太田」
「そっか。中野だ。よろしく」
県大会出場をかけた地域の大会の優勝者になった。
県大会出場は有言実行した。
お前のおかげだ、早川。
お前のおかげで初恋女性教師にも会えた。県大会にも出場できる。
あの悪意ある環境から逃げることができて本当によかった。
授賞式も終わり俺は、早川のもとに行った。
「おめでとう!」
「ありがとな。早川が居なかったら、ここまでできなかった」
「そうかな。褒められるのは気分がいいね」
なんだこのやろう。
俺は、少しいじってやろうと頬をつまんだ。
「いっ!お腹の次はほっぺか!この!」
「ちょっとムカついたから。良い顔してるぞー」
「うるさい!離せ!人前でやるな、バカッ!」
「いいぞ、いいぞ。周囲にさらしてやる」
「……痩せたのに、まだつまめるような箇所があるなんて」
「まだまだだなぁ。つまもうと思えば、いくらでもつまめるのさ」
「変態!」
「変態につままれないようにしてみると良いさ」
「……嫌なわけじゃないけど」
「は?」
嫌がれ。それを見たい。あー、でも好きな人いるんだし無理かぁ。
だから、なんだか申し訳なくなって彼女の頬から手を離した。
「……好きならもっとやるのもいいんだよ?」
「バカ言うなよ」
やめてほしそうなセリフじゃないか。
「私さ、あなたがいてくれてよかったよ」
「……ん?どうした」
「だからその……、嬉しくて。転校してからずっと気にかけてくれてたじゃない?それがすごくうれしくてさ……。気が付けば、すごく好きになってた」
「……」
なんか、感謝されているんだけど……。
「私、あなたのことすごく好きになってた」
「……そう?そりゃ、転校生がいたら気に掛けるよ。まさか、こんな風に環境を変える良さに気づかされるとは思わなかったけどさ」
「……」
「俺も、お前がいてくれてよかった」
感謝されたのだから、感謝を伝えるつもりでそういった。
「……っ。ほ、ほら、私さ、いじめとか誰にも言えなくて、あなたにはそれが言えた。あなたと話すの、とても好きなの。優しくて、楽しくて、嬉しくて……」
また、感謝の言葉を……。
「だから、部活とかできたら行ってほしいっていうか、不良的な態度取らないでほしいとか勝手にそんなこと思って……。でも、それが顧問の贔屓だったって知ったから、勝手ながら提案させてもらったっていうか……。好きな人の役に立ちたいって……」
「うん、ありがと」
「……っ、だから、その、えっと、痩せてる人の方が好きでしょ?ほら、痩せてれば不衛生とか不潔だとか思われないし」
「頑張ってるなって思うよ。実際、テニスやってるときも早川が頑張ってるんだからって励みになった」
「私は、だから……」
「ありがとね。今まで、そんな風に言われるようなことしてきたつもりなかったからさ……。そう思ってくれてるだけでもすごくうれしいんだ」
それにと続けた。
「こんなにも友達想いな人だったって気づけたし」
「…………っ‼」
彼女は、そんな言葉に嬉しかったのか、唇を噛んだ。
目を潤わせていたので、きっと今同じ気持ちなんだろうなって思った。
だけど、彼女は違った。
「そっか。友達、か……。中野って思ってたより鈍感なのかな。それはそれは鈍感すぎるというか……」
「え?」
彼女は首を横に振った。
何度も首を横に振って、時に頷くように縦に振った。
まるで自分に言い聞かせるようなそんな仕草。
「……………………友達、だから……、当然だよ……っ」
「うん」
「……当然だから……っ。これくらい、言わせてよ……」
彼女は、時間も時間だから帰らないとと言って走って行ってしまった。
毎朝走っているせいかとても速い。
最初のころに比べれば違いすぎる。
「あの子、同じ学校の子?」
「……はい。なんか、すごく感謝されちゃいましたね」
「違うでしょ」
「え?」
「え?まあ、そのうち気づくんじゃない?」
と、初恋女性教師は言った。
好きな人がいる彼女に対して、勘違いさせるような発言だなと思っただけ。
県大会出場が決まったことで、それを知ったクラスメイトがそれを祝ってくれた。
「サンキュー」
「お前、部活辞めたと思ったら外部で早速活躍かよ。お前いないと部活の士気下がるのに」
「それは仕方ないよ」
ほかの人も入って来て、おめでとうと次々に言っていく。
早川もクラスで改めて祝ってくれた。
何かつきものが取れたように、吹っ切れたように「おめでとう」と言った。
それから、変わらず友達でいた。
だけど、そんな中、モヤモヤした気持ちが心の中にあった。
友達のままの関係の俺たちは、いつ俺から伝えられるんだろうか、と。
しかし、彼女はいつまでもその好きな男子に好意を伝えることはしなかった。
+++
「それが、早川との思い出だ」
「……」
「勘違いしていれば良かった。。あの時、感謝の言葉を言っていると思ってたけど、そうじゃなかった。俺はバカなことをした。あの時、もし勘違いしたまま、付き合おうとか言ってたら今も続いていたんじゃないかって、付き合っていたんじゃないかって」
「……」
「……どうかしました?」
「いや、なんていうか……。深山くんの話をするかと思っていたから」
「あとで、しますよ。そりゃあ、もちろん。ほんと、あの気持ちを勘違いしていればよかった。うまく付き合えたと思うんですよね」
「えぇ、いや、うん……。そっか、気づいていれば付き合っていたのにね」
「なんか適当すぎません?」
「ううん。そんなことない。……その、気になったことだけど太田って出てきたけど……」
「それが、同じ高校にいたんです。一度対戦した彼が同じ学校、クラスメイトで同じ部活だった」
「確か彼は……」
「ゲイです」
「彼はそれについて深く言おうとはしなかったけど」
「じゃあ、それも含めて言いますよ。俺の後悔の話を聞いてくれたんでね」
もう一本お茶をもらい、少し飲むと俺は呼吸を整え、高校入学時から話すことにした。
+++
高校入学して、ある男子を見つけた。
いつか対戦した相手である太田だ。
「久しぶり。覚えてる?」
「え?……あ!もしかして、中野?」
「そうそう。覚えてるか!」
「覚えてる、覚えてる!あれは僕としてはとてもいい試合だったから」
「あの接戦ぶりは楽しかったな」
「部活は、テニス?俺はそうするつもりなんだけど。もし、一緒なら、結構楽しそうじゃね?」
部活。中学の頃は、結局やめた。
県大会に出場していたことを知った顧問がもう一度入らないかと聞いてきたこともあったけど、断った。
そんなの興味ない。
もし、今回部活に入部したとして顧問になる先生は贔屓などしないだろうか。
それ以上に、こいつと部活内で試合ができるなら強くなれるかもしれない。
また贔屓とかしてレギュラーから外されたのなら、今も続けている外部での活動に移行すればいい。
「そうだね。よろしくな、太田」
俺は、部活に入部することにした。
男の先生でやたら怖い雰囲気を持つくせに職員室の机には家族写真が置かれていて楽しそうな家庭を築いているんだろうな、なんて思ったりもした。
「君ら二人って、東海大会出場してるんだって?」
「え?」
「なんで、知ってるんですか?」
俺が抱いた疑問を太田は聞いた。
「いや、中学の成績は高校に行くからね。それで知ってるよ。もし、来ないのなら誘ってたんだけど」
「へー」
「仮入部もしてくれてたし、あとで聞こうと思ってたけど、これはこれで顧問としては願ったり叶ったりだ」
入部届を出し終えた俺ら二人は早速、部活に参加した。
……だけど、まさか筋トレからとは聞いていない。
なんで、あんなに歓迎されたっぽい雰囲気あったのにこれなんだよ。
まあいいや。受験もあって体力落ちてるし、これを機にまた体力作りでもしよう。
クラスでも順調である。
それは、太田がいることもあるけど、隣の席である深山とも仲良くなれたから。
前々から仲良くなりたいなと思っていたし、早川が普通に話しかけているのを見て深山と話しやすいのではないかと思った。
軽く話しかけてみると、彼は普通の対応だった。
別に何がどう違うとかない。
誰かと比べて変だとかそんなこともない。
とにかく普通に見えた。
「部活入らないの?よかったらさ」
「――ごめん。部活は入らない」
「え?でも、部活って強制参加じゃ……」
「先生には言ってあるんだけどさ、僕、バイトするから」
その時、察した。
この学校で部活をしない人は大抵、外部で運動をしているか、それとも家族の金銭的な問題でバイトをするという二択。
つまり彼の家は、金銭的な問題を抱えているということ。
「そっか。バイトね。俺も夏休み入ったらバイトしようかな」
この学校は、長期休暇になればバイトが可能だ。
ある程度、成績が良ければバイトはできる。
ただ、顧問の許可も必要だけど。
「いいね。そうしなよ」
俺は、頷いた。
「そういえば、早川さんと映画行くことになってさ。行くか?」
「え?なにそれ」
「聞いてない?」
「いや、知らんけど」
早川が、深山を誘った。
それだけのことなのに、俺はなぜだかモヤッとした。
「お前、早川と仲良かったっけ?」
「何度か話すようになったけど?ていうか、ほら、早川が中野に怒った時くらいから結構話すようになったかな」
「あー、あれか。映画行くことになったんだ」
「うん。まさかのまさかだよ。来る?」
「いかない」
「そうか。まあ、部活もあるもんな。二人で出かけることになるのかぁ」
深山はそういった。だけど、違う。
早川は、そうじゃない。彼女は確実にデートとして誘ったんだ。
俺にはわかった。
あの早川が怒った日に俺は、デートに誘えば?と、言いたくもないことを言ったのだから。
最近気づいたことがある。
それは、俺が早川のことが気になっているみたいだと言うこと。とうとう、確信になっているのではということ。
気づいてからは、デートとかどこかへ出かけるとかそんな話、聞きたくなくてしょうがない。
「二人ってあんまりよくないよな。早川さんだってその辺は気にするんじゃない?」
「そう思うなら、ほかの人、誘っていいよって言ったら?それか、誘いたいって」
「それ言ったら、滅茶嫌な顔された。不貞腐れたっていうか……」
それはもう、早川にとって本気で気になっている男子にアタックしているということ。
俺のことは見てない。友達だって、あの時言ってしまったから。
「時すでに遅しか?」
「そうだね。寿司でも食べたい」
「真顔でそんなこと言わないでくれるか?」
彼との会話が終わり、俺は太田に呼ばれ部活に行くため廊下を歩く。
早川は、深山のことが好きだということくらい中学の時から一緒に居ればわかる。
何となく予想がつく。
だって、じゃあなんで深山と話そうと入学式が終わった教室で話しかけたのか。
そんな答え、一つくらいしかないのだから。
「俺さ、深山君のことちょっと気になってるんだよね」
お茶を口に含んだ時、太田はそういった。
「っ⁉」
盛大にふいてしまった俺は、空耳かと彼に目を向けたら真剣だった。
「……ぇ、へぇ」
「深山君もゲイだと思うんだ」
いやいや、自分が同性に好意を持つからって人を巻き込んでいいわけじゃないぞ?
「……何言ってんの」
「俺さ、深山君がする笑顔わかるんだ。あれは、男子を好きになっちゃいけないって思ってる顔だよ」
「……は?」
わけわからん。
だいたい、人と話すとき、ましてや深山のあの表情からそんな気持ちは見えなかった。
それに、こんな廊下で誰かに聞かれて噂が流れたらどうするつもりなのか。
「ていうよりは、ただゲイとしての勘なのかな?」
「お前が疑問形使ったらこっちがどう反応したらいいかわからんだろ」
太田はゲイだった。それだけのこと。
「そっか。そうだね」
「深山がそんな男と付き合ってたって話聞かないけどな」
「僕は聞いたよ」
「……お前、バカか?」
「だと思う。だけど、興味っていうか俺と同じ人がいたらいいなって思っただけ。彼は、中学生の時に男子と付き合ってたみたいだよ」
「……」
うわぁ、まじかぁ……。
あんまこいつから聞きたくなかったなぁ……。
「まあ、そう思うならいいよ。それで」
「信じてない?」
「別に。お前が嘘つくとは思えないし、信じるよ。ただ、そういう話はもうするなよ。面倒ごとができるかもしれない」
「……わかった」
俺は、思った。
もし、太田が言う通り本当のことで、深山もゲイならば早川と付き合うことはない。
早川を振り向かせることができるのは、俺なんじゃないか。
それどころか、深山もゲイであってくれと、自分勝手に祈った。
そしてそれは、知られるべきでない相手に知られてしまう。
二日後の放課後、学生ホールと呼ばれる購買も自販機もある場所へと来ていたときの話。
自販機でドリンクを買った俺の前に現れたのは藤川だった。
「よぉ、久しぶり」
「久しぶりって。いつも話してんだろ」
「なんかつれないな。なあ、太田ってゲイなのか?」
「……」
どうやら、彼は知っているみたいだ。
だって、疑問をかけるにしては確信的なニュアンスさえ含まれているのだから。
「ハハッ。だろうなぁ、よくわかる。あいつ見てるとさ、深山のことを恋心的な目で見てんだから。わかる」
「……。それで、太田がゲイだったらなんだよ」
「喧嘩腰か?ま、そんなわけないか。ゲイだったらどうこうって話はない。ただ、気に食わないのは深山だ」
「……え?」
俺はわかっていた。
以前、藤川とその周りにいる人たち、もちろん太田もいたが、その間で話題になったことがある。
「深山ってさ、早川のこと好きなのか?」
「……どうだろうな。それは知らない」
「早川は、逆に深山が好きか?」
「…………。まさか」
そんなわけないと信じたいのは俺の方だった。
「おいおい、バカだなぁ。お前さ、今の間で大体わかっちゃったわ。なるほどねぇ。深山のこと好きな可能性があるのか」
可能性と彼は言った。
確固たる証拠はどこにもないから。
「早川は、良い体してるよなぁ。それに、あいつと付き合いたいっていうやつもいる。ていうか、ヤりたいって人多いぞ。どうだ?ここは、お前の恋心と太田のゲイを隠すことにして、深山と早川を別れさせないか?」
「……は?」
「俺はさ、楽しいことが好きなんだ。それに、お前らにもメリットがある」
太田は、深山にアタックできる。
俺は、早川にアタックできる。
「鈍感なおまえでもよくわかるだろう」
「……だからって」
「バカ言うな。早川はお前にやるよ。あの体、気持ちいいか教えてくれるだろ?中学時代のデブが、痩せるとボンキュッボンになるんだもんなぁ……。お前、そういうの好きそうだし」
「さっきから、何が言いたい」
なんで気づかねえのと言わんばかりのため息を吐いた。
そして、こういった。
「深山をつぶしたいんだよ」
それは、藤川の興味本位とは別の何か得体のしれない感情だった。
「俺はね、ああいう被害者面するやつ嫌いなんだ」
「被害者?」
「知ってるか?あいつってさ、誰とも話していないとき、気が緩んだ瞬間、すぐに絶望な顔に変化するんだ。自分は、悪くない、とか自分は何もしてないとか、まあ、ある意味自分を守ろうとするその言い訳が顔に出てるんだよな」
「絶望的、か」
「わかるか?」
確かにわかる。
隣の席だから、時たまにそういう表情を見せることがある。
でも、だからってそう思ったことはなかった。
「深山をつぶすには、早川を離す。そしたら、どこに根源があるか分かるだろ?そこを一気につぶしたいんだ」
「彼を殺すのか?」
「違うね。あいつの被害者面を消したいんだ。殺すんじゃない。友達になるんだ。誰だって嫌なことくらいあるだろう?けどね、みんなそれを隠して生きてる。俺もそう、お前もそう。みんなそう。だけど、あいつだけあんな風にかまってほしそうな顔するのは違うよね」
「じゃあ、もし、それがなくなったら?」
「そのために、あいつがゲイなんじゃないかって説は流したよ。リアルにゲイがいたら嫌な奴っているだろ?あんなものは、BLで十分。腐っていて気持ち悪いものが好きなのは、二次元だけでいい。リアルにはいらないことくらい、もうクラスメイトは言っている」
彼は、スマホの画面を見せた。
新しく作ったという通称裏グル。
藤川の独断と偏見で作られた仲のいい人たちのグループ。
俺も太田もそれに入ってる。
早川と深山は入ってない。
「これが、証拠。みんな気持ち悪いって言ってる」
グループには、その情報が拡散されていた。
それを見たクラスメイトが次々に気持ち悪いとか吐き気がするとか言っている。
だけど、太田の情報はない。
「太田は、まだこっちにいてもらう。彼には悪いけど」
「――そう言ってないで、深山が嫌いだとハッキリ言えばいい」
「……あ。なんだ、それでいいか。お前には理屈立てていった方が良いと思ったけど。いらないならいいね。俺、嫌いなんだ。あの顔で、ぼさぼさな感じ?髪の毛とかセットしてほしくないね。あれで彼女出来たらモテちまうだろ?いや、まあ、あの顔で絶望感を出してるから、まあ好みは別れるだろうけど。でも、大半の女子は面食いだ。結局、欠点のある奴を好む。でも、考えてみろ。いじめられているイケメンを好きになる女っているか?いないんだよな!分かるだろ!ああ、気分がいい!最高に良い!な、そういうことだから、明日からは深山とのかかわり方を考えろよー」
と、肩をポンポンと叩いて帰って行った。
取り出したペットボトルに冷たさを感じなかった。
+++
その日以降、彼は見えないところでうわさを立てられ、俺は話すことできなくなった。
だけど、そんな中関係ないと言わんばかりに早川はデートに誘っていた。
そして、花火祭りにも誘ったみたいだ。
早川が、藤川止めた一件があってから深山は学校に来なくなった。
けど、それは保健室登校だったみたいで、昼休みに早川は会いに言っていたみたいだ。
花火祭りのあの日、彼は自殺を図った。
あの日から土日を挟んだ二日後、二学期が始まる。
それを知って、行きたくなくて逃げるように死を選んだのか。
死に希望はあったのか。
俺のように中学の部活での贔屓が嫌で逃げたしたのは、希望があったから。
早川が教えてくれたから。
そして、そこは以前も通っていた場所だった。
早川は、そんな場所ではないけど、希望があった。
そして、俺と仲良くなった。
感謝までされた。
今思えば、好きという言葉を友達として感謝として伝えられたくはなかった。
できれば、告白と恋心的な意味合いで使ってほしかったと、勝手ながら思っている。
考えてしまう。
もし、あの時、藤川のつぶすという発言を必死に止めていたら。
陰湿ないじめを止めることができていたのなら、俺はここまで後悔はしなかった。
今日という日に、担任からの言葉で吐き気を覚えることもなかった。
俺が止めていれば……。
自責の念に押しつぶされそうだ。
「藤川君は、そんな話していなかった」
「しないでしょうね。そんな話」
「じゃあ、君は、いじめの存在を知っていたんだね」
「ええ。だから、早川に言われましたよ。こんなことになっていると知っていて、どうして教えてくれなかったんだって」
そりゃ、深山が男と付き合っていただけの噂なのだから気にしない選択肢もある。
だけど、クラスを見てみれば、すぐにわかる。
深山は、つぶすべき悪であるとクラスが決めたのだから。
「藤川君のことは調べないといけなさそうだね」
「その方が良いっすよ。俺はもう、何もできないんで」
「早川さんは、彼の病室に行ったけど、君も行くかい?」
「え?」
「ちょうど、車が一台余ってる。どうする?」
「……」
行っていいのだろうか。
「まあ、まだ、事情聴取は終わってないから、寄った後も我々は仕事があるけど」
「終わってない?」
担任は、クラスの事情聴取をするとだけ言ってた。
俺でラストだし、ほかに誰が……。
「家族にも聞くんだよ。彼の周りは大抵聞かないといけない。だから、二人にさせてしまうけどいいかな」
「……」
もし、今の俺に早川があったらなんていうだろう。
怒るだろうか。
泣くだろうか。
悲しむだろうか。
でも、行くしかなかった。
止められたはずの俺がとめなかった。
深山にも早川にも謝罪すべきことがある。
「……行きます」
そう、静かに俺は言った。
もう明るい口調は意識してできることではなかった。
病室に着くと、彼は寝ていた。
椅子に座って、深山を見つめる早川を見ていると、いたたまれなかった。
だけど、早川は俺たちにすぐ気づいて椅子から立ち上がった。
彼女は、今にも泣きそうな顔だった。
「大丈夫か?」
そんなわけないのに、俺はそんな言葉しか出てこなかった。
「どうして、こうなっちゃったんだろ」
「さぁ……」
心当たりしかない。
俺が、藤川に抵抗しなかったから。
いじめを受けたことはないし、どんなものかわからないけど、早川みたいにいじめから逃げるということを高校生になってできる気がしない。
俺は俺を守るために逃げたんだ。
「それを知っても、いまさらだ」
「何それ。中野ってそういうこと言うんだね。中学の頃とは全く違う」
「そうだな」
「は?開き直るの?」
「別に、そうじゃない。変えられないだろ、過去のことなんて」
「いじめは過去にできない」
「だとしても、過去にするしかない」
「そんなことできるわけがない」
「できなくてもそうする他ないだろ」
「できないから、やれないんじゃない。思い出して苦しくなるからできないの!そんなの、できるんだったらやってる。でも、被害者になってしまえば、逃げ場がないことがほとんど……」
「でも――」
……俺は、被害者ではない。
「そうか。俺にはわからないことだ」
「わからないよ。だって、いじめられたことなんてないもん。中野くらいの人がいじめられるわけないよ。でもね、私みたいな存在するだけでうざい人っているの。自分が、悪人になるの。そんなつもりなくても、そうなって、いつかはそれが理由になっていじめられる」
「じゃあ、逃げ場がないってなんだよ」
俺は、俺自身にイラついてた。
そのくせに、そんな風に自分を卑下にする彼女にさえその怒りをぶつけた。
「お前に逃げ場がないのか?だったら、なんで俺のいた中学に転校した?転校してどうなった?いじめは?あったか?ないよな?お前自身、逃げ場はあった。それとこれとは別だろう」
「……中野には言いたくない」
「は?言えよ。お前に、逃げ場がなかったら今こうして、寝ている深山みたいになってたかもしれない。早川は、転校していじめられたことはないだろ」
そうだ、そのはずだ。
だから、今を生きてる。
「…………陰で色々言われた。あなたのいないところで」
「……」
「そりゃ、転校したってなったら、わかるでしょ?中野もそう思ったんじゃない?いじめか、親の都合か。でも、私は、親の都合で何て言えなかった。だって、市内だもん。市内だったら、別に引っ越す必要もないからさ。女子に陰から言われてた」
「……」
なんで、それを、言ってくれなかった。
「なんで?って顔してるね。本当優しいよね。たまにムカつくようなこと言ってくるくせに。でも、これだけは言えない。言いたくない」
「……」
「いじめってさ、逃げたところでまた違う場所で始まる。だから、逃げ場がない。私の場合は、中野がいたからまだ生きていられたのかもね」
返す言葉が見当たらない。
「深山くんは、どうだったんだろう。私や中野がいても、ダメだったのかな」
俺は、言葉を返さなかった。
何も言えないから、言う言葉がないから。
言葉なんていつも稚拙だ。
どう伝えたって、相手の受け取り方で全部変わる。
そのくせ、伝えないことには始まらないし、始まったところでまた衝突する。
厄介で、面倒。
使いこなすにはどうしたらいいのかわからない。
好きな人が目の前にいて、俺は何も言えない。
彼女が、転校してもいじめを受けていたことさえ知らなかった。
もしも、今、ここで彼女を抱きしめたらどうだろう。
それをするべきではないことくらいわかってる。
彼女は俺を見てない。
恋心もそうだ。
俺は、小学生にも似たやり方しかしてない。
いじることで、好意を見せた。
だけど、彼女は高校生らしく真っ当な気持ちをぶつける。
俺じゃなくて、深山だ。
あいつが見ているのは、深山で、俺じゃない……。