「あんなことがあって、ひどく苦しいとは思うけど、協力してくれるかな?」
「……はい」
 二学期に入ったばかりの昼。
 事情聴取のために、学校から場所を確保してもらったという生徒指導室で私は、警察の方と話していた。
 目の前に座る警察の名は、三島というらしい。
 その警察の後ろには、私の発言をメモするためかパソコンを持った女性警官がいた。
「あの日、この街の夏祭りに参加する日に深山空の家に行ったそうだね」
「……」
「言えることだけでいいけど、それだけで十分だし」
「……えっと」
 その日、彼との関係を深めるため何度か誘っていたデートと言ってもいい、二人で出かけるためだった。
「もし、言いにくいようなら、言える範囲で何でもいいから教えてくれるかな」
「……はい」
 私は、それに頷いた。
 深山くんが何に悩んでいたのか、私にはさっぱりわからないのだから。

 +++

 入学式の当日。
 式が終わったあと、私たちの教室では早速自己紹介が始まった。
 みんなが席についている中、黒板の前に立ち話すのだ。
 私の出番がきて、一番後ろの席から前に向かう。
 このクラスに中学生の時の友達はいないから、一から仲良くしていかないといけない。
 ほかの生徒は、ある程度同じ中学の友達もいるみたいで仲良さそう。
 ……中野がいる。
 うわ、最悪。
 よりにもよって同じ中学であった中野がそこにはいた。しかも、一番前の席。
 生徒みんなに目を向けるとそんな視界の端にうつむく生徒がいた。中野の隣である。そして、入学式で隣に座っていた彼だ。
 見たことのないような、悍ましいともいえる表情。
 絶望しているというような顔というべきなのか。
「私は、早川七海です。趣味は、ドラマを見ることです」
 すると彼は、どこにいるのか思い出したのか、ハッと顔を上げた。
 ドラマに反応したとは思えない。同じ趣味ならすぐに話しかけることも可能だろうに。
 自己紹介が終わると、周りに合わせるように拍手をしていた。
 入学式で隣に座っていた人とは思えなかった。
 あの時は、凛としたたたずまいで今とは全然違った。まるで別人だ。
「あの、深山さん?」
 先生が声を上げた。私の次の出席番号は深山くんの番号だ。
「……っ⁉」
 気づいたのか、彼はササッと動き黒板の前に立った。
「空。深山空です。ゲームが趣味です。ゲーム以外にお勧めのものがあったら紹介してください」
 と、軽く伝えると席に着いた。
 さっきみた絶望的な顔はどこにもなかった。
 凛とした入学式の席の隣で見せた姿と変わりはなかった。
 さっき見た顔は勘違いだったのだろうか。
 自己紹介が終わったので、早速彼に話しかけてみようと思った。
 それは、あの絶望的な顔から出す彼はどんな人なのか興味があったから。そんな人が、どんなゲームをするのか知りたい。
「初めまして」
「……えっと?」
 困惑したようで、もしかしたら、名前をまだ正確に覚えきれていないのかもしれないと思い、伝える。
「七海です。早川七海」
「ああ、早川さん。よろしく。深山です」
「空?」
 なぜ、名前を言わない?
「……ああ、そうだね。空でも何でも好きなように」
「じゃあ、とりあえず、深山で」
「じゃあ、早川さんで」
 なぜ、さん付けするのだろうか。
「まあ、さん付けじゃなくてもいいけどさ」
 と、一応、私は一応伝えることにした。
 さん付けしないでと強制するのは気が引ける。
「ゲームが好きなの?」
「……え、うん、まあ。やることって言ったらゲームくらいしかなくて」
「勉強は?」
「……まあ、嫌いな分野。じゃなきゃ、この学校にいないと思う」
「……確かに」
 ぐうの音も出ない。
 この学校が頭いい学校かと言えばそうじゃない。
 ネットの口コミを見てみても評価は最悪だった。
「えっと、まあ、僕は頭が悪いんだよ。ゲームばっかりやってたから」
「な、なるほど……」
 気まずくならないようにと気を使ってくれたのかもしれないけれど、余計刺さる言葉だ。
 勉強してきたくせに、頭悪い私はどうなるのか。
「早川さんは?同じ中学じゃないし……。ごめん、自己紹介あんまりちゃんと聞いてなくて」
 中学という言葉が出てドキッとしたが、彼は接点が欲しそうな様子だった。
「ドラマが趣味って言ったよ」
「……あ、そういえば」
「忘れてた?」
「い、いや?」
「本当は忘れてたでしょー?気づいてたよ。だって、下向いてたよね?」
「……バレてた?」
「そりゃあ、そうだよ!目の前の席であんな風に下向かれたらバレるよ」
「……そんなひどかった?」
「ひどいっていうか、何というか。別のこと考えているように見えた」
「……気のせい」
「気のせい?」
「気のせいだよ。気にしないで。気になるようなことはないと思う」
「なぜ、早口?」
「……」
 あ……、いや、そのつもりは……。
 ていうか、目を泳がせないでよ。
「しゅ、趣味とかある?」
「私は、趣味っていうか好きなことは食べることかな」
「へー、意外。どんなの食べるのが好きなの?」
 話を変えるほかなかった。
 だとしても、意外だろうか。
 こんなふうに話聞いてくれる人、嬉しいな。
「最近できた店だと思うんだけど、そこのスイーツがおいしくておいしくてしょうがないの!」
「そ、そうなんだ」
「そうなの!そこに行ったらわかるけど、ほかのコンビニのスイーツなんて食べられない!だって、美味しいんだもん!行けばわかる!行く?おススメあるよ‼……あ」
 言ってしまった。
 つい、聞いてくれたものだから全部言ってしまいたくなった。
 自分が行きたくなったからってそこに連れて行こうとするのは違う。
 やってしまった。恥ずかしい……。
「行きたいな、そこ」
「え?」
「ただ、今、金欠だからさ」
「じゃあ、お金に余裕ができたら一緒に行こうよ。どう?そうだ。連絡先交換する?」
「……え、ああ。でも、スマホよくわかんないんだよね。メールとか?」
「いや、インスタでしょ」
「インスタ?」
 まさかこの時代にインスタを知らない男子がいたとは……。
「ごめん、入れてないや」
「じゃあ、LINEは?」
「あ、それなら、なんかテレビでもやってたから一応入れた」
 インスタもテレビで紹介されたと思うけれども?
「LINEで!」
 だけど、彼はLINEのやり方もろくに知らず私が教えることになった。
 こうして、一気に距離を詰めることに成功した。
 連絡先まで交換するつもりはなかったけれど、これはこれで友達を作るための良いチャンスだ。
 私は、そう思っていた。
 彼が、あまりにも連絡が遅いということを知らない間は。

 +++

「今の話を聞いていると、特にこれといった関係ではないように思えるけど」
 三島さんは言った。
「それからなんです。連絡が遅い理由もスマホの機能をろくに知らなかった理由も。私は知らなかった……」
 話す声が苦しくなる。喉がつっかえるように痛い。
「……お茶でも飲むかい?」
「え?」
「少し、のどが疲れるだろう」
 どうやら、私は、のどの痛みにも気づいていなかったようだ。
 自分が苦しいという気持ちが体の不調さえも判断できなくなっていた。
「……はい」
 彼は今、病室だ。
 死んではいなかった。だけど、意識はまだない。
 お茶をもらい少し落ち着いた私は、また、息を整えてから口を開いた。

 +++

 彼は、部活には入らなかった。
 なにやら先生と色々話をしていたみたいだし、それを彼本人から聞くのはよくないと思った私は、ありきたりな話を彼にした。
「友達出来た?」
「……友達出来ない人みたいに言わないでくれる?少なくとも、中野とは仲がいい」
「中野?……もしかして、中野俊也?」
「そうだけど」
 あの野郎と仲良くなってしまったのか。
 先に言っておけばよかった。
 仲良くならない方が身のためだぞ、と。だって、あんなことやこんなことをバラされたくないし。
 だけれど、彼の隣の席には中野がいる。
 男子同士でどうやって仲良くならないようになんてできるだろうか。
 少なくとも、中野は隣が同性でも異性でも遠慮なく声をかけるだろう。
 失敗した。
「あ、あの」
「え、あ、うん。中野ね。良い人だけど気を付けてね」
「……え?あ、うん。わかった」
 しかし、私はこんな会話をするために話しているのではない。
 彼には聞きたいことがあって今日、話しているのだ。
「話変わるんだけど、深山くんって、もしかして、スマホ、あんまり見ない?」
「……?」
 質問の意図が見えていないようだった。
「その、連絡しても全然返ってこないからさ。もしかして、家じゃあまり見ない人なのかなって」
「……あ、いや、……まあ、そうだね」
 否定しきれない何かがあるのだろうか。
 最近連絡をしてみてわかっていることがある。
 それは、夜なら八時から十時までは少し返してくれる。
 だけど、それ以降の時間は一切返信どころから既読もされない。
 こんなことをいちいち確認してしまっている私はどうかしているのだけれど、あの絶望的な顔をしていた彼が普段はこんなにもどこにでもいそうなありきたりな高校生であることに興味がわいている。
 どうして、あんな表情をしていたのか、聞いてみたい。
 でも、まだ聞くときではないことくらいわかっている。まだ、それだけの仲じゃないし、もっといえば、話を聞いているうちに何かわかってくるかもしれない。
「スマホ、あんまり見てないんだ。家のルールっていうか」
 十時を過ぎた部屋ではなくリビングに置くように的なあれかな。
 中学生のころはあったけれど、高校生もまだあるのだろうか。私はもうそんなルールは設けられていない。
 まあ、年齢制限とかでいろいろアプリは入れられなかったりするのだけど、基本入れるようなものじゃないので入れてはいない。
「なるほどねー」
「それが、何か?」
「あ、ううん。ちょっと気になっちゃっただけ。私の友達とか連絡したら爆速で返ってくるからさ」
「爆速……」
「うん」
「おやおや、デートのご所望をしていたのかね?」
「いや違うよ、中野。スマホの話」
「スマホ?ああ、なんだ、デートじゃないのか」
「全く違うけど、何?やめてほしいんだけど」
「……」
「お、こわ」
 中野にそんなことを言われたので、舌打ちして睨みつけてやった。
 その一部始終を見ていた深山は少し怖がっているように見えたので、ニコリと笑みを返した。
 いや、ちょっと、待て。なんで、ビビるの……。ねぇ……、え、ちょっと……。
「じゃ、僕は帰るね。予定があるんだ」
 と、爆速で帰って行ってしまった。
 爆速にしてほしいのはLINEの会話なんだけれど……。
「あー、行っちゃったなー。何してんだよ、早川」
「あんたのせいだ」
「え?」
「最低。死ね」
「暴言やめてや。そんなこと言ってると太っていくだけだぞ?」
「デリカシーって知ってる?」
「はいはい。デリバリーだろ知ってるよ。そんなのばっかり頼んでるから太る一方、金が減る一方なんだろう」
「殺す」
「……」
 鋭利な刃物のように睨みつけた。
「お前、なんで深山と?中学の時はあんまり男子と会話している印象なかったけど」
「そうだね。まあ、私も高校デビューと言いますか」
「痩せてから言って」
「は?」
「痩せてるか。着痩せというか」
「何?さっきから殺されたい?」
「そんなに、深山のこと好きならデート誘えば?」
「出来たら苦労しない……。は?違うから」
「いやいや」
「ほんとになんなの?わけわかんないんだけど。いきなり、ひどいこと言ってきてさ」
「だって、お前ら二人の会話見てたら、わかるよ。デート行きたいんでしょ?だけど、会話があまり弾まなくて困ってる。そんなとこでしょ」
「……」
「図星‼いぇーい!」
「本当に違う。ただ、彼に興味があるだけ。前見た時、すごい絶望感を肌で感じたから」
「……。何それ?よくわかんないけど、お前がいうならそうなのかな。お前も、一応、女だし女の勘が働いているのかもな。俺が、なんか手助けしてやろうか?」
「しなくていい。ていうか、さっきからうざいんだけど。……でも、……ほら、このクラスってちょっとめんどくさいじゃん?」
 その本人である藤川が廊下を出たので、それを見計らって中野に言った。
 ここ数週間が過ぎて、カーストのようなものが出来上がってしまっている。
 それによって、中野に面倒が加わってしまうなら関わらせないべきだ。
「あぁ、そういうことか。なるほどねー。だから、LINEで予定をつけたいわけだ」
 頷くと中野は真剣に考え込むような仕草をしてこう言った。
「たぶん、LINEはろくに返ってこないから、いっそのこと伝えてみたら?藤川とかいないところでさ」
「やっぱ、それしかないのかな」
「うん。それくらいしか浮かばないね」
 やはりそうらしく、私以外の知恵を借りても結論はそれに至った。
「藤川のことさ、軽く聞いたんだ。太田ってやつと仲良くて。藤川と同じ学校だったみたいで。なんでも、敵にするとめんどくさいらしい。変に角が立たないように、いないときに言えれば目もつけられないんじゃないかな」
「……それって」
「いじめっ子だろうね」
 ……いじめっ子。
 それだけで悪寒が走る。
 いじめは、どうして消えないのか。
 わからない。だけど、分かりたくもない。
「……じゃ、俺は部活だから」
「部活?」
「ああ、もう仮入部期間終わっただろ?これから、体力づくり。テニス部だからって鈍ったらよくないよな。お前は?」
「演劇部だけど……。聞いてない」
「言ってた。絶対に言うもんだぞ、それ。入部届は先週までに出すって話、忘れた?」
「……あ」
「おい、もしかして」
「仮入部の時に、入部届まで一緒に出したの忘れてた」
「……は⁉え?ちゃんと見定めてからにしろよ。たとえば、お前の彼氏候補のやつがクズだったらどうすんの?」
「別に、それとこれとは」
「いいや、お前は絶対そういうやつに引っかかる」
「なんで、そんな風に言うの?私は、そんなことならない」
「じゃあ、彼氏にしたい奴が一緒に死のうとかいうようなやつだったら?クズだったら?束縛激しいタイプだったら?……それでも、お前は付き合えんの?」
 そもそも相手がそんなタイプじゃないから、大丈夫。中学の時から一緒だし、その人。
「……なんで、そんなこと中野に言われなくちゃならないの」
「――それは……えっと、……えーっと、黙れ。うるせえ。なんでも選ぶことはちゃんと真剣に自分の知恵で考えて動け。そう言いたいだけだ。合わなかった時が大変だって」
 彼は、カバンを肩にかけると教室を出て行った。
 中野俊也は、いつもそうだった。
 何かと突っかかってくるくせに、肝心なところは隠して乱暴な口ぶりで出て行く。
 そのくせに、いつだって話しかけてくるし、真剣な悩みは真剣に聞いてくる。
 ずっとデブとか太るぞとか言ってくるくせに……。
 彼が、私と関わるようになったのは、中学生の時に彼の学校に転校したことだった。
 私はそのころいじめに遭っていた。
 限界になった時、私は感情が爆発して家で暴れた。泣いた。自暴自棄になった。
 親にすべてをぶつけると、すぐに転校することになった。
 学区が変われば、環境が変わればいじめは起きないのだと静かに優しい声で両親は私に言った。
 転校した先に、彼はいた。
 転校してきたことで興味があっただけだろう。
 それを機に、色んな人が話しかけてくれた。でも、段々と関わってくれる人は減っていく。
 その中で、少数の女子生徒と彼、中野俊也だけが話しかけてくれた。
 当時は太っていた。
 痩せようと必死だった。
 高校に入るころには痩せたけれど。
 毎朝、グラウンドで走る私を見た中野は私と一緒に走るようになった。
 遅いぞ、デブと冷やかしてくるくせに。
 そのくせに、なぜだかいじめられていたあの頃とは違った。
 彼は、私を一人にしなかった。
 それが、救いだった。
 まあ、でも、だからって今も高校入ってからも言われると怒れることがありますけどね。
 もしも、彼がいなかったら……。そう思うと、彼の存在には助けられる部分が多かった。
 話を戻すと彼のいう通り考えてみれば、LINEで誘っても反応が遅く連絡がないのは困る。それならば、やはり直接伝えるしかない。
 それに、藤川という危険因子もいるようだから。
 次の日、私は、藤川のいないところで深山くんに伝えた。
 良かったら、遊びに行かないか、と。
 中野も誘うかという話を持ち込まれ嫌な気分にさせられたが、そこは二人でいいんじゃない?と答えておいた。二人が嫌な理由でも?と少しだけいじってみた。
 彼は二人で行こうと答えてくれて、約束の日にちまで決めることができてこちらとしては万々歳だった。

 約束当日。
 夕方にはお互い帰ることを決めていたので、昼間である11時にこの市でよく呼ばれる街に集合することにした。
 しかし、30分経っても彼は来ない。
 連絡もない。
 どうしたのかと電話を入れてみても反応はない。
 本当は一緒に行きたくなかったのか。
 それとも、中学生の時にいじめが原因で転校したことを知られてしまったか。
 いじめのことは、あの中野にしか伝えていない。
 あの彼がそんな過去をばらすような人ではないことくらいわかっている。
 もし、深山くんがこのまま来なかったら……。
 けれど、十分後、彼は待ち合わせ場所にやってきた。
 どうやら、場所に迷っていたらしい。
 言われた場所とは逆方向で待ち、それから5分ほどして違うことに気付いたという。
 バスに乗り遅れて30分待たせてしまったことを謝っていた。
「全く。もしかしたら、私と遊びたくないのかと思ったよ」
「そんなつもりじゃなかったんだけど……」
「だけど?」
「家のことで少し時間が足りなくて」
「あー、なら、そう言ってくれれば良かったのに」
「ごめん。電話したかったんだけど、やり方が……」
「後で教えたげるよ。それより、映画の時間もギリギリだし行こうよ」
 手首を引っ張り彼を連れて行く。
 あざといかもしれないけれど、これで彼に合法的に触れられるのだから、それは私にとって得なのである。スキンシップは、関係値を高め、話しやすい相手になる。
 にしても、なぜ服装がこんなにもダサいのか。
 全身黒にするなんておかしい。
 もっと、他の色を使ってカッコよく見せることもできるはずだろうに。
「どうかした?」
 どうやら、その疑問は顔に出ていたよう。
「あ、ううん。服とか似合ってるなって」
 全く思ってないとまでは言わないけれど、ほぼ似合っていない。
 服とズボンの相性が悪いのかもしれない。
「それは良かった。結構自信あったんだよね。女子と一緒に出かけることになるとは思ってなかったから、相性の良さそうな服とズボンを選んだんだ」
「……」
「早川さん?」
「え?ああ、うん。大丈夫。似合ってると思う。私もあなたにコーデ考えてみたいなって少し思っただけ」
 この人、あれからずっとさん付けで呼んでくる。私もそのせいか彼には、君付けをしている。
「……もしかして、似合ってなかった?」
 キッパリと似合ってないですと、この関係値で言えるはずもなくて曖昧に首を傾げることにした。
「でも、少しくらい髪の毛もセットして欲しかったなぁ」
 なんて意地悪なことを言ってみる。
「ワックスないんだよね。買ってないし、何が良くて、何が合わないとかわからない」
「男子の使うワックスは正直私もわからないけれど」
「でしょ?思ってるよりも種類あって困る。二種類とかにしてくれれば、ほんとに楽なんだけどなぁ」
「確かにね……」
「ほら、好きとか嫌いとか、綺麗と可愛いとか、デブとガリとか、そんな感じ」
 言葉の間にデブの単語があって少し、気分が沈んだ。
 間接的に中野みたいにデブだと言われているようで。
「とりあえず、二択にしてくれってことね」
「そういうこと」
 映画館に到着して、ポップコーンを買うことにした。
 私が欲しいというと、私の分までお金を出そうとしたので、割り勘にしてもらった。
 流石に、今の関係値で奢ってもらうのは申し訳ない。関係値は大事ですから。
 その気遣いは嬉しいし、有難いなって思うけれど、私はがめつい訳じゃない。
 彼の気遣いに惚れてしまいそうだし、彼のボサボサな髪の毛から見える瞳はとても黒く凛々しい。
 隣に座る彼と今から映画を見ると考えるだけでそれだけで嬉しかった。
 だから、割り勘でいいのだ。
 あと何回か一緒に行って、関係が深まるまでは割り勘でいい。
「どうかした?」
「え?あ……」
 どうやら、私は隣にいる彼の顔に見惚れていたらしい。
「ね、寝癖がついているよ」
 と、彼の髪の毛に触れようとした。
 刹那、彼は瞬間的だろうけどその手から恐るように後ろに顔を引いた。
「あ、ごめん」
「……あ、ああ、いや違うんだ。ただ、そのいきなりだったから」
 やりすぎた。
 すぐにそう思った。
 そりゃ、嫌がるよ。
 元デブの私からそんなことされたら。
「ごめん」
「いや、えっと、その……。寝癖、どこらへん?」
「え、ああ、この辺」
 触るのはやりすぎだと思ったので、指で指すくらいにした。
「ここ?」
「もっと、真ん中の方……、後ろ、そうそこ」
「……あ、本当だ」
「後で直さなきゃだね」
「うん。もっと早く気づけば良かった」
「一番早く気づけたのが私で良かった」
「……そう?僕は嫌だけど」
「え⁉︎なんで⁉︎」
「だって、女子にそれをみられるのは」
「……私は、嬉しかったので問題ないです」
「男としてのプライドの問題なのです」
「いいよいいよ、大丈夫。誰にも言わないであげるから」
「誰よりも早川さんにみられたのが嫌だった」
「……」
 ……これはもしかして⁉︎
 私に少なからず好意を抱いているのでは⁉︎
「あ、始まる」
「え?」
 スクリーンを見れば、今にもはじまりそうでスクリーンに向きを変えた。
 もう少し、こうやって話していたかったのに……。
 今回の映画は、実のところ恋愛映画だった。
 コメディチックな作品を見ようという話になっていたのだけれど、そもそもこの時期にやっていなかったという理由から変更された。
 映画を見終わり、近くのカフェで映画の話をした。
「主人公がヒロインの頭撫でるシーンはキュンキュンした!」
 と、なんとも普遍的な会話を繰り広げたのであった。
「それから、最初と最後では主人公の表情の対比がいいんだよね。BGMも違ったし、角度も良過ぎた!」
「なんか、専門的だね」
「そうかな?」
「確か、演劇部だっけ?やっぱりそういうところも見るもの?」
「それを知ると知らないとでは見方も変わるかも。でもでも、キュンキュンさせられっぱなしで、私も頭撫でられたり、ほっぺぷにってされたいなぁ」
「……へぇ」
 待ってよ、なんでちょっと引いてるの……。
「イケメンだから許されるとかそういう枠の話でしょ。いい人に出会えるといいね。紹介しようか?」
 卑屈なんですかね、彼。
 いきなりそんなこと言い出しちゃって。
 あなたにされたいんですっていじったら、どんな反応するだろうか。
 まあ、そんなこと言うつもりはないけど。
「イケメン枠だったら誰を紹介してくれるの?」
 あなた以外いないけれど、一応聞いてみる。
「中野とか」
「それはない」
「え、キッパリ?」
「キッパリ。彼は、違うね」
「手厳しいな。それとも、イケメンの評価基準は割と高め?」
「そんなことないよ。中野は、そういう対象じゃないってだけ」
 そんなこと言った私が、なぜこんなにもモヤモヤしたのか。まるでわからない。
「かわいそうだな」
「まさか。だって、彼はただの友達だよ?転校してきた私と仲良くしてくれた、優しい人」
「……」
「訳あって、転校したんだよね。それ以上はないよ」
「色々あるもんね。中野は優しい以外ない?」
「ないね。相談は真剣に聞いてくれるし、でも、よく揶揄ってくるからすこしムカつくよ」
「お互い仲良かったんだ。てっきり、本気で嫌いなのかと」
 確かに、あんなの見せたら誰だって嫌っていると見てしまうのかもしれない。
 あ!でも、あの時逃げなくてもよかったのでは?
「そんなことないよ。ああいうこと言われたら、やり返すまでがテンプレみたいなところあるから」
「デートとかって言われたら確かに、違うって答えるよね。今も別にデートではない訳だし。そりゃ、言い返す」
 と、彼は納得したようにうんうんと頷いていた。
「……」
 その言葉に私は、言い返すことができなかった。
 違うよ、あなたに興味があるから誘ったんだよなんて、言えない。
 ただ、一緒に出掛けたいだけではなかった。
 そんなつもりは、一切ない。
 でもじゃあ、何を聞こうとしたの?
 彼の本音?それ以上に聞きたいこと?そんなのあるだろうか。
「そろそろお開きにしようか」
 彼も帰りが遅くなるのはいけないらしく、バスターミナルまで行くことになった。
 私もバスできたので帰り道は一緒だ。
「良かったらさ、今度一緒に服とか見ない?」
「え?」
「ほら、映画始まる前に言ってた話。服、コーデしてみたい」
「ああ、でも」
「また一緒に出掛けたいなって思っただけ」
「そっか。また、来月でもいい?その月なら空いてると思う」
「バイト?」
「そう。これから先、バイトが少し増えるからさ。来月なら空けられるし」
「そっか。じゃあ、来月ね。て言っても、あと一週間もないけど」
「……あ、確かに。でも、中旬になるよ?バイト、月初めのシフト出しちゃったから」
「わかった。バイト空けれそうだったら教えて」
「その時までには、服のセンス磨くよ」
「楽しみにしてる」
 私の家の方に向かうバスが到着した。
 彼のバスはあと五分待つらしいので先に私が帰った。
 その帰り、すぐにLINEで今日はありがとうと連絡したけれど、彼からの返信があったのは、夜の八時頃だった。
 そんなある日、彼が中学時代に男子と付き合っていたといううわさが流れた。
 その噂を流したのは、藤川だった。
 それから、彼に対する当たり方は人それぞれだった。
 私の友達は、関わりたくないと嫌悪を抱いた。
 ほかの人の中にも友達と同じような人、それとは別に、関係なく話すという人もいた。
 しかし、その関係なく話すという人たちはすぐに意見を変えた。
 藤川が、クラスの中でも絶対的なトップに立ったからだ。
 彼の言うこと一つで、クラスの意見が変わるほどには、恐れられ歯向かえば糾弾されるクラスへと変貌した。
 関係なく話すという意見はマイノリティへ、関わらないことを決めた生徒がマジョリティへとある意味必然的に変化していった。
 マイノリティは糾弾される。
 それを恐れた人たちばかりで、深山くんは孤立した。
 独りになってしまった。
 私は、連絡以外の手段を考えられなかった。
 なぜなら、もしもこれによっていじめられたらと想像するだけで吐き気がしたのだから。
 もう、限界だと悟ったあの日。
 親にお願いして、やっと解放されたあの時。
 また同じような鉄を踏んで、両親に迷惑はかけない。
 そう誓っている。
 深山くんとは、LINEのやり取りだけになって行った。
 彼は、気にしないどころか、それといった反応を見せないせいで、藤川からの反応は良くなかった。
 彼にとってつまらないものだったのだ。
 何とかできないのかと中野に聞いてみても、反応してくれなくて何度も問いてみても彼は口を開こうとはしなかった。それどころか、彼は藤川と関わっている。
 そんな中、深山くんとの次の約束が決まった。
 彼は時間通りに待ち合わせ場所に着て、普通の顔で普通の反応で普通の会話をしていた。
 安心した。
 その一言に尽きる。
 その日の彼は、センスを磨いたと言いながら黒の服、黒のズボンで以前とあまり変わらないファッションできた。
 なんでも、彼にとって黒というのは一番おしゃれに見せられる最強のアイテムだという。
 ワックスもあれから使い方や自分に合ったものを探したらしく、それなりに決まっていた。
 なのに、それなのに……。
 なんで、ファッションセンスは皆無なままなのか。
「どうして、僕は道行く人に見られているんだろうか」
 そう普通の反応をされて、ため息が出てしまった。
 普通、黒は服かズボンのどっちかだろう。
 そのセンスの悪さを、理解していないあたり彼はまだまだ疎いのだろう。
 それか、折角私に選んでもらえるのだから、選んでほしいという遠まわしなサインでは⁉
 それはとてもうれしいことだ!
 ぜひ‼そのままでいてください!
 私好みにかわいくさせます!
 きっと、周りの人は、そのセットの上手さとは真逆の服のセンスを勿体ないと思っているのです。
 つまり、私が独占し、彼を私の好きなタイプに変化させる‼︎
『僕、早川さんのおかげでカッコよくなれた気がする。ありがとう、好きだ』
 なんて、言われたら最高だぁ!
 キャー‼それはそれでいいのかもしれない‼︎キャー‼︎
 深山くんの背中をバシバシと叩きながら悶える。
「痛っ⁉」
「あ、ごめん。違うの。ただ、そのえぇっと‼そう!折角だし、服を見に行きましょう!」
「え……。結構、センス磨いたと思ったんだけど……」
 ……もしかして、彼、センスのなさに自覚がない?
「今のもいいんだけど、もっと自分を活かそう。自分に合った服っていうのは見つかるものだよ」
「……なるほど」
 理解していないっぽいので、実践するしかないと判断した。
 色んな箇所で服を選び、ズボンを選び、折角だからとアクセサリー系も選んだ。
 彼に、アクセサリーを付けてしまうとチャラい感じがして嫌だなと思ったので、途中でやめた。
 彼は、好きなアクセサリーを見つけたのか、これいいんじゃないかと言ってきた。
 どくろの指輪。
 普通に却下だった。
 ひどくショックな彼を見ると、かわいらしく思えた。
 そりゃ、男子からも好意を寄せられるよなと羨ましく思えた。
 恋愛経験ないくせに、興味本位で話しかけた結果、今がある。
 彼に好意があるかもしれない。興味から始まった気持ちは、もしかしたら形を変えつつあるのかもしれない。
 男子になんか負けない。
 彼が、ゲイなのかどうかはしらないけど、絶対に負けない。
「これ、あってるか?」
 買った服を早速トイレで着替えた彼は、少し困ったような表情でそういった。
「あってるよ。身長もそれなりにあるし、足首を少し見せるようにすれば、スタイルの良さも活かせる。今の髪型に合わせるとしたら、クール系がいい。そう思って選んだ私のセンスはよかったみたいだね」
「……今日着てきたのは?あれ、結構センスいいと思うんだよね。ほら、色んな人に見られたし」
 それは、センスのなさとあなたのルックスの良さがアンバランスだったから目立ったんだよ。
「今日から君はこれらを着たまえ!」
「逸らされた」
「気に入った?」
「……十分気にいってる。でも、やっぱり今日着てきたのも目立ったし、あれはあれで成功だと思うんだ」
「どこがじゃい!」
 そこまで言われると、流石にツッコミをしたくなる。
 そんなわけがなかろうが!
「女子受けは悪いのか」
「男子でも変わらないよ……あ」
「……知ってるんだ」
「その、クラスで少し話題になって、それで」
「いいよ。中学の話だから。嫌なら、別に気持ち悪いとか何でも言ってくれて構わない」
「そ、そういうつもりじゃなくて」
「当たり前だよ。今の時代、自由に選択できるけど悪いことをしていないのに、認めるとか理解するとか言わなきゃいけない時代だから。認めたくなかったらそれも容認されるべきだ。早川さんの自由だ」
「……そうじゃなくて。別に、そういうつもりで言いたかったわけじゃなくて」
「気持ち悪いって僕も思うよ。そんな経験なかったらね」
「そんな言い方……。深山くんはさ、女子は恋愛対象になる?」
「なるよ。別に、ジェンダーとかそんな形式に沿ったもので人間性を推し量ろうとしないでほしいけどね。この場合、バイセクシャルとでも名称づけられるのかな」
「……」
「クラスでも、藤川とかいるし、無理にこれからも関わろうとしなくていい。僕と関わることで君がいじめの的になっても僕は嬉しくない」
 彼が、このあと何を言おうとしたのかわかってしまった。
「もう僕と、関わらなくていい」
 やっぱりと、思った。
 その癖に私は、彼の言葉を止めることはできなかった。
「じゃあ、そろそろ帰らないか?変な話しちゃったけど、もう時間が時間だから」
 以前と同じ、午後五時前の時計を見て彼はそういった。
 家のルールが厳しいのだろうと安易に考えた。
「待って」
 歩を進めていた彼の袖をつかむ。
「関わるよ……。話すよ……。嫌じゃないよ。だから、これからもたくさん話したい」
「そっか。ひどい言い方したね。ごめん」
 そう言って、彼は歩いて行った。
 その後ろをついていく私。
 彼は、私に何も言わなかった。
 怒る素振りも見せなかった。
 彼は、普通の顔で普通の反応で帰って行った。
「じゃあ、気まずいまま帰ったんだ」
「そういうこと。どうすればいい?」
中野にデートのことを聞かれ、嫌だったわけじゃなかったので答えることにした。
 デートじゃなくても、彼の中ではデートらしい。
「でも、深山的にとくに気にしてないように見えるけど?」
「そうだけど……。でも、その時の表情が全然読めなくて」
「……別に気にしなくてよくね?ほら、あいつと話したけど、特に嫌がる様子は見せなかった」
 自販機の前で買ってくれたお茶を両手で持つ。
 飲み物を忘れた私が自販機に行くと彼が居て、絡まれてしまったのだ。
 奢られたらなんも言えないし素直にもらうことにした。
 教室に向かう道中で、彼は止まった。
「そういえば、お前、ステージ立つの?」
「え?」
 彼の見ていたものは壁に掲示されている演劇部のコンクールの用紙だ。
「あ。うん。そうだよ」
「へー、行っていいやつ?」
「いいけど……。興味あるの?」
「あるよ。とても」
「そう。なら、また連絡してよ。チケット渡すから」
「サンキュ。八月なら予定空けとくよ」
「予定なんてあるの?部活だけでしょ」
「黙って、バイトでもしようかと思ってる」
「へー、いけないんだー」
「……なあ、深山、誘うの?」
「ん?」
「コンクール。誘えば何か見せられるかもって考えないの?」
「……できれば、表に立つつもりないからさ。裏で小道具作るつもり」
「……出ればいいのに」
「えぇ?いきなりどうしたの?私、デブだし可愛くないからやめとく。勝手に、ステージ立たせようとしてるだけだから、皆」
「あっそ。デブからブスみたいな考えになったな」
「は⁉」
「別にいいけど。でももし、深山が来るならその時もアピールするチャンスだと思うってことだけ伝えとくよ」
「最低。もともとブスだしデブだし、可愛くないからいいんですー。勝手なこと言わないでいただきたいですね」
「……でろよ。ステージ」
 彼は、私の自虐に不満そうな顔をした。もっと言って欲しかったのか、この野郎。
 私は、中野の言葉に上手く反応できなかった。
 教室に着く半歩前、大きな物音が教室の方から聞こえた。
「……?」
 中野を見れば、彼も分からないようで、そっと教室を覗く。
 すると、そこには、教卓の前で藤川に殴られる深山くんの姿があった。
「深山くん⁉」
 急いで、彼のもとに駆け寄る。
「藤川!何やってんの!」
「何って、逆になんで深山を庇ってんの?」
「やめろ藤川。これ以上大事にしたらお前も先生に何言われるかわからないだろ」
「アハハッ!中野、俺の心配してくれてんの?別にいらねえよ?て言うか、お前が教えてくれたんじゃん。深山がゲイだって」
「……」
「え?」
 中野は口を開けなかった。
「どういうこと?」
「あれー、知らないの?そっか、お前、よく部活の友達と一緒だったもんな。でも、気にしなくていいよ。こいつみたいにクラスから嫌われたくなかったらさ、そのままがちょうどいい」
「は?」
「おいおい、怒んなよ」
「藤川、さっき先生がこっちに来るのを見た。もう引き時だ」
「…………中野ぉ、お前、そういうことは早く言おうな。てっきり、この女の味方、あるいは深山の味方でもしているのかと思ったじゃねえか。お前らが大声で深山の話をしなきゃ誰も知らなかっただろうになぁ」
「悪い。こればっかりは、言い返せない」
「言い返すも何もないだろ。こっちで食おうぜ、中野ぉ」
 藤川は、中野を連れて行った。
 深山くんも、黙って教室を出て行った。
「おい、早川」
 深山くんを追いかけようとする私に藤川は言った。
「あんまそういうことしない方が良いぞ?これ、警告な?」
「……」
 彼はゲラゲラと笑い、それに合わせて笑う連中。
 イラっとしたし、何より奥歯を噛んで言い返すのをやめた。
 またあんな風に、中学生の時のように何かを、されたくはない。
 でも……。
「トイレに行くだけだよ」
「ふーん、あっそ」
 私は、深山くんを追いかけた。
「深山くん!」
 一階にいた彼に追いついた。職員室に続く廊下を歩いていたところだった。
「……早川さん。どうしたの?」
「どうしたのって……。その、大丈夫?」
 怪我は顔にないみたいだけど、お腹を抑えている。
「……」
「いつからなの?いつから、あんなこと」
「……早川さんに関係ある?」
「……それは」
「ないよ。僕と早川さんはクラスメイト。詮索しなくてもあのクラスメイトなら何か教えてくれるんじゃない?」
「……でも」
「詮索するな。どこかで話した覚えがあるような、以前もどこかで話したような軽い気持ちで初対面で話しかけてきた。馴れ馴れしく出かけようだなんて言って。そういう話、藤川達にバレるのが一番厄介だってわからない?」
「で、でも私は……」
「もう関わるのはやめよう。これは、僕のためだ。自分のいいように言うのなら、それは君が藤川にいじめられないために言っているんだということだ」
「……」
 彼は歩を進めた。
「どこにいくの?」
「……関係ないだろ」
 彼は、私を突き放している。
 それどころか、関わり合いたくないようにも見える。
 拒絶とかじゃない。
 彼の名誉のため、プライドのためにここは引くべきだろうか。
 しかし、彼の手首が外の日に照らされて、嫌に青くなっているのが見えた。
 もしかしてそれは……。
「痣、出来てるの?」
 彼は、答えなかった。
 歩を止めることさえしない。
「……ねぇ、待って!」
 彼のプライドとかどうでもよく思えた。
 そんな状況でいつも平然と私と一緒に居た。
 そして、そのくせに私を同じ目に合わせないようにしている。
 彼の進行方向を拒む。
「保健室。行こ」
「……邪魔だ」
「悪いけど、邪魔者扱いはなれていますので」
 痣のある左手首とは逆の右手首を掴む。
 強引に引っ張り保健室のある階段を下りていく。
 この学校が山のある傾斜の中で作ったせいで、保健室が本来一階なのだけれど、実際、本来の一階にあるのは保健室と会議室だけで基本的に生徒が使うことなど少ないという理由とそもそも階段を登った先に下駄箱があるのでそこが一階だという共通認識が学生の中にはあり、言い間違える生徒もいるのだとか。
「……邪魔女」
「このさい、魔女って言ってくれてもいいよ?そしたら、泣くけど」
「……」
「ほら行くぞ、わがまま深山よ」
 彼は、逃げようと一生懸命に力を入れているが、デブだった私にかなうわけもなく呆気なく保健室へと連れていった。
「この痣、どうしたの?結構、最近の傷じゃない?」
 保健室の先生は、シップを貼りながらそういった。
「いえ」
「保健室の先生の目は騙せないよ?素直に言っておくことをおススメするよ」
「……」
「もしかして、彼女に対して弱いの?それとも、彼女に対して弱いところを見せたくない?」
「……勘違いです。面倒なだけ」
 どうやら、私は面倒らしい。
 ならば、なぜ二回も出かけてくれたんだろうか。
 ジィーッと見ても彼は表情一つ変えなかった。
「とりあえず、包帯巻くからじっとしてて」
 包帯を探す保健室の先生。
「お前、帰れよ。ここにいても何も話さないぞ」
「……邪魔?」
「ああ」
「…………わかった。ごめんね」
 私は出て行くことにした。
 彼の迷惑になっていることくらいわかってる。
 仕方ない。
 そうだ。仕方ないんだ。
 嬉しかったのにな。
 以前もあったように話したって言ってくれたことほんとに嬉しかったのにな。
 だって、私たち入学式で再開したのだから。
 嬉しかったに決まってるじゃん……。
 あの頃、デブだった私がここの学校説明会に行って道に迷った時一緒に行ってくれたのだから。
 だけど、彼の言い方は忘れたようだった。
 覚えているのは、私だけだった。彼の笑顔を見て、思い出したんだ。
 それから、深山くんは教室には来なくなった。
 中野に聞いても分からないようだ。連絡も来ない。
 そんな七月に入り数日がした頃、登校時間に校舎の外で彼を見つけた。
 何となく尾行した。
 会話は今、出来ないだろうけど、今日は教室に来るのか気になった。
 もう来ていない彼がここにいる。
 教室に来ても、藤川達もいるし、孤立するだけだろう。
 彼は、一階の来賓用の玄関から入って行った。
 下駄箱にはいかないみたいだ。
 私は、下駄箱から校舎内に入り、一階に行く。
 彼がどこにいるのか、外から見えた限りだと保健室方向だ。
 階段を下りた曲がり角からこっそりと見る。
 どこにいるのか。
 会議室はないにせよ、体調も悪くないのに保健室には行けない。
「……」
「何してるの?」
「うわ⁉」
 後ろから声をかけられて、硬直する。
 女性の声だ。
「朝から不審な行動しないでもらってもいいかな?」
「……すみません」
 それは保健室の先生だった。
 どうせなら聞いてしまった方が早い。
「あの、深山くんは……」
「……会えないわよ。会わせられないというか」
「そ、そこを何とか」
「無理ね」
「お願いします!」
「……」
「迷惑はかけないから」
「それが、迷惑なの。彼のことを想うなら考えるなら……。あぁ、なるほど、ノートを見せようと思ったのね」
「え?……あ」
 適当なこと言って理由を付けようとしてくれているみたいだ。
「……なるほど。彼に聞いてみるわ」
 それから、すぐ私は保健室に入ることができた。
「ひ、久しぶり。深山くん」
「…………早川さん。久しぶり。僕は、帰るよ。じゃあね」
 グイっと引っ張り、座っていた場所に戻す。
「……少し、暴力的じゃないか?そんな根に持たなくても」
「持ってないよ。本当に持っていないから安心して。魔女だとかそんな言葉気にしてないから」
「自分で言ってなかった?」
 ギロッと睨みつける。
「……」
「何か?」
「いえ、なんでも」
「二人はコントでもしてるのか?早く、渡すもん渡して帰れ」
 保健室の先生、なぜ機嫌が悪いのだろう。イチャついているわけでもないのに。
「あ、すみません。これ、最近来てなかったし、テスト対策用に使ってよ。そろそろ、期末テストあるし」
「……ありがと」
「私、魔女ってあだ名より聖女ってあだ名の方が似合うかも」
「写してもいい?すぐに返すから」
「うん、いいよ」
「ありがと、魔女」
「あ?」
「いえ、聖女様」
「よろしい」
 絶対、わざとだ。
 中野と一緒に居たせいで、彼の性格が移ったか?
「魔女、このことは内密にしてもらうからね」
「先生まで⁉」
「色々、事情がある。君には悪いけどあまりこういう馬鹿げたことはしないでもらいたい。……ま、でもテストが近いなら、勉強を見てあげたりしないといけないかもだけどね」
「……僕は別に」
「私で良かったら見るよ?」
「いらない」
「魔女になって呪おうか?」
「いらない」
「じゃあ、呪う、呪って殺す」
「……わかった。聖女様に教えてもらうから。呪いはやめて」
 殺すことに対しても言及しろ、バーカ!
「よしよし、じゃ、頑張ろうね」
「……はい、聖女様」
 こうして、私と彼の距離は勉強という面を用いてまた近づいたのでした。
 そして、彼はテストで私に勝ち、あまりにも点数の差が開いてしまい教えなければよかったと後悔した。
 性格悪い自分にも後悔の念が押し寄せる。
 そもそも、彼にあまり勉強教えてないかも。
 彼に教えてもらっていたような気がする。
 それに、その点数をひけらかすわけでもなく謙虚な姿勢を見せられて余計ムカついた。
「おらおら、誰のおかげで点数とれたと思っておるんだ。ああ?」
「はい、あなた様のおかげです」
「そうだそうだ。私に感謝したまえよ」
 それはテスト返却が終わった放課後の保健室での出来事。
「あなた様のお力添えあってのことです。感謝申し上げます」
「良かろう。いや、ヨクナイ。オカシイ。だって、なんで学年順位一桁なの。私、百六十二位なのに……」
「……」
「許せない、憎い、殺す」
「……魔女化してる」
「どこぞのアニメじゃないから。それにそのアニメ小学校低学年の時にやってたやつだよね?」
「そうだね」
「君が叶えたい望みを言え――」
「その辺にしてくれ。魔女は、部活どうした?そろそろ始まるころじゃないか?」
 二週間以上一緒に居たおかげなのか、こんな風に保健室の先生も軽口を言ってくる。
 いや、魔女って……。
「まだ、時間あるんで」
「ないだろ。見ろ、時計」
「……⁉」
 やば、もう時間がない。
「だ、大丈夫ですよ。それより、深山くん、叶えたい望みとかないの?折角、テストの点数も良かったんだし、私で良ければ何か叶えるよ、叶えられる範囲で」
「いや、そもそもそんな対決してないし」
「じゃあ、私から一つ提案!」
「それ、自分が叶えたいことがあっただけじゃ?」
「良いの良いの。そういうことは気にしない」
「……」
「私と『コネクト』に行こうよ」
「もはや、隠す気ゼロだよな」
「違うよ。前に言ったおいしい店。今は、店長一人でやってるんだよね。前は、二人でやってたけど」
「もう一人どこ行ったんだよ」
「なんか、常連の女性と仲いいとか聞いたよ。私、その店長と仲良くて。その人男性なんだけど、キャバ嬢がどうとか」
「キャバ……」
「私という女子がいておきながら興味あるんだ」
「ないよ。魔女。彼女でも何でもないじゃない」
「お?そうだけど、お?そんなものに興味を持つのか?おお?」
「なんでもないです」
「よろしい。じゃあ、行こうよ!そこの店の名が『コネクト』なんだよね」
「……やっぱ」
「はいはい、そういうのはいいの。気にしない気にしない」
「世代がバレるぞ?」
「どっちかって言うと私の世代だけど?」
 と、保健室の先生が言った。
「目を閉じて確かめてみるよ」
「寄せにいってる⁉」
「いいから、早く部活行ってきなよ」
「……」
「何?」
「いや、別にぃ。気にしないで。じゃ、行くよ」
 だけど、その約束は果たされなかった。
 彼も彼でバイトをやっているせいで時間が取れないそうだ。
 だから、どうしようかと考えたとき、思いついた。
 この地域で行われる大きなイベントがある。
 花火大会が行われるので、その日に誘ってみればいいのでは、と。
 彼はその提案に乗っかってくれた。
 予定も開けてくれたみたいで、バイトは入れなかったらしい。
 もしかして、これ脈ありでは?
 部活は大会が近いために夜遅くまでやっているけれど、問題はなかった。
 もしかしたら、夏休み中だって彼が会ってくれるかもしれないのだから。
 中野が、深山くんを誘ってくれるかもしれないから。
 良いものを作ろう。
 そして、夏休みが始まり、彼はバイトを、私は部活を励んだ。
 彼は夏の地域の大会に来てくれた。
 感想こそはろくに教えてくれなかったけれど、良かったの一言はとても心が救われた。
 演じたわけじゃないし、ただの裏方だけれど嬉しいものがそこにはある。
 彼は、折角なら舞台に出てみればいいのにと、バカなことを言ってきた。
 それを真面目な顔で言うのだから驚いたけれど、その言葉にときめいてしまった私は もっとバカなのだろう。
 九月になるから良かったら来てよと伝えた。
 その時は、絶対舞台に出てねなんて中野と二人していじってくるものだから少しムカッとしたし、だけど考えてみようかなとも思った。
 そして、花火祭り。
 今年は、去年など色々あって中止になったこともあって人気があった。
 今年こそは青春しようという気持ちもなくはなかったのだろう。
 色々あった年が三年以上続いたのだから。
 SNSでも話題になったし、この地域では一定の人気があったために人は多い。
 なのに、私は失態を犯した。
 浴衣を着れなかったのである。
 一人では着方も分からず、親を頼った。
 親は浴衣の着方を知っていて、助けてもらえた。
 彼には少し遅れると言っておいた。
 彼の家から祭りの場所までそんな距離はない。
 バスを使えば、二十分も必要ないだろう。
 母親に、きつく締められた浴衣でお腹いっぱいに屋台の食べ物を食べられないかもしれないと思うと今にも苦しくなった。
 父親は、彼氏ができたのかと泣いていたけれど、気にしない。うるさいだけだ。
 父親らしからぬ付き合わないでくれという発言には怒りで炎が出そうだった。
 そして、彼を待つためにバスを降りる。
 彼の家の近くまでバスが来てくれるので安心した。
 助かったというべきか。
 基本繋がらない電話をかける。
 やはり、繋がらない。
 『コネクト』でよく見る車がある。ナンバーまでは把握してないからそれと同じかわからないけど。
 確か、彼の部屋は五階。
 マンション住みでシングル家庭。そう聞いて、あまり裕福じゃないのだと想像したけれど、正しかったみたい。
 裕福じゃなければ、バイトもしないといけなくなるよねと、なぜだか今ある自分の生活に感謝してしまった。
 いけない。今すぐいかないと遅れてしまう。
 彼の住む五階に電気はついていないか確認しようと入る場所から裏側へと向かった。
 どうやら、彼の部屋である右から二番目は電気がついている。
 ……右から二番目?どこかで聞いたことあるタイトル。ま、いいか。
「急がなきゃ」
 せっかく着物を着たのだから、見せてやりたい。
 痩せた私に似合っているのか、さあ、教えてくれたまえ!
 刹那、車からドーンッという音が聞こえた。
 痛く鈍い音で、音のした方向へと目をむけた。
 だけど、そこには血を流す彼の姿があった。
 深山くんが『コネクト』で見た車の上で血を流す姿が……。
 私は、その時思考が止まり、気が付けば、膝から崩れ落ちてコンクリートの上で座り込んでいたのだ。

 +++

 これが、私の見てきたこと。
 彼が自殺行為を行うまでの流れだ。
「いじめの存在はその時まで知らなかった?」
「はい」
「知っていたらなんて、考えたりした?」
「そうですね。もしかしたら、もっと何かできたんじゃないかって。彼が保健室登校になった理由はいじめが原因です。先生たちが対応してくれたのはわかります。ただ、もしそうなら、なんであんなことしてしまったんだろうって……」
「君にいうのは、酷だけどね。いじめを受けていた生徒は二学期の始まる九月に自殺を図る子は少なくないよ。むしろ、私達のいる課ではそういう話、よく聞くんだ」
「……」
「君が彼を想っているから、ああいう対応ができた。でもね、もし君がいなかったらもっと悲惨なことになっていたかもしれないこともまた事実。君は、間違ってないよ」
「だったら、教えてください。彼は、大丈夫なんですか?」
 あれから、彼がどうなったのかはわからない。
 どこの病室にいるのか。容体はいいのか。何一つ、情報はないのだから。
「……大丈夫だとははっきり言えない」
「意識は?」
「言えないよ。守秘義務があるからね」
「……彼も、同じようによく隠してた。言いたいことを全部言ってくれるタイプの人じゃない。何かを隠してる。だけど、その何かもいまだにわからない。彼の見る景色に私って邪魔なのかなってよく思うんです」
「……」
 警察の二人が一度外に出た。
 そして、戻ってくるとこういった。
「事情聴取はまだ終わってないけどね、こちらの女性が病室に案内してくれるそうだ。なんでも、彼の親があってあげて欲しいそうだ」
 名は、石見と言うらしい。
「え?」
「また聞くことになるかもしれないけど、それでいいかい?」
 女性警官についていくと、病室に行くため警察車両に乗った。
 彼の容体は、いまだ回復してないことだけを私は知らされた。