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「あはははははは」
「……笑いすぎですよ、先輩」
翌日、時刻は十九時半。場所は、瑞葉先輩の最寄り駅だという小さな駅前のロータリー。
町にはまだ、雑踏が溢れていた。改札を出てすぐにあるドラッグストアや、書店には、多くの人が出入りしている。
僕はゴーストを出して、水葉世界に来ていた。
駅の横に立っていた先輩に声をかけ、ひとまず昨夜のうちの顛末を話しておいた。
「何とか、主に電話だけで連絡を取りあっているということで、母には納得してもらいました」
「確かに、生身同士だったらちょっと問題だもんねえ」
「同士じゃなくても、先輩の方が実態で夜歩きしてたら充分問題ですよ。時間を早めたのは、ちょうどよかったです」
水葉先輩は、チョコレート色ののシャツと深い赤色のトップスを来ていた。スカートは明るいブラウンで、いかにも秋らしい。
スタイルがいいと言うよりは全体的に痩せているせいか、先輩は、暖色系の服の方が健康的に見えて、似合っている。
「何? この人、いつも同じ服着てるなあって思ってる? 確かに、そう何着もは持っていないけど」
「いえ、全然。……同じだったんですか?」
「中のシャツはね。もう少し増やしたいけど、服って高いのよ……。こんなに連日、人と出かけることになるとは想像してなかったし」
「僕は服については全然詳しくないので、何とも思いませんよ」
「じゃあ今度、五月女世界で服買いに行こうよ。遅くまでやってるお店を探して」
「どうしてそんな話になるんですか……」
僕たちは、病院へ向かって歩き出した。
「いつもの市立病院って、大きいだけあって、全然患者さんが減らないよね。こんなに私たちが尽くしてるのにね」
確かに、それはある。なかなか直接確かめることはできないけれど、例えば水葉世界で僕が怪我を治した患者は、五月女世界でもよくなっているか、少なくとも快方には向かうはずだ。
それなのにあまり、患者が減っているようには見えない。
「ま、でも、あんまり調子に乗って治してると、病院の経営が傾いちゃうだろうから、それはそれでいいんだろうけど。こういうのも、私たちの並行世界が平衡したがるのと同じで、何かの力が働いてるのかな」
病院の巨大な立ち姿が、道の向こうに見えてきた。傍らにある大きめの公園を通り過ぎれば、もうすぐそこだ。
公園の中には林を模した小道や人口の小川などがあり、夏であれば親子連れで日暮れまで混んでいる。
今日は曇り模様なこともあって、人影はまばらだった。気の早い枯葉がはらはらと舞い、かすかに樹木の匂いが漂ってくる。
「あれ、先輩?」
ふと見ると、水葉先輩が、たった今通り過ぎたばかりの公園の入口で立ち止まっていた。
「五月女くん、今日はさ、病院はお休みにして、少し話さない?」
病院の方は、急ぐ用事があるわけではなし、構わなかった。それくらいは、先輩と価値観の共有はできているはずだ。
何か、大切な話があるんだな。僕はそう察して、ゴーストを公園の入口へ戻す。
「どうしたんです?」
「うん。聞いておきたかったことがあって……今日、聞いてしまおうと」
僕は、先輩の畏まった様子に、何を聞かれるのか、おおよその予想がついた。
僕たちはベンチに向かって歩き出した。
芝生の上でサッカーをしていた人たちや、適当に散策していたらしい老夫婦の姿が徐々に消え、公園の中には僕と先輩だけになる。
先輩は、黄色く塗られているせいで、街灯にひときわ明るく照らされているベンチに腰かけた。
幸い、風はないが。
「どこか、建物の中に行きませんか。病院でなくても、お店とか。寒いでしょう」
「平気」
きっぱりと言われて、僕は先輩の右隣に座る。
「五月女くん、これを聞くのは、君に対して申し訳ないと思うんだけど」
「ええ」
やっぱり。
「五月女くんは、どうして登校拒否になったの?」
どうしてそんなことが聞きたいんですか、と問い返したい気持ちはあった。
でも、それは時間の無駄だ。
先輩なりの理由があって、覚悟を決めて、彼女はこの質問をしている。その程度のことは理解できている。
「もちろん、微に入り細に入り聞きたいわけじゃないよ。ただ、私は、できるなら、知りもしない病院の人たちだけじゃなくて、君にも楽になって欲しい。……それが聞けるくらいには、私たちは仲良くなったんじゃないかと思って。勝手に、だけど」
「……仲がいい? ですか?」
「ごめんね、思い上がりかな」
「いえ。僕の方から、そうした見解を持つことは控えていたので」
「変な口調……」
「思いがけないことを言ってもらえたものですから」
「そういえば、電話番号って何番?」
「電話? 携帯のですか?」
僕は、忘れかけていた自分の番号を先輩に告げた。
「ありがとう。私のはね、」
「いや、メモもできないし、覚えられないですよ」
「そっか。それに、片方がゴーストじゃ、電話で連絡は取れないね……。では、話を戻すけども」
はい、と僕はうなずく。
「私、人との距離感があまり上手く作れる方じゃないんだよ。だから、思ったことは正直に言う……ようにしてる、最近は。空気とかは、読んでもしょうがないことの方が……多い気がして。無神経にみえるだろうけど……」
気まずくなったのか、先輩は下を向いた。
それを見ていたら、僕の口が、胸の中の棘が込み上げてこぼれ落ちるように、自然に開いた。
「……高校に入って、最初の中間試験が、五月の末にあったんですが」
うつむいていた水葉先輩が、はっと顔を上げた。
「あはははははは」
「……笑いすぎですよ、先輩」
翌日、時刻は十九時半。場所は、瑞葉先輩の最寄り駅だという小さな駅前のロータリー。
町にはまだ、雑踏が溢れていた。改札を出てすぐにあるドラッグストアや、書店には、多くの人が出入りしている。
僕はゴーストを出して、水葉世界に来ていた。
駅の横に立っていた先輩に声をかけ、ひとまず昨夜のうちの顛末を話しておいた。
「何とか、主に電話だけで連絡を取りあっているということで、母には納得してもらいました」
「確かに、生身同士だったらちょっと問題だもんねえ」
「同士じゃなくても、先輩の方が実態で夜歩きしてたら充分問題ですよ。時間を早めたのは、ちょうどよかったです」
水葉先輩は、チョコレート色ののシャツと深い赤色のトップスを来ていた。スカートは明るいブラウンで、いかにも秋らしい。
スタイルがいいと言うよりは全体的に痩せているせいか、先輩は、暖色系の服の方が健康的に見えて、似合っている。
「何? この人、いつも同じ服着てるなあって思ってる? 確かに、そう何着もは持っていないけど」
「いえ、全然。……同じだったんですか?」
「中のシャツはね。もう少し増やしたいけど、服って高いのよ……。こんなに連日、人と出かけることになるとは想像してなかったし」
「僕は服については全然詳しくないので、何とも思いませんよ」
「じゃあ今度、五月女世界で服買いに行こうよ。遅くまでやってるお店を探して」
「どうしてそんな話になるんですか……」
僕たちは、病院へ向かって歩き出した。
「いつもの市立病院って、大きいだけあって、全然患者さんが減らないよね。こんなに私たちが尽くしてるのにね」
確かに、それはある。なかなか直接確かめることはできないけれど、例えば水葉世界で僕が怪我を治した患者は、五月女世界でもよくなっているか、少なくとも快方には向かうはずだ。
それなのにあまり、患者が減っているようには見えない。
「ま、でも、あんまり調子に乗って治してると、病院の経営が傾いちゃうだろうから、それはそれでいいんだろうけど。こういうのも、私たちの並行世界が平衡したがるのと同じで、何かの力が働いてるのかな」
病院の巨大な立ち姿が、道の向こうに見えてきた。傍らにある大きめの公園を通り過ぎれば、もうすぐそこだ。
公園の中には林を模した小道や人口の小川などがあり、夏であれば親子連れで日暮れまで混んでいる。
今日は曇り模様なこともあって、人影はまばらだった。気の早い枯葉がはらはらと舞い、かすかに樹木の匂いが漂ってくる。
「あれ、先輩?」
ふと見ると、水葉先輩が、たった今通り過ぎたばかりの公園の入口で立ち止まっていた。
「五月女くん、今日はさ、病院はお休みにして、少し話さない?」
病院の方は、急ぐ用事があるわけではなし、構わなかった。それくらいは、先輩と価値観の共有はできているはずだ。
何か、大切な話があるんだな。僕はそう察して、ゴーストを公園の入口へ戻す。
「どうしたんです?」
「うん。聞いておきたかったことがあって……今日、聞いてしまおうと」
僕は、先輩の畏まった様子に、何を聞かれるのか、おおよその予想がついた。
僕たちはベンチに向かって歩き出した。
芝生の上でサッカーをしていた人たちや、適当に散策していたらしい老夫婦の姿が徐々に消え、公園の中には僕と先輩だけになる。
先輩は、黄色く塗られているせいで、街灯にひときわ明るく照らされているベンチに腰かけた。
幸い、風はないが。
「どこか、建物の中に行きませんか。病院でなくても、お店とか。寒いでしょう」
「平気」
きっぱりと言われて、僕は先輩の右隣に座る。
「五月女くん、これを聞くのは、君に対して申し訳ないと思うんだけど」
「ええ」
やっぱり。
「五月女くんは、どうして登校拒否になったの?」
どうしてそんなことが聞きたいんですか、と問い返したい気持ちはあった。
でも、それは時間の無駄だ。
先輩なりの理由があって、覚悟を決めて、彼女はこの質問をしている。その程度のことは理解できている。
「もちろん、微に入り細に入り聞きたいわけじゃないよ。ただ、私は、できるなら、知りもしない病院の人たちだけじゃなくて、君にも楽になって欲しい。……それが聞けるくらいには、私たちは仲良くなったんじゃないかと思って。勝手に、だけど」
「……仲がいい? ですか?」
「ごめんね、思い上がりかな」
「いえ。僕の方から、そうした見解を持つことは控えていたので」
「変な口調……」
「思いがけないことを言ってもらえたものですから」
「そういえば、電話番号って何番?」
「電話? 携帯のですか?」
僕は、忘れかけていた自分の番号を先輩に告げた。
「ありがとう。私のはね、」
「いや、メモもできないし、覚えられないですよ」
「そっか。それに、片方がゴーストじゃ、電話で連絡は取れないね……。では、話を戻すけども」
はい、と僕はうなずく。
「私、人との距離感があまり上手く作れる方じゃないんだよ。だから、思ったことは正直に言う……ようにしてる、最近は。空気とかは、読んでもしょうがないことの方が……多い気がして。無神経にみえるだろうけど……」
気まずくなったのか、先輩は下を向いた。
それを見ていたら、僕の口が、胸の中の棘が込み上げてこぼれ落ちるように、自然に開いた。
「……高校に入って、最初の中間試験が、五月の末にあったんですが」
うつむいていた水葉先輩が、はっと顔を上げた。