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気がつくと、朝だった。
以前はいつも鬱々としながら迎えていた朝。
それが、今日は心も体も軽い。
それが誰のお陰なのか、これから一生、僕は忘れることはないだろう。
台所にいた母さんに、学校に行くと伝えた。
そう、と答えながら母さんが向けた背中は、小さく震えているように見えた。
「あ、お兄ちゃん、おはよう」
咲千花とは、暗黙の了解で、お互いに登校のことには特に触れない。当たり前のように朝食をとり、当たり前のように家を出た。
僕の方は、僕を迫害した人たちのことが、片付いたわけではない。
でも、今日からはどんなことが起きても、渡り合えるような気がした。
正面から取っ組み合わなくてもいい。世の中には、とても常識では説明できないようなことだって起きる。なら、きっと何とか、理不尽とも渡り合いようがあるだろう。少なくともそう信じていれば、破滅は自分の前から遠ざけられる。
冬の街路樹はもう葉を落としていたけれど、クリスマス用のイルミネーションが巻きつけられていた。
水葉世界でも同じだろうか。先輩も、同じ光景を見ているだろうか。
バスに乗り、車窓の外を通り過ぎていく市立病院を見る。
ゴーストが出せなくなれば、もう誰も治せない。胸の中に、本来不要なのだろう、けれど罪悪感が湧いた。
僕の世界のこの病院で、水葉先輩はどれだけの人々を癒してきたのだろう。先輩がゴーストを失えばそれももうできなくなるけれど、それはいつのことだろう。今日からでもいい、とにかく早い方が。今入院している人たちには悪いけれど、そう思う。
そうしたら、先輩も僕と同じような罪悪感を抱くのだろうか。もしかしたら、薄情者の僕なんかよりも深く胸を痛めるかもしれない。
でも、そんな辛さも、水葉先輩と共有するのだと思うと、妙に愛おしく感じた。
バスが止まり、僕は校門をくぐり、昇降口で上履きに履き替える。平成を装っていても、鼓動は早さを増した。
自分の教室には、すぐに着いた。
引き戸になっているドアを開ける。
既に半分ほど席が埋まっているクラスの中から、一斉に注がれる視線。
教室の隅の席には、僕を追い詰めた一団が陣取っている。かつて彼らと教師から感じた気味の悪さ。少なくとも今は、それ自体は脅威には感じない。もっとずっと僕の人生において価値のあるものに触れたからだ。
覚悟を決めて、僕は歩みだし、自分の席に着いた。
問題の一団からは、近くも遠くもない、教室のやや中央よりの位置。
その時、ちらりと合った彼らの目が、不自然な色を帯びているのに気づいた。小さく、ひえ、という声も聞こえた。
改めて顔をそちらへ向けると、彼らはからかいや侮蔑ではなく、どこか恐怖を浮かべた表情で僕を見ている。
やがて、担任の教師がやって来た。先生もまた、僕がいるのに気づくと、ひっという声を漏らした。
確信した。先輩だ。
咲千花の時と同じだ。
けれどいつの間に?
昨夜だろうか?
ほどなく、ホームルームが始まる。
僕は自分のために用意された自分の席に座りながら、学校の一日の始まりを見ていた。
ふと、僕の次に迫害の対象になった男子と目が合った。彼は小さく僕に頭を下げ、目を伏せた。
僕はそんな彼にも見えるように、けれどできるだけ下品にならないように小さく、右手の親指を立てて見せた。
気がつくと、朝だった。
以前はいつも鬱々としながら迎えていた朝。
それが、今日は心も体も軽い。
それが誰のお陰なのか、これから一生、僕は忘れることはないだろう。
台所にいた母さんに、学校に行くと伝えた。
そう、と答えながら母さんが向けた背中は、小さく震えているように見えた。
「あ、お兄ちゃん、おはよう」
咲千花とは、暗黙の了解で、お互いに登校のことには特に触れない。当たり前のように朝食をとり、当たり前のように家を出た。
僕の方は、僕を迫害した人たちのことが、片付いたわけではない。
でも、今日からはどんなことが起きても、渡り合えるような気がした。
正面から取っ組み合わなくてもいい。世の中には、とても常識では説明できないようなことだって起きる。なら、きっと何とか、理不尽とも渡り合いようがあるだろう。少なくともそう信じていれば、破滅は自分の前から遠ざけられる。
冬の街路樹はもう葉を落としていたけれど、クリスマス用のイルミネーションが巻きつけられていた。
水葉世界でも同じだろうか。先輩も、同じ光景を見ているだろうか。
バスに乗り、車窓の外を通り過ぎていく市立病院を見る。
ゴーストが出せなくなれば、もう誰も治せない。胸の中に、本来不要なのだろう、けれど罪悪感が湧いた。
僕の世界のこの病院で、水葉先輩はどれだけの人々を癒してきたのだろう。先輩がゴーストを失えばそれももうできなくなるけれど、それはいつのことだろう。今日からでもいい、とにかく早い方が。今入院している人たちには悪いけれど、そう思う。
そうしたら、先輩も僕と同じような罪悪感を抱くのだろうか。もしかしたら、薄情者の僕なんかよりも深く胸を痛めるかもしれない。
でも、そんな辛さも、水葉先輩と共有するのだと思うと、妙に愛おしく感じた。
バスが止まり、僕は校門をくぐり、昇降口で上履きに履き替える。平成を装っていても、鼓動は早さを増した。
自分の教室には、すぐに着いた。
引き戸になっているドアを開ける。
既に半分ほど席が埋まっているクラスの中から、一斉に注がれる視線。
教室の隅の席には、僕を追い詰めた一団が陣取っている。かつて彼らと教師から感じた気味の悪さ。少なくとも今は、それ自体は脅威には感じない。もっとずっと僕の人生において価値のあるものに触れたからだ。
覚悟を決めて、僕は歩みだし、自分の席に着いた。
問題の一団からは、近くも遠くもない、教室のやや中央よりの位置。
その時、ちらりと合った彼らの目が、不自然な色を帯びているのに気づいた。小さく、ひえ、という声も聞こえた。
改めて顔をそちらへ向けると、彼らはからかいや侮蔑ではなく、どこか恐怖を浮かべた表情で僕を見ている。
やがて、担任の教師がやって来た。先生もまた、僕がいるのに気づくと、ひっという声を漏らした。
確信した。先輩だ。
咲千花の時と同じだ。
けれどいつの間に?
昨夜だろうか?
ほどなく、ホームルームが始まる。
僕は自分のために用意された自分の席に座りながら、学校の一日の始まりを見ていた。
ふと、僕の次に迫害の対象になった男子と目が合った。彼は小さく僕に頭を下げ、目を伏せた。
僕はそんな彼にも見えるように、けれどできるだけ下品にならないように小さく、右手の親指を立てて見せた。