僕は家に戻ると、自分の部屋で、まんじりともせず日暮れを待った。

 夕方になると、咲千花が帰ってきた。

「お帰り」

 玄関で出迎えると、咲千花は「ただいま」と言って、靴を脱ぎながら「どうってことなかったよ」とはにかんだ。

「そうか」

「あのね……本当に何も嫌なことが起きなかったの。拍子抜けしちゃったくらい。あたしが不登校になったのは、何て言うか、担任の先生と、そのファンの女子とのちょっとした関係なんだけど」

「……うん?」

「その先生結構女子から人気があって、あたしが変に贔屓されてるって思われたのがきっかけで、色んな嫌がらせとかを女子からされるようになって……」

 僕は軽く相槌を打ちながら、手のひらに汗をかく。何気なく語られようとしているのは、咲千花を登校拒否に追い込んだ事件だろうから。

 しかし。

「まだ尾を引いてるんじゃないかなって覚悟してたんだけど、あたしに悪いことしてきたグループのリーダー格の子が、今日は全然あたしと目を合わせようとしないの。何か、怯えているみたいに」

 咲千花はしゃべりながらキッチンへ向かった。後ろから追い抜いて、冷たい緑茶を冷蔵庫から出し、グラスに注いでやる。

「怯えている?」

 咲千花は両手でグラスを受け取り、うん、とうなずいた。

「変なのって思って、他のクラスメイトに、何か知らないか聞いてみたの。そしたら、そのリーダーの子の家に、昨夜幽霊が出たんだって」

 幽霊。

 僕は、何となく、その正体を察した。間違ってはいないだろう。

「その幽霊がね、姿は見えないんだけど、部屋の中のノートにひとりでにシャーペンを走らせて、『五月女咲千花に手を出すな。さもなくば呪い殺す』って書いたんだってさ。変なの。あたしの友達か、って感じ」

 いや、違う。お前の兄の友達だ。

「しかもそれ書いた後、またひとりでに消しゴムが動いて消したんだって。だから証拠はないんだけど、当人は本当だって言い張ってるみたい。この話を教えてくれた子は、リーダーはあたしに対して罪悪感があるけど、謝ったり反省したりするのは決まりが悪いから、幽霊のせいになんてしてるんじゃないかって言ってた。そんなところかもね」

 いや、きっとそのリーダーとやらは、本当のことを言っている。

 かなり怖い目には遭ったと思うが、咲千花の苦しみと比べれば大したことじゃないだろう。かわいそうだけれど、そのままにしておこう。

 台所の窓から、外を見る。

 今まさに、日が沈むところだった。

「咲千花。よく学校に行ってきたな。偉いぞ」

「普通だよ、普通」

「やって普通のことが本当にできるっていうのは、実は凄いことだぞ。……それでな。僕は、僕の立場なら普通やるべきことを、これからやらなくちゃならないんだ。夕飯は、一人で済ませてくれないか」

「それはいいけど、どこか出かけるの?」

「いや、部屋に篭もる」

「いつもと変わらないじゃない」

 僕は苦笑した。

「そうだな、変わらない。変えさせる訳には――いかない」