ベッドから跳ね起きて、窓の外を見る。空は、冬らしい透き通る青に晴れていた。

 夜は明けたばかりだ。ゴーストは出せない。水葉世界へは行けない。

 待つしかないのか。けれど、それが一番耐え難い。

 水葉先輩は元々、詩杏さんの心を治して、自分の傷に代えていた。そこに、僕と咲千花の治療によるフィードバックが加わったとしたら、今はどんな状態なのだろう。

 最悪の展開が頭をよぎる。

 水葉先輩には、自殺未遂の経験がある。その上、同じことをした僕の心の傷も吸い取ってしまった。これで、ただで済むのか?

 どちらも、他人の自殺衝動だというのに。水葉先輩が、自分から死のうとしたことなんてないはずなのに。

 先輩の声が、脳裏に響く。

 ――五月女くんが死なない理由を守りたい――

「あなたって人は……」

 背骨の中心を、高熱の感情が坂上った。喉を締められているような音を立てて息を吸う。

「自分と他人と、どっちが大切なんです!」

 病室にいる間、どの程度、病院からのケアは行われるのだろう。自らのナースコールや、検査のために呼ばれたりしない限り、食事時に様子が見られる程度なのだろうか。

 一人の時間を増やしてはいけない。

 僕は外行きに着替えると、家を出た。

 市立病院に着くまでの時間が、いつもの倍ほどに感じられた。

 昨夜の水葉先輩の病室へ向かう。病院の間取りはそれぞれの世界で多少違っても、似たような場所にこっちの「水葉由良」はいるはずだ。

 目当ての部屋は、すぐに見つかった。長期入院用の病棟の、五階の端。

 水葉由良、という病室のドアの名札を確認して、僕は中に入った。

 そこは、水葉世界のそれよりはやや狭い個室だった。ベッドに身を鎮めているのは、どことなく似ているけれど、あちらの水葉先輩より少し気弱そうな顔をした、黒いセミロングの女子高生だ。

「……どなたですか?」

 少し身を引きながら、「水葉由良」が言う。その首筋や、袖から覗く手首は、随分ほっそりしていた。目元にはくまができている。

「僕は……」

 なんと答えようかと迷い、結局、

「五月女奏といいます。高校の後輩です」

「……はあ」

「体の加減が、優れないようですね」

「どうも……?」

「家族の方は、今日はお見舞いには?」

「あの、何のご用なんですか? 初めましてですよね?」

 あなたが自殺しないかどうか見張りに来ました、とは言えない。

 手遅れになってはいけないとひとまず飛び込んだが、今のところ無事である以上、ここでできることはなかった。あくまで他人の僕には、ここに居座ることもできない。

「水葉先輩。実は僕は、不審者なんです」

「ちょっと……」

 先輩の手が、ナースコールを探って動く。

「あなたには一切危害を加えません。でも、不審ですよね? だから人を呼んだ方がいい」

 こっちの「水葉由良」の指がナースコールのボタンを押し込むのを確認して、僕は病室を出た。これで、彼女を見守る人目は増えるだろう。

 そしてもう、この僕に打てる手は尽きてしまった。

 日が落ちるまでは、決して会えない。電話もかけられないし、それ以前に「この世」に存在していない。

 この地上の、誰よりも遠く隔たったところにいる。僕は、水葉先輩と当たり前のように会うことができた日々が、いかに奇跡的なものだったのか、改めて味わわされていた。

 僕の、水葉世界での自己満足に過ぎない治療を、先輩は見てくれた。認めてくれた。大事故に巻き込まれた母さんを治してくれた。僕の傷も治してくれた。そして、僕と咲千花が負った、癒えようとしない傷を身代わりになって引き受けた。

 そんな人を、今こそ僕が助けなくてはならないのに、その手段がない。