建物の北側になる荒れた土の上で、幹臣は、既に到着して由良を待っていた。
「お待たせ。早いじゃん。で、どうしたの? こんなとこで」
「まあ、あんまり、人目につくとこでする話でもねえから」
「じゃあ何で学校で」
「いや、何だかんだ、学校ってホームグラウンドって感じするだろ」
「そうかなあ……。で、何?」
微笑みながら促した由良に、幹臣は、交際しようと告げた。
由良は、足元の地面が揺れたように感じた。
「……え?」
「えってことないだろ」
「……本気?」
「本気に決まってんだろ? ……俺たち、結構長く一緒にいて、いいところもお互いに分かってるし。……そんなに突然だったか?」
「いや、だって……」
「だって何だよ」
幹臣は、すねたように口を尖らせる。
「だって、詩杏が……」
「詩杏? そりゃ詩杏は大事な友達だけどよ、今の話とは関係ないだろ。俺たちが付き合って、詩杏に悪いわけじゃないだろ?」
由良は、何と答えればいいのか分からなかった。考えがまとまらないまま、頭で思いついた言葉がそのまま口から出ていく。
「私は、……ミキとは、詩杏がお似合いだって……ずっと思ってて、……」
「そりゃどうも……そうなのか? いや確かに詩杏は顔も性格もかわいいし、俺だって仲いいつもりだよ。でもそれとこれとは、今は……って、そんなに面食らった顔されるの、ちょっとショックだなあ……まるで由良に意識されてないんだな、俺」
由良は目眩がした。この男は、今までに幾人かの恋人を持っておきながら、すぐ近くから自分に向けられる好意には、まるで鈍感だというのか。
「詩杏のことは別にしても……ミキ、中学から今まで私なんて眼中になかったじゃない」
「い、いや、そこまでじゃないけどな。今まで俺は何人か彼女いたことあったし、それは由良も知ってるよな。だから今更に見えるのは仕方ないって分かってるよ。でも、お前は今までの……他の女とは違う」
「前の彼女の時も、似たようなこと、言ってた……」
「確かに。でも今はもう違う。由良だけをずっと大事にする」
由良の頭の中が、どうしよう、で埋め尽くされた。どうしたらいいのだろう。
かろうじて、返事は考えさせて欲しいとだけ答えて、由良はその場を後にした。
旧校舎の周囲は、置き場所に困った道具や古い廃材も適当に積まれており、死角が多い。
そのために、由良も幹臣も気づかなかった。
ずっと仲のよかった三人組のうち、二人が揃って放課後に姿を消し、普段立ち寄りもしない場所に向かっていけば、それを見たもう一人が、後をつけないわけがない。
香田詩杏は、一部始終を物陰で聞いた。
由良が、詩杏が幹臣に向ける気持ちに気づいていることは、詩杏もまた気づいてた。
それなのに、すぐに否定の言葉を口にしなかった由良。
どうして。
しかも、わざわざ詩杏の名前を出して、そのせいで幹臣の口から、はっきりと脈のなさを告げられた。
これから、自分はどうなるのだろう。
たった二人しかいない友人との関係性が、今まさに変わろうとしている。
二人が付き合いだした場合、自分は、いよいよ孤独の中に突き落とされることになると思った。表面上は今まで通りに三人で会ったとしても、それはもう、二人と一人でしかない。
自分だけは不要物なのだという感覚に、耐えられる気がしない。
かと言って、由良が幹臣との交際を拒絶した場合も、元通りというわけにはいかない。特に、幹臣の態度はこれまでとは変わるだろう。
それを由良に気遣われることも、詩杏にとって耐え難い苦痛になることは、想像に難くない。
上下関係にも似た立ち位置の変化に、自分が適応できる気がしなかった。
たとえそれが、詩杏だけの夢想に過ぎなくても、だからこそ詩杏だけは救われない。
詩杏は帰宅すると、由良が家に着いた頃を見計らって電話をかけた。
努めて明るい声を出す由良に、詩杏は、今日の放課後姿が見えなかったが何かあったのか、と聞く。
まだ混乱の中にあった由良は、「何でもなかった」とはぐらかした。
これを、詩杏は、隠匿と裏切りだと捉えた。後ろめたいから本当のことが言えないのだ――と、人が追い詰められた時ならではの思考力の低下によって、そう思い込んだ。
自分。幹臣。由良。
詩杏の世界を構成する三つの要素のうち、二つが、詩杏を置き去りにして去ろうとしている。
一度は脱却し、もう二度と囚われることはないのだと漠然と信じていた孤独の牢獄が、ぱっくりと口を開けているのが、脳の奥に見えた。
その夜、香田詩杏は、自宅近くの道路に飛び出してはねられ、市立病院に担ぎ込まれた。
駆けつけた母親と、次に来た幹臣が、ぽつぽつと愚挙の理由を語る詩杏から事情を聞いたのは、翌日だった。
由良は、病室に入ることを、詩杏によって拒否された。
詩杏の怪我は幸い軽く、一学期の期末テストには参加できた。
そして終業式の日、由良は再び幹臣に呼び出された。今度は旧校舎ではなく、たまたま開いていた美術室に。
――俺は、今の詩杏を放っておけない。
ごめん、由良――
――うん。
私もそれがいいと思うよ、ミキ――
高校は夏休みに入り、二学期が始まると、詩杏は幹臣と共に登校するようになった。
この頃には単に大人しいのではなく、それまでにない落ち着きを見せるようになった詩杏に、家族を含めた周囲の人々は安堵した。
それと引き換えにするように、水葉由良が学校に来なくなったことは、多くの人々に、当初大した問題ではないように思われた。
由良は社交的で校内でも敵が少なく、詩杏のように参ってしまう性格には見られていなかった。
体調不良だと言えばその通りに信じられ、やがて欠席が長引いて担任が事情を聞きに来ても、この時の由良には実際に健康に問題があったので、それを確認して――出席日数充足についての不安は告げられたが――帰るだけだった。
「お待たせ。早いじゃん。で、どうしたの? こんなとこで」
「まあ、あんまり、人目につくとこでする話でもねえから」
「じゃあ何で学校で」
「いや、何だかんだ、学校ってホームグラウンドって感じするだろ」
「そうかなあ……。で、何?」
微笑みながら促した由良に、幹臣は、交際しようと告げた。
由良は、足元の地面が揺れたように感じた。
「……え?」
「えってことないだろ」
「……本気?」
「本気に決まってんだろ? ……俺たち、結構長く一緒にいて、いいところもお互いに分かってるし。……そんなに突然だったか?」
「いや、だって……」
「だって何だよ」
幹臣は、すねたように口を尖らせる。
「だって、詩杏が……」
「詩杏? そりゃ詩杏は大事な友達だけどよ、今の話とは関係ないだろ。俺たちが付き合って、詩杏に悪いわけじゃないだろ?」
由良は、何と答えればいいのか分からなかった。考えがまとまらないまま、頭で思いついた言葉がそのまま口から出ていく。
「私は、……ミキとは、詩杏がお似合いだって……ずっと思ってて、……」
「そりゃどうも……そうなのか? いや確かに詩杏は顔も性格もかわいいし、俺だって仲いいつもりだよ。でもそれとこれとは、今は……って、そんなに面食らった顔されるの、ちょっとショックだなあ……まるで由良に意識されてないんだな、俺」
由良は目眩がした。この男は、今までに幾人かの恋人を持っておきながら、すぐ近くから自分に向けられる好意には、まるで鈍感だというのか。
「詩杏のことは別にしても……ミキ、中学から今まで私なんて眼中になかったじゃない」
「い、いや、そこまでじゃないけどな。今まで俺は何人か彼女いたことあったし、それは由良も知ってるよな。だから今更に見えるのは仕方ないって分かってるよ。でも、お前は今までの……他の女とは違う」
「前の彼女の時も、似たようなこと、言ってた……」
「確かに。でも今はもう違う。由良だけをずっと大事にする」
由良の頭の中が、どうしよう、で埋め尽くされた。どうしたらいいのだろう。
かろうじて、返事は考えさせて欲しいとだけ答えて、由良はその場を後にした。
旧校舎の周囲は、置き場所に困った道具や古い廃材も適当に積まれており、死角が多い。
そのために、由良も幹臣も気づかなかった。
ずっと仲のよかった三人組のうち、二人が揃って放課後に姿を消し、普段立ち寄りもしない場所に向かっていけば、それを見たもう一人が、後をつけないわけがない。
香田詩杏は、一部始終を物陰で聞いた。
由良が、詩杏が幹臣に向ける気持ちに気づいていることは、詩杏もまた気づいてた。
それなのに、すぐに否定の言葉を口にしなかった由良。
どうして。
しかも、わざわざ詩杏の名前を出して、そのせいで幹臣の口から、はっきりと脈のなさを告げられた。
これから、自分はどうなるのだろう。
たった二人しかいない友人との関係性が、今まさに変わろうとしている。
二人が付き合いだした場合、自分は、いよいよ孤独の中に突き落とされることになると思った。表面上は今まで通りに三人で会ったとしても、それはもう、二人と一人でしかない。
自分だけは不要物なのだという感覚に、耐えられる気がしない。
かと言って、由良が幹臣との交際を拒絶した場合も、元通りというわけにはいかない。特に、幹臣の態度はこれまでとは変わるだろう。
それを由良に気遣われることも、詩杏にとって耐え難い苦痛になることは、想像に難くない。
上下関係にも似た立ち位置の変化に、自分が適応できる気がしなかった。
たとえそれが、詩杏だけの夢想に過ぎなくても、だからこそ詩杏だけは救われない。
詩杏は帰宅すると、由良が家に着いた頃を見計らって電話をかけた。
努めて明るい声を出す由良に、詩杏は、今日の放課後姿が見えなかったが何かあったのか、と聞く。
まだ混乱の中にあった由良は、「何でもなかった」とはぐらかした。
これを、詩杏は、隠匿と裏切りだと捉えた。後ろめたいから本当のことが言えないのだ――と、人が追い詰められた時ならではの思考力の低下によって、そう思い込んだ。
自分。幹臣。由良。
詩杏の世界を構成する三つの要素のうち、二つが、詩杏を置き去りにして去ろうとしている。
一度は脱却し、もう二度と囚われることはないのだと漠然と信じていた孤独の牢獄が、ぱっくりと口を開けているのが、脳の奥に見えた。
その夜、香田詩杏は、自宅近くの道路に飛び出してはねられ、市立病院に担ぎ込まれた。
駆けつけた母親と、次に来た幹臣が、ぽつぽつと愚挙の理由を語る詩杏から事情を聞いたのは、翌日だった。
由良は、病室に入ることを、詩杏によって拒否された。
詩杏の怪我は幸い軽く、一学期の期末テストには参加できた。
そして終業式の日、由良は再び幹臣に呼び出された。今度は旧校舎ではなく、たまたま開いていた美術室に。
――俺は、今の詩杏を放っておけない。
ごめん、由良――
――うん。
私もそれがいいと思うよ、ミキ――
高校は夏休みに入り、二学期が始まると、詩杏は幹臣と共に登校するようになった。
この頃には単に大人しいのではなく、それまでにない落ち着きを見せるようになった詩杏に、家族を含めた周囲の人々は安堵した。
それと引き換えにするように、水葉由良が学校に来なくなったことは、多くの人々に、当初大した問題ではないように思われた。
由良は社交的で校内でも敵が少なく、詩杏のように参ってしまう性格には見られていなかった。
体調不良だと言えばその通りに信じられ、やがて欠席が長引いて担任が事情を聞きに来ても、この時の由良には実際に健康に問題があったので、それを確認して――出席日数充足についての不安は告げられたが――帰るだけだった。