「そんな……あの木、首を吊れるような手頃な枝なんてないですよ……何かの間違いじゃ」
「幹に釘を何本か打ちつけて、そこにロープを引っ掛けたみたい。それでね、その人が……黄色い、女物のワンピースを着てたらしいの」
まさか、と頭をよぎっていた嫌な予感が当たり、目眩がした。
「私の世界で、昼間そんな話が流れてきて……こっちに来てみたら、やっぱり同じことが起きてるのね。この人って、私たちが昨夜会った、あの人かな」
「多分、そうだと思います……その場所、その特徴なら」
「もしそうなら……昨日のあの時には、もう死ぬつもりだったのかな。そんな感じ、私、全然……」
「僕だって分かりませんでしたよ、そんなこと。……仲良くなれそうには思えませんでしたけど、……沈みますね」
「うん。……五月女くん、変なこと聞くんだけど。五月女くんは、自殺しようとか思ってないよね」
え?
「いえ、思ってませんけど……今言ったように仲良くなれるタイプでもなさそうでしたから、そっち方向に引っ張られるようなことはありませんし」
「今までにも、死のうと思ったことはない?」
「少なくとも、真剣にそうしようと思ったことはありませんね」
「そっか。……うわ、こっちの私が携帯探し始めた! やばい、もう切るね。ねえ、三十分後に、病院のベンチに来れる?」
「行けます」
そこで電話は切れた。
出かけるための支度をしながら、先輩の話が、ぐるぐると頭に渦巻いていた。
死んだ。
あの人が。
ふてぶてしくて、マイペースで、そんな風には見えなかったのに。
どうして死のうと思ったのか……どうして、生きるのをやめようと思ったのか。
女の服を着たり、踊っていたことと関係あるのだろうか。
長袖のシャツのうちから、特に暖かそうなものを取り出して袖を通し、ハーフコートを羽織る。
人間て、こんな風に死ぬのか?
直前に、目の前にいた人間に、そんな気配を悟らせもせず?
さちかに声をかけ、家を出た。まだ母さんは帰っていない。
道は、仕事帰りの人や、放課後の学生で混んでいた。その中を進みながら、彼の姿を思い出す。
今にもかき消えそうな月の横で、くるくると誇らしげに踊っていた。
あの人がもういない。
町はすっかり暗くなった。
病院の外のベンチに、ゆらゆらと水葉先輩のゴーストがたたずんでいる。
人の通りはまだそれなりにあったけれど、マフラーで口元を隠せば、先輩と小声で会話しても特に不審には思われないだろう。
「先輩、お待たせしました」
「うん。ごめんね、急で」
「いえ、全然。どうせ家にいますし」
傍らに目をやると、例のドイツトウヒが夜空に屹立している。
「五月女くんさ、いいものあげようか」
「え……まさか、早乙女世界の水葉先輩の私物じゃないでしょうね」
「違うよ、この私から」
水葉先輩は、僕に手を出すように促した。
その手のひらに、ぽとりと、白い小さな棒が置かれた。
いや、白いというより、半透明にぼんやりと光っている。
これは……まさか。
「それは、私のゴーストの、左手の小指なのでした」
水葉先輩が、にゅっと左手を僕に突き出して手のひらを広げた。すると、確かに小指が根元から欠けている。
「う、うわああああっ!?」
「あ、ほらっ。大きい声出さないっ」
何人かの通行人が、うさんくさそうにこちらを見るのに気づいて、慌てて僕は手で口を抑えた。もう片方の手には、悲鳴の原因になった指がちょこんと乗っている。
「ぐ、グロい……! いやこうしてみると少しきれいですけど、グロいですよ! 指って!」
「ゴーストって、ものを持って並行世界には行けないけど、服は着ていけるじゃない? てことは、この服は私のゴーストの一部ってことでしょ? それくらいの自由度があるなら、一部を切り離しても大丈夫かなって思って試したら、できたんだ」
「それは新発見ですけど……何のために……」
「これは、五月女世界に置いておく」
「え? ……これを僕にくれるということは、僕が保管する、という……?」
「そういうこと」
「な……なぜそんな、ちょっとホラーなことを。第一、先輩のゴーストが水葉世界に帰れば、この指も消えるのでは」
それがね、と先輩は腕組みした。
「何度かこっそり実験してみたんだけど、ゴーストのスカートの切れ端とかを五月女世界に置いて私が目を覚ますと、次に幽体離脱しても、まだスカートは欠けたままだったの。五月女世界に置きっぱなしになるのね。前の日置いた場所に、次の日も同じ状態で落ちてたから。ちなみに戻す時は簡単で、ただくっつければいいだけ」
「そんな怖い実験、何で一人でやるんですか……」
「だって、五月女くん反対しそうなんだもの」
確かに。止めると思う。
「なぜそんなことをするのかというとね。これがあれば、携帯電話なしでも連絡が取れるでしょう。指先にインクでもつければ少しは筆談できるし、合図を決めれば簡単な意思疎通も可能だし」
「筆談? ……意思疎通って?」
「ほら」
僕の手の中の指が、ぴこぴこと動いた。
「うっわあ……」
「二回曲げ伸ばしは、『病院のベンチに集合』だよ」
もう決まっているらしい。
「あ、どうせなら指なんかじゃなくて、手首で切ればいいと思ってるでしょう。一応やってはみたんだけど、これが意外に結構、ゴーストなのに骨の感じとかが、」
「いえ全然思ってませんいいです詳細に言わなくて。……ん?」
今度は、指先が小さく丸を描くような動きをしている。
「……これは何のサインですか?」
先輩は、笑って答えた。
「貸してくれた本が、面白かった。またよろしく」
「幹に釘を何本か打ちつけて、そこにロープを引っ掛けたみたい。それでね、その人が……黄色い、女物のワンピースを着てたらしいの」
まさか、と頭をよぎっていた嫌な予感が当たり、目眩がした。
「私の世界で、昼間そんな話が流れてきて……こっちに来てみたら、やっぱり同じことが起きてるのね。この人って、私たちが昨夜会った、あの人かな」
「多分、そうだと思います……その場所、その特徴なら」
「もしそうなら……昨日のあの時には、もう死ぬつもりだったのかな。そんな感じ、私、全然……」
「僕だって分かりませんでしたよ、そんなこと。……仲良くなれそうには思えませんでしたけど、……沈みますね」
「うん。……五月女くん、変なこと聞くんだけど。五月女くんは、自殺しようとか思ってないよね」
え?
「いえ、思ってませんけど……今言ったように仲良くなれるタイプでもなさそうでしたから、そっち方向に引っ張られるようなことはありませんし」
「今までにも、死のうと思ったことはない?」
「少なくとも、真剣にそうしようと思ったことはありませんね」
「そっか。……うわ、こっちの私が携帯探し始めた! やばい、もう切るね。ねえ、三十分後に、病院のベンチに来れる?」
「行けます」
そこで電話は切れた。
出かけるための支度をしながら、先輩の話が、ぐるぐると頭に渦巻いていた。
死んだ。
あの人が。
ふてぶてしくて、マイペースで、そんな風には見えなかったのに。
どうして死のうと思ったのか……どうして、生きるのをやめようと思ったのか。
女の服を着たり、踊っていたことと関係あるのだろうか。
長袖のシャツのうちから、特に暖かそうなものを取り出して袖を通し、ハーフコートを羽織る。
人間て、こんな風に死ぬのか?
直前に、目の前にいた人間に、そんな気配を悟らせもせず?
さちかに声をかけ、家を出た。まだ母さんは帰っていない。
道は、仕事帰りの人や、放課後の学生で混んでいた。その中を進みながら、彼の姿を思い出す。
今にもかき消えそうな月の横で、くるくると誇らしげに踊っていた。
あの人がもういない。
町はすっかり暗くなった。
病院の外のベンチに、ゆらゆらと水葉先輩のゴーストがたたずんでいる。
人の通りはまだそれなりにあったけれど、マフラーで口元を隠せば、先輩と小声で会話しても特に不審には思われないだろう。
「先輩、お待たせしました」
「うん。ごめんね、急で」
「いえ、全然。どうせ家にいますし」
傍らに目をやると、例のドイツトウヒが夜空に屹立している。
「五月女くんさ、いいものあげようか」
「え……まさか、早乙女世界の水葉先輩の私物じゃないでしょうね」
「違うよ、この私から」
水葉先輩は、僕に手を出すように促した。
その手のひらに、ぽとりと、白い小さな棒が置かれた。
いや、白いというより、半透明にぼんやりと光っている。
これは……まさか。
「それは、私のゴーストの、左手の小指なのでした」
水葉先輩が、にゅっと左手を僕に突き出して手のひらを広げた。すると、確かに小指が根元から欠けている。
「う、うわああああっ!?」
「あ、ほらっ。大きい声出さないっ」
何人かの通行人が、うさんくさそうにこちらを見るのに気づいて、慌てて僕は手で口を抑えた。もう片方の手には、悲鳴の原因になった指がちょこんと乗っている。
「ぐ、グロい……! いやこうしてみると少しきれいですけど、グロいですよ! 指って!」
「ゴーストって、ものを持って並行世界には行けないけど、服は着ていけるじゃない? てことは、この服は私のゴーストの一部ってことでしょ? それくらいの自由度があるなら、一部を切り離しても大丈夫かなって思って試したら、できたんだ」
「それは新発見ですけど……何のために……」
「これは、五月女世界に置いておく」
「え? ……これを僕にくれるということは、僕が保管する、という……?」
「そういうこと」
「な……なぜそんな、ちょっとホラーなことを。第一、先輩のゴーストが水葉世界に帰れば、この指も消えるのでは」
それがね、と先輩は腕組みした。
「何度かこっそり実験してみたんだけど、ゴーストのスカートの切れ端とかを五月女世界に置いて私が目を覚ますと、次に幽体離脱しても、まだスカートは欠けたままだったの。五月女世界に置きっぱなしになるのね。前の日置いた場所に、次の日も同じ状態で落ちてたから。ちなみに戻す時は簡単で、ただくっつければいいだけ」
「そんな怖い実験、何で一人でやるんですか……」
「だって、五月女くん反対しそうなんだもの」
確かに。止めると思う。
「なぜそんなことをするのかというとね。これがあれば、携帯電話なしでも連絡が取れるでしょう。指先にインクでもつければ少しは筆談できるし、合図を決めれば簡単な意思疎通も可能だし」
「筆談? ……意思疎通って?」
「ほら」
僕の手の中の指が、ぴこぴこと動いた。
「うっわあ……」
「二回曲げ伸ばしは、『病院のベンチに集合』だよ」
もう決まっているらしい。
「あ、どうせなら指なんかじゃなくて、手首で切ればいいと思ってるでしょう。一応やってはみたんだけど、これが意外に結構、ゴーストなのに骨の感じとかが、」
「いえ全然思ってませんいいです詳細に言わなくて。……ん?」
今度は、指先が小さく丸を描くような動きをしている。
「……これは何のサインですか?」
先輩は、笑って答えた。
「貸してくれた本が、面白かった。またよろしく」