兄貴は両腕を組んでから、俺を見て言った。
「いや、なんで?」
 俺は自分の指を弄りながら聞いた。なぜ聞く必要があるのかと思ったのだ。
 聞かなくても母さんは俺といるから話してなくても大丈夫だと無意識で感じていたのかもしれない。
「いつもああなのか。俺のことは覚えていても、お前のことは一度も聞かないし、名前も呼ばない」
 兄貴にそう言われて、俺は顔を上げた。そうだ、俺のこといつも名前で呼ぶ。
 今日は呼ばれていなかった。俺は黙った。朝から思い返せば、母さんは一言も俺に言ってこなかった。いつもは母さんが話しかけてくる。それもなかった。
 もしかして、俺のこと忘れたのか。俺は家に入り、床に座っている母さんを俺は目の前に座り込んで話しかける。
「母さん、俺のこと分かる? 分かるよね、俺だよ、俺。工藤剛。覚えてる?」
 俺は自分の顔を指をさして、柔らかい口調で聞く。
 終始、母さんは黙ったまま首を傾げていた。
「……母さん。俺だよ、俺。覚えてる?」
 再度、母さんに聞き返すと、首を傾げたまま口を開いた。
「あ、お兄ちゃんの友達? どうしたの、なにかあったの?」
 母さんは兄貴にねぇねぇと服の袖を掴んで、聞いていた。
 兄貴はそれに答えて、うん、なに母さんと答えていたのだ。
 俺はその姿に愕然とした。二年ぶりに会った兄貴がなぜ母さんと親しくしているのか。
 今まで俺は何のためにやってきたのだろうか? 右拳を強く握りしめて、下に俯いた。
 母さんは俺を忘れて、俺は母さんに何もできない。
 家のドアをギィギィとするドアの音とともに俺は肩を下げたまま、外に出た。
 俺は母さん達が離婚した時から母さんが前にいた家は嫌だと言い格安でアパートを借りた。
 母さんは自分の家が出来たことを喜んでいた。
 だが、母さんは家にいることが多かったので、一人になる時間が増えた。