「衿ノ宮、今日はいつにも増してかわいいな。もっともこれは、改めて彼女として君を見るおれの欲目かもしれないが。まあ、欲目を差し引いても事実は変わらないので、どの道かわいいわけだけど」

沖田くんの独特な――少なくともほかの男子がこういう女子の褒め方をしているのは聞いたことがない――褒め方は、直球さが増した分、ひときわ照れくさい。

「あ、ありがとうございます」

「ますって」

私は今、沖田くんと、彼氏と彼女として向かい合っている。

今さらながら、夢を見ているみたいだった。

やがて飲み物が届いた時に、ふと思い出して、沖田くんに訊いてみた。

「沖田くんて、バニラなの?」

「アイスの趣味か? いや、どちらかといえばチョコレートが」

「そうじゃなくて、ハルキシさんが、沖田くんはバニラだって言ってたの」

沖田くんの顔が固まった。

ハルキシさんの名前を出したのはいけなかっただろうか。でもどの道、さっき会ったことを隠すつもりはない。

けれど、意外なことに、沖田くんはどんどん赤面していった。初めて見る顔かもしれない。

私は慌てて、ハルキシさんに言われたことを説明した。バニラだから「仕事」のリピーターが少なかった、というようなことも。

「あの……野郎……余計なこと……。いや、事実だよ。事実だけどな。最初のデートで、する話か……」

デート。私は、そっちの単語に一気に意識を持っていかれかけた。

あれ、でも、バニラというのはデートの場にふさわしくなかった?

沖田くんが、向かいの席から立ちあがって、私のソファの横に座った。

「お、沖田くん?」

「静かに。あのな。多分そんなに一般的な用語じゃなくて、おれらの周りだけだも知れないが……」

耳打ちされて、恥ずかしくもくすぐったいような気分に浮かれていたのは、最初だけだった。

「……だからつまりだな、結合を伴わないで、そういうことをするやつのことを……ちょっと揶揄する感じで……由来はよく分からないけども……バニラと……」

言葉の内容を解説されるにしたがって、私はどんどん立つ瀬のない気分になっていった。

説明を終えた沖田くんが、向かいの椅子に戻った。

「ほかに、あいつなにか言ってたか?」

「言ってたけど、……言えない」

「そうか……そんなに過激な用語を……」

「じ、じゃなくて!」

「……そう約束した?」

うん。

「それならそれでいい。……ハルキシの性別の話でもしたのかと思った。おれは、今でもあいつは女だと思ってるから」

ぎょっとして、慌てて表情を引き締める。遅かったかもしれないけれど。

「ハルキシは、気に入った相手には嘘をつくんだ。そうして、お互いに遠ざからせるところをよく見た。とはいえ、あいつの話ばっかりで貴重な衿ノ宮との時間を消費したくないな。というわけで、話を変えよう」

「はい……そうしましょう」

バニラのせいですっかり小さくなった私に、沖田くんが視線で「顔を上げて」と言ってくる。私はそろそろと背筋を伸ばした。

「単刀直入に言うぞ。衿ノ宮の小説は消さないでほしい。消去しようと思えば、いつでもできるだろ。でも文章って、同じ書き手でも、二度と同じものは書けないような気がするから」

「……うん。そう言ってもらえるの、嬉しい。で、でも、沖田くんたちがモデルのやつだけは消すね。これは、私が、そうした方がいいと思うから……」

沖田くんが苦笑してうなずく。

「なんだかいろいろあったけど、夏休みもうすぐ終わるな」

「うん。……いろいろあったね」

「二学期が始まる前に、いろんなところに行こう。衿ノ宮の行きたいところも、おれの行きたいところも」

「うん」

八月の太陽は、窓の外で眩しい光を注ぎ続けている。

いくつもの変化が、この一月あまりで私たちには訪れた。

そのどれもが思い出に変わっていくとしても、まるで昨日のことのように、この夏を私は思い出す気がする。

目の前の人の、特別な笑顔とともに。



二学期が始まり、やがて九月の終わりが近づくと、さすがに残暑は弱まってきていた。

沖田くんは熱があるということで学校を休んでおり、放課後の屋上のパラソルの下には私と神くんだけがいた。

「よーしよし、過ごしやすい季節になってきたなあ。エリーは、今日は瀬那の見舞いに行くのか?」

「うん。神くんは?」

「おれは、間もなく始まる生徒会役員投票の準備で忙しくてな。まあ、危機にあってもあえて会わない仲こそ、真の信頼関係があるといえよう」

「沖田くんと、会いづらい?」

空を仰いでいた神くんが私の方へ向き直る。

「……なにかのかまかけか? エリーにしては珍しいが」