「でも、これってやってるってことだろ? 直接は書いてないけど。その場合って、絵的にどう思い浮かべて書いてるんだ? 結構リアルに?」

「絵的、には……なにも。私、よく、そういうのは、分からないし」

「そういうの。確かにな、分からないよな」

喉が急激に乾いていく。

「ああ、悪い。意地悪じゃなくて、ただの興味で訊いてるんだよ。おれ、こういう才能ないからさ」

こういう才能。どういう才能?

「……け……消すから」

「え?」

沖田くんが振り向いた。目が合う。

「今すぐ、消すから、話を……。もう書かない。絶対に、私、沖田くんに」

「衿ノ宮」

思いがけず、両目から涙がこぼれていた。私が泣く立場でもないのに。もっとほかにやるべきことがあるのに。

「いいんだ、衿ノ宮。話はちゃんと聞く。落ち着いてからな。……おれは、行くところができた」

「行く?」

気がつくと、私は、椅子から立ち上がった沖田くんの服の裾を指先でつかんでいた。

今、踏み出しておかなければ、もう沖田くんとは会えなくなるような気がした。

「……そうだな。衿ノ宮も一緒に行くか?」

「どこに?」

「歌舞伎町」



沖田くんが誰かに、スマートフォンでメッセージを送っていた。

「ハルキシだよ」

「そうかも、って思った」

「さっき衿ノ宮が出てる時に、もう連絡はしてあったから。今は場所と時間の確認しただけだ。待ちぼうけさせられることはないと思う」

私も私でお母さんに連絡を入れ、友達のところにいくからちょっと遅くなると伝えた。

お母さんは、さっきの今で今から? と驚いていたけれど、ご飯は取っておくからねと言ってくれた。

私にあまり友達が多くないことはお母さんも知っているので、きっとそんなに気の置けない人ができたのかと、喜んでくれているんだろう。

夏休みに入ってからはカナちゃんたちとは会っていないけれど、八月の下旬にある近くの神社のお祭りには、ヨウコや奥野さんとも、四人で一緒に行く約束をしていた。

ありがたいな、と思う。

沖田くんや神くんのことも、話せることはみんなに話したい。そう思える人がいることは、幸せだった。

秋葉原から、中央線で新宿へ向かう。その間は、沖田くんがなにか考え事をしていたので、私も話しかけるのはやめておいた。

外の景色を見る振りをしてそっと見つめた横顔は、穏やかだったけれど、内面の思考の激しさも感じ取れた。

新宿の東口を出ると、さすがに空は夜の色に染まっている。

「行こう」

歌舞伎町へ入り、やっぱりハルキシさんのお店へと、沖田くんは真一文字に向かっていく。

お店の電気は消えていた。

沖田くんは迷わず裏口へ向かい、私は気後れしたものの、覚悟を決めてついて行く。

「ハルキシ。いるんだろ。珍しくすぐ捕まったんだ、とっとと話しようぜ」

奥の暗がりから、ゆらりと細身の人影が現れた。差し色のない黒一色の服装で、布地がどんな風に体を覆っているのか、暗くてよく見えない。銀髪だけが、弱弱しい室内灯の下で鈍く光っていた。

「……ろくでもない話の予感しかしねえな。とりあえず、店の方に来いよ」

「ここでいい。ハルキシ、おれは『仕事』をやめる」

「それはもう聞いた」

「やめるつもり、じゃない。今後一切やらない」

「そんなことをわざわざ言いに来たのか」

「今までの売り上げは、ハルキシのために稼いだ分だ。受け取ってほしい」

ハルキシさんは、前髪に隠れかけた目を細めた。

「いいよ。ありがたくもらうよ。でも、結構お前あての予約入ってるみたいだぜ。いつでもいいからって。愛されてんなあ。物好きが多いというか」

「その人たちには悪いけど、やらないものはやらない。……おれだって、この仕事が全然負担じゃなかったわけじゃないけど、人から求められる喜びも確かにあった。それはおれが、喉から手が出るほどほしかったものだったから、嫌なことばかりではなかったよ。でももう必要ない。いや、もう、おれには、無理になった」

「その女がいるからか?」

ハルキシさんが、沖田くんのすぐ右にいた私を指さしたので、どきりとした。

「それだけじゃないけどな。おれは、ハルキシが好きだったよ。だから今までやって来れた。あんたの中身が女だって聞いた時は、わけが分からなくなって悩みもした。体さえ男なら中身なんか構わないのかって思って、そんな自分に自己嫌悪もしたよ。でも今は分かる。おれは男が好きなんじゃなくて、ハルキシが好きだった。……それだけでよかったんだ」

「瀬那お前、告白しながら振るなよ。だけどそうか、それを言いに来てくれたってわけだ」

ハルキシさんの声は低かった。でも、口元は笑っているように見える。目元は、……ただでさえ薄暗いせいで、髪に隠れて見えなくなった。

私の耳に、小さい音が断続的に聞こえた。なんの音なのかと周りを見回すけれど、特に目につくものはない。

沖田くんも同じ音が聞こえたようで、視線だけで辺りをうかがう。

そして、私と沖田くんの目が、一点に注がれた。音の源は、ハルキシさんの口元だった。

くぐもった声が、くっくっとその唇から漏れている。肩も震えていた。――笑っている?

「瀬那。お前は、人を信じすぎだね。性で悩んでる人間は、全員根が善人で、打ち明けてくれる秘密はみんな本当のことで、必死で真人間になろうとしてると思ってる」

「……そんなことは」

ハルキシさんが顔を上げた。見開いた眼は、笑っているどころか、怒りを湛えているように見えた。

私は思わず後ずさりをする。沖田くんは微動だにしない。

「そんなことあるから、ころっと騙されるんだろ。いいか、おれ(・・)は心が女なんかじゃない、身も心も純然たる男だよ。お前みたいにおっかなびっくり歩いてる子供、ちょっと揺さぶってやったらすぐおれに夢中になるだろうと思ったら、案の定だった。困らせてやろうと思って女の振りしたら、体まで売りやがって、真正のばかだな。金なんかいるか! 手術なんか受けねえよ!」

ハルキシさんが、服の中で身を震わせたかと思うと、右手の辺りに、髪とは違う銀色が光った。

ナイフだ。

「おい?」

さすがに沖田くんが気色ばむ。この間の包丁とは、構え方が違う。すぐにでもまっすぐに突いてきそうな、差し迫った危うさがある。

「出ていけ。お前ら、二度と来るな」

「……会いたくなったらまた来る。おれとお前は、少なくとも、刃物がないと話せないような仲じゃないだろう」

「殺す」