つかさないつかさない、と言って私は沖田くんに枕を渡した。けれど沖田君はそれを断って、自分の右手を枕にして、ベッドに上がるのではなく、床に座ったままもたれるようにして目を閉じた。
その形のいい唇が、小さく動く。
「人前で寝ることなんてほとんどないのに、衿ノ宮とだと気を許しちゃうな…………」
「え? そうなの?」
沖田くんがちらりと瞼を開けた。
「あんな仕事してるのに、か?」
「ち、違うよ!? そうじゃなくて――」
本当はまさにその通りだったんだけど、
「――ほ、ほら、沖田くんてなんだかこう、隙がない感じがするじゃない!? だから……」
沖田くんがくすくすと笑う。
「客の前で寝入ったことはないよ。衿ノ宮、学校とかで言わないでくれよな。この人うちに上がり込んで寝出したのよ、とか」
「言いませんっ」
「うん。そうだと思うだからおれ、衿ノ宮といるの好きだよ……」
なんの気なく出てきたその言葉へ、私がなんと答えていいのか分からず口をぱくぱくさせている間に、沖田くんの呼吸は寝息に変わっていった。
私は胸を手のひらで押さえて、頭の中を整理する。
今さっき、考えをまとめたいことがあると言ったのは本当だった。
沖田くんの「仕事」を考えると、どうしても繊細に考えざるを得ない、私の趣味。
先天的に苦手だという人はたくさんいる。後天的に嫌いになったという人だってたくさんいる。
そうした人たちに、無理に認めてほしいとまでは思わない。むしろなるべく目に触れさせず、不愉快な気持ちにさせずに、でも私だけは大好きでいたい。
沖田くんが仕事で男の人の相手をしていても、BLというジャンルが好きだっていう保証はない。むしろ、だからこそ嫌悪していてもおかしくないと思う。
でも、黙っているのは今の私にはつらかった。沖田くんの方が、ずっと打ち明けるのに勇気のいることを私に教えてくれた。私も、後ろ指を指す人はいても、後ろめたいとは思っていない大切な趣味を、沖田くんに伝えたい。。
もちろん、受け入れてくれた方が嬉しい。そのためには、どう伝えたらいいんだろう。
それを考えていたら、十五分はすぐに経ってしまった。
沖田くんのスマートフォンのアラームが鳴り、軽く首を振っただけで、沖田くんがすっかり覚醒する。
「そ、そんなにすぐに起きられるんだ。凄いね」
「むしろこれくらいの短さの方が寝覚めがいいんだ。……で?」
「え?」
「おれになにか、話したいことがあるんだろう? まとまった?」
よく覚えておいでで、と呟くと、沖田くんがそりゃそうだろうと笑った。
入れ直しておいた麦茶を、沖田くんがお礼を言いながら口に含んで、グラスを置いた。
そこで、私は覚悟を決める。
「沖田くん。実は、私、特定のジャンルの漫画や小説……的なものを読んだり、……書いたりすることがあって」
結果的に私が選んだ伝え方は、あけすけに、そのまま口にすることだった。
「BLって、沖田くん分かる?」
「分かるよ。結構いい歳の男の人が、男子高生のキラキラのBL漫画持ってきて、このシーンやりたいってリクエストしてきたりするし。……つまり?」
「つまり、……私は、BLを読んだり……」
「読んだり?」
「書いたりするのが……好きなのです」
沈黙。
いつの間にかうつ向いていた私の顔を、沖田くんが覗き込んできた。
「わっ」
「え、そんだけ? 衿ノ宮」
「そ、そんだけ」
沖田くんは大きく息をついて上体を反らせると、両手を後ろについた。
「なんだよ。おれ、もう今の短時間で凄いこと色々想像しちゃったのに。あ、いや、なんだってことないよな。女子にとっては勇気いる告白だよな」
「……色々って?」
「あー。……一瞬頭をよぎったのは、実は、衿ノ宮が実はおれと同じ仕事をしてたとか」
「それは……ないかな」
「じゃ、読ませてくれるのか?」
返事をしようとして、質問の内容を処理しきれずに、固まる。
なにを?
「いやだから、読ませてくれる気になったから、そんなこと教えてくれたんだろう?」
ぶわっ、と顔が火照る。
「む、無理無理無理! それは無理!」
「なんだ、違うのか。……絶対いや?」
「ぜ……ぜったい、では――」
本当のことを言えば、心のどこかで、期待してはいた。
私が好きなものを、私が作ったものを、沖田くんにも見てもらいたい。
そういう、絶対に秘密だと言いながら手の中に隠した宝物を、ほんの少しだけ指を開いて、大切な人にだけこっそり見せたいような、そういう欲望が確かにあった。
「――ない……けど」
「あの中?」
沖田くんが指で示した先には、私のノートパソコンがある。
火照ったままの顔で、こくりとうなずいた。
「見ていい?」
私は熱い頬を指先でなでながら立ち上がった。
パソコンの電源を入れて、BL小説の投稿サイトを開く。ネット上に上げているのは、私が書いたものの中でも特にプラトニックなものばかりなのでハードルが低く、割合気負わずに見せることができた。
「ど……どうぞ」
沖田くんが私の椅子に座った。
「ほかに、衿ノ宮の小説のこと知ってるやついるの?」
「い、いない。お母さんにも言ってないから」
「誰にも言わない方がいいよな?」
「できれば」
「分かった。絶対言わない」
さっきこんなやり取りをしたっけ、と思い返して、その時とは立場が逆だなと気づく。
私も、沖田くんといるのは心地いい。
沖田くんがマウスのホイールをスクロールさせる。
「思ったよりたくさんあるんだな……これは今全部は読めないな」
「目の前でそんなにしっかり読まなくていいよ!? て、ていうかそもそも、読まなくても」
「いや。サイト名とハンドルネームは覚えたから、また家でじっくり読む」
「い、いいよ読まなくて!」
「絶対いや?」
そう言われると、また、うっとひるんでしまう。
「……沖田くん、わざとそういう言い方してるでしょう」
「ちょっとだけな。だってこれ、衿ノ宮が頑張って書いたんだろ? おれだって丁寧に読んでみたいよ」
沖田くんのことだから、茶化したり、嗤ったりはしないと思っていたけど。
そんな風に言われると、頬の熱が、目元に集まってきてしまう。
そこでようやく私は、大事なことを言い忘れていたのに気づいた。
「あ、あのね沖田くん。私、こんな風にBLが好きで、漫画や小説も読むし、自分でも書いたりするんだけど」
うん? と沖田くんが振り向いた。
「誤解しないでほしいの。あの、私が、沖田くんと、……沖田くんのことを、BLの」
今すぐに伝えたいのに、うまく言葉にできない。
私は。
BLは好きなんだけど、それは決して、
「衿ノ宮はBLが好きだけど、それが理由でおれに興味持って仲良くしてくれてる、ってわけじゃないんだろ? 分るよ、それくらい。衿ノ宮見てれば」