私の部屋はさっきまでとなにも変わらないのに、どこかよそよそしくなったように感じる。私と、沖田くんに対して。

「我ながら、あんまりかいつまんでなかったな」

「……どうして? 沖田くんが、そんな」

「本当、なんでって感じだよな。おれも混乱したまま決めたことだったから、人に納得してもらえるような論理的な説明は難しいんだけど。ただ、金は稼げると思った。実際そうだった。高校生じゃ考えられないほどの金を、親の目が届かないのをいいことに。そうして、生まれて初めて好きになった人の役に立てると思った。例のバスケ部の先輩の時とは比べ物にならないほど激しくて、生っぽい感情で、これが本当の初恋なんだって思った。だからどうしてもそうしたかった。……誤算は、いやってほどあったけど」

「……誤算?」

沖田くんが、かくりと首を折った。目元も、口元も隠れてしまう。でも、今どんな顔をしているのかは分かる。怒っているような、涙を流していないだけの泣き顔だと思う。

「心のどこかで、ハルキシはおれを止めると思ってたんだ。そんなことはするなって言ってくれるって期待してた。そういう甘えが確かにあった。おれの方を見てほしかったんだ。でもハルキシは、おれが売りを始めてすぐにそのことを知ったはずなのに、まるで知らない振りだった。だから、おれは余計に止まれなくなった。そこで止めたら、本当にただ構ってほしかっただけだって証明になる気がして」

自分の気持ちはもっと純粋なものなんだって信じたかったんだ、とひときわ小さい声を沖田くんが漏らした。

「それにおれの――男の体なんて、女と違って、売り物にしたって大したことないと思った。男なんておれと同類なわけだし、そもそもおれは男が好きな男だから、なんの問題もない。罪悪感も後悔も生じるはずがない。でも金だけは手に入る。こんなにおれに都合のいい『仕事』はないって、その時は本当に、そう……」

「沖田くん」

沖田くんは、がばりと首を上げた。

涙はない。でも、泣いている。

「知らなかったんだよ。なにも失くさないのに金だけはもらえる、そんな仕事をしてると、どんどん生きづらくなっていくだけだなんてことは。それでも見ない振りしてればよかった。気づかずにいればよかった。ミーはよかった、あいつは大事な友達だけど、おれを尊重して、必要以上にはおれの生活に踏み込んでこないから。でも、衿ノ宮は」

いきなり名前が出て、心臓が跳ねる。

「は、はいっ!?」

「衿ノ宮は、まっすぐにおれに付き合ってくれてる……仕事のことを知っても、おれがどんなやつでも。……思い出すんだ、衿ノ宮といると。ハルキシには一日でも早く目標を叶えてもらって、幸せになってほしい。それは今でも変わらない。でも、おれはあんなことをして金がほしいわけじゃないって、ずっと向き合わずにいた本当のことを、衿ノ宮といると……」

十数秒か、もう少し。

私と沖田くんは見つめ合った。

窓の外から、車の音が響いたり、近所の誰かの笑い声が聞こえる。

でも、それらはないのと同じだった。私たちが大切にしなくてはいけないものは、この部屋の中、私と沖田くんの間だけにあった。

「あの……今の沖田くんの話が、本当のことなんだよね?」

「ん? というと?」

「ハルキシさんが、沖田くんの家に誘われたって言ってたけど……」

私がかいつまんでハルキシさんから聞いた話を伝えると、沖田くんの目が次第に吊り上がっていった。

「んっだそれ! 嘘だ嘘嘘、信じないでくれよ! あの野郎、わざとなのか、虚言癖まであるんじゃねえだろなアル中! ……それはともかく、こんなことまで話すつもりじゃなかったんだけどな。おれ、衿ノ宮に気を許し過ぎだな。衿ノ宮も、言いたいことなんでも言ってくれよ。おれは、君のことは困らせたくないんだ。なんて、今さら、虫がいいんだけど」

私は赤面しながら首を横に振る。

「困ってなんて。でも、神くんはやっぱり偉大だよね」

沖田くんが小さく吹き出した。

「偉大ってのはどうだろうな。でも、なにくれと助けてくれてるのは本当だ。少しハルキシのことを冷静に見られるようになったのはミーのお陰だしな」

「なにかあったの?」

「あいつら、前に一度会ったことがあるんだよ。で、ミーには、『売りやってまで貢ごうとしてるのはあいつか。知っててお前を止めないんじゃろくでもないな』っていきなり看破されて」

凄い。

「それでおれも思わず、『もともと相手にはされてない。少しでも大事に思ってくれてたら、自分のための売りなんてやめさせるだろ』ってスネちゃってさ。そうしたらミーのやつ、『それは向こうもお前に依存してるんだ、そこまでして尽くそうとしてくれるガキに』って言ってきて。形としては相互依存なんだろう、と。それ聞いたら、ちょっと自分とハルキシのこと客観的に見られるようになって、しゃにむに仕事を入れようとは思わなくなったってのはある。前は、気持ちと立場の不安定さを払拭したくて仕事を入れまくってた時期もあったからな」

「凄いね、神くん……」と今度は口に出して呟く。

沖田くんが少し、体の重心を後ろへ傾けて言った。

「いや、衿ノ宮もかなり凄いぞ。おれ、女子にこんなに心許したの初めてだから。ミーだって驚いてたくらいだ。衿ノ宮の人柄なんだと思う」

「えっ? ひ、人柄?」

「親切っていうか、善人ていうか。八方美人とかとは違うぞ。見習いたいよ。おれが売りをやめようかって考え始めた直接のきっかけは、あの日、衿ノ宮に止められたからだからな。あれ、おれ、学校のクラスメイトとのつながりあったんだなって、はっきり意識したんだ」

いえ、そんな大層なものでは、全然ないんですが。

なんと答えていいか分からなくなっていたら、沖田くんが小さくあくびを嚙み殺すのが見えた。

「沖田くん、眠い?」

「ああ、ごめん。なんだろ。安心したからかな。言いたかったことほぼ言えたし」

「疲れた? 私のベッドでよかったら、少し寝る?」

沖田くんが珍しく狼狽した。

「いや、寝ないけど……。女子の部屋に来て、いきなり寝るやつってどうなんだよ……」

「具合悪い?」

「もともとあまり規則正しくない生活送ってるから、昼間にいきなり眠くなることがあるだけだ。ていうかあっさりベッドなんて貸したらだめだって」

「私も実は、沖田くんに話したいことがあって。沖田くんが休んでる間に、考えをまとめたいの」

「……じゃあ、十五分だけ。なんかおれ衿ノ宮と休日に会うと、寝てばかりじゃないか? 本気でおれに愛想つかさない?」