「訊いてみればいいじゃないか。瀬那が訊けば答えてくれるよ」

「そう言われて、教えてもらえなかったらショックじゃないか」

瀬那が口をとがらせる。

「繊細だなあ」と峰倉が小さく笑い、「瀬那は、ハルキシが好き? 僕たちは結構持て余すこともあるんだけど」

「おれは、持て余すどころか振り回されまくってますよ。ただ、あいつ……」

「あいつ?」

「……最近、どんどんきれいになってないですか?」

峰倉が大笑いした。

「それこそ、ぜひハルキシに言ってやってくれ。老いは、僕たちの一番の恐怖なんだ。顔はいじれるけど歳は戻らないからね。小じわ見つけたなんて、間違っても言っちゃだめだからね」

「わざわざそんなこと、……」

ベル代わりの、ドアの軋み音が響く。

入ってきたのは、ハルキシだった。

「あー疲れた。ねっむ。泊まりでも六時間は寝かせろって言ってんのに、あいつら日本語分かんないのかね」

瀬那は、隅の小さな冷蔵庫から缶のソーダを出して――瀬那が入れておいたものだ――、ハルキシに渡した。

「缶ならビールだろ?」とハルキシが軽く瀬那を睨みながら、合成皮革の赤いソファに座る。

「未成年じゃ買えないよ」

「噛み合わない野郎だな。ビールは特別なんだよ。朝から飲んでも最高にうまい酒って、ほかにあるか? ソーダって辛いよな。柿の種くれ」

「ハルキシだって会話にならないじゃないか。すでに飲んでるんだろ。それにもう昼過ぎてるし」

峰倉が静かにドアを出ていくのが、瀬那の横目に見えた。気を利かされた、と思うと気恥ずかしくなる。

「瀬那、お前まだ童貞?」

「なんで毎週訊くんだよ!?」

「いつまでとっといてんだ。その気になれば、今日にでも捨てられるだろうに」

「大きなお世話だ。おれは好きな人とって決めてるんだから」

「同級生で気になるやつくらいいるんだろ? 生徒の半分男子なんだから。それとも先輩や後輩か? あとは教師とか?」

瀬那は、一瞬考え込んだ。そういえば自分は、学校の男子には特に恋愛感情を抱きそうな気配がない。そういうものなんだろうか。

同じクラスの男どもは、毎月気になる女子が変わっていたりするのでひどく移り気に思えたが、それが高校生男子の「普通」ではないかとも漠然と考えていた。

自分は、人一倍一途なたちなんだろうか? 仲のいい人間で人と交際をしている者がいないので、参考になる話を聞いたこともない。

瀬那の耳に入ってくるのは、夜の世界の男たちの、ずいぶんと極端かつ奔放な、下半身の情報ばかりだった。

「お、なんだ黙りやがって。さては、好きなやつのことが思い浮かんだな?」

「いや、マジで学校にはいないんだよ」

「学校には? じゃあどこにいるんだ?」

「どこって」

しまった、と思った時には、瀬那はハルキシに無防備な視線を送ってしまっていた。

真正面から二人の目が合う。唇に当てたソーダを傾けるハルキシの動きが止まった。

悟られた、と思った。なぜか負けた気がして、悔しかった。

ハルキシが缶を口から離し、テーブルに置いて、立ち上がった。

逃げなくはならない。そう思うのに、瀬那の腰には力が入らなかった。

唇が重なった。

ソーダに冷やされていたハルキシの唇はひやりと冷たかったが、それがまるで氷が溶けだすようにとろりと温もると、瀬那はもう抵抗できなかった。

横にあったテーブルの上に寝かされ、ハルキシが覆いかぶさってくる。

「待って、待ってハルキシ」

「待っていいことなんてこの世にない」

「そうじゃねえよ! こんなところじゃ嫌だって言ってんだよ! 普通シャワーとか浴びるんじゃないのか!? こっちは純正処女だぞこの野郎、大事にしろ!」

ハルキシがくるりと辺りを見回した。

「ち。貧弱な水回りだな。キッチンとトイレしかねえじゃねえか」

「そりゃ、こんなこと想定してないだろ……」

瀬那は起き上がって衣服を整えたが、インナーシャツまでまくり上げられていたどころか、既にズボンのジッパーが下ろされかけていたのに気づいて舌を巻いた。

さすがに、好意を寄せている相手に、一番快感に脆い部分まで触れられてしまったら、場所がどこだろうと抗える自信がない。

「ホテル行くか。ちょっといい部屋取ってやろう」

「……行く」

自慢げに口角を上げているハルキシの様子には腹が立ったが、そういう表情が一番似合うとも思う。

二人はプールバーを出た。

まだ日は高く、往来は仕事や買い物の人出で溢れている。

歩き出して間もなく、ハルキシは「瀬那」と呼びかけてきた。

「なに」

「お前、おれのこと好きだろう」

瀬那には、怖くて答えられなかった。なにが怖いのかと言われれば、答えることで起こりうる全てが怖かった。

「そんなお前に、言っておかないといけないことがある」

「おれまだ返事してないんだが」

「今お前、おれ相手に興奮してるよな?」

「……ドキドキはしてる」

「男相手にか?」

「別にいいだろ。おれは同性愛者なんだから」

「……なんでいちいち同性愛者だ? ゲイでいいだろ」

「字面が明確な方がいい」

「あっそ。でも、瀬那が男が好きだっていうのは錯覚かもしれないな」

「そんなこと言いだしたら、誰だってそうじゃないか」

ハルキシが立ち止まる。つられて止まった瀬那の顔を見下ろして、言った。

「瀬那。おれは体は男だが、頭の中は女だ」

それからハルキシは瀬那を建物の陰に立たせ、静かに、よどみなく告げ始めた。まるで、なにをどう話すか、全て準備していたように。

おれは女だ。生まれてから一度も、自分を男だと思ったことはない。女とも寝ることはできるが、恋愛対象は、今まで例外なく男だった。性別適合手術を受けるつもりでいる。一日でも早く、細胞が若くて活力があるうちに。バーで働いていても目標金額にはそうそう届かない。ばあさんになってからじゃ遅い。だから売りをやっている。……瀬那、お前はたった今も同性愛者だと言ったな。「私」の性別が女でも、私のことを好きか?

瀬那は、答えられなかった。

好きだ。好きではない。分からない。どれが正解だ?

好きだ、と即答すれば、今のハルキシの告白を深く考えていないと言っているようなものだと思えた。

好きではない、と言えば、これは嘘になる。売り専の知人たちは、嘘をよくつく者もいたが、人からつかれるのは大嫌いな連中だった。ハルキシもそうだろう。

分からない、とは言えない。それだけは言いたくない。

ハルキシは、瀬那の耳元に唇を寄せ、

「やりそこなったな」

と言うと去っていった。

瀬那は、日が暮れだすまで、ただそこに立ち尽くしていた。



「……それからすぐ、峰倉さんに頼んで、『仕事』の紹介をしてもらった」

沖田くんは無表情でそう言って、ようやく言葉を切った。