「お前みたいなのが、瀬那と仲良くねえ」

「は、はい。あの……」

「もうやったのか? 瀬那が、女と?」

沖田くんが、私とハルキシさんの間に割って入った。

「ハルキシ。衿ノ宮はそんなんじゃない」

「そんなんじゃない? あ、そう。そうなんだ。ははは。この女が瀬那に入れあげてるだけか! いいなあ、お優しくて!」

「なっ――なに言ってるんですか、いきなり、」

「見たら分かるわ、のぼせてんなあガキが!」

私がさらに抗議するより先に、ハルキシさんは、そっくり返って笑いだした。その様子に、背筋にうすら寒いものを感じた。

神くんが、私と沖田くんの肩をつかんだ。

「こいつ、話にならねえな。瀬那、噂の件は?」

沖田くんが肩をすくめる。

「はぐらかされて、全然進まん。おいハルキシ、お前やっぱり今日変だな。でもこっちも、いつまでもお前を探して三千里やってるわけにはいかないんだ。どこか座れるところで、きっちり話しようぜ。高校生が入れる店でな」

ハルキシさんが、ぴたりと笑うのをやめた。そして近くのファストフード店を指さして、

「それなら、三十分後にそこでどうだ。ちょっと吐いてくるから」

「いいぜ。……お前、やっぱり飲んでたのか。バックレんなよ。いやその前に、道で吐くなよ」

「バックレねえよ、この後店開けなきゃだし。話は、一対一でいいんだよな?」

ああ、とうなずいた沖田くんが、「席とっとくからな」と言ってから、私たちへ向き直る。

ハルキシさんは、傍らにあるバーのようなお店の中に消えた。沖田くんが、「ここがあいつの仕事場なんだ」と親指で示した。

「ミー、悪いけど衿ノ宮を送ってやってくれ」

「それはいいが、あいつ、また行方くらますんじゃねえの?」

「ここまで言ってもそうなるなら、もうどうしようもないな。……で、衿ノ宮」

沖田くんが半眼で私を見てきた。

「は、はいっ。ご、ごめんね、私、」

沖田くんの眉が少し上がって、それから表情が緩む。

「いいや。心配してくれたんだろ? 大丈夫だから、今日のところは任せてくれ」

「う、うん。またねっ」

私と神くんは回れ右して、新宿駅へ向かう。

人波に紛れて、アルタスタジオの前までくると、

「はっはっは。いやー、それにしてもあっさりバレたな」と神くんが頭をかいた。

「あの人が、ハルキシさんなんだね」

「そうだな。あまり険悪な感じでもなかったし、何事もなく終わるといいんだが。……おれは、ちょっと戻って遠巻きに見ておこうと思う」

神くんが足を止めた。

「気になるの、二人のこと?」

「ちょっとだけな。あの野郎がまた雲隠れせんとも限らねえし。瀬那はああ言ってたが、一応遠巻きに見ておこうかなと」

「うん、行ってあげて。私はもう、駅すぐそこだし」

「悪いな、エリー」

神くんは手を振って、きた道を引き返していった。

私は新宿駅の東口に着くと、地下への階段を下りていく。

改札の前に来たところで、ふいに耳元で声がした。

「衿ノ宮、だったな。大声を立てずに、壁に寄れ。妙な動きするなよ」

思わず振り返ると、銀色の長い髪が視界に飛び込んできた。

「ハルキシ……さん。どうして。沖田くんは」

「三十分後って言ってたか。ちょっぴりばかり遅刻するかもな。でもその前にお前と話しておくことがある」

ハルキシさんの身長は、沖田くんと同じくらいで、百八十センチに少し足りないくらいに見える。

にじり寄られるままに、私は左肩をとんと壁につけた。

大勢の人たちが、私たちのすぐ脇を、視線も向けずに通り過ぎていく。それを目で追う私の視界を遮るように、ハルキシさんが、壁との間に私を挟むようにして立った。

かすかにコロンの香りがして、あの吊り上がった目が銀髪の間から覗くと、つま先から震えが走る。

――怖い。

「お前結局、瀬那のなんなんだ?」

「く、クラスメイト……です。高校の……」

「ずいぶん打ち解けてるんだな」

「さ、最近、話すようになって」

「ついでにたらし込まれたか」

口調は穏やかだけど、その口元は今にも犬歯がむき出しになりそうな気配がある。

「たらし……ってそんなんじゃありません」

「当たり前だろ。お前みたいな女。いいなあ、髪が柔らかそうで、背が小さくて、その野暮ったい服よりスカートの方がずっと似合うんだろうな。でも女だもんな、瀬那は無理だね」

「……そうです」

私が、沖田くんの恋愛対象じゃないのは分かってる。

「つき合いたいか、瀬那と」

「そんなこと、考えてません」

顔を背けて、噓をついた。――いや、嘘じゃない。ただ、ただ好きなだけだから。

「言っておくけどな、瀬那の初めての相手はおれだ」

その意味をすぐに察して、だからなんだって言うんですか、と言おうとしたけど、言葉にならなかった。

ハルキシさんの牙――犬歯がちらりと見える。今にも首筋を嚙まれるんじゃないかと思えた。

「それもあいつの方から言い寄ってきた。あいつの家、親がいないだろ? 部屋に誘われて、その後すぐだったよ。その時、瀬那がどんな風だったか、せいぜい想像してみろ」

そんなことは気にしません。沖田くんが求めたことなら、なおさら。

心からそう思った。これもやっぱり、嘘じゃない。

なのに、声にならない。

ハルキシさんの服の隙間から、ちらちらと青白い素肌が覗いた。

私の喉が鳴る。

この体が、服を全部脱いで、沖田くんと重なったんだ。

そう思うと、胸の奥が、ざらついた舌で舐められたようにすくむ。

沖田くんの仕事相手は、二人ほど見た。でも一人は未遂だったし、年の離れたおじさんで、仕事の上のことだというのもあって、そこまで気にはならなかった。

でもこの人は違うんだ。沖田くんが自分から、この肌に触れたがった。そう思ったら、どうしてか、急に生々しくなって、足が震えた。

「もしお前が瀬那とつき合うことになっても、あいつの体はおれの使い古しだ。そう思って抱かれるんだな」

だから、つき合えませんから。

沖田くんのことを、なんだと思ってるんですか。

また言葉にできないでいるうちに――気がつけば、足よりも、喉の方が震えていた――、ハルキシさんの体がついと離れた。

「お前邪魔だよ。女だからっていい気になるな。瀬那に甘えてつきまといやがって」

そう言って、ハルキシさんは地上への階段を上って行った。

ようやく開けた視界に、人通りが流れていく。

一二分それを眺めてから、独り言が、口からこぼれた。

「いい気になんか……ううん、それより……」

悔しかった。

格好良くて、優しくて、社交的ではないかもしれないけど、学校の人気者の沖田くん。

その沖田くんが自分から求めた人に、あんな言われようをして――使い古し? ――それにすぐに反論できなかった。

圧倒されて止まっていた思考が回りだすと、悔しさだけが溢れてきた。