「そんなことはないと思うけど!? それに、沖田くんだって、私に結構謝るよ?」
そうだっけか? と沖田くんは首をひねり、
「なら、おれもなるべく控えよう。じゃ、行ってくる。さすがに私服で行くから、補導は心配しないでくれ。これでも、たまに大学生に見られるんだ」
ひらひらと手を振る沖田くんの後ろ姿を、私は見送る。
さっきよりも闇が濃くなった夕日が、ワイシャツの背中を彩っていた。痩せ気味な体が、深い海に沈んでいくようだった。
■
その日は、家に帰っても、キーボードを叩く気にはなれなかった
さすがに、妄想の中の沖田くんを追いかけるより、現実の沖田くんのほうが圧倒的に気になる。
ハルキシさんてどういう人なんだろう。神くんから聞いた様子だと、格好はやや奇抜みたいだけど。
神くんが会ったのが半年くらい前。
沖田くんが「仕事」を始めたのが一年くらい前。
それなら、沖田くんとハルキシさんは、「仕事」を通じて知り合いになったのかな。
つまるところ、どういう関係なんだろう……。
答えが出るはずのない疑問をいくつも思い浮かべていたら、あっという間に夜になってしまった。
仕事から帰ってきたお母さんと夕食を食べて、お風呂に入って、寝る。
行動はいつもの生活をなぞっていたけど、疑問の数は減るどころか、増えるばかりだった。私が一人で考えても答が出るわけないんだから、当たり前なのだけど。
寝て起きると、土曜日。
早く目が覚めてしまったので、着替えて、特にあてもないのに出かける。
来週には一学期が終わって、夏休みがやってくる。
青く晴れ上がった空を見ていると、もう少し気持ちが浮ついてもよさそうなのに。
はた、と気づいたけど、私はもしかして、これから一ヶ月半も沖田君に会えないのではないのか。
せっかく打ち解けることができたのに、ここでそんなお預けはなかなか切ない。
とはいえ、私の方から、どこかへ遊びに行こうと誘うのも……どうなんだろう。連絡先交換の時は、沖田くんは私から働きかけるのを待っていてくれたらしいけど。
そんなことをぐるぐる考えていると、いつの間にか駅に着いていた。
うちからどこへ行くにしても、まずは隣の柏駅まで出ないと始まらないので、順当ではある。
時計を見ると、まだ十時になっていない、お店もあまり開いていないだろうけど、まあいいか。
電車に一駅揺られ、柏で降りると、二階の東口に出た。歩いているうちに、興味のあるお店も見つかるだろうと思って歩き出した、その時。
駅前の、タクシー乗り場を見下ろす二階広場に、見知った後姿があった。ブルーのストライプのTシャツに、黒のワイドパンツ。初めて見る服装だけど、背格好だけで確信できる。
私はそろそろと近づいて、顔を覗き込んだ。
「沖田……くん?」
「うお、衿ノ宮。びっくりした。まじか、本物の衿ノ宮? ……なんで……衿ノ宮って、」
「え?」
「あ、いや。えーと、家この辺なのか?」
「うん、隣駅。高校受験の時、予備校もこの近くだったし。それよりどうしたの、こんな早く。昨日、遅かったんじゃないの?」
ハルキシさんとは、会えたの?
そう訊く前に、沖田くんは両手のひらを上に向けて肩をすくめた。
「だめだった。あの野郎、会いたくともなんともない時はどこからともなくくるのに、こっちから用事がある時はいっつもこうだ。新宿から池袋回ったところで終電終わって、始発で一応上野を見にいって、収穫ゼロ。おかげで徹夜だよ」
「徹夜? 寝てないの?」
「そ。おれ、仮眠でもいいから寝ないとだめなんだよな。今にもこの場で崩れ落ちそう」
沖田くんがくなくなと頭を振った。
「あ、危ないよ。ここで降りたってことは、家近いの?」
「歩いて十五分くらいかな。あっちのコンビニの裏らへん」
沖田くんは大通りの向こうを漠然と指さす。
「送っていくから。もう少しだけ、頑張って」
私たちはエスカレーターで下に降りて、隣に並んで歩いていく。
沖田君の足取りは確かだったけど、何度も目を手の甲でこすっていた。
「衿ノ宮には、変なところばっかり見られてるな」
「いいところもちゃんと見てるよ」
「ミーにキスされた日のやつとかだろ? 充分変だよ」
苦笑交じりに足を進めていると、一軒のマンションに着いた。
灰色の、少し古そうに見えるけど、造りのしっかりした清潔そうな建物だった。
「ここの二階なんだ。オートロックなんかじゃないから、普通に入ってくれ。冷房タイマー入れといてよかったよ」
そうだっけか? と沖田くんは首をひねり、
「なら、おれもなるべく控えよう。じゃ、行ってくる。さすがに私服で行くから、補導は心配しないでくれ。これでも、たまに大学生に見られるんだ」
ひらひらと手を振る沖田くんの後ろ姿を、私は見送る。
さっきよりも闇が濃くなった夕日が、ワイシャツの背中を彩っていた。痩せ気味な体が、深い海に沈んでいくようだった。
■
その日は、家に帰っても、キーボードを叩く気にはなれなかった
さすがに、妄想の中の沖田くんを追いかけるより、現実の沖田くんのほうが圧倒的に気になる。
ハルキシさんてどういう人なんだろう。神くんから聞いた様子だと、格好はやや奇抜みたいだけど。
神くんが会ったのが半年くらい前。
沖田くんが「仕事」を始めたのが一年くらい前。
それなら、沖田くんとハルキシさんは、「仕事」を通じて知り合いになったのかな。
つまるところ、どういう関係なんだろう……。
答えが出るはずのない疑問をいくつも思い浮かべていたら、あっという間に夜になってしまった。
仕事から帰ってきたお母さんと夕食を食べて、お風呂に入って、寝る。
行動はいつもの生活をなぞっていたけど、疑問の数は減るどころか、増えるばかりだった。私が一人で考えても答が出るわけないんだから、当たり前なのだけど。
寝て起きると、土曜日。
早く目が覚めてしまったので、着替えて、特にあてもないのに出かける。
来週には一学期が終わって、夏休みがやってくる。
青く晴れ上がった空を見ていると、もう少し気持ちが浮ついてもよさそうなのに。
はた、と気づいたけど、私はもしかして、これから一ヶ月半も沖田君に会えないのではないのか。
せっかく打ち解けることができたのに、ここでそんなお預けはなかなか切ない。
とはいえ、私の方から、どこかへ遊びに行こうと誘うのも……どうなんだろう。連絡先交換の時は、沖田くんは私から働きかけるのを待っていてくれたらしいけど。
そんなことをぐるぐる考えていると、いつの間にか駅に着いていた。
うちからどこへ行くにしても、まずは隣の柏駅まで出ないと始まらないので、順当ではある。
時計を見ると、まだ十時になっていない、お店もあまり開いていないだろうけど、まあいいか。
電車に一駅揺られ、柏で降りると、二階の東口に出た。歩いているうちに、興味のあるお店も見つかるだろうと思って歩き出した、その時。
駅前の、タクシー乗り場を見下ろす二階広場に、見知った後姿があった。ブルーのストライプのTシャツに、黒のワイドパンツ。初めて見る服装だけど、背格好だけで確信できる。
私はそろそろと近づいて、顔を覗き込んだ。
「沖田……くん?」
「うお、衿ノ宮。びっくりした。まじか、本物の衿ノ宮? ……なんで……衿ノ宮って、」
「え?」
「あ、いや。えーと、家この辺なのか?」
「うん、隣駅。高校受験の時、予備校もこの近くだったし。それよりどうしたの、こんな早く。昨日、遅かったんじゃないの?」
ハルキシさんとは、会えたの?
そう訊く前に、沖田くんは両手のひらを上に向けて肩をすくめた。
「だめだった。あの野郎、会いたくともなんともない時はどこからともなくくるのに、こっちから用事がある時はいっつもこうだ。新宿から池袋回ったところで終電終わって、始発で一応上野を見にいって、収穫ゼロ。おかげで徹夜だよ」
「徹夜? 寝てないの?」
「そ。おれ、仮眠でもいいから寝ないとだめなんだよな。今にもこの場で崩れ落ちそう」
沖田くんがくなくなと頭を振った。
「あ、危ないよ。ここで降りたってことは、家近いの?」
「歩いて十五分くらいかな。あっちのコンビニの裏らへん」
沖田くんは大通りの向こうを漠然と指さす。
「送っていくから。もう少しだけ、頑張って」
私たちはエスカレーターで下に降りて、隣に並んで歩いていく。
沖田君の足取りは確かだったけど、何度も目を手の甲でこすっていた。
「衿ノ宮には、変なところばっかり見られてるな」
「いいところもちゃんと見てるよ」
「ミーにキスされた日のやつとかだろ? 充分変だよ」
苦笑交じりに足を進めていると、一軒のマンションに着いた。
灰色の、少し古そうに見えるけど、造りのしっかりした清潔そうな建物だった。
「ここの二階なんだ。オートロックなんかじゃないから、普通に入ってくれ。冷房タイマー入れといてよかったよ」