「そんなことはないと思うけど!? それに、沖田くんだって、私に結構謝るよ?」

そうだっけか? と沖田くんは首をひねり、

「なら、おれもなるべく控えよう。じゃ、行ってくる。さすがに私服で行くから、補導は心配しないでくれ。これでも、たまに大学生に見られるんだ」

ひらひらと手を振る沖田くんの後ろ姿を、私は見送る。

さっきよりも闇が濃くなった夕日が、ワイシャツの背中を彩っていた。痩せ気味な体が、深い海に沈んでいくようだった。



その日は、家に帰っても、キーボードを叩く気にはなれなかった

さすがに、妄想の中の沖田くんを追いかけるより、現実の沖田くんのほうが圧倒的に気になる。

ハルキシさんてどういう人なんだろう。神くんから聞いた様子だと、格好はやや奇抜みたいだけど。

神くんが会ったのが半年くらい前。

沖田くんが「仕事」を始めたのが一年くらい前。

それなら、沖田くんとハルキシさんは、「仕事」を通じて知り合いになったのかな。

つまるところ、どういう関係なんだろう……。

答えが出るはずのない疑問をいくつも思い浮かべていたら、あっという間に夜になってしまった。

仕事から帰ってきたお母さんと夕食を食べて、お風呂に入って、寝る。

行動はいつもの生活をなぞっていたけど、疑問の数は減るどころか、増えるばかりだった。私が一人で考えても答が出るわけないんだから、当たり前なのだけど。

寝て起きると、土曜日。

早く目が覚めてしまったので、着替えて、特にあてもないのに出かける。

来週には一学期が終わって、夏休みがやってくる。

青く晴れ上がった空を見ていると、もう少し気持ちが浮ついてもよさそうなのに。

はた、と気づいたけど、私はもしかして、これから一ヶ月半も沖田君に会えないのではないのか。

せっかく打ち解けることができたのに、ここでそんなお預けはなかなか切ない。

とはいえ、私の方から、どこかへ遊びに行こうと誘うのも……どうなんだろう。連絡先交換の時は、沖田くんは私から働きかけるのを待っていてくれたらしいけど。

そんなことをぐるぐる考えていると、いつの間にか駅に着いていた。

うちからどこへ行くにしても、まずは隣の柏駅まで出ないと始まらないので、順当ではある。

時計を見ると、まだ十時になっていない、お店もあまり開いていないだろうけど、まあいいか。

電車に一駅揺られ、柏で降りると、二階の東口に出た。歩いているうちに、興味のあるお店も見つかるだろうと思って歩き出した、その時。

駅前の、タクシー乗り場を見下ろす二階広場に、見知った後姿があった。ブルーのストライプのTシャツに、黒のワイドパンツ。初めて見る服装だけど、背格好だけで確信できる。

私はそろそろと近づいて、顔を覗き込んだ。

「沖田……くん?」

「うお、衿ノ宮。びっくりした。まじか、本物の衿ノ宮? ……なんで……衿ノ宮って、」

「え?」

「あ、いや。えーと、家この辺なのか?」

「うん、隣駅。高校受験の時、予備校もこの近くだったし。それよりどうしたの、こんな早く。昨日、遅かったんじゃないの?」

ハルキシさんとは、会えたの?

そう訊く前に、沖田くんは両手のひらを上に向けて肩をすくめた。

「だめだった。あの野郎、会いたくともなんともない時はどこからともなくくるのに、こっちから用事がある時はいっつもこうだ。新宿から池袋回ったところで終電終わって、始発で一応上野を見にいって、収穫ゼロ。おかげで徹夜だよ」

「徹夜? 寝てないの?」

「そ。おれ、仮眠でもいいから寝ないとだめなんだよな。今にもこの場で崩れ落ちそう」

沖田くんがくなくなと頭を振った。

「あ、危ないよ。ここで降りたってことは、家近いの?」

「歩いて十五分くらいかな。あっちのコンビニの裏らへん」

沖田くんは大通りの向こうを漠然と指さす。

「送っていくから。もう少しだけ、頑張って」

私たちはエスカレーターで下に降りて、隣に並んで歩いていく。

沖田君の足取りは確かだったけど、何度も目を手の甲でこすっていた。

「衿ノ宮には、変なところばっかり見られてるな」

「いいところもちゃんと見てるよ」

「ミーにキスされた日のやつとかだろ? 充分変だよ」

苦笑交じりに足を進めていると、一軒のマンションに着いた。

灰色の、少し古そうに見えるけど、造りのしっかりした清潔そうな建物だった。

「ここの二階なんだ。オートロックなんかじゃないから、普通に入ってくれ。冷房タイマー入れといてよかったよ」