「お、沖田くん!? い、い……どっ……」

いつから近くにいて、どこからどこまで聞いていたの? と言おうとしたのだけど、どうやら察してくれたらしい沖田くんは、

「そっちの子が、『私見てたの』って言ってた辺りから。声かけようとしたんだけど、少しばかりは気になったからな。なにをどう見られたのかな、って」

私が奥野さんの方に視線を戻すと、彼女は真っ青になって震えていた。

「あ、あ、あの……お、沖田くん……私」

「ああ。……気にかけてくれてたんだな。ありがとう。君の言うこと、その通りだと思うよ。それに……ごめん」

謝罪は、告白に対してだろう。奥野さんは、またも大粒の涙をこぼして、ぱたぱたと走っていった。

「悪いことしちまったな。……なんで、おれのことなんて好きになる女子がいるんだろう。女に好かれるようなこと、した覚えもないのに」

本気で言っているらしい。そうつぶやく横顔だけで、私は見とれてしまいそうになるのに。顔立ちというよりは、もう戻らない水底の宝物を見るような、切なそうな眼差しに。

「そ、そうだ。沖田くん、平町さんとはどうだったの?」

「ああ。昼休みに捕まえて話ができた。……やっぱり、噂を広めてたのはあいつだった。泣かれちゃってさ、あまりきつく言えなかった。とりあえずもう、やめてくれるように頼んだよ。なんでそんなことしたんだって訊いてもはっきり答えなかったんで、ま、それだけ嫌われたってことなんだろうな」

違うような気がするよ、沖田くん。

「……それに、なんであんな噂を広めたのかなんてことより、一番訊きたかったのは別のことだ。平町が直接売りの現場を見たわけじゃないだろうとは思ってたからな、おれの仕事のことを、誰から聞いたか。これが肝心だった。平町が知っていたのはそいつの風体だけだったが、これはほぼ誰なのか確定した」

私ののどが、こくりと鳴った。

「平町が新宿でたまたま知り合った男が、おれの知人だったらしい。おれは、これからそいつのところに行ってくる。なにかのすれ違いのせいかもしれないし、案外あっさり片付くかもしれない……そうだといいけどな。以上、経過報告だ。じゃな」

にっと笑って、沖田くんは私に背中を向けた。

夕暮れが近づいていて、わずかに暗闇色を含んだオレンジが、その肩を照らす。


「待って、沖田くん。これから行くのって、歌舞伎町?」

沖田くんはくるりと振り返り、

「当たり。でもあいつ、どこにいるか分からないんだよな。上野か、池袋かも。連絡してもあんまりつながらないし。実は午後の授業さぼって、何度か電話やメッセージ入れてみたんだけど、なしのつぶてだから、今晩は空振りするかもしれない。でもまあ明日は学校休みだし、多少遅くなってもいいだろう」

「私も行く」

え、と沖田くんは組みかけた腕を途中で止めた。

「なんでまた? やめとけよ、昼間ならともかく夜の繁華街なんて。衿ノ宮は高校生だろ」

「沖田くんもだよ!? い、いやそれはともかく、連れて行ってほしいな、なんて」

「だめだ。特に、さっきの話を聞いた後じゃな」

「話? のどの部分?」

「全体的に。特に『誰なのか』のところ。衿ノ宮、おれは、必要もないのに君を危なっかしい場所になんて連れて行かない」

「……危なっかしい場所に行くの?」

「一般的にだよ。酔っ払いもいれば、ろくでもないのもふらふらしてるからな」

「……探すのは、ハルキシさんて人?」

沖田くんの顔色が変わった。

「衿ノ宮、なんで名前……そうか、ミーか。あいつ……そういえば一度会ってたな。しかしどういう勘してるんだ……」

沖田くんが喉仏をさらすほど、大きくのけぞった。

わざと大仰にしているみたいで、そのふざけている感じに余裕があったので、私も少しほっとしてしまう。

「ごめんなさい。私、詮索するつもりじゃなくて」

「ああ、いいいい。謝らないでくれ。どういう流れでその名前が出たのかは、だいたい想像がつくよ。聞いたかもしれないけど、前からの知り合いなんだ。だからハルキシ自体が危ないとかおっかないとか、そういうんじゃない。単純に、学校よりは治安が悪い場所だから、衿ノ宮は行かないでいいってだけだ」

「それじゃ、日本のたいていの場所が当てはまると思うけど……」

「今日だけは聞いておいてくれ。おれは、おれのせいで衿ノ宮になにかあったら立ち直れない」

沖田くんは、口元は笑っていたけど、目は真面目だった。

「う、うん。……分かった。ごめんね」

「さっきの今で、また謝ったな。もう、衿ノ宮はおれには謝罪禁止だ。君はおれになにをしてもいいから、謝るようなことも存在しない」