ヤスダさんが、恐怖に顔を引きつらせながら言ってくる。

「ああ?」

「ネットに書いてやる。お前らの個人情報全部、あとつけて、調べ上げて。名前も学校も、全部。ニュースになって全国に知れ渡るような載せ方してやるからな」

いずれこれを言い出すだろう、と思っていた。

沖田くんが握りしめている拳を横目に、私は答えた。

「たぶん、それを突き止める前にヤスダさんが捕まります。なにかあったら私は今日のことを父に言いますんで、ヤスダさんが特定されるほうが早いです。ニュースになるのも、ヤスダさんの方です。……捕まってからの方が、つらいみたいですよ」

なるべくゆっくりと、私が感じている嫌悪と恐怖を表に出さないように、それだけを心がけて淡々と話した。ヤスダさんが少しでも利己的に、冷静になってくれるよう願って。あまりこういうことは得意ではないので、自信はなかったけれど。

沖田くんもヤスダさんから手を放し、

「おれ、仕事自体もうすぐやめるつもりなんです。だから、今まで仕事で関わってくれた人たちには、平穏に暮らしてほしいんですよ。きっとまた新しい誰かが、ヤスダさんのことを癒してくれますから」

そう言われて、ヤスダさんは再び椅子に座った。

沖田くんが私に目配せする。「出るぞ」ということだろう。

私たちは、並んで喫茶店を出た。

薄暗い室内から、急に明るくなったので、軽くめまいがする。

しばらく歩いてから沖田くんがいきなりがばりと頭を下げた。

「ごめん、衿ノ宮! 怖かっただろ!?」

「えっ!? う、ううん、大丈夫だよ!? 沖田くんこそ」

「いや、あそこまでになる人だとは……。変装しておいて、まだしもよかったな。ついてきてないよなあ、くそ。疲れただろ、どこか入ろうぜ」

私たちは、五分ほど歩いて、看板が目立っていたカフェに入った。

カップルや女性客が多くて、窓が大きくて明るく、落ち着いた気持になる。

「さっきの店、あのレトロで薄暗い雰囲気が評判いいんだけど、あの親爺一人のせいで台無しだったな。衿ノ宮、本当にごめんな。それにありがとう。案外度胸あるんだな、見知らぬ男にあんなタンカ切るなんて」

「そ、そんなに大したことしてないから。タンカというか、あれは、言い負けちゃいけないと思って」

沖田くんは、「そうだな、言い負けなかったな、全然」と笑ってから、ふと思い出したように首をかしげた。

「衿ノ宮のお父さんて、本当に警察なのか?」

「あんなの嘘嘘。うち、母子家庭だもん。なんて言ったら落ち着いてくれるかなって、それだけ考えてたんだ」

「そっか。いや、それでほっとしてるのはまずいんだよな、おれも。いや、今日は、もっとすんなりいくと思ったんだけどなあ」

「めっちゃ執着されてたね……」

「でもな、あれで何日かすればけろっと新しい男見つけるんだよ。似たようなことは何度かあったんだけど、あんなにおれにご執心だったのにアレ? ってなるんだよな」

沖田くんが苦笑する。それからふっと真面目な顔になった。

「衿ノ宮、聞きたくもないこと聞かせちゃったな。それもごめん」

なんのことを言っているのかは、すぐに分かった。沖田くんがあの人と、どんなことをしてきたかについて。

具体的に中身を聞かなかったせいか、今でも、現実味がなかった。目の前にいる沖田くんが、あの人と、密室の中で服を脱いで、そして……

「……今、想像してるか?」

「えっ!? し、してないよ!」

してました。すみません。

「実を言うと……さっきおれ、衿ノ宮に、いっそ『仕事』の内容を聞いてしまってほしい、とも思っちゃったんだよな」

「私に?」

「人に言えないことをしてるってのは分かるだろ? ミー……神なんかは、多少は知ってるけど、必要以上に触れないようにしてくれてる。実際それでいいんだ。でもたまに、つらくなる。誰か一人でもいいから、おれがどんなことをやってるのか、知っていてほしいって思うことがあるんだ。そう、一人でいいから……仕事に関係のない、でも信頼してる誰かに」

沖田くんが、右手のひらで顔を覆った。

細く、静かなため息が、その下から漏れてくる。

「それでも、自分の口で言うのはさすがにきついんだ。だからさっき、この野郎なに言うつもりだって思いながら、打算も働いてて。こいつが、おれが衿ノ宮に知ってほしいことを全部言ってくれたらって、……最低だろ?」

「沖田くん」

「衿ノ宮は、おれが自分から話さないことを、無理に聞き出そうとはしないでいてくれた。やりにくかったろうに、今もこうして今まで通りに傍にいてくれてる。……嬉しいよ、凄く」