――衿ノ宮は、その子たちとは違う。最初からおれが男が好きだって知ってるし、おれもそれを承知で交流を持ってる。前の女友達には、そこは隠してたんだ。おれに非があるよ。いや、そんな話じゃないな。とにかく、頼まれてほしいんだ。もちろんお礼はする。
私、そんなお芝居自信ないよ。
――嘘つかせる形になって申し訳ないけど、いざその時になったら、おれが一方的にしゃべって終わらせるから。
……そんなナイーブな話、私も、前の子たちと同じで、沖田くんを傷つけるかもしれないよ。
――いや、傷つけたのはおれなんだよ。そこは認識を変えちゃいけないところだとおもってる。第一、……
第一?
――衿ノ宮は、男が好きな男なんて、好きになったりしないだろ?
最後の一言は、なにげなく、気負いのない笑顔で言われた。
でも私は、ほかのなにより、その言葉に、頭の中身を強く揺らされたような衝撃を受けた。
どうして?
なんで私なんだろう。
その理由は聞いた。納得もいく。
それでも、何度も胸の中で問い直してしまう。
なんで私なんだろう。
ウソカノ。
自分を好きにならないと信じている相手だからこそ頼める、嘘の彼女。
沖田くんは私を信じてくれている。仲がいいと言ってくれている。それはすごく嬉しい。
それなのに、あの無邪気な笑顔と最後の言葉を思い出すたびに、胸の奥が針で突かれたように痛む。
胸の中の半分が嬉しさで満ちると、もう半分がつらさで満ちる。それはなぜか、単純につらさだけで心が埋まってしまうよりも、ずっと苦しかった。
やめようやめよう、こんなことを考えるのは。もっと楽しいことを考えよう。
それでも頭には、沖田君の顔が浮かんでくる。
私は観念して、沖田くんを目で追い始めたころのことを思い出すことにした。
あれはちょうど一年前の今頃、高校最初の夏休みの前だった。
初めての期末テストを目前に控え、なにをどのくらい勉強すればいいのか、見当もつかずに復習に追われていた。
高校受験が終わった時、もう当分勉強なんてしないぞと無敵の解放感に身を任せていられたのは、ほんの数ヶ月もない短い期間だった。
放課後、集中して勉強しようと学校の図書室で居残りし、切り上げて下校しようとした時、まだ夏の太陽は強烈な西日を校舎の窓から廊下へ送り込んでいた。
恐ろしく体温の高い動物にがっしりと抱きつかれているような空気の中、額の汗をハンドタオルでぬぐいながら下駄箱までくると、同じ一年生らしい団体が五六人、私の横を大きな声で話しながら通過していった。
「うちのクラスの沖田ってさあ、マジで教室で人としゃべんねえよな」
「でも発表とかは全然するじゃん。人前で話すのが苦手ってわけじゃないんだろ」
沖田くん。その名前には聞き覚えがあった。高校にきて最初に友達になったカナちゃんが、隣のクラスにかっこいい男子がいると騒いでいたから。
――燈は見た? いやなんかスラッとしてて、でも痩せぎすってわけじゃなくてさあ、筋肉はありますよって感じで、前髪が絶妙の長さで目が少し隠れてて、それがまた絵になるんだよー。沖田瀬那くんていうんだって。
その時私はまだ、沖田くんを見たことがなかった。もしかしたら見かけてはいたのかもしれないけれど、少なくとも、顔と名前が一致していなかった。
がやがやと通り過ぎて行った男子たちは、昇降口を出る時、右手の中庭を指して言った。
「あれ、沖田じゃね? なんであんなとこで突っ立ってんだ? あっついだろうに、変なやつ」
男子たちは首をひねりながら帰っていく。
私は、彼らの指さした方を見た。
そこでは、楡の木の下、沖田くんが立ったまま文庫本を読んでいた。しかもそこは西日に対して角度的に楡の梢が影を作ってくれておらず、彼は、橙色の突き刺すような光をまともにその身に浴びている。太陽に背中を向けているけれど、あれでは体の背面は相当暑いだろう。
確かに変だ。でも、なにか理由があるのかもしれない。変ではない理由が。
私は目を凝らした。すると、沖田くんのすぐ横のテーブルに隠れて見えづらいけれど、どうやらベンチに誰かが寝転がっているらしい。
見えづらいのは障害物があるからだけでなく、その寝ている人のいる場所が、沖田くんの体が太陽光を遮っているせいで、陰になっているからだ。
寝ていた人が、いきなり起き上がった。そして私にも聞こえる声で、
「あー、寝ちまった。あれ、瀬那、なにしてんだそんなとこで。暑くねえ?」
私、そんなお芝居自信ないよ。
――嘘つかせる形になって申し訳ないけど、いざその時になったら、おれが一方的にしゃべって終わらせるから。
……そんなナイーブな話、私も、前の子たちと同じで、沖田くんを傷つけるかもしれないよ。
――いや、傷つけたのはおれなんだよ。そこは認識を変えちゃいけないところだとおもってる。第一、……
第一?
――衿ノ宮は、男が好きな男なんて、好きになったりしないだろ?
最後の一言は、なにげなく、気負いのない笑顔で言われた。
でも私は、ほかのなにより、その言葉に、頭の中身を強く揺らされたような衝撃を受けた。
どうして?
なんで私なんだろう。
その理由は聞いた。納得もいく。
それでも、何度も胸の中で問い直してしまう。
なんで私なんだろう。
ウソカノ。
自分を好きにならないと信じている相手だからこそ頼める、嘘の彼女。
沖田くんは私を信じてくれている。仲がいいと言ってくれている。それはすごく嬉しい。
それなのに、あの無邪気な笑顔と最後の言葉を思い出すたびに、胸の奥が針で突かれたように痛む。
胸の中の半分が嬉しさで満ちると、もう半分がつらさで満ちる。それはなぜか、単純につらさだけで心が埋まってしまうよりも、ずっと苦しかった。
やめようやめよう、こんなことを考えるのは。もっと楽しいことを考えよう。
それでも頭には、沖田君の顔が浮かんでくる。
私は観念して、沖田くんを目で追い始めたころのことを思い出すことにした。
あれはちょうど一年前の今頃、高校最初の夏休みの前だった。
初めての期末テストを目前に控え、なにをどのくらい勉強すればいいのか、見当もつかずに復習に追われていた。
高校受験が終わった時、もう当分勉強なんてしないぞと無敵の解放感に身を任せていられたのは、ほんの数ヶ月もない短い期間だった。
放課後、集中して勉強しようと学校の図書室で居残りし、切り上げて下校しようとした時、まだ夏の太陽は強烈な西日を校舎の窓から廊下へ送り込んでいた。
恐ろしく体温の高い動物にがっしりと抱きつかれているような空気の中、額の汗をハンドタオルでぬぐいながら下駄箱までくると、同じ一年生らしい団体が五六人、私の横を大きな声で話しながら通過していった。
「うちのクラスの沖田ってさあ、マジで教室で人としゃべんねえよな」
「でも発表とかは全然するじゃん。人前で話すのが苦手ってわけじゃないんだろ」
沖田くん。その名前には聞き覚えがあった。高校にきて最初に友達になったカナちゃんが、隣のクラスにかっこいい男子がいると騒いでいたから。
――燈は見た? いやなんかスラッとしてて、でも痩せぎすってわけじゃなくてさあ、筋肉はありますよって感じで、前髪が絶妙の長さで目が少し隠れてて、それがまた絵になるんだよー。沖田瀬那くんていうんだって。
その時私はまだ、沖田くんを見たことがなかった。もしかしたら見かけてはいたのかもしれないけれど、少なくとも、顔と名前が一致していなかった。
がやがやと通り過ぎて行った男子たちは、昇降口を出る時、右手の中庭を指して言った。
「あれ、沖田じゃね? なんであんなとこで突っ立ってんだ? あっついだろうに、変なやつ」
男子たちは首をひねりながら帰っていく。
私は、彼らの指さした方を見た。
そこでは、楡の木の下、沖田くんが立ったまま文庫本を読んでいた。しかもそこは西日に対して角度的に楡の梢が影を作ってくれておらず、彼は、橙色の突き刺すような光をまともにその身に浴びている。太陽に背中を向けているけれど、あれでは体の背面は相当暑いだろう。
確かに変だ。でも、なにか理由があるのかもしれない。変ではない理由が。
私は目を凝らした。すると、沖田くんのすぐ横のテーブルに隠れて見えづらいけれど、どうやらベンチに誰かが寝転がっているらしい。
見えづらいのは障害物があるからだけでなく、その寝ている人のいる場所が、沖田くんの体が太陽光を遮っているせいで、陰になっているからだ。
寝ていた人が、いきなり起き上がった。そして私にも聞こえる声で、
「あー、寝ちまった。あれ、瀬那、なにしてんだそんなとこで。暑くねえ?」