もう数分で、別れてしまう。
いいのかな。
今日聞くべき沖田くんの話は、ちゃんと聞けたかな。私が言うべきことは、ちゃんと言えたかな。
家に帰ってから、ああ言えばよかった、あんなこと言うべきじゃなかった、なんてことにならないかな。
「沖田くん」
「ん、なに?」
「連絡先を教えて」
沖田くんが立ち止まった。口を少し開いて、私を見ている。
「おれが言うの、男からだとよくないかなと思って、我慢してた」
電話番号と、メッセージアプリのIDを交換する。SNSのアカウントは、沖田くんが「おれのやつあるにはあるけど、『仕事』用だからあんまり衿ノ宮には見られたくない」と言うので、聞かないことになった。
「衿ノ宮。また、たまに、昼食を一緒にとれそうな時、誘ってもいいかな」
うん。
それが、この日の、私と沖田くんの最後の会話だった。
それからの電車の中、駅で降りて家までの道、そして部屋に入って着替えるまでのことは、あまりよく覚えていない。
部屋着でベッドに飛び乗ると、横の本棚にいくつも刺さっている、BL漫画や小説の背表紙が見えた。
今まで、それらと似ていてどれとも違う、私だけの沖田くんのBLストーリーを、何度も頭の中に思い描いてきた。
それは、私が沖田くんとろくに言葉も交わさないでいたから、好きに空想ができたのだ。あんなに近くで、本物の沖田くんの声で、いろんな表情で楽しそうに会話なんてしてしまったら、刺激が強すぎて妄想のほうが負けてしまう。はかどらない。
これではいけない。なにもいけなくない気もするけど、なにかがいけない。
私はがばりと起き上がると、ノートパソコンを開いた。
「文章」という無味乾燥なフォルダの中には、数十個のテキストファイルが詰まっている。
大半は、私の生み出した架空の人物たちのBLだった。
その中に、沖田くんを主人公にして私が書いた、単話のストーリー……というより、書きたいシチュエーションだけを書きつけた、ばらばらのパーツが収められたファイルが混じっている。
ファイルによって、沖田くんは孤高の生徒会長だったり、学校の理不尽な体制にあらがう不良じみたアウトロウだったりした。
共通していたのは、現実の教室でそうであるように、沖田くんの友達――理解者がとても少ない設定であること。
沖田くんが孤独であったほうがいいということでは、決してない。ただ、そうした環境の中で、厳選された人間関係を充実させ、唯一無二の恋愛に発展していくところを文章にしていくと、突き上げるような興奮に襲われた。
ごめん、沖田くん、ごめん。
はっきり言葉にする沖田くんと違って、私の謝罪は、心の中で繰り返すだけだった。
新しいテキストファイルを開いて、考えるより先に指がキーボードを叩く。
誰にも言えない秘密を持った沖田くん。それを、たいして親しくもないクラスメイト――もちろん男子の――に知られてしまう。
激しい高揚の中では、緻密に秘密の中身を考える余裕はなかった。どうせ誰に見せることもないし、私には、現実の沖田くんが「仕事」でどんなことをしているのかはいまいち具体的には分からない。大まかな設定だけあればいいだろう。
沖田くんは、体を売る仕事をしていた。それを知ったクラスメイトは、最初、沖田くんをゆすって売り上げを奪おうとする。
けれど沖田くんの事情を知るうちに、そんなつもりはなくなって、やがて二人は心を通い合わせていく――……
そこまで書いて、ふと私の打鍵は止まった。
事情。
沖田くんがなぜ、「それ」を仕事にしているのかという事情。私の思考はそこで行き止まりに至った。
妄想では、いくらでも答えを作れる。似たようなことは今までさんざんしてきた。
それなのに、今は指が動いてくれなかった。
なにも知らないのに、勝手な想像で勝手なことを書くのは、沖田くんに対してとてもひどいことをしているように思えた。
ひとまず、そこでファイルを保存する。タイトルは「内緒の仕事」。……なんだかとても幼稚だけれど、いずれ変えればいい。今はそんなところに脳みそを使う気になれなかった。
私の書く沖田くんは、今までは話の最後で必ず、頼りがいがあって信じあえる男子と、激しく抱き合った。
構想の中でさえそこまでたどり着けないのは、初めてだった。
ノートパソコンの電源を切って、またベッドに寝転がる。
実はひそかに、あの本棚に並ぶ本のように、私もBL小説を書いて、本を出してみたいなどと思っていた。
幸せになってほしい男の子が、本当に好きな相手と出会って、好きになられて、幸せになる。それだけの話を。
いいのかな。
今日聞くべき沖田くんの話は、ちゃんと聞けたかな。私が言うべきことは、ちゃんと言えたかな。
家に帰ってから、ああ言えばよかった、あんなこと言うべきじゃなかった、なんてことにならないかな。
「沖田くん」
「ん、なに?」
「連絡先を教えて」
沖田くんが立ち止まった。口を少し開いて、私を見ている。
「おれが言うの、男からだとよくないかなと思って、我慢してた」
電話番号と、メッセージアプリのIDを交換する。SNSのアカウントは、沖田くんが「おれのやつあるにはあるけど、『仕事』用だからあんまり衿ノ宮には見られたくない」と言うので、聞かないことになった。
「衿ノ宮。また、たまに、昼食を一緒にとれそうな時、誘ってもいいかな」
うん。
それが、この日の、私と沖田くんの最後の会話だった。
それからの電車の中、駅で降りて家までの道、そして部屋に入って着替えるまでのことは、あまりよく覚えていない。
部屋着でベッドに飛び乗ると、横の本棚にいくつも刺さっている、BL漫画や小説の背表紙が見えた。
今まで、それらと似ていてどれとも違う、私だけの沖田くんのBLストーリーを、何度も頭の中に思い描いてきた。
それは、私が沖田くんとろくに言葉も交わさないでいたから、好きに空想ができたのだ。あんなに近くで、本物の沖田くんの声で、いろんな表情で楽しそうに会話なんてしてしまったら、刺激が強すぎて妄想のほうが負けてしまう。はかどらない。
これではいけない。なにもいけなくない気もするけど、なにかがいけない。
私はがばりと起き上がると、ノートパソコンを開いた。
「文章」という無味乾燥なフォルダの中には、数十個のテキストファイルが詰まっている。
大半は、私の生み出した架空の人物たちのBLだった。
その中に、沖田くんを主人公にして私が書いた、単話のストーリー……というより、書きたいシチュエーションだけを書きつけた、ばらばらのパーツが収められたファイルが混じっている。
ファイルによって、沖田くんは孤高の生徒会長だったり、学校の理不尽な体制にあらがう不良じみたアウトロウだったりした。
共通していたのは、現実の教室でそうであるように、沖田くんの友達――理解者がとても少ない設定であること。
沖田くんが孤独であったほうがいいということでは、決してない。ただ、そうした環境の中で、厳選された人間関係を充実させ、唯一無二の恋愛に発展していくところを文章にしていくと、突き上げるような興奮に襲われた。
ごめん、沖田くん、ごめん。
はっきり言葉にする沖田くんと違って、私の謝罪は、心の中で繰り返すだけだった。
新しいテキストファイルを開いて、考えるより先に指がキーボードを叩く。
誰にも言えない秘密を持った沖田くん。それを、たいして親しくもないクラスメイト――もちろん男子の――に知られてしまう。
激しい高揚の中では、緻密に秘密の中身を考える余裕はなかった。どうせ誰に見せることもないし、私には、現実の沖田くんが「仕事」でどんなことをしているのかはいまいち具体的には分からない。大まかな設定だけあればいいだろう。
沖田くんは、体を売る仕事をしていた。それを知ったクラスメイトは、最初、沖田くんをゆすって売り上げを奪おうとする。
けれど沖田くんの事情を知るうちに、そんなつもりはなくなって、やがて二人は心を通い合わせていく――……
そこまで書いて、ふと私の打鍵は止まった。
事情。
沖田くんがなぜ、「それ」を仕事にしているのかという事情。私の思考はそこで行き止まりに至った。
妄想では、いくらでも答えを作れる。似たようなことは今までさんざんしてきた。
それなのに、今は指が動いてくれなかった。
なにも知らないのに、勝手な想像で勝手なことを書くのは、沖田くんに対してとてもひどいことをしているように思えた。
ひとまず、そこでファイルを保存する。タイトルは「内緒の仕事」。……なんだかとても幼稚だけれど、いずれ変えればいい。今はそんなところに脳みそを使う気になれなかった。
私の書く沖田くんは、今までは話の最後で必ず、頼りがいがあって信じあえる男子と、激しく抱き合った。
構想の中でさえそこまでたどり着けないのは、初めてだった。
ノートパソコンの電源を切って、またベッドに寝転がる。
実はひそかに、あの本棚に並ぶ本のように、私もBL小説を書いて、本を出してみたいなどと思っていた。
幸せになってほしい男の子が、本当に好きな相手と出会って、好きになられて、幸せになる。それだけの話を。