4章

 伶桜と仲直りした僕は、再び衣装を着せ合う仲に戻った。
 今日は昼にお互いの服を買いに出て、僕の部屋で再度、まるでファッションショーのように着てみようという流れになった。まずは可愛い系の服を、そして伶桜にもワイルド系の服を着てもらい、2人ともご満悦。でも洋服のストックはまだある。
「次なんだけど、薫。これを――」
 そこまで口にした時、伶桜が中空を見つめて固まり――跳ね上がった。
「――は、ははは、蜂!」
「え、蜂?」
 慌てふためく伶桜が指さす方向を見ると、蜂が飛んでいた。あ~、網戸にしてたんだけど……。どっかに隙間があったのかな? 室内に入って来ちゃったみたいだ。
「――あ、そう言えば伶桜。飛ぶ虫はダメなんだっけ?」
 確か、幼稚園児ぐらいの時だったと思う。飛んでいる虫――アブか何かに刺されて腫れてから、伶桜は空を飛ぶ虫が大嫌いになった。……高校生になった今でも、ここまで怖がるのは予想外だけど。
「むむむ、無理! 飛ぶとか、卑怯だろ! なんとかして薫!」
 壁に顔を向け、伶桜は蹲ってしまった。この場合、蜂に背を向けてと言った方が良いのかな? 見るのも怖いのか……。頭隠して尻隠さず。
「こんなの……ヨイショっと」
 ガララっと網戸を開き、攻撃と思われないように誘導すれば――蜂は直ぐに部屋から出て行く。そうして、また網戸を閉めれば終了だ。なんて事はないんだけど……。伶桜は未だ、壁に向かい蹲ったまま。
 クールな伶桜が怯えている姿は新鮮で、ちょっと楽しくはあるけど……。意地悪のし過ぎは良くないね。
「伶桜、もう蜂は出てったよ~」
「本当、本当に!?」
「はいはい、本当だよ~。窓からまた空へ帰ったよ~」
「薫、薫!――ありがとう!」
 天敵の出現にテンパっている伶桜は、目を潤ませながら僕に飛びついて来て――非力な僕では、伶桜を支えきれなかった。
「――……ぇ」
「あの……伶桜?」
 これって俗に言う――床ドンってヤツ? 見上げれば、髪の毛が垂れて来ている伶桜の顔、そして天井が視界に映る。僕の露出している腕には、床の冷たさが滲み、伶桜の手が触れている部分との温度差を引き立てる。伶桜の手って……温かいんだね。
 改めてだけど、綺麗な顔。睫も長いし、沁み1つない。まるで新雪のように整い、透明感がある肌艶。爽やかイケメンだなぁ……。手足も長いし、ズルい。
 僕が努めて冷静に分析していると――伶桜は顔を真っ赤に染め、バッと飛び退いた。
「す、すまん!」
「壁ドンはいつもだけど、床ドンは初めてだね」
「い、いつも!?」
「うん。僕が部屋で五月蠅くしてると、いつも壁を殴って来るじゃん」
「それは意味が違う壁ドンだろう! な、なんで薫はそんな平然としているんだよ?」
「ん~? 僕まで狼狽えた方が良い?」
「いや……。そういう訳じゃないけど、なんか悔しいだろ」
 顔を逸らし、伶桜は首元をカリカリと掻いている。困ったり照れくさい時に、身体の何処かを掻く伶桜の癖、出てるなぁ~。
「伶桜に勝ったね。いつもは僕ばっかりが悔しい思いをしていたから。……それにね?」
「なんだよ?」
「冷静にいようと心がけて分析してただけで……格好良いなって、ドキドキはしてるんだよ?」
「ぐっ……。だから、その上目遣いは卑怯だぞ!」
「伶桜こそ、潤んだ熱い瞳で押し倒して来るのは、卑怯だと思うなぁ」
「それは、蜂が怖くてだろうが! そもそも、俺の細い身体ぐらい支えて見せろよ!」
「無茶言わないでよ。身長差が15センチメートル以上あるんだよ?」
「それでも、筋肉はそっちのがあるだろ!?」
「ん~……どうだろね? 筋トレは毎日、続けてるけど……」
 それを言われてしまうと、自分の筋力の無さが情けなくて涙目になりそう……。可愛い服装や化粧品でメイクアップするのも良いなって思い始めてはいるけど、まだ自分自信が格好良くなる事への未練も、捨てきれてはいないんだから。
「なんで薫は、そんな平然として居られるんだよ……」
 そんなことを考えていると、伶桜が捨てられた子犬のように儚い瞳、弱々しい声音で尋ねて来た。
「……平然となんて、してないよ?」
「……え?」
 顔を赤くして目を丸くしている伶桜は、なんだかいつもクールで格好良い分、ギャップで可愛くて……。僕は、胸のドキドキがバレないように必死だった。空気の振動とかでバレないかなって。だから何でも無い風を装って、僕は衣装袋へと近づく。
「なんでもな~い! よし、続きしよ! まだ伶桜に着て欲しい服が沢山あるんだ~」
「ぐ……畜生。それなら、こっちも本気だ。ふわふわで、もっこもこの熊耳アニマルパジャマを着せてやる!」
「ちょっ!? それ、家で着る服じゃん!? 母さんにバレるよ!」
「五月蠅い! 俺が満足するだけ見せて、脱げば良い!」
「パジャマである意味は何処に行ったの!? それなら着ぐるみで良いじゃん!」
 その後、僕が滅茶苦茶にされた……もうオシャレとか、関係なくないかなってぐらい、可愛い服を着せられた。
 僕が辱めを受けることで、伶桜はなんとか機嫌を直し、満足気に帰宅してくれた――。

 山吹さんから返事保留で告白された後、学校で僕に接して来る山吹さんの態度は激変した。
「あの……蓮田くん。良かったら、ご飯を一緒に……」
「あ、いや……。僕はいつも1人で、校舎裏で食べてるんだけど」
「そうなんだ? だったら、迷惑じゃなければ私も良い? その……私もお弁当だし」
「あ、うん……」
 好意を伝えてくれた山吹さんから、グイグイと話しかけてくれるようになった。
 学校での僕は、今まで通りナチュラルメイクこそはしているけど、冴えないマスク姿なのに。それが周囲には異常な光景として映るらしい。
 美女と野獣……いや、美女と地味男子って言うのかな? その不釣り合いさに、僕も皆も戸惑っている。
 所詮、僕なんてこんなもんですよ。……周囲の視線が怖くても、断り切る度胸も無い。
 なんだかんだで、山吹さんに抱いている感情の答えだって探さないと行けないと思っている。だから感情を判断するという面では、都合が良い。
 唯、都合が悪い事があるとすれば――。
「――蓮田、来いよ」
「……うん」
 放課後、本郷たちは表情を険しくして僕を校舎裏へと連行する事だ。
 いつものようにレシートを渡されてとか、そんな空気感じゃない。本郷たちの忠告を無視し、山吹さんと接している事に対して明確な怒りを放っているのが分かる。
 これは山吹さんと親しく話し始めた時点で、予測が出来ていた事態だ……。
「――おい、蓮田。俺は調子に乗るなって言ったよな?」
「…………」
「ちょっとお前の動画がバズったからって、調子に乗りすぎだよな? あ?」
「……動画?」
 予測していたけど、どうにもならない事だから……。嵐が過ぎ去るまで謝り続けようと考えていたんだけど。――動画? バズった? 全く知らない言い掛かりに、思わず尋ね返してしまう。
「しらばっくれてんじゃねぇよ。どうせお前も拡散したんだろ? 女装がちょっと可愛いって世間に受けたからってよ」
 そう言って本郷とその取り巻きは、スマホの画面を僕に向けて来た。
 その画面には――女装している僕が映っていた。切り抜き動画だろうか? 動画投稿サイトに載せられ『いいね』評価が、かなり押されているのが分かる。……そう言えば、去年優勝した先輩の動画もバズったとか言ってたっけ?……普段の僕とのビフォーアフターまで載せられている。
「女装を世間の、大勢の目に晒してさ、恥ずかしくねぇの?」
 恥ずかしい……か。最初は確かに、スカートを履くだけでかなり恥ずかしかった。でも……今では、冴えない男の服装で居る時の方が、自信も無いし恥ずかしいと感じるようになっている。
 こんな僕は……異常だろうか?
「――その辺にしとけよ、本郷」
「……伶桜」
 ああ、まただ。僕がピンチの時は――格好良いヒーローのように、伶桜が助けに来てくれる。本当は、僕もあっちの立ち位置の方が理想的だったのになぁ。
 可愛い格好をするのは良い。でも、僕もいつか――伶桜のように格好良い行動をしたい。この気持ちは見知らぬ幼馴染みと出会い、僕の女装適正を知って尚、変わらずに残っている。
「……花崎。またテメェかよ」
 本郷は忌々しげな口調で、吐き捨てるように伶桜へ悪態をつく。
「何かに頑張ってるやつを笑うのは止めろ」
「はっ……。花崎は男装だったな。女らしくなれないからって、男に逆転した格好をしてさ、楽しいかよ?」
「女装だろう男装だろうと関係ない。――本気で取り組んでいるなら、胸を張るべきだ」
 堂々と揺るぎない瞳で言い切る伶桜に気圧され、本郷は押し黙った。
「本郷。お前は何か真剣に打ち込んで、頑張ってるもんがあるのか?」
「……頑張ってるもんだと?」
「薫はな、こう見えて真剣なんだよ。――格好良い男に憧れてたのに、ミスコンで優勝する為に誰よりも可愛くなった。可愛くなる為の努力もした」
「そんなもん、元から女みたいにナヨナヨした身体の、軟弱野郎だって話だろ。才能の問題だ。努力は関係ねぇ。……所詮は、俺が1番嫌いな才能の有無だろうが」
「元の素材が一級品だってのは確かにあるよ。――でも本郷、お前は全校生徒や来客を前にして、同じ様にステージへ上がれるか? 気になる相手に、観衆の前で気持ちを伝えられるか?」
 ぐっと、本郷は視線を逸らした。
 あの日、文化祭の日。本郷も会場に居たはずだ。つまり、あの地獄のような空気も知っている訳で……。僕と同じような思いを出来るかと言われれば、答えはノーだろう。
 僕だって、あんな地獄は二度と味わいたくないんだし。……あの日は伶桜のサポートのお陰でやりきれたけどさ。
「出来ないだろ?……結果だけ見れば、最悪だった。悲惨だったよ。報われない想いはある。……だけどな、報われようと一心不乱に頑張るのは、信念のある格好良い人間だ。その結果が、山吹からの今の態度を勝ち得たんだよ。……そんな立派な人間を笑うお前らは――最悪で醜悪な、腹立たしい存在だ」
 底冷えするような冷たい瞳に晒され、本郷たちは罰が悪そうに俯いている。返す言葉も無いとは、この事なんだろう。
 多分だけど……。本郷たちとしても言われたく無い、痛い所を突かれたんだと思う。迫害は自分の満たされ無さを、自分より弱い者にぶつけてストレスを発散させる行為だから。
 以前、本郷たちもそんなニュアンスの言葉を言っていたし……。
「お前らに比べたら、頑張って飛び回る蜂の方が百倍は魅力的だ」
 毒蜂の針より、キツい言葉を突き刺すなぁ。怖ぁ……。
 僕の事を毒が塗られたナイフみたいな突っ込みをするって言ってたけど、間違いなく伶桜のがエグいよね。
 僕でも良心が痛む事を平然と口にしているって、本人は気が付いて無いのかな? 蜂以下の扱いって、普通のメンタルをしてる人なら涙目になるよ?
「……薫、行くぞ」
 伶桜は校舎へ連れ戻そうと僕の手を引いてくれる。
 格好良いなぁ、本当に……。
 中学から関わりが遠ざかっていた腐れ縁の幼馴染みは、知らぬ間に僕が憧れる格好良い人間になっていた。そこにかつての彼女はいない。
 身長だけでなく、人間的にも成長した――見知らぬ幼馴染みになっている。
 僕はいつも伶桜に魅了され、闇のように暗い人生に彩りをもらっている。こんな一方的な関係で、僕は満足か?――いや、満足が出来る訳がない。
 いつか必ず、伶桜に恩返しが出来る男になってみせる――。

 休日。
 今日は伶桜と一緒に買い物へ行く日だ。ファミレスのバイト代も入ったし、伶桜にどんな服を着せようかと考えながら最寄り駅のトイレで着替え、スマホを弄っていると――登録したまま放置していたSNSに通知が来た。
「ダイレクトメール? 誰から……ヒッ」
 誰とも知れぬアカウントからのメッセージを開くと――男性らしき人が僕に愛を囁くメッセージがビッシリ書き込まれている。……いや、愛なんて呼ぶのも烏滸がましい。一方的な気持ちの押しつけ。しかも、学校も本名も特定した。会いたい、会いに行くなど、かなり危険で怖い事まで書いてある内容だ。
 画像まで送られて来ていて――そこには、送信者の男らしき卑猥な動画まで貼り付けてある。
 恐怖で身の毛もよだつ……鳥肌が止まらない。まだ日中は暑さも残っている季節なのに、寒気と震えが止まらない。
「ど、どうすれば……。でも、特定したとか言ってるし……」
 一先ず、着替えを終えてトイレを出ると――。
「――伶桜? どうした、顔色が悪いぞ?」
 話すか迷った。僕はいつも、伶桜に頼ってばかりだから。
「……実は変なダイレクトメールが届いてね。これ、通報すれば良いのかな?」
 だから平静を装い、何気ない会話のように聞いてみたけど――そのダイレクトメッセージを見た伶桜は、見たことも無いぐらいに剣呑な表情を浮かべた。まるで厳格な父親を絵に描いたような叔父さんを彷彿とさせる表情だ。
「……直ぐにこれ、スクショ撮るぞ。相手のアカウントもだ」
「え、う、うん……」
 伶桜の言われた通りに、スクショを撮っていく。
「よし、着替えた所悪いが、今日は中止だ。――警察行くぞ?」
「け、警察!?」
「ああ。……こうなったのは、俺が伶桜に女装させたからだ。父さんには連絡しておく」
「え、そんな! 大事にしなくても……」
「それで薫に何かあったら、俺が俺を許せないんだよ!」
 周囲の視線なんてお構いなしに、伶桜は駅のホームで叫んだ。
 確かに、女装は伶桜に言われて始めた事ではあるけど……。僕だって乗り気になっていたんだ。そんなに、1人で気負わなくても良いのに。
「これは文化祭の動画がバズった影響だろうな。……クソが」
 猛り狂う伶桜に言われるがまま、僕たちはトイレで着替え直し――再びトイレから出て来た時には、もう警察が来ていた。
 伶桜のお父さんは兎に角、行動が早い。警察の制服に身を包む叔父さんは、ゆっくりと僕に近づい来る。
「薫くん。怖い思いをしたようだな」
「お、叔父さん……。いえ、そんな大した事では……」
「……薫くん、今のまま放置すると、今後危険な目に遭う可能性もある。これから署に来て、詳しく話を聞かせてもらえるか? 悪いようにはしない」
 署に行って、話を? どこまで話して良いのか分からないけど……。文化祭の動画は、もう出回っている。これは隠しきれない。唯――伶桜に迷惑を掛けたくは無い。
 あくまで自分の意思で女装し、コンテストへ出場した。
 その説明で押し切ろう。
「伶桜。僕は叔父さんと行って来るから。この僕の荷物、持って帰っておいてくれる?」
「薫……」
 伶桜は僕の意図を察してくれたんだろう。震える手で、荷物を受け取った。
「今回の件に、伶桜は関係していないのか?」
 実の娘だろうと、その目付きは鷹のように鋭い。伶桜はビクッと震え、固まってしまった。
 だから、僕が代わりに――。
「――伶桜は関係ありません。……この動画を見てください。僕がミスコンの賞品を目的に出場した、文化祭での映像です。僕が女装した動画が出回って……こんな倒錯した行為をする人が出てしまったんだと思います」
 叔父さんに僕が出場した文化祭のステージ映像を見せる。
 その動画には僕が女装している姿、そして山吹さんを誘う言葉まで、しっかりと掲載されている。
 叔父さんは眉を潜めながらそれを確認して、嘘は無いと判断したのか――。
「分かった。続きは署で聞かせてもらおう。直ぐに対処する。もう安心して良い。……伶桜は家で勉強でもして、待っていなさい」
「……はい。薫を、よろしくお願いします」
 実の親娘とは思えないぐらい、伶桜は硬く緊張している。どこか余所余所しさを感じるぐらい、畏怖しているのが分かる。
 そうして僕は、叔父さんと一緒に警察署へと行き――伶桜が関与していることがバレないように事情を説明した。
 女装をしてコンテストへと出場した理由。その後の動画のバズり。そうして犯人らしき人から連絡が脅迫のダイレクトメールが来た事。
 伶桜が関与していると説明しなくても、筋としては一切間違っていない。誰かに女装しろと言われたか、などと質問もされていないから、嘘も吐いてない。唯、余計な事を話さなかっただけだ。
 自分の行った行動の1つ1つが、文章として記録を取られていくのは……少し恥ずかしい。
 警察も僕が単独でした事であると勝手に思い込み――そして、身内びいきなのか、叔父さんの行動が早いのか。
 犯人は即座に特定された。
 どうやら近隣の高校に通う男子生徒だったらしい。
 直ぐに彼の在籍する学校の校長と親から僕の母親にコンタクトがあり、後日に学校で謝罪を受けた。
「男の子同士でもこんな事があるのねぇ。……時代は進んでるわぁ」
 僕の母さんは一連の事件を聞いても、大きな動揺を見せない。――唯、女装に関しては「薫が最近、楽しそうにしてたのはコレが原因なのね。……ちょっと整理させて」と、深刻に考え込む表情をしていた。
 いつか伶桜にも聞いたけど――僕たちは、そんなに悪い事をしているんだろうか?
 
 事件のほとぼりが冷めてから、改めて伶桜と外出する事になった。
「薫、この間は悪かったな」
「良いよ。メッセージでも言ったけど、1回ぐらいこうやって強い対応をしましたって表明しておいた方が、再犯も防げるでしょ? 起きるのが早かったか遅かったかの違いだよ」
「……うちの父さんに、俺の事を話さなかったんだろ?」
「うん。だって話したら……もっと拗れるでしょ?」
「そうだけど……。あの父さんの聴取で嘘を吐くなんて、相当に度胸が居るだろ?」
「度胸? 要らないよ。嘘なんて吐いてないしね。聞かれなかった事は、答えなかっただけだよ?」
「……その根性が強いって言ってるんだよ。俺なら……父さんが怖くて、全て喋ると思うから」
 苦笑する伶桜に、僕も苦笑で返す。
 伶桜は幼い頃から、叔父さんに恐怖を植え付けられているからなぁ……。僕とはかなり、叔父さんに対する考え方が違うのかもしれない。
 唯、今日は服の買い出しで外出した訳ではない。
 流石に今また服が増えると、母さんの監視や叔父さんの訝しむ目もある。
 伶桜のクローゼットの中を開けられれば、僕が文化祭で着ていた服も出て来るし……伶桜が共犯扱いされてしまう。
 だから今日は、伶桜がお勧めするラーメンを食べに来ていた。
 都心にある名店という事で、僕も楽しみだ。ラーメンを豪快に啜る姿、格好良いよね。
「薫。……女装、もう止めるか?」
 駅から降りてラーメン屋へと向かう途中、伶桜が神妙な面持ちで切り出して来た。
「止めないよ」
 こんな事を提案されるのは予測済み。外見や格好良さは見知らぬ人みたいになってても、伶桜は幼馴染みだからね。……弱い所とか、考え方の癖は結局変わらない。伶桜は変に責任感が強いから、もう僕を巻き込みたくないと思って、こう言う事ぐらい分かってた。
 だから、僕は微笑みながら――。
「――絶対に止めない。半端で終わりたくないし……伶桜が本郷に怒ってくれて気がついたんだ」
「……何に?」
「僕にとって息がしやすい生き方は――これなんだって」
 僕は女装している服装を、伶桜に見せつけるようにポーズを取る。
「薫……」
「ずっとね、僕は自分に自信が持てなくて……正直、もう死にたいとまで思ってたんだよ? そうならないよう、自分に自信をつけさせてくれたのが、女装なんだ。――女装をして自信を持てたから……僕はまた、笑えたんだよ?……今はもうメイクして女装をしないと、自信を持って人前に出られないんだ。……冴えないって思われてるんじゃないかって、疑心暗鬼に陥る。……気分が落ち込むんだ」
「…………」
「だから、伶桜も胸張ってよ。薄い板のような胸をさ。そうしないと、折角の格好良い服が台無し」
「……だから、この膨らみは板じゃねぇっての。ぶん殴るぞ?」
「そうそう。伶桜はそうじゃないとね?――それに僕の理想とする格好良い男の服装、まだまだ見足りないし?」
 煽るように伶桜へそう言うと、伶桜もやっと硬い表情を崩して笑みを浮かべた。……うん、クールも良いけど、常にじゃあ飽きる。柔らかい表情も魅せてくれた方が爽やかで、格好良いよ。
「俺だって、まだまだ可愛い姿が見足りないからな。……短いスカートも履かせてやる」
「ええ~……。それはちょっと……」
 短いスカートはスースーするし……。下着が見えた時のリスクとか考えると、ちょっとなぁ……。
「良いだろ?……今日のラーメンは、俺が奢ってやるからさ」
 スッと鞄から財布を取り出し、頬を綻ばせた伶桜が言う。その鞄の内側には、僕がプレゼントしたコツメカワウソのキーホルダーが付いていて、少し嬉しくなる。
 ふっと、伶桜の死角から――。
「おっ! 良いねぇ。お兄さん、俺たちにも奢ってよ」
「俺ら金欠でさぁ。助けると思って!」
 5人組の男が近づき、財布を持つ伶桜を囲んだ。
「れ、伶桜!?」
「はいはい、彼女さんはこっちね。近づいちゃダメだよ?」
「ど、退いて!」
 1人が僕の方へ来て、通さないように道を塞いでいる。
 その間にも伶桜は4人に壁際に追い詰められ――姿が見えなくなった。街中で無防備に財布を掲げた伶桜も不用心だけど――この辺、そんなに治安が悪いんだ。
 街の人たちも慣れているのか「ヤバくない?」と笑いながらも、スマホのカメラを向けているだけで、誰も通報しようとしない。……なんで? 誰かが困ってたら、助けてあげるべきだろうに!
「伶桜!」
「薫、来るな!」
 僕が伶桜の名前を叫ぶと、伶桜が来るなと震えた声を上げ――。
「――うるせぇな。デカイ声出してんじゃねぇよ!」
「いっ……!」
 鈍い衝突音が響いた。男達の大きな身体で隠れて見えなかったけど――伶桜が殴られた!? そんなの、黙って見ていられるはず無いじゃないか!
「あっ、てんめぇ! 逃げんじゃねぇよ!」
「邪魔!――伶桜、伶桜!」
 僕を通すまいとしていた男に服を掴まれ――破かれても、僕は伶桜の元へと向かう。
 男達の隙間から、壁を背に地面へ座りこんでいる伶桜が見えた! 頬を抑えて……震えている!? やっぱり殴られたのか!
「――ゴメン。駆けつけるのが遅れて、本当にゴメンね……伶桜。殴られた頬、痛むよね?」
「薫……逃げろよ」
 赤く腫れている頬を僕に触られた瞬間、伶桜は顔を激痛に顰めている。
「嫌だよ! 伶桜を置いて逃げられない!」
 怖い、本当は……ガタガタと震える程に怖い。
 手を広げて男たちに立ち塞がるけど……。体格が違い過ぎる。でも――僕は逃げたくない。ずっと伶桜に助けてもらって来た。文化祭のステージの上でも、本郷たちにイジメられている時も! いつも助けてくれる伶桜を置いてなんて……絶対に逃げられない。逃げたくない!
「彼女さん、震えてるねぇ~……。気弱なのに、彼氏の為に立ち向かうんだ。格好良いね?」
「ぼ、僕はどんなに脅されても屈しません! 暴力に訴えません! 殴るなら、僕を好きなだけ殴ってください!」
「僕って……強がってんのか? 女の子に殴って良いとか言われても、ぶっちゃけ萎えるんだよなぁ~」
「金だけ置いて行ってくれれば、俺たちはそれで良いんだけど? 勝手に拾うし?」
「言ったはずです! 僕は脅しには屈しないと!」
 僕が断固として譲らない姿勢を見せると、男は舌打ちしながら――。
「チッ……。おい、お前はこっち来いよ!」
 標的を伶桜に変え、伶桜の服を掴んで引き摺ろうとする。
「伶桜に触るな!」
 多分、この男たちは僕が女で――伶桜が男だと勘違いしている。
 僕に手を出して来ない事から、女性には暴力を振るわないという信条があるのかもしれない。
 唯、しつこく立ちはだかり続けると、いい加減にイライラして来たのか――。
「――退けよ!」
「あっ!」
 僕の服を掴み、投げるように退かす。
 それでも――。
「伶桜の所には、行かせない!」
 しがみついて、動きを阻む。男が振り解こうと暴れている時――。
「そこで何をしている!?」
「チッ、もう警察が来たか! クソが、行くぞ!」
 3人の警察官が走ってきて、男たちを追いかけて行く。
 ふらふらと立ち上がった伶桜を、僕が肩を回して支えると――。
「――薫、あいつらとは反対方向に逃げるぞ」
 顔を痛みに歪めながらも、僕の耳元で囁いた。
「え? なんで、僕らは悪い事なんて――」
「――俺の父さんに、この事がバレたら……。薫、今の状況を説明出来るのか?」
 腫れた伶桜の頬。服装は――僕が女装。伶桜が男装。成る程……。
「よし、全力ダッシュで逃げて、病院に行くよ!」
「あっ! おい、速いぞ!」
 肩を回していた手で、大きな伶桜を引き摺るように駆け出す。伶桜は顔が痛むのか、まだ恐怖が抜けていないのか、本調子じゃないようだ。……これじゃあ、気が付いた警察に捕まるかもしれない。
「伶桜、バスケ部の癖に僕より遅いの?」
「あ? 舐めんじゃねぇぞ! もやしっ子が!」
 僕が煽ると、10倍で煽り返して来た。……そこまでキツい事、言わなくてもいいじゃん。気にしてることをさ~! 負けん気の強い伶桜なら、煽れば力を発揮発揮出来ると思ったけど……思った以上の反応だよ。
「言ったな!? くっそぉ~、速い! これが靴の差……」
「はっ! 今日はスニーカーが合うカジュアルスタイルだ! 靴の差はない、実力の差だ!」
 僕の言い訳、逃げ道を塞ぎやがったなぁ~……。クソ、運動部と帰宅部の差って事にしておいてあげよう。――現実は兎も角、FPSでなら絶対に負けないし!
 それから約十分ぐらい走った。
 色々な建物の中を突っ切り、もう場所はかなり離れた所にまで来ている。
「はぁ、はぁ……。ここまで来れば、もう大丈夫だろう」
「うん……。伶桜、僕ね……」
「うん?」
「――ゲロ、吐きそう。……運動不足。もうラーメンとか、今日は無理だぁ……」
「お、おい! 俺の足下で嘔吐くな!」
 伶桜の足下にへたり込んでしまう。もう無理……。インドア人間に、この運動量はキツいって。肺が、喉が痛い……。
 ノミ以下、ミジンコのような体力の自分に、嫌気が差すよ。
「ははっ……。ゴメンね、情けなくて。不甲斐ない男でさぁ」
「……薫は情けなくなんかねぇ。格好良かったよ。本当の意味でさ」
 伶桜は僕の頭に手をポンと置き、優しく撫でてくれる。背中を撫でられたら吐いていたかもだから、頭で助かる。伶桜の手は柔らかくて、凄く癒やされるし……。
「唯の背伸びした格好付けだよ? こんなに足がブルブルに震えて、息も絶え絶えで、格好悪い……。筋トレ続けて来たのに、伶桜を守れる程の強さも……。格好良い肉体も手に入らなかった」
「そんな事はない。今の薫は……勇気を振り絞って暴力に立ち向かった薫は、誰がなんと言おうと格好良い」
 微笑みながら伶桜は屈み、僕の目線と自分の視線を合わせてくれる。視線が交錯した時――伶桜の潤む瞳、安堵する吐息に……何故か僕の胸が高鳴り始めた。
「背伸びした格好付けでも良いじゃないか。上辺だけの格好良さなんかじゃない。本当の意味で格好良いのは、格好付けて実行する在り方だ。……臭いセリフだけど、俺はそう思う」
 確かに、臭いセリフだ。でも僕は――救われた気分になる。
「筋肉を成長させるのが筋トレだろ? それを毎日、薫は欠かさなかったんだよな?」
「……そうだよ。結局、筋肉も付かない無駄な努力だったけどね」
 悔しさを紛らわすように汗を飛び散らせながらトレーニングしていた時間を思い出すなぁ。最近では美容に割く時間が増えてるけど……それでも完全に休んだ事はない。
「なんで筋肉を切り離して考えるんだ? 筋肉も、薫の一部だろ?」
「……そりゃあ、僕の身体に付いてる物だからね」
「俺は毎日の筋トレには、意味があったと思うぜ?」
「この貧相な身体を見て、よくそんな嫌味が言えるね」
 自分の細い腕を触り、伶桜を見る目に力が入ってしまう。
「嫌味じゃない。睨むなって。……ちゃんと成長してるだろ、ここがさ」
 トンッと、伶桜は僕の胸に拳を突き当てて来た。
「……胸板も成長してないよ。レオの胸板のほうが分厚い」
「マジで張り倒すぞ?……心だよ。悔しいと嘆きながらも、自分を変えようと日々鍛え続けた。筋肉は成長していなくても、心が強く成長してる」
「……心」
「ああ。その下地が無ければ、イカつい男たちの前には立てなかったはずだ」
 どうだろう……。筋トレをして自分の筋力に自信があるから立ちはだかった訳じゃないとおもうけど……。でも、弱い自分を変えたいと諦めきれない心とは……繋がっているのかも。
「バスケでもそうだけど、筋肉なんてのは関節を動かす為の物だ。肉体を動かすのは、筋肉だけじゃない。精神――もっと分かりやすく言えば、心や気持ちだ。違うか?」
「そう……なのかも」
 確かに、ハリウッド映画に出て来る屈強で格好良い男でも……結局は、勇敢な行動をしているから格好良く見える。肉体がどれだけ筋骨隆々としていても、小心な臆病者は……その力を発揮出来ずに格好悪く消える。
 鍛えた身体を動かすのは、結局の所……心か。
 凄く説得力があると思う。
「自信を持て。絶対に、無駄な努力じゃなかったよ。俺を助けてくれて、ありがとうな」
「伶桜……。ありがとう。僕の努力を無駄だって笑わないで、認めてくれて……本当に、ありがとう」
「何を泣きそうな顔してんだよ。……可愛いなぁ、畜生」
「わぷっ」
 伶桜はギュッと僕の頭を、その胸に抱き寄せた。ワシワシと僕の髪を掻く手から、冷静な普段とは違う、興奮にも似た感情が伝わって来る。
「芯が通ってるって言うかさ……。本来、何かを守る為には、代わりに何かを犠牲にするって事だろ? 自分を犠牲にしてでも俺を守るって芯は、格好良いよ」
 格好良くなりたいと謳って、僕は筋トレしかしてこなかった。それで理想の身体とほど遠い成だったからって……僕は中身まで腐っていると決めつけてしまっていたのか。――格好良さには、度胸だったり意思力もあったのに。外見だけに囚われ、僕は真髄を見誤っていたんだな。
 今の僕は格好良い。
 それなら――。
「――伶桜は可愛いね。照れちゃって、多弁になってる中身がさ」
「なっ!? ふ、ふざけたことを抜かすな! 薫の外見は、可愛さの権化の癖に! 嫌味だ!」
「そ、その外見は僕のせいじゃなくない!? 伶桜がメイクアップして育てた成果じゃん!」
「あ~、うるせぇうるせぇ! そう言う細かい事に拘る所は、格好良くねぇな!」 
 伶桜は僕に肩を回し――立たせてくれる。
 僕も自分の足で歩かないと……。グッと、足に力を込める。
「取り敢えず……今日はもう、病院に寄って帰ろっか?」
「……ああ、そうだな。ラーメンは、また今度だ」
「うん。楽しみにしてるよ? 奢りのラーメン」
 伶桜の返答は、朗らかな笑みだった。
 結局、何をしに外出したのかは分からなくなったけど……僕は伶桜を意識してしまうようになった。胸の鼓動は、収まる事を知らない。これは、唯の幼馴染みとしての意識じゃない。――多分、異性として意識しているんだ。
 切っ掛けは、危ない橋を何度も一緒に渡った事だったんだろうと思う。
 普段は格好良くて、でも偶に見せる伶桜の可愛さに、僕の心は奪われてしまった。
 僕の努力をちゃんと見て、評価してくれて……。そんなの、意識するなって方が無理だよ。
 16年間、何にも意識していなかった……兄妹同然の幼馴染みだったはずなのに。
 今はもう――僕の見知らぬ存在。
 恋をする相手だ――。

 その夜、僕がベランダで考えを纏めていると――カララッと隣の戸が開く音がした。もう足音で分かる。
「伶桜? ケガは大丈夫なの?」
「ああ。……両親に死ぬほど心配されたけど、転んだって言い張ったよ」
「そっか。……逃げる時に転んでたし、嘘ではないね」
「そうだな。……そう、だな」
 何か憂いがあるのか、伶桜の声音が暗い。
「伶桜? 何かあった?」
「いや……。まぁ、その……」
「妙に歯切れが悪いね? 伶桜らしくない」
 言うか言わないか迷っているなんて、サバサバとしている伶桜らしくもない。
「あぁ~畜生……。あんさ……。俺は1つ、薫に嘘を吐いてた」
「え、伶桜が僕に?」
「あぁ。……正確には、あの時は嘘じゃなかったけど、嘘に変わったって言うか……」
「うん? どういうこと?」
「前に俺は、美園に嫉妬してないって言ったな?……あれは、嘘になった」
 山吹さんに嫉妬?……ああ、僕が冗談交じりに言ったヤツか。山吹さんが僕に告白してくれたのを伶桜に報告した時、伶桜が怒った理由として僕が挙げたものだ。……え、それが嘘になった? まさか……。
「……俺、今から変な事を言うぞ? 聞きたくないなら、直ぐに止めろよな?」
「……うん」
「実はさ……。今日、絡まれて殴られた時……本当に怖かったんだよ。見た目は男みたいに格好良くなれても、筋力は女のままだ。男に力尽くで挑まれたら、喧嘩じゃあ勝てない」
 それは、そうだ。いくらイケメンの伶桜とは言えど、肉体の成長は男女でどうしても違う。男の方がより筋肉質に育つのは、もう仕方がない。
「拳で顔面を殴られた時、父さんを思い出して……震えた。怖くて動けなくて……昔、道場でしごかれた時を思い出した」
「…………」
「そんな俺のピンチを……薫が助けてくれた」
 幼い頃の伶桜は叔父さんと休日に道場へ行く度、泣きそうな顔をしていたっけ。……その分、筋肉量が男子に負けるまでは、誰にも喧嘩で負けないぐらいに強かったけど。
 あの時――僕は伶桜を、助けられたのだろうか? 唯、代わりに僕をサンドバックにしろ的な話しかしてなかった気がする。好きな子が殴られるのは絶対に嫌だから……。必死過ぎて、あんまり覚えていない。
「卑怯だろ……。自分じゃあ絶対に勝てない相手だって分かってるのによ……。自分の身を挺して俺を庇ってくれてさ……。そんなん――好きになるに決まってるだろ。卑怯、なんだよ……」
「伶桜……」
「そんな可愛いのに中身は格好良いとかさ、もう……俺が惚れるのは――仕方ないんだよ」
 伶桜が――僕に、惚れたと言ってくれるなんて……。
「16年間、何も思っていなかったのに、今更って感じるかも知れないけどさ……。俺、薫が好きだ」
 そうだよね……。今更だ。
「だ、だから、その……。責任取って――俺と付き合ってくれ! 美園じゃなく、俺を選んでくれないか!? い、嫌なら……仕方がない。このまま黙って、部屋に戻ってくれ」
 不思議だよね……。16年間、お互いになんとも思っていなかった関係なのにさ。久しぶりに話して、男女が逆転した関係性、服装を互いにし始めて……。そうやって、お互いにやりたい事を満たしていたら――同じ日に、お互いを好きになるなんてさ。
「も、戻らないのかよ?」
 狼狽えるような伶桜の声に、僕はハッとする。ダメだなぁ……。自分の世界に入り込んでしまっていたよ。
「戻らないよ。……だって僕も――伶桜の事を好きになっちゃったから」
「……は?」
「マジ、だよ?」
「い、何時からだ?」
「分からないけど……自覚したのは今日。でも……多分だけど、一緒にテーマパークへ行った時には、もう好きだったんだと思う。山吹さんとのデートが退屈だったんじゃなくて、伶桜とのデートが特別楽しすぎたんだ。僕はそう思うから」
「そ、そうか……」
「あ、伶桜。今、照れてるでしょ?」
 ベランダの蹴破り戸越しに、頬を染めているであろう幼馴染み――彼女を思うと、思わず頬が緩む。
「わ、悪いかよ!?」
「ううん、悪くないよ。僕も同じだし?」
「そ、そうかよ。……つまり、今日から俺たちは……彼氏彼女って事か?」
「うん。僕が彼氏で、伶桜が彼女? それとも男装している伶桜が彼氏で、女装している僕が彼女なのかな?」
「ど、どっちでも良いよ! つ、付き合ってるんなら……それで良いだろ」
「そうだね。一緒に居られるなら、どっちでも良いや」
「あ~……。もう! 今日は寝る! またな!」
 頭か何処かを掻く音が聞こえると、続いて隣から戸の締まる音が響いて来た。
 恥ずかしさで逃げたなぁ。
 でも……改めて、伶桜と僕が彼氏と彼女かぁ。数ヶ月前なら絶対に信じられない事実だ。
 ああ、今すっごい幸せだ――。

 翌日。
「……お、おはよう、伶桜」
「……おう」
 僕が家を出ると、伶桜が待っていてくれた。どうやら一緒に登校しようと待っていてくれたらしい。目線を合わせないのは、照れ臭いからかな?……僕も照れ臭いけど、これもいずれ慣れるのかもしれない。
 手とか繋ぐのかなぁ、なんてドキドキと考えている間に、学校へ着いてしまった。
 楽しい時間はあっという間って言うけど、本当だよなぁ。
 伶桜は僕が教室へ入るギリギリまで見送るつもりなのか、教室の前までついてきて――。
「――蓮田くん! ケガはない!?」
「や、山吹さん? ど、どうしたの、そんな慌てて……」
 教室に入るなり、山吹さんが僕の身体を触って無事を確かめて来る。教室の外から注がれている伶桜の視線が――怖い。って言うか、凍りつくように冷たい眼光が……。
「動画を見たの! 昨日、男5人に絡まれて喧嘩してたでしょ!?」
「え!? そんな動画が出回ってるの!?」
「うん。可愛い娘が大男に立ち向かう動画だって、バズってて……。ほら」
 山吹さんが差し出して来たスマホを見ると、間違いなく僕が映っていた。
 奥では壁に背を預けて崩れている伶桜がいるが、俯いていて顔は見えていない。とは言え、見る人が見ればわかるだろうけど……。
「うわぁ……。情報社会、怖いなぁ」
「……その様子だと、ケガとかは大丈夫なんだね?」
「う、うん。僕は殴られなかったから」
「良かったぁ……」
 ギュッと、安堵の笑みを浮かべた山吹さんが僕の手を握った時――。
「――ストップだ」
 ガッと、伶桜が山吹さんの手を掴み止めた。こ、怖ぁ……。
「……花崎さん。なんで止めるのかな? 私は蓮田くんを心配しているだけなんだけど?」
 山吹さんも引かない。ニコニコと笑みを浮かべながらも、伶桜の視線と火花を散らしている。あ、これ……。僕から説明しないとか。山吹さんに想いを告げられて、正式な返事はまだ返してなかったからな……。
「あの、矢吹さん。実は僕――」
 スッと、僕の言葉を手で制した伶桜は――。
「――悪いけど、薫は俺の恋人になったから。接触はNGだ」
「……ぇ」
 僕を抱き寄せながら、山吹さんへ攻撃的に言い放った。あの……なんか、やっぱり立場が逆と言うか……。こうやって抱き寄せながら「触るな」的に言うのってさ、僕の役目じゃないの? 一般的にさ。
「蓮田くん、それ……本当なの?」
「う、うん。昨日から……連絡が遅くなって、ゴメンね」
 浮かれていた。本当なら直ぐ連絡するべきだったのに……。
「そっか……。それは、仕方ないね……。蓮田くんを傷つけてばっかりの私と、いつも守っていた花崎さんじゃあ、負けちゃうよね……」
「……ごめん。僕は伶桜の事が恋愛的に好きで……。多分ね、僕が山吹さんに抱いていのは恋愛感情じゃなくて、友愛とかだったんだと思う」
「……そっか、そうなんだね。……うん、諦める。気にしなくて良いよ……。私は蓮田くんを困らせたくない。蓮田くんの為にも、私は諦め――」
「――諦めんじゃねぇよ」
「ぇ……。花崎、さん?」
 諦めると言おうとした山吹さんに伶桜が詰め寄り、諦めるなと励ましている。……なんで? 普通なら諦めて、もう近づくなとか言う場面なのに。
「美園。……本当にその程度で諦められるような、軽い気持ちなのか?」
 キッと睨みながら、伶桜が山吹さんを煽る。山吹さんもニコニコとしていた表情を、真剣な面持ちに変えた。山吹さん、そんな顔――するんだね。初めて見る表情だ。
「バカにしないで。私にとっては……初恋だった。軽い気持ちなんかじゃない!」
「だったら何時でもかかってこい。薫が俺に飽きたり、もう好きじゃないってなったら、何時でも奪い取ってみせろ。その分、俺は奪われないように全力で薫を愛すから」
 僕の手を握っていた山吹さんの手を取り、伶桜は鋭い眼光でそう告げる。
「花崎さん……。良いの?」
「ああ。その方がさ、張り合いがあるだろ?」
 待って、何このイケメン……。僕がキュンキュンしちゃってヤバいんだけど。クラスからも黄色い歓声が響いているし。案の定、動画の撮影もされている。その動画、後で欲しいぐらい男前というか……。もう兎に角、格好良い。
「……どうしよう……これ、浮気になるのかな? 待って、そもそも彼氏枠? 彼女枠? あぁ~、どうしよう!」
 伶桜に手を握られながら頬を染め俯く山吹さんの顔は――完全に恋する乙女の表情だった。
 その様子を見て、伶桜は首元を掻きながら僕に目線を向けて来る。僕は苦笑で返すしかない。
 また伶桜のファンが1人、増えちゃったねという意味を込めて――。

 その日の夜。僕たちはまた蹴破り戸越しにベランダで会話をしていた。
「――美園にあれだけ想われてさ、ぶっちゃけ心が揺れたんじゃないか?」
「揺れないよ」
「そうなのか? 美園は可愛くて、胸もデカイのに……。もしかして薫は、貧乳好きなのか?」
「え? 僕は胸が小さい方が好きって訳じゃないよ?」
「じゃあ、やっぱり……美園みたいに贅肉が詰まった胸が好きなんかよ。……そうだよな。俺みたいに胸も薄い女の身体は、嫌いだよな」
 ふて腐れたように呟く伶桜が――クールなのに可愛い。声音は格好良いのに、口から出る言葉が一々可愛いから……これもギャップって呼ぶのかな? 凄く魅力的に感じるんだけど。
「いや、僕は伶桜の心も身体も好きだけど?」
「……は? 矛盾してんだろ。俺の胸が小さいのは事実なんだしさ」
「板チョコならぬ、板胸……」
「あ? ここから突き落としてやろうか?」
 ボソっと呟いた僕の声に、伶桜のドスが利いた声が返って来る。……ゾクッとした。怖ぁ~。
「ごめんなさい。……でもね、矛盾してないよ? 僕は胸が小さいのが好きな訳じゃなくて、胸が小さいのを気にしてる姿が尊いなって思うんだ」
「……もぎ取るか」
「何を!?」
「さぁな。薫も無い方が良いだろ? その方が可愛いしな」
「良くないよ!? 怖い事を言わないで!? ごめん、僕の言い方が悪かったね!……その、僕は完璧な人より、少し欠点があっても補おうと頑張る人が好きなんだよ!」
 そう。僕は完全無欠の人より、自分に何か劣る部分があると知っている人が、それを補おうと何かをしたり、気にしたりする姿が素晴らしいと思うんだ。ずっと格好良いだけじゃなく、凹んで努力する姿に魅力を感じるようにさ。
「……欠点とか、言うなよ」
「優しい嘘で誤魔化す僕の方が、伶桜は良いの?」
「……意地が悪いな。好きって言ってくれて嬉しいから、今回だけ許してやる」
 甘えた猫のような声が、僕の心をキュキュッと締め付ける。
 伶桜がこんなに可愛いなんて……。16年来の幼馴染みなのに、全く知らなかったな――。
 
 翌日の放課後。
 僕はまた本郷たちに校舎裏へと呼び出されていた。
 昨日の朝、山吹さんや伶桜と話していた様子もバッチリ見られていたし……。伶桜と付き合い始めた事も、伝わっているはずだ。態々、伶桜や山吹さんが部活中のタイミングを指定して呼びだして来た。
「――蓮田、このレシートなんだけどさ」
 ああ、このパターンか……。いつも通りだな。また僕を財布扱いして憂さ晴らしか……。伶桜にキツく言われても、本郷たちには響かなかったようだ。
「今日は、いつもとは違ぇよ。……取引だ」
「と、取引?」
「ああ。この金を払ってくれたら、重要な事を教えてやる」
 重要な事って、なんだろう?……恫喝にならない、合法的なお金の取り方を思いついたのかなと、穿った考えをしてしまう。
 レシートを見れば、金額は2千円程度。……これぐらいなら、重要な情報が本当にもらえるなら払っても良い。そうでないとしても……もう暴力は嫌だ。街で絡まれてから、余計にそう思うようになった。
 お金を出して解決出来るなら……それで良い。社会がある限り、迫害が消えないのは分かっている。向こうが自分に嫌気が差すか飽きるまで、イジメられ続けるしかない。……ここで僕が断れば、僕の次にイジメ易そうな誰かに標的が移るだけだ。
 だったら――。
「……はい」
 さようなら、僕の2時間分のバイト代。メイク用品も無くなりそうだし、新しいのが欲しかったんだけどなぁ……。他の誰かがイジメの標的になるよりは、良いかぁ……。
「オッケー、取引成立。……重要な情報だけどよ、ちょっと耳貸せよ」
 内緒話をするように、本郷が僕の耳元で囁いた言葉を聞いて――思わず、目を見開いてしまう。
「ど、どこでそれを知ったの!?」
 思わず、慌てて声を荒げずには居られない。本郷は小さく溜息を吐きながら「やっぱりか」と小さく呟いた。
「……もう、昨日の動画のコメント欄で拡散されてる。気を付けろよ」
「あ、ありがとう!」
 2千円を払っただけの価値はあった。――いや、それ以上だ!
 僕は慌てて自宅までの道を駆ける。
 途中、息が苦しくて足が重くて止まりそうになるけど……。そんな余裕は無い。
 いくらマンションのセキュリティが高いと言っても――住所がネットでバラされているなんて、気が気じゃない! どうしよう、どうすれば良いんだ!?
 まさか昨日、伶桜が殴られて僕が止めていた動画に――誰かが僕らの住所を書き込むなんて……。予想外だ!
 もう動画はかなり拡散されているらしい。絡んで来た誰かが、復讐に来ていてもおかしくない!
 急げ、急げ! でも、どうする? 親に報告? いや、こういう犯罪に繋がる件は、やっぱり――。
「――ぇ……」
 やっと自宅に辿り着くと、そこには頼るしか無いと思っていた警察官が立っていた。……でもプライベートの服装で、警察の制服は着ていない。
「……薫くん。丁度良かった。うちのマンションの前で凶器を手に不審な動きをしている者がいてな。彼らにも話を聞いていた所なのだが……」
 マンションの前には、伶桜の父さん――警察官をしている叔父さんが立っていて、傍には衣服で拘束されたガラの悪い人たち……昨日、伶桜を殴った人たちが座らされていた。
「事情を聞かせてもらえるな?」
 一切揺るがない視線を僕に向けながら、叔父さんはスマホをこちらへと翳して来る。
 ディスプレイ画面には――女装をしている僕と、殴られ座りこんでいる伶桜が映っていた――。