メイクアップ! 見知らぬ幼馴染との逆転関係

1章

 校舎裏には光と闇がある。
「――伶桜さん! 私と付き合ってください!」
 幼馴染みの女の子が、女の子に告白されているシーンを目にしてしまった。いや、これが初めて目にする瞬間って訳でもないけど……。伶桜は男の僕より、遙かに格好良い女の子だから仕方ない。
 まぁ僕も望んで校舎裏に来た訳じゃないけど……。やっぱり羨ましいな。高校の校舎裏における光と言えば、やはり告白シーンだよね。
 昔から映画やドラマでも多く目にして来た舞台だ。教室で誰かと感想を言い合う機会すら無い、僕のような男でも知っている定番シチュエーションだ。
「ごめん。俺は誰とも付き合う気が起きないから」
 まさに青春とも呼ぶべきワンシーン。それを億劫な表情、声音で断っているのは、かつて兄妹同然の関係だった僕の幼馴染みだ。
 クールに女の子からの告白を断ると――伶桜はクルッとスカートを翻し、颯爽とこちらへ向けて歩いて来る。1人称の俺といい、仕草といい……。所作の1つ1つが爽やかで格好良い。男の僕よりも女の子の伶桜の方が、何倍……何百倍も格好良い。伶桜を見ていると、劣等感に潰されそうになるよ……。
「……ちっ、花崎伶桜か。面倒だな。おい、絡まれたら面倒だ。顔合わせねぇように反対側から回り込もうぜ」
「だな。……それにしても、花崎に告白してた子……。可愛かったなぁ、本郷」
「あいつ、女子からは滅茶苦茶モテるよな。……王子様扱いされて、さぞや気持ち良いんだろうよ」
 気持ち良いなんて、伶桜は思っているのだろうか? 僕は――そうは思わない。
 あの億劫そうで物憂げな立ち居振る舞いを見る限り、抱いているのは真逆の感情じゃないだろうか?
「女が女にモテるせいで、男の俺たちが女にモテないのは気にくわねぇな……。おい、蓮田。早く歩け」
「……うん」
 体格の良い男たち――本郷とその取り巻き2人が、ドンと僕の背中を押す。もっさりと伸びた前髪が揺れ、髪の隙間から伶桜がこちらへ視線を向けているのが目に入った。
 オラついた雰囲気で僕を囲む3人に背を押されるまでもなく、僕は伶桜を避け反対側から校舎裏へと向かい歩き始める。
 女の子同士でも、告白は告白。光り輝く青春だ。
 これからイジメという校舎裏に潜む闇へ向かう僕と伶桜では、生きる世界が違う。
 体格の大きなイジメっ子3人に囲まれていたのは、幸いだったのかもしれない。物心がついた時からの幼馴染みの女の子――花崎伶桜に、僕のこんな惨めな姿をマジマジと見られずに済んだのだから。
 男の僕と……女の子の伶桜。
 幼い頃は、僕と伶桜は仲が良かった。小さい頃は性別の違いなんて些細な問題だったけど、中学になれば周囲も囃し立てる。
 あいつと付き合ってんのか、好きなのかと。
 それが煩わしく自然と2人の距離は離れて行き――高校1年生となった今では、滅多に話す事もなくなった。幼稚園から、この県立蛍雪高校までずっと一緒だと言うのに。
 でも僕は、これで良かったんだろうなと思う。
 伶桜は身長も170センチメートルを超えていて、見た目も中身も格好良い女の子だから、昔から女子に凄くモテるし。一方の僕は、今でも身長は160センチメートルあるかないか。僕が欲しかった理想の格好良さを、伶桜は全て持ち合わせている。
 もしも伶桜と一緒に居たら――僕は暗い劣等感に押し潰されてしまう。
 大きな校舎の裏側に、別方向から回り込んだ。
 校舎裏は普段から人気が少ない。僕にとって昼休みは、1人で昼食を食べられる憩いのオアシス。
 放課後の今は告白スポットになっていたり――僕のような地味で気弱な生徒をイジメやすい場所だ。
 校舎裏には告白のような光と、イジメという闇が共存する。それはまるで、太陽輝く明るい昼と、雲に覆われた夜闇のように。
「蓮田、こんなとこまで付いてきてもらって悪いな。これ……昨日ファミレスに行った時のレシートなんだけどさ」
「……うん」
「身に覚え、あるよな? 俺たち、一緒に行ったもんな?」
 僕は行っていない。呼ばれてもいない。身に覚えなんてあるはずが無い。
 でも、そんな事を主張しても無駄だ。ニヤニヤと意地が悪そうに僕を取り囲む3人を見れば、正論を説いた所で無意味なんて一目瞭然だ。
 入学して最初の時は、無理やり本郷たちにカラオケへと連れて行かれただけだった。
 歌いもしないのに支払いは平等に割り勘。
 それに不満は抱いていたし、どうして僕のような地味で陰気なヤツを誘ったのかも疑問だった。断る勇気もなかったから付いていったけど……心の中は、早く帰りたいの一心。それだけを思いながら、1曲も歌わずドリンクバーを飲み、時間が過ぎ去るのを待って耐え忍んだ。
 どうにも様子が変だと気が付いたのは、会計でだ。
 割り勘だと思っていたのに、彼らは「ご馳走様です」と僕を置いて店を出て行った。
 最初から彼らにとって、僕は財布だったんだ。
 文句を言う勇気も、喧嘩をする度胸も僕には無い。ぶん殴れたら、どれだけスカッとするだろう? 正直、脳内では何百回とボコボコにする妄想をしている。……でも、現実と妄想は違う。
 チビヒョロガリと三拍子に上乗せして、地味で陰気なモッサリという四重苦、五重苦を背負っている僕だ。どうにも出来る訳が無い。お金を出す事でこの場から解放されるならと、黙って全額を支払った。
 それがいけなかった。
 毎回のように財布は彼らの遊びに付き合わされ、そのうち今日のようにレシートや領収書のみを渡されるようになる。今のように、一緒に行ったよねと恫喝されて。
「……はい」
 僕はレシートに記載された金額を見て、黙ってその額を財布から抜き、彼らに手渡す。
「おう。やっぱ食い逃げはダメだよな。ちゃんとお前の分、受け取ったから」
 金を手に、ぎゃははと笑う本郷と2人を見ていると、涙が滲みそうになる。
 分かりやすい暴力でイジメられるより、よっぽど陰険で悪質だ。大人に助けを求めようにも、暴力のように単純では無い分、証明も難しい。……戦う力もない僕では逆らえない。逆らった所で……力もない僕では余計に痛い目を見るだけだ。
「いやぁ……。良い子ちゃんだらけの進学校に無理して入学して、劣等感で毎日クソみたいな気分だけどさ……。蓮田といる時間は最高だよ」
 僕は最悪だよ。自分より劣る者でストレスを解消してさ……。劣等感で辛い本郷たちの気持ちも察するけど、じゃあ僕みたいに何も人に勝る部分が無い底辺はどうすれば良いの?……ずっと、サンドバッグとして生きろって事なのかな。
「そんじゃ、また一緒に行こうな!……ああ、そうそう。くれぐれも、山吹美園(やまぶきみその)に近づくなよ? 近づくなら覚悟しろ? ど~しても山吹と話してぇなら良いけどよ……一緒に遊びに行く回数がまた、増えちまうかもなぁ。ははっ。学校のアイドルと会話する対価としては、安いだろ? 気を付けろよ」
 そう僕に忠告して、彼らは校舎裏から去って行く。
 彼らの姿が完全に見えなくなったのを見計らってから、僕は校舎に背を預けて蹲る。
「……僕には、生きにくい世界だなぁ。……辛い、辛いよ」
 かけていたメガネを外し、天を仰ぐ。
 根性無しで腑抜けで……男らしくない僕自身が、僕は大嫌いだ。イジメッ子の本郷たちよりも、よっぽど。何処に行こうとイジメられるのは、僕が弱々しく情けない男だからなんだろうしね……。
 ボサボサに生えた前髪の隙間から、僅かに空が視界に映った。青い空に、白い雲がゆったりと流れていく。
「……息苦しい。あの雲のように、縛られる事もなく自由に生きられたら……。どんなに生きやすくて、呼吸も楽になるんだろうね」
 彼らの持論では、学校のアイドル山吹美園に構ってもらえる対価としては安いという認識らしい。
 確かに、入学式の日に僕は山吹美園と話をした。そしてその可愛さと、僕の様に陰気なヤツとは不釣り合いな高嶺の花だと感じのを、今でも鮮明に覚えている。
 大人はキャバクラに行き、お金を店や女の子に払う対価として可愛い女の子とお話をするという。僕もそれと似た対価を本郷たちに払っているんだ。
 別に本郷たちは山吹さんの保護者でも雇用者でもないけどね。正論を告げて自由に話す権利を主張する力や勇気が、僕に無いんだから仕方ない……。お金で権利が買えるなら安いもんだ。
 そう自分に言い聞かせて、僕は毎回黙ってお金を払う。
 この世界に僕の居場所は無い。なんだか毎日、息が詰まりそうに辛い。
 屋外では常にマスクをして顔を隠しているけど、マスクで呼吸が苦しい訳じゃない。むしろ、マスクを外したらもっと息苦しくなる。暗く冴えない顔を見られるのも恥ずかしいし、他人の目を汚すのが申し訳ないという気さえするから。
「アルバイト、行かなきゃ……」
 僕のバイト先は決してホールに出ないファミレスのキッチン。客前に陰気な顔を出さず、僕にも出来る方法でお金を稼ぐ。
 卒業までずっと、お金を稼いでは一部を本郷たちに渡す。
 そうする事でしか、僕はこの世界で生きる場所を確保出来ないんだ。だから……仕方がない。搾取される側、男らしくなくて弱い僕だから、仕方がない事なんだ……。
 1人でトボトボと校門へ向かっていると、元気にランニングをしている女子生徒たちの楽しげな声が鼓膜を揺らす。
 走りながら弾むように会話をする明るい声音の1つに、僕は思わず身を固くする。
「――あっ! 蓮田くんだ!」
 ビクッと、小さく身体が跳ねたのを自覚する。綺麗で快活な声から僕の名前が呼ばれた。
「美園、知り合い?」
「うん、ちょっとお話したいから、先に行ってて?」
 僕には山吹さんとお話する事なんてありません。……陰で憧れたり、可愛いなぁと思っているだけで……。僕はそれで十分ですから。お友達も、お願いだから連れて行って! ランニングの途中なんだしさ。
「え~サボり?」
「ちょっとだから、許して!」
「仕方ないなぁ。許してしんぜよう」
 許さないでよ。おかしいでしょ? もうちょっと真面目に部活をやりなよ? 山吹さんたちはバドミントン部だから、外で練習している今日は体育館を別の部活が使う日なのかもしれない。それこそ、伶桜の入っているバスケ部とかが……。
 外で基礎練習をする日は、あんまり面白くないと話しているのを耳にした事がある。だからかな、こんな適当にサボりを許すのは? 弱い僕が言える事じゃないけどさ、基礎も大切にしてよ……。
 俯かせていた顔を怖々上げると、山吹さんの友達が既に遠くへ走って行く背が見えた。
「蓮田くん、今帰りなの? 部活入ってないのに、遅めだね?」
「え、う……うん。ちょっと、色々あって」
 ヒョコッと覗き込んで来る花崎さんと一瞬目が合った。150センチメートルあるか無いかと小柄なのに、女性の肉体特有の、出る所の主張が凄い。――もっと直接的に言うなら、胸が大きい! バドミントンの練習着が汗で張り付いているからか、思わず目が行ってしまった。これはイヤらしいとかじゃないから、本能的なヤツだから。僕の煩悩、消え去って……。ああ、こんな卑しい考えをしてるの、バレてないかな?
 僕の視線で不快な気持ちになっていないか気になり、チラッと山吹さんの顔を確認する。
「……なんかさ、蓮田くん。もしかして、元気無い?」
 山吹さんは心配そうな表情を僕に向けていた。
 リスのように愛来るしい顔、白い肌の上を汗が滑り落ちていく。それがとても可愛くて……。僕は目を逸らしてしまう。愛来るし過ぎて、僕には眩しい。
「べ、別に……そんな事は無いよ?」
「ふ~ん、そう?」
「そ、そうだよ?」
「……ね、あっちのベンチに座って、ちょっと話そうよ?」
「え、ええ? いや、良いよ!」
「良いから、私のサボりに付き合ってよ」
「いや、サボるのは良くないんじゃない?」
「体育館を使える日に備えて、今日は体力を温存してるの!……それにね?」
 ピッと、僕の顔の口の前へ白魚のような指を1本突き立てて来た。……人との距離感、ぶっ壊れてない? 人の唇の前に指を突き出すとか、山吹さんはレベルが高すぎだよ。
「私ね、人の顔色にはちょっと敏感なんだよ? 嘘吐いても無駄。悲しがっているのは伝わるからね」
 残暑の強い陽射しが肌を焼く中、涼風が校庭の土煙りと一緒に、ほんわりと柔らかな香りを運んで僕の鼻孔をくすぐる。
 それは山吹さんの流す爽やかな汗が原因だと理解して、思わずまた顔を俯かせてしまった。恥ずかしい……。でも、気のせいだろうか? 俯く直前に見えた彼女の表情が、少し儚げに映ったのは……。
「ほら、行こう?」
「……は、はい」
 断れない。誰からも気に留められない僕如きが断るなんて、烏滸がましい。
 ベンチで山吹さんと話をしているなんて風聞が広がれば、本郷たちだけでなく、もっと多くの人からイジメられるかもしれない。――でも、そんな事は今更だ。
 どうせ誰からも話しかけられないし、人が集まる限り弱者への迫害は世から消えない。……それなら、僕に唯一話しかけてくれる山吹さんと仲良くした結果イジメられるのは本望だ。……僕自身が、もっと山吹さんと話をして、自分の抱いている気持ちをハッキリさせたいというのもあるけど。
「なんで敬語なの? 同じクラスの同級生でしょ?」
 クスクスと笑う山吹さんは、やっぱり溌剌としている。
 さっき、ほんの少し寂しそうに見えたのは僕の気のせいだったんだろうな。長い前髪のせいで、視界も狭いし。きっとメガネが曇ってたんだろうな。
 言われるがまま僕は山吹さんに案内されて中庭のベンチへと座る。極力、彼女から離れて。思わず背筋がピンっと伸びてしまう辺り、僕には男性らしい度胸がやっぱり足らない……。もっと男らしくドカッと座れるような強いメンタルになりたかったなぁ。
「それで、どうしたの?」
「いや、本当に何も……」
「嘘吐かなくて良いってば。……目の前で話すより、視界の横に座ってれば話しやすいでしょ? 良かったら、相談してよ」
 山吹さんは本当に人の気持ちに敏感なんだな。
 確かに、その通りかも知れない。目の前に立たれると、僕と同じ小柄な山吹さんでも威圧感を覚えて凄く居心地が悪かった。横に座っている今の状態だと視界に入らないから、幾分か楽だ。それでも、僕からすればもの凄く緊張するんだけどね……。
 だって山吹さんは――入学式から1人ぼっちだった僕に話しかけてくれる唯一の人で……。僕が一目惚れしちゃっているのかもしれない、憧れの存在なんだから。
 でも告白する勇気も自信もないし……。本郷たちにイジメられて悲観的になってましたなんて、情けない事をそのまま伝えたくもない。
「……ちょっと、自分が情けないなって自己嫌悪してただけだよ」
「そっか。……その気持ち、ちょっと分かるなぁ。自分が許せない、人から認めてもらえないとかって、辛いよね」
 慰めてくれてるんだろうな。可愛いを練り固めたような山吹さんに、僕のように陰気な男の気持ちが本当に理解出来る訳がない。
 本郷とかも好意があるみたく言っていたけど、学校で山吹さんはアイドルのようにモテてるじゃん。皆から可愛いって認めてもらえてるのに、認められない僕へ話を合わせてくれてるのか。優しい人なんだな。
「僕が誰にも認めてもらえないのも当然なんだけどね。……僕自身だって、自分が嫌いなんだし」
「誰も認めてくれないならさ、せめて自分だけは自分を認めて好きになってあげなきゃ」
 太陽のような笑顔が眩しい。髪で視界が覆われていて、良く見えないのが幸いした。直視していたら心まで焼き尽くされそうな輝きだ。
「自分を認めてあげられないなら、認められるように優しくしてあげるとか……。思い切って環境とか考え方をガラッと変えるのも有りかもね!」
 考え方を、か……。それが出来たら、良いよね。口で言うのは簡単だけど……。劣等感で捻くれた僕の性根は、そう簡単に変わるとは思えない。環境って言っても、高校デビューにも失敗してるし。
 そもそも人と関わらないのが正解なんだと思う。嬉しい出来事も少ないかもしれないけど、傷つく機会も同時に減るから。
 折角心配してアドバイスをしてくれる山吹さんに、そんな後ろ向きな事は言えないけどさ……。
「その……。僕そろそろ帰らないと、バイトに遅れちゃうから」
 結局、僕はこの場から逃げる選択をした。
 バイトに遅れそうなのは本当だけど……。それより、気持ちが耐えられなかった。考えれば考える程、素直にアドバイスを受け取り前向きになれない自分が嫌いになる。
「あっ、そっかぁ。残念」
 社交辞令ってやつかな。……いや、ランニングをサボれる時間が終わったから残念なのかもしれない。
「色々とありがとう。……でもあんまり、僕には話しかけない方が良いと思うよ。僕と一緒にいるのを快く思わない人も、きっと居ると思うしさ」
 本郷とか本郷とか、後はその取り巻きとか本郷とか。
「心配してくれてるの?」
 うん、僕の身の安全をね? 嬉しそうな顔をしないで、弾けるような笑顔を向けないで。女の子に免疫がない僕がそんな顔を向けられると、勘違いしちゃうよ?……好意を持ってくれてるのかなってさ。
「じゃあ、私も部活に戻るね! バイト、頑張ってね~」
 山吹さんが走り去る背を眺め、僕は早足でバイト先へと向かう。
 人って不思議だな……。不釣り合いだと分かっていても、好意を向けてくれているのかなって思えば、自分も好意を持ってしまう。
 中学からずっと1人ぼっちだった僕にはさ……。
 これが恋なのか、それとも違う感情なのかなんて、判別が出来ないよ――。

 バイトを終えて自宅マンションへと帰り、自室へと荷物を置く。換気をしようと窓を開け、少しだけ夜空を眺め黄昏れていると――カララという音が聞こえた。ベランダにある『非常時にはここを破って避難してください』と書かれた蹴破り戸越しにだ。
「……そっか。伶桜も帰って来たんだな」
 マンションの隣の部屋に住む隣人――花崎家の1人娘、伶桜の気配を感じた僕はベランダから自室へと戻る。
 伶桜とは腐れ縁。幼い頃から兄妹同然に育って来た。
 地味なチビで、いじられっ子でインドア好きな癖に、気だけは強い幼少期を過ごして来た僕。対して伶桜は、幼い頃から身体も大きくバスケも上手い。
 中学校1年までは毎日のように一緒にいて、殴り合いの喧嘩も頻繁にした。身体が成長する前なんて、男女の筋力差も少ない。唯でさえ身長の高い彼女に、もやしっ子の僕はいつも痛みと悔しさで咽び泣くほどボコボコにされていた。
 思春期で男女が仲良く過ごす事で揶揄われるようになってからは、学校で一緒に過ごす事もなくなる。そうして一度距離を取り始めると、お互いに溝が生まれた。
「別に伶桜の事が嫌いじゃない。……でも――苦手だ」
 苦手意識、いや……。いつしか醜い嫉妬や、羨望の反動から生じる劣等感を抱くようになった。
 僕がもし、伶桜だったら。
 そう思わずにはいられない。そうして人格を形成する中学生の間、鬱屈した強い劣等感を抱きつつ、イジメられながら成長した僕は――歪んだ。
 自信を失い、鬱々とした日々を過ごす中で、どうしようもなく自分が嫌いになってしまった。
 鏡を見る度に、ヒョロヒョロで細い身体をした自分を見て、目が死んでいくのが自覚出来た。
 悔しくて一生懸命に牛乳を飲んだり筋トレだってしたけど……効果はなかったなぁ。
「……身長は伸びない、筋肉は付かない。……お医者さんに言われたのは、『骨が丈夫そうですねぇ』だもんなぁ……」
 僕の努力の結果、どうやら骨は長く伸びずに、中身がギッシリと詰まる成長を遂げたらしい。そんな成長は望んでいなかったんだけどね。
 気が付けば僕は、学年で1番背が小さかった。
 自然に笑えないぐらいの劣等感に苛み、日に日に陰気になっていく。そんな僕に新たな友達が出来る訳もなく、小学校から一緒だった人たちも次々と離れて行き――ついには誰もいなくなった。
 そんな現実を直視したくなくて、髪も前が見えないぐらいに伸ばした。本を読んだりゲームばっかりしていて、気が付けば視力まで落ちメガネが必要になって……。完全な地味キャラの出来上がり。
「僕がなりたかった、男らしくて格好良い人間とは大違いだな……」
 ベッドへ横になり自分の頬を触りながら、ついつい心の声が漏れ出てしまう。
「……でも今日は、山吹さんと話せて嬉しかったなぁ」
 高校生になった入学式の日。
 入学式が終わっても、僕は席で1人ぼっちだった。そんな僕に「クラスのグループへ招待するから」と声をかけてきてくれた陽気な女性。それが山吹美園さんだった。
 初対面の印象は――見るからに陽気で、自分のように陰気な男に話しかけるタイプとは真逆の人生を送ってそうな可愛い子。
 初めは住む世界が違う、スクールカースト上位の存在怖いなぁって感情が先行したけど……。怖く思えた彼女に優しく接してもらえるのが嬉しくて、ドキドキしてしまった。
 そのドキドキが、もしかしたら好意なんじゃないか? 一目惚れなんじゃないか? そう思うようになってから――もう半年だ。
 気持ちを確かめようにも、鬱屈とした思春期ですっかり自信を失い、気弱になった僕は声をかける事が出来ないでいた。見かける度に自分から声もかけられない、そんな勇気のない自分がもどかしい。
 毎夜のように部屋で思い悩み、そもそもこれは恋なのか。恋ってなんなんだ。そう懊悩する日々だ。
「あ~もう! 僕には分からないよぉ!」
 枕を抱きながら、ベッドの上をゴロゴロと転がると――。
「――ヒッ! ご、ごめん伶桜!」
 ドンッと、壁から強い衝撃が響いて来る。思わずベッドの上で身を跳ねさせ驚いてしまった。
 このマンションは壁が薄くて、声も響く。ましてや晩夏で網戸にしていれば、隣の部屋に住む伶桜には良く声が聞こえるだろう。僕も偶に伶桜の声が聞こえるけど……。こんな気持ち悪い事を叫んでたら、壁ドンくらいされて当然だよね。
「はぁ……。母さんが帰って来るまでにお菓子を作って、筋トレもしないと……」
 仕事を終え帰って来た時に美味しいお菓子が無いと、母さんは凄く不機嫌になるからなぁ。僕にプロレス技をかけて上司へのストレスを発散するのは勘弁して欲しい。幼い頃に離婚してから1人で育ててくれて、毎日遅くまで働きながら養ってくれてるのには感謝しているけどさ。
 筋トレも腹筋スタンドにダンベルと一通り揃えて、もう4年ぐらい毎日やっているけど……。僕はヒョロヒョロのまま。長年努力しても、効果が得られない。理想の格好良い肉体になれなければ、心だって腐るよ……。
「不平等だよね……。筋肉が付きやすい人が居れば、付きにくい人も居る」
 キッチンへと移動し、愚痴を吐きつつお菓子作りの準備をする。
 冷蔵庫の中身的に、今日は簡単な材料で作れるベイクドチーズケーキかな……。頂き物のビスケットもかなり余ってるし、唯ビスケットとして食べ続けるより土台のボトムとして使った方が飽きないよね。
「砂糖に卵、クリームチーズっと。……あ、今日はバター多めにしようかな~」
 ベイクドチーズケーキは土台の食感と味でかなり変わるしね。ビスケットを砕き、気持ち多めに溶かしたバターで土台を作る。
「型枠は……5号で良いか」
 直径15センチメートルぐらいの丸型。2人で食べるには多いけど、材料を丁度良く使うにはこれぐらいのサイズだろうな。変にレシピから材料を減らしたら、オーブンで焼く時間とかも調節しなきゃいけなくて大変だし。
 生地をちゃちゃっと作り終え170度に設定したオーブンへと突っ込む。後は40分ぐらい焼けば完成。
 その40分間で、僕は日課の筋トレをする。
 体幹、腕、足……。脳内に理想とするマッチョを思い浮かべながらやってるけど……。段々、虚しくなって来たな。
「……鏡に映る僕の姿、変わらないなぁ」
 クローゼットの中に置いてある姿見に映る自分は――もやしだ。女の子より筋肉が無いかもしれない。それぐらい細くて頼りない肉体だ。
「……僕のなりたい格好良い姿は、もう諦めた方が良いのかも。4年間も続けて、これだもんな……」
 なんだか……涙が滲んで来た。一旦メガネを外し、目元を擦る。
 オーブンを見に行くと、まだ焼き上がるまで15分ぐらい時間があった。
「……気晴らしにFPSでもやるか」
 銃でバトルロワイヤルするゲームを一戦やれば、丁度良いぐらいの時間だ。
 また自室に戻り、充電していたゲーム機を手に取って起動する。
 画面に映るのは、現実の自分に対する不満――正反対の筋肉が浮き出てスタイルの良い屈強な男性キャラだ。
 野良として知らない人とパーティを組み、バトルロワイヤルへと参加する。
「……なんだ、コイツら。全然僕と協力してくれないじゃん」
 仲間内でやってるのかな? 僕なんかいないかのように、勝手気ままにプレイしている。
「あ……。味方がやられた。救援を求めてるし……。居るよなぁ、協力プレイはしないのに、自分がやられたら復活の協力だけ求める人って」
 自分以外の味方が敵のパーティにやられ、回復をしてくれとチャットが飛んで来る。敵は味方に置いていかれ離れた位置にいる僕には気が付いていないのか、固まっている。
 それなら――僕が敵を一掃して味方を救うヒーローになってやろうじゃないか。
「グレネードくらえ!……ハハッ。殲滅完了。味方も助けられたし……僕、頼られてるなぁ」
 僕は昔、イケメンヒーローのような男に憧れていた。こうなりたいと、心から思っていたんだ。
 好きな人がピンチに陥った時に格好良く助けられる、まるで漫画に出て来るイケメンヒーローのような男らしい男に。
 その目標が――ゲームの中でだけは達成出来た気がする。
 その後、何組かのパーティと遭遇し、味方部隊は壊滅。僕の操作している屈強な格好良いキャラもやられてしまった。
 画面が暗転すると――屈強なキャラとは正反対な、もっさり頭にメガネをかけた地味な自分の顔が映る。思い描く理想のイケメンとは真逆の、パッとしない陰気な男がそこには映っていた。
 これはイジメられるよなぁ……。弱肉強食の世界だったら、どう考えても狙われそうな程に弱々しい見た目だ。
 余計に鬱憤が溜まった。
 僕は出来上がっていたベイクドチーズケーキをオーブンから取り出し、冷蔵庫に突っ込む。これで2時間も冷やせば、美味しく食べられる。
 ゲームに出て来るような屈強で格好良い男やヒーローを目指して、また筋トレをする。
 そして疲れ果てたらゲームの中で格好良い男に自分を投影してプレイをするを繰り返し――気が付けば、もう2時間以上は経過していた。母さんはまだ帰って来ていない。
 ゲームの電源を切ると――暗転した画面に、またしても大嫌いな自分の顔が映る。もう電源を切ったから、画面が明るくならない。嫌いな自分の顔が、消えてくれない。マジマジと自分の顔を見つめてしまい――涙が滲んで来る。悔しくて、情けなくて……思わず唇を噛み締めた。
「惨め、だなぁ……。僕はなんの為に生きてるんだろう……。何も楽しくない。毎日が生きづらい、苦しいよ……」
 小学校の低学年まではクラスの中心で明るく笑い、無邪気にヒーローやリーダーを気取っていた。でも他の人がドンドンと体格が大きく声も低くなっていく中で――僕は殆ど変わらなかった。
 身長も低く、声も幼くて高いまま。いつの間にか、クラスでの立ち位置も中心どころかイジメられっ子だ。
 現実で叶わない鬱々とした気持ちをゲームで晴らす。格好良くもないし誰にも誇れない人間へと成長してしまった。
「もう、こんな自分は嫌だよ……。抜かれて、落ちて行くだけの自分は嫌だ……」
 思わず膝を抱え、顔を埋めて嘆く。
 気になる子への気持ちを確かめる為に話しかける事すら出来ず、デートに誘うなんて夢のまた夢。自信もなく勇気も出せない臆病者として完成したのが――今の僕だ。
 そんな誰にも誇れない自分が――顔も見たくないぐらい、大嫌いで仕方ない。
「変わりたい、生まれ変わりたいよぉ……」
「――(かおる)、泣いているのか?」
「ぇ……。伶桜?」
 僕の名前を呼ぶ声に顔を上げれば、室内には誰もいない。
 周囲を見回すと、ベランダへ通じるドアが網戸になっている。そういえば、換気の為に開けたままにしていたんだっけ?
 という事は、ベランダ越しに伶桜が話しかけてくれたのか?……どれぐらいぶりだろう、伶桜に話しかけられるのなんて。気にもしてなかったから、ちょっと直ぐには分からない。
「伶桜?」
 ゆっくりとベランダに出て、蹴破り戸越しに話しかける。
「……何をシクシクと泣いてるんだよ。そんな泣かれ方をしたら、気になるだろう。……相変わらず薫は弱いんだな」
 ああ、この物言いに声。間違いなく伶桜だ。
 格好良くて、僕の理想とする男の内面を持っている幼馴染みの女の子。その気配が僅か1メートルぐらいの位置に感じられる。
「……そうだね。僕は伶桜みたいに、強くて格好良くなれなかったから」
「……俺だって、好きでこんな性格に成長した訳じゃない。バスケ部の後輩とか周りに、格好良いって言われて、引っ込みが付かなくなったから……」
 夜空に消え入りそうな声で、伶桜がぼやいている。
 伶桜も悩みを抱えていたのかな……。案外、夜空を眺め黄昏れたくて、ベランダに出て来たのかもしれない。今日の放課後、女の子から告白されて億劫そうだった姿が脳内に蘇る。
「仕方ないよ、伶桜は格好良いもん。今日だって女の子から真剣に告白されてたじゃん」
「あれは……。そうだ、薫はあんなとこで何してたんだ? 別に本郷たちと仲良くないだろ?」
「……別に」
「……カツアゲか?」
 カツアゲ……。恐喝みたいな事だよね。今日のが、脅されてお金を奪われたと表現するのが適切なのかは分からない。レシートを見せられて、お金を渡しただけだから。勿論、僕が払わなければ何かしらの形でイジメがエスカレートするんだろうけど。
 あれはなんと呼ぶんだろう。少なくとも、僕がカツアゲと聞いてイメージする『金出しな』と胸ぐらを掴まれる光景とはマッチしない。
「……違うよ」
 だから否定したんだけど……はぁと、長く深い溜息が隣から聞こえて来た。頭を掻くようなガシガシって音も聞こえる。……考え事とか照れくさい事があった時、何処かを掻く癖は変わってないんだね。見た目は格好良く変わったのに。
「……ビンゴかよ。畜生……」
「僕さ、違うって言ったよね?」
「否定までの時間が長い。少なくとも、似た何かはされてるんだろ?」
「……まぁ、うん」
 僕が肯定すると、長い沈黙が流れた。伶桜も困っているよね。突然こんな面白くない話をされてさ。原因は、僕がヒョロガリで弱虫なチビだって事にあるんだ。……根本的に解決が出来ようはずもない問題なんだし、相談されても困るのは当然だよね。……申し訳ないなぁ。
「――あ、伶桜。ベイクドチーズケーキ食べる?」
「……ベイクドチーズケーキ?」
「うん、母さんに作ったんだけど……。量が多くてさ」
「なんでそんなオシャレな物を作って……。ああ、そうか。叔母さん、お菓子好きだもんな」
「そうなんだよ。良かったら、食べて感想くれない? もし不味かったら、母さんは1日不機嫌になっちゃうしね」
「……分かった。そっちに行く」
「え?」
「迷惑か? 俺が薫の部屋に行くの」
「迷惑って訳じゃ……。でも、久しぶり過ぎで戸惑ってるというか……」
 本当に何年ぶりだろう? そもそも、こんなに長く会話したのだって中学1年生以降は無かった。部屋に来るのなんて、4年ぶりじゃないかな?
「じゃあ、10分後ぐらいに行く」
「……10分後?」
「ああ。……その間に顔を洗って、整えておけよ」
 そう言い残して、伶桜は部屋に入り扉を閉めた。
 ふと自分の顔を触ってみると――顎まで濡れていた。
 これは、涙?……そうか、僕はそんなに泣いていたのか。伶桜は僕の顔も見ずに会話しただけでそれを見抜いて、整える時間をくれたんだろうな。
「……本当、なんでそんなにクールで格好良いのさ。……ズルいよ」
 僕も自然とそんな気遣いが出来るような、格好良い男になりたかった。やっぱり伶桜に接すると、自分のダメさ加減に心が折れそうになるなぁ。
 僕は急いで洗面所に戻って顔を洗い、冷蔵していたベイクドチーズケーキを切り分ける。
 そうしてキッチリ10分後、伶桜が僕の部屋へとやって来た。
「……マジで久しぶりだな、この部屋も。懐かしい」
「そう、だね……」
 中央に四角いテーブル。ベランダへと続く窓際には何もない。伶桜の部屋の壁と接するようにベッド。勉強机と本棚が他の壁際に設置されている。あとはクローゼットと床に散らばる筋トレ用具ぐらい。特に模様替えもしていないから、最後に伶桜が来た時と家具の配置も変わって無いはずだ。
 テーブルを前に立つ伶桜の横顔を、僕はマジマジと見つめる。
 常人離れした、端正な顔立ちだよなぁ……。シミ1つ無い透明感のある肌。キリッとした奥二重に、クールで切れ長の涼しい目元。高い鼻に、知的さを感じさせる逆三角形な顔の輪郭。長い手足に、スレンダーなボディスタイル。その美しさを更に際立たせているのは、髪型だ。耳より後ろは短く、前髪と横髪は長め。これが色気あるハンサムさを醸し出している。
 最後にちゃんと顔を合わせた中1の頃より、よっぽど洗練された格好良さだ。
 成る程、これは女の子にも告白されま来るはずだよ。学生服か、今みたいに適当でラフなパーカー姿しか見た事がないけど……オシャレをすればもっとモテると思う。僕が望む格好良い素材を全て持っているのに、勿体ないな……。
 それに、こうして近づいて思ったけど……。
「伶桜」
「なんだ?」
「……また身長、伸びた?」
 僕の質問に、伶桜は少し顔を顰める。
「それ、いつと比べてだ?」
「中1から。あの頃は170センチメートルぐらいだったよね」
「……まぁ、それよりは少しだけな」
「……今、身長いくつ?」
 少しだけ瞳を揺らしてから、伶桜は囁くように言葉を紡ぐ。
「……174か5センチーメトルぐらい」
 は? 日本人の女性平均身長が158センチメートルぐらいだから、16センチメートル以上も平均より高いって事? 男性平均だって172センチーメートル有るか無いかなのに。
 というか、僕よりも15センチメートルぐらい身長高いの?
「ズルい」
「そんな事言われてもよぉ。……俺だって、好きで身長が伸びた訳じゃないんだよ。まぁバスケしてると有利な時もあるけど」
 困ったように頭を掻く仕草すら、クールで格好良いんですけど。……なんなの、コイツ。幼馴染みだけど、凄く腹が立つ。苦手意識が更に増すんだけど。……泣いている僕を励ます為に来てくれたのかと思ったけど、もしかして止めを刺しに来たの? 鬼なのかな?……涙でメガネのレンズが曇れば良いのに。このハンサム、僕には目に毒だ。
「足の骨、僕に継ぎ足してよ」
「グロい事を言うな。……おい、マジな目をするの止めろ」
「マジだよ」
「メガネの奥の瞳、ガチじゃないか」
「だから、ガチだもん」
「怖ぇよ」
「僕みたいなチビで地味なヤツの怒りが怖いんだ?……へぇ」
「……分けられるもんなら、俺だって身長を分けてやりたいよ」
 嘆息するような伶桜の声音が室内に響く。
 僕に無茶な注文をされて困っているというより、伶桜自身も悩ましいと思っているかのような印象が感じられる。身長が高いのに困るなんて、僕からしたら贅沢だけど……。伶桜は伶桜なりに悩みがあるのかもしれない。
 もしかしたら、数年ぶりに僕なんかの部屋に来たのも、自分の悩みを誰かに聞いて欲しかったとか? 僕なんかに話しても仕方ないけど、壁に話しかけるよりはマシだと思ってくれたのかもしれない。
「取り敢えず、ケーキを持って来るから。適当に座っててよ」
「ああ。ありがとう」
 そこで迷いなく僕のベッドに腰掛ける辺りは、流石は幼馴染み。慎みとか遠慮が無いよね。お互い気にするような関係でも無いけど。兄妹同然で、互いにほぼ無関心だし。
 伶桜って、今はどれぐらい食べるんだろ? 母さんが3ピースは食べるとして、僕と伶桜で残り3ピースを食べちゃいたいんだけど……。小皿に分けるのも面倒だな。切り分けて丸いまま持って行こう。
 フォークを2本と、ホールケーキを机に並べる。
「……これ、薫が作ったのか?」
「そうだよ。はい、フォーク。適当に食べて」
「美味い……」
 おずおずとベイクドチーズケーキを口に運び、薫は目を剥いて感想を呟いた。演技っぽさを微塵も感じない様子に、僕は安堵の息をホッと吐く。
「本当? 良かった、今日は母さんにプロレス技かけられずに済みそうだね」
「本当に美味い……。なんなんだよ、薫はさ……。どこまで俺を、惨めな気持ちにさせんだよ」
「惨めな気持ち?」
「……ああ。俺は、本当は格好良くなりたくなんか無かった」
「は?」
 喧嘩売ってるよねと思うけど……。伶桜が本気で寂しそうに呟いているから、グッと堪える。
「伶桜みたいに小っちゃくなりたかった」
「喧嘩売ってるなら言いなよ。ダンベル構えるから」
 堪えるって言っても、限度はあるからね。我慢のラインを越えて来たら、殴るのも許して欲しい。
「……料理だって、俺は出来ない。お菓子も焦がしてばっかりだ」
「……え、これマジな話? 僕をバカにしてるんじゃなくて?」
「マジだよ。……本当の所、俺は可愛くなりたかった」
 舐めてんの? いや、これは無いもの強請り……かな? 持つ者は持たざる者を羨ましく思うとか、隣の芝は青く見えるみたいな? 僕からすれば格好良いルックスをした伶桜が、可愛くなりたかったなんて嫌味にしか聞こえなくて、血涙が出そうだけど……。
 伶桜の様子を見ると、本気で悩んでいるみたいだ。こんな弱々しい姿、初めて見たな……。ここ数年は互いに無関心だったけど、中学生になるまでの12年間は、兄妹同然に過ごして来たのに。
「可愛いって……山吹さんみたいな?」
 可愛いと言われて真っ先に思い浮かんだのは、山吹さんの顔だった。
 もう半年も山吹さんへの気持ちがハッキリせずにモヤついた心情だから、パッと名前が出てしまった。
 顎を手で抑え横目に考えていた伶桜は、小さく首を振って否定の意思を示す。
「いや、美園が可愛いのは認めるけど……。ああいう作った内面の、小悪魔的可愛さじゃない」
「作ってる? 山吹さんが?……え、嘘って事!?」
 マジですか!? 女は女の嘘を見破るのが得意って言うけど、本当に!? それが本当なら、ショックすぎる。……いや、待て待て。伶桜の言う事だぞ? 下手な男よりイケメンで、告白の断り方もバッサリ断ち切るような格好良い伶桜だ。どこまで信じられるか分からない。
「へぇ……。その反応、薫は美園を好きなのか?」 
 伶桜は僕へ視線を向けると、ニヤリと愉快そうに口元を歪め目を細めた。……その口元に運ぶケーキの手を止めて。折角クールで格好良い場面なのに、台無しだよ。イケメンを無駄遣いするな。それはイケメンへの冒涜だ。格好良いイケメンに憧れていたのに、穢さないで欲しい。
「いつから好きなんだ?」
「……なんでそんな事を聞くのさ。興味なんて無いでしょ?」
「良いじゃないか。恋バナだよ」
「幼馴染みと恋バナとか、親に話すよりキツいんだけど。悍ましい」
「……薫、昔より突っ込みの毒が強くなってないか? 毒が塗られたナイフみたいにダメージが来るぞ」
「毒かぁ……。性根から腐ったんじゃない? 思春期で歪んだ自覚はあるから」
「……そうか。兎に角、俺だって暴露したんだ。次はそっちの番だろ? 話のネタ、提供しろよ」
 本当は可愛くなりたかったって話かな? 勝手に話をしたんじゃん。しかも全然楽しくないネタだったし。僕からすると、だったら格好良さは僕に寄越せって憤りすら覚えたのに。……理不尽だなぁ。
「……入学式。1人ぼっちの僕に、嫌な顔もせず明るく話しかけてくれた時から」
「成る程な。浮いてて寂しかった所を、優しくされて好意を持った。つまりは、一目惚れって事か。……薫、中学から地味って言うか……。モッサリして気味が悪くなったからな。チョロく落とされやがって」
「そんな事、改めて言われなくても僕が1番分かってる。……格好良くなれない、地味でヒョロガリのメガネ。自分が魅力無い、パッとしないなんて……自分が1番良く分かってるよ」
「あ~……。悪かったよ。もう泣くな。……そんなに腐るほど、傷ついていたのか。知らなかった」
「……泣いてないよ。それに、好きかどうかだって分かんない。自分の気持ちハッキリしないまま半年経っちゃったから」
「だったら、気持ちをハッキリさせて来いよ」
「簡単に言わないでよ。相手は学校のアイドルだよ?」
「そんな弱気だから、本郷たちに良いようにされんだぞ?」
「……僕はもう、自分に自信が無いから。別に大金って訳でも無いし、静かに卒業出来れば良いよ」
「へぇ。それで、いつ告白するんだ? 卒業式か?」
 コイツ、自由過ぎない? 無敵かよ。僕を励ます気なんて、絶対に無いでしょ。本郷たちとの事も、そんな興味は無いんだろ。……切り替えの早いサバサバとしている伶桜の事だ。この状態の僕に何を言っても仕方ないと、バッサリ切り捨てて話題を変えた可能性もあるけどさ。
「僕の話を聞いてた? 鼓膜あるの? 相手は学校のアイドルだよ、僕みたいのが相手される訳が無いって分かるよね?」
「キレんなよ。……別に揶揄ってねぇ。半年も指咥えて見てただけなんだろ? そんなもん、分の悪い賭けだと諦めて何も行動しない自分が益々嫌いになって行く一方だろ」
「……まぁ、ね。でも言う機会も勇気も無いし……。無謀に当たって砕けたら……。身の程知らずだって、イジメもエスカレートするよ」
「……つまりは、無謀では無い実績があれば良いんだろ? 魅力的な存在って証明が有れば、例え失敗してもイジメに発展するリスクは少ないって訳だ」
 伶桜ぐらいにイケメンなら、周りも渋々納得するかもしれないけどさ。イケメン女子と可愛い系美少女。良い組み合わせだねって。
 でも僕みたいなのは……ダメでしょ。
「イジメなんて、理屈じゃないと思うよ。僕がイジメ易そうな限り、適当な理由をつけてイジメられるんじゃない?」
「このまま3年間、そうやって気持ちをハッキリさせられないで卒業するのか?」
「……それは嫌だ」
「だったら、良い機会があるぞ」
「……良い機会?」
「今度の蛍高祭で、ミスコンとミスターコンがあるのは知ってるよな?」
 蛍高祭……うちの文化祭の事か。大学とかの文化祭でミスコンやミスターコンがあるのは知っていたけど、うちの高校にもあったんだ。
「初耳だけど?」
「なんで知らないんだよ。話題になってんだろうが」
「友達いないし、人と関わりないから」
「そ、そうか……悪かったな。野暮な事を聞いた」
 頬を掻きながら、ばつが悪そうな顔で苦笑を浮かべている。自慢じゃないけど、学校で口を開く事なんて滅多に無い。クラスで山吹さんが話しかけてくれなければ、絡まれたり授業で名前を呼ばれない限りは一言も口にする事なく下校する事だってある。伶桜は知らないだろうけど、それが僕のスタンダードなんだよ。
「蛍高祭ではな、男性が女装して出場するミスコンテスト、女性が男装して出場するミスターコンテストがある」
「カオス過ぎない? 中途半端に女性や男性にランキング付けるのを反対する人へ配慮した感じなの?」
「さあな。別名は、コスプレパフォーマンスコンテストだ」
「うちの学校って進学校だったよね? 勉強できるアホが揃ってるのかな?」 
「コンテストは単純にルックスの良さだけでなく、ファッションセンスや演出が加味されるそうだ。先輩が言うにはな……。去年のミスターコン優勝者は大人気漫画に出て来る、拳で闘う怪力高校生キャラのコスプレをして、瓦15枚を割った女子空手部元主将だったらしい」
「……まぁ、それなら分かる。やるのも見るのも、案外面白そうなコンテストだね」
「ミスコン優勝者は、女性アイドルアニメキャラのコスプレをして、キャラソンを歌いながら入場したそうだ」
「ごめん、やっぱり僕には理解が及ばないや。アホの権化じゃん」
「所作も声真似も、原作完全再現という愛のステージパフォーマンスをした細マッチョだったらしいぞ」
「リスペクトは感じるけど、人前でやる意味ある? 勉強し過ぎてアホしかいなくなったのかな」
「原作リスペクトの為に、体重を15キログラム落として来たとかって噂だ」
「そこまで突き詰めれば、尊敬できるアホだね。1周回って僕も格好良く感じて来た」
「因みに、ミスコンとミスターコン、どっちも動画がSNSでバズったらしい」
「僕には世間様が理解出来ないよ。……あれ、僕がズレてるのかな?」
 バズるってのは、凄く流行って話題になるという事だ。つまり、それだけ世間では評価されたって事なわけで……。いや、あるいは炎上という叩かれる方向なのかもしれない。頑張ったのにそれは可哀想か。
 多分、面白おかしく青春している姿が良かったのかな? それか、怖い物見たさか……。蛍高祭は秋口に行われるから、終わりゆく夏が恋しくてホラーを求めたのかもしれない。うん、きっとそうだ。
「だから真剣にやれば誰だってリスペクトされて優勝可能性がある、公平なコンテストだ。過去の実績が物語っているだろ?」
「それは分かったけどさ……。なんで僕にそんな情報を話したの?」
 思っていた以上に盛り上がる青春イベントなんだろうなとは思う。でも僕には、女装趣味やコスプレの趣味がない。……第一、見た目もパッとしない地味さだ。出場なんて意味がないし、する必要性も感じない。
 場が盛り上がるような芸も会話術も、愛して止まない趣味すら持たない僕にこんな話をしたのは、なんでなんだろう。山吹さんを観覧に誘えって事かな? 確かに、それだけインパクトがある人たちを見ていれば、会話なんか出来なくても間は持つだろうけど……。そもそも誘う勇気すらない。僕なんかって、自信が出ない……。
「優勝賞品がな、テーマパークのペアチケットなんだよ」
「……つまり、そのコンテスト――僕の場合だとミスコンに出て、優勝の実績とペアチケットを使って山吹さんを誘えって話?」
「そう言う事だ。客観的に評価されるコンテストで優勝した実績なら、自信を取り戻すには充分だろ? その実績を引っさげて、美園を誘え。そんで、気持ちをハッキリさせて来い」
「それは……」
「いい加減、覚悟を決めろよ。勇気も出せず、その感情がなんなのかモヤついたままで卒業したいのか?」
 伶桜が僕を煽る言葉は、胸にグサリと刺さった。
 僕は……変わりたい。今の自分が――勇気も出せず自信も無い。何も楽しくない、生きづらい、息苦しいと毎日嘆いているだけの自分が嫌いだ。
 大勢の前に立つ挑戦……。凄く勇気が要る事だけど……幼馴染みにここまで煽られて、ウジウジと引き下がりたくは無い。
 嫌いなままの自分を受け入れて――一生、幼馴染みから見下されるのは嫌だ。
 だったら――度胸を示すしかない、よね。
「……分かった。やってみる」
「良く言ったな」
 伶桜が微笑みながら、俺の頭を撫でて来る。ボサボサな僕の髪の毛に、伶桜の細く長い指が埋まった。……なんだか、妙に恥ずかしい。
「僕は子供じゃ無いんだから、頭を撫でないでよ」
「撫でやすい高さにあったからな」
「誰がチビだ。顎に頭突きするよ?」
「俺の顎と薫の頭が、丁度良い高さだからな」
 揶揄うように伶桜はまた笑う。
 本当に頭突きしてやろうかな? 身長差的に、座っててもマジで丁度良いし。……悲しくなって来た。なんで僕は自分が言った事でダメージを負っているんだろう?
「……はぁ。でも僕、コスプレ衣装なんか持ってないよ?」
「それなんだけどさ……。俺に策……というか、お願いがある」
 表情を引き締め、伶桜は幾分か緊張した雰囲気で背筋を伸ばす。
「伶桜が、僕にお願い?」
「ああ。……さっき、俺は可愛くなりたかったって言ったろ?」
「言ってたね。嫌みったらしく」
 忘れられない。伶桜は本気で悩んでいるのかもしれないけど……。格好悪くて小柄な事をコンプレックスに思う僕へ喧嘩を売る発言だったから。
「実は可愛い服も買ってあって……。だから、その――俺の代わりに、着てくれないか?」
 僕は唖然としてしまい、室内に静寂な時間が流れる。
 一瞬、部屋の空気が凍ったのではないかと錯覚した。
 伶桜は真剣な表情で、僕は戸惑うように口の片側をヒクつかせて固まっている。……というか、脳の処理が追いつかないんだけど?
 伶桜の代わりに、伶桜の買った可愛い服を僕に着て欲しい?……今、そう言ったんだよね?
「……は? 女装って事?」
「そうだ。俺の理想は、可愛い子だった。……その願いを、薫の身体で叶えさせて欲しい」
「……本気?」
「ああ、頼む」
 伶桜が僕に頭を下げてお願いして来るなんて……。なんだろう、凄くゾクゾクして来た。僕の歪んだ性癖が目を覚ましそうだ。
 僕より圧倒的に勝る存在だと思っていた伶桜が、真剣に頭を下げてお願いして来ている。このシチュエーションに興奮しないでもないけど……。それ以上に、人から頼りにされているのが嬉しい。
「分かった。でも、1つ条件がある」
「なんだ?」
 折角の機会だ。伶桜と対等に話せる機会なんて金輪際、無いかもしれない。
 等価交換と言う訳じゃないけど……。伶桜だって僕を玩具にして、自分の欲望を叶えるんだ。僕も自分の欲望を口にしたって、罰は当たらないよね?
「僕の理想は、伶桜みたいに格好良くなる事だったから……。似合わなくて着れない服とか、代わりに着て欲しい」
 伶桜は首を傾げながら、真剣な表情で何かを考えている。
「つまり――俺は薫に。薫は俺に、自分を投影させてオシャレさせるって事か?」
 数秒ぐらい考えた後、今の状況に合点がいったのか、そう確認して来た。
 その表情は、嬉しそうに頬が緩んでいる。……腹が立つぐらい、爽やかクールイケメンだな。
「うん。……本当は自分で着たかったけど、似合わないから仕方ない」
 実は僕にも、いつか身長が伸びて筋肉がついて……格好良い男になれたら着たい。そう思ってクローゼットに眠らせていた服がある。
 一度袖を通してみたけど、服に着られている感が強く……全く似合っていなかった。泣く泣く死蔵されていたんだけど……。供養代わりに着て理想の格好良い姿を見せてもらえるなら、これに勝る喜びもないと思うんだ。
「分かった。――そんじゃあ、早速やるか?」
「え? 今から?」
「ああ、善は急げだろ。家から持って来るから、準備しとけよ。――薫のセンス、俺が見てやる」
 意地の悪い笑みを浮かべながら、伶桜は立ちあがり出て行った。……どうしよう。軽々に引き受けたし、着てくれって提案したけど……。これは無いって言われたら、立ち直れないよ。
 一先ず、クローゼットから一式を取り出し、眺める。……うん、多分だけど、似合うと思うんだよなぁ。残暑が残る時期に着てもらうのはキツい厚着だけどさ……。
 数分とかからずに、伶桜は部屋へと戻って着た。ショップの紙袋を手に、目をキラキラと輝かせて。なんなの、その子供みたいに無垢な瞳は?
「待たせたな」
「いや、むしろ相当早いでしょ」
「この服が日の目を見ると思うと、つい……な」
 紙袋から取り出したのは……3点の服と白いヒールサンダル、それに黒いロングのウィッグに、化粧品セットだった。
「まずはこの服を着てみてくれ。それからウィッグと化粧だ」
「……待ちきれない子供なの? ワクワクし過ぎじゃない?」
「当たり前だ。ああ、ちなみに説明しておくと、この白キャミソールにライトブルーのボレロカーディガンを着るんだが、リボン結びした部分が前に来るようにな?」
「成る程? スポッって被るんじゃないんだ。結び目は後ろだと思ってた」
「やりがちなミスだからな。後、俺が着るのを想定したからサイズはデカいけど……」
「……嫌味?」
「ちげぇよ。オーバーサイズも流行だし、デニムワイドパンツは多少丈が長くても、ヒールが高いから誤魔化せるなって。そう思っただけだ」
「本当かなぁ?……まぁ良いや。ちょっと着てみるから、あっち向いてて」
「分かった」
 女装……。やると決めたとは言え、抵抗があるなぁ……。
 でも、やるしかない。約束しちゃったんだし……着るしかない。覚悟を決めよう!
 伶桜が背を向けたのを確認して、僕は渡された衣服に袖を通していく。
 うわぁ……。このキャミソールとか、胸しかかくしてないじゃん。露出多いな。カーディガンの生地も柔らかくて薄いし……。この服を伶桜が着ようとしていたのか。普通に似合うと思うんだけど……。自分で着てみたら、イメージと違ったのかな?……というか僕、本当にレディース服一式を着ちゃってるよ。初めてだけど……。どうせ僕みたいに地味なヤツじゃあ気持ち悪くなるんだろうな。ウィッグしても地味な顔はどうにもならないしさぁ……。
「……着るの、終わったよ」
 今更ながら後悔しつつあったけど、約束は約束。
 姿見鏡も見ずに声をかけた。自分で鏡を見て、気持ち悪くなって約束を破る事になるのが嫌だから。そうなる前に、思い切って声をかけた。
「おお……。意外にサイズは合ってるな。首から上は、アレだけど」
「アレで濁しても、傷つくからね? 顔がアレなのは、僕が1番分かってるよ……。メガネで頭もボサボサだし、冴えないから気味悪いって言いたいんでしょ? もう脱ごうか?」
「そう怒るな。首から上は、これからメイクとウィッグをするんだから良いんだよ」
 苦笑しながら言うと、伶桜は屈み――僕の腹筋を指でなぞった。……なんかゾクゾクって来たんだけど。え? セクハラ?
「腹筋に、綺麗な縦線が入ってるな。……機材もあるし、筋トレしてたのか?」
 あ、そう言う事か……。露出が多い服装だし、そこが気になったんだね。
「うん、この4年間は毎日」
「ま、毎日? 凄いな……」
 本当に感心したような声を漏らしながら、伶桜が僕の腹筋をペタペタと触る。確かに、自分でお腹を見ても、縦線は良く見える。……でも横線は見えない。6パックなんて、夢のまた夢だ。
「……僕が望んだような、格好良い肉体美は手に入らなかったけどね。結局、無駄な努力だったよ」
 改めて虚しくなる。結構、頑張ったんだけどな……。汗だくになって、毎日毎日続けてさ……。
「無駄じゃねぇよ」
「え?」
「薫が頑張って来たから、服も喜んでる。こんなに服を魅力的に着こなせるのは、薫の努力の成果だ」
「…………」
「自分のして来た努力を、無駄なんて言ってやるな。誇れよ」
「伶桜……」
 初めてかもしれない。僕が理想の格好良い男を目指して努力して来たのを、こんな風に認めてくれたのは。
 思っていたのとは違ったけど……こうして褒めてもらえるなら、筋トレも女装も、やって良かったなぁ。そう思えるのは……伶桜のお陰かも? なんか……目頭がジンと熱くなって来たよ。
「くびれも綺麗だしな」
「男の身体に、くびれは出来ないんだわ」
「現にあるぞ?」
「単純にガリガリだから、骨盤が浮いてるだけだよ。やっぱり、僕に喧嘩売ってる?」
「誇れよ」
「誇れないよ。さっき同じ言葉で感動した僕の純情を返してくれるかな?」
 一瞬で泣きそうだった喜びが消えたよ。伶桜は純情をぶち壊さないと死ぬ病気なの?
「そんじゃ、メイクしてからウィッグするからさ。座れよ」
「ん……。分かった」
 僕が床に座ると、伶桜も目の前に座って化粧用品セットを広げる。量が多いんですけど……。何コレ、女の子はこんな量の道具を使い分けてるの? ヤバくない? 美術の時間に絵画をした時より多いんじゃないかな?
「えっと……。まずはっと」
 伶桜は普段、化粧なんてしてないんだろうな。スマホを弄って化粧方法を確認している。
 ネットサイトを直接見るんじゃなくて、異常な数のスクショを見ている事から、伶桜が前々から化粧をしたくても踏み出せずにいたのが伺える。
 試す相手が素材の悪い僕でゴメンねと、罪悪感を覚えちゃうんだけど……。
「よし、メガネは外してくれ」
「……分かった。よろしくね」
「おう」
 メガネを外しているから視界がぼやけて見えないけど……。張りのある声から、きっと今の伶桜は楽しいんだろうなと分かる。まぁ、マネキンだって全部が素材良い訳じゃないだろうし。伶桜が楽しんでくれるなら、良いかなぁ……。
 そのまま20分ほど経過して――。
「――よし、最後にウィッグを被せて……ぇ」
 ちょっと眠りかけていたけど、やっと完成したのか。ボサボサの頭へ乱雑に網のようなものを被せられてから、その上にウィッグを乗せられる。
 伶桜が位置を少し調整すると、動きも声も止まってしまった。……なんかこの状態で沈黙って、もの凄く気まずいんだけど?
「何? どうしたの? 言葉を失う程に気持ちが悪いなら、ウィッグ取るよ?」
「取るな!」
「ぇ……」
 溜息交じりにウィッグに手を伸ばそうとすると――間髪入れずに、大きな声で制止された。腕は伶桜にギュッと掴まれている。……握力、強くない? 痛いんですけど。
「……薫。そのままサンダルも履いてくれないか?」
「良いけど……。見えないからメガネを頂戴」
「ああ、そうか……。ほら」
「ん」
 伶桜からメガネを受け取り、やっと視界が確保出来た。
 自分の髪じゃ無いものが乗っているのって、凄い違和感。……というか、伶桜の顔が赤くない? 網戸じゃなくしたし、室温も高いからかな。僕も頭が少し蒸れているしね。
「ほい、履いたよ」
「……メガネ、取るぞ?」
 伶桜が手を伸ばし、僕のメガネを取る。再び視界が奪われた。輪郭だけしか見えないけど……。なんか、伶桜にジッと見られてる? すっごく怖いんだけど……。
 静寂に耐えきれず言葉を発しようとした時――カシャッと、スマホで撮影する音が聞こえた。
「ちょっ!? 今、撮ったよね!? 何、その写真で僕を脅してお金を巻き上げるつもり!?」
 本気で焦って止めようとするけど、伶桜との距離感が掴めない。
 すると――。
「バースト!? 連写してる!? もう、なんなのさ!?」
「……薫、メガネだ」
「あ、ありがとう。――じゃなくて、写真は消してよ! 似合わなくて気持ち悪いのは、分かってるんだからさぁ……。これ以上、僕をイジメないでよ」
 恨めしい気持ちを込めて伶桜を睨むと――伶桜は床に崩れ落ち膝をついた。
 片手で胸を押さえている。……胸焼けする気持ち悪さって言いたいの? 流石の僕でも傷つくよ?
「上目遣い、メガネっ娘……更には僕っ娘に、女の娘だと? 可愛いのマシンガン。薫……俺を殺すつもりか?」
「伶桜、そんな俗なネットスラングを知っていたんだね……。吐くなら床じゃなくて、トイレで吐いてよ」
「吐く?……もしかして薫、自分で気付いて無いのか?」
「……何が?」
「……ほら」
 伶桜がスマホを手渡して来る。
 そこには僕のよく知る衣装と――知らない人が写っていた。
「……え? これ、誰?」
 伶桜が無言で、俺を指差して来る。……またまた、ご冗談を。こんな可愛い子が、僕な訳がないじゃないか。
 室内を歩き、クローゼットを開く。姿見鏡に映っていたのは――。
「――これが……僕?」
 何処かで聞いた事のあるような、月並みなセリフが思わず口から出てしまった。
 間違いなく、写真に映っていた女性が鏡の中に居る。え……もしかして、だけど。勘違いだったら、もの凄い恥ずかしいけど……。
「もしかして……さ。今の僕って、結構可愛い?」
 伶桜へ視線を向けると、サッと目を逸らされた。綺麗な頬はサクランボのように紅潮している。
「その……俺の理想の可愛い子、そのまんまだよ。俺が好きな服でメイクしたから、タイプに寄るとは思っていたけど……。想像以上に、アレだ。……可愛いよ」
 耳まで真っ赤にしている事から、伶桜は嘘をついていないんだという事が分かる。……信じられない。これはコスプレとか女装とかってレベルじゃない。――進化だ。
 ゲームとかで、原型を残さず進化するような、別物の何かだ。
「そっかぁ~……。僕が可愛くって、伶桜が照れてるんだ? ふ~ん?」
「やめ、止めろ! 下から俺の顔を覗き込むな!」
「え? 仕方ないじゃん。僕の方が身長低いチビなんだし?」
「今は蹲ってる俺の方が、目線は低いだろ!? ああ、もう! 終わりだ終わり! 早く薫が俺に着せたい服を持って来い!」
「うん。――はい、これ。よろしく」
 僕はクローゼットに吊しておいて一式を手渡す。
「どれどれ……。黒いチェスターコートに白ニットシャツ。黒スキニーに黒革靴。グレーのネックウォーマー。……熱くて死ねるけど、高身長が似合うエレガントコーデだな。確かに、これは薫には無理だわ」
「うん、だからお願いね? あ、エアコンは入れるから」
「そ、その顔でお願いとか言うな……。着替えるからさ……あっち向いてろよ」
 狼狽している伶桜って、面白いな。なんか、癖になりそう。
 僕はエアコンの冷房スイッチを入れて背を向け、メガネを外す。背を向けているだけでも見えないけど、念には念を入れて安心させてあげなきゃね。
「――よし。もうこっち向いて良いぞ?」
「オッケー……。ぇ、えぇ……」
 そこには――僕の見知らぬ幼馴染みが居た。
 いや、誰? こんな人、知らないです。――いや、顔は同じなんだけどさ。……でも、こんなに変わるの?
 雑誌で見ているモデルより、更に僕が理想としていた格好良い男の理想像そのままで……思わず言葉を失ってしまった。
「どうだ? どうせイケメンなんだろ?」
「う、うん……。その物言いは腹立つけど……。凄く、その……。格好良い。僕の理想の男だよ」
「そ、そんなにか?」
 そう言って、伶桜はクローゼットにある姿見鏡を覗き込む。目を見開き、唖然としていた。
「え……。今まで出会って来た中で、1番イケメンなんだけど……」
「鏡に映る自分にそう言える自信って、凄いよね。伶桜じゃなければ叩いてるよ」
 自画自賛しても許されるほどに格好良いから、仕方が無いけどさ。
「こんな男に告白されたなら、俺もオッケーするかも……。今まで出会って来た男だと、俺が1番のイケメンだったし」
「あ、だから男から告白されても断ってたんだ。女の子にも男にも興味ないと僕は思ってたよ」
「俺は異性に興味があるぞ。まぁ、その……。今日、少し自信を無くしたけどさ。……俺、女の子の方が好きなのかな? でも、中身は男で……あれ? これ、どういう事だ?」
 しどろもどろになっている伶桜に、首を傾げずには居られない。
 それにしても、だ。僕は伶桜に近づき、マジマジと姿を見つめる。
「な、なんだよ。距離、ちけぇぞ?」
 立っている伶桜との身長差は、ヒールもあっておよそ15センチメートル。少し膝を曲げれば、伶桜の胸元が目の前に入る。
「良いなぁ……。――胸板が適度にあるから、白のニットが映える」
「――この膨らみは板じゃねぇよ。殴るぞ?」
「痛い痛い! 頭を握らないで! 唯でさえウィッグがチクチクするんだから!」
 抵抗すると、伶桜は素直に手を離してくれた。バスケ部を舐めていた……。握力って関係あるのかな? 頭がマッチョに握られたリンゴみたいに破裂するかと思った。
 チラッと視線を横に向けた伶桜に釣られ、僕も視線を横に向ける。
 そこには姿見鏡があり――女装をした僕と、男装をした伶桜を映していた。
 2人とも、子供の頃からの幼馴染みなのに――全く見知らぬ人に見える。
 でも……格好良くて綺麗な伶桜に、可愛いって言われた。しかも本音で。それは……何にも自信が持てなくなり腐っていた僕には、凄く嬉しい事だ。
 女装をしなければ、決して体験出来なかった。複雑な気分だけど、前向きになれる良い刺激だなぁ……。
「なぁ、薫。提案なんだが……今日みたいな間に合わせじゃなくてさ、本格的にやらないか? ウィッグじゃなくて、美容室でカットもしてさ」
 新たな目覚めなのかと僕が戸惑っている中、伶桜が首元を掻きながら話を切り出して来た。
「び、美容室!? あのオシャレな店構えに、僕みたいなのが入るの!?」
 場違いも良い所だ! 怖いし、緊張して震えちゃう!
「俺も付いて行ってやるからさ。顔の半分以上が隠れてるようなボサボサの頭を整えて可愛くなろうぜ」
「……わ、分かったよ」
 本当になりたいのは、格好良い男なんだけど……。目の前の最上級イケメンを前に、そんな身の程知らずな言葉は口に出来ないなぁ。
「服もトータルコーディネートして、気合い入れてさ。コンタクト買って、可愛い仕草も練習して……。優勝、取りに行こうぜ。俺もミスターコンで優勝取りに行くからさ。……半端は嫌だろう?」
 あ、そうだった。色々とあって半分ぐらい忘れていたけど……。僕が女装した目的は、文化祭のミスコンで優勝して、テーマパークのチケットを手に入れる事だった。
 見た目を皆に認められた実績と自信をエネルギーに、山吹美園さんを誘う。そして――この胸にわだかまる気持ちをハッキリとさせる事だったな。
 もう既に、1歩を踏み出してしまった。憧れていた格好良いイケメンヒーローのような伶桜も認めてくれるんだ。それなら……僕は諦めたくない。ちゃんと皆に認めてもらって、自分が大嫌いで息苦しい日々から脱却したい。
「……そうだね、やるからには全力でやりたい。それで生まれ変われるなら……僕、頑張るよ」
「オッケー。とは言っても、俺も小遣いに限界があるからな。あんまり高いのは無理だぞ?」
「え? 伶桜がお金出してくれるの?」
「俺がやってくれって頼んだんだ。当たり前だろ」
「……いや、自分の着る分は自分で出すよ」
「別に良いって」
「大丈夫だよ、バイトしてるからね」
「カツアゲされてるのに、平気か?」
「そんな高額を請求されてないから。……癪だけどさ、僕の理想的な格好良い男を伶桜が代わりに見せてくれるのなら、安い代価だと思うよ」
「それは、俺のセリフだよ。……ありがとうな、薫。それなら、俺は自分が男装するのに必要な金を出す」
「え? 良いの?」
「ああ、お互い様だろ。こういう金が絡むもんは、対等でなきゃダメだ」
 暫し2人で見つめ合う。
 僕にとってなりたい理想の男性像は、伶桜だ。
 伶桜が言うには――なりたい理想の女性像は僕。
「俺は、薫みたいに可愛くなりたかった」
「僕は、伶桜みたいに格好良くなりかったよ」
 幼馴染み2人で、自分の理想を相手で体現している。
 それは端から見ると歪な関係なのかもしれない。それでも……2人して億劫な日々を腐りながら過ごすより、よっぽど楽しい日々だと思える。
「……じゃあ、今日はこれで終わりね」
 2人して衣装を脱ぎ、元々着ていた服へ着替えた。
 こうして見ると、見知った幼馴染みなのにな……。
「あ、化粧ってどうすれば取れるの?」
「普通に洗顔フォームで落ちるぞ。またスマホに連絡入れっから」
 その言葉を最後に、伶桜は帰って行った。……と言っても、壁1枚隔てた向こうに居るんだろうけどね。
 それにしても、凄い時間だったなぁ。ドキドキした。そう思いながら、伶桜のいなくなった部屋を見渡し――。
「――あ。……ベイクドチーズケーキ、生温くなっちゃってる!? ヤバい!」
 急いで冷蔵庫に入れようとした所で――母さんが帰って来た。
 その夜、僕は母さんにかけられたプロレス技で関節が痛む中、ベッドで呻き続ける羽目となった。
 夜中、何度も『うるせぇ』と伶桜から壁ドンされ……。
 翌朝は2人して寝不足で学校へと行く羽目になった――。


2章

 週末。
 休日を利用して、僕は伶桜と一緒に大きな街へ買い物にやって来た。コンテストで着る服を選ぶ為に来たは良いけど――人混みで酔った……。なんか、身体がソワソワとする。
「こんなオシャレな街に、僕みたいに地味な男が居て良いのかな……。景観を損ねてない?」
「その自己肯定感の低さ、なんとかならないのか? 良いに決まってんだろ。しかし、メガネは、まだコンタクトが無いから兎も角……。その顔を隠すようなデカいマスクに言動、ちょっとイラつくぞ?」
「……人格を形成する思春期に歪んだ結果だよ。身長も何もかも、努力しても追い抜かれ虐げられ……皆が僕から去って1人になる。そうしたら自信も喪失するし、部屋から出たくも無くなるよ」
 思い出すと心が痛くなる。
 身長は何をしても伸びないし、筋肉も付かない。幼少期から無駄に勝ち気だったから、イジりを笑って流す事も出来ない。結果、イジメられる。……そんな日々で、本当に歪んだよなぁ。
「まぁ……小学校高学年からは背の順で並ぶと先頭だったしな。言われて見たら、中学から薫が誰かにイジられてる以外の会話は聞いた事ないわ」
「でしょ?」
「昔はいっつも人の輪の中心に居たのに……。なんでそうなった?」
「……自分が悪いんだけどさ、努力しても追い抜かれて虐げられて、陰気になったんだよ。気が付けば、この通り。1人で外に出るのも嫌になってたんだ」
「そんな薫が都会のオシャレな店に来る日が来るとは、感動ものだな」
 わざとらしく目頭を押さえ、伶桜がしみじみとそう呟く。本当に感動しているなら、もっと心を込めて言って欲しいよ。そんなクールな声音で言われても、煽られてるとしか思えない。
「やっぱり、僕をバカにしているよね」
「そんな事はない。部屋に籠もってゲームばっかりしている薫が街に出て、生まれ変わろうとしてるんだ。俺は結構感動してる。部活が終わって部屋に帰ると、いつも隣の部屋からゲームの音が聞こえてたからな。騒音のイライラより、心配が勝ってた」
「伶桜は僕の母さんなの? まるで引きこもりニートが就活を始めたみたいに言うの止めてよ。心に刺さる」
「腐れ縁でも俺たちは16年一緒の幼馴染みだ。もしかしたら、保護者と似た感情なのかもな」
「そうだとしたら今まで家庭崩壊してたね。4年間会話も無し、互いに興味関心もない保護者と子供とか、キツいよ」
「……俺の責任みたく言うな。薫の方から遠ざかって行ったんだろ」
 それはそうなんだけどさ……。仕方ないじゃないか。女子といると周囲が囃したてイジって来るのは勿論だけど……。格好良くなって行く伶桜といると、自分が情けなくなくて潰れそうになるんだから。
 負けてられないって筋トレをしても、身長が伸びるとされる事を全てやっても、どうにもならなかったんだ。あのまま隣に居たら、僕は劣等感でメンタルが今よりボロボロになっていた。
 今もショップに向かって歩いてる間、周囲の視線は伶桜に向いていて――次に隣を歩く僕を見て、ヒソヒソと小声で何か言われてるんだから。
 聞こえなくても分かるよ。不釣り合いって言いたいんだろってさ。
 そんな事、小学校高学年頃から毎日言われ続けてるよ……伶桜に対する劣等感に苛まれて、卑屈に歪む僕の気持ちも分かって欲しいなぁ。
「そうだっけ?――あ、一件目のお店に着いた。ここだよ、僕が行きたかった格好良いセレクトショップ」
「……話題から逃げやがったな」
 逃げた訳じゃない。口にすると余計に情けなくなるから、敢えて何も言わなかっただけだ。
 僕は伶桜の一歩後ろをついて歩き、店内へと入る。
「あ、これ格好良い」
 そして格好良い黒テーラードジャケットを手に取り、伶桜にかざしてみる。……うん、良く似合ってて格好良い。でも伶桜は手足が長くてスレンダーだから、アイドルがコンサートで着るような華やか系の服も似合うだろうしな……。結論、イケメン女子はなんでも似合う。
「どれどれ……は?」
 僕の持っていたジャケットを手に取り、値札を目にした伶桜が目を剥く。……まぁ、そんな反応になるよね。
「10万円越え!? おい、桁が1つ間違って無いか!?」
 伶桜が慌ててジャケットをそっと戻す。
「薫……。やってくれたな」
「何が?」
「ここ、特別高い店なんだろ?」
「う~ん。確かに、ブランドのセレクトショップだから高いけど……。ジャケット一着で数万円は、他の店でも余裕で飛ぶよ?」
「……は?」
「ほら、メンズ服のショップ公式HPを調べてスクショしたんだけど……」
 僕が差しだしたスマホをスクロールし、伶桜は悩まし気にこめかみを押さえた。
「……メンズ服って、こんなに高いのか? レディースなら、この半額以下だぞ……」
「一説によると、レディース服より需要が無いから、一着の単価が高くなるとか……」
「……俺の金、ピンチかもしれない」
 だから伶桜に着て欲しい服の代金は僕が出すって言ったのに。……とは言え、僕も流石に10万とかする服を買うつもりはない。バイトに精を出していると言っても、そこまでの余裕は無い。
「ごめん、ちょっと揶揄った。冷やかしって訳じゃないけど……ここのハイブランド服を伶桜が着たらどうなるか、試着だけでも見たくてさ」
「……なら、仕方ねぇか。着せ替え人形にしたいのは、お互い様だしな。次は高校生が着るようなレベルで頼む」
「うん、トータルコーディネートで5万円以下を目指すよ」
「それでも5万円か……」
「あ、腕時計は別口だから……。それを入れたら10万円は行くかも?」
「……嘘、だろ?」
「これはマジ。ほら僕がスクショしてる腕時計コレクション見てよ。これとか、ハリウッド俳優が映画で着けてたんだけどね、時計1本で30万円はするよ?」
 時計や服は値段もピンからキリまである。カジュアルなコーディネートなら兎も角、格好良く上品なファッションをすれば余裕でそれぐらいの金額は飛ぶ。
 僕の中での格好良いファッションとは、キレイめで上品か、荒々しいかの二択。
 荒々しい服装は髭が生えた渋い人の方が似合うし、僕が着て欲しいのはキレイめで上品なスタイル。本革のレザージャケット一着で数十万円が飛ぶ荒々しいファッションよりはマシだと思うんだ。
「早まったかな……」
 後悔するように囁く伶桜に、若干の申し訳なさを覚える。やっぱり、高校生でも出来るレベルのオシャレを目指そう。
 それに色々と見たいだけで……実はミスターコンテストで伶桜に着て欲しい衣装は、僕の中では決まっている。何セットか買って、伶桜に最終判断はしてもらいたいけどね。
 メンズ服の金額に衝撃を受けたのか、伶桜はショップをトボトボ歩いて出て行く。僕もそれに続いて、ゴメンと謝る。すると「傷ついた。次から暫く俺の番な」と、伶桜はクールな瞳を僕に向けて来た。
「まずはそのモッサイ頭からだ。美容室を予約してあるから」
「……美容室、怖い。一緒に来てくれる?」
「女装した薫にそう言われるなら兎も角、今のモッサイ薫に言われると――キモいな」
 嫌そうな顔をした伶桜に若干傷つく。
 発言がキモイって事なんだろうけど……。やっぱりビクッてなる。キモイ、ウザいは僕の思春期で多大な傷を付けて来たトラウマのワードなんだよ……。だから顔を見せないように大きなマスクだってしているのにさ……。
 少し落ちこみながら薫の後ろをついて歩く。美容室の一際オシャレな店構えに僕は気圧されていた。床屋さんみたいに入りやすい店構えにして欲しい……。需要と供給の違いってやつなのかなぁ?
 伶桜は平然と店内へと入る。こんな場所に取り残されるよりはと早足で着いて行く。
 もうね、見るからにオシャレな店員さんだらけで……。僕は喋れません。
「今日はどうしましょうか?」
「え、えっと……。髪を切ってください」
「どんな感じに切りましょうか?」
「ど、どんな感じに? その、良い感じに……」
「…………」
「…………」
 美容師さんが若干困ってるのか、瞳を揺らして苦笑している。なんで? 僕おかしな事を言った!? ここは髪を切る場所なんでしょ? 専門家が良い感じに切ってくれるんじゃないの!?
「……俺がオーダーして良いですか? 顔の形が丸いし、コイツはウルフカットが似合うと思うんですよ。放置してたから、髪の長さも足りてるし」
「そうですね、イケると思いますよ」
「メンズの短めなウルフカットじゃなくて、レディースの長めウルフでお願いしたいんです。高校生だから染められないですけど、インナーカラーでシルバースプレーとかもしたくて」
「良いですね。それなら、外ハネとかウェーブがあるとインナーが映えそうですね」
「あ、取り敢えず今回はパーマ無しで。色んなスタイル出来るか試しの段階なんですよ。髪質的に、ブロウで外ハネ作れそうですか?」
「イケると思いますよ。少しだけ癖がありますから。足りないところは、アイロンですかね」
「分かりました。それじゃあ、それでお願いします」
「了解です。危ないんで、メガネお預かりします。それじゃあ、カットしていきますね~」
 当人を置いて進められた会話だけど――日本語でお願いします。ウルフとかアイロンとか……。何それ、僕のしってる限りだと狼と服の皺を無くす道具しか想起されないんですが。
 格好良い服装やバイク、車や時計に偏っていた知識の弊害が、こんな所で……。
 そうして30分ぐらい経過したかな。「メガネを返してください」と言う勇気も無く、ぼやけた視界でガンガンぶつかりながら洗髪してもらい、席に戻りドライヤーで髪を乾かしてもらった。
 そうして「最後の調整しますね」と軽くチョキチョキされた後――。
「――では、ご確認をお願いします」
 メガネを渡され、鏡を見る。
 もう、ビックリしたよ。……誰? いや、ウィッグを被った時にも言ったけどさ……。今回は自前の髪だから、余計に違和感がある。モッサリとして目が隠れている男は、もう何処にも居ない。
 スッキリとオシャレに整えられた僕が――そこには映っている。
 怖ず怖ずと触ってみる。襟足と、もみあげの辺りは長い。もみあげは僕の丸い顔を隠すように伸びていて……。でも前髪や他の部分は短め……。うん、別人だ。
「どうでしょう? バッサリ行きましたけど、切り足りない所はありますか?」
「い、いえ! 大丈夫です!」
 こうやって確認されても、「ここをもうちょい~」なんて言える訳がない。それに専門家が良いと思いながら切ったなら、これが良いんだろう。
 伶桜も座っていたソファーから立ち上がり、満足気に僕を見ているしね。
 お会計が6千円。普段、髪を切っている金額の約6倍だったのには腰を抜かしそうになったけど……。まぁ仕方がない。
「――よし、髪は整った。次は化粧品だ。……正直、これは俺もよく分からない。販売員に予算を伝えて一式整えてもらおう。ネットで見る限り、一式揃えるなら相場は……1万ぐらいか。まぁ安ければ5千円からイケるらしい」
「はい……」
 化粧品販売店とか、美容室以上に分からない。全て任せます。
 2人してキョロキョロと辺りを見廻しながら店内に入り、販売員のお姉さんに全てを委ねた。予算範囲を伝え、肌質的には~とか色々と語りつつ、テスターを使い化粧の仕方もレクチャーしてくれた。
 覚えようと頑張っては見たけど……。頭がパンクして、半分も記憶に残らない。伶桜は真剣に聞きながら、動画を撮っていたから、今後もなんとかなるとは思うけど……。日本語って案外、日本で使われてないんだね。英語とかの専門用語ばっかりで、意味が分からなかったよ。後で調べなきゃ。
「――もうマスクはするな。コンタクトも買うぞ」
 化粧が終わった後、伶桜は僕にそんな事を命令して来た。目の輝きが、メンズ服を見ていた時と全然違う。……って言うか、髪切って化粧が終わるまでと、全然違う。
 伶桜って、あからさまだよね。男の僕には興味が無いけど、自分の理想とする可愛い子に近づく程に昂ぶって目に熱が籠もる。
 そのままコンタクトも買って、次は遂に服だ。それで伶桜の考える僕は完成。ここを耐えれば、次は僕が伶桜を着せ替え人形に出来る。一体、伶桜は僕にどんな服を着せたいんだろう?
 そう思ってから数十分後――。
「……ねぇ、これは僕へのイジメだよね?」
 僕は伶桜と契約を交わした事を――心から後悔した。
「違う、最高だ」
「本郷たちに金取られるよりキツいんだけど」
「そうか。でも最高の気分だ」
 僕は最低の気分だよ。興奮したように顔を覆うな。腹が立つ。
「……これ、ゴスロリってやつ?」
「違う。ゴシック&ロリータは、ゴシック調のゴージャスさと退廃美、それにロリータの甘みが特徴的だ。共通点は多いが、これはもう少しカジュアルで敷居が低い、地雷系ってジャンルだ」
 うん、僕には違いが分からないね。地雷系って何? FPSの武器かな?
 鏡に映る自分を見て――怖気がする。確かに我ながら可愛いなぁとは思うけど……。スカートは慣れない。スースーとする。
 肩が出た白い萌え袖のブラウス、チェーンの着いたネクタイ。なぜか3本もついたベルト付き膝丈スカート。黒い靴下に、厚底の黒い靴。
 なんか……動画サイトでこんな服装をした娘がホストに通っているのを視聴した事がある。あの動画の人はピンクのバックとかも持っていたから、それよりはマシだけどさ……。
 女装初心者に、いきなりパンチが強すぎない?
「店員さん。これ、着て帰れますか?」
「大丈夫ですよ、じゃあ値札取りますね」
「ちょっ!? 伶桜!?」
 これを着て街を歩けと!? 鬼なの!?
「さっきまでのヨレヨレの服より、少なく見積もって百億倍は良い。よし、次行くぞ」
「まっ、待って! お会計して来るから!」
 慌ててお会計に向かう。それなりの値段は覚悟していたけど……。意外にも1万5千円ぐらいだった。靴もあると考えると、メンズ物よりはかなり安い。とは言え、美容室代金に直ぐ無くなりそうな量の化粧品、服1セットだけで、もう2万1千円の出費だ。多分、化粧品のランニングコストもエグいし……オシャレって、お金かかるね。
 僕は今日だけで、何時間分のバイト代金を失うんだろう……。
 結局その後、伶桜は恍惚とした表情で僕を着せ替え人形にして、全く系統の違う3種類の服を一式買わされた。
 本日の支出――7万円弱。ATMから取り出したお金が直ぐに消えて、泣きそうです。
 でも伶桜がコーディネートしてくれたお陰かな? この街に来た時のように、ヒソヒソと陰口を言われている様子は消えた。女装をする事で悪口を言われなくなるのは複雑な気分だけど……。自分の存在が認められたようで、少し……いや、かなり嬉しかった。
 次は僕が伶桜を着せ替え人形にする番。――伶桜、覚悟しておけよ?
「――あぁ……。格好良い、ヤバい! ね、ね! 次はこっち!」
「……分かったよ」
 伶桜は今、試着室で僕の着せ替え人形となってもらっている。メンズ服にしては安く、色んなジャンルの服が置いてあるお店で、一店で色々と試せるのはたまらない。
 黒のワイドパンツに白タンクトップ、オーバーサイズの白シャツ。このゆったりとしつつも爽やかなコーデも、格好良い!
 でも長袖ワイシャツを7分丈ぐらいに捲って腕時計を強調しつつ、働き易い感じを演出した服装も良かった……。ああ、こんな格好良い男になりたかったぁ~……。
「なぁ……。散々、俺も玩具にしたけどよ。そろそろ決めようぜ?」
「あ、そうだね」
 自分の好きな買い物をしている時間は一瞬だけど、興味が無い買い物に付き合う時は長く感じる。それに着替えを何度もするから、疲れるよね。
「じゃあ、今着ているのはそのままね。こっちも全部購入で!」
「……は? メンズ服は値段が高いだろう? む、無理だぞ?」
「大丈夫。ここにあるのは安いから。2セットでも、4万円しか行かないよ」
「十分にヤベェ金額だよ……」
「後、腕時計と本命の服が1つあるから……多分、もう5万円は飛ぶよ?」
「……マジ?」
「マジ」
「秋口までの服を3セットと時計だけで、合計9万円?」
「……だから僕が出すって言ったのに」
「男物がこんなに金かかるなら、先に言ってくれよ。俺は部活ばっかで、バイトが出来ねぇんだぞ……」
 遠い目をしながら、伶桜はゲンナリとした表情を浮かべている。
 高校生のお小遣いだとキツいよねぇ。多分、こういうのって一気にまとめ買いするんじゃなくて、徐々に着回しながら揃えて行くものだと思うし。
 今回はコンテストの事があるから、一気に全身トータル買いしたけどさ。
「じゃあ、やっぱり僕がお金出す?」
「……いいよ。その代わり、本番のミスコンで絶対に逃げるなよ?」
 伶桜は若干、自棄になったように店員さんへ声をかけ、会計に向かった。
「……文化祭のコンテスト、忘れてた」
 伶桜を格好良く、自分がこれを着れたらという欲を満たしていて……頭から飛んでいた。そうだ。僕は自分が通う高校の文化祭で、今着ているようなフリフリの服を着てステージに立たないといけないのか……。
 せめてものお願いだから、今のように短めのスカートは止めて欲しい。
 その後、僕の本命とするお店に伶桜を連れて行くと――苦笑しながらも受け入れてくれた。値段を見て顔が引き攣っていたけどね。
 そうして楽しかった時間も終わり、僕たちは電車で地元の駅まで戻って来た。
「俺の着るメンズ服は薫の部屋で保管。薫が着る服は、俺の部屋で保管するぞ」
「……うん。そうだね、親にバレた時、その方が良いからね」
「ああ。叔母さんも考え方が古いけど……。特に、うちの父親にバレたら終わりだな。どっちも男装なんて絶対に認めねぇだろうからさ」
「分かってる。子供の頃から、長く一緒に居るんだしね。……叔父さん、怖いよね」
「ああ。……母さんは大人しいけどな。父さんは……な。尊敬はしているけど、近づくのも怖いよ」
 伶桜の手が小刻みに震えている。
 別に虐待とかは無い。それどころか、伶桜の叔父さんは教育熱心だ。……常に正しくピシッとしていて、厳しいけど。
 近所に住むだけの僕でもそう感じるんだから、育てられて来た伶桜の恐怖は僕の比じゃないだろうな。小さい頃は怖すぎると泣いていたし、魂レベルで恐怖を刷り込まれてる可能性もある。
「……じゃあ、駅のトイレで行く前の服装に着替えて来ようぜ」
 そう言い残し、伶桜は女子トイレへと向かう。
 そして僕は男子トイレへ。個室にサッと入り、元のヨレヨレの服へと着替える。個室に入るまでの、周囲が驚愕している表情には焦った。……胸がドキドキして、嫌な汗が噴き出る。
 深呼吸して落ち着き、トイレから外へ出ると、伶桜はもう外で待っていた。
「おせぇぞ?」
「……レディース服って、着たり脱いだりに時間かかるんだよ」
「ああ、成る程な」
 納得してくれたのか、伶桜は端正な顔を緩めて深く頷いた。
「じゃあ……これ頼む」
「あ……うん、じゃあ僕の方も」
 そうして互いに荷物を交換する。……本当は堂々と自分の着る服を自分で保管するのがベストなんだろうけど……。中々、親の理解を得るのは簡単じゃない。
 特に伶桜の親父さんは厳しいし、頑固だし……。これがバレたらと思うと、僕でも怖い……。波風を立てないように、こうするのが一番だ。どうせ文化祭が終わるまでの短い期間だからね。
 マンションへの帰り道、僕たちは無言だった。
 でも居心地の悪い沈黙ではない。長年の付き合いの伶桜だからかな。別に無言でも、自然体で居られる。
 唯、別々の部屋に入ろうとした時――。
「――髪を整えただけでも、だいぶマシになったからさ。もう少し、自信を持てよ。出来ればメガネじゃなくて、コンタクトにしてさ。……昔みたいに、薫がまた笑えると良いな」
 一方的にそう告げてから、伶桜は部屋へ姿を消した。
 僕は意味深な伶桜の言葉が、どうしても気になる。
 自分の部屋に入り、クローゼットに服を仕舞ってからも、頭から離れない。
 だから――。
「――ねぇ、さっきのって、どういう意味? 今日の僕、笑えてなかった?」
 隣の部屋に向かって、ベランダから話しかけてみた。
 ドンッと、思いっきり壁ドンで返されたけど――その後、伶桜の両親がどうしたと騒ぐ声が聞こえ、僕は部屋に引っ込む。
 転んだだけだと主張する伶桜の声が漏れ聞こえて来る壁を背に、僕は体育座りする。
 自分の口角を両手の人差し指で触ると、への字のように下がっている。
 無理やり上に上げてから離す。また、への字に戻った。
「……楽しかったんだけどな。長年笑っていなかったから、もう固まっちゃったのかもね……」
 昔のように――男女分け隔てなく遊び、体格も皆が大差なかった頃が懐かしい。
 またあの頃のように笑いたい。笑えるように、自信を取り戻さないとなぁ。
「コンテスト……か」
 想像が付かない。でも……もう衣装を買ってしまった。何万円もかけて、本格的に。
 ここまでお金を使って、伶桜を振り回して……。後戻りする訳にはいかない。
 あのクールな伶桜が、僕の事を可愛いと言って悶えてくれてるんだし……。もう少し、自信を持たないとなぁ。せめて自信を持つ為の気概ぐらいは示さないと、伶桜にも失礼だ――。

 週明け。登校して席に座ると、少し教室がザワついた。
 僕が髪を切ってコンタクトにした事が原因のようだ。「え? 誰」なんて声も聞こえて来る。
 マスクは外せなかったけど……。実は昨日、必死に動画を見ながら勉強して、ほんの少しメイクもしている。ナチュラルメイクを薄らとした程度で、誰も気が付かないだろう僅かな違いだけど。
 でも、人の視線が集中しているのは居心地が悪い。
 何をするでもなくスマホを弄っていると、不機嫌そうな本郷たちが僕に向かって歩いて来るのが視界の端に映る。
 ヤバい、またイジメられる……。調子に乗ったよね、そりゃあ呼び出されてイジメられるか……。
 身体をビクッとさせながら、また呼び出される覚悟を決めた。大人しくて黙っているだけでも本郷たちにはイジメられるんだし……。自分のやりたい事をしてイジメられるのは、もう仕方ない。
 ハァと小さく溜息を吐いて肩を落とすと――。
「――へぇ。やっぱコンタクトの方が良いじゃん」
「え……。伶桜?」
 このクラスで聞こえるはずがない、クールな女性の声が聞こえた。
「……チッ」
 分かりやすく舌打ちして、本郷たちは踵を返した。
 そんな本郷を横目に眺める伶桜の顔は、すこぶる不機嫌そうだ。
「……鬱屈した何かを抱えて燻っているヤツ程、人が何かを頑張ろうと踏み出そうとした時に迫害する。心底、くだらないな」
 吐き捨てるように、そう呟いた。
 その冷たくも格好良い言葉が――僕の胸をジンと熱くさせた。
「へぇ……。化粧もしてるんだな」
 席に座る僕の顎をクイッと持ち上げ、伶桜は舐め回すように見つめて来る。
 綺麗な顔が近づいて来て、僕の顔が火照って行くのを感じた。――これは伝説の顎クイでしょ!? それは少女漫画のヒロインとかにやりなさい。普通、現実ではやらないよ、こんなの!
「う、うん……。伶桜にもサポートしてもらったし、頑張らないと失礼かなって」
「ふふっ。そうか……。良いね、頑張ってるな」
 ふっと、微笑む伶桜の顔は――幼馴染みの僕の目にも、凄まじい破壊力を感じさせる美しさだった。クラスの女子や一部の男子は黄色い声を上げて興奮している。
「おはよう~。……あれ、どうしたの?」
 登校して来るなり、いつもと違うクラスの雰囲気を察知したのは、山吹さんだ。小動物のような顔で目を丸くしている。
 そんな山吹さんにクラスメイトが耳打ちすると、こちらへスキップするように寄って来る。止めようとする周囲も気にせずに。メンタル、強いね。態々、異変に自分から近寄って来るんだもん。
「蓮田くん! 髪切ったんだ、爽やかで良いね!」
「う、うん……」
 や、やっぱり格好良いとは言ってくれないんだね……。バッサリ髪切った人に対して当たり障り無い言葉を言われたような……。
「俺がこの髪型が良いって言ったんだよ」
「え? 花崎さんが?」
「そう。美園のタイプ的には、今の薫はどう映る?」
「え? 良いと思うよ。メガネじゃなくてコンタクトにしたから、余計にサッパリして見えるよね」
「……ふ~ん、そうか。ちなみに可愛い系と格好良い系だったら、どっちが好きだ?」
「どっちだろうな~。どっちも好きかなぁ? 私は身長が低いから、可愛い系の服とか小物が好きだけど。見るのは格好良い系も好きだしなぁ~。どっちも好き!」
「成る程ね……」
 値踏みするような目線を向ける伶桜に、それをニコニコとした笑みで受け流す山吹さん。
 なんだろう……。ちょっと険悪な仲なのかな? 有効的な関係性だとは感じない。そもそも、この2人が交流あるなんて知らなかった。同じ体育館を分け合って使う部活だからかな?
「俺はそろそろ自分のクラスに帰るよ。薫の顔を見に来ただけだしな」
「伶桜、もう帰るの? もっとゆっくりして行けば良いのに」
 僕としても、数少ない話せる人だ。本郷たちに絡まれるのから守ってくれたお礼もまだ言えていないし。
「どうせ、もうすぐ1限が始まるから。またな」
「バイバイ、花崎さん」
 微笑みながら手を振る山吹さんに返事をせず、伶桜は教室から出て行った。なんか凄い時間だったな……。イケメン女子と可愛い子の組み合わせは、癒やされて目の保養になるはずなのに。だいぶ疲れた。
「蓮田くんが私以外と話してるの、初めて見たかも」
「そう、だね。誰も僕と話そうなんて思わないだろうし……」
「ふ~ん。……花崎さんは特別なんだ?」
「伶桜は……兄妹同然に育って来た幼馴染みだし。腐れ縁だけど特別と言えば特別、かな?」
 最近は互いに無関心だったけど、ここ数日はまた深く話すようになった。
 兄妹同然に育って来たというのもあるし、なんだかんだ切っても切れない特別な関係なのかもしれない。前向きに考える癖を付けるという意味でも、随分と助けられているしね……。
「……なんか、今日の蓮田くんは楽しそうだね?」
「そ、そうかな? 僕、笑えてる?」
「ん~、笑顔とは違うかな? マスクしてるから良く分からないけど。髪を切ってコンタクトにしたから、そう見えるのかな?」
「それもあるのかもだけど……。ちょっと、頑張ってみよっかなって」
「頑張る?」
 山吹さんが首を捻り、リスのように大きな目をパチクリとさせる。
「うん。……自信を持てるよう支えてくれる人に、失礼じゃないようにって」
「…………」
「自信が持てなくて生きづらいのは、僕も嫌だから。……正しい方向かは分からないけど、努力して足掻いてみようってさ」
 努力した結果の最終目標に対して言う事では無いのかもだけど……。客観的に魅力があるとコンテストで皆に認めてもらって……。優勝で得るテーマパークのペアチケットを使い、山吹さんを誘う。
 この目標に向かって努力して、山吹さんに抱いている謎の感情をハッキリさせたい。
 本人に努力すると宣言する事で、退路を断つ意味もある。……もう、やるしかないぞ。
「良いね。努力するのって、キラキラしていると思う。私で役に立つ事があったら言ってね」
「あ、ありがとう」
 山吹さんは終始、微笑みを崩さなかった。笑顔が可愛いなとは思ったけど、感情が常に優しさで埋まっているのかな? 伶桜に煽られた時も、僕と話している時も同じ表情って……。感情の起伏が無さ過ぎるよ。
「――蓮田、調子に乗んなよ」
「……本郷」
「山吹は皆に優しいからな。自分だけ特別とか勘違いすんなよ? これは蓮田の為を思って忠告してるんだかんな」
「…………」
 山吹さんが去った後、本郷は僕の席までやって来て、小声でそう忠告した。険しい瞳に射竦められるような思いだけど……。勘違い、か。もしかしたら、僕はしているのかな? 唯でさえまともに離してくれる人がいないのに、山吹さんみたいな可愛い女子に優しくされたから……。
 答えの出ない悶々とした思いに思索を巡らせていると、始業チャイムが鳴り、先生が入室して来た。
 いずれにせよ、髪を切ったりメガネからコンタクトに変えたり……。伶桜を除く皆には気が付かれなかったけど、化粧をした効果もあったのかもしれない。爽やかって言ってもらえたしね。
 これから文化祭――蛍高祭に向けて、もっと優勝に近づけるように頑張ろう。
 腐らず何かに目標を定め頑張っていると、不思議と前より自信が出る気もする――。

 その夜。自宅に帰るなり、僕の自室に伶桜がやって来た。両手には衣服や化粧品が詰まった紙袋を持っている。
「――よし、コンテストの衣装を決めるぞ」
「う、うん……」
 僕に可愛い衣服を着せて玩具に出来るのが楽しみなのか、伶桜は心なしか楽しげだ。でもこれから飛びっ切りのオシャレをするって言うのに……。伶桜の服装は学生服のままだ。
 スカートというのも気にせず動くから、下着がチラチラ見えそう。……幼い頃は一緒にお風呂まで入っていて、今更何を言ってるんだろうって感じだけどさぁ。
 そもそも手足が長くて格好良い伶桜なら、スラックスタイプの制服を選択すると思っていた。
「なんで普段はパンツ系でカジュアルな私服なのに、制服選びではスカートにしたの?」
「……分かるだろ。俺がスカートを履いてても自然な場だからだよ。似合わなくても可愛い服を着るしかないんだって、周囲も勝手に納得してくれる」
「小話程度に聞いたのに、理由が重い。正直戸惑うんだけど」
 そんな儚げな顔で語られてもな……。どう反応して良いのか、こっちだって心の準備不足だよ。
 別に可愛い服を着ても良いと思うんだけどなぁ。僕は似合うんじゃないかって睨んでるし。
「黙れ。可愛い物が似合う薫に、俺の気持ちはわからねぇよ」
「格好良い物が似合う伶桜にも、ね? 僕はハリウッド映画に出て来るような、アメリカンバイクが似合う男になりたかったよ」
「アメリカンバイク?……ああ。あのハンドルがカマキリみたいな、ふんぞりかえって運転するバイクか。髭だらけの渋い男が乗ってるイメージだな」
「格好良い物に恨みでもあるの? 言葉のチョイスに悪意を感じるよ」
 格好良いじゃん、アメリカンバイク。手足が長い外国人さんだと、男女問わずにものすっごく格好良いなぁ~って興奮していた。そのままジャンプしてヘリに乗ったり、悪者のアジトに飛び込むなんてさ、最高に格好良いよね。
「そう言えば、伶桜って山吹さんと仲が悪いの? 今日、学校で険悪に見えたんだけど」
 化粧品や衣装を取り出している伶桜の手が、ピタッと止まった。罰の悪そうな表情を浮かべた後、抑揚の乏しい暗い声で答え始める。
「……何故かムシャクシャしたんだよ。本当に薫をよく見ていれば、化粧している事にも気が付くはずだから。分かり易い髪とメガネしか気付いてないのが、イラついてな……」
「あ~……。でも僕はマスクしてたし、仕方なくない?」
「悪かったよ……。急に押しかけて、誘うターゲットの好みもはぐらかされちまった」
「ううん、教室まで来たのにはビックリしたけど……。嬉しかった。山吹さんを質問攻めにするのは、本当に予想外だったけどね?」
「……まぁ好みはコンテストの衣装を決める前に聞こうと思ってたんだけど、コンテストで美園をターゲットにしてる薫を前にして聞くつもりはなかった。……俺の短慮だったよ」
「そんなに山吹さんが気に食わなかった? 普通の事を言ってたと思うけど……」
 誰に聞いても、そう答えれば角が立たないよねっていう模範的な回答をしていたと思うけどなぁ。
「当たり障りなく、全員に配慮するような答えは好きになれない」
 ズバッと伶桜が吐き捨てる。
「自分を貫いていない、本心を覆い隠しているようだからさ……。前々から美園には、八方美人な所があった。俺はどうにも、それが気に食わないんだよ」
 苦々しい顔をして伶桜は語る。確かに、タイプとしては伶桜と山吹さんは真逆かもしれない。
 可愛い系の山吹さんと、格好良い系の伶桜。
 皆に満遍なく優しくして好かれ、メンヘラも製造すると噂の山吹さん。
 極一部としか交流を持たず、物憂げで物事をバッサリ伝える伶桜。
 うん、改めて考えると真逆だね。凄く相性が悪そうだ。
「……いや、薫の意中の人相手を悪く言って済まない。俺が考え過ぎなだけかもしれないのにな」
 片膝を立て窓の外に広がる夜空を眺めながら、伶桜は何かに思いを馳せている。絵になるよなぁ……。ズルい。謝るなら、その異常な格好良さを僕に分け与えてくれなかった事を謝って欲しい。
「それより、コンテストで着る服を決めようよ。伶桜の衣装は仕立てに時間が要るって話だから……。今日は僕の衣装を決めに来たんでしょ?」
「ああ、そうだな。このムシャクシャする感情は、薫を可愛くして忘れよう」
 なんだろう。自分の求める理想をお互いの身体を使って体現する契約だけど……。ウキウキとする伶桜を見ていると、早まった感が否めない。
 この間服を買いに行った時の様に下着が見えそうなスカートは嫌だなぁ……。褒めてもらえるのは嬉しいけど、まだ心理的な抵抗がある。
「この間の地雷系も可愛かったけど……。好き嫌いが激しいジャンルって欠点もある。だからと言って、カジュアル過ぎるのはコンテスト向けじゃない」
「うん、なんかイメージだけど……ミスコンではドレスとかお嬢様っぽいのとか、上品な服装のイメージだよね。……上品だろうと短いスカートでステージに立つのは、僕は嫌だけどね? 考慮してね?」
「分かってる。そこで、だ。――やっぱりコイツだろ。セクシーとカジュアルの間を取ったコーディネート」
 伶桜が楽しそうに床へ衣装を並べて行く。……人の形に並べているから、着た時のイメージが分かりやすいけど……お臍の部分に、布が無いんだけど? 胴が異常に短い人向けなのかな?
「ほら、着てみろよ。当日はメイクにヘアメイク、カラースプレーもするからな。……一着の衣装で2度楽しめて、俺得だ」
「髪を染めて皆の前に立つの、怒られないかな?」
「ちゃんと洗えば1日で落ちるから、問題ないだろ。お祭りの舞台の時だけだしな」
「ん~、そっか。なら良いか」
 僕はクローゼットの中に入り、渡された衣装へと着替える。……やっぱり、露出が多くない? お腹と首回りがスースーするんだけど……。しかもスカートだし。かなり丈は長いから、良いけどさ。
「……着たよ。どう?」
 僕がクローゼットから出ると、伶桜は苦しそうに左胸を押さえて悶えている。
 一々、大袈裟な反応だよね。段々、僕が女装を嫌だって言わない為に、わざとやってるんじゃないかと思ってき……いや、無いな。そういう嘘とか演技、伶桜は嫌いだしね。
 キモければスパーンとキモイって言うし、可愛ければ直情的な反応をする。と言うことは……え、やっぱり僕って、そんなに女装が似合うのかな? この間は、我ながら可愛いかもとは思ったけど……。
「素晴らしい……。尊いな」
「キリッと表情を作り直して、大真面目な顔で言わないでくれる? 手遅れだから。発言の内容も酷いし」
「ああ……。白の臍出しUネックカットソーに、着崩したショート着丈萌え袖パーカー。黒のロングデニムスカートに白スニーカー。……完璧だ」
「完璧なの!?」
「俺が思い描く上品とセクシー、カジュアルを兼ね備えたバランスの中ではな。アウターが白だから清潔感もあるし、ヘソ出しでやり過ぎないセクシーさ、細いボディラインを強調。下は動きやすいカジュアルさもある。……上品とセクシーを混ぜるのは難しいが、バランス的にパーフェクトだろ」
「パ、パーフェクトなんだ……」
「ここから更に、スッキリしてる首元でウルフカットも活かせるんだろ? もう楽しみで、ぶっ壊れそうだよ……」
「……目が怖いよ? ねぇ、触るのはセクハラじゃない? 僕、前も注意したよね?」
 真剣な目付きで、伶桜は僕の胸やウエストを触って来る。嫌らしい手つきじゃないから、嫌悪感も無いけどさ……。
「メリハリのあるバストとヒップに、キュッと引き締まるウエスト周りを際立たせるXラインシルエット……。Uネックから浮いて見える鎖骨もセクシーで、超高ポイントだ」
「……可愛い物の事になるとさ、伶桜ってクールとか消えて、変態のアホになるよね」
「悪いか? 好きな事に熱中するってのは、そう言うものだろ?」
「……そう、なのかもね」
 周囲の目や、普段の自分のイメージなんて忘れて無我夢中になる。それは本当に格好良いし、素晴らしい事だと思う。僕も伶桜を格好良くしている時は……似た感情に至る。
 自分で着られないのは少し悔しいけど――理想の姿を作るって、凄く楽しいから。
「しかし……足らないな」
「え? な、何が足りないの? 努力でどうにか出来る事なら、頑張るよ」
「バストの膨らみが、ちょっと足らないな」
「それは努力では、どうにもならないや。元々、男は膨らむように出来てないからね? 僕の性別、勘違いしてない?」
「バストはどれぐらい盛るか?」
「はぁ……。伶桜と同じぐらいで良いよ」
「ぶん殴んぞ?」
 伶桜の慎ましやかな胸元を見ていたら、首を絞められた。
 殴ってないじゃん、もっと殺意高めのムーブじゃん……。でも正直、これは僕が悪かったと思う。
「だってさ、カップ数とか良く分からないし。伶桜に任せるよ」
「……それが一番、責任が重いんだよな。男子受けするサイズと女子受けするサイズは違うし……。あんま盛り過ぎてもバランスが崩れるが、盛らないとセクシーさが薄れる……。悩ましいな」
「……ごめん、悩ませちゃった?」
「ああ。最高に楽しい悩みだ。こっから更に仕上げて、当日はメイクに髪まで極めるんだからな」
「……そっか」
 最高に楽しい悩み。その言葉の通り、伶桜はキラキラと輝く瞳をしている。上から下まで、舐め回すように僕を真剣に見つめ、考えてくれていた。
「……ねぇ。僕も調べたんだけどさ、美容に良い手入れとかって、どんなのがある? 一応、美容液とかリンパマッサージは始めようと思うんだけど……」
「そうなのか?……そうだな。やらないよりは、やった方が良いだろうな。肌の状態次第でメイクのノリも違うって言うから。後は……こんだけ肌も綺麗に整ってるのに、必要があるのか?」
「出来る事は全部やっておきたくて。……優勝、したいし。後悔は、したくないから」
「薫……」
 伶桜は少し目を見開いて驚いた後、嬉しそうに微笑みを浮かべた。
「そっか。なら……1回ぐらい、体験でエステに行くのも良いかもな。体験なら安いし」
「エステかぁ……。そうだよね、やっぱり美容のプロだもんね」
 考えなかった訳ではない。でも体験で1回行くだけで1万円近くする。高校生が通うのは……。う~ん。アドバイス込みで一回だけと決めていけば……。冷やかしって思われないか悩ましい。それに男が1人で入るのは、美容室以上にハードルが高いけど……行ってみるかぁ。
「1番は股間にぶら下がってる余計な物を取る事だと思うけどな。ホルモンバランスも、変わるんじゃないか?」
「余計じゃないよ、必要な物だよ。優しさと一緒に泥を投げずにいられないの?」
「泥パックは美容に良いらしいぞ?」
「うるさいよ、比喩だよ、分かってるでしょ?」
 全くもう、僕が真剣に相談しているのに……。でも、なんだか肩の力が抜けた。
 もしかしたら、僕が気負いすぎない為に、伶桜は冗談を言ってくれたのかも知れない。
「楽しみだな。ワクワクして、たまらないよ」
 目を輝かせてそう語る伶桜は、小学生の頃のように無邪気な笑みで……。僕は当時を思い出し、嬉しい気持ちになってしまった。
 あの頃は楽しかったって言うのは格好悪いかもだけど……。そう思わずには居られない。伶桜とこうして何かに夢中になる時間は、やっぱり昔から楽しかったから――。

 文化祭の当日。
 今日まで何度も細かい小物などの調整をしたり、お互いをメイクし合ったり……。仕草やアピールまで仕上げて来た。
 そんな朝――。
「――よし。誰も見ていないな?」
「うん、隠れるように持って来たから」
 僕たちはマンションから一緒に登校し、互いの部屋から持ち出した衣装を交換する。僕は伶桜が着る衣装を、伶桜は僕の着る衣装を渡す。
 親や周辺住民に見られないように、コソコソとだ。
「後は、学校で衣装を着てから本番直前にメイクと髪を仕上げるぞ。汗で本番に崩れたら、最悪だからな」
 未だ残暑は厳しく、文化祭で仕事をすれば汗はダラダラになるだろう。
 僕たちは人目を忍んでメイクや衣装を着られそうな場所を話し合う。エントリーもナンバー配布も済んでいる。
 簡単な流れの説明はあるけど、後は本番で自分の番号が呼ばれた時に体育館の入口に居れば良いそうだ。
 男子が女装をして、女子が男装をして出場するのがコンセプトのコンテストだけど……。
「ねぇ、伶桜?」
「なんだ? そんな神妙な顔をして」
「……僕たちってさ、そんなに親やご近所さんに顔向けが出来ないような……。悪い事をしているのかな?」
「……薫」
 伶桜は足を止めると、少し屈んで僕の頭を撫でてくれた。……身長差の自慢かな? 喧嘩売ってるのかな?
「……誰もが俺たちのやりたい事を受け入れてくれる訳じゃない。お遊びならともかく、本気でやればやるほど、心配する人も居るんだよ。……残念な事に、な」
「…………」
「特に、俺の親父にバレたら、どうなるか分からない。自他共に厳しいし、自分の考えを中々曲げない人だから。……済まないな」
 優しい声音で諭してくれる伶桜の声に、僕の苛立ちは霧散した。でも女装や男装を極めて行く事が、必ずしも誰にでも誇れる事じゃないのには、伶桜も葛藤を抱いてしていたらしい。
 なんでだろうね。オシャレを極めるのは、誇れる事なのにさ……。
「そっか……」
「そんな顔をするなよ。今は全力で、優勝を取りに行く事だけを考えろ」
「…………」
「美園の事、誘うんだろ? 優勝してペアチケットを取らなければ、スタートラインにも立てないんだ。思い切って楽しもうぜ」
「……うん」
 そうだ。僕はミスコンで優勝して、必ずテーマパークのペアチケットを手に入れ無ければいけない。それを口実に山吹さんを誘って……入学以来、抱いて来た自分の気持ちがなんなのか、ハッキリさせる。
 今はその為に、全力で可愛くメイクアップする事を考えよう――。

クラスの出し物で飲み物の販売と休憩所を提供していたんだけど……昼過ぎには早くも、飲み物が売り切れになった。
 文化祭の出し物で販売する商品は、余り物が出ないよう、昼過ぎには売り切れとなる入荷量に設定されているらしい。
 つまり夕方頃には、ほぼ全ての在校生徒が暇になり……外部からの来場者だって、行く場所が無いからとイベントステージに集まる。
 驚いた事にタイムスケジュールを見ると、ミスコンとミスターコンは体育館に設置されたイベントステージな最も人が集まるであろう時間に開催されるようだ。
 よりにもよって、色物イベントをメインに据えるのはどうなの? もっと他に見せるべき素晴らしい出し物があるじゃん? バンド演奏とか、演劇とかさ……。
 そしてコンテストまであと1時間と迫った頃。
 ミスコン、ミスターコン出場者へ実行委員が本番の流れを説明するとの事で、僕は体育館入り口へとやって来た。
「――それでは、ご説明します。順番としてはミスターコン、ミスコンの順番で行います。出場者は必ず、登録ナンバーが前の人が入場する時には、体育館入り口へ再集合してください」
 僕の渡されたナンバーは、10番。ミスコンへ出場する人数自体が10人らしいので、最後だ。……トリを務めるのは嫌だけど、最後まで自信が出ずに参加登録が最後になったから仕方ない。自業自得だ。
「会場の中央は花道として、観客席からスペースを開けておきます。花道を通り、向かって左側の階段からステージへ登壇した後、ランウェイを一周してステージへと戻ってください。そこからは司会のインタビューが行われます。終わったらステージ奥に掃けて頂き、最後の選考まで待機です」
 モデルさんが歩くような細いステージが、体育館のステージに継ぎ足され凸の字のようになっている。うちの学校、思ったより本格的じゃない? 予算の使い方にビックリするんだけど……。
「それでは、また時間が来ましたらお願いします。更衣室は各学年の更衣室をご利用ください」
 もうそのまま制服で出ない、コスプレなり衣装を着るのが前提なんだね。
 僕以外に9人いるミスコン出場者の中に、1年生は2人。
 これは僕以外にも1年生の更衣室を使う人がいるという訳で……。僕としては、困る。
 誰かがいる中で着替えたり、メイクしたりするのは、かなり恥ずかしい。……そもそも、隣に伶桜がいない状態で女装しているのも、緊張してしまう。話したことが無い人と一緒に居るとか、無理です。
 伶桜と事前に打ち合わせしていた通り、バスケ部の部室で最終仕上げをした後は、開始まで近くの校舎にあるトイレに籠もろう。
 窓から覗けば体育館内の様子も見えるし、それ以外は個室に居れば、人と遭遇する確率だって減るだろう。
 どうせこの後、大勢の人に女装姿を見られるというのに――正直、僕は臆している。
 全力で準備して来た。だからこそ――批判されるのにビビっている。
 土壇場になるまで気が付かなかった。実感が湧かなかったんだ。
 多くの人の視線を一身に集める事の恐怖を。まして、それが学校で浮いている僕で……女装という少し普段と違うファッションだと言う事を。
 陽気なキャラの人がやるなら、ネタとして笑ってもらえるだろう。
 でも僕みたいに冴えない男が1人、女装してランウェイを歩くなんてしていたら? そんなの、地獄絵図に決まっている。誰も楽しくない――。
「――薫。どうした?」
「伶桜……」
 女子バスケの部室で僕の髪をセットしてくれていた伶桜は、後ろから声をかけて来た。既に伶桜は着替えを終えている。
 僕が伶桜にチョイスしたのは、黒いスーツ礼服姿。ネクタイの色は光沢のある淡い紺色。小物としてクールで知的な印象を出す為に、銀のアンダーフレームメガネをしてもらっている。
 アンダーフレームのメガネって、漫画とかアニメだとよく見るけどさ……現実ではかなり売ってる数が少ないよね。探すのに苦労したよ。
 それにしても、本当に格好良い。僕が選んだチョイスだけど……働く男性ってやっぱり素敵だから。スラッとしたスタイルにクールな表情の伶桜が着る事で、社会で戦う格好良いエリート感が半端じゃなく演出されている。バスケ部の部室とは、合わない格好だけどね。
「……自信、無いのか?」
 ヘアーアイロンで僕の髪をセットしながら尋ねる伶桜の言葉に、僕は思わず俯いてしまう。
「うん……。僕みたいに冴えない男の女装なんて、需要がないでしょ?」
「アホが……」
 髪のセットが出来上がったのか、伶桜はアイロンのスイッチを切り、手袋をしてヘアカラースプレーを僕の後ろ髪へと吹きかけて行く。
 最初は少しスプレー臭かったけど、換気の為に開けている窓から流れる風が匂いも連れ去ってくれた。
「――ほら、これを見ろ」
 顔を上げると、伶桜のスマホが目に入る。
 内カメラに切り替えていたようで、僕らしき女装人物と伶桜が映り――カシャッと音がした。
「なんでいきなり撮るの? イジメ? ネットにばらまくぞってヤツ?」
「違うよ。薫に現実を教えてやる為だ」
「現実って……」
「ほら、この1組の男女を見て――どう思う?」
「どうって……」
 その写真は、格好良い伶桜の腕にまるで抱かれるように――可愛い娘が写っていた。
「これ、本当に僕?」
「ああ」
 信じられない……。メイクと髪型、カラーを本気で仕上げるだけで、もの凄く垢抜けた感がある。
「現代の加工技術は、ここまで……」
「加工してねぇよ。卑屈になるな。俺だって、いつも通りイケメンだろ?」
「そうだね……」
「この組み合わせを見て、不釣り合いだと思うか? 少なくとも、俺はそう思わない」
「……これだけ見ると、僕じゃないみたいだから。でも、そうだね……」
「俺と並び立てるだけ、メイクアップした薫は可愛い。それが自信になるだろ?」
「……伶桜ってさ、結構ナルシストだよね」
「言い方が悪い」
 これだけ自信を持てる伶桜を見習いたいけど、僕には無理だ。そんなのは、中学校以降から続くプライドが粉々にされる日々で失われている。
「……実績だよ。別に俺は格好良くなるのを望んでないけど、こんだけ告白されて来たら、認めねぇ方が逆に傲慢だろ」
「まぁ……。そうだね」
「だろ?」
「でも、この写真だけを見てるとさ……」
「ん?」
「僕と伶桜――完全に男女が逆転してるよね」
「ぶん殴るぞ? 膝で」
「ごめんなさい、失言でした」
 それは殴るとは言わない。蹴るって言うんだ。――でも外見だけだと、本当に男女が逆転して見える。僕が女で、伶桜が男で……。
 スーツを着ているから、歳の離れた兄妹みたいな? それか怪しい関係の……。いや、これを考えるのは止めとこう。
 実際には、男女の定説関係が逆転したような外見をした、幼馴染み同士だからね。……とは言っても、写真に写る幼馴染みは僕の知っている姿と違い過ぎて――見知らぬ人みたいなんだけどね?
「そろそろ始まっている時間か……。俺はミスターコンの4番だから、そろそろ行かないとだ。部室、閉めるぞ?」
「う、うん……」
「俺の出番、見てろよ?」
「……トイレの窓から見てるよ」
「お前は……。まぁ、良いか。逃げんなよ?」
「分かってる……分かってるよ」
 ここまで来て逃げるのは――最低な行為だって事ぐらい、分かっている。
 未だ沈鬱としている僕の頭を一回撫でてから、伶桜は体育館へと向かった。
 その背が見えなくなってから、僕は体育館近くのトイレへと駆け込む。幸い誰にも見られる事は無かった――。
「……ちゃんと見える」
 トイレの窓から顔を出すと、体育館2階の窓から全てが見えた。アナウンスまで聞こえて来る。
 周辺住民からクレームとか来ないのかなって大音量だけど……。事前に自治会に許可とかは取っているんだろうな。
 会場は全体的に暗く、出場者が歩く姿をスポットライトが照らしているようだ。体育館入り口が開き、花道からランウェイを歩き終えてインタビューが終わるまで、それは続くらしい。
「あ……。いよいよ伶桜の出番だ」
 司会者がエントリーナンバー4番と、伶桜の名前をコールする。その時点で会場は歓声に包まれている当たり、伶桜ファンが多いと良く分かる。
 入口がゆっくり開くと――スーツに身を包み、マスクとメガネを掛けた伶桜がゆっくりと入場して来る。まさかの顔が見えない衣装スタイルに、戸惑うような反応も聞こえる。
「……計算通り」
 僕と伶桜が考えた登場演出はこうだ。
 最初はコンテストなのに、あえてメガネとマスクという顔を隠した状態で入場する。そうして花道を通っている間に――。
「きゃああ! ヤバいヤバい!」
「顔メッチャ綺麗、格好良い!」
「メガネ似合い過ぎ! スーツ姿、鼻血出る!」
 マスクを取り、素顔を出す。マスクイケメンという言葉があるけど、逆にマスクを取ると残念な場合もある。
 どっちだろうと焦らされた分、外した時にイケメンの顔が現れた時の衝撃が来るだろうという計算だ。デカすぎる声で興奮する反応を聞く限り、上手く嵌まっているらしい。
 そうして登壇し、ランウェイを歩いて全体の注目が集まっている時にメガネを取る。
 僕はこのメガネを掛けたり外したりという仕草も、格好良さのポイントだと思っている。メガネを外した時とのギャップも楽しめるしね。
 ランウェイの先――最も客席に近付いてから、気障ったらしく髪を掻き上げた。少し微笑んでネクタイを緩めれば――体育館は、割れんばかりの歓声が木霊した。全て狙い通りだ。
 徐々にオフスタイルになって行き――最後は自宅に帰って来た時に見せるオフモードへと切り替わる瞬間で、観衆を魅せる。
 格好良さ100点満点の薫が、唯々歩いても、常に格好良いだけで刺激が少ない。だからギャップという演出を加えて見たんだけど……。
「歓声、凄すぎるなぁ……」
 僕はまだ、伶桜の人気を過小評価していたらしい。改めて、伶桜の人気を再確認させられた。
 全体のハードルを上げてしまった気がする。僕も他の一部出場者のようにネタキャラだったら、伶桜と張り合わなくて済むけど……。本気で美をテーマにするなら、この歓声と張り合わなければいけない。
「ヤバい、緊張で胸が張り裂けそう。心臓が口から出る……。胸からエイリアン産まれそう」
 バクバクと激しい鼓動が身体を揺らす。本当に、自分の中で知らない生物が蠢き拍動しているようだ。それぐらいに緊張している。
 僕は一旦、会場から目を背けて個室トイレの便器へと座る。
 胸に手を当て深呼吸をしても、一向に落ち着かない。ソワソワして、ゲロ吐きそう……。気持ち悪くなって来た。
 体育館から音漏れしている司会者のアナウンスで、ミスターコンの8番まで進行しているのが聞こえて来た。……なんで緊張している時とかは、時間の流れがあっという間に感じるんだろう。
 もう時間の猶予が無い。
 心の準備……覚悟なんて、本番を前にすればあっという間に脆く崩れてしまった。
「……逃げちゃおうかな」
 個室トイレに座りながら、ボソリとそう呟いた時――ポケットのスマホが震動した。
 震える手で開くと、伶桜からのメッセージだ。
『花道の先で待っているからな』
 伶桜は今、ステージの上で全出場者がアピールを終えるのを待っているはずだ。隙を見てスマホを弄り、僕にメッセージを送って来たんだろう。
「考えてる事、見抜かれてる……。それに、やっぱり立場が逆でしょ」
 ここまでメイクアップしてくれたのは伶桜だ。
 その伶桜は、僕の要望通りの格好良い姿を披露してくれた。
 今日、ここまで付き合ってくれたのは――互いの欲を満たす為と、僕の気持ちをハッキリさせるって目標の為だ。
 ここで僕だけ逃げるなんて……不平等だ。
 優勝してペアチケットを手に入れる。
 そして僕は自信も手に入れて――山吹さんをテーマパークに誘うんだ。
 卒業まで自分の気持ちがハッキリせず、モヤモヤしていたいか?……それは絶対に嫌だ。
 ここまでしてくれた伶桜を裏切るのは、格好良いか?……絶対に、格好良く無い。最低最悪で、醜悪だ。
 元より逃げ帰った先の部屋は、僅か1枚の壁を隔てて隣に伶桜が住んでいる。逃げ切る術は無い。
「……行くか」
 震える手をギュッと握って拳を作り、僕は立ち上がる。
 最低最悪の根性無し男に、成り下がらない為に。
 そうして僕は、体育館を目指して歩き始めた――。
「――それでは、本日最後の出場者の入場です。ミス蛍高コンテスト、エントリーナンバー10番。蓮田薫さんです!」
 ドアがゆっくりと開かれる前から――僕の名前だけで、ざわめきや戸惑いの声が上がったのが聞こえた。知名度も無い、知っている人は、「あの冴えないモッサリとした男?」と思っている事だろう。
「……はは。伶桜とは、大違い。真逆の反応だね」
 観衆の前に進むのが怖い。……でも、既にドアは開かれた。
 僕は何かに追われるように、扉から花道へと飛び出す。そして一礼して、花道を歩き始める。
 スポットライトが眩しい。周りが暗くて、観衆の顔が余り見えないのは良かった。
 体育館入場口の反対側、ステージの上では――僕がコーディネートした伶桜が、腕を組んで待っている姿が小さく見える。
 伶桜はなんて言っていた?……そうだ、伶桜は僕の為に、作戦を立てたじゃないか。
 伶桜が僕の為に立てた作戦は――『余計な事をするな、考えるな。前を向いてゆっくり歩け』だ。
 唯々、ゆっくりと歩いてランウェイを目指す。それだけで良い。……ちょっと、いい加減過ぎない? 立案された時から思っていた作戦だけど――案の定だ。
 伶桜が登場した時のような大歓声どころか……観衆の響めきが館内中へ広がっている。
 有名人の伶桜と違い、蓮田薫なんて名前を聞いた事が無い人が殆どだから、当然かもしれない。『蓮田薫って誰?』、『え? 知らない。あんな子いた?』という声が、僕の心をキュッと締め付ける。
 気が付けば早足になりそうなのを理性で抑え着け、頭を下げながらランウェイを目指す。ああ……早く着かないかな。やっぱり、僕には無謀だったみたいだよ……。
 ピロンっと、あちこちから録画を開始した音まで聞こえて来る。
 黒歴史がネットに流されるかもと思うと、恥ずかしさで顔が熱くなってしまう。
「……メッチャ可愛い」
「ああ、ヤバい……。ケバいチークじゃなくて、自然な頬の赤らみとか……。マジで庇護欲が掻き立てられるわ」
 え?……なんか、一部には受けてるのかな? 
 ざわめきは徐々に黄色い声、歓声へと変わって行く。
 祭りに浮かれた館内に、熱気が波の様に広がっていく様が僕にも見える。
 興奮のボルテージが上がって行くのが……目を、鼓膜を、肌を通して体感出来る。
 なんだろう、この言葉にならない高揚感は? でも、1つだけ良く分かる。
 僕は今――嬉しい。
 蔑まれ息を殺し続け生きて来た僕からすると――涙が込みあげるほどに嬉しい。
 ランウェイの先でスポットライトを浴びた僕が礼をする時には、まるで伶桜に向けられていた歓声と同じぐらい、会場は熱狂の渦に包まれていた。
「いやぁ~、凄い歓声です! エントリーナンバー10番の蓮田薫さんでした。それではこれより、インタビューをして行きたいと思います!」
 テンションの高い男子が、マイクを片手に近寄って来る。……陽気なキャラだ。テンションが高い。苦手というか、まるで僕と違う生き物に感じて戸惑うんだけど。
 僕はお菓子を作りながらFPSで敵をキルしたり味方を助けて、密かにほくそ笑む陰気なタイプなのに……。
 ああ、でも――こうやって歓声を集めるのは気持ち良い。震えるけど、嫌な震えじゃない
 まるでこの世界で僕が存在する事を認められているみたいで……。率直に言って、心が満たされていく。劣等感でグチャグチャに握り潰された紙の様な心に喜びが吸収され、自信となって膨らんで行くのを感じる。
「蓮田薫さん、本日の衣装のポイントは!?」
「えっと……。あの、なんか可愛さとセクシーとカジュアルが、どうとか……」
 言葉尻がドンドンと下がってしまう。何これ? 僕の肺活量って、こんな弱かったっけ? 唇が震えて、上手く喋れない……。
「薫ちゃん、頑張れ!」
 薫くんです。
「緊張して喋れなくなってるの、めっちゃ可愛いな! 作ってない、マジもんって言うの?」
 うん、バレてるね。マジで恥ずかしがってます。だから、僕を助けて?
「ヤバい、お持ち帰りしたい!」
 お断りします。
「私はずっと眺めてたい! あ~、震えてる姿を見るとヨシヨシしてあげたくなる!」
 危険人物が紛れてない? この学校、アホばっかじゃない? 本当に進学校なの? それとも、勉強が出来るとアホになるの?
 インタビューに答えたくても、喉が震えて上手く言葉が出ない。ああ、もう無理。僕帰る! お願い、誰か助けて!
「素敵な衣装にメイク、髪型……。本コンテストへのメイクアップは、ご自分でされたんですか?」
「えっと……。僕の、幼馴染みが……」
 我ながら情けないぐらい、小さな声で答えると――館内で「僕っ娘」と叫びながら、胸を押さえ興奮する人たちが見えた。……色々な性癖があるし、良いと思うけどさ……。なんか目がギラギラしてて、怖い。
「ありがとうございました! それでは蓮田薫さんへ、盛大な拍手をお願いします!」
 司会者が拍手を煽ると、観客は歓声を上げながら割れんばかりの拍手を送ってくれる。ノリの良さに驚愕しつつ、僕は何度もペコペコと頭を下げる。もう、足が震えて上手く動かない。
「蛍高祭ミスターコンテスト、ミスコンテスト全出場者のアピールが終了しました。出場者は番号順に一列で並んでください」
 司会の促しに従い、僕たちはステージの上へ一列で並ぶ。暗い館内で、周りは殆ど見えない。
「審査員の採点結果も出たようです。それではこれより、優勝者の発表に移ります。ミスターコンテスト、ミスコンテスト優勝者には、スポットライトが当てられます。出場者の皆さん、会場の皆さん、心の準備は良いですか!?」
 ダメだって言っても、どうせその時は来るんでしょ?……それなら、一思いに早くお願いします。
 妙なドラムロールと共に、スポットライトがあちこちを照らし――。
「――本年度の蛍高祭、ミスターコンテスト優勝者は、花崎伶桜さん! ミスコンテスト優勝者は、蓮田薫さんです! 両者は、前へどうぞ!」
 スポットライトが、僕たちを照らし出した。
 もの凄い眩しさに、思わず目を細め顔を腕で隠してしまう。……って、優勝? 僕が?……目標を、達成出来たのか? 準備に対して、結果発表はあっという間過ぎて――実感が湧かない。
「今年はネタ枠の優勝では無く、本気で挑んだ2名が優勝しました!」
 え? と思い後ろを振り返ると――ネタでやっている人ばかりだ。本気で美しさを目指しているのは、ほんの一握り。……お祭りだし、そうだよね。
「それでは、順にインタビューをして行きたいと思います! まずは見事ミスコンに優勝された蓮田薫さん、おめでとございます!」
「あ、ありがとう……ございます」
「今のお気持ちはどうですか?」
「ふ、複雑な気持ちです」
 結果的に、皆から認めてはもらえたんだと思う。でも――よくよく考えると、僕が目指していた格好良さから1番遠ざかってない?……いや、誰にも存在を認められ無い、キモイ冴えないと言われるよりは、可愛いでも認めてもらえたのは嬉しいんだけど……。うん、やっぱり複雑な気持ちです。
「とっても可愛い仕上がりでしたからね~。優勝したので見事、テーマパークのペアチケットが贈呈される訳ですが……どなたと行くかなどの予定や希望は、ズバリあるんですか!?」
 司会者のその問いかけに、僕は――つい山吹さんを探してしまう。
 ここには来場したお客さんだけでなく、殆どの生徒が居る。山吹さんだって、例に漏れないはずだ。
 キョロキョロと会場を探していると――伶桜が司会の持つマイクを優しく取り、僕へと手渡して来た。まさかとは思うけど……ここで誘えって!?
 驚愕に目を剥く僕に、伶桜は楽しげに微笑んで返した。
 あ……これ、逃げ場が無いやつだ。
 こうして時間をかければかけるほど、会場は更にざわめき、注目度が増していく。最早、誰もが僕の一挙手一投足に注目している状態だ。
 ここまでやって……。優勝という結果まで残して、逃げちゃダメだ。……度胸を出せ、いざという時にしっかりと勇気を振り絞れる――格好良い男になれ!
「1年の……山吹美園さん」
 僕が名前を出した瞬間、歓声とも怒号ともつかない声が体育館をビリビリと揺らす。
 観客の中から、背を押されるように誰かが前へと出て来た。
 それは――間違いなく、僕が名前を口にした山吹さんだった。
 緊張で唇が震える。呼吸が上手く出来ない。でも――言葉にして伝えなきゃ!
「入学式から、冴えない僕に話しかけてくれたのは……山吹さんだけでした。その時からずっと、良く分からない好意を抱いていて……」
 ああ、もう……。何が言いたいのか、何を言っているのか分からない。頭が真っ白だ。兎に角、必要な事だけでも伝えなきゃ!
 大きく深呼吸をして――。
「――身の程知らずなのは分かっています。でも、こうして誘えるように努力してみました。このペアチケットで……。僕と一緒に、テーマパークへ行ってくれませんか?」
 僕は伝えきった。
 後は山吹さんの返事を待つだけだ。
 山吹さんは、数秒俯き――目元を拭った。……え? 泣かせた? 僕のせいで?
 そうして顔を勢いよく振り上げた山吹さんの顔には、涙がポロポロと流れていて――。
「――私より可愛い人とは、行けません!」
 体育館中に届く、大きく強い声で――山吹さんは僕の申し出を断った。会場の喧噪を掻き消すような一言だ。
 僕の身体中に流れる血の気が引いて行く。立ち尽くしている僕も、やがてフラれたんだと理解する。
 山吹さんは、まるで大切な物を奪われてヒステリックになった子供のように泣きじゃくっている。取り乱しっぷりが尋常じゃない。
 衆目を集めてる中では、断るのも辛いとは思うけど……。そんなに、僕から告白されたのが嫌だったのか。
 知らなかった。テーマパークに誘っただけで、こんなに取り乱す程に嫌われていたなんて……。彼女の分け隔て無い優しさに、僕は痛い勘違いをしていただけだったんだ……。
 そうしてハッと、今の自分の立ち位置に気が付けば――そこは、針の筵だった。
 終わり良ければ全て良しという言葉がある。逆に言えば、終わりが悪ければ――過程なんて全て悪い方向へと塗り替えられる。
 賞賛も賛美も、憐憫や哀れみなど他の感情に上塗りされてしまう。
 数々のヒット作を生み、人々へ感動を与えて来た芸能人が、大きな不祥事1つで悪役として消え去る。会社で功績を残して来た人もそうだろう。
 そんな、やらかしてしまった人の気持ちが……今の僕には、痛い程に理解出来てしまう。
 あれだけあった歓声は消え、今では沈鬱な空気が体育館一杯に漂っていた。その視線が集中する一点で、一挙手一投足を観察される僕は……地獄に居る心持ちだ。
「うわぁ……」
「シンドイ……」
「マジで可哀想……」
「ここで言わなくても良いのに……」
 小声でそんな会話が交わされているのが、静寂に包まれた体育館内では良く聞こえて来る。
 どんなイジメよりも、この晒しはキツいなぁ……。
 伶桜に可愛いって評価されて、僕は舞い上がっていた。本郷の言う通り、調子に乗っていたんだ。
 分をわきまえず、光輝く世界に立とうとしてしまった。――その結果がこれだ。
 誰も幸せにならない展開。空気が読めない痛い僕のせいで、楽しかった文化祭が沈鬱とした嫌な思い出に変わる。
 お前のせいだと言わんばかりの視線が怖い。人の悪意が集中しているのが怖い。逃げ出したい……。でも、逃げ場なんてない。――どこに逃げても、僕みたいなヤツが生きる世界は辛く息苦しいんだ。
 調子に乗って女装まで晒し黒歴史を刻んで……。明日から、もっとハードに、大勢から迫害されるんだろうなぁ……。
 全部、僕の思慮が足りなかったせいだ。
 泣いちゃダメだ。……僕がここで泣くのは、情け無い。本当に傷ついてるのは、巻き込まれた山吹さんなのに、加害者の僕が泣く訳にはいかない。
 分かっているのに……目が潤んで来る。内から溢れ出て来る涙が、止められない。せめて、零さないように……。決して溢れさせないようにしないと……。ああ、上を向いても……ダメだ。顔が歪む。辛い、やっぱり辛いなぁ……。
「え、え~っと……。それではミスターコン優勝者へのインタビューに移ります!」
 僕からマイクを奪い返した司会が、焦りながらも沈鬱とした空気を打開しようと無理にテンションを上げている。……僕のせいで、こうして無理にテンションを上げさせている事実が……申し訳ない。全部、僕が余計な事をしたからだ……。
「花崎伶桜さんは、優勝賞品のペアチケットで、どなたとテーマパークへ行かれる予定か……既にお決まりですか?」
「ああ、俺は最初から決まってるから」
「おお!? それは素晴らしいですね! それでは、これで優勝者インタビューを――」
 先ほどと同じ轍は踏むまいと、インタビューを打ち切る司会から、伶桜はマイクを強引に奪い取り――。
「――俺が一緒に行く相手は、コイツしか居ない」
 僕の肩へと、腕を回して来た。
「……へ? 僕?」
「ああ、俺の相手は――薫だ」
 静寂に包まれていた会場に――歓声と悲鳴が入り混じった声が反響する。
「美園が要らねぇって言うなら、俺が薫をもらう。……まさか、文句は無いよな?」
 伶桜は涙を拭っている山吹さんを一瞥した後、僕の顔をジッと覗き込んで来た。
 そのグイグイと迫って来る救いの言葉に、僕は思わず――。
「――は、はい」
 オッケーしてしまった。
 伶桜の美しくも凜々しい瞳には、ノーと言わせない、魔力にも似た不思議な力があると思う。
 僕がオッケーした事で会場は――爆発的な歓声と拍手、悲鳴が響いた。
 まるで有名アイドルのコンサートで、メンバー同士が仲良く絡んだ時のような反応だ。
 ニコッと笑った伶桜が観衆に手を振り、更に館内をヒートアップさせた。
僕のインタビューでお通夜みたいに痛々しい空気感だった会場が、一気に歓喜で湧いている。
 おかげで僕は、針の筵に座らされているような状態から救われた。……伶桜は、やっぱり格好良いな。 
 人心掌握力とか、場を支配するカリスマって呼ぶのかな? 
 僕が知っている幼馴染みは――もっと子供で、お互いに喧嘩しながら助け合って来た。
 でも今は、助けられてばかり。伶桜ばかりが僕を助けていて……。
 もう、僕の知っている幼馴染みは居ない。
 隣に立っているメイクアップした女性は――僕の理想の格好良さを具現化してくれる、見知らぬ存在へと進化していた。
 だからだと思う。
 心臓がギュギュッと圧縮されるように痛んで……。
 圧迫に逆らうように強く早い鼓動を、心地良く感じてしまうのは――。


3章

 文化祭が終わって最初の休日。
 僕と伶桜は、手に入れたテーマパークのペアチケットを使い外出する事に決めた。と言っても、2人とも優勝したから2回行けちゃうんだけど……。流石に、同じ場所へ同じ顔ぶれで何度も行くのはね。結果的に、1組分余った。
 僕が絶望の最中に居る時、伶桜が助けてくれた言葉。あの優勝インタビューでの発言を嘘にしない為、僕たちはここに居る。
「か、格好良い……」
「可愛いなぁ……畜生」
 最寄り駅のトイレから、着替え終えた互いを目にして第一声。お互いに悶えた。
 僕は今日純白のワンピースをメインにした服装をさせられている。伶桜はスラッとした長身を活かし、爽やかなパンツスタイルにサングラスだ。
 それもこれも今日、行く場所――島1つを水族館やアトラクションに使用したテーマパークに合わせてのコーディネートだ。
 電車に乗り込み、僕たちは隣り合って座りながら目的地を目指す。電車に揺られて少し経過した時、僕は、ふと気になっていた事を伶桜に聞いてみる。
「伶桜はさ……本当に最初から、僕と行くって決めてたの?」
「あれは咄嗟の嘘だ」
「嘘吐きの悪女だ……。酷い。そうやって伶桜は、僕の純心を弄ぶんだね。……ちょっとだけ、嬉しかったのに」
「そこまで言わなくても良いだろ? 俺の機転で空気は変えられたんだから」
「そうだけどさ……。うん、ありがとう」
「まぁ……チケットを質に入れず、もし行くとしたら薫だろうとは思ってたよ」
 え、僕は山吹さんと行こうと思ってたのに……伶桜は、そんな風に思ってくれてたの? だとしたら、僕はかなり不義理な男に――。
「――お互いに、相手にさせたい理想の格好をして行ったら、面白いし目の保養だとは思わないか?」
「玩具にする為だろうと思ってたよ。でも……文化祭までじゃなかったの?」
 今日は文化祭で得たテーマパークのチケット使う日だから特別として、もうこの男装女装をさせ合う日々は終わるものだと思っていた。
「嫌か?」
「……ううん。僕が出来ない理想の格好良さを体現してくれるのは、嬉しい」
 僕には着られない洋服。絶対に似合わないし、裾を合わせるだけで何十センチメートルも切ったり……。無理に着ようとすれば、惨めになる。でも伶桜が僕の分まで格好良い服を着て、格好良い姿を見せてくれれば、僕の欲は満たされる。
 僕自身は格好良くなれずに、多少の劣等感を抱いてもだ。感情的に、差し引きプラスだと思う。
 伶桜にはない可愛さが僕にはあるって分かってから、伶桜と一緒に居ても辛くはなくなった。
 この方面ならば勝てると分かったから、やっと対等になれたと自分で思えたのかもしれない。
「まぁ、バレないように駅で着替えるってのは、今後も継続だろうけどな。……俺のクローゼットに可愛い服が増えたって、母さんも父さんも喜んでたからな。心が痛むが………バレたら、絶対にヤバい事になる」
「あぁ……。特に伶桜のお父さんは、異常に厳しくて怖いからね」
 叔父さんは、離婚して父親がいない僕に対して、幼い頃からまるで実の父親のように接してくれる。
 厳しさの仲に、分かりにくい愛が溢れている。――唯、圧が半端じゃない。
 にこりとも笑わないで、射貫くような視線を向けて来るからな……。何も悪いことをしていなくても、思わず謝りそうになる。
「ああ、正義の警察官で……自他共に厳しい。幼い頃、休日に武道の練習へ行って、父さんと稽古する度に震え上がったよ。……父さんから逃げるようにバスケを始めた俺を、情け無いと思ってくれて良いぞ」
「情け無いなんて思わないよ。誰でも怖い事や苦手な事、逆らえない人は居る。それにさ、切っ掛けは逃げる様にだったかもしれないけど、ちゃんと今はバスケも本気で頑張ってるんでしょ? 少なくとも、中学からバスケで激しく闘う伶桜は、僕の目に格好良く映ってるよ。……嫉妬するぐらいにね」
「嫉妬深いな……。まぁ確かに、俺のバスケしている姿は格好良いからな」
「……ズルい。伶桜もチビになれば良いのに」
 高身長なのに機敏な動きも出来るとか、本当にズルいよ。僕だって、そんな格好良い男になりたかったのに。
「代わってやりたいよ。……俺は可愛くなりたかったからな」
「僕、そろそろ一回ぐらい伶桜を殴っても許されるんじゃないかな?」
「許されない。……薫」
「ん?」
「……ありがとうな」
 その『ありがとう』には、どんな感情が込められていたんだろう? 慰めてくれて? 伶桜の代わりに可愛い服を着てくれて?――それとも、他の何か?
 ちょっと考えながら沈黙が一度流れてしまうと、改めて何についての言葉かは聞きづらくて――目的地に到着しても、結局答えを尋ねる事は出来なかった。
「うわぁ~! すっごい綺麗! 駅を出た瞬間に、もう海が見える!」
 テーマパークへの最寄り駅から出ると、直ぐに公園が見えた。沢山の木々、その奥には海が広がっている。潮の香り、岩に打ち寄せる波の音が心地良い。
「子供か、薫は」
 そう言いながらも、伶桜は頬を緩ませカメラを僕に向けて来る。
 自分のコーディネートした可愛い娘が公園で遊び、背後に美しい海があるという光景はたまらないんだろう。……後で僕も、伶桜を撮りたい。
 なんか伶桜を見ていると、表面だけじゃなくて……真の格好良さみたいなのを学べる気がするんだよなぁ。
 この間の文化祭で僕を助けてくれた伶桜は、今思い出しても格好良い。僕もそうなりたいもんだな。
「ほら、公園も良いけど、さっさとメインに行こうぜ? イベント時間は決まってるんだからな」
「あ、うん! 待ってよ!」
 一歩が長い伶桜に対して、僕の一歩は短い。身長差があるから仕方が無いけどね。
 スタスタと綺麗に歩く伶桜に対して、僕はパタパタと足音を鳴らして急ぎ足になる。それで、やっと追いつけた。
「まずは何から見るんだっけ?」
「時間的に、まずは水族館の方だな。コツメカワウソとの触れあい体験、それからイルカショーにペンギンパレードだ」
「へぇ~、コツメカワウソに触れるの!?」
「餌やりだけらしいけどな」
「うわぁ。それでも楽しみ!」
 動物なんて殆ど触った事がない。マンションが動物禁止っていうのもあるけど、近所の犬に触れた事があるぐらいだ。脳内で楽しみが広がる。
 入口でチケットを渡し、僕たちは水族館へと入る。
 落ち着く暗い空間で、色彩鮮やかな魚に、思わず目を奪われてしまう。
 そして――。
「綺麗……」
 暗い館内、水槽を照らすライトと魚をバックに佇む伶桜は――幻想的なまでに格好良く、美しかった。
 普段、陽光の下で目にするのとはまた違った格好良さに、思わず僕はスマホで写真を撮ってしまう。1つ不満なのは、暗くて顔が良く見えない事ぐらいか。
「お、そろそろ触れあい体験の時間だ。移動しようぜ?」
「う、うん」
 人混みの中を急いで進み、出口の方へと向かう。
 でも、伶桜の一歩と僕の一歩は違う。置いていかれそうになって焦っていると――。
「――ほら、こっちだ」
 伶桜が僕の手を握り、導いてくれた。
 伶桜とこうして手を握るのなんて……どれぐらいぶりだろう。
 幼馴染みだから、小さい頃は手を握って何か遊ぶこともあった気がする。それでも、久しぶりに握った伶桜の手は、すっかり大人の長い指になっていて……まるで見知らぬ人の手のようだった。
「……温かくて、柔らかい」
「ん? 何か言ったか?」
「い、いや! なんでもないよ!」
 雑踏に紛れていて良かった。僕が何も考えずに口に出した本音を聞かれていたら、気まずくなっていたかもしれない。
 暗い館内で良かった。女性の手に触れる事に免疫の無い僕だから、顔がメイクしたチークよりも赤く染まっている事に、気付かれていたかもしれない――。
 コツメカワウソとの触れあい体験は、順番待ちであった。
 エサを持ち外で待機している人に、ケージの中に入っているカワウソが穴から手を伸ばすらしい。
 ワクワクしながら、僕もエサを手にしゃがむ。
「わっわっ!? 集まって来た! 可愛い! ご飯くれって手を出して来たよ!? 手、ぷにぷにで最高!」
「ああ、最高だ。最高にも程がある光景だ」
 恍惚とした表情で、伶桜は僕とコツメカワウソを写真に収めている。
 伶桜は可愛い物が好きだから……自分のコーディネートした可愛いの権化と、可愛いコツメカワウソの組み合わせが、たまらないんだろうな。
 あんまり学校の人には見せられないような、だらしない表情をしている。
 でも、その素で接してくれる感じっていうのかな? それが凄く、心地良い。
 ちょこまかと動き、必死に手を伸ばしてエサを取っていくコツメカワウソたちの光景、そして幼馴染みの見た事もない表情を存分に満喫出来た。
 そして僕たちは、次のイルカショーへとやって来た――。
「――僕、濡れる場所はダメだよ?」
「分かってる。白のワンピースだかんな。濡れて下着が透ければ、男物の下着が見える。……ちょっとした騒ぎが起きるだろうな」
「分かってるなら良かった」
 入口で傘やレインコートの販売をしていたけど、僕たちは濡れないであろう一番後ろぐらいの席へと座る。前の方や真ん中ぐらいに座る人は、濡れるのを楽しむ為か、既にレインコートを身に纏っていた。
 楽しみ方は人それぞれだ。あれも楽しそうだけど……。ラフな格好やジャージとかなら兎も角、ちゃんとした服を着てると躊躇うね。
「それに、俺としてもだ」
「うん?」
「折角、可愛い服を満喫してるのに……薫の汚い男物下着なんか見えたら、気分が台無しだ」
「言い過ぎ。汚くないから。毎回洗濯してるから」
 吐き捨てるように言う伶桜の頭を、僕は後ろから軽く叩いた。
 まぁ……台無しは言い過ぎだとしても、可愛さが激減するのは間違いない。その点、伶桜は濡れても爽やかイケメンスタイルが増すからズルいなぁ。濡れた髪を掻き上げる仕草とか、様になるんだろうなぁ。
「あ、来た来た!」
 軽快な音楽に合わせ、イルカと調教師が入場して来る。
 大きなスクリーンには水中の映像が映し出され、目のやり場に困る。そして僕たちの目の前でイルカたちが一斉にジャンプ。
 会場は歓声と拍手に包まれ、徐々に一体感が増し目が釘付けになって行く。
 もの凄い速さで仲間と一体になって泳ぎ回り、ジャンプして……。凄い、メッチャ賢くて可愛い!
 隣で悦に入る表情を見せている伶桜には、触れない方が良いだろう。
 可愛い物が好きなんだから、どんな表情をしていても仕方がない。僕だって、ハリウッド映画のアクションシーンの撮影とかを観たら、同じように人様にお見せ出来ない表情をしていたと思う。
 最後、一斉に皆で空中高くジャンプして着水する時――海水が勢いよく、客席まで飛沫を上げて飛んで来た。それを悲鳴を上げながら喜んで受ける観客たちに、思わず僕らも笑顔になってしまう。
 更には白イルカが登場し、穏やかな音楽の中で人と一体感のある動きを見せたり……。気が付けば、かなりの時間が過ぎていた。
 言葉にならないぐらいの感動に身を震わせながら、僕たちは会場を後にする。
「凄かった~。もう1回観たいなぁ~。次も濡れない位置で!」
「…………」
 興奮しながら感想を口にする僕を見つめ、伶桜は顎に手を当て真剣な面もちを浮かべている。
 何をそんなに悩む事があるんだろう? まさか、服装がこの場の雰囲気に合っていなかったとか? いや、でも……。僕は可愛い物には詳しくないけど、上品な白い衣装にナチュラルメイクというのは、白イルカも登場した会場にマッチしていたと思うんだけど……。
「……伶桜?」
「飛んで来た海水で下着が透けて、男物とバレたら困るならさ」
「ん?」
「いっそ下着も、女物を着れば良いんじゃないかな? これ、名案じゃね?」
「イルカ以下の知能なのかな? 調教してもらって来れば?」
「大丈夫、半分冗談だよ」
「ヤバい、半分は本気だ……」
 本当に、イルカの調教師に一から仕込み直してもらえば良いと思う。イルカたちはエサがもらえるからとは言え、あれだけ賢くて人間想いで……。人が海水に入っていたら、自分の鼻で人の足を押してあげるぐらいに思いやり溢れていたのに……。爪の垢を煎じて飲ませてもらうと良いよ。イルカに爪があるかは知らないけどさ。
「僕は、偶に伶桜が怖いよ……」
「ははっ。嫌がる物は着せないから安心しろって」
「本当?」
「……その目は反則」
 ぽふっと僕の頭を手を乗せ、伶桜は照れくさそうに片手で顔を押さえた。……上目遣いみたいになってたのかな? 身長差的に仕方ないんだけど……。小聡明いとか思われてたら、嫌だなぁ。
 可愛い娘ぶってるのとか、好きじゃないしさ。
「ほら、次はペンギンだ。ガラス越しじゃなく、目の前を歩いてくれるらしいぞ?」
「へぇ~。それは可愛いんだろうなぁ。伶桜が好きそうなイベントだね?」
「う……。ま、まぁな。悪いかよ?」
「別に? さ、行こうよ!」
「薫の癖に生意気だな……。後で写真、可愛く加工して送ってやる」
「良いよ? 僕も伶桜の写真、格好良く加工してあげるから」
「……それ、お互いに自分の理想の通りに加工してるだけじゃねぇか?」
「ん~。そうとも言うかな?」
 今は写真を見返す時間すら惜しいから、加工はしないけど……。見終わった後も楽しいイベントがある。それは――余韻も含めて、最高だなぁと思う。
 ペンギンたちのパレードは、特にショーという程に特別な何かをする訳ではなかった。
 唯、ヨチヨチと道を歩いて移動するのを見守るだけ。
 でも、途中で道を間違えたりしてしまう子もいて……。初めてお使いに出る子供を見守る様な、そんなハラハラと安堵に心癒やされた――。
 そうして忙しなく動き回り、ふと足の疲労を感じて気が付いた。
「……楽しくて調子に乗ってたよ。僕はインドアで、体力がノミ以下だった……」
 忘れてたよ……。自分の限界ってやつをさ。
 一旦ベンチに座りながら、潮風の中で僕は深呼吸をする。伶桜は余裕そうな表情だ。流石は運動部、体力が違う。折角の大切な時間なのに、休憩に付き合わせちゃって、なんだか申し訳ないなぁ~……。
「おいおい、それは言い過ぎだろ?」
「そうかな?」
「ノミは自分の身長の百倍以上もジャンプするらしいからな。人間換算だと、200メートルぐらいジャンプが出来るんだぞ?」
「成る程、僕はノミ以下って言いたい訳ね」
 付き合わせて申し訳ないと思っていたが、全くそんな事はなかった。こんな真顔で悪口を言い合えるような相手に、気を遣おうとした僕が間違いだったよ。
「拗ねんなよ」
「拗ねてない」
「分かった分かった。……じゃあ、島内バスに乗って休憩してろよ。――次は、アトラクションだ」
「……怖いの、多い?」
「薫、絶叫系は苦手だったか?」
「分かんない。乗った経験も無いから」
「あ~……。そっか、叔母さんは忙しいもんな」
 僕は母さんと遊園地に行った事もない。だから、得意も苦手も分からない。それを思い出したのか、伶桜は苦笑を浮かべた。
「だったら今日は、貴重で良い体験になるな」
「……うん。でも、今は疲れたから休ませて~」
「ハハッ。良いよ、ゆっくり休め。……休んだら、アトラクションだからな」
「うへ~……」
 島1つを丸々使っているテーマパークだからかなぁ。もの凄く観て回る場所が多くて、体力を使う。……まだ魚とかのコーナーしか見てないけど、こっから他にも色々あるって言うんだから……丸1日かけても見られないぐらい、大きいのかもしれないなぁ。
 少しベンチで休憩した後、島内を巡回するバスがやって来た。ゆっくりと移動するバスに揺られ、アトラクションコーナーへと移動する。
 アトラクションコーナーは、海を望む景観を活かした遊園地のような造りだった。
「――し、死ぬ死ぬ死ぬって~!」
「あっはっは! 行ける、まだまだ行ける!」
 チューブ型のボートに乗りながら、早い水流に流され回るダイナミックなアトラクションに、伶桜は大興奮。僕は顔面真っ青。
「――こ、この高さは人が居て良い高さじゃないよ!?」
「良い眺めだ! あ、スカートは抑えとけよ?」
 地上90メートルの高さまでゆっくりと上り、周囲の景観を楽しめる観覧車のような物。僕は高所に慣れていないから真っ青。伶桜は景色に興奮し、綻んだ表情。
「――あ……ここは、薫はダメかもな」
「え? なんで?」
「ほら……これ見ろよ」
 次のアトラクション乗り場に並んでいると、伶桜が看板を指さした。
 看板を読むと――『身長制限、120センチメートル以上』の文字。
「舐めるなよ? 僕だって流石に、120センチメートル以上はあるよ」
「本当か? 無理すんなって。なんなら、計ってもらった方が――」
「――ふんっ!」
「痛っ! テメェ、割とマジで頭叩いただろ?」
「え? 痛いんだ、僕みたいな貧弱チビに叩かれたぐらいで」
「当たり前だろ! 頭を叩かれたら誰でも痛い。なんだ、ちびっ子にはそれも分からないのか?」
 可哀想にとでも言いた気に、伶桜は僕の頭を撫でて来る。
「その長い足を、僕に継ぎ足してやろうか?」
 伶桜め……煽ってくれるなぁ。
「そこのカップルの方々、並びながら暴れないようにお願いします」
 係員らしき人に怒られてしまった。
「カップル? 俺と薫が、か?」
「……ほら、今は僕が女装してるから」
「ああ、成る程……」
 今まで伶桜と一緒に何処かへ出かけても。カップルなんて見られることはなかった。そもそも中学に入学してからは殆ど一緒に居なかったんだけど……。カップルなんて呼ばれるのは、違和感が凄い。
「……きっと、僕が彼女に見られてるんだろうね」
「だろうな」
 女装もしているし、身長差から見ても間違いないんだろうけど……。すっごく微妙な気分だ。
 もや付いている内に、順番がやって来て――。
「――ぎぃやぁあああ!」
「はっはっは! 良いねぇ、良いねぇ!」
 ジェットコースターなんて、初めて乗ったけど――死ぬ、これは! 海が見えては地面に向かい、空が僕を吸い込む!
「…………」
「おっ!? ついに気を失ったか!? はっはっは!」
 僕が声すら上げられずに固まると、伶桜が楽しげに哄笑する。僕、悔しいです……。
「や、やっと解放された……」
「まるで生まれたての子鹿みたいに、足腰が震えてるぞ? おんぶしてやろうか?」
「要らないよ! 震えるのは仕方ないじゃん。……ちょ、ちょっと!? 動画撮らないでよ!」
「いやぁ? 結構、可愛いぜ? フラフラ、ヨチヨチと進んで来るのもさ。ベイビーみたいだ」
 ニマニマと笑う伶桜に悔しさを感じ、僕は一生懸命、柵に掴まって立ち上がる。
「お、つかまり立ちした」
 だから、赤ん坊の成長じゃないんだよ。しばらく柵に掴まりながら深呼吸をして、やっとフワフワする感覚から少し解放された。大地の安心感、最高だね。
 僕と伶桜は、近くのベンチに座って休むことにする。……と言うか、僕が休憩をくれと懇願した。楽しいけど、疲労が……。運動不足が身体に堪える……。
「――ほら、さっきの動画観るか?」
 伶桜が撮影した動画を見せてくれる。ジェットコースターから降りて、フラフラになった僕が這々の体で伶桜を追い、立ち上がろうとしているシーンだ。……凄く、ホラー映画みたいだ。赤ん坊なんて可愛い代物じゃない。メイクと服装が可愛いのに――動きが不気味なギャップが、僕のツボに嵌まる。
「こ、これは我ながら、酷いね! 可愛いワンピースを着てるのに、不気味!」
「……なんだよ、良い笑顔出来るじゃん」
 伶桜は微笑を浮かべ、流し目で僕を見つめながら呟く。
「え? 笑顔……」
「ああ、良い笑顔だったぞ」
「笑ってたの? 僕が?」
「ああ。今までも微笑むぐらいはあったが、満面の笑みを浮かべるのは、これが初めてだ」
「僕が……笑ったのかぁ」
「めっちゃ可愛かった。もっと笑っても良いと思うぞ?」
 特に自分で意識していた訳では無いけど……。僕は、しばらく笑った記憶が無い。それが今日、この場で笑えたというのは――嬉しい。
 笑顔を忘れたとか、そんな格好良い事を言うつもりはないけど……。笑えないってのは――情緒を失ったんじゃないかって不安な思いしていたから。
 自慢にもならないけど、中学1年生から笑った記憶はない。
 人に外見をイジられ凹み、本郷たちみたくイジメてくる相手に逆らえず惨めに泣いてみたり……。思い出しただけで、気持ちが落ちこんできた。……もう気落ちする事を思い出すのは止めよう。
 久しぶりに笑えたのが女装している姿でって言うのは……なんとも言えない心情になるけどさ。
 少しスッキリとした気分になった僕たちは、島の中央へとバスで戻る。
 もう時刻は夕暮れ時。
 最後に、海の生き物と触れ合える――イルカも間近で見られる場所を回り帰宅しようという話になった。
 イルカを間近で……上から見られる貴重な体験に興奮し、いよいよ帰るかとなったんだけど――。
「――このお土産コーナーを通らないと出られないのは、商売上手だね」
 お土産コーナーからしか出口が無い。商売上手だなぁと思いつつ、僕は出口を目指す。でも伶桜は、お土産屋コーナーの1カ所を見つめ佇んでいた。
「……可愛い」
「……コツメカワウソのぬいぐるみキーホルダー、欲しいの?」
 伶桜の視線の先にあるキーホルダーを手に取ると、伶桜は顔を真っ赤に染める。
「ば、バカか!? これは薫が付けたら可愛いだろうなって! 俺が付けても、意味が無いだろうが!」
「ふふっ。そっか。あっ……。ちょっと僕、トイレに行って来るね?」
「お、おう。行ってこい」
 手に取ったキーホルダーを棚に戻し、僕はトイレへと向かう。男子トイレへ入ると、他の男性が「え、ここ女子トイレ!?」と、ギョッとした目線を向けて来た。
 すいません、貴方は入るトイレを間違えていないです。そう思いながら頭をペコペコ下げ、急いで個室トイレへ入った。色々と難しいね……。
 少し時間を置きトイレから身をソッと乗り出す。
 伶桜が店内の別の場所へ移動したのを見計らい、僕は再びお土産コーナーへ戻る。
 その後、少し時間を潰して店内へと戻り、僕らは帰路へついた――。
「よし、それじゃあ着替えるか」
 自宅の最寄り駅にあるトイレの前、僕と伶桜は各々が家から着て来た服装に着替えようとする。
 それは女装や男装をしているのが両親にバレないようにする、いつもの定番ではあるんだけど……。今日は、着替える前に渡す物がある。
「伶桜、はい」
 僕は可愛く包装された物を鞄から取り出し、伶桜へと手渡す。
「これ……コツメカワウソのキーホルダー? 買ってたのか? いつの間に……」
「うん、今日のお礼にってさ。可愛いでしょ?」
「……可愛い」
「カワウソだけに、可愛い嘘ってコンセプトらしいよ? 少し無理やり、こじつけなのが面白いよね?」
「面白いって言うか……もう、可愛い」
 ポケッっと、呆けたような表情を伶桜は向けて来る。キーホールダーと僕へ視線を交互に向ける伶桜からは、いつもの凜々しさが失われているような……。
「ん? どうかした、伶桜?」
「――な、なんでもねぇよ!」
「そっか? まぁ、なんでもないなら良いや。使わなくても良いけど、捨てないであげてね?」
「捨てないよ。……薫は無意識でやってんのが、質悪いんだよな。無自覚ってのは――……」
「ん、何か言った?」
「なんでもねぇ! ほら、さっさと着替えて帰るぞ!」
 結局その後、家に着くまでの間、伶桜は顔を合わせてくれなかった。
「あ……。そう言えば、今日ご飯食べてないや」
 家に着いて1人になった途端、空腹に気が付いた。
 寝食を忘れて何かをするって言葉があるけど、あれって本当だったんだな。メイクを落としながら、そんなことを考えていた。
 メイクを落とし、メガネを掛けると――また冴えない顔が鏡に映る。
「もう、ずっとメイクをしてたいな……」
 しかし、そうも行かない。母さんにどうしたのかって聞かれるのは間違いないし……。
 母さんは今日、休日出勤だ。平日の仕事後以上に機嫌が悪いだろうから、甘みの強いスイーツを作ろう。でも僕だって疲れたから、ちょっと手抜きで……。
 溶かしたチョコレートに、ナッツやドライフルーツを乗せたマンディアンをパパッと作った。
 ナッツやドライフルーツを軽く刻んで、溶かしたチョコレートごと冷凍庫に入れれば出来るから、本当に簡単。――それでも、母さんには凄く喜ばれた。
「――うん、美味しい~!」
「そっか。良かった」
「薫も、腕を上げたわね~」
「……別に。こんなの、溶かして乗せて固めるだけだし」
「捻くれちゃって、もう……。不機嫌なの?」
「……ゲームに映る自分の顔が、納得いかないだけだよ」
 いつものようにFPSをしていて――ふと画面が暗転した瞬間。そこには、メガネを掛けて冴えない顔をした僕がいる。髪だけはちゃんとしているけど……。
 なんでだろう。可愛くメイクをした時の自分と比べると、凄く醜い。メイクをして、周囲から可愛く見られて居る時のように堂々と出来ない。また自分に自信を無くして行く……。
「もう……また死んだ魚のような目をして。最近は活き活きとしていて、良いなぁって思ってたのに」
「活き活き? 僕が?」
「そうよ?」
「そんな……」
「あんた最近、何か楽しい事を見つけたでしょ? もしかして、クローゼットにある沢山の洋服?」
「え!? あれを見たの!?」
 伶桜が買っている、格好良い服の数々。僕が着られるはずもない、センスが良くてサイズも大きい服だ。
 別に悪いことをしている訳じゃないんだけど……。2人だけの秘密にしているから、バレたと知ると凄いドキドキする。
「見たわよ。……どう考えてもアンタの身長には合わないから、気になっていたのよねぇ」
「あ、あれは……」
 ヤバい、説明する言葉が出て来ない。伶桜が着ているなんて素直に言えないし……。それでもし、伶桜の両親にバレたら……。特に、叔父さんにバレたら、ボコボコにされるかもしれない。冗談抜きに。
「……ま、なんでも良いわよ。あの服を着た妄想をしてるのでも。人様に迷惑をかけず、アンタが笑顔で幸せになってくれるなら……母さんはそれで良い」
「……僕さ、笑顔になってる?」
「笑顔って程じゃないけど……前より、表情は柔らかくなってるわよ?」
「そう、かな?」
「そうよ。……アンタね、親ってのは子供が思っている以上に、親を見てるのよ? 自信を持ちなさい」
 そんな親ばっかりじゃないと思うけど……。少なくとも、母さんは僕の微細な変化に気付くレベルには、僕を見てくれているらしい。
 忙しい中、そんなに顔を合わせる時間だって長くないのに……。
 嬉しい事だけど、バレて伶桜に迷惑をかけないよう、注意しなければ――。

 伶桜とテーマパークへ行った翌週。
 学校は中間テスト週間に入った。授業は早く終わり、部活動も活動禁止期間となる。
 校内からは早々と人が居なくなる訳だけど――。
「――あっ、わっりぃ、手が滑ったわ~」
 僕たち以外には誰も居ない教室。
 本郷と、その取り巻きは僕の教科書類が詰まった鞄の中身を――窓から校舎裏へとぶちまけた。
「悪いな蓮田。……でもよ、お前が悪いんだぜ? 俺の忠告を無視するんだからよ」
 忠告……山吹さんと仲良くするのは止めろという言葉かな? 仲良くしていないと思うんだけど……。あの文化祭での失敗以来、むしろ距離を置かれているしなぁ……。
「山吹さんとは、関わってないよ……」
「あ?……あぁ~、そっちじゃねぇよ。調子に乗るなってのだ」
「調子になんて――」
「――乗ってるよな? 髪切って、可愛いとかチヤホヤされ始めてさ」
「…………」
 チヤホヤと言う程では無い。唯、髪を切ってミスコンで優勝してから、マスクを取ってみてとか、偶に話しかけられることがあるぐらいだ。……いや、それでも今までの僕から比べたら、調子に乗っているようにも見えるのかもしれない。
 以前までは誰とも会話などせず帰宅するのが普通だったんだから、今が異常だ。その異常な状態を本郷たちは、調子に乗っているとイチャモンを付けて、このようなイジメをしているんだろう。
「そんじゃあ、俺らは帰ってテスト勉強するから。蓮田も教科書を良く読んで頑張れよ」
 鬱憤を抱えている人間がいる限り、弱い物イジメが無くならない物だとは理解している。
 自分より弱者を見つけ迫害する事は、世の中で自分が優位に存在しているという快感と、安堵を生むから。
「……勉強するには、まず教科書を集めないとなぁ」
 僕は校舎裏に散らばる教科書類を集める為、トボトボと校舎裏へ向かった――。
「――いや、離してください!」
「なんでそんな酷い事を言うんだ!? あんなに優しくしてくれたじゃないか!」
「そ、それは勘違いです! 私はそんな、特別な気持ちはなかったんです!」
「そんなのヒデぇよ! 勉強を一緒にやろうってのさえ、ダメなんてさ!」
「い、痛い! お願いします! は、離してください!」
 校舎裏には、光と闇がある。
 今、男に女の子が手を押さえられて居る状態は――まさに闇だろう。
 格好良く生きたいなら当然、助けるべきだ。
 それが――気まずい関係にある山吹さんであろうとも。
「あの……」
「あ!? なんだお前!?」
 興奮状態にある男の視線が僕に向く。ギラギラと鋭い眼光に、ビクッと身震いしてしまう。あの日、文化祭のステージで向けられた視線とは別の恐怖で……足が震えてしまう。
「は、蓮田くん。逃げて! 今この先輩、興奮していて話が通じないの!」
「話が通じないだと!? 誰が思わせぶりな態度を取ったせいだと思ってやがる!?」
「――きゃっ!」
 両手首を掴まれた山吹さんは、校舎の壁へドンッと抑え着けられた。僕はその様子をカシャッとカメラで撮影し――。
「――テメェ、何を撮ってやがる!」
 攻撃の矛先を僕に向けさせることに成功した。自分がしている行動が悪事だと、この先輩も理解しているからこそ、写真を撮った僕に対して攻撃的になるんだろう。
「こ、来ないでください! このまま立ち去るなら、僕はこの写真をバラマキません。でも、そうでなければ……教師にこの写真を送ります」
 スマホのメッセージ画面は、僕の担任教師も入っているクラスのグループだ。一度送ってしまえば、もう画像の拡散は止まらない。この先輩も唯では済まないだろう。
 それを分かっているからか、やり場のない怒りをぶつけるように――。
「――テメェも痛い目に遭うかんな! コイツは、最低最悪の魔女だ!」
 大声で悪口を吐き捨て、強い足音を響かせながら校舎裏を去って行った。ふぅ……。怖かったぁ。だけど、なんとかなって良かった……。
「あの……。蓮田くん」
 うわぁ……気まずいなぁ。そうだよね、このまま『はい、さようなら』とはならないよねぇ~……。正直、あれから山吹さんとは気まずい……。泣かせてしまった僕としては、もう関わるべきじゃないと思うし……。どんな顔をして話せば良いのか、正直分からない。
「ごめん、余計なお世話だったよね。それじゃ――」
「――待って」
 いや、逆に待って? なんで僕の手首を掴んで止めるのかな? 一度は僕を強烈に拒絶したんだし、なんで止められたのか意味が分からないです。
「あの……。なんで助けてくれたの? 私なんて、蓮田君に最悪な仕打ちをしたのに」
「……最悪な仕打ちをしたのは、僕の方だよ。多分、さっきの先輩と同じ。誰にでも優しい山吹さんに好意を持たれてると痛い勘違いをして、傷つけたんだから。……強いて言えば、これは罪滅ぼし?」
「なんで、疑問形なの?」
「自分でも、良く分からないから。……でも、僕は格好良く生きたかった。だから背伸びしたのかも?」
「格好良く?……あんなに可愛かったのに?」
「う、うん。……あの女装はさ、コンテストで優勝して自分に自信を持たせて……。賞品のペアチケットで、山吹さんを誘うのに必要な行為だったからで……。本当は、格好良くありたいんだよ。周囲への劣等感で潰されそうだったから……。何か1つ、皆に認められたくて……」
「そう、だったんだね。劣等感、認められたくて……か」
 山吹さんは僕の言葉を反芻して、何事かを思い悩んでいる様子だ。……凄く気まずいです。あの、手首を離しては頂けないんでしょうか? もう無理です。居たたまれないというか、僕が傷つけたあの時、涙を流して取り乱していた様子が蘇って来るというか……。うわぁ、罪悪感で押しつぶされそう。
「ねぇ、蓮田くん……」
「な、なんでしょう?」
「あの時の……文化祭のステージで言ってくれたお誘いって――まだ有効かな?」
「……へ?」
 そのお誘いって――一緒にテーマパークへ行こうって話? え、今更どういう事なの!?
 その夜。
 僕の部屋には、新たに可愛い衣装を買って来た伶桜がテスト勉強がてら遊びに来ていた。
 1番の目的は勉強じゃなく、可愛い衣装を早く僕に着せたかったんだろうけどね。……って言うか、もう問答無用で着替えさせられてるし。
「――っていう事があったんだけどさ、どう思う?」
「どうもこうも……。チャンスだろ?」
「チャンス?」
「ああ。今まで特に意識してなかった男が、自分がピンチの時に助けてくれた。身を挺して助けてくれた格好良い男に気持ちが惹かれても、なんもおかしくないだろ?」
「おかしくないの? そんな簡単に心変わりなんてするのかな?」
「さぁな。……人の心なんて案外、そんなもんじゃないか? ピンチの時に助けられた。それでコロッと見る目が変わる。後は、恋は盲目って言うか……。過去も今も含めて、美化して見えるんじゃないか?」
「なんで伶桜は他人事なの?」
「他人事だからだろ。……俺は経験が無い。唯、周りの恋バナを聞いてると、そんな感じだしな」
 興味が無いのか……。いや、少しイラついているのかも? トントンとシャープペンの先でノートを叩いているし……。
「でもさ、その後にメッセージが来てね……」
「……なんて?」
「女装はしないで来て。私が自信を無くすからって」
「はぁ?……あぁ、成る程な……」
「え、何? 何か分かったの?」
「まぁ憶測だけど……。美園があんな性格をしている推測が出来たかも?」
「え!? お、教えて!」
「上目遣いは止めろ!……兎に角、俺は邪魔をしない。薫が美園自身から話を聞いて、その上でキチンと答えてやれ。別にステージ上で手酷くフラれたのは、恨んでないんだろ?」
 恨んでいるはずがない。あれは僕が悪いんだから。急に全校生徒の前で話を振られた山吹さんは、唯の被害者でしかない。これで僕が恨むのは、逆恨みでしかないよ。唯、気まずいだけ。
「ん……。分かった。男物の服は全然持って無いけど……行くよ」
「普通、逆だからな?……まぁ、俺が言うのもなんだけどよ」
 ご尤もです。
 テスト期間の最終日、その放課後に――僕たちはテーマパークへ行くことになった。
 幸いにして、チケットはまだもう1組分残っている。
 僕が優勝した分のチケットを使い、先日伶桜と一緒に行ったテーマパークへとまた行く。
 今度は、山吹さんと一緒に――。

 そして当日。
 程々の出来であろうテストを終え、僕たちは現地で集合した。思わず、最寄り駅のトイレに入って着替えようとしてしまったのだから、慣れとは怖い。
 今日はメイクこそしているものの、いつも通り地味な服装にコンタクト、そしてマスクという出で立ちだ。これが山吹さんの希望なんだから、仕方ない。……普通の服装なはずなのに、凄く居心地が悪いのは、なんでだろう?
 テーマパーク現地の駅、集合時間の5分前――。
「――あ、蓮田くん!」
「山吹さん、お疲れ様」
 可愛らしく、薄手の生地にフリルがふんだんに使用された服装で山吹さんは来た。へぇ……。前に伶桜が教えてくれた地雷系とちょっと似てる? いや、肩を出していたりと共通点は多いけど……。ちょっと違う気もする。
 地雷系が病みを意識しているなら、山吹さんの服装はフリルやリボン、レースをふんだんに使用していて、兎に角可愛さが全面に出ている気がする。
 とは言え、僕如きが学園のアイドルのファッションを品評して褒めるとか、偉そうな事が出来る訳もなく――。
「――じゃ、じゃあ行こうか」
「うん。楽しみだなぁ~」
 僕たちはゆっくりと歩き始める。
 隣を歩くのが伶桜じゃないのは、凄く違和感だ。一歩の歩幅が小さくて、歩くペースも全然違う。
 いざ中に入ってみても――。
「――うわぁ、可愛いね!」
 魚をゆったり、本当にゆったり見て回っている。
 1つの水槽の前に凄く長く居たり、写真を撮る角度に拘っていたり……。僕との価値観の違いが鮮明になっていく。
 それは水族館から出ても同じだった。
「すご~い。このウッドデッキから海を見るの、なんかエモいね!……日焼け止めは塗り直したいけど」
「あ……。化粧室、あそこにあるよ?」
「本当だ! ちょっと行って来るね!」
「うん」
 凄く穏やかで、ゆったりとした時間が流れている。
 良い時間のはずなんだけど……。どうしても比較してしまう。同じ場所だからかな? 伶桜と来た時は――もっと刺激的で、思わず笑顔になっちゃう面白さがあったはずなんだ。
 いや、これは……僕が自分に自信を持てない格好だからかもしれない。
 周囲の目線は、可愛い山吹さんへ向いている。それに対して僕は、居心地が悪くて息苦しい。
 メイクはしているけど、マスクと地味な服装で……。可愛い山吹さんとは、釣り合わないと思ってしまうからかな?……凄く、場違いな世界に居る気がするんだ。
「お待たせ!」
「ううん、大丈夫だよ」
「じゃあ、次に行こっか?」
「次は……アトラクションとか行く?」
「アトラクション? どんなのがあるの?」
「えっと……こういうの」
 僕がテーマパークのホームページに載っているアトラクションを見せると、山吹さんは自分の興味がある乗り物を指差した。
「濡れるのは嫌だから、コレとか良いな!」
「うん、オッケー。じゃあ、それ回ろうか」
 選ばれたのは、ゆったりと回るクルーズ船や大迷宮など。
 退屈なんかじゃないけど、やっぱり前と違う。ゆったり楽しむ。上級者感が強かった。
 比較してしまうのは失礼だけど、僕みたいに遊びの初心者には、楽しさを味わうのが難しかったのかもしれない――。
「――ね、公園に寄ってこうよ。夕暮れで綺麗だし」
 帰り道。
 テーマパークの最寄り駅前に広がる樹木散歩道には、森林と海が広がっており、非常に美しい光景となっている。
「うん、本当に綺麗で……落ち着くね」
 心からの本音だった。
 この自然を見ていると、自分を取り繕わなくて良いから落ち着く。
 実の所、今日1日――僕はリードしなければとか、彼女を退屈と思わせないようにしなければと、凄く不自然な自分だった。
 その気疲れは、以前に伶桜と来た時とは全く違う疲労で……失礼ながら、同じ場所でも来る人次第で、こうも感じ方が変わるものかと思ってしまった。
 よく何処に行くかじゃない、誰と行くかだという言葉を聞くけど……本当だなと感じる。
 別に楽しくない訳じゃなく、感じ方の違いでしかない。
 でも、どちらが自然な僕として心地良く居られたかと言えば――服装も含め、伶桜と居る時だった。
「――夕陽に染まる海、綺麗だね」
「うん……。本当に」
 タポタポッと、徐々に満ちて来る潮騒を聞きながら、ベンチでゆったりと座る。
 しばらく沈黙しながら景色を見ていると――。
「――この間は……文化祭の時は、本当にゴメンね。私、動揺しちゃって」
 夕焼けに赤く染められた顔で、山吹さんは口を開いた。
「……ううん。何度も言っているけど、あれは僕が悪かったよ」
「……違うの。違うんだよ」
「……山吹さん?」
 両手の指を絡ませ、ギュッと握る山吹さんから――いつもの完璧な可愛さとは全く違う、何か勇気を振り絞るような雰囲気を感じた。
「重い話になるかもしれないんだけど……私の事情、聞いてくれる? 凄く傷つけちゃったのに助けてくれた蓮田くんには、話しておきたくて」
「僕なんかで良ければ……」
 助けを求めているような今の山吹さんが、話す事で救われるなら、いくらでも聞きたい。でも、返って傷つくようなら……遮ってでも止めよう。
「ありがとう」
 そうして山吹さんは俯く。1つ1つ間違えないよう、言葉を整理しながら言葉を紡ぐように、ゆっくり――。
「――私はね、ずっと1番になれって言われながら育って来たの」
 彼女は過去を語り始めた。
「親はね、私の事を凄く愛して――期待してくれてて……1番になれる。1番になれって、期待してくれるんだ」
「そっか……。それは嬉しいけど、きっとプレッシャーなんだろうね」
 僕には分からない。何1つとして、1番になれないで……。劣等感に苛まれ生きて来た僕には分からない世界で、彼女は生きているんだな。
「本当に、そう……。蛍雪高校って進学校だけど……県内随一って程ではないじゃん?」
「そうだね。ギリギリ県内で10位以内に入るか、入らないか?」
「うん。偏差値で言えば、トップとは5以上も違う。……本当はね、私はギリギリだけど、県内随一の進学校に合格してたんだ。私学だけどね」
「そうだったんだ、山吹さんは凄いね。頭まで凄く良いなんて。……頑張って来たんだろうなぁ」
 本当に凄い。僕は――せめて勉強だけは劣りたくないと、必死に努力して蛍雪高校へ進学したのに。
 うちの県内トップの進学校と言えば、東京大学に進学している生徒も多数いる超進学校だ。天才、秀才の集まる学校と言われている――皆が憧れる進学先。
「でも私は……その学校には進学せず、蛍雪高校を選んだ。……なんでか分かる?」
「……ごめん」
「蛍雪高校なら、1番になれるからだよ」
「…………」
「超進学校で平均以下の順位にしかなれずに屈折するよりも、少し偏差値を落とした所で1位になる方が、自分を保てると思ったの。親の期待を裏切らないで、テストの度に褒めてもらえるし……。最終学歴が同じなら、過程は1番が取れる所に行きたかった。……落ちこぼれて、親に見捨てられるのが怖かったの」
「成る程……」
 僕には分からない……。――いや、少しだけ分かるかもしれない。僕の場合は身長だったり、クラス内でのカーストがそれだった。努力して追い抜くのは楽しいけど、努力しても追い抜かれて行くのは――腐る。
 どうにもならない、努力だけでは追い抜けない物は――存在する。その辛さに勝てなくて、人は段々と自信を失い、自我を保てなくなる。僕は心に沁みる程、その苦しみを知っている。
「私が高校の偏差値を落とす事で、両親も喧嘩しちゃったんだ。……でも落とし所として、私が大学は絶対に日本一の国立か海外の名門校に進学するって言ったら、やっと許してもらえた。1番大切なのは最終学歴だからってね」
「親の喧嘩か……。子供からすると、期待は嬉しくもあるけど……怖いんだろうね」
「うん。……両親が怒鳴り合いの喧嘩にならないよう、いつもニコニコしてね、中和剤の役目でいなきゃって……。外見も、学力と同じだったの」
 ああ……少しずつ話が見えて来た。
 山吹さんが文化祭で尋常じゃ無い様子で僕の誘いを拒絶した理由が。……山吹さんが先輩に追い詰められた一件を話した時、伶桜はもう山吹さんが抱える闇に少し気が付いている様子だった。
 これを全て察していたのだとしたら、やっぱり伶桜は凄い。
「だからね、ミスコンで蓮田くんが可愛いって周囲が言ってたり、私自身もそう感じた時……もの凄く怖くなった。これだけ可愛くなろうと毎日努力してるのに、抜かれたらどうしよう。両親の期待を裏切ったらどうしようって、半狂乱になっちゃったの。……負けるのが怖い。失望されるのが恐ろしいの」
「そっか……」
 可愛い山吹さんに、そこまで認めてもらえる可愛さなのは。喜ぶべき事なのかもしれない。
 伶桜がコーディネートしてくれたからであって、僕だけの実力ではないけど。
 それに山吹さんが可愛さで負けたと感じた相手の性別が男だったのも、戸惑う一因になってたんだと思う。
 事情を知れば知るほど、僕が文化祭でやった事が――逆効果だったんだって分かる。
 最初から空回りをしていたんだな、僕は……。
「だから、自信を失いたくなくて、今日も男の姿で来てねって言ったんだけど……。それも、私の我が儘。本当にゴメンね」
「ううん、良いんだよ。僕こそ事情を知らなかったとは言え、文化祭であんな……。本当に、ごめん」
「違うの。本当は、ここで伝えたいのは……こんな悲しい気持ちだけじゃないの」
「……ん? どういう、こと?」
 ここまでの話から――過去にこういう事があったから、お互いに傷つけ合う結果になっちゃった。ゴメンねって言い合う流れだと思ってたけど……。
「私――始めて、恋を知っちゃったの。……地味で格好良くて、それでいて可愛い蓮田くんに」
「……はい?」
 度肝を抜かれる言葉に、間の抜けた声が漏れ出てしまう。恋を知った……。僕に? 頭がついていけないよ? 可愛いと格好良いって、両立するの? そんな突っ込みすら、出来る空気じゃない。
「私、誰からも嫌われるのが怖いせいで……。この間の先輩みたいに、好意があるって勘違いをさせちゃうことが良くあるんだ」
「良くあるんだ」
 良くあるのは、良くないなぁ。せめて頻度は下がった方が、平和で良いと思う。
「うん。……蓮田くんも同じで、勘違いさせて傷つけたから、嫌われただろうなぁって避けてたんだけど……。でも蓮田くんは、私が思わず本音を叫んで拒絶して、傷つけたのに……。それなのに、身を挺して私を助けてくれた」
「あれは、格好付けというか……。自分がそう在りたかっただけだよ?」
「それでも良いの。……性格の悪い私でも、蓮田くんは受け入れてくれる。蓮田くんだけは、認めてくれる。そう思ったら……ドキドキしちゃってね。掛け替えのない、凄く大切な人なんじゃないかってさ。――そ、それで気が付いたら、デートに誘っちゃってたの」
「な、成る程……」
 今日のお出かけ――デートだったんだ。知らなかった。……すいません。
 デートとデートじゃない遊びの違いから説明してくださると、僕みたいな対人関係が不足している者には優しいです。
 デートだと気が付かず、普通に憧れの女の子と遊びに行くだけと思ってたよ……。
「こんな気持ち初めてでね……。正直、戸惑ってるんだ。それで、ね。良ければ私と――付き合ってくれないかなって」
 これが、あの伝説の……告白か。
 おとぎ話か物語の世界――伶桜や山吹さんの周りに起きるだけの話だと思っていた。
 まさか僕みたいな男が告白される日が来るなんて……思っても見なかった。
 入学式初日、僕が1人浮いている中でも、山吹さんだけは話しかけてくれた。その後も、ずっと……。山吹さんに対する特別感がなんの感情か確かめたくて、ミスコンにまで出場して、2人で出かける機会を得ようとした。……でも、なんでかな? 今、僕の心には――2人の大切な人が居る。
 山吹さんと――伶桜。
 何が愛情で、何が友情と呼ぶ感情なのかは……分からない。
 でも……交際したら、どちらかとは距離を置くべきだろう。
 そう考えた時――何故か、伶桜とまた距離を置くと考えた方が、辛くなってしまう。
 揶揄されるのが嫌で、中学時代に僕から離れ――疎遠になっていた幼馴染み。
 最近までは全く意識をしていなかった伶桜に――僕は、何度も救われた。
 自信を失い、心が折れていた時。格好良い服装が着られずに腐っていた時。
 そして……まだ悔しいけど、可愛いという新たな楽しみを教えてくれた時。
 何より、ステージ上で地獄の苦しみを味わっていた時。
 そんな伶桜と離れなければならないと考えたら――心が軋む程に、嫌だと感じてしまう。
「あっ! ごめんね! 私、都合が良すぎるよね! あんな酷い仕打ちをしておいて……。その、でも本気だから……。今は返事とか良いから! だから、いつか返事をくれると嬉しいな!……蓮田くんの中で1番が決まった時に教えてくれれば良いから!」
 ワタワタとしながら、そう笑顔を浮かべる山吹さんは――もう、いつものように百点の笑顔を浮かべていた。何も知る前なら、その笑顔を純粋に可愛いと思えたんだろうけど……。
 今の僕は――この笑顔が人に見放されず失望させない為に作り出した、身を守る優しく悲しい手段だと知ってしまった。
 それを含めて、彼女と今後、僕はどうなりたいのか。
 僕が山吹さんを――そして伶桜をどう思っているのか。
 真摯かつ慎重に考えなければ――。

 自宅へと帰り荷物を部屋に置き着替えをしていると、伶桜が自宅へと上がり込んで来た。
 母さんが中へ通したらしい。
「よう。今日はどうだった? 楽しかったか?」
「ん~……どうだろ?」
 楽しかったかと聞かれれば、楽しかった。伶桜と遊びに行った時とはベクトルが違う楽しさではあったけど。
 でも……伶桜と居た時の方が、素の自分で居られたような気がする。ここで口には出来ないけど、素直に答えるとそうなってしまう。
「……は? 一応は入学時から恋してたかもしれない相手だろ? デートして、何も感じなかったのか?」
「……なんかね、告白された」
 嘘は吐きたくない。だから、あった事をちゃんと報告する。伶桜は僕をずっと支えてくれたんだし、その報告で嘘を吐くのは、裏切りだと思うから。
「告白?……そうか、美園も判断が早いな。――それで、なんて答えたんだ?」
「――何も答えられなかった」
「……は?」
 唖然とした表情で目を剥いている伶桜を見るのが辛い。
「情報量が多く大切な話を打ち明けられた直後で、自分の気持ちも頭がゴチャゴチャして分からなくてさ……。勿論、山吹さんの抱える事情を聞いて、色々と納得もしたけど……。でも付き合うとか好きって、なんだろう。愛情と友情の違いってなんだろう、とか……。結局、僕が抱えてた気持ちは友人としての感謝なのか、好きなのかって、頭がグルグルとさ……。真摯に慎重に答えなければとか考えてて……。そのまま気が付いたら、解散してた」
 目を剥いて驚愕していた伶桜の表情が、みるみる剣呑なものに変わっていく。
「…………」
「……伶桜? 怒ってる?」
「……薫。お前は最低だよ。俺が一番嫌いなタイプだ」
「……え? 伶桜!? ちょっと! どこ行くの!?」
「……俺に話かけんじゃねぇ」
 幼い頃に喧嘩をした時の比じゃないぐらい怒っている様子だ。内にマグマのような怒りを溜め、押し留めているように……伶桜は去って行く。
 僕は――止められなかった。なんで伶桜が怒っているのか、その理由も分からないのに止める事なんて、無責任だと思ったから。
「伶桜に拒絶されるのって……滅茶苦茶、シンドイなぁ……。ステージで山吹さんに振られた時と同じか、それ以上にキツいや……」
 本当は今すぐ追いかけて伶桜に弁明をするべきなんだろうとは思う。
 でも一度、僕は自分の中でしっかりと感情を整理するべきだと感じたんだ。
 なんで伶桜が怒っているのか。僕がどういう感情を今、伶桜や山吹さんに抱いているのか。 
 しっかり説明も出来ないのに謝るのは――無責任で、違うなと思うから。
 
 その夜……いや、深夜。
 僕はカラカラとベランダへの戸を開け、柵へと寄りかかった。
 それから数分程して、隣からもカラカラと戸が開く音がする。蹴破り戸の向こうに、慣れ親しんだ人の気配がする。
「伶桜……。伶桜に話しかけるなって言われて、僕は凄く辛いんだ。……なんでかな?」
「……知らねぇよ。俺に話しかけんなって言っただろ」
 ああ、やっぱり伶桜だ。
 顔を見て話す事を今は許してもらえなくても……。こうしてベランダで、戸を隔ててならば言い訳を聞いてくれるらしい。……伶桜は優しいなぁ。
「……俺がなんで怒ったか、分かってるか?」
 まるで囁くように、静まりかえった夜でなければ聞こえないような声音で伶桜は言う。
「……一生懸命考えたんだけどさ、怒らない?」
「……薫が本気で考えたんなら、怒らない」
「じゃあ……嫉妬、とか?」
「あ、無理。もうマジでキレたわ」
「ゴメンって! お願い、教えて!」
 身を乗りだし、隣を覗き込もうとすると「危ねぇだろ」と伶桜に押し戻される。ハァ~と、秋口の涼しい夜空に吸いこまれるような、深く長い溜息が聞こえた。
 その溜息は僕にとって心地良いものでは無く、まるで真夏の炎天下に置かれているかのように汗が流れ出て来る。
「……最悪、今みたいに巫山戯た答えでも良かったんだよ」
「……え?」
「美園への答えだよ。……突然の告白で頭が混乱したのは分かる。真っ白になったのもな。でもよ、それでも……。何も自分の答えを口にしないまま帰したって事実が許せなかったんだよ。せめて今は混乱しているから、考える時間が欲しいって自発的に答えろ。相手に全部、任せてんじゃねぇよ。……そう思って怒ったんだよ」
「そっか……。前も、本音で語ってないから山吹さんの事が気に入らないみたいに言ってたもんね。だから心の内を口にしなかった僕は、伶桜を怒らせちゃったんだね」
「そうだ。……多分な。この胸のイライラは、そういうことだ。だから、違う……。俺は別に……」
「伶桜?」
「あ? なんだよ、優柔普段野郎」
「ゴメンって」
「……俺が前に美園の事を、その……。悪く言った事があっただろ?」
 悪く? ああ、文化祭の前に本心を覆い隠して八方美人な所が気に入らないって、言ってたなぁ。
「薫は優柔不断だから、俺のその言葉を気にして美園の気持ちを受け入れなかったんじゃないかって。……そこにもイラついてたんだよ」
「そっか。――でも、それは違うよ」
「……違う?」
「うん。伶桜がどう言おうと、僕は僕の見た限りで決めるから。人の意見に流されたりはしないよ? そんな事を言ってたら、伶桜とは一緒に居られないよ。本当は憂鬱な感情を持て余してただけなのに、人を寄せ付けないクールイケメンだ~って有名な伶桜とはね?」
「チッ……。俺はそんな事で有名じゃない。……でもな、今みたいな薫は――俺は嫌いじゃない」
「……え? どういう事?」
「今の薫は、ちゃんと自分の考えを口にしているだろ。俺はそういう人間は好きなんだ」
「そっか。……じゃあさ、もう僕を避けないでよ。喧嘩しても良いから、本音をぶつけ合おう?」
「……分かった」
 数秒ほど時間を置いてから、少しふて腐れた様な声が返って来た。良かった。昔は僕から避けておいて、どの口が言うんだって感じだけど……。好意がある人に避けられるのは、本当に辛いからね。
「じゃあ、早速だけど僕からね」
「は? いきなりか?」
「うん。これは今、1番の悩みなんだけど……。伶桜と同じテーマパークに行ってから、山吹さんに告白された時……。伶桜の顔が浮かんだんだ。伶桜と一緒の時間の方が、なんか楽しくて……息苦しくなかったなぁって」
「――は!? な、何を、言ってるんだ!?」
「これって、僕が女装を本気で居心地良く思っているのか、それとも……別の気持ちがあるのか。なんで伶桜と一緒の方が居心地良かったんだろうね?」
「それは……」
 伶桜は焦ったように言葉を詰まらせてから、大きく数回呼吸をした。
「それは……長年の付き合いだから、かもな。幼馴染みで、兄妹同然だから……。気を遣わない的な」
 そして、いつも通りのクールな声音で、そう返して来る。
「そっか。……そっかぁ」
 その言葉に僕は一応、納得はしたけど……。
 ストンと腑に落ちるような、爽快感は得られなかった――。

4章

 伶桜と仲直りした僕は、再び衣装を着せ合う仲に戻った。
 今日は昼にお互いの服を買いに出て、僕の部屋で再度、まるでファッションショーのように着てみようという流れになった。まずは可愛い系の服を、そして伶桜にもワイルド系の服を着てもらい、2人ともご満悦。でも洋服のストックはまだある。
「次なんだけど、薫。これを――」
 そこまで口にした時、伶桜が中空を見つめて固まり――跳ね上がった。
「――は、ははは、蜂!」
「え、蜂?」
 慌てふためく伶桜が指さす方向を見ると、蜂が飛んでいた。あ~、網戸にしてたんだけど……。どっかに隙間があったのかな? 室内に入って来ちゃったみたいだ。
「――あ、そう言えば伶桜。飛ぶ虫はダメなんだっけ?」
 確か、幼稚園児ぐらいの時だったと思う。飛んでいる虫――アブか何かに刺されて腫れてから、伶桜は空を飛ぶ虫が大嫌いになった。……高校生になった今でも、ここまで怖がるのは予想外だけど。
「むむむ、無理! 飛ぶとか、卑怯だろ! なんとかして薫!」
 壁に顔を向け、伶桜は蹲ってしまった。この場合、蜂に背を向けてと言った方が良いのかな? 見るのも怖いのか……。頭隠して尻隠さず。
「こんなの……ヨイショっと」
 ガララっと網戸を開き、攻撃と思われないように誘導すれば――蜂は直ぐに部屋から出て行く。そうして、また網戸を閉めれば終了だ。なんて事はないんだけど……。伶桜は未だ、壁に向かい蹲ったまま。
 クールな伶桜が怯えている姿は新鮮で、ちょっと楽しくはあるけど……。意地悪のし過ぎは良くないね。
「伶桜、もう蜂は出てったよ~」
「本当、本当に!?」
「はいはい、本当だよ~。窓からまた空へ帰ったよ~」
「薫、薫!――ありがとう!」
 天敵の出現にテンパっている伶桜は、目を潤ませながら僕に飛びついて来て――非力な僕では、伶桜を支えきれなかった。
「――……ぇ」
「あの……伶桜?」
 これって俗に言う――床ドンってヤツ? 見上げれば、髪の毛が垂れて来ている伶桜の顔、そして天井が視界に映る。僕の露出している腕には、床の冷たさが滲み、伶桜の手が触れている部分との温度差を引き立てる。伶桜の手って……温かいんだね。
 改めてだけど、綺麗な顔。睫も長いし、沁み1つない。まるで新雪のように整い、透明感がある肌艶。爽やかイケメンだなぁ……。手足も長いし、ズルい。
 僕が努めて冷静に分析していると――伶桜は顔を真っ赤に染め、バッと飛び退いた。
「す、すまん!」
「壁ドンはいつもだけど、床ドンは初めてだね」
「い、いつも!?」
「うん。僕が部屋で五月蠅くしてると、いつも壁を殴って来るじゃん」
「それは意味が違う壁ドンだろう! な、なんで薫はそんな平然としているんだよ?」
「ん~? 僕まで狼狽えた方が良い?」
「いや……。そういう訳じゃないけど、なんか悔しいだろ」
 顔を逸らし、伶桜は首元をカリカリと掻いている。困ったり照れくさい時に、身体の何処かを掻く伶桜の癖、出てるなぁ~。
「伶桜に勝ったね。いつもは僕ばっかりが悔しい思いをしていたから。……それにね?」
「なんだよ?」
「冷静にいようと心がけて分析してただけで……格好良いなって、ドキドキはしてるんだよ?」
「ぐっ……。だから、その上目遣いは卑怯だぞ!」
「伶桜こそ、潤んだ熱い瞳で押し倒して来るのは、卑怯だと思うなぁ」
「それは、蜂が怖くてだろうが! そもそも、俺の細い身体ぐらい支えて見せろよ!」
「無茶言わないでよ。身長差が15センチメートル以上あるんだよ?」
「それでも、筋肉はそっちのがあるだろ!?」
「ん~……どうだろね? 筋トレは毎日、続けてるけど……」
 それを言われてしまうと、自分の筋力の無さが情けなくて涙目になりそう……。可愛い服装や化粧品でメイクアップするのも良いなって思い始めてはいるけど、まだ自分自信が格好良くなる事への未練も、捨てきれてはいないんだから。
「なんで薫は、そんな平然として居られるんだよ……」
 そんなことを考えていると、伶桜が捨てられた子犬のように儚い瞳、弱々しい声音で尋ねて来た。
「……平然となんて、してないよ?」
「……え?」
 顔を赤くして目を丸くしている伶桜は、なんだかいつもクールで格好良い分、ギャップで可愛くて……。僕は、胸のドキドキがバレないように必死だった。空気の振動とかでバレないかなって。だから何でも無い風を装って、僕は衣装袋へと近づく。
「なんでもな~い! よし、続きしよ! まだ伶桜に着て欲しい服が沢山あるんだ~」
「ぐ……畜生。それなら、こっちも本気だ。ふわふわで、もっこもこの熊耳アニマルパジャマを着せてやる!」
「ちょっ!? それ、家で着る服じゃん!? 母さんにバレるよ!」
「五月蠅い! 俺が満足するだけ見せて、脱げば良い!」
「パジャマである意味は何処に行ったの!? それなら着ぐるみで良いじゃん!」
 その後、僕が滅茶苦茶にされた……もうオシャレとか、関係なくないかなってぐらい、可愛い服を着せられた。
 僕が辱めを受けることで、伶桜はなんとか機嫌を直し、満足気に帰宅してくれた――。

 山吹さんから返事保留で告白された後、学校で僕に接して来る山吹さんの態度は激変した。
「あの……蓮田くん。良かったら、ご飯を一緒に……」
「あ、いや……。僕はいつも1人で、校舎裏で食べてるんだけど」
「そうなんだ? だったら、迷惑じゃなければ私も良い? その……私もお弁当だし」
「あ、うん……」
 好意を伝えてくれた山吹さんから、グイグイと話しかけてくれるようになった。
 学校での僕は、今まで通りナチュラルメイクこそはしているけど、冴えないマスク姿なのに。それが周囲には異常な光景として映るらしい。
 美女と野獣……いや、美女と地味男子って言うのかな? その不釣り合いさに、僕も皆も戸惑っている。
 所詮、僕なんてこんなもんですよ。……周囲の視線が怖くても、断り切る度胸も無い。
 なんだかんだで、山吹さんに抱いている感情の答えだって探さないと行けないと思っている。だから感情を判断するという面では、都合が良い。
 唯、都合が悪い事があるとすれば――。
「――蓮田、来いよ」
「……うん」
 放課後、本郷たちは表情を険しくして僕を校舎裏へと連行する事だ。
 いつものようにレシートを渡されてとか、そんな空気感じゃない。本郷たちの忠告を無視し、山吹さんと接している事に対して明確な怒りを放っているのが分かる。
 これは山吹さんと親しく話し始めた時点で、予測が出来ていた事態だ……。
「――おい、蓮田。俺は調子に乗るなって言ったよな?」
「…………」
「ちょっとお前の動画がバズったからって、調子に乗りすぎだよな? あ?」
「……動画?」
 予測していたけど、どうにもならない事だから……。嵐が過ぎ去るまで謝り続けようと考えていたんだけど。――動画? バズった? 全く知らない言い掛かりに、思わず尋ね返してしまう。
「しらばっくれてんじゃねぇよ。どうせお前も拡散したんだろ? 女装がちょっと可愛いって世間に受けたからってよ」
 そう言って本郷とその取り巻きは、スマホの画面を僕に向けて来た。
 その画面には――女装している僕が映っていた。切り抜き動画だろうか? 動画投稿サイトに載せられ『いいね』評価が、かなり押されているのが分かる。……そう言えば、去年優勝した先輩の動画もバズったとか言ってたっけ?……普段の僕とのビフォーアフターまで載せられている。
「女装を世間の、大勢の目に晒してさ、恥ずかしくねぇの?」
 恥ずかしい……か。最初は確かに、スカートを履くだけでかなり恥ずかしかった。でも……今では、冴えない男の服装で居る時の方が、自信も無いし恥ずかしいと感じるようになっている。
 こんな僕は……異常だろうか?
「――その辺にしとけよ、本郷」
「……伶桜」
 ああ、まただ。僕がピンチの時は――格好良いヒーローのように、伶桜が助けに来てくれる。本当は、僕もあっちの立ち位置の方が理想的だったのになぁ。
 可愛い格好をするのは良い。でも、僕もいつか――伶桜のように格好良い行動をしたい。この気持ちは見知らぬ幼馴染みと出会い、僕の女装適正を知って尚、変わらずに残っている。
「……花崎。またテメェかよ」
 本郷は忌々しげな口調で、吐き捨てるように伶桜へ悪態をつく。
「何かに頑張ってるやつを笑うのは止めろ」
「はっ……。花崎は男装だったな。女らしくなれないからって、男に逆転した格好をしてさ、楽しいかよ?」
「女装だろう男装だろうと関係ない。――本気で取り組んでいるなら、胸を張るべきだ」
 堂々と揺るぎない瞳で言い切る伶桜に気圧され、本郷は押し黙った。
「本郷。お前は何か真剣に打ち込んで、頑張ってるもんがあるのか?」
「……頑張ってるもんだと?」
「薫はな、こう見えて真剣なんだよ。――格好良い男に憧れてたのに、ミスコンで優勝する為に誰よりも可愛くなった。可愛くなる為の努力もした」
「そんなもん、元から女みたいにナヨナヨした身体の、軟弱野郎だって話だろ。才能の問題だ。努力は関係ねぇ。……所詮は、俺が1番嫌いな才能の有無だろうが」
「元の素材が一級品だってのは確かにあるよ。――でも本郷、お前は全校生徒や来客を前にして、同じ様にステージへ上がれるか? 気になる相手に、観衆の前で気持ちを伝えられるか?」
 ぐっと、本郷は視線を逸らした。
 あの日、文化祭の日。本郷も会場に居たはずだ。つまり、あの地獄のような空気も知っている訳で……。僕と同じような思いを出来るかと言われれば、答えはノーだろう。
 僕だって、あんな地獄は二度と味わいたくないんだし。……あの日は伶桜のサポートのお陰でやりきれたけどさ。
「出来ないだろ?……結果だけ見れば、最悪だった。悲惨だったよ。報われない想いはある。……だけどな、報われようと一心不乱に頑張るのは、信念のある格好良い人間だ。その結果が、山吹からの今の態度を勝ち得たんだよ。……そんな立派な人間を笑うお前らは――最悪で醜悪な、腹立たしい存在だ」
 底冷えするような冷たい瞳に晒され、本郷たちは罰が悪そうに俯いている。返す言葉も無いとは、この事なんだろう。
 多分だけど……。本郷たちとしても言われたく無い、痛い所を突かれたんだと思う。迫害は自分の満たされ無さを、自分より弱い者にぶつけてストレスを発散させる行為だから。
 以前、本郷たちもそんなニュアンスの言葉を言っていたし……。
「お前らに比べたら、頑張って飛び回る蜂の方が百倍は魅力的だ」
 毒蜂の針より、キツい言葉を突き刺すなぁ。怖ぁ……。
 僕の事を毒が塗られたナイフみたいな突っ込みをするって言ってたけど、間違いなく伶桜のがエグいよね。
 僕でも良心が痛む事を平然と口にしているって、本人は気が付いて無いのかな? 蜂以下の扱いって、普通のメンタルをしてる人なら涙目になるよ?
「……薫、行くぞ」
 伶桜は校舎へ連れ戻そうと僕の手を引いてくれる。
 格好良いなぁ、本当に……。
 中学から関わりが遠ざかっていた腐れ縁の幼馴染みは、知らぬ間に僕が憧れる格好良い人間になっていた。そこにかつての彼女はいない。
 身長だけでなく、人間的にも成長した――見知らぬ幼馴染みになっている。
 僕はいつも伶桜に魅了され、闇のように暗い人生に彩りをもらっている。こんな一方的な関係で、僕は満足か?――いや、満足が出来る訳がない。
 いつか必ず、伶桜に恩返しが出来る男になってみせる――。

 休日。
 今日は伶桜と一緒に買い物へ行く日だ。ファミレスのバイト代も入ったし、伶桜にどんな服を着せようかと考えながら最寄り駅のトイレで着替え、スマホを弄っていると――登録したまま放置していたSNSに通知が来た。
「ダイレクトメール? 誰から……ヒッ」
 誰とも知れぬアカウントからのメッセージを開くと――男性らしき人が僕に愛を囁くメッセージがビッシリ書き込まれている。……いや、愛なんて呼ぶのも烏滸がましい。一方的な気持ちの押しつけ。しかも、学校も本名も特定した。会いたい、会いに行くなど、かなり危険で怖い事まで書いてある内容だ。
 画像まで送られて来ていて――そこには、送信者の男らしき卑猥な動画まで貼り付けてある。
 恐怖で身の毛もよだつ……鳥肌が止まらない。まだ日中は暑さも残っている季節なのに、寒気と震えが止まらない。
「ど、どうすれば……。でも、特定したとか言ってるし……」
 一先ず、着替えを終えてトイレを出ると――。
「――伶桜? どうした、顔色が悪いぞ?」
 話すか迷った。僕はいつも、伶桜に頼ってばかりだから。
「……実は変なダイレクトメールが届いてね。これ、通報すれば良いのかな?」
 だから平静を装い、何気ない会話のように聞いてみたけど――そのダイレクトメッセージを見た伶桜は、見たことも無いぐらいに剣呑な表情を浮かべた。まるで厳格な父親を絵に描いたような叔父さんを彷彿とさせる表情だ。
「……直ぐにこれ、スクショ撮るぞ。相手のアカウントもだ」
「え、う、うん……」
 伶桜の言われた通りに、スクショを撮っていく。
「よし、着替えた所悪いが、今日は中止だ。――警察行くぞ?」
「け、警察!?」
「ああ。……こうなったのは、俺が伶桜に女装させたからだ。父さんには連絡しておく」
「え、そんな! 大事にしなくても……」
「それで薫に何かあったら、俺が俺を許せないんだよ!」
 周囲の視線なんてお構いなしに、伶桜は駅のホームで叫んだ。
 確かに、女装は伶桜に言われて始めた事ではあるけど……。僕だって乗り気になっていたんだ。そんなに、1人で気負わなくても良いのに。
「これは文化祭の動画がバズった影響だろうな。……クソが」
 猛り狂う伶桜に言われるがまま、僕たちはトイレで着替え直し――再びトイレから出て来た時には、もう警察が来ていた。
 伶桜のお父さんは兎に角、行動が早い。警察の制服に身を包む叔父さんは、ゆっくりと僕に近づい来る。
「薫くん。怖い思いをしたようだな」
「お、叔父さん……。いえ、そんな大した事では……」
「……薫くん、今のまま放置すると、今後危険な目に遭う可能性もある。これから署に来て、詳しく話を聞かせてもらえるか? 悪いようにはしない」
 署に行って、話を? どこまで話して良いのか分からないけど……。文化祭の動画は、もう出回っている。これは隠しきれない。唯――伶桜に迷惑を掛けたくは無い。
 あくまで自分の意思で女装し、コンテストへ出場した。
 その説明で押し切ろう。
「伶桜。僕は叔父さんと行って来るから。この僕の荷物、持って帰っておいてくれる?」
「薫……」
 伶桜は僕の意図を察してくれたんだろう。震える手で、荷物を受け取った。
「今回の件に、伶桜は関係していないのか?」
 実の娘だろうと、その目付きは鷹のように鋭い。伶桜はビクッと震え、固まってしまった。
 だから、僕が代わりに――。
「――伶桜は関係ありません。……この動画を見てください。僕がミスコンの賞品を目的に出場した、文化祭での映像です。僕が女装した動画が出回って……こんな倒錯した行為をする人が出てしまったんだと思います」
 叔父さんに僕が出場した文化祭のステージ映像を見せる。
 その動画には僕が女装している姿、そして山吹さんを誘う言葉まで、しっかりと掲載されている。
 叔父さんは眉を潜めながらそれを確認して、嘘は無いと判断したのか――。
「分かった。続きは署で聞かせてもらおう。直ぐに対処する。もう安心して良い。……伶桜は家で勉強でもして、待っていなさい」
「……はい。薫を、よろしくお願いします」
 実の親娘とは思えないぐらい、伶桜は硬く緊張している。どこか余所余所しさを感じるぐらい、畏怖しているのが分かる。
 そうして僕は、叔父さんと一緒に警察署へと行き――伶桜が関与していることがバレないように事情を説明した。
 女装をしてコンテストへと出場した理由。その後の動画のバズり。そうして犯人らしき人から連絡が脅迫のダイレクトメールが来た事。
 伶桜が関与していると説明しなくても、筋としては一切間違っていない。誰かに女装しろと言われたか、などと質問もされていないから、嘘も吐いてない。唯、余計な事を話さなかっただけだ。
 自分の行った行動の1つ1つが、文章として記録を取られていくのは……少し恥ずかしい。
 警察も僕が単独でした事であると勝手に思い込み――そして、身内びいきなのか、叔父さんの行動が早いのか。
 犯人は即座に特定された。
 どうやら近隣の高校に通う男子生徒だったらしい。
 直ぐに彼の在籍する学校の校長と親から僕の母親にコンタクトがあり、後日に学校で謝罪を受けた。
「男の子同士でもこんな事があるのねぇ。……時代は進んでるわぁ」
 僕の母さんは一連の事件を聞いても、大きな動揺を見せない。――唯、女装に関しては「薫が最近、楽しそうにしてたのはコレが原因なのね。……ちょっと整理させて」と、深刻に考え込む表情をしていた。
 いつか伶桜にも聞いたけど――僕たちは、そんなに悪い事をしているんだろうか?
 
 事件のほとぼりが冷めてから、改めて伶桜と外出する事になった。
「薫、この間は悪かったな」
「良いよ。メッセージでも言ったけど、1回ぐらいこうやって強い対応をしましたって表明しておいた方が、再犯も防げるでしょ? 起きるのが早かったか遅かったかの違いだよ」
「……うちの父さんに、俺の事を話さなかったんだろ?」
「うん。だって話したら……もっと拗れるでしょ?」
「そうだけど……。あの父さんの聴取で嘘を吐くなんて、相当に度胸が居るだろ?」
「度胸? 要らないよ。嘘なんて吐いてないしね。聞かれなかった事は、答えなかっただけだよ?」
「……その根性が強いって言ってるんだよ。俺なら……父さんが怖くて、全て喋ると思うから」
 苦笑する伶桜に、僕も苦笑で返す。
 伶桜は幼い頃から、叔父さんに恐怖を植え付けられているからなぁ……。僕とはかなり、叔父さんに対する考え方が違うのかもしれない。
 唯、今日は服の買い出しで外出した訳ではない。
 流石に今また服が増えると、母さんの監視や叔父さんの訝しむ目もある。
 伶桜のクローゼットの中を開けられれば、僕が文化祭で着ていた服も出て来るし……伶桜が共犯扱いされてしまう。
 だから今日は、伶桜がお勧めするラーメンを食べに来ていた。
 都心にある名店という事で、僕も楽しみだ。ラーメンを豪快に啜る姿、格好良いよね。
「薫。……女装、もう止めるか?」
 駅から降りてラーメン屋へと向かう途中、伶桜が神妙な面持ちで切り出して来た。
「止めないよ」
 こんな事を提案されるのは予測済み。外見や格好良さは見知らぬ人みたいになってても、伶桜は幼馴染みだからね。……弱い所とか、考え方の癖は結局変わらない。伶桜は変に責任感が強いから、もう僕を巻き込みたくないと思って、こう言う事ぐらい分かってた。
 だから、僕は微笑みながら――。
「――絶対に止めない。半端で終わりたくないし……伶桜が本郷に怒ってくれて気がついたんだ」
「……何に?」
「僕にとって息がしやすい生き方は――これなんだって」
 僕は女装している服装を、伶桜に見せつけるようにポーズを取る。
「薫……」
「ずっとね、僕は自分に自信が持てなくて……正直、もう死にたいとまで思ってたんだよ? そうならないよう、自分に自信をつけさせてくれたのが、女装なんだ。――女装をして自信を持てたから……僕はまた、笑えたんだよ?……今はもうメイクして女装をしないと、自信を持って人前に出られないんだ。……冴えないって思われてるんじゃないかって、疑心暗鬼に陥る。……気分が落ち込むんだ」
「…………」
「だから、伶桜も胸張ってよ。薄い板のような胸をさ。そうしないと、折角の格好良い服が台無し」
「……だから、この膨らみは板じゃねぇっての。ぶん殴るぞ?」
「そうそう。伶桜はそうじゃないとね?――それに僕の理想とする格好良い男の服装、まだまだ見足りないし?」
 煽るように伶桜へそう言うと、伶桜もやっと硬い表情を崩して笑みを浮かべた。……うん、クールも良いけど、常にじゃあ飽きる。柔らかい表情も魅せてくれた方が爽やかで、格好良いよ。
「俺だって、まだまだ可愛い姿が見足りないからな。……短いスカートも履かせてやる」
「ええ~……。それはちょっと……」
 短いスカートはスースーするし……。下着が見えた時のリスクとか考えると、ちょっとなぁ……。
「良いだろ?……今日のラーメンは、俺が奢ってやるからさ」
 スッと鞄から財布を取り出し、頬を綻ばせた伶桜が言う。その鞄の内側には、僕がプレゼントしたコツメカワウソのキーホルダーが付いていて、少し嬉しくなる。
 ふっと、伶桜の死角から――。
「おっ! 良いねぇ。お兄さん、俺たちにも奢ってよ」
「俺ら金欠でさぁ。助けると思って!」
 5人組の男が近づき、財布を持つ伶桜を囲んだ。
「れ、伶桜!?」
「はいはい、彼女さんはこっちね。近づいちゃダメだよ?」
「ど、退いて!」
 1人が僕の方へ来て、通さないように道を塞いでいる。
 その間にも伶桜は4人に壁際に追い詰められ――姿が見えなくなった。街中で無防備に財布を掲げた伶桜も不用心だけど――この辺、そんなに治安が悪いんだ。
 街の人たちも慣れているのか「ヤバくない?」と笑いながらも、スマホのカメラを向けているだけで、誰も通報しようとしない。……なんで? 誰かが困ってたら、助けてあげるべきだろうに!
「伶桜!」
「薫、来るな!」
 僕が伶桜の名前を叫ぶと、伶桜が来るなと震えた声を上げ――。
「――うるせぇな。デカイ声出してんじゃねぇよ!」
「いっ……!」
 鈍い衝突音が響いた。男達の大きな身体で隠れて見えなかったけど――伶桜が殴られた!? そんなの、黙って見ていられるはず無いじゃないか!
「あっ、てんめぇ! 逃げんじゃねぇよ!」
「邪魔!――伶桜、伶桜!」
 僕を通すまいとしていた男に服を掴まれ――破かれても、僕は伶桜の元へと向かう。
 男達の隙間から、壁を背に地面へ座りこんでいる伶桜が見えた! 頬を抑えて……震えている!? やっぱり殴られたのか!
「――ゴメン。駆けつけるのが遅れて、本当にゴメンね……伶桜。殴られた頬、痛むよね?」
「薫……逃げろよ」
 赤く腫れている頬を僕に触られた瞬間、伶桜は顔を激痛に顰めている。
「嫌だよ! 伶桜を置いて逃げられない!」
 怖い、本当は……ガタガタと震える程に怖い。
 手を広げて男たちに立ち塞がるけど……。体格が違い過ぎる。でも――僕は逃げたくない。ずっと伶桜に助けてもらって来た。文化祭のステージの上でも、本郷たちにイジメられている時も! いつも助けてくれる伶桜を置いてなんて……絶対に逃げられない。逃げたくない!
「彼女さん、震えてるねぇ~……。気弱なのに、彼氏の為に立ち向かうんだ。格好良いね?」
「ぼ、僕はどんなに脅されても屈しません! 暴力に訴えません! 殴るなら、僕を好きなだけ殴ってください!」
「僕って……強がってんのか? 女の子に殴って良いとか言われても、ぶっちゃけ萎えるんだよなぁ~」
「金だけ置いて行ってくれれば、俺たちはそれで良いんだけど? 勝手に拾うし?」
「言ったはずです! 僕は脅しには屈しないと!」
 僕が断固として譲らない姿勢を見せると、男は舌打ちしながら――。
「チッ……。おい、お前はこっち来いよ!」
 標的を伶桜に変え、伶桜の服を掴んで引き摺ろうとする。
「伶桜に触るな!」
 多分、この男たちは僕が女で――伶桜が男だと勘違いしている。
 僕に手を出して来ない事から、女性には暴力を振るわないという信条があるのかもしれない。
 唯、しつこく立ちはだかり続けると、いい加減にイライラして来たのか――。
「――退けよ!」
「あっ!」
 僕の服を掴み、投げるように退かす。
 それでも――。
「伶桜の所には、行かせない!」
 しがみついて、動きを阻む。男が振り解こうと暴れている時――。
「そこで何をしている!?」
「チッ、もう警察が来たか! クソが、行くぞ!」
 3人の警察官が走ってきて、男たちを追いかけて行く。
 ふらふらと立ち上がった伶桜を、僕が肩を回して支えると――。
「――薫、あいつらとは反対方向に逃げるぞ」
 顔を痛みに歪めながらも、僕の耳元で囁いた。
「え? なんで、僕らは悪い事なんて――」
「――俺の父さんに、この事がバレたら……。薫、今の状況を説明出来るのか?」
 腫れた伶桜の頬。服装は――僕が女装。伶桜が男装。成る程……。
「よし、全力ダッシュで逃げて、病院に行くよ!」
「あっ! おい、速いぞ!」
 肩を回していた手で、大きな伶桜を引き摺るように駆け出す。伶桜は顔が痛むのか、まだ恐怖が抜けていないのか、本調子じゃないようだ。……これじゃあ、気が付いた警察に捕まるかもしれない。
「伶桜、バスケ部の癖に僕より遅いの?」
「あ? 舐めんじゃねぇぞ! もやしっ子が!」
 僕が煽ると、10倍で煽り返して来た。……そこまでキツい事、言わなくてもいいじゃん。気にしてることをさ~! 負けん気の強い伶桜なら、煽れば力を発揮発揮出来ると思ったけど……思った以上の反応だよ。
「言ったな!? くっそぉ~、速い! これが靴の差……」
「はっ! 今日はスニーカーが合うカジュアルスタイルだ! 靴の差はない、実力の差だ!」
 僕の言い訳、逃げ道を塞ぎやがったなぁ~……。クソ、運動部と帰宅部の差って事にしておいてあげよう。――現実は兎も角、FPSでなら絶対に負けないし!
 それから約十分ぐらい走った。
 色々な建物の中を突っ切り、もう場所はかなり離れた所にまで来ている。
「はぁ、はぁ……。ここまで来れば、もう大丈夫だろう」
「うん……。伶桜、僕ね……」
「うん?」
「――ゲロ、吐きそう。……運動不足。もうラーメンとか、今日は無理だぁ……」
「お、おい! 俺の足下で嘔吐くな!」
 伶桜の足下にへたり込んでしまう。もう無理……。インドア人間に、この運動量はキツいって。肺が、喉が痛い……。
 ノミ以下、ミジンコのような体力の自分に、嫌気が差すよ。
「ははっ……。ゴメンね、情けなくて。不甲斐ない男でさぁ」
「……薫は情けなくなんかねぇ。格好良かったよ。本当の意味でさ」
 伶桜は僕の頭に手をポンと置き、優しく撫でてくれる。背中を撫でられたら吐いていたかもだから、頭で助かる。伶桜の手は柔らかくて、凄く癒やされるし……。
「唯の背伸びした格好付けだよ? こんなに足がブルブルに震えて、息も絶え絶えで、格好悪い……。筋トレ続けて来たのに、伶桜を守れる程の強さも……。格好良い肉体も手に入らなかった」
「そんな事はない。今の薫は……勇気を振り絞って暴力に立ち向かった薫は、誰がなんと言おうと格好良い」
 微笑みながら伶桜は屈み、僕の目線と自分の視線を合わせてくれる。視線が交錯した時――伶桜の潤む瞳、安堵する吐息に……何故か僕の胸が高鳴り始めた。
「背伸びした格好付けでも良いじゃないか。上辺だけの格好良さなんかじゃない。本当の意味で格好良いのは、格好付けて実行する在り方だ。……臭いセリフだけど、俺はそう思う」
 確かに、臭いセリフだ。でも僕は――救われた気分になる。
「筋肉を成長させるのが筋トレだろ? それを毎日、薫は欠かさなかったんだよな?」
「……そうだよ。結局、筋肉も付かない無駄な努力だったけどね」
 悔しさを紛らわすように汗を飛び散らせながらトレーニングしていた時間を思い出すなぁ。最近では美容に割く時間が増えてるけど……それでも完全に休んだ事はない。
「なんで筋肉を切り離して考えるんだ? 筋肉も、薫の一部だろ?」
「……そりゃあ、僕の身体に付いてる物だからね」
「俺は毎日の筋トレには、意味があったと思うぜ?」
「この貧相な身体を見て、よくそんな嫌味が言えるね」
 自分の細い腕を触り、伶桜を見る目に力が入ってしまう。
「嫌味じゃない。睨むなって。……ちゃんと成長してるだろ、ここがさ」
 トンッと、伶桜は僕の胸に拳を突き当てて来た。
「……胸板も成長してないよ。レオの胸板のほうが分厚い」
「マジで張り倒すぞ?……心だよ。悔しいと嘆きながらも、自分を変えようと日々鍛え続けた。筋肉は成長していなくても、心が強く成長してる」
「……心」
「ああ。その下地が無ければ、イカつい男たちの前には立てなかったはずだ」
 どうだろう……。筋トレをして自分の筋力に自信があるから立ちはだかった訳じゃないとおもうけど……。でも、弱い自分を変えたいと諦めきれない心とは……繋がっているのかも。
「バスケでもそうだけど、筋肉なんてのは関節を動かす為の物だ。肉体を動かすのは、筋肉だけじゃない。精神――もっと分かりやすく言えば、心や気持ちだ。違うか?」
「そう……なのかも」
 確かに、ハリウッド映画に出て来る屈強で格好良い男でも……結局は、勇敢な行動をしているから格好良く見える。肉体がどれだけ筋骨隆々としていても、小心な臆病者は……その力を発揮出来ずに格好悪く消える。
 鍛えた身体を動かすのは、結局の所……心か。
 凄く説得力があると思う。
「自信を持て。絶対に、無駄な努力じゃなかったよ。俺を助けてくれて、ありがとうな」
「伶桜……。ありがとう。僕の努力を無駄だって笑わないで、認めてくれて……本当に、ありがとう」
「何を泣きそうな顔してんだよ。……可愛いなぁ、畜生」
「わぷっ」
 伶桜はギュッと僕の頭を、その胸に抱き寄せた。ワシワシと僕の髪を掻く手から、冷静な普段とは違う、興奮にも似た感情が伝わって来る。
「芯が通ってるって言うかさ……。本来、何かを守る為には、代わりに何かを犠牲にするって事だろ? 自分を犠牲にしてでも俺を守るって芯は、格好良いよ」
 格好良くなりたいと謳って、僕は筋トレしかしてこなかった。それで理想の身体とほど遠い成だったからって……僕は中身まで腐っていると決めつけてしまっていたのか。――格好良さには、度胸だったり意思力もあったのに。外見だけに囚われ、僕は真髄を見誤っていたんだな。
 今の僕は格好良い。
 それなら――。
「――伶桜は可愛いね。照れちゃって、多弁になってる中身がさ」
「なっ!? ふ、ふざけたことを抜かすな! 薫の外見は、可愛さの権化の癖に! 嫌味だ!」
「そ、その外見は僕のせいじゃなくない!? 伶桜がメイクアップして育てた成果じゃん!」
「あ~、うるせぇうるせぇ! そう言う細かい事に拘る所は、格好良くねぇな!」 
 伶桜は僕に肩を回し――立たせてくれる。
 僕も自分の足で歩かないと……。グッと、足に力を込める。
「取り敢えず……今日はもう、病院に寄って帰ろっか?」
「……ああ、そうだな。ラーメンは、また今度だ」
「うん。楽しみにしてるよ? 奢りのラーメン」
 伶桜の返答は、朗らかな笑みだった。
 結局、何をしに外出したのかは分からなくなったけど……僕は伶桜を意識してしまうようになった。胸の鼓動は、収まる事を知らない。これは、唯の幼馴染みとしての意識じゃない。――多分、異性として意識しているんだ。
 切っ掛けは、危ない橋を何度も一緒に渡った事だったんだろうと思う。
 普段は格好良くて、でも偶に見せる伶桜の可愛さに、僕の心は奪われてしまった。
 僕の努力をちゃんと見て、評価してくれて……。そんなの、意識するなって方が無理だよ。
 16年間、何にも意識していなかった……兄妹同然の幼馴染みだったはずなのに。
 今はもう――僕の見知らぬ存在。
 恋をする相手だ――。

 その夜、僕がベランダで考えを纏めていると――カララッと隣の戸が開く音がした。もう足音で分かる。
「伶桜? ケガは大丈夫なの?」
「ああ。……両親に死ぬほど心配されたけど、転んだって言い張ったよ」
「そっか。……逃げる時に転んでたし、嘘ではないね」
「そうだな。……そう、だな」
 何か憂いがあるのか、伶桜の声音が暗い。
「伶桜? 何かあった?」
「いや……。まぁ、その……」
「妙に歯切れが悪いね? 伶桜らしくない」
 言うか言わないか迷っているなんて、サバサバとしている伶桜らしくもない。
「あぁ~畜生……。あんさ……。俺は1つ、薫に嘘を吐いてた」
「え、伶桜が僕に?」
「あぁ。……正確には、あの時は嘘じゃなかったけど、嘘に変わったって言うか……」
「うん? どういうこと?」
「前に俺は、美園に嫉妬してないって言ったな?……あれは、嘘になった」
 山吹さんに嫉妬?……ああ、僕が冗談交じりに言ったヤツか。山吹さんが僕に告白してくれたのを伶桜に報告した時、伶桜が怒った理由として僕が挙げたものだ。……え、それが嘘になった? まさか……。
「……俺、今から変な事を言うぞ? 聞きたくないなら、直ぐに止めろよな?」
「……うん」
「実はさ……。今日、絡まれて殴られた時……本当に怖かったんだよ。見た目は男みたいに格好良くなれても、筋力は女のままだ。男に力尽くで挑まれたら、喧嘩じゃあ勝てない」
 それは、そうだ。いくらイケメンの伶桜とは言えど、肉体の成長は男女でどうしても違う。男の方がより筋肉質に育つのは、もう仕方がない。
「拳で顔面を殴られた時、父さんを思い出して……震えた。怖くて動けなくて……昔、道場でしごかれた時を思い出した」
「…………」
「そんな俺のピンチを……薫が助けてくれた」
 幼い頃の伶桜は叔父さんと休日に道場へ行く度、泣きそうな顔をしていたっけ。……その分、筋肉量が男子に負けるまでは、誰にも喧嘩で負けないぐらいに強かったけど。
 あの時――僕は伶桜を、助けられたのだろうか? 唯、代わりに僕をサンドバックにしろ的な話しかしてなかった気がする。好きな子が殴られるのは絶対に嫌だから……。必死過ぎて、あんまり覚えていない。
「卑怯だろ……。自分じゃあ絶対に勝てない相手だって分かってるのによ……。自分の身を挺して俺を庇ってくれてさ……。そんなん――好きになるに決まってるだろ。卑怯、なんだよ……」
「伶桜……」
「そんな可愛いのに中身は格好良いとかさ、もう……俺が惚れるのは――仕方ないんだよ」
 伶桜が――僕に、惚れたと言ってくれるなんて……。
「16年間、何も思っていなかったのに、今更って感じるかも知れないけどさ……。俺、薫が好きだ」
 そうだよね……。今更だ。
「だ、だから、その……。責任取って――俺と付き合ってくれ! 美園じゃなく、俺を選んでくれないか!? い、嫌なら……仕方がない。このまま黙って、部屋に戻ってくれ」
 不思議だよね……。16年間、お互いになんとも思っていなかった関係なのにさ。久しぶりに話して、男女が逆転した関係性、服装を互いにし始めて……。そうやって、お互いにやりたい事を満たしていたら――同じ日に、お互いを好きになるなんてさ。
「も、戻らないのかよ?」
 狼狽えるような伶桜の声に、僕はハッとする。ダメだなぁ……。自分の世界に入り込んでしまっていたよ。
「戻らないよ。……だって僕も――伶桜の事を好きになっちゃったから」
「……は?」
「マジ、だよ?」
「い、何時からだ?」
「分からないけど……自覚したのは今日。でも……多分だけど、一緒にテーマパークへ行った時には、もう好きだったんだと思う。山吹さんとのデートが退屈だったんじゃなくて、伶桜とのデートが特別楽しすぎたんだ。僕はそう思うから」
「そ、そうか……」
「あ、伶桜。今、照れてるでしょ?」
 ベランダの蹴破り戸越しに、頬を染めているであろう幼馴染み――彼女を思うと、思わず頬が緩む。
「わ、悪いかよ!?」
「ううん、悪くないよ。僕も同じだし?」
「そ、そうかよ。……つまり、今日から俺たちは……彼氏彼女って事か?」
「うん。僕が彼氏で、伶桜が彼女? それとも男装している伶桜が彼氏で、女装している僕が彼女なのかな?」
「ど、どっちでも良いよ! つ、付き合ってるんなら……それで良いだろ」
「そうだね。一緒に居られるなら、どっちでも良いや」
「あ~……。もう! 今日は寝る! またな!」
 頭か何処かを掻く音が聞こえると、続いて隣から戸の締まる音が響いて来た。
 恥ずかしさで逃げたなぁ。
 でも……改めて、伶桜と僕が彼氏と彼女かぁ。数ヶ月前なら絶対に信じられない事実だ。
 ああ、今すっごい幸せだ――。

 翌日。
「……お、おはよう、伶桜」
「……おう」
 僕が家を出ると、伶桜が待っていてくれた。どうやら一緒に登校しようと待っていてくれたらしい。目線を合わせないのは、照れ臭いからかな?……僕も照れ臭いけど、これもいずれ慣れるのかもしれない。
 手とか繋ぐのかなぁ、なんてドキドキと考えている間に、学校へ着いてしまった。
 楽しい時間はあっという間って言うけど、本当だよなぁ。
 伶桜は僕が教室へ入るギリギリまで見送るつもりなのか、教室の前までついてきて――。
「――蓮田くん! ケガはない!?」
「や、山吹さん? ど、どうしたの、そんな慌てて……」
 教室に入るなり、山吹さんが僕の身体を触って無事を確かめて来る。教室の外から注がれている伶桜の視線が――怖い。って言うか、凍りつくように冷たい眼光が……。
「動画を見たの! 昨日、男5人に絡まれて喧嘩してたでしょ!?」
「え!? そんな動画が出回ってるの!?」
「うん。可愛い娘が大男に立ち向かう動画だって、バズってて……。ほら」
 山吹さんが差し出して来たスマホを見ると、間違いなく僕が映っていた。
 奥では壁に背を預けて崩れている伶桜がいるが、俯いていて顔は見えていない。とは言え、見る人が見ればわかるだろうけど……。
「うわぁ……。情報社会、怖いなぁ」
「……その様子だと、ケガとかは大丈夫なんだね?」
「う、うん。僕は殴られなかったから」
「良かったぁ……」
 ギュッと、安堵の笑みを浮かべた山吹さんが僕の手を握った時――。
「――ストップだ」
 ガッと、伶桜が山吹さんの手を掴み止めた。こ、怖ぁ……。
「……花崎さん。なんで止めるのかな? 私は蓮田くんを心配しているだけなんだけど?」
 山吹さんも引かない。ニコニコと笑みを浮かべながらも、伶桜の視線と火花を散らしている。あ、これ……。僕から説明しないとか。山吹さんに想いを告げられて、正式な返事はまだ返してなかったからな……。
「あの、矢吹さん。実は僕――」
 スッと、僕の言葉を手で制した伶桜は――。
「――悪いけど、薫は俺の恋人になったから。接触はNGだ」
「……ぇ」
 僕を抱き寄せながら、山吹さんへ攻撃的に言い放った。あの……なんか、やっぱり立場が逆と言うか……。こうやって抱き寄せながら「触るな」的に言うのってさ、僕の役目じゃないの? 一般的にさ。
「蓮田くん、それ……本当なの?」
「う、うん。昨日から……連絡が遅くなって、ゴメンね」
 浮かれていた。本当なら直ぐ連絡するべきだったのに……。
「そっか……。それは、仕方ないね……。蓮田くんを傷つけてばっかりの私と、いつも守っていた花崎さんじゃあ、負けちゃうよね……」
「……ごめん。僕は伶桜の事が恋愛的に好きで……。多分ね、僕が山吹さんに抱いていのは恋愛感情じゃなくて、友愛とかだったんだと思う」
「……そっか、そうなんだね。……うん、諦める。気にしなくて良いよ……。私は蓮田くんを困らせたくない。蓮田くんの為にも、私は諦め――」
「――諦めんじゃねぇよ」
「ぇ……。花崎、さん?」
 諦めると言おうとした山吹さんに伶桜が詰め寄り、諦めるなと励ましている。……なんで? 普通なら諦めて、もう近づくなとか言う場面なのに。
「美園。……本当にその程度で諦められるような、軽い気持ちなのか?」
 キッと睨みながら、伶桜が山吹さんを煽る。山吹さんもニコニコとしていた表情を、真剣な面持ちに変えた。山吹さん、そんな顔――するんだね。初めて見る表情だ。
「バカにしないで。私にとっては……初恋だった。軽い気持ちなんかじゃない!」
「だったら何時でもかかってこい。薫が俺に飽きたり、もう好きじゃないってなったら、何時でも奪い取ってみせろ。その分、俺は奪われないように全力で薫を愛すから」
 僕の手を握っていた山吹さんの手を取り、伶桜は鋭い眼光でそう告げる。
「花崎さん……。良いの?」
「ああ。その方がさ、張り合いがあるだろ?」
 待って、何このイケメン……。僕がキュンキュンしちゃってヤバいんだけど。クラスからも黄色い歓声が響いているし。案の定、動画の撮影もされている。その動画、後で欲しいぐらい男前というか……。もう兎に角、格好良い。
「……どうしよう……これ、浮気になるのかな? 待って、そもそも彼氏枠? 彼女枠? あぁ~、どうしよう!」
 伶桜に手を握られながら頬を染め俯く山吹さんの顔は――完全に恋する乙女の表情だった。
 その様子を見て、伶桜は首元を掻きながら僕に目線を向けて来る。僕は苦笑で返すしかない。
 また伶桜のファンが1人、増えちゃったねという意味を込めて――。

 その日の夜。僕たちはまた蹴破り戸越しにベランダで会話をしていた。
「――美園にあれだけ想われてさ、ぶっちゃけ心が揺れたんじゃないか?」
「揺れないよ」
「そうなのか? 美園は可愛くて、胸もデカイのに……。もしかして薫は、貧乳好きなのか?」
「え? 僕は胸が小さい方が好きって訳じゃないよ?」
「じゃあ、やっぱり……美園みたいに贅肉が詰まった胸が好きなんかよ。……そうだよな。俺みたいに胸も薄い女の身体は、嫌いだよな」
 ふて腐れたように呟く伶桜が――クールなのに可愛い。声音は格好良いのに、口から出る言葉が一々可愛いから……これもギャップって呼ぶのかな? 凄く魅力的に感じるんだけど。
「いや、僕は伶桜の心も身体も好きだけど?」
「……は? 矛盾してんだろ。俺の胸が小さいのは事実なんだしさ」
「板チョコならぬ、板胸……」
「あ? ここから突き落としてやろうか?」
 ボソっと呟いた僕の声に、伶桜のドスが利いた声が返って来る。……ゾクッとした。怖ぁ~。
「ごめんなさい。……でもね、矛盾してないよ? 僕は胸が小さいのが好きな訳じゃなくて、胸が小さいのを気にしてる姿が尊いなって思うんだ」
「……もぎ取るか」
「何を!?」
「さぁな。薫も無い方が良いだろ? その方が可愛いしな」
「良くないよ!? 怖い事を言わないで!? ごめん、僕の言い方が悪かったね!……その、僕は完璧な人より、少し欠点があっても補おうと頑張る人が好きなんだよ!」
 そう。僕は完全無欠の人より、自分に何か劣る部分があると知っている人が、それを補おうと何かをしたり、気にしたりする姿が素晴らしいと思うんだ。ずっと格好良いだけじゃなく、凹んで努力する姿に魅力を感じるようにさ。
「……欠点とか、言うなよ」
「優しい嘘で誤魔化す僕の方が、伶桜は良いの?」
「……意地が悪いな。好きって言ってくれて嬉しいから、今回だけ許してやる」
 甘えた猫のような声が、僕の心をキュキュッと締め付ける。
 伶桜がこんなに可愛いなんて……。16年来の幼馴染みなのに、全く知らなかったな――。
 
 翌日の放課後。
 僕はまた本郷たちに校舎裏へと呼び出されていた。
 昨日の朝、山吹さんや伶桜と話していた様子もバッチリ見られていたし……。伶桜と付き合い始めた事も、伝わっているはずだ。態々、伶桜や山吹さんが部活中のタイミングを指定して呼びだして来た。
「――蓮田、このレシートなんだけどさ」
 ああ、このパターンか……。いつも通りだな。また僕を財布扱いして憂さ晴らしか……。伶桜にキツく言われても、本郷たちには響かなかったようだ。
「今日は、いつもとは違ぇよ。……取引だ」
「と、取引?」
「ああ。この金を払ってくれたら、重要な事を教えてやる」
 重要な事って、なんだろう?……恫喝にならない、合法的なお金の取り方を思いついたのかなと、穿った考えをしてしまう。
 レシートを見れば、金額は2千円程度。……これぐらいなら、重要な情報が本当にもらえるなら払っても良い。そうでないとしても……もう暴力は嫌だ。街で絡まれてから、余計にそう思うようになった。
 お金を出して解決出来るなら……それで良い。社会がある限り、迫害が消えないのは分かっている。向こうが自分に嫌気が差すか飽きるまで、イジメられ続けるしかない。……ここで僕が断れば、僕の次にイジメ易そうな誰かに標的が移るだけだ。
 だったら――。
「……はい」
 さようなら、僕の2時間分のバイト代。メイク用品も無くなりそうだし、新しいのが欲しかったんだけどなぁ……。他の誰かがイジメの標的になるよりは、良いかぁ……。
「オッケー、取引成立。……重要な情報だけどよ、ちょっと耳貸せよ」
 内緒話をするように、本郷が僕の耳元で囁いた言葉を聞いて――思わず、目を見開いてしまう。
「ど、どこでそれを知ったの!?」
 思わず、慌てて声を荒げずには居られない。本郷は小さく溜息を吐きながら「やっぱりか」と小さく呟いた。
「……もう、昨日の動画のコメント欄で拡散されてる。気を付けろよ」
「あ、ありがとう!」
 2千円を払っただけの価値はあった。――いや、それ以上だ!
 僕は慌てて自宅までの道を駆ける。
 途中、息が苦しくて足が重くて止まりそうになるけど……。そんな余裕は無い。
 いくらマンションのセキュリティが高いと言っても――住所がネットでバラされているなんて、気が気じゃない! どうしよう、どうすれば良いんだ!?
 まさか昨日、伶桜が殴られて僕が止めていた動画に――誰かが僕らの住所を書き込むなんて……。予想外だ!
 もう動画はかなり拡散されているらしい。絡んで来た誰かが、復讐に来ていてもおかしくない!
 急げ、急げ! でも、どうする? 親に報告? いや、こういう犯罪に繋がる件は、やっぱり――。
「――ぇ……」
 やっと自宅に辿り着くと、そこには頼るしか無いと思っていた警察官が立っていた。……でもプライベートの服装で、警察の制服は着ていない。
「……薫くん。丁度良かった。うちのマンションの前で凶器を手に不審な動きをしている者がいてな。彼らにも話を聞いていた所なのだが……」
 マンションの前には、伶桜の父さん――警察官をしている叔父さんが立っていて、傍には衣服で拘束されたガラの悪い人たち……昨日、伶桜を殴った人たちが座らされていた。
「事情を聞かせてもらえるな?」
 一切揺るがない視線を僕に向けながら、叔父さんはスマホをこちらへと翳して来る。
 ディスプレイ画面には――女装をしている僕と、殴られ座りこんでいる伶桜が映っていた――。

最終章

 伶桜が部活が終わって帰宅すると同時に――僕の母さんも交えて家族会議が始まった。
 僕たちは女装や男装を始めた理由から、現在に至る――交際に至るまでの洗いざらい、全てを話した。
 言い逃れは許さないという叔父さんの鋭い視線に、僕たちは逆らえなかった。
 全ての事実を聞き終えた母さんは、悩ましそうに頭を抱えている。
 叔父さんは――。
「――話は分かった」
 両手の指を絡ませ、深く頷く。視線は真っ直ぐ――僕らを片時も離してはくれない。
「私は古い考え方の人間だが……。女装や男装、そう言った多様性は理解しよう」
「で、では認めて――」
「理解はするが、認められない」
 認めてくれるのかと淡い期待を抱いたが、一刀両断されてしまう。一切の言い訳を許さない力強い口調……。やっぱり、叔父さんは怖い。伶桜も叔父さんには刃向かえないのか、俯いて手を握ったまま固まっている。
「成人してから、というのなら自由だろう。……だが君たちはまだ思春期の子供だ。偏った在り方に固定観念が練り固まる事は、親として認められない」
「叔父さん……。一般的には認められないのかもしれません。でも僕は、女装してやっと自信が出るようになったんです……」
「仮にそうだとしてもだ。――自信が付く、大いに結構。しかし薫くんが女装し、伶桜が男装する事で2度も事件に巻き込まれた。これも事実じゃないかね?」
「…………」
 何も言い返せない。二の句が継けないとは、この事か。
 一度目は僕のSNS宛てに不審なダイレクトメールが届いた事件。そして2度目に至っては――伶桜が殴られた挙げ句、自宅にまで凶器を持った人物が押しかけて来た。……これは僕たちが女装や男装をしなければ起きなかった事件だから。
 正しいのは叔父さんだ。……でも、正しいだけで――僕はもう、自分らしい生き方を否定されたくない。伶桜に格好良い服を着てもらって……。僕はその代わりに、伶桜にメイクアップしてもらう。それが……この上なく、生き心地が良いから。
 その少し特殊な関係性が――今まで地獄だと思っていた世界を、呼吸しやすい世界に変えてくれたのに……。正しさだけで、その感情や事実まで否定されたくない。
「僕は毎日、イジメられていて……。伶桜が僕をメイクアップしてくれなかったら、自分に一切の自信を持てない、地獄の日々を今も送っていたはずです」
「…………」
「叔父さんが言う事が正しいのは分かっています。事件を起こす切っ掛けになってしまったのは、申し訳ないとも思います。……でも、どうかお願いします。僕たちから、生きやすい世界を奪わないでくれませんか?」
 机に額が当たるぐらい頭を下げる僕を見て、僕の母さんや伶桜の母さんは息を飲んでいる。伶桜は――何を考えているのか分からない。呆然と俯き手を握ったまま、全く動かない。
「……私も鬼じゃない。薫くんの事は、小さい頃から見ている。実の母親を前に言うのも難だが、息子のように思う」
「叔父さん……」
「――だからこそ、今は許可が出来ない」
「なんで、ですか!?」
 自分の息子のように思ってくれているなら――少しは願いや意見に耳を傾けても良いじゃないか!? 管理物のように扱われるなんて、我慢が出来ない!
「薫くんは先ほど、自分の生きやすい世界と言ったな? それが君にとって、今は女装という形なんだろう。だが本当に、他の全てを試したのか? その上で、それしか無いのか? 一時の気の迷い、或いは他にもある生きやすい在り方の1つだという可能性は?」
「それは……。少なくとも、今までは他に見つかりませんでした」
「ならば、他の事に目を向ける機会を作っても良いだろう。本当に広く世界を見渡し、その上でどうしても他に代替手段が無いというのであれば、私は何も言わない。だが君は、まだ世間の一部しか知らない子供だ。1つ見つけたからと、ここで可能性を閉ざす必要はない」
「……母さんも、叔父さんの意見に賛成ね。少なくとも高校を卒業するまでは、他の可能性もないのか、目を向けてみなさい」
 それは……成人するまでと言う事なんだろうな。
「……そんなに、女装してメイクアップするのは悪い事なの? これが、僕がバスケや料理で生きやすいって言ったら、成人するまで待てなんて言わなかったよね?」
「バスケや料理は、事件に巻き込まれやすいかね? この短期間で何度も危険な目に遭っている事から子供を遠ざける。それが何であれ、保護者なら遠ざける選択をしたいのが当然だ」
「…………」
 ダメだ。これが悪意や嫌がらせなら、もっと反論も出来るけど……。ここに居る大人たちは、僕らの事を想って忠告してくれている。
 これでは……自由にさせてくれなんて言えない。
「そうだな……。2人の交際に私は賛成だが、一度距離を置いて自立を促すのも良いのかも知れない」
「母さんも、そう思うわ。このままだと2人は……共依存してしまうかもしれない」
「それは……僕と伶桜に別れろって事!?」
 なんでそんな事になるの!? 僕と伶桜が互いに、悪い影響を与え合っていると言うつもり!? そんなの――勝手な言い掛かりじゃないか!
「端的に言えば、その通りだ。……高校卒業後、まだ互いに好きだと言うなら私も文句はない」
 高校卒業後……。それまでの間、無理やり別れさせられるなんて――嫌だ。
「……少々、話が散らかってしまったか。ゆっくり、今日の会話を纏めていこう。薫くんも伶桜も、よく落ち着いて聞いてくれ」
 深呼吸をすると、叔父さんは異論を許さぬ瞳で僕らに圧をかけて来た。
「法秩序に反さぬ限り、マジョリティもマイノリティも、私たちは等しく尊重する。それは人の持つ権利だからな。――だが権利の行使には、責任を伴うものだ」
 これまでの会話を整理するように、一方的に僕らへ向け叔父さんは話し始める。
「1つ実例を挙げよう。自転車の運転は人に認められた権利だ。薫くんだって自転車に乗る事はあるだろう? しかし自転車で事故――人に接触するなどしてケガをさせれば、相応の賠償責任を負う。億に近い賠償金額請求例もある。人の命を奪ってしまったという重責を一生背負う事もだ。これは歩行者ならば発生しなかった責任。自転車に乗る権利を行使したが故に発生した責任だ」
 叔父さんは矢継ぎ早に正論を捲し立てて来た。
「もっと身近な話で例えれば、タトゥーが入っていたり派手過ぎる髪をしている場合だ。それ自体は権利として認められていても、働ける場や公衆浴場への入浴等で制限がかかる。これは自由な権利を行使したが故の対価――詰まるところ、責任だ」
 淡々とした口調で、事実を突き付けて来る。
「薫くんや伶桜がしている事も、権利を行使しているに過ぎない。だが、その行動に伴う責任は、既に身を持って体感しただろう? 心に傷を負うメール、襲撃事件。親からすれば呼吸が止まるほど心配で、監督責任も感じる深刻な事態だ」
 卑怯だよ……。冷酷な第三者じゃなくて、親心って言われたら……強く反抗し辛いじゃないか。
「母さんも、叔父さんの言う事に賛成よ。言い方はキツいけど……SNSや動画で若気の至りが一生の過ちになる事例があるのは、ニュースで見たことあるでしょ?……薫にも伶桜ちゃんにも、そんな辛い思いをして欲しくないの」
 母さんまで……。でも確かに、僕もそういったニュースは見た事がある。その後、苛烈に世間から責め立てられて……学校を退学する事例があったのも知っている。誰にとっても、他人事じゃない。……自分がSNSを理由に事件に巻き込まれたから、本当にそう思う。
「薫くん、伶桜。――自転車、髪色、タトゥー、服装など……なんにしても同じなのだ。自由という権利を行使する場合には、責任が発生する。私たちのような大人には、子供が事件や事故を起こさない、巻き込まれない様に監督する責任がある。同時に自主自立を促し、尊重するバランスの難しさも要求されるがね。……硬い言い方になってしまったか。これは性分でな、済まない」
 叔父さんや母さんの話す内容は正論だからこそ、僕ではまともに反論する余地も与えてもらえない。……正論で勝てないから、どうしても僕は感情論で言い返すしか術がなかった。
「端的に言えば、大切な子が事件を起こさない、巻き込まれない道を歩んで欲しい。平和で安全に育って欲しいと願うのが親心だ。危険に巻き込まれそうならば止めたい。生じる責任を取ろうにも、未成年にはまだ、十分な責任能力は無いのだよ。責任を背負う必要に迫られないなら、それが1番だ。……だが、行使したい権利の要求を力強くで阻止し続けた所で、いずれは決壊する。ならば代替手段は本当に無いのか。今一度、見識を広める時間を持って欲しい。私たちの要求は、それだけなのだよ」
 正論で返せないのに、納得してもらえるはずもないよね……。だって反論内容が正論じゃないってのは――僕らが間違っているから、お情けを期待して、人情に縋るしかないって事なんだから。
 僕は悔しさに震えつつも、押し黙る事しか出来ない。
「……伶桜、お前は転校先が見つかるまで家に居なさい。直ぐに父さんの伝手がある女子校を探す」
 非情な通告に、伶桜は何も答えない。話し合いが始まってから、伶桜は終始俯いたままだ。魂魄まで叔父さんへ恐怖の念が刷り込まれているのが伝わって来る。
 暫しの沈黙の後、伶桜は――小さく頷き、叔父さんに従う意思を示した。
「伶桜!? 本当にそれで良いの!?」
「薫。止めなさい」
「母さん! で、でも――」
「――帰るわよ。ほら、来なさい」
「母さん、待ってよ! 叔父さん、叔母さん、待ってください!――伶桜!」
 結局――伶桜が顔を上げる姿も見られないまま、僕は自宅へと連れ戻された――。
 
 翌日から、伶桜は本当に学校に来なかった。
 どうやら本当に女子校へと転校する手続きを進めているようで……。
 母さんも、お互いの玄関の行き来すら認めてくれない。
 そうして2週間が経過した頃――伶桜が近くの女子校への転校が決まったと噂が広まった。
 蛍雪高校へ挨拶に来ることも無く、有無を言わさずにだ。
 その間、僕は――叔父さんと毎日メッセージのやり取りをしていた。
 どれだけ僕らが本気か、僕たちが女装や男装で互いのコンプレックスを救い合って来たのかを伝え続けている。叔父さんは話を聞くのを止める事こそしないが、今のままでは認めないという姿勢を崩さない。
 それは母さんも同じだった。親同士で話し合いは着いているのか、僕が何を言っても母さんは認めてはくれない。「全ては責任を取れるようになってからの話。覚悟を得てからにしなさい」その一点張りだ。
 ベランダに出て伶桜を待っていても――戸は開かれない。
 伶桜は叔父さんを酷く怖れているから、反抗するのが怖いんだろうなと思う。
 でも、僕は――。
「――伶桜、聞こえてる?」
 返事の無いままに――今日も、ベランダで伶桜に向けて話しかける。
 壁も薄いマンションだ。
 ベランダでの声は、そのままガラス戸越しに聞こえる。だから……僕の独り言だって、聞こえているはずだ。伶桜と無理やり別れさせられても、僕は毎日こうして話かけ続けている。
「ここ数日……。伶桜が完全にいなくなって、僕は元通りの冴えないままでさ……。凄く、息苦しい毎日なんだ」
 柵に寄りかかり、思わず沈んだ声を出してしまう。日に日に、自分の中で活力が失われて行くのが分かる。
 話さない期間はあっても、伶桜と学校が離れた事なんて無かったから……。凄く喪失感に襲われる。
 秋風が胸の中を吹き抜けているように、まるで空っぽになったような気分だ。
「……そんなに、僕たちは悪い事をしたのかな? 女装や男装って、思春期の子供がやったらダメなのかな?……僕は、どうしてもそうは思えない」
 叔父さんに言われた言葉、母さんに言われた言葉を何度も反芻した。
 事件に繋がる事は、確かに起きてしまったけど……。それと未成年だったのが、強い関わりを持っているとは――どうしても思えない。
 成人してから全て自己責任になってからやれ。親を巻き込むなという意味なら、まだこの処置も理解が出来るけど……。
 どうも叔父さんや母さんの言葉からは、単に心配している。或いは――何かを待っているようなニュアンスが感じ取れた。
「気のせいかもしれないけどさ……。落ち着いて考えたら叔父さんも、叔母さんも、母さんだって……。心から女装や男装に反対しているとは思えないんだ。……だって本当に反対しているならさ、高校を卒業してもやらせないって言うでしょ? 僕のクローゼットにある伶桜の服、未だに捨てられて無いんだよ。……伶桜の方は、どうかな? 僕に着せたい服は、捨てられちゃった?」
 本当に女装や男装を止めさせたいのなら――取り上げれば良いんだ。
 危険な包丁から子供を遠ざけるように、触れられない環境を作れば良い。でも僕たちの両親は、それをしない。
 そこに何か意味がある――期待をしているのではないか。……そう思ってしまうのは、都合の良い願望なのかな?
「伶桜……。僕は強く、格好良くなるよ。……意地を、信念を貫くから」
 今日も伶桜は、ベランダに出て来てくれなかった。
 僕は1つの頼み事をメッセージで送り、相手から了承を得たのを確認して床に就いた――。

 翌朝。
 僕は普段より早く登校した。
「――おはよう、蓮田くん」
「山吹さん、おはよう。ごめんね……」
「ううん。……良いの、個人的にも見てみたいし」
 そう言って、山吹さんは袋を僕に手渡して来る。袋の中には、女子用の制服が入っていた。昨夜メッセージでお願いして、貸してくれると言っていた制服の予備だ。身体の成長で買い換える必要があり、眠っていたらしい。
「ちゃんとクリーニングして返すから」
「別に良いのに。……匂いつけちゃっても」
「いやいや。絶対にクリーニングに出すって、決意が強まったよ」
 そのまま僕は男子トイレへと行き、女子用の制服へと身を包む。汚さないよう制服を着込んでから――カッチリと、メイクをしていく。
「――蓮田、なんだその制服は!?」
「制服です」
「校則違反だぞ!」
「そうなんですか? 生徒手帳には、学生は本学の制服を着用する事、としか書いていませんよ?」
「な、なに?」
 そう、これは校則の穴を利用した――屁理屈だ。
 そして、どんなに遠ざけられようと――僕は僕の意思でこの服を着ているんだと示す目的がある。
 きっとこの事は、教師から母さんにも連絡が行く。
 母さんから、叔父さんにも伝わるだろう。16年間隣に暮らしているだけあって、2人の繋がりは強いようだから。――なんなら、叔父さんにも母さんにも、もうこの制服姿は写真で送っている。ノリノリになった山吹さんが一緒に写っているのは問題だけど……。伶桜にも送った。
 写真の中の僕は――我ながら、良い顔で笑っている。
 僕が伊達や酔狂で女子の服を着ている訳ではないという覚悟。
 自分に似合う服を着て、自分が生きやすいと思う生き方をする。別にそれで世間がどう思おうと構わない。それでも――僕は僕だという意思を示すための行動だ。
 教師も校則を改めて読み、今日中に止めさせることは出来ないと判断したのか――後日、職員会議に話を持ち寄ると言い出した。
 それで良い。
 学校によっては男子が女子向けの制服を着たり、女子がスラックスを選択出来るようになって着ている。
 私服では、もうかなり前からメンズもレディースの服をコーディネートに取り入れているんだ。逆もまた然り。
 別に強制する訳じゃない。唯、自分に似合う――自分が生きやすいと思う生き方を選択が出来るようになれば、それで良い。
 誰かに迷惑を掛けるのは、論外だけどね。
 でも、こういう目だった事をすれば……反感を買う。
 いつもの如く、本郷に放課後、校舎裏へ呼び出された――。
「――おい、蓮田。どういうつもりだよ、その格好は?」
「僕は僕のやりたいことをやっているだけだよ? それで本郷とか……皆に何か言われても、まぁ仕方ないよねって思ってる」
「お前、舐めてんのか!? また財布にすんぞ!?」
 本郷は僕の胸ぐらを掴み上げ、脅して来る。かつてない程に直接的だ。
 もう、この学校に伶桜は居ない。僕を守ってくれる人はいない。
 それなら――自分のやりたい事、言いたい事は、キチンと自分で言わなきゃね。
 黙ってれば過ぎ去ると本音を隠すのは、1番ダメだ。
 僕は本郷の手を払いのけ――。
「――自分のやりたいことを、自分でやる。その対価は、自分でしっかり払わなきゃだからね。僕だって、殴られる覚悟は出来てるよ?」
 自分の覚悟を語った。殴られるのは痛いだろけど……言いたい事、やりたい事を我慢して――真綿で首を絞められるように生きながらえるより、余程良い。
「蓮田……お前、なんか変わったか? いや、見た目もそうなんだけど……。中身が、さ」
 中身が、か。変わったんだろうな……。自信が無くて、地味でモッサリした自分を受け入れていた時に比べれば。
 叔父さんたちの言う、他の可能性を探して見ろという意見も分かるけど――偶々、僕には女装が1番似合って、1番やりたい事、1番生きやすい姿だった。
 それが僕を変えたんだと思う。
「誰かに奢ってもらってばっかりじゃなくて、君たちもやりたい事をやる為に努力してみなよ? 美味しいものを食べたり、自分にとって居心地の良い世界や環境を作る。……その目標の為に働いたり勉強するのって、かなり楽しいんだよ?」 
 思えば……これが僕に向いている。
 そう思えてからは毎日、世界が輝いて見えた。
 毎日、どんなメイクをするんだろう。どんなオシャレな服を着るんだろうって。
 格好良い服が似合う体型に育てなかったのは、少し残念だったけど……。
 本当の格好良さは、服装や外見だけじゃない。
 好きだから、こう在りたい。こうなりたいと貫く心だって、凄く大切なんだ。
 だから――どうせイジメられるなら、好きな事をしてイジメられたい。諦めて何もしないより、好きな何かをしてイジメられた方が、遙かに良い。
「熱中する何かを見つけて、堂々とやるんだよ。……限界と退屈でイライラしているのから抜け出すとね、すっごく息苦しさから解放されるから。――よかったら本郷たちも、やってみて?」
 ああ……息がしやすい。
 世界が明るく見える。
 僕は今――心から笑えている気がするよ。
「あ、ああ……。うん。そう、だな」
 本郷たちは、もっと僕に食い下がって来ると思っていたけど……。
 思っていたより、アッサリと解放してくれた。
 僕は財布扱いから抜け出せた事を喜びつつ、暗い校舎裏から校門へと向かって歩く。
 背後から「マジで可愛くね?」、「俺、ありなんだけど」という悍ましい声が聞こえた気がしたけど……。気のせいだ。悍ましい気のせいだ。
 僕は腕を大きく振り、家に向けて走る。
「……叔父さん、ごめんなさい」
 親が心配する気持ちも分かる。心配してくれるのは、ありがたい。発言が正論だとも理解している。――それでも、僕たちの生き方は、こうでないと苦しい。
「リスクを背負ってでも、この権利を行使できない生き方は――閉塞感を感じる。息苦しくて仕方がないんだ。やっと見つけた好きな事、目標を……捨てたくない」
 また事件に巻き込まれる危険はあるかもしれないけど……。
 辛いと億劫に感じながら陰で息を殺して生き続けるより良い。
 息が切れる程に走り、気持ちを整理しながら……僕は自宅へと帰った。
 後は、僕に素晴らしい生き方を教えてくれた想い人と、意思を共有するだけだ――。

 その夕方。
 両親が帰宅する前――僕はベランダで上機嫌に報告をしていた。
「――って事があってさ。本郷たちも、もう手を出して来ないんじゃないかな? ヤバいヤツって思われたなら良いけど、本気で恋されてたらヤバいよね?……最後に背後から聞こえた声、怖かったぁ~」
 勿論、隣には誰も居ない。
「伶桜が居なくても……僕は皆に、覚悟を示せたかな?」
 叔父さんと母さんからは、仕事が終わったら今夜、また話そうとメッセージが来ている。
 正直、怖い。バカな事をしてと詰られるのは分かっている。それでも……僕は自分の好きな生き方も、伶桜も諦められない。
 僕なりの生き方を……伶桜と一緒に磨きたい生き方を、許して欲しい。
 決して、一時の気の迷いなんかじゃないと思っている。
「……伶桜と話せないのは、やっぱり寂しいなぁ」
 もう何日、伶桜と話していないだろうか。……中学校1年生から高校1年生まで、殆ど会話をしなくても、なんとも思わなかった。
 でも今は――1度は見知らぬ存在のように映り、それから恋仲になった伶桜と一緒に居られないのは、寂しくて涙が出て来る。
 文化祭の日、伶桜が部室で撮ってくれた2人の衣装写真を見ると、愛しさが込み上げて来る。
 涙が込みあげ、思わず呼吸が荒くなって――。
 ガララッと、隣の戸が勢いよく開く音がした。
「――卒業まで待てだと? 一時の気の迷いだから心変わりを待てだと!?――ふざけんな!」
「れ、伶桜!? だ、大丈夫なの?」
「何週間も軟禁に近い状態で……。もう黙って聞いてられないんだよ!」
「僕と関わったら、叔父さんに……」
「関係ない! 目の前で大好きな薫が頑張って、泣いている。放って置ける訳がねぇだろ! 何年経とうと変わんねぇ、変わりたくもねぇ事があるんだよ!」
「お、親の心配する気持ちも汲んで……」
 許して欲しいとは言ったけど、親の心配する気持ちも分かる。
 女装、或いは男装しかしなくなるのも、極端な話だし……。思春期に偏るのを心配してくれてるのに、全否定は……。まぁ伶桜も興奮して、一時的に過激になっているだけだとは思うけど。
「自分を殺して、大人が望む都合の良い子ちゃんになろうとすんじゃねぇよ! 大切なのは、俺たちがどうしたいかだろうが!?」
 僕たちがどうしたいか……。そんなの、決まっている。
 やるべき事はしっかりやって……。でも服装だとかは、生きやすいように生きさせて欲しい。好きな人とは――一緒に居たい。
「広く視野を持っても、大切な事が大切な事実は変わらねぇ! 俺は今までの生き方がしたい。薫はどうなんだ!?」
「僕も……前みたいに、いじけた日々には戻りたくないよ。今みたいに生きるのを、許して欲しい!」
「よし、なら――扉から離れてろ!」
「え、え!?」
 蹴破り戸からドンッドンと轟音が響き、僕は驚いて飛び退く。……え、もしかして、この扉をぶち破ろうとしてるの!? 正気!?
「れ、伶桜!? もしかして、この扉を破ろうとしてる!? これ、非常事用の――」
「――好きなヤツと不本意に別れさせられる。これが非常事態じゃなくて、なんだって言うんだ!」
 あ、アホだ……。伶桜は時々、アホになるとは思ってたけど……。――想像以上のアホだ!
「何時迄も父さんにビビってられるか! 薫が自分でイジメを跳ね除ける気概を示したんだ! 俺だって、父さんに気骨を示してやる!」
 音の質が変わった。それまでより鋭く、ズンッズンッという太鼓のような音が響く。
「れ、伶桜!? き、気持ちはズンズン音を立てて胸に響くんだけどさ、素直に玄関から――」
「――良いから、離れてろ!」
 有無を言わさぬ、切羽詰まった声が聞こえて来る。後ずさりして、僕は蹴破り戸から離れた。こ、これは、ちょっと……手が付けられない状態にまで焚き付けてしまったかも?
「クソ! こうなったら……コイツを使うか。オラァアアア!」
 伶桜の雄叫びが聞こえた次の瞬間――蹴破り戸から破砕音が響く。そして扉から突き出て眼前に突き出てきた物に、思わず腰を抜かしそうになる。
「えぇえええ!?――も、物干し竿!?」
 蹴破り戸から――物干し竿が突き出て来るなんてさ、予想出来ないじゃん? 本当に、えぇ……。僕の恋人、言葉にならないぐらい脳筋なんですけど……。
「――俺は薫が好きだ。可愛い衣装でメイクアップして笑う薫も、やりたいことを決心して貫く薫も! 薫はどうなんだ!? 俺の事が好きか!?」
 穴が空いた扉をこじ開け――伶桜が顔を覗かせて来た。
 紅潮した顔で、扉から手をこちらに伸ばして来ている。拳も肘も、蹴破り戸を殴っていて皮が剥けたのか血塗れだ。滴る血は差しだされた手までもを赤く染めて行く。
 暫し呆気に取られていた僕だけど、伶桜の手を取り――。
「――ぼ、僕は……。うん、僕も格好良い服装とか、可愛い服装とか……好きなのは、それだけじゃないかな。自分らしいを目指してる姿が好き。本当の格好良さは、中身にあるって分かったしね」
 今の伶桜にしても、完全にアホの所業だけど……。それは、好きを貫き通した結果のアホだ。
 この後、自分たちで修理代を払う必要はあるけどさ……。自分を貫くぞって活き活きする姿勢は、やっぱり格好良い。人に迷惑を掛けなければね?
「……伶桜には感謝しても仕切れない。息苦しさから解放してくれた恩もある。伶桜は僕に、本当に好きってのは、こういう事なんだって教えてくれた」
「それなら、俺の気持ちに対する答えをくれても良いだろ?……あんま焦らして、意地悪すんなよ」
 伶桜は不安そうに視線を俯かせ、頬を掻いている。そっか……。まだ、伶桜が僕の事を好きだ、お前は?――っていう問いには、答えてなかったか。
「そうだね。……うん、僕も花崎伶桜が大好き。格好良い姿も、好きな事に真摯で、子供のようにキラキラした笑みも、ウキウキする姿も……。全部、大好きだよ」
「よ、よし!――それなら来い。マンションの外で集合だ」
「え? り、了解。……あ、でもその前に」
 僕は壊れた蹴破り戸の写真を1枚撮ってから、伶桜と一緒に外出する。
 幸い、両親はまだ帰って来ていない。
 だから――僕の母さんと伶桜の両親に、ぶち破られた写真を載せ『ごめんなさい。後で事情のお話と修理代はキチンと支払います』とメッセージを送った。
 途端にスマホが通話らしき震動を伝えて来るけど……話は、伶桜との外出が終わった後だ。
 最優先は強引で格好良い、伶桜なんだから――。

 夜の街で買い物を終え戻って来ると――再び家族会議が執り行われた。
 僕の母さんも伶桜の両親も――特に伶桜の両親は、頭が痛そうに手で額を押さえている。
 伶桜は――床に正座させられていた。
「……その、修理代の請求は、僕がバイトして払いますので……」
「……薫くん、良いんだ。どうせ伶桜が感情的になって壊したんだろ?」
「叔父さん、えっと……。ごめんなさい」
 流石は親だ。現場を見ただけで、何故起きたかの分析が出来るなんて……。伶桜、よく見てもらっているね。
「はぁ……。伶桜は感情が爆発すると、とんでもないことをやるからな……。とは言え、ここまでやるとは想定外だった」
「薫も伶桜ちゃんが暴走したら、止めて見せなさいよ」
 母さんは嘆息しつつも、苦笑している。
 疲れた表情には申し訳なくなるけど……あんな脳筋の行動、止められないよ。自分が物干し竿で貫かれるかもしれないじゃん?
「それで……今日、薫くんが送って来たスカート制服の写真に――その指輪。……説明してもらって良いかね?」
 叔父さんは――僕たちの左手薬指に嵌まっているペアリングを睨みながら、そう切り出した。
「まず、制服については僕の独断なんですけど……。僕は見ての通り、男らしくない見た目です。身長も伸びず、筋トレをしても筋肉が付かない。……日に日に自信を失い、学校でも居場所を失っていました」
「ああ、それは前にも聞いたな」
「……そんな僕に最初、女装が似合うと教えてくれたのは伶桜でした。――でもその先は、自ら望んで女装したんだ。メイクアップして、やっと自分の居場所を見つけられた。メイクアップは、可愛くするって意味だけでは、ありません。……『決心する』という意味も、あるそうなんです。――僕は女装を通して好きな事、やり抜きたい事を決心出来て……世界が変わりました。伶桜と共依存して、悪い方向に向かっているんじゃない。僕は僕の生き方を選んだ結果、どうしてもこれが好き。貫きたいんだと伝えたくて……」
「それが、あの制服姿だったと?……全く。伶桜はアホだが、薫くんも大概にアホだ」
「すいません、うちの子がアホで……」
 母さんは叔父さんに頭を下げているが、表情は楽しそうだ。
「……笑い事じゃあ、ないんですがね」
 脳天気な母さんとは対極に、叔父さんは辛そうに声を絞り出している。
「僕たちは、ずっと自分の容姿に悩まされて来ました。僕は弱々しい肉体に、伶桜は格好良い外見に。でも、その特徴を活かして……明るく輝ける生き方を――やっと見つける事が出来たんです。もう手放せないし、手放したくもない大切な事なんです」
「ふむ……それで、指輪は?」
「父さん。これは俺の、俺たちの覚悟を見せる為です」
「覚悟?」
 叔父さんは、やっと黙ることを止めた伶桜に――ギラリと、剣呑に輝く視線を向ける。
 伶桜は一瞬、眼力に押されたように仰け反るが――ゴクリと唾を飲み込んで、震える口を開く。
「一時の気の迷いなんかじゃない。俺たちは、本気で好き合っている! 学校を離されようと、それは永遠に変わらない。――その誓いを形にして、周りに見せる為です」
「……薫君と結婚する、という事か?」
「それは……はい。俺は薫と、結婚するつもりです」
「……薫くんは?」
「僕も同じ気持ちです!……暗闇でいじけていた僕を救ってくれた伶桜以外、考えられません」
「そうか……」
 叔父さんは天を仰ぎ、目を閉じて深呼吸をしている。……悩ませて悪いとは思うけど、僕は止まらない。止まるつもりはない。むしろ、あれだけ弱味を見せなかった叔父さんが、明確に悩んでいる今は――畳みかけるチャンスだ。
「恋人、夫婦……パートナーって関係は、助け合って前に進んで行くものですよね?」
「……その通りだと、私も思う」
「母さんもよ? まぁ……嫌な事も共有して乗り越えられないと、ダメになるけどね」
 り、離婚経験がある母さんが言うと、説得力が違うなぁ。……実の息子としては、少し複雑な心情だよ。反応に困る。
 でも――。
「――それなら、僕と伶桜はパートナーです。断言が出来ます」
「……ほう? どういうことだね?」
「可愛い服装や格好良い服装、メイクアップ。助け合う内容こそ特殊かもしれないですけど……。自分に出来ない事を助け合いながら、笑える日々を作り高め合って行く。この関係を――真のパートナーと呼ぶのでは?」
「パートナーとなるならば、生じる不利益……責任も共に背負わねばならんのだよ? その覚悟があっての発言かな?」
「俺は当然、その覚悟がある! 薫は俺が守る!」
「僕にもあります。僕だって伶桜に守られてばかりじゃあ、いられませんから!」
「若いな……」
――キッと、眉間に皺を寄せ、叔父さんは厳めしい表情を向けて来る。
「――青い。まだまだ2人は若く、何をするにも責任は取れん。――結婚など、認めん」
「父さん!」
「……だが、覚悟の一端は見させてもらった。……結婚までは認めんが、他は好きにすると良い」
「……え?」
 厳めしい表情が崩れ――僅かに叔父さんが微笑んだように見えた。
 あの厳格を絵に描いたような叔父さんが、笑った?
「まずは目先の責任を果たし、覚悟を証明してもらおうか」
「目先の責任、ですか?」
「ああ。伶桜が壊した扉の弁済という形でな。……それで私は、2人には覚悟あり、と……一先ず認める事にしよう」
「え!?――僕たちの生き方を。認めてくれるんですか!?」
「ああ。……無論の事、これからも親として見守り、取り返しのつかぬ事態へ発展せぬよう口は挟むがな」
 叔父さんの頬が緩んだと思えたのは一瞬の事だった。
 もう既に、何時もの厳めしい表情で僕らを見据えている。
「まずは、そうだな……。薫の小遣いは、無しだ。子供ではないと自由を主張するのだから、当然だ。それでも、修理代はもらうがな」
「そんな!? 小遣い無しで、俺にどう払えと!?」
「甘えるな! それを考えるのが責任というものだ。自由に生きる覚悟があるのなら、自由に伴う責任を持て。世間が許し、認めてくれるのを待つな! 己がした事、したい事に責任を取る。民主主義社会に守られる大多数から逸れたいと言うならば、これは最低限だ!」
 叔父さんに一喝され、伶桜は「はい」と項垂れてしまう。……その通りだ。叔父さんの言うことは、全て正しいと僕も思う。
 自由を認めろと騒ぐだけではない。
 自分の自由、生きやすい生き方。それに伴う責任を含めて――背負う。
 でもそれは、耐え続ける日々よりも余程、息が詰まる思いをしなくて済む。
 自分のやりたい事に向かっているのなら――どんな困難でも、責任でも乗り越えようという気持ちになれる。むしろ……前向きに楽しめるかもしれない。
「分かりました。パートナーの責任は僕の責任です」
「薫! 立て替えてくれるのか!?」
「部活をしていた伶桜では、直ぐにはお支払い出来ないでしょうから、僕が立て替えます。勿論、立て替えですから。後で伶桜の分は、キッチリ返してもらいますけどね?」
 笑いながら僕がそう告げると――母さんは嬉しそうに相好を崩し、伶桜はへなへなと崩れた。
 上目遣いでこちらを見つめて来るけど……ダメだよ、ここは譲れないよ? 
 だって僕たちは――平等なんだから。
 一緒に、対等で居ないといけないんだからさ。
 支払うお金だろうと立場だろうと同じ。偏らせはしないから。
「2人とも、若いわねぇ。でも伶桜ちゃんと本当に家族になれたら、最高ね。……薫、見捨てられないように頑張りなさい?」
「……母さん。もしかしてこういう展開になるって、知ってた?」
「当たり前でしょう? 薫、メイクするようになってたしね。……正直、あんたのクローゼットを見る度に分かっていたわよ。この服、伶桜ちゃんのサイズにぴったりと思っていたしね。あんまり子を想う親を舐めない事よ」
「な、なら……叔父さんとも、認めようって話はついてたの?」
「薫たちに危険の説明をして、それでも意志を曲げないと証明したら、認める方向で行こうって話はついてたわよ?……まさか、扉を壊す意思の貫き方を見せられるとは思ってなかったけどね」
「それは……僕だって予想外だよ。普通、壊す? ビックリしたよ……」
 格好良いと言うべきか、自由奔放、豪放磊落と表現するべきか……。悩ましい所だね……。
 うん。やっぱり行き過ぎないように、サポートし合う必要があるな。
 伶桜に足りない部分は僕が。僕に足りない部分は伶桜に補ってもらおう。
「薫、叔父さんの言った言葉を胸に刻みながら――好きに生きなさい。笑えるように生きなさい。……胸を張って、誇れるように生きなさい」
「……うん。ありがとう、母さん」
 僕らの自由――好きにメイクアップして、好きな人と一緒に居ても良い。
 苦手な生き方を強要され、自信を失わずに済む。
 自分の生きやすい生き方を選択が出来る。
 迷いながらも選択して挑戦し続けて……。本当にやりたい事を見つけると、世界は全く色を変えて映るんだね。
 自分は何者なのか。なんで存在しているのか。生きていて良いのか。そもそも生来たいのか。
 自分の惨めさと、必死に足掻いても成果が出ない現実。
 その苦悩と葛藤の日々で、何度も枕を濡らして来た。
 伶桜に格好良いメイクアップをするのは、僕の届かない思いを満たしてくれるからだ。
 僕はもう……伶桜を半身のように想っている。
 女装――メイクアップは、僕を闇から光の舞台へ連れ出してくれた。
 僕が失っていた自信を得て、太陽の下を笑って闊歩するのに必要になっている。
 初めて女装と男装をして……見知らぬ幼馴染みと出会ったあの日を境に、僕は生まれ変われていたのかもしれない。
 人に追い抜かれ、突き放され、迫害されるだけだった僕が――人に認められる喜びを知れた。
 褒められる事なんて皆無だった人が、頑張って誰かに褒められたり認められたら、幸せを感じるのと同じ。
 その充足感が――この世界に僕が存在していても良いんだという自信にまで昇華したんだ。
 大好きな事を大好きな人と一緒に楽しんで、心から笑える日々を、僕は過ごして行く――。


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