2章

 週末。
 休日を利用して、僕は伶桜と一緒に大きな街へ買い物にやって来た。コンテストで着る服を選ぶ為に来たは良いけど――人混みで酔った……。なんか、身体がソワソワとする。
「こんなオシャレな街に、僕みたいに地味な男が居て良いのかな……。景観を損ねてない?」
「その自己肯定感の低さ、なんとかならないのか? 良いに決まってんだろ。しかし、メガネは、まだコンタクトが無いから兎も角……。その顔を隠すようなデカいマスクに言動、ちょっとイラつくぞ?」
「……人格を形成する思春期に歪んだ結果だよ。身長も何もかも、努力しても追い抜かれ虐げられ……皆が僕から去って1人になる。そうしたら自信も喪失するし、部屋から出たくも無くなるよ」
 思い出すと心が痛くなる。
 身長は何をしても伸びないし、筋肉も付かない。幼少期から無駄に勝ち気だったから、イジりを笑って流す事も出来ない。結果、イジメられる。……そんな日々で、本当に歪んだよなぁ。
「まぁ……小学校高学年からは背の順で並ぶと先頭だったしな。言われて見たら、中学から薫が誰かにイジられてる以外の会話は聞いた事ないわ」
「でしょ?」
「昔はいっつも人の輪の中心に居たのに……。なんでそうなった?」
「……自分が悪いんだけどさ、努力しても追い抜かれて虐げられて、陰気になったんだよ。気が付けば、この通り。1人で外に出るのも嫌になってたんだ」
「そんな薫が都会のオシャレな店に来る日が来るとは、感動ものだな」
 わざとらしく目頭を押さえ、伶桜がしみじみとそう呟く。本当に感動しているなら、もっと心を込めて言って欲しいよ。そんなクールな声音で言われても、煽られてるとしか思えない。
「やっぱり、僕をバカにしているよね」
「そんな事はない。部屋に籠もってゲームばっかりしている薫が街に出て、生まれ変わろうとしてるんだ。俺は結構感動してる。部活が終わって部屋に帰ると、いつも隣の部屋からゲームの音が聞こえてたからな。騒音のイライラより、心配が勝ってた」
「伶桜は僕の母さんなの? まるで引きこもりニートが就活を始めたみたいに言うの止めてよ。心に刺さる」
「腐れ縁でも俺たちは16年一緒の幼馴染みだ。もしかしたら、保護者と似た感情なのかもな」
「そうだとしたら今まで家庭崩壊してたね。4年間会話も無し、互いに興味関心もない保護者と子供とか、キツいよ」
「……俺の責任みたく言うな。薫の方から遠ざかって行ったんだろ」
 それはそうなんだけどさ……。仕方ないじゃないか。女子といると周囲が囃したてイジって来るのは勿論だけど……。格好良くなって行く伶桜といると、自分が情けなくなくて潰れそうになるんだから。
 負けてられないって筋トレをしても、身長が伸びるとされる事を全てやっても、どうにもならなかったんだ。あのまま隣に居たら、僕は劣等感でメンタルが今よりボロボロになっていた。
 今もショップに向かって歩いてる間、周囲の視線は伶桜に向いていて――次に隣を歩く僕を見て、ヒソヒソと小声で何か言われてるんだから。
 聞こえなくても分かるよ。不釣り合いって言いたいんだろってさ。
 そんな事、小学校高学年頃から毎日言われ続けてるよ……伶桜に対する劣等感に苛まれて、卑屈に歪む僕の気持ちも分かって欲しいなぁ。
「そうだっけ?――あ、一件目のお店に着いた。ここだよ、僕が行きたかった格好良いセレクトショップ」
「……話題から逃げやがったな」
 逃げた訳じゃない。口にすると余計に情けなくなるから、敢えて何も言わなかっただけだ。
 僕は伶桜の一歩後ろをついて歩き、店内へと入る。
「あ、これ格好良い」
 そして格好良い黒テーラードジャケットを手に取り、伶桜にかざしてみる。……うん、良く似合ってて格好良い。でも伶桜は手足が長くてスレンダーだから、アイドルがコンサートで着るような華やか系の服も似合うだろうしな……。結論、イケメン女子はなんでも似合う。
「どれどれ……は?」
 僕の持っていたジャケットを手に取り、値札を目にした伶桜が目を剥く。……まぁ、そんな反応になるよね。
「10万円越え!? おい、桁が1つ間違って無いか!?」
 伶桜が慌ててジャケットをそっと戻す。
「薫……。やってくれたな」
「何が?」
「ここ、特別高い店なんだろ?」
「う~ん。確かに、ブランドのセレクトショップだから高いけど……。ジャケット一着で数万円は、他の店でも余裕で飛ぶよ?」
「……は?」
「ほら、メンズ服のショップ公式HPを調べてスクショしたんだけど……」
 僕が差しだしたスマホをスクロールし、伶桜は悩まし気にこめかみを押さえた。
「……メンズ服って、こんなに高いのか? レディースなら、この半額以下だぞ……」
「一説によると、レディース服より需要が無いから、一着の単価が高くなるとか……」
「……俺の金、ピンチかもしれない」
 だから伶桜に着て欲しい服の代金は僕が出すって言ったのに。……とは言え、僕も流石に10万とかする服を買うつもりはない。バイトに精を出していると言っても、そこまでの余裕は無い。
「ごめん、ちょっと揶揄った。冷やかしって訳じゃないけど……ここのハイブランド服を伶桜が着たらどうなるか、試着だけでも見たくてさ」
「……なら、仕方ねぇか。着せ替え人形にしたいのは、お互い様だしな。次は高校生が着るようなレベルで頼む」
「うん、トータルコーディネートで5万円以下を目指すよ」
「それでも5万円か……」
「あ、腕時計は別口だから……。それを入れたら10万円は行くかも?」
「……嘘、だろ?」
「これはマジ。ほら僕がスクショしてる腕時計コレクション見てよ。これとか、ハリウッド俳優が映画で着けてたんだけどね、時計1本で30万円はするよ?」
 時計や服は値段もピンからキリまである。カジュアルなコーディネートなら兎も角、格好良く上品なファッションをすれば余裕でそれぐらいの金額は飛ぶ。
 僕の中での格好良いファッションとは、キレイめで上品か、荒々しいかの二択。
 荒々しい服装は髭が生えた渋い人の方が似合うし、僕が着て欲しいのはキレイめで上品なスタイル。本革のレザージャケット一着で数十万円が飛ぶ荒々しいファッションよりはマシだと思うんだ。
「早まったかな……」
 後悔するように囁く伶桜に、若干の申し訳なさを覚える。やっぱり、高校生でも出来るレベルのオシャレを目指そう。
 それに色々と見たいだけで……実はミスターコンテストで伶桜に着て欲しい衣装は、僕の中では決まっている。何セットか買って、伶桜に最終判断はしてもらいたいけどね。
 メンズ服の金額に衝撃を受けたのか、伶桜はショップをトボトボ歩いて出て行く。僕もそれに続いて、ゴメンと謝る。すると「傷ついた。次から暫く俺の番な」と、伶桜はクールな瞳を僕に向けて来た。
「まずはそのモッサイ頭からだ。美容室を予約してあるから」
「……美容室、怖い。一緒に来てくれる?」
「女装した薫にそう言われるなら兎も角、今のモッサイ薫に言われると――キモいな」
 嫌そうな顔をした伶桜に若干傷つく。
 発言がキモイって事なんだろうけど……。やっぱりビクッてなる。キモイ、ウザいは僕の思春期で多大な傷を付けて来たトラウマのワードなんだよ……。だから顔を見せないように大きなマスクだってしているのにさ……。
 少し落ちこみながら薫の後ろをついて歩く。美容室の一際オシャレな店構えに僕は気圧されていた。床屋さんみたいに入りやすい店構えにして欲しい……。需要と供給の違いってやつなのかなぁ?
 伶桜は平然と店内へと入る。こんな場所に取り残されるよりはと早足で着いて行く。
 もうね、見るからにオシャレな店員さんだらけで……。僕は喋れません。
「今日はどうしましょうか?」
「え、えっと……。髪を切ってください」
「どんな感じに切りましょうか?」
「ど、どんな感じに? その、良い感じに……」
「…………」
「…………」
 美容師さんが若干困ってるのか、瞳を揺らして苦笑している。なんで? 僕おかしな事を言った!? ここは髪を切る場所なんでしょ? 専門家が良い感じに切ってくれるんじゃないの!?
「……俺がオーダーして良いですか? 顔の形が丸いし、コイツはウルフカットが似合うと思うんですよ。放置してたから、髪の長さも足りてるし」
「そうですね、イケると思いますよ」
「メンズの短めなウルフカットじゃなくて、レディースの長めウルフでお願いしたいんです。高校生だから染められないですけど、インナーカラーでシルバースプレーとかもしたくて」
「良いですね。それなら、外ハネとかウェーブがあるとインナーが映えそうですね」
「あ、取り敢えず今回はパーマ無しで。色んなスタイル出来るか試しの段階なんですよ。髪質的に、ブロウで外ハネ作れそうですか?」
「イケると思いますよ。少しだけ癖がありますから。足りないところは、アイロンですかね」
「分かりました。それじゃあ、それでお願いします」
「了解です。危ないんで、メガネお預かりします。それじゃあ、カットしていきますね~」
 当人を置いて進められた会話だけど――日本語でお願いします。ウルフとかアイロンとか……。何それ、僕のしってる限りだと狼と服の皺を無くす道具しか想起されないんですが。
 格好良い服装やバイク、車や時計に偏っていた知識の弊害が、こんな所で……。
 そうして30分ぐらい経過したかな。「メガネを返してください」と言う勇気も無く、ぼやけた視界でガンガンぶつかりながら洗髪してもらい、席に戻りドライヤーで髪を乾かしてもらった。
 そうして「最後の調整しますね」と軽くチョキチョキされた後――。
「――では、ご確認をお願いします」
 メガネを渡され、鏡を見る。
 もう、ビックリしたよ。……誰? いや、ウィッグを被った時にも言ったけどさ……。今回は自前の髪だから、余計に違和感がある。モッサリとして目が隠れている男は、もう何処にも居ない。
 スッキリとオシャレに整えられた僕が――そこには映っている。
 怖ず怖ずと触ってみる。襟足と、もみあげの辺りは長い。もみあげは僕の丸い顔を隠すように伸びていて……。でも前髪や他の部分は短め……。うん、別人だ。
「どうでしょう? バッサリ行きましたけど、切り足りない所はありますか?」
「い、いえ! 大丈夫です!」
 こうやって確認されても、「ここをもうちょい~」なんて言える訳がない。それに専門家が良いと思いながら切ったなら、これが良いんだろう。
 伶桜も座っていたソファーから立ち上がり、満足気に僕を見ているしね。
 お会計が6千円。普段、髪を切っている金額の約6倍だったのには腰を抜かしそうになったけど……。まぁ仕方がない。
「――よし、髪は整った。次は化粧品だ。……正直、これは俺もよく分からない。販売員に予算を伝えて一式整えてもらおう。ネットで見る限り、一式揃えるなら相場は……1万ぐらいか。まぁ安ければ5千円からイケるらしい」
「はい……」
 化粧品販売店とか、美容室以上に分からない。全て任せます。
 2人してキョロキョロと辺りを見廻しながら店内に入り、販売員のお姉さんに全てを委ねた。予算範囲を伝え、肌質的には~とか色々と語りつつ、テスターを使い化粧の仕方もレクチャーしてくれた。
 覚えようと頑張っては見たけど……。頭がパンクして、半分も記憶に残らない。伶桜は真剣に聞きながら、動画を撮っていたから、今後もなんとかなるとは思うけど……。日本語って案外、日本で使われてないんだね。英語とかの専門用語ばっかりで、意味が分からなかったよ。後で調べなきゃ。
「――もうマスクはするな。コンタクトも買うぞ」
 化粧が終わった後、伶桜は僕にそんな事を命令して来た。目の輝きが、メンズ服を見ていた時と全然違う。……って言うか、髪切って化粧が終わるまでと、全然違う。
 伶桜って、あからさまだよね。男の僕には興味が無いけど、自分の理想とする可愛い子に近づく程に昂ぶって目に熱が籠もる。
 そのままコンタクトも買って、次は遂に服だ。それで伶桜の考える僕は完成。ここを耐えれば、次は僕が伶桜を着せ替え人形に出来る。一体、伶桜は僕にどんな服を着せたいんだろう?
 そう思ってから数十分後――。
「……ねぇ、これは僕へのイジメだよね?」
 僕は伶桜と契約を交わした事を――心から後悔した。
「違う、最高だ」
「本郷たちに金取られるよりキツいんだけど」
「そうか。でも最高の気分だ」
 僕は最低の気分だよ。興奮したように顔を覆うな。腹が立つ。
「……これ、ゴスロリってやつ?」
「違う。ゴシック&ロリータは、ゴシック調のゴージャスさと退廃美、それにロリータの甘みが特徴的だ。共通点は多いが、これはもう少しカジュアルで敷居が低い、地雷系ってジャンルだ」
 うん、僕には違いが分からないね。地雷系って何? FPSの武器かな?
 鏡に映る自分を見て――怖気がする。確かに我ながら可愛いなぁとは思うけど……。スカートは慣れない。スースーとする。
 肩が出た白い萌え袖のブラウス、チェーンの着いたネクタイ。なぜか3本もついたベルト付き膝丈スカート。黒い靴下に、厚底の黒い靴。
 なんか……動画サイトでこんな服装をした娘がホストに通っているのを視聴した事がある。あの動画の人はピンクのバックとかも持っていたから、それよりはマシだけどさ……。
 女装初心者に、いきなりパンチが強すぎない?
「店員さん。これ、着て帰れますか?」
「大丈夫ですよ、じゃあ値札取りますね」
「ちょっ!? 伶桜!?」
 これを着て街を歩けと!? 鬼なの!?
「さっきまでのヨレヨレの服より、少なく見積もって百億倍は良い。よし、次行くぞ」
「まっ、待って! お会計して来るから!」
 慌ててお会計に向かう。それなりの値段は覚悟していたけど……。意外にも1万5千円ぐらいだった。靴もあると考えると、メンズ物よりはかなり安い。とは言え、美容室代金に直ぐ無くなりそうな量の化粧品、服1セットだけで、もう2万1千円の出費だ。多分、化粧品のランニングコストもエグいし……オシャレって、お金かかるね。
 僕は今日だけで、何時間分のバイト代金を失うんだろう……。
 結局その後、伶桜は恍惚とした表情で僕を着せ替え人形にして、全く系統の違う3種類の服を一式買わされた。
 本日の支出――7万円弱。ATMから取り出したお金が直ぐに消えて、泣きそうです。
 でも伶桜がコーディネートしてくれたお陰かな? この街に来た時のように、ヒソヒソと陰口を言われている様子は消えた。女装をする事で悪口を言われなくなるのは複雑な気分だけど……。自分の存在が認められたようで、少し……いや、かなり嬉しかった。
 次は僕が伶桜を着せ替え人形にする番。――伶桜、覚悟しておけよ?
「――あぁ……。格好良い、ヤバい! ね、ね! 次はこっち!」
「……分かったよ」
 伶桜は今、試着室で僕の着せ替え人形となってもらっている。メンズ服にしては安く、色んなジャンルの服が置いてあるお店で、一店で色々と試せるのはたまらない。
 黒のワイドパンツに白タンクトップ、オーバーサイズの白シャツ。このゆったりとしつつも爽やかなコーデも、格好良い!
 でも長袖ワイシャツを7分丈ぐらいに捲って腕時計を強調しつつ、働き易い感じを演出した服装も良かった……。ああ、こんな格好良い男になりたかったぁ~……。
「なぁ……。散々、俺も玩具にしたけどよ。そろそろ決めようぜ?」
「あ、そうだね」
 自分の好きな買い物をしている時間は一瞬だけど、興味が無い買い物に付き合う時は長く感じる。それに着替えを何度もするから、疲れるよね。
「じゃあ、今着ているのはそのままね。こっちも全部購入で!」
「……は? メンズ服は値段が高いだろう? む、無理だぞ?」
「大丈夫。ここにあるのは安いから。2セットでも、4万円しか行かないよ」
「十分にヤベェ金額だよ……」
「後、腕時計と本命の服が1つあるから……多分、もう5万円は飛ぶよ?」
「……マジ?」
「マジ」
「秋口までの服を3セットと時計だけで、合計9万円?」
「……だから僕が出すって言ったのに」
「男物がこんなに金かかるなら、先に言ってくれよ。俺は部活ばっかで、バイトが出来ねぇんだぞ……」
 遠い目をしながら、伶桜はゲンナリとした表情を浮かべている。
 高校生のお小遣いだとキツいよねぇ。多分、こういうのって一気にまとめ買いするんじゃなくて、徐々に着回しながら揃えて行くものだと思うし。
 今回はコンテストの事があるから、一気に全身トータル買いしたけどさ。
「じゃあ、やっぱり僕がお金出す?」
「……いいよ。その代わり、本番のミスコンで絶対に逃げるなよ?」
 伶桜は若干、自棄になったように店員さんへ声をかけ、会計に向かった。
「……文化祭のコンテスト、忘れてた」
 伶桜を格好良く、自分がこれを着れたらという欲を満たしていて……頭から飛んでいた。そうだ。僕は自分が通う高校の文化祭で、今着ているようなフリフリの服を着てステージに立たないといけないのか……。
 せめてものお願いだから、今のように短めのスカートは止めて欲しい。
 その後、僕の本命とするお店に伶桜を連れて行くと――苦笑しながらも受け入れてくれた。値段を見て顔が引き攣っていたけどね。
 そうして楽しかった時間も終わり、僕たちは電車で地元の駅まで戻って来た。
「俺の着るメンズ服は薫の部屋で保管。薫が着る服は、俺の部屋で保管するぞ」
「……うん。そうだね、親にバレた時、その方が良いからね」
「ああ。叔母さんも考え方が古いけど……。特に、うちの父親にバレたら終わりだな。どっちも男装なんて絶対に認めねぇだろうからさ」
「分かってる。子供の頃から、長く一緒に居るんだしね。……叔父さん、怖いよね」
「ああ。……母さんは大人しいけどな。父さんは……な。尊敬はしているけど、近づくのも怖いよ」
 伶桜の手が小刻みに震えている。
 別に虐待とかは無い。それどころか、伶桜の叔父さんは教育熱心だ。……常に正しくピシッとしていて、厳しいけど。
 近所に住むだけの僕でもそう感じるんだから、育てられて来た伶桜の恐怖は僕の比じゃないだろうな。小さい頃は怖すぎると泣いていたし、魂レベルで恐怖を刷り込まれてる可能性もある。
「……じゃあ、駅のトイレで行く前の服装に着替えて来ようぜ」
 そう言い残し、伶桜は女子トイレへと向かう。
 そして僕は男子トイレへ。個室にサッと入り、元のヨレヨレの服へと着替える。個室に入るまでの、周囲が驚愕している表情には焦った。……胸がドキドキして、嫌な汗が噴き出る。
 深呼吸して落ち着き、トイレから外へ出ると、伶桜はもう外で待っていた。
「おせぇぞ?」
「……レディース服って、着たり脱いだりに時間かかるんだよ」
「ああ、成る程な」
 納得してくれたのか、伶桜は端正な顔を緩めて深く頷いた。
「じゃあ……これ頼む」
「あ……うん、じゃあ僕の方も」
 そうして互いに荷物を交換する。……本当は堂々と自分の着る服を自分で保管するのがベストなんだろうけど……。中々、親の理解を得るのは簡単じゃない。
 特に伶桜の親父さんは厳しいし、頑固だし……。これがバレたらと思うと、僕でも怖い……。波風を立てないように、こうするのが一番だ。どうせ文化祭が終わるまでの短い期間だからね。
 マンションへの帰り道、僕たちは無言だった。
 でも居心地の悪い沈黙ではない。長年の付き合いの伶桜だからかな。別に無言でも、自然体で居られる。
 唯、別々の部屋に入ろうとした時――。
「――髪を整えただけでも、だいぶマシになったからさ。もう少し、自信を持てよ。出来ればメガネじゃなくて、コンタクトにしてさ。……昔みたいに、薫がまた笑えると良いな」
 一方的にそう告げてから、伶桜は部屋へ姿を消した。
 僕は意味深な伶桜の言葉が、どうしても気になる。
 自分の部屋に入り、クローゼットに服を仕舞ってからも、頭から離れない。
 だから――。
「――ねぇ、さっきのって、どういう意味? 今日の僕、笑えてなかった?」
 隣の部屋に向かって、ベランダから話しかけてみた。
 ドンッと、思いっきり壁ドンで返されたけど――その後、伶桜の両親がどうしたと騒ぐ声が聞こえ、僕は部屋に引っ込む。
 転んだだけだと主張する伶桜の声が漏れ聞こえて来る壁を背に、僕は体育座りする。
 自分の口角を両手の人差し指で触ると、への字のように下がっている。
 無理やり上に上げてから離す。また、への字に戻った。
「……楽しかったんだけどな。長年笑っていなかったから、もう固まっちゃったのかもね……」
 昔のように――男女分け隔てなく遊び、体格も皆が大差なかった頃が懐かしい。
 またあの頃のように笑いたい。笑えるように、自信を取り戻さないとなぁ。
「コンテスト……か」
 想像が付かない。でも……もう衣装を買ってしまった。何万円もかけて、本格的に。
 ここまでお金を使って、伶桜を振り回して……。後戻りする訳にはいかない。
 あのクールな伶桜が、僕の事を可愛いと言って悶えてくれてるんだし……。もう少し、自信を持たないとなぁ。せめて自信を持つ為の気概ぐらいは示さないと、伶桜にも失礼だ――。

 週明け。登校して席に座ると、少し教室がザワついた。
 僕が髪を切ってコンタクトにした事が原因のようだ。「え? 誰」なんて声も聞こえて来る。
 マスクは外せなかったけど……。実は昨日、必死に動画を見ながら勉強して、ほんの少しメイクもしている。ナチュラルメイクを薄らとした程度で、誰も気が付かないだろう僅かな違いだけど。
 でも、人の視線が集中しているのは居心地が悪い。
 何をするでもなくスマホを弄っていると、不機嫌そうな本郷たちが僕に向かって歩いて来るのが視界の端に映る。
 ヤバい、またイジメられる……。調子に乗ったよね、そりゃあ呼び出されてイジメられるか……。
 身体をビクッとさせながら、また呼び出される覚悟を決めた。大人しくて黙っているだけでも本郷たちにはイジメられるんだし……。自分のやりたい事をしてイジメられるのは、もう仕方ない。
 ハァと小さく溜息を吐いて肩を落とすと――。
「――へぇ。やっぱコンタクトの方が良いじゃん」
「え……。伶桜?」
 このクラスで聞こえるはずがない、クールな女性の声が聞こえた。
「……チッ」
 分かりやすく舌打ちして、本郷たちは踵を返した。
 そんな本郷を横目に眺める伶桜の顔は、すこぶる不機嫌そうだ。
「……鬱屈した何かを抱えて燻っているヤツ程、人が何かを頑張ろうと踏み出そうとした時に迫害する。心底、くだらないな」
 吐き捨てるように、そう呟いた。
 その冷たくも格好良い言葉が――僕の胸をジンと熱くさせた。
「へぇ……。化粧もしてるんだな」
 席に座る僕の顎をクイッと持ち上げ、伶桜は舐め回すように見つめて来る。
 綺麗な顔が近づいて来て、僕の顔が火照って行くのを感じた。――これは伝説の顎クイでしょ!? それは少女漫画のヒロインとかにやりなさい。普通、現実ではやらないよ、こんなの!
「う、うん……。伶桜にもサポートしてもらったし、頑張らないと失礼かなって」
「ふふっ。そうか……。良いね、頑張ってるな」
 ふっと、微笑む伶桜の顔は――幼馴染みの僕の目にも、凄まじい破壊力を感じさせる美しさだった。クラスの女子や一部の男子は黄色い声を上げて興奮している。
「おはよう~。……あれ、どうしたの?」
 登校して来るなり、いつもと違うクラスの雰囲気を察知したのは、山吹さんだ。小動物のような顔で目を丸くしている。
 そんな山吹さんにクラスメイトが耳打ちすると、こちらへスキップするように寄って来る。止めようとする周囲も気にせずに。メンタル、強いね。態々、異変に自分から近寄って来るんだもん。
「蓮田くん! 髪切ったんだ、爽やかで良いね!」
「う、うん……」
 や、やっぱり格好良いとは言ってくれないんだね……。バッサリ髪切った人に対して当たり障り無い言葉を言われたような……。
「俺がこの髪型が良いって言ったんだよ」
「え? 花崎さんが?」
「そう。美園のタイプ的には、今の薫はどう映る?」
「え? 良いと思うよ。メガネじゃなくてコンタクトにしたから、余計にサッパリして見えるよね」
「……ふ~ん、そうか。ちなみに可愛い系と格好良い系だったら、どっちが好きだ?」
「どっちだろうな~。どっちも好きかなぁ? 私は身長が低いから、可愛い系の服とか小物が好きだけど。見るのは格好良い系も好きだしなぁ~。どっちも好き!」
「成る程ね……」
 値踏みするような目線を向ける伶桜に、それをニコニコとした笑みで受け流す山吹さん。
 なんだろう……。ちょっと険悪な仲なのかな? 有効的な関係性だとは感じない。そもそも、この2人が交流あるなんて知らなかった。同じ体育館を分け合って使う部活だからかな?
「俺はそろそろ自分のクラスに帰るよ。薫の顔を見に来ただけだしな」
「伶桜、もう帰るの? もっとゆっくりして行けば良いのに」
 僕としても、数少ない話せる人だ。本郷たちに絡まれるのから守ってくれたお礼もまだ言えていないし。
「どうせ、もうすぐ1限が始まるから。またな」
「バイバイ、花崎さん」
 微笑みながら手を振る山吹さんに返事をせず、伶桜は教室から出て行った。なんか凄い時間だったな……。イケメン女子と可愛い子の組み合わせは、癒やされて目の保養になるはずなのに。だいぶ疲れた。
「蓮田くんが私以外と話してるの、初めて見たかも」
「そう、だね。誰も僕と話そうなんて思わないだろうし……」
「ふ~ん。……花崎さんは特別なんだ?」
「伶桜は……兄妹同然に育って来た幼馴染みだし。腐れ縁だけど特別と言えば特別、かな?」
 最近は互いに無関心だったけど、ここ数日はまた深く話すようになった。
 兄妹同然に育って来たというのもあるし、なんだかんだ切っても切れない特別な関係なのかもしれない。前向きに考える癖を付けるという意味でも、随分と助けられているしね……。
「……なんか、今日の蓮田くんは楽しそうだね?」
「そ、そうかな? 僕、笑えてる?」
「ん~、笑顔とは違うかな? マスクしてるから良く分からないけど。髪を切ってコンタクトにしたから、そう見えるのかな?」
「それもあるのかもだけど……。ちょっと、頑張ってみよっかなって」
「頑張る?」
 山吹さんが首を捻り、リスのように大きな目をパチクリとさせる。
「うん。……自信を持てるよう支えてくれる人に、失礼じゃないようにって」
「…………」
「自信が持てなくて生きづらいのは、僕も嫌だから。……正しい方向かは分からないけど、努力して足掻いてみようってさ」
 努力した結果の最終目標に対して言う事では無いのかもだけど……。客観的に魅力があるとコンテストで皆に認めてもらって……。優勝で得るテーマパークのペアチケットを使い、山吹さんを誘う。
 この目標に向かって努力して、山吹さんに抱いている謎の感情をハッキリさせたい。
 本人に努力すると宣言する事で、退路を断つ意味もある。……もう、やるしかないぞ。
「良いね。努力するのって、キラキラしていると思う。私で役に立つ事があったら言ってね」
「あ、ありがとう」
 山吹さんは終始、微笑みを崩さなかった。笑顔が可愛いなとは思ったけど、感情が常に優しさで埋まっているのかな? 伶桜に煽られた時も、僕と話している時も同じ表情って……。感情の起伏が無さ過ぎるよ。
「――蓮田、調子に乗んなよ」
「……本郷」
「山吹は皆に優しいからな。自分だけ特別とか勘違いすんなよ? これは蓮田の為を思って忠告してるんだかんな」
「…………」
 山吹さんが去った後、本郷は僕の席までやって来て、小声でそう忠告した。険しい瞳に射竦められるような思いだけど……。勘違い、か。もしかしたら、僕はしているのかな? 唯でさえまともに離してくれる人がいないのに、山吹さんみたいな可愛い女子に優しくされたから……。
 答えの出ない悶々とした思いに思索を巡らせていると、始業チャイムが鳴り、先生が入室して来た。
 いずれにせよ、髪を切ったりメガネからコンタクトに変えたり……。伶桜を除く皆には気が付かれなかったけど、化粧をした効果もあったのかもしれない。爽やかって言ってもらえたしね。
 これから文化祭――蛍高祭に向けて、もっと優勝に近づけるように頑張ろう。
 腐らず何かに目標を定め頑張っていると、不思議と前より自信が出る気もする――。

 その夜。自宅に帰るなり、僕の自室に伶桜がやって来た。両手には衣服や化粧品が詰まった紙袋を持っている。
「――よし、コンテストの衣装を決めるぞ」
「う、うん……」
 僕に可愛い衣服を着せて玩具に出来るのが楽しみなのか、伶桜は心なしか楽しげだ。でもこれから飛びっ切りのオシャレをするって言うのに……。伶桜の服装は学生服のままだ。
 スカートというのも気にせず動くから、下着がチラチラ見えそう。……幼い頃は一緒にお風呂まで入っていて、今更何を言ってるんだろうって感じだけどさぁ。
 そもそも手足が長くて格好良い伶桜なら、スラックスタイプの制服を選択すると思っていた。
「なんで普段はパンツ系でカジュアルな私服なのに、制服選びではスカートにしたの?」
「……分かるだろ。俺がスカートを履いてても自然な場だからだよ。似合わなくても可愛い服を着るしかないんだって、周囲も勝手に納得してくれる」
「小話程度に聞いたのに、理由が重い。正直戸惑うんだけど」
 そんな儚げな顔で語られてもな……。どう反応して良いのか、こっちだって心の準備不足だよ。
 別に可愛い服を着ても良いと思うんだけどなぁ。僕は似合うんじゃないかって睨んでるし。
「黙れ。可愛い物が似合う薫に、俺の気持ちはわからねぇよ」
「格好良い物が似合う伶桜にも、ね? 僕はハリウッド映画に出て来るような、アメリカンバイクが似合う男になりたかったよ」
「アメリカンバイク?……ああ。あのハンドルがカマキリみたいな、ふんぞりかえって運転するバイクか。髭だらけの渋い男が乗ってるイメージだな」
「格好良い物に恨みでもあるの? 言葉のチョイスに悪意を感じるよ」
 格好良いじゃん、アメリカンバイク。手足が長い外国人さんだと、男女問わずにものすっごく格好良いなぁ~って興奮していた。そのままジャンプしてヘリに乗ったり、悪者のアジトに飛び込むなんてさ、最高に格好良いよね。
「そう言えば、伶桜って山吹さんと仲が悪いの? 今日、学校で険悪に見えたんだけど」
 化粧品や衣装を取り出している伶桜の手が、ピタッと止まった。罰の悪そうな表情を浮かべた後、抑揚の乏しい暗い声で答え始める。
「……何故かムシャクシャしたんだよ。本当に薫をよく見ていれば、化粧している事にも気が付くはずだから。分かり易い髪とメガネしか気付いてないのが、イラついてな……」
「あ~……。でも僕はマスクしてたし、仕方なくない?」
「悪かったよ……。急に押しかけて、誘うターゲットの好みもはぐらかされちまった」
「ううん、教室まで来たのにはビックリしたけど……。嬉しかった。山吹さんを質問攻めにするのは、本当に予想外だったけどね?」
「……まぁ好みはコンテストの衣装を決める前に聞こうと思ってたんだけど、コンテストで美園をターゲットにしてる薫を前にして聞くつもりはなかった。……俺の短慮だったよ」
「そんなに山吹さんが気に食わなかった? 普通の事を言ってたと思うけど……」
 誰に聞いても、そう答えれば角が立たないよねっていう模範的な回答をしていたと思うけどなぁ。
「当たり障りなく、全員に配慮するような答えは好きになれない」
 ズバッと伶桜が吐き捨てる。
「自分を貫いていない、本心を覆い隠しているようだからさ……。前々から美園には、八方美人な所があった。俺はどうにも、それが気に食わないんだよ」
 苦々しい顔をして伶桜は語る。確かに、タイプとしては伶桜と山吹さんは真逆かもしれない。
 可愛い系の山吹さんと、格好良い系の伶桜。
 皆に満遍なく優しくして好かれ、メンヘラも製造すると噂の山吹さん。
 極一部としか交流を持たず、物憂げで物事をバッサリ伝える伶桜。
 うん、改めて考えると真逆だね。凄く相性が悪そうだ。
「……いや、薫の意中の人相手を悪く言って済まない。俺が考え過ぎなだけかもしれないのにな」
 片膝を立て窓の外に広がる夜空を眺めながら、伶桜は何かに思いを馳せている。絵になるよなぁ……。ズルい。謝るなら、その異常な格好良さを僕に分け与えてくれなかった事を謝って欲しい。
「それより、コンテストで着る服を決めようよ。伶桜の衣装は仕立てに時間が要るって話だから……。今日は僕の衣装を決めに来たんでしょ?」
「ああ、そうだな。このムシャクシャする感情は、薫を可愛くして忘れよう」
 なんだろう。自分の求める理想をお互いの身体を使って体現する契約だけど……。ウキウキとする伶桜を見ていると、早まった感が否めない。
 この間服を買いに行った時の様に下着が見えそうなスカートは嫌だなぁ……。褒めてもらえるのは嬉しいけど、まだ心理的な抵抗がある。
「この間の地雷系も可愛かったけど……。好き嫌いが激しいジャンルって欠点もある。だからと言って、カジュアル過ぎるのはコンテスト向けじゃない」
「うん、なんかイメージだけど……ミスコンではドレスとかお嬢様っぽいのとか、上品な服装のイメージだよね。……上品だろうと短いスカートでステージに立つのは、僕は嫌だけどね? 考慮してね?」
「分かってる。そこで、だ。――やっぱりコイツだろ。セクシーとカジュアルの間を取ったコーディネート」
 伶桜が楽しそうに床へ衣装を並べて行く。……人の形に並べているから、着た時のイメージが分かりやすいけど……お臍の部分に、布が無いんだけど? 胴が異常に短い人向けなのかな?
「ほら、着てみろよ。当日はメイクにヘアメイク、カラースプレーもするからな。……一着の衣装で2度楽しめて、俺得だ」
「髪を染めて皆の前に立つの、怒られないかな?」
「ちゃんと洗えば1日で落ちるから、問題ないだろ。お祭りの舞台の時だけだしな」
「ん~、そっか。なら良いか」
 僕はクローゼットの中に入り、渡された衣装へと着替える。……やっぱり、露出が多くない? お腹と首回りがスースーするんだけど……。しかもスカートだし。かなり丈は長いから、良いけどさ。
「……着たよ。どう?」
 僕がクローゼットから出ると、伶桜は苦しそうに左胸を押さえて悶えている。
 一々、大袈裟な反応だよね。段々、僕が女装を嫌だって言わない為に、わざとやってるんじゃないかと思ってき……いや、無いな。そういう嘘とか演技、伶桜は嫌いだしね。
 キモければスパーンとキモイって言うし、可愛ければ直情的な反応をする。と言うことは……え、やっぱり僕って、そんなに女装が似合うのかな? この間は、我ながら可愛いかもとは思ったけど……。
「素晴らしい……。尊いな」
「キリッと表情を作り直して、大真面目な顔で言わないでくれる? 手遅れだから。発言の内容も酷いし」
「ああ……。白の臍出しUネックカットソーに、着崩したショート着丈萌え袖パーカー。黒のロングデニムスカートに白スニーカー。……完璧だ」
「完璧なの!?」
「俺が思い描く上品とセクシー、カジュアルを兼ね備えたバランスの中ではな。アウターが白だから清潔感もあるし、ヘソ出しでやり過ぎないセクシーさ、細いボディラインを強調。下は動きやすいカジュアルさもある。……上品とセクシーを混ぜるのは難しいが、バランス的にパーフェクトだろ」
「パ、パーフェクトなんだ……」
「ここから更に、スッキリしてる首元でウルフカットも活かせるんだろ? もう楽しみで、ぶっ壊れそうだよ……」
「……目が怖いよ? ねぇ、触るのはセクハラじゃない? 僕、前も注意したよね?」
 真剣な目付きで、伶桜は僕の胸やウエストを触って来る。嫌らしい手つきじゃないから、嫌悪感も無いけどさ……。
「メリハリのあるバストとヒップに、キュッと引き締まるウエスト周りを際立たせるXラインシルエット……。Uネックから浮いて見える鎖骨もセクシーで、超高ポイントだ」
「……可愛い物の事になるとさ、伶桜ってクールとか消えて、変態のアホになるよね」
「悪いか? 好きな事に熱中するってのは、そう言うものだろ?」
「……そう、なのかもね」
 周囲の目や、普段の自分のイメージなんて忘れて無我夢中になる。それは本当に格好良いし、素晴らしい事だと思う。僕も伶桜を格好良くしている時は……似た感情に至る。
 自分で着られないのは少し悔しいけど――理想の姿を作るって、凄く楽しいから。
「しかし……足らないな」
「え? な、何が足りないの? 努力でどうにか出来る事なら、頑張るよ」
「バストの膨らみが、ちょっと足らないな」
「それは努力では、どうにもならないや。元々、男は膨らむように出来てないからね? 僕の性別、勘違いしてない?」
「バストはどれぐらい盛るか?」
「はぁ……。伶桜と同じぐらいで良いよ」
「ぶん殴んぞ?」
 伶桜の慎ましやかな胸元を見ていたら、首を絞められた。
 殴ってないじゃん、もっと殺意高めのムーブじゃん……。でも正直、これは僕が悪かったと思う。
「だってさ、カップ数とか良く分からないし。伶桜に任せるよ」
「……それが一番、責任が重いんだよな。男子受けするサイズと女子受けするサイズは違うし……。あんま盛り過ぎてもバランスが崩れるが、盛らないとセクシーさが薄れる……。悩ましいな」
「……ごめん、悩ませちゃった?」
「ああ。最高に楽しい悩みだ。こっから更に仕上げて、当日はメイクに髪まで極めるんだからな」
「……そっか」
 最高に楽しい悩み。その言葉の通り、伶桜はキラキラと輝く瞳をしている。上から下まで、舐め回すように僕を真剣に見つめ、考えてくれていた。
「……ねぇ。僕も調べたんだけどさ、美容に良い手入れとかって、どんなのがある? 一応、美容液とかリンパマッサージは始めようと思うんだけど……」
「そうなのか?……そうだな。やらないよりは、やった方が良いだろうな。肌の状態次第でメイクのノリも違うって言うから。後は……こんだけ肌も綺麗に整ってるのに、必要があるのか?」
「出来る事は全部やっておきたくて。……優勝、したいし。後悔は、したくないから」
「薫……」
 伶桜は少し目を見開いて驚いた後、嬉しそうに微笑みを浮かべた。
「そっか。なら……1回ぐらい、体験でエステに行くのも良いかもな。体験なら安いし」
「エステかぁ……。そうだよね、やっぱり美容のプロだもんね」
 考えなかった訳ではない。でも体験で1回行くだけで1万円近くする。高校生が通うのは……。う~ん。アドバイス込みで一回だけと決めていけば……。冷やかしって思われないか悩ましい。それに男が1人で入るのは、美容室以上にハードルが高いけど……行ってみるかぁ。
「1番は股間にぶら下がってる余計な物を取る事だと思うけどな。ホルモンバランスも、変わるんじゃないか?」
「余計じゃないよ、必要な物だよ。優しさと一緒に泥を投げずにいられないの?」
「泥パックは美容に良いらしいぞ?」
「うるさいよ、比喩だよ、分かってるでしょ?」
 全くもう、僕が真剣に相談しているのに……。でも、なんだか肩の力が抜けた。
 もしかしたら、僕が気負いすぎない為に、伶桜は冗談を言ってくれたのかも知れない。
「楽しみだな。ワクワクして、たまらないよ」
 目を輝かせてそう語る伶桜は、小学生の頃のように無邪気な笑みで……。僕は当時を思い出し、嬉しい気持ちになってしまった。
 あの頃は楽しかったって言うのは格好悪いかもだけど……。そう思わずには居られない。伶桜とこうして何かに夢中になる時間は、やっぱり昔から楽しかったから――。

 文化祭の当日。
 今日まで何度も細かい小物などの調整をしたり、お互いをメイクし合ったり……。仕草やアピールまで仕上げて来た。
 そんな朝――。
「――よし。誰も見ていないな?」
「うん、隠れるように持って来たから」
 僕たちはマンションから一緒に登校し、互いの部屋から持ち出した衣装を交換する。僕は伶桜が着る衣装を、伶桜は僕の着る衣装を渡す。
 親や周辺住民に見られないように、コソコソとだ。
「後は、学校で衣装を着てから本番直前にメイクと髪を仕上げるぞ。汗で本番に崩れたら、最悪だからな」
 未だ残暑は厳しく、文化祭で仕事をすれば汗はダラダラになるだろう。
 僕たちは人目を忍んでメイクや衣装を着られそうな場所を話し合う。エントリーもナンバー配布も済んでいる。
 簡単な流れの説明はあるけど、後は本番で自分の番号が呼ばれた時に体育館の入口に居れば良いそうだ。
 男子が女装をして、女子が男装をして出場するのがコンセプトのコンテストだけど……。
「ねぇ、伶桜?」
「なんだ? そんな神妙な顔をして」
「……僕たちってさ、そんなに親やご近所さんに顔向けが出来ないような……。悪い事をしているのかな?」
「……薫」
 伶桜は足を止めると、少し屈んで僕の頭を撫でてくれた。……身長差の自慢かな? 喧嘩売ってるのかな?
「……誰もが俺たちのやりたい事を受け入れてくれる訳じゃない。お遊びならともかく、本気でやればやるほど、心配する人も居るんだよ。……残念な事に、な」
「…………」
「特に、俺の親父にバレたら、どうなるか分からない。自他共に厳しいし、自分の考えを中々曲げない人だから。……済まないな」
 優しい声音で諭してくれる伶桜の声に、僕の苛立ちは霧散した。でも女装や男装を極めて行く事が、必ずしも誰にでも誇れる事じゃないのには、伶桜も葛藤を抱いてしていたらしい。
 なんでだろうね。オシャレを極めるのは、誇れる事なのにさ……。
「そっか……」
「そんな顔をするなよ。今は全力で、優勝を取りに行く事だけを考えろ」
「…………」
「美園の事、誘うんだろ? 優勝してペアチケットを取らなければ、スタートラインにも立てないんだ。思い切って楽しもうぜ」
「……うん」
 そうだ。僕はミスコンで優勝して、必ずテーマパークのペアチケットを手に入れ無ければいけない。それを口実に山吹さんを誘って……入学以来、抱いて来た自分の気持ちがなんなのか、ハッキリさせる。
 今はその為に、全力で可愛くメイクアップする事を考えよう――。

クラスの出し物で飲み物の販売と休憩所を提供していたんだけど……昼過ぎには早くも、飲み物が売り切れになった。
 文化祭の出し物で販売する商品は、余り物が出ないよう、昼過ぎには売り切れとなる入荷量に設定されているらしい。
 つまり夕方頃には、ほぼ全ての在校生徒が暇になり……外部からの来場者だって、行く場所が無いからとイベントステージに集まる。
 驚いた事にタイムスケジュールを見ると、ミスコンとミスターコンは体育館に設置されたイベントステージな最も人が集まるであろう時間に開催されるようだ。
 よりにもよって、色物イベントをメインに据えるのはどうなの? もっと他に見せるべき素晴らしい出し物があるじゃん? バンド演奏とか、演劇とかさ……。
 そしてコンテストまであと1時間と迫った頃。
 ミスコン、ミスターコン出場者へ実行委員が本番の流れを説明するとの事で、僕は体育館入り口へとやって来た。
「――それでは、ご説明します。順番としてはミスターコン、ミスコンの順番で行います。出場者は必ず、登録ナンバーが前の人が入場する時には、体育館入り口へ再集合してください」
 僕の渡されたナンバーは、10番。ミスコンへ出場する人数自体が10人らしいので、最後だ。……トリを務めるのは嫌だけど、最後まで自信が出ずに参加登録が最後になったから仕方ない。自業自得だ。
「会場の中央は花道として、観客席からスペースを開けておきます。花道を通り、向かって左側の階段からステージへ登壇した後、ランウェイを一周してステージへと戻ってください。そこからは司会のインタビューが行われます。終わったらステージ奥に掃けて頂き、最後の選考まで待機です」
 モデルさんが歩くような細いステージが、体育館のステージに継ぎ足され凸の字のようになっている。うちの学校、思ったより本格的じゃない? 予算の使い方にビックリするんだけど……。
「それでは、また時間が来ましたらお願いします。更衣室は各学年の更衣室をご利用ください」
 もうそのまま制服で出ない、コスプレなり衣装を着るのが前提なんだね。
 僕以外に9人いるミスコン出場者の中に、1年生は2人。
 これは僕以外にも1年生の更衣室を使う人がいるという訳で……。僕としては、困る。
 誰かがいる中で着替えたり、メイクしたりするのは、かなり恥ずかしい。……そもそも、隣に伶桜がいない状態で女装しているのも、緊張してしまう。話したことが無い人と一緒に居るとか、無理です。
 伶桜と事前に打ち合わせしていた通り、バスケ部の部室で最終仕上げをした後は、開始まで近くの校舎にあるトイレに籠もろう。
 窓から覗けば体育館内の様子も見えるし、それ以外は個室に居れば、人と遭遇する確率だって減るだろう。
 どうせこの後、大勢の人に女装姿を見られるというのに――正直、僕は臆している。
 全力で準備して来た。だからこそ――批判されるのにビビっている。
 土壇場になるまで気が付かなかった。実感が湧かなかったんだ。
 多くの人の視線を一身に集める事の恐怖を。まして、それが学校で浮いている僕で……女装という少し普段と違うファッションだと言う事を。
 陽気なキャラの人がやるなら、ネタとして笑ってもらえるだろう。
 でも僕みたいに冴えない男が1人、女装してランウェイを歩くなんてしていたら? そんなの、地獄絵図に決まっている。誰も楽しくない――。
「――薫。どうした?」
「伶桜……」
 女子バスケの部室で僕の髪をセットしてくれていた伶桜は、後ろから声をかけて来た。既に伶桜は着替えを終えている。
 僕が伶桜にチョイスしたのは、黒いスーツ礼服姿。ネクタイの色は光沢のある淡い紺色。小物としてクールで知的な印象を出す為に、銀のアンダーフレームメガネをしてもらっている。
 アンダーフレームのメガネって、漫画とかアニメだとよく見るけどさ……現実ではかなり売ってる数が少ないよね。探すのに苦労したよ。
 それにしても、本当に格好良い。僕が選んだチョイスだけど……働く男性ってやっぱり素敵だから。スラッとしたスタイルにクールな表情の伶桜が着る事で、社会で戦う格好良いエリート感が半端じゃなく演出されている。バスケ部の部室とは、合わない格好だけどね。
「……自信、無いのか?」
 ヘアーアイロンで僕の髪をセットしながら尋ねる伶桜の言葉に、僕は思わず俯いてしまう。
「うん……。僕みたいに冴えない男の女装なんて、需要がないでしょ?」
「アホが……」
 髪のセットが出来上がったのか、伶桜はアイロンのスイッチを切り、手袋をしてヘアカラースプレーを僕の後ろ髪へと吹きかけて行く。
 最初は少しスプレー臭かったけど、換気の為に開けている窓から流れる風が匂いも連れ去ってくれた。
「――ほら、これを見ろ」
 顔を上げると、伶桜のスマホが目に入る。
 内カメラに切り替えていたようで、僕らしき女装人物と伶桜が映り――カシャッと音がした。
「なんでいきなり撮るの? イジメ? ネットにばらまくぞってヤツ?」
「違うよ。薫に現実を教えてやる為だ」
「現実って……」
「ほら、この1組の男女を見て――どう思う?」
「どうって……」
 その写真は、格好良い伶桜の腕にまるで抱かれるように――可愛い娘が写っていた。
「これ、本当に僕?」
「ああ」
 信じられない……。メイクと髪型、カラーを本気で仕上げるだけで、もの凄く垢抜けた感がある。
「現代の加工技術は、ここまで……」
「加工してねぇよ。卑屈になるな。俺だって、いつも通りイケメンだろ?」
「そうだね……」
「この組み合わせを見て、不釣り合いだと思うか? 少なくとも、俺はそう思わない」
「……これだけ見ると、僕じゃないみたいだから。でも、そうだね……」
「俺と並び立てるだけ、メイクアップした薫は可愛い。それが自信になるだろ?」
「……伶桜ってさ、結構ナルシストだよね」
「言い方が悪い」
 これだけ自信を持てる伶桜を見習いたいけど、僕には無理だ。そんなのは、中学校以降から続くプライドが粉々にされる日々で失われている。
「……実績だよ。別に俺は格好良くなるのを望んでないけど、こんだけ告白されて来たら、認めねぇ方が逆に傲慢だろ」
「まぁ……。そうだね」
「だろ?」
「でも、この写真だけを見てるとさ……」
「ん?」
「僕と伶桜――完全に男女が逆転してるよね」
「ぶん殴るぞ? 膝で」
「ごめんなさい、失言でした」
 それは殴るとは言わない。蹴るって言うんだ。――でも外見だけだと、本当に男女が逆転して見える。僕が女で、伶桜が男で……。
 スーツを着ているから、歳の離れた兄妹みたいな? それか怪しい関係の……。いや、これを考えるのは止めとこう。
 実際には、男女の定説関係が逆転したような外見をした、幼馴染み同士だからね。……とは言っても、写真に写る幼馴染みは僕の知っている姿と違い過ぎて――見知らぬ人みたいなんだけどね?
「そろそろ始まっている時間か……。俺はミスターコンの4番だから、そろそろ行かないとだ。部室、閉めるぞ?」
「う、うん……」
「俺の出番、見てろよ?」
「……トイレの窓から見てるよ」
「お前は……。まぁ、良いか。逃げんなよ?」
「分かってる……分かってるよ」
 ここまで来て逃げるのは――最低な行為だって事ぐらい、分かっている。
 未だ沈鬱としている僕の頭を一回撫でてから、伶桜は体育館へと向かった。
 その背が見えなくなってから、僕は体育館近くのトイレへと駆け込む。幸い誰にも見られる事は無かった――。
「……ちゃんと見える」
 トイレの窓から顔を出すと、体育館2階の窓から全てが見えた。アナウンスまで聞こえて来る。
 周辺住民からクレームとか来ないのかなって大音量だけど……。事前に自治会に許可とかは取っているんだろうな。
 会場は全体的に暗く、出場者が歩く姿をスポットライトが照らしているようだ。体育館入り口が開き、花道からランウェイを歩き終えてインタビューが終わるまで、それは続くらしい。
「あ……。いよいよ伶桜の出番だ」
 司会者がエントリーナンバー4番と、伶桜の名前をコールする。その時点で会場は歓声に包まれている当たり、伶桜ファンが多いと良く分かる。
 入口がゆっくり開くと――スーツに身を包み、マスクとメガネを掛けた伶桜がゆっくりと入場して来る。まさかの顔が見えない衣装スタイルに、戸惑うような反応も聞こえる。
「……計算通り」
 僕と伶桜が考えた登場演出はこうだ。
 最初はコンテストなのに、あえてメガネとマスクという顔を隠した状態で入場する。そうして花道を通っている間に――。
「きゃああ! ヤバいヤバい!」
「顔メッチャ綺麗、格好良い!」
「メガネ似合い過ぎ! スーツ姿、鼻血出る!」
 マスクを取り、素顔を出す。マスクイケメンという言葉があるけど、逆にマスクを取ると残念な場合もある。
 どっちだろうと焦らされた分、外した時にイケメンの顔が現れた時の衝撃が来るだろうという計算だ。デカすぎる声で興奮する反応を聞く限り、上手く嵌まっているらしい。
 そうして登壇し、ランウェイを歩いて全体の注目が集まっている時にメガネを取る。
 僕はこのメガネを掛けたり外したりという仕草も、格好良さのポイントだと思っている。メガネを外した時とのギャップも楽しめるしね。
 ランウェイの先――最も客席に近付いてから、気障ったらしく髪を掻き上げた。少し微笑んでネクタイを緩めれば――体育館は、割れんばかりの歓声が木霊した。全て狙い通りだ。
 徐々にオフスタイルになって行き――最後は自宅に帰って来た時に見せるオフモードへと切り替わる瞬間で、観衆を魅せる。
 格好良さ100点満点の薫が、唯々歩いても、常に格好良いだけで刺激が少ない。だからギャップという演出を加えて見たんだけど……。
「歓声、凄すぎるなぁ……」
 僕はまだ、伶桜の人気を過小評価していたらしい。改めて、伶桜の人気を再確認させられた。
 全体のハードルを上げてしまった気がする。僕も他の一部出場者のようにネタキャラだったら、伶桜と張り合わなくて済むけど……。本気で美をテーマにするなら、この歓声と張り合わなければいけない。
「ヤバい、緊張で胸が張り裂けそう。心臓が口から出る……。胸からエイリアン産まれそう」
 バクバクと激しい鼓動が身体を揺らす。本当に、自分の中で知らない生物が蠢き拍動しているようだ。それぐらいに緊張している。
 僕は一旦、会場から目を背けて個室トイレの便器へと座る。
 胸に手を当て深呼吸をしても、一向に落ち着かない。ソワソワして、ゲロ吐きそう……。気持ち悪くなって来た。
 体育館から音漏れしている司会者のアナウンスで、ミスターコンの8番まで進行しているのが聞こえて来た。……なんで緊張している時とかは、時間の流れがあっという間に感じるんだろう。
 もう時間の猶予が無い。
 心の準備……覚悟なんて、本番を前にすればあっという間に脆く崩れてしまった。
「……逃げちゃおうかな」
 個室トイレに座りながら、ボソリとそう呟いた時――ポケットのスマホが震動した。
 震える手で開くと、伶桜からのメッセージだ。
『花道の先で待っているからな』
 伶桜は今、ステージの上で全出場者がアピールを終えるのを待っているはずだ。隙を見てスマホを弄り、僕にメッセージを送って来たんだろう。
「考えてる事、見抜かれてる……。それに、やっぱり立場が逆でしょ」
 ここまでメイクアップしてくれたのは伶桜だ。
 その伶桜は、僕の要望通りの格好良い姿を披露してくれた。
 今日、ここまで付き合ってくれたのは――互いの欲を満たす為と、僕の気持ちをハッキリさせるって目標の為だ。
 ここで僕だけ逃げるなんて……不平等だ。
 優勝してペアチケットを手に入れる。
 そして僕は自信も手に入れて――山吹さんをテーマパークに誘うんだ。
 卒業まで自分の気持ちがハッキリせず、モヤモヤしていたいか?……それは絶対に嫌だ。
 ここまでしてくれた伶桜を裏切るのは、格好良いか?……絶対に、格好良く無い。最低最悪で、醜悪だ。
 元より逃げ帰った先の部屋は、僅か1枚の壁を隔てて隣に伶桜が住んでいる。逃げ切る術は無い。
「……行くか」
 震える手をギュッと握って拳を作り、僕は立ち上がる。
 最低最悪の根性無し男に、成り下がらない為に。
 そうして僕は、体育館を目指して歩き始めた――。
「――それでは、本日最後の出場者の入場です。ミス蛍高コンテスト、エントリーナンバー10番。蓮田薫さんです!」
 ドアがゆっくりと開かれる前から――僕の名前だけで、ざわめきや戸惑いの声が上がったのが聞こえた。知名度も無い、知っている人は、「あの冴えないモッサリとした男?」と思っている事だろう。
「……はは。伶桜とは、大違い。真逆の反応だね」
 観衆の前に進むのが怖い。……でも、既にドアは開かれた。
 僕は何かに追われるように、扉から花道へと飛び出す。そして一礼して、花道を歩き始める。
 スポットライトが眩しい。周りが暗くて、観衆の顔が余り見えないのは良かった。
 体育館入場口の反対側、ステージの上では――僕がコーディネートした伶桜が、腕を組んで待っている姿が小さく見える。
 伶桜はなんて言っていた?……そうだ、伶桜は僕の為に、作戦を立てたじゃないか。
 伶桜が僕の為に立てた作戦は――『余計な事をするな、考えるな。前を向いてゆっくり歩け』だ。
 唯々、ゆっくりと歩いてランウェイを目指す。それだけで良い。……ちょっと、いい加減過ぎない? 立案された時から思っていた作戦だけど――案の定だ。
 伶桜が登場した時のような大歓声どころか……観衆の響めきが館内中へ広がっている。
 有名人の伶桜と違い、蓮田薫なんて名前を聞いた事が無い人が殆どだから、当然かもしれない。『蓮田薫って誰?』、『え? 知らない。あんな子いた?』という声が、僕の心をキュッと締め付ける。
 気が付けば早足になりそうなのを理性で抑え着け、頭を下げながらランウェイを目指す。ああ……早く着かないかな。やっぱり、僕には無謀だったみたいだよ……。
 ピロンっと、あちこちから録画を開始した音まで聞こえて来る。
 黒歴史がネットに流されるかもと思うと、恥ずかしさで顔が熱くなってしまう。
「……メッチャ可愛い」
「ああ、ヤバい……。ケバいチークじゃなくて、自然な頬の赤らみとか……。マジで庇護欲が掻き立てられるわ」
 え?……なんか、一部には受けてるのかな? 
 ざわめきは徐々に黄色い声、歓声へと変わって行く。
 祭りに浮かれた館内に、熱気が波の様に広がっていく様が僕にも見える。
 興奮のボルテージが上がって行くのが……目を、鼓膜を、肌を通して体感出来る。
 なんだろう、この言葉にならない高揚感は? でも、1つだけ良く分かる。
 僕は今――嬉しい。
 蔑まれ息を殺し続け生きて来た僕からすると――涙が込みあげるほどに嬉しい。
 ランウェイの先でスポットライトを浴びた僕が礼をする時には、まるで伶桜に向けられていた歓声と同じぐらい、会場は熱狂の渦に包まれていた。
「いやぁ~、凄い歓声です! エントリーナンバー10番の蓮田薫さんでした。それではこれより、インタビューをして行きたいと思います!」
 テンションの高い男子が、マイクを片手に近寄って来る。……陽気なキャラだ。テンションが高い。苦手というか、まるで僕と違う生き物に感じて戸惑うんだけど。
 僕はお菓子を作りながらFPSで敵をキルしたり味方を助けて、密かにほくそ笑む陰気なタイプなのに……。
 ああ、でも――こうやって歓声を集めるのは気持ち良い。震えるけど、嫌な震えじゃない
 まるでこの世界で僕が存在する事を認められているみたいで……。率直に言って、心が満たされていく。劣等感でグチャグチャに握り潰された紙の様な心に喜びが吸収され、自信となって膨らんで行くのを感じる。
「蓮田薫さん、本日の衣装のポイントは!?」
「えっと……。あの、なんか可愛さとセクシーとカジュアルが、どうとか……」
 言葉尻がドンドンと下がってしまう。何これ? 僕の肺活量って、こんな弱かったっけ? 唇が震えて、上手く喋れない……。
「薫ちゃん、頑張れ!」
 薫くんです。
「緊張して喋れなくなってるの、めっちゃ可愛いな! 作ってない、マジもんって言うの?」
 うん、バレてるね。マジで恥ずかしがってます。だから、僕を助けて?
「ヤバい、お持ち帰りしたい!」
 お断りします。
「私はずっと眺めてたい! あ~、震えてる姿を見るとヨシヨシしてあげたくなる!」
 危険人物が紛れてない? この学校、アホばっかじゃない? 本当に進学校なの? それとも、勉強が出来るとアホになるの?
 インタビューに答えたくても、喉が震えて上手く言葉が出ない。ああ、もう無理。僕帰る! お願い、誰か助けて!
「素敵な衣装にメイク、髪型……。本コンテストへのメイクアップは、ご自分でされたんですか?」
「えっと……。僕の、幼馴染みが……」
 我ながら情けないぐらい、小さな声で答えると――館内で「僕っ娘」と叫びながら、胸を押さえ興奮する人たちが見えた。……色々な性癖があるし、良いと思うけどさ……。なんか目がギラギラしてて、怖い。
「ありがとうございました! それでは蓮田薫さんへ、盛大な拍手をお願いします!」
 司会者が拍手を煽ると、観客は歓声を上げながら割れんばかりの拍手を送ってくれる。ノリの良さに驚愕しつつ、僕は何度もペコペコと頭を下げる。もう、足が震えて上手く動かない。
「蛍高祭ミスターコンテスト、ミスコンテスト全出場者のアピールが終了しました。出場者は番号順に一列で並んでください」
 司会の促しに従い、僕たちはステージの上へ一列で並ぶ。暗い館内で、周りは殆ど見えない。
「審査員の採点結果も出たようです。それではこれより、優勝者の発表に移ります。ミスターコンテスト、ミスコンテスト優勝者には、スポットライトが当てられます。出場者の皆さん、会場の皆さん、心の準備は良いですか!?」
 ダメだって言っても、どうせその時は来るんでしょ?……それなら、一思いに早くお願いします。
 妙なドラムロールと共に、スポットライトがあちこちを照らし――。
「――本年度の蛍高祭、ミスターコンテスト優勝者は、花崎伶桜さん! ミスコンテスト優勝者は、蓮田薫さんです! 両者は、前へどうぞ!」
 スポットライトが、僕たちを照らし出した。
 もの凄い眩しさに、思わず目を細め顔を腕で隠してしまう。……って、優勝? 僕が?……目標を、達成出来たのか? 準備に対して、結果発表はあっという間過ぎて――実感が湧かない。
「今年はネタ枠の優勝では無く、本気で挑んだ2名が優勝しました!」
 え? と思い後ろを振り返ると――ネタでやっている人ばかりだ。本気で美しさを目指しているのは、ほんの一握り。……お祭りだし、そうだよね。
「それでは、順にインタビューをして行きたいと思います! まずは見事ミスコンに優勝された蓮田薫さん、おめでとございます!」
「あ、ありがとう……ございます」
「今のお気持ちはどうですか?」
「ふ、複雑な気持ちです」
 結果的に、皆から認めてはもらえたんだと思う。でも――よくよく考えると、僕が目指していた格好良さから1番遠ざかってない?……いや、誰にも存在を認められ無い、キモイ冴えないと言われるよりは、可愛いでも認めてもらえたのは嬉しいんだけど……。うん、やっぱり複雑な気持ちです。
「とっても可愛い仕上がりでしたからね~。優勝したので見事、テーマパークのペアチケットが贈呈される訳ですが……どなたと行くかなどの予定や希望は、ズバリあるんですか!?」
 司会者のその問いかけに、僕は――つい山吹さんを探してしまう。
 ここには来場したお客さんだけでなく、殆どの生徒が居る。山吹さんだって、例に漏れないはずだ。
 キョロキョロと会場を探していると――伶桜が司会の持つマイクを優しく取り、僕へと手渡して来た。まさかとは思うけど……ここで誘えって!?
 驚愕に目を剥く僕に、伶桜は楽しげに微笑んで返した。
 あ……これ、逃げ場が無いやつだ。
 こうして時間をかければかけるほど、会場は更にざわめき、注目度が増していく。最早、誰もが僕の一挙手一投足に注目している状態だ。
 ここまでやって……。優勝という結果まで残して、逃げちゃダメだ。……度胸を出せ、いざという時にしっかりと勇気を振り絞れる――格好良い男になれ!
「1年の……山吹美園さん」
 僕が名前を出した瞬間、歓声とも怒号ともつかない声が体育館をビリビリと揺らす。
 観客の中から、背を押されるように誰かが前へと出て来た。
 それは――間違いなく、僕が名前を口にした山吹さんだった。
 緊張で唇が震える。呼吸が上手く出来ない。でも――言葉にして伝えなきゃ!
「入学式から、冴えない僕に話しかけてくれたのは……山吹さんだけでした。その時からずっと、良く分からない好意を抱いていて……」
 ああ、もう……。何が言いたいのか、何を言っているのか分からない。頭が真っ白だ。兎に角、必要な事だけでも伝えなきゃ!
 大きく深呼吸をして――。
「――身の程知らずなのは分かっています。でも、こうして誘えるように努力してみました。このペアチケットで……。僕と一緒に、テーマパークへ行ってくれませんか?」
 僕は伝えきった。
 後は山吹さんの返事を待つだけだ。
 山吹さんは、数秒俯き――目元を拭った。……え? 泣かせた? 僕のせいで?
 そうして顔を勢いよく振り上げた山吹さんの顔には、涙がポロポロと流れていて――。
「――私より可愛い人とは、行けません!」
 体育館中に届く、大きく強い声で――山吹さんは僕の申し出を断った。会場の喧噪を掻き消すような一言だ。
 僕の身体中に流れる血の気が引いて行く。立ち尽くしている僕も、やがてフラれたんだと理解する。
 山吹さんは、まるで大切な物を奪われてヒステリックになった子供のように泣きじゃくっている。取り乱しっぷりが尋常じゃない。
 衆目を集めてる中では、断るのも辛いとは思うけど……。そんなに、僕から告白されたのが嫌だったのか。
 知らなかった。テーマパークに誘っただけで、こんなに取り乱す程に嫌われていたなんて……。彼女の分け隔て無い優しさに、僕は痛い勘違いをしていただけだったんだ……。
 そうしてハッと、今の自分の立ち位置に気が付けば――そこは、針の筵だった。
 終わり良ければ全て良しという言葉がある。逆に言えば、終わりが悪ければ――過程なんて全て悪い方向へと塗り替えられる。
 賞賛も賛美も、憐憫や哀れみなど他の感情に上塗りされてしまう。
 数々のヒット作を生み、人々へ感動を与えて来た芸能人が、大きな不祥事1つで悪役として消え去る。会社で功績を残して来た人もそうだろう。
 そんな、やらかしてしまった人の気持ちが……今の僕には、痛い程に理解出来てしまう。
 あれだけあった歓声は消え、今では沈鬱な空気が体育館一杯に漂っていた。その視線が集中する一点で、一挙手一投足を観察される僕は……地獄に居る心持ちだ。
「うわぁ……」
「シンドイ……」
「マジで可哀想……」
「ここで言わなくても良いのに……」
 小声でそんな会話が交わされているのが、静寂に包まれた体育館内では良く聞こえて来る。
 どんなイジメよりも、この晒しはキツいなぁ……。
 伶桜に可愛いって評価されて、僕は舞い上がっていた。本郷の言う通り、調子に乗っていたんだ。
 分をわきまえず、光輝く世界に立とうとしてしまった。――その結果がこれだ。
 誰も幸せにならない展開。空気が読めない痛い僕のせいで、楽しかった文化祭が沈鬱とした嫌な思い出に変わる。
 お前のせいだと言わんばかりの視線が怖い。人の悪意が集中しているのが怖い。逃げ出したい……。でも、逃げ場なんてない。――どこに逃げても、僕みたいなヤツが生きる世界は辛く息苦しいんだ。
 調子に乗って女装まで晒し黒歴史を刻んで……。明日から、もっとハードに、大勢から迫害されるんだろうなぁ……。
 全部、僕の思慮が足りなかったせいだ。
 泣いちゃダメだ。……僕がここで泣くのは、情け無い。本当に傷ついてるのは、巻き込まれた山吹さんなのに、加害者の僕が泣く訳にはいかない。
 分かっているのに……目が潤んで来る。内から溢れ出て来る涙が、止められない。せめて、零さないように……。決して溢れさせないようにしないと……。ああ、上を向いても……ダメだ。顔が歪む。辛い、やっぱり辛いなぁ……。
「え、え~っと……。それではミスターコン優勝者へのインタビューに移ります!」
 僕からマイクを奪い返した司会が、焦りながらも沈鬱とした空気を打開しようと無理にテンションを上げている。……僕のせいで、こうして無理にテンションを上げさせている事実が……申し訳ない。全部、僕が余計な事をしたからだ……。
「花崎伶桜さんは、優勝賞品のペアチケットで、どなたとテーマパークへ行かれる予定か……既にお決まりですか?」
「ああ、俺は最初から決まってるから」
「おお!? それは素晴らしいですね! それでは、これで優勝者インタビューを――」
 先ほどと同じ轍は踏むまいと、インタビューを打ち切る司会から、伶桜はマイクを強引に奪い取り――。
「――俺が一緒に行く相手は、コイツしか居ない」
 僕の肩へと、腕を回して来た。
「……へ? 僕?」
「ああ、俺の相手は――薫だ」
 静寂に包まれていた会場に――歓声と悲鳴が入り混じった声が反響する。
「美園が要らねぇって言うなら、俺が薫をもらう。……まさか、文句は無いよな?」
 伶桜は涙を拭っている山吹さんを一瞥した後、僕の顔をジッと覗き込んで来た。
 そのグイグイと迫って来る救いの言葉に、僕は思わず――。
「――は、はい」
 オッケーしてしまった。
 伶桜の美しくも凜々しい瞳には、ノーと言わせない、魔力にも似た不思議な力があると思う。
 僕がオッケーした事で会場は――爆発的な歓声と拍手、悲鳴が響いた。
 まるで有名アイドルのコンサートで、メンバー同士が仲良く絡んだ時のような反応だ。
 ニコッと笑った伶桜が観衆に手を振り、更に館内をヒートアップさせた。
僕のインタビューでお通夜みたいに痛々しい空気感だった会場が、一気に歓喜で湧いている。
 おかげで僕は、針の筵に座らされているような状態から救われた。……伶桜は、やっぱり格好良いな。 
 人心掌握力とか、場を支配するカリスマって呼ぶのかな? 
 僕が知っている幼馴染みは――もっと子供で、お互いに喧嘩しながら助け合って来た。
 でも今は、助けられてばかり。伶桜ばかりが僕を助けていて……。
 もう、僕の知っている幼馴染みは居ない。
 隣に立っているメイクアップした女性は――僕の理想の格好良さを具現化してくれる、見知らぬ存在へと進化していた。
 だからだと思う。
 心臓がギュギュッと圧縮されるように痛んで……。
 圧迫に逆らうように強く早い鼓動を、心地良く感じてしまうのは――。