「ねぇ、そこまでして会いたいって思った相手ってどんな相手だったの?」
となれば、どうしても気になった。
そんな彼が悪事に手を染めてしまうくらいには、魅力的な恋。
禁忌を犯したうえで、今なお会いたいと願う恋。
なお、お金を吐き続けながら、木霊は口を開いた。
「……簡単に言えば、兄妹だったのだ。あれと我は。杉の木として生まれ、針葉樹の森の中で、少し離れに立っていたが、背が伸びて顔を合わせるようになった」
数百年生きてきた功なのか、声は落ち着き払って抑揚がない。
「といっても、どちらの年齢が上か下か、自分の性別がどちらかさえ、正確には分からなかいがな。とにかく同じ森林の中で、長い間一緒にその場で成長し、あるとき年月の経過によりどちらもが意思を持った」
その前のことは、存じぬという。
気づけば、似たような背丈に育った杉が、少し距離を開けて、そびえていたそうだ。
「その森は、自然にできたものだった。標高が高いところにあったからな、人が足を踏み入れるには苦労がいる場所だったのだろう。生きとし生けるもの、みなそれぞれの生活を謳歌していたものだ」
木霊の本体である杉の木にも、リスやら渡り鳥やらが巣を作り、共存をしていたそうだ。
中には意気投合して、喋り仲間になることもあったそうだが、それも長くはなかったと言う。
動物類と違って、樹木に寿命はない。別れのときに、木霊が見送る側にしか立てないのは当然のことだ。
でも、と木霊はここでやっと少し声を弾ませた。
ゲームセンターの機械のようにリズムよくコインを吐いていたのが、少し狂う。
「あれだけは、ずっとそこに立っていた。生まれてから何百年もの間な。
よく、あれとは妙な争いをしたものさ。どちらがより早く大木になれるかなどといってなぁ。そして、いずれの時か互いに惹かれていった。同じ杉の森だ。たぶん同じ親から生まれたのだろうとは分かっていたが、そんなのは小さなことだった」
思い出を語る声は、それが楽しい時間であったことを雄弁していた。
ほんの数分前に、化け妖と化していたものとは、到底思えない。
「そんなふうだったから、気づかなかったのだけど。あれと我の競い合いは、いつのまにか山で一番の巨木を決める争いになっていたんだ」
しかし、そこへ転機が訪れる。
「百年ほど前だったな。人による、山の開拓が始まったのだ。あぁ、あれは見ていられなかった。あの頃は物資の足りない時代だったからだろう。
山がどんどんと無差別に削られていった。我とあれは歯痒く思いつつも、見ているしかできなかった」
「木霊は切られなかったんだね?」
「あぁ、あれも私もその頃には、かなり大きくなっていた。しめ縄を巻かれて、むしろご神木扱いさ。はじめは、それでもよかったのだが。さらに時代が降った頃に、どちらか一本のみを残すと、そう決められたのだ」
神木とされてから、二十年ほど後のことだったらしい。時代を想定すれば、戦乱に世が傾いていく頃だ。その決定は住民らとしても、仕方ないものだったのだろう。
「……もしかしてそれで」
「ほんの少し、我の方が背が高かったのだ。それを理由に、あれは切り株となり、我だけが残った。
何度後悔したか知れないさ。あんな競い合いに本気になっていなければ、我が切られていたのに……。そう繰り返し思っているうちに、この姿となった」
木霊の懐古が終わる。
昼に聞いた話とも、これで繋がった。妖となったのは、切られたほうではく、残された方だったのだ。
好きな相手を守って死んだから、神木が切られたというあの土地に、未練は一滴も残っていなかったのだろう。
「……ごめん、なんて言えばいいか」
「なにも申さずともよい。同情が神への供物となるわけでもないからな」
ちょうど最後の硬貨を返し終わったらしい。
木霊は浮遊して、手前にあった狛犬の足元、台座に乗る。
結衣は、手元の金庫に目をやった。このお金があれば助けてやれる、そう思う気持ちもなくはなかったが、
「ごめん、やっぱりお金はあげられないよ。これはね、木霊の願いよりは小さなものかもしれないけど、参拝してくれた人みんなのお願いが篭ってるから。それに、私にも叶えたいことがあるんだ」
「分かっている。そもそも悪事に手を染めた我が悪かったのだ。五百年も生きて、一つの感情に縛られる我が」
木霊の光が、豆球ほどに頼りないものへと変わった。
夜も一番深い時刻の、洞窟の中だ。
結衣は改めて、その暗さを知る。
一際大きく、水滴の跳ねる音がした。
ちょっと怖くなって左手を胸に当てていると、右手の上に恋時が手を重ねる。
「そこにいるんでしょう。出てきたらどうです? ここにいる誰も、あなたを否定したりしませんよ」
明白に、結衣に言ったのではなかった。でも、木霊に告げるにしても内容がおかしい。
「そこにいる娘もかの」
と、天井からじじ声がした。
なにかがいる。そして、その主は、地上にいるわけではないらしい。そう、結衣にはすぐわかった。つまり、異形のものだ。
「えぇ、どんな妖にも優しく接するお方ですよ。俺のような妙なものを差別することもない」
「それならば、やぶさかではないのう」
天井に、なにかの大きな影が伸びる。
結衣が目を見張っていると、曲がった手足のようなものが生えてきて、それは地面へ降り立った。ぴちゃんと、影から想定していたものの十分の一スケールのなにかが。
「……な、なに、この子」
「捨てられた神、いわば邪神ですよ」
「……まぁ祟り、災いを起こすなどとよく言われているよ。迷信じゃがの」
水気を飛ばしながら後ろ足をみょーんと蹴上げて、跳ねること数回。御厨の中央、御神体である徳利へ飛び乗ったそれは、
「アマガエル……?」